ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK(Vol.25)その2

2016-07-18 10:51:53 | 日記
この号の特集は、正式に甲斐バンドのメンバーになられた
田中一郎さんへのインタビュー♪

BIGGIGの時点では「まだARBのメンバーだったし」
「その兼ね合いもあったし」で、ゲスト出演を見送られたみたいですが

甲斐さんは「虜」が完成した後くらいから
かなり頻繁にイチローさんと飲んでいらしたらしく
そういう中で「甲斐バンドのタイム・イズ・オン・マイ・サイド」は
【東京の一夜】だとの言葉が「決め手」となったと話されてます

ただ「コイツとならバンドを一緒にやれる」と思われたのは
「小学校時代から知ってるとか、ダチだから引っ張ったとか
そんなのないよね、ビジネスだからさ」と甲斐さん

「昔から知ってる方が、余計にタチが悪いことも非常にあるし
あれ、ものすごく嫌だからね」と話され

イチローさんも「甲斐よしひろは先輩だし、ガキの頃から知ってる
照和でやってる時も一緒に演奏したし、何でもやったけど
やっぱり、友達である以上に音楽で何かあるんだよね」とおっしゃっていて

当時のマスコミの「思い込み」や「決めつけ」に
お二人とも「そう思われて面倒くさいねぇ」と…(笑)

ちなみに…甲斐さん以外のお二人については
「大森さんは、ギター持ってない時は
やっぱり年上の人だから、仕事をしててもそういうスタンスはあるよね」

「松藤は同級生だったし、一緒にバンドやってたからダチっ子だもん
普段いちばん会ってた訳じゃない?
それこそ私生活とか、仕事とか会話できた友達で
そりゃあ、ミュージシャン松藤と話す時もあるけど

僕、考えたら、16歳くらい…本当に音楽やりたいって思った頃から
あそこに行って、ボーリングやるのが楽しいとかさ
そういう友達っていうのは、結構少なかったね
だからそのボーリングが、プロになるくらい
必死にやってたらメチャクチャ楽しいよね」とおっしゃってます

ともあれ、この号のインタビューを見る限り
ミュージシャンとしてのイチローさんの「エポック」には
何かしら甲斐さんが関わっておられるような気が…(笑)

中学時代に「ナンだこれはって、初めてだったもんね」と
甲斐さんのギターの上手さに驚かれたり
高校時代に「ノーマン・ホイット・フィールド」の演奏をラジオで聴かれ
「生ギターだけのバンドでも、ビートがなくちゃイヤだ!(笑)
っていうのが音に出てたもんね」と思われたり…

イチローさんが照和に出演されるようになった頃
社会人の甲斐さんが(笑)スーツ姿で遊びに来られ
「楽屋で古井戸とか拓郎とかの曲を弾いて楽しんでたり」なさっていたのが

「いきなり、Gパン履いて戻って来て
一人でハーモニカ吹きながら歌ってた
あの人見て、リンドンも変わった
オリジナルが1〜2曲しかなかったバンドが
必死にオリジナルを作り始めたりしてた」

その当時の「看板曲だった【喫茶店で聞いた会話】があるから
甲斐よしひろは、リンドンが好きだったみたいね」

甲斐さんが【恋時雨】のデモテープを録られる際に
リンドンがバックを務められたそうですが
「そのテープを聴きながら、甲斐よしひろが
[お前たち、ノリがWHOっぽいね]って言うの
それからだもん、真剣にWHOのレコード聴き出したの」

博多にやって来るプロのバンドのステージをご覧になるより
「甲斐よしひろと音楽の話してる方が楽しかったもん、すごく
盛り上がったら帰らないの、絶対(笑)
ミュージシャンの仲間ばっかり10人くらいで飲んでるでしょ
気づいたら、2人ずつになって音楽の話をしてる」

この頃の甲斐さんは、大森さん、長岡さん、それに「Iさん」という
ドラマーの方とご一緒にステージに立たれていたそうだけど

ある日いきなり演奏された【ランチタイム】という曲の歌詞
「僕は疲れてる 奴も疲れてる」の「奴」が
イチローさんのことだというのは
お二人がその話し込みの「ペア」でいらしたからなのかなあと…?

「徹夜明けの怠惰でシュールなミュージシャン」達が(笑)
照和の1階の喫茶店でランチを召し上がりながら

「東京までは遠いよねって話が先で
それに対する繰り返しのアタックとかね
そういうことばっかりに目が行って
肝心のバンドの屋台骨がグラグラするってことが何度もあった」ことが
「疲れてる」原因だったようです(汗)

リンドンでプロデビューなさってからも
「アマチュアの時は、世界最高のバンドだった
アマチュアの中ではナンバー1、プロになったらタダのバンド(笑)
苦しかった。リハーサルも満足に出来ないし
遊び方も変わるし、気持ちも通じなくなる

悩み始めてる頃に、松藤に電話したことがあるんですよ
もう一人くらいギターがおった方がいいと思うんだけどねぇって言いつつ
[来ない?]って言おうと思ったの

そしたら松藤が[今日、僕、甲斐さんとやることに決まっちゃったけんね]
って言うの[うそぉー]ってビックリした
信じられなかった[ギター弾くの?]
[ううん、ドラム][ハァーッ?]って(笑)」

「3年目くらいには泣きそうにツラかった
これじゃダメだ…はっきり思った
でも、逆に自分のやりたいことが見えて来た
そんな時に久しぶりに甲斐バンドの連中にあったんです

神田共立だったかな、甲斐バンドが総立ちになりかけてた頃
輝いて見えたね、ランランとしてたから…その時のリハーサル見てて
今のバンドやめようって、けじめがつけられたし
新しいバンドを作ろうってことになって、ARBが出来たんです」

この時にイチローさんの相談にのられた甲斐さんが
ARBのスタイルをアドバイスなさったり
石橋凌さんを推薦されたりしたんですよね?

でも、その後…「ひとつハッキリしてたのはさ
奴がもう[ギター・ヒーロー]でいるのはイヤなんだということ」と甲斐さん

「例えば、4分間の曲に1分の間奏があるみたいな
ギターが前面に出るしかないようなスタイル
詞とメロディとサウンドが絡まって
言うに言われぬうねりを出すって部分とは程遠い所にいた訳だからさ

俺たちの所に来たっていうのは
ギター・ヒーローになるためじゃなくて
歌の中でギターを弾くんだという意識が非常に強かったみたいだね
だから、たとえ間奏が15秒だって
必要なものだけ、オイシイとこだけ弾く。ちゃんとアピールする
で、アンサンブルとして、1曲が成り立っていく
それが、やっぱり一郎がやりたかったことだと思うのね」

「だから、奴の若い頃から知ってるってことは何ら関係なくて
俺たちが田中一郎っていうギタリストの腕を必要と確信して
一郎は一郎で、甲斐バンドっていうバンドのある種パワーやカラーを欲した
たまたま、そういうタイミングが合ったってことでしかないんだよね」

奥さんは、イチローさんの加入を「手放し」で喜んだ
…というほどでもない代わりに
「甲斐バンドは一生、三人でやって行く」って言ってたのに
…と嘆くこともなく(苦笑)

もう、ツインギターにツインドラム、ブラスも入って
キーボードも二人になって…と、どんどん大所帯になって行く
「ツアー・バンド」のメンバーが、また1人増えた(笑)という認識だったらしい

まあ、ある意味で、今の「甲斐バンド」と
同じようなスタイルと言えるのかも知れません
「シンフォニー」では「60人も含めて甲斐バンド」だとおっしゃってましたもんね(笑)
コメント
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