ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

THE NEW YORK BOX その5

2016-07-04 10:25:00 | メディア
甲斐さんいわく…甲斐バンドの初期
「ガラスの動物園」の頃からそうなんだけど
生まれ育った福岡から東京に出て来て
懸命に生きてる成長物語を描きながら見せて行くという表現が
一番いいとずっと思って来て
それを様々な形に変化させながらやって来たのね

ところが、次にニューヨークで仕事をするようになると
今度は、自分の生まれ育った地こそが気になり出した
自分のアイデンティティはどこにあるんだろうなって所に立ち返るよね

そして本来、ソロ・テイストの曲として書かれた
「【冷血】にもそれが反映されている」と甲斐さん

俺の中にあの放蕩を繰り返しながら無茶な生き方をして来た
父親の血が流れているという
胸の奥底にしまわれた忌まわしい記憶
でもそれは認めなきゃいけないことだからね
だったら、そこを書こう、血に直面しようと…
その部分こそが自分の中の最も人間らしい部分だってことに気づいたんだよ

奥さんによると…「血を恨んだ」とおっしゃったこともあったそうで
この曲のサビを聴くたびに居たたまれない気持ちになったらしい

【冷血】の歌詞の前に冠された
ロバート・B・パーカーの「愛と名誉のために」の中の
「君を信じることができれば、自分を信じることができる
しかし、君なしでは…人生の目標がなくなってしまう
それが、愛と自慰の違いだ」というセリフ…色々と深読みしてしまいます

ただ、この曲は遺伝的、根源的な意味合いだけではなく
「[ノンフィクション・ノベル]という独自のスタイルを生み出した」
トルーマン・カポーティの「冷血」のように

「全く今までにない、独自のスタイルっていうのを
俺も作り上げる必要があるんじゃないか、と
個人的に差し迫った…何かものにとりつかれたみたいに感じていたのは
本当なんだよね、すごく」

アイデア的には、ポリスの【キャント・スタンド・ルージング・ユー】や
ストーンズの【トゥ・マッチ・ブラッド】
ディランの【ハリケーン】それをモチーフにした
スプリングスティーンの【ジョニー99】などの
「人間が犯す最大の罪、殺人というモチーフを
一応、踏襲したもの」だそうですが

【ハリケーン】は、他の「ディザイア」収録曲とは違って
「セント・バレンタインの日に起きた殺人事件をモチーフにしてるんだけど
いわゆるディラン信者たちは、あの歌が持っている
リアルタイムな部分を見逃してたんじゃないかと思うのね」

「だから【キャント・スタンド・ルージング・ユー】とか
ああいう感じですねって、端的に言われるかも知れないけど
実は、僕の心にあるのは、そのリアルタイムって部分ね
形式的な区分けじゃない

実際、この曲を3年前にやろうと思ったら出来た訳だしね、早い話が…
だけど、85年の今現在、この曲を録音して歌うことに意義を見出だしてる
これは、来年であっても、またいけないんだろうし…」と話されてます

ちなみに【ハリケーン】は、投獄された元ボクサーの
ルービン・ハリケーン・カーターの無実を信じて発表されたシングルで

「酒場の夜でピストルが響く…バーテンが血の海に倒れているのを見て
[たいへん、みんな殺されてる!]と叫ぶ…
彼は権力が選んだ男
犯してもいない罪を負わせようと彼は独房に入れられた
でも、かつては世界チャンピオンにもなれたはずなのに…」といった内容です

それはさておき…「ストレート・ライフ」は
甲斐バンド時代に書かれた曲もあれば
トラックダウンのために渡米される「2日前に出来た【夜にもつれて】」もあり
「それらを1枚のアルバムに収めるからには
全て一つの統一した色彩に染めてやらなくちゃいけない」と甲斐さん

「タイトルはね、もう2年前にすでにアイデアがあったんですよ
それから半年くらいして、アート・ペッパーの自伝が同じタイトルだと知って
ある種、明確なイメージ付けが出来たんだけど

このアルバムに出て来る人間達っていうのは
タイトルが示すようなイメージとはかけ離れた人間達なんだよね
でも実は、そういう人達は僕らの周りにもいるんだよ」と話されてますが

このライナーノーツの中でも「俺が生まれ育った街は
遊郭、キャバレーやバーが乱立した色街でもあり歓楽街だった
そこには、娼婦、ヤクザやポン引きから貧乏な人達も含め複雑な人間関係があった
それを見ながら育ったから、それを書こうと思ったの
だから、出て来る人間はみんなカタギじゃない」

「歩いてる犬までアヤシイ(笑)」「社会の縮図のような街」を
ご自身のルーツとして、お子さん達を案内されたのもこの頃でしょうか?

【イエロー・キャブ】の中の「幸運はなぜ、ある者だけに微笑み
他の者たちにはそっぽを向くのだろう」という歌詞を
「実は、おふくろのために書いたんです
母親がそういう寂しい人生だったってことじゃなくて

僕は彼女が亡くなるまで不可解だったんです
あんな父親にいつも想いを捧げながら
なんであんなに一途でいられるのかって…
そこに切り込み、向き合いながら
自分の生き方、自分の新たな家族への想いを投影して行ったんだ」

…と、正にソロ活動の第1弾にふさわしい内容になってるんだけど
昔みたいにツアー先のホテルや移動中の列車の中
あるいは、バーのカウンターでコースターの裏に(笑)
「頭に浮かんだ曲を書き留める」のではなく

「一応、書いてみる訳ね、いつも
とにかく、書くことが命だから…書きたくない時でも、まず書く
で、そのためには、リビングで「いいとも」見ながら
お茶飲んでちゃ書けない(笑)

そりゃ、娘と遊ぶのは楽しいよ
弁当持って、公園に娘達と2時間でもハイキングに行く方が
そりゃ面白いですよ。だけど、このままじゃいけない!と…(笑)
だから、まず自分の部屋に入る
そういう状況を作って、まず書くわけ」
…と曲作りのスタイルも変わられたようですが

「GOLD」の中の曲は全て、ご自宅の窓から見える
景色をご覧になりながら書かれたというのは
そういうことだったんですね(笑)

ただ「曲を作るってことについても
かなりの時間を費やしてる
それはどういうことかと言うと
自分の中で物凄く込み上げて来るまで
ウェイティングしてるんだよね
自分の胸を激しく揺さぶるまで、熟すまで
書かない、出さないというような感じでね」と甲斐さん

「甲斐バンドの甲斐よしひろ」というイメージを払拭できない方々からは
あまり評判がよろしくなかった?アルバムみたいだけど(汗)
甲斐さんご自身にとっては「込み上げて来たものを
ナチュラルにフラットに書いた」1枚だそうです

余談ですが、甲斐さんいわく…
みんな忘れてるんだけど、荒井由実が松任谷由実になった時
アルバム5枚くらい苦労したでしょ、ずっと売れなくて…
矢沢だってそうだけど、みんなソロになって3枚くらいまで苦労してるじゃない?
なのに「ストレート・ライフ」がチャート5位しか行かなくて
「もう甲斐はダメだ」って、ナンで言うのかなーと思ってさ(笑)

奥さんによれば、まあ「甲斐バンド恋し」って人が多かったんだよね(苦笑)

ソロになられてから初の武道館は
黒澤フィルム・スタジオでのラスト・ライブと同じ
…ということは、今回のNYボックスの発売日…6月29日だったそうで(笑)

「ストレート・ライフ」と甲斐バンド・ナンバー
それにセルフカバー曲も披露され
「あれもこれも全て、甲斐よしひろ」といった内容だったんだとか…
ソロになられても「推理される」ミュージシャンでいらしたんですね(笑)
コメント
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