ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

J-POP LEGEND FORUM(6/28)その4

2021-08-06 15:15:00 | メディア
イチローさんが、甲斐バンドに正式加入なさってから
「1年間かけて作ったのが、85年3月に出た『ラブ・マイナス・ゼロ』ですね
このアルバムのためにですね、甲斐さんは2回ニューヨークに行ってます

5月にはですね、ニール・ドーフスマンという人と組んで
10月にもですね、更にボブ・クリアマウンテンとそれをやり直した
そんなアルバムでありました。タイトル曲を聴いております。これはスタジオ盤です」と
「ラブ・マイナス・ゼロ」が流れる中

「甲斐バンド ニューヨーク三部作の3作目
85年3月に発売になったアルバム『ラブ・マイナス・ゼロ』
このアルバムは、ニール・ドーフスマン、そしてボブ・クリアマウンテンというですね
2人の(エンジニアの)手を経て作り上げられました

ニール・ドーフスマンはですね、その後、スティングとか
ポール・マッカートニーとか色んな人を手がけて
この2人ともですね、グラミー賞を受賞してますね

で、日本では、その後、渡辺美里さんとか、浜田省吾さんとか
氷室京介さんとか、まあ色んなアーティストと組むようになるんですが
そういう意味では、甲斐さんはですね
先見の明があったという風に言っていいでしょうね」…とか

「アレンジャーの後藤次利さんもですね、このアルバムに加わっているんですが
たまたま、後藤さんと甲斐さん達が、一緒に話してる場に同席していてですね、驚いたことがあって
後藤さんが関わったアルバム…たぶん(サディスティック・)ミカ・バンドだと思うんですが

B面の何曲目の、あの曲の何小節目で、後藤さんがこんなフレーズを弾いていたということが
甲斐さんの頭に全部入っておりました(笑)」…とおっしゃってましたけど
「ヘビーリスナー崩れ(失礼!)」のミュージシャンの方をナメちゃいけませんよね?(笑)

ともあれ…5月にニール・ドーフスマンと組まれたのは
「『フェアリー』のシングルテイクをスタジオで録った時
『これは絶対ニール向きだ!』と思った」かららしく

それは「『フェアリー』が、生の音だけじゃなく
コンピュータを同期させて色んな音を録ってるし
そういう部分では、間違ってミックスダウンすると
ただ冷たいだけのサウンドになりかねない」ため

「ニールは非常にクールでブライトだけど、冷たいとか金属的だって言うんじゃなくて
体温を感じさせる、血が脈打ってるような…
ちょっとひんやりする中に、温もりがあるというサウンド」を作る腕を見込まれたみたいです

ただ「フェアリー」は「甲斐バンド向きの曲ではない」と「寝かしといたヤツ」で
それを引っ張り出して来られたのは「どういうトーンのLPにする?」という話し合いの際に
「ハード、ソフトと分けた時に、そういうのばっかりで通すようなのはイヤだ
芸がない…というような展開から出て来た」
いわば「アクセント」的な意味合いの曲だったらしく

その同じ5月にニールに渡された他の3曲の内
「キラー・ストリート」は、シングル「フェアリー」のB面に落ち着いたものの
「イエロー・キャブ」は「バンドで料理しにくいだろう」ということでボツにされ
「野獣」は「シングルにするつもりで全てダビングも終わってた」にも関わらず

「アレンジが今ひとつ弱いんじゃないか…っていうか、散漫なような気がしたのね
つまり、イントロと、歌が入って来るトコと、間奏と、全てトーンが違うような気がしたの
とっちらかってるような気がして、しょうがなかったんだよ」ということで
「全部、もう1回やり直そうと…」10月の再渡米になったんだとか…(汗)

ちなみに…お蔵入りになったニール版「野獣」に代わる
新しいアレンジの「野獣」は「シングルとして、なかなかイイんじゃないかということで
ボブに、6種類ミックスしてくれるように頼んだ」と甲斐さん

「要するに、ショート・バージョン2つ…クラップ入りとクラップなし
ロング・バージョンもその2つ…
ボブが自分で勝手に、ロング・バージョンのクラップなしに
間奏だけクラップ入りっていうのを作って来た(笑)
それと、ショート・バージョンのクラップなしに、間奏だけクラップ入り…計6種類

おまけに、それにインストゥルメンタルが2種類
その中から、僕らはまず、7インチでショート・バージョンのクラップなしというのを出した
ロング・バージョンのクラップありというのは
12インチで出したいという意向を持ってたし…

あと、ニールがやった古いタイプの『野獣』を
ニールで出すんじゃなくて、ボブに任せようって、もう1回ボブがミックスし直した
で、12インチの『野獣』は、全部ロング・バージョン
全編クラッピングと、古いタイプのと、インストゥルメンタル

で、LPに入ってるのは、7インチでも12インチでもない
ロング・バージョンのクラップなしの間奏だけクラップ入り(笑)」
…って、もう、こうやって書いてるだけで、頭が痛くなって来ます(苦笑)
イチローさんが「そういう役目の人間が必要でしょ?(笑)」と
膨大な録音作業の手順や流れを全部書きとめておられたのは幸いでしたね?(笑)

それはともかく…
「『ラブ・マイナス・ゼロ』はですね、打ち込みのアルバムなんですね
メンバーの演奏は2曲だけ、それぞれ別々にレコーディングしたものを
ボブ・クリアマウンテンに最終的に委ねたというアルバムでした

そのボブ・クリアマウンテンの当時のスケジュールではですね
ダリル・ホール&ジョン・オーツとブライアン・アダムスの間に甲斐バンドが入っておりました」
…と、当時のボブの引っ張りダコぶりに触れられていらしたけど

甲斐さんによれば…「僕らとブライアン・フェリーと
ミック・ジャガーとパット・ベネターが、ペンディング状態で
スケジュール合わせをしていた」んだとか…(苦笑)

「ボブに任せる前のヤツは、非常にタイトな…
ベースとギターが、いわゆるスケールだけで、ユニゾンで進行してるような
ロックスタイルだったけど、新しいのは、もっとブラックっぽいニュアンスがあると思うのね
ファンクだよね…といっても、別にプリンスとか
そういうようなニュアンスでやろうって思った訳じゃなくて

全て忘れて、曲を解体して、全く新しいスタイルでやろうと…
で、何が一番合うかなと、チト河内とかに協力して貰いながら、アレンジを煮詰めて行く段階で
結果的にこうなってしまったという…」と、発売予定日が、1年8ヶ月も延びに延びてしまった
その事情について説明なさってましたが

1996年の再結成時のインタビューで、歴代のアルバムに触れられた際には…
「音はムチャクチャ良いんだけど、極端なテンション出して、ねじれてるよね
そういう時期があると思うんですよ
ナンでこんなにサウンド・テンション高いの?っていう時期が…
まさに、この1枚がそうだね。もう今こんなミックス出来ないよ
80年代の徒花だね」とおっしゃってました(笑)
コメント
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