山の中での作業でしたが汗が長靴の中にたまるほど猛暑でした。猛暑というより、蒸し暑くて汗が引かないといった感じでした。
土曜は作業を休もうと日没コールドまで仕事してきたので大汗をかきました。
家に戻って風呂に行き、夕飯も食べずに寝てしまったので夜明け前に夕食を作りました。
寝ぼけ眼で朝からオムライス。せっかくだから梅酒も飲んでまた寝ました。
北朝鮮拉致被害者、横田めぐみさんの父親の横田滋さんが亡くなりました。老衰だそうです。昭和7年生まれなので私の父と同年ですが、「老衰」と呼ばれる年齢なのか。
横田めぐみさんの拉致事件があったのは昭和52年で、この頃、日本海側でカップルなどがさらわれるという事件が起きているのを雑誌でミステリー風に紹介されていたのを憶えています。
あの時点で警察も気が付いていたのではなかろうか?と思えてなりませんが、中国は文化大革命が終わったころでソビエトという脅威が目前にあり、北朝鮮など庶民の眼中になかった時代だったと思います。世情を思い返すと世界各地でハイジャックが大発生していました。
よど号事件が起きて連合赤軍が北朝鮮に亡命したのが昭和45年で、こいつらが日本人拉致事件に大きく関与していることは明白ですが、「人権」をとり違えていた時代でしたね。「人権」を盾に巨悪を見逃した無責任の付け回し。嫌われることを恐れた「見せかけの仏顔」が魔を呼び込んだ。
果たして、金ちゃんが生きているのか疑問ですが、ああ言う国は滅ぼさなければなりませんね。
滅ぼすのはたやすいと思うのですが、問題はその後で、関わりたくはない。今も未来もこの世の地獄ってところなんでしょうが、当人たちが「変える」という意思がない限りは何をやっても無駄。プロレタリアートの行く先なんてこんなもんでしょう。
冷ややかに怒りだけがこみあげてくるけれど、こういう感情をいにしえの人なら「悲し」と表現したのでしょうか?
無念です。
がしかし、この映画のミッションは、映画を完成させ世界中の人達にこの拉致問題を知ってもらい、拉致被害者を、取り戻すこと。
映画関係者の皆様には・・・
誠に無念で残念ではありますが、
この悔しい思いを制作へ向け、引き続き頑張っていただけたらと思います。
横田滋さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
死んだ人は何も言えません。だから死者の口を通したような物言いはしたくないのですが、世にいう「左巻き」の人たちはこうした土足で踏みつけるようなことを平然とやらかすんですね。
こうした卑しい連中と同列にならないように、木を配らなければならないと、改めて思います。
90年代半ばに弟が北京に留学していましたが、同じキャンパスに蓮舫がいたのに一度もお目にかからなかったそうです。当時は全寮制だったのですけど。
この寮に金ちゃんとこの留学がいて、何度もピョンヤンに行ってみないか?と誘われていたようです。耳がつぶれてコブシにタコができている中学生で、レスリングや柔道、打撃系の格闘技を相当練習してきているのはわかったようで、政府の武官だなと察して距離を取っていたようです。
まあ、あの弟を拉致しても麻雀のメンツ程度にしからならなかったでしょう。
拉致の脅威はまだ終わったわけではありません。
おパリでもアジア系人物のは要注意を。