ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

J-POP LEGEND FORUM(6/28)その7

2021-08-09 14:25:00 | メディア
甲斐バンドには、ファイナルツアー「PARTY」の締めくくりである武道館5日間公演の最終日
終演後に楽屋で開かれたという「ささやかなパーティー」の席でも
いつものように「その日のステージの反省会」をなさっていて
ふと「あっ!もう(ライブは)やらないんだ!」と
お気づきになったという有名なエピソードがありますが

これぞ、まさに日本屈指のライブバンドの姿というか
ステージを降りられたあとの「ミーティング」までが「ライブ」なんだと
心身に刷り込まれていらしたんでしょうね?(笑)

まあ、ボクは、5日間連続の武道館公演の間中
甲斐さんが毎晩の打ち上げで、明け方まで飲んでおられても
翌日のライブは、日に日に調子が良くなって行かれたのに対し
それにお付き合いなさっていたイベンターの方が
どんどん痩せ細って行かれたという話が大好きです(笑)

ともあれ…関係者300人、一般客1200人という黒澤フィルムスタジオでのライブのラストに
先日の横浜・赤レンガ倉庫ライブに参加なさっていた
岡沢茂さんや上原ユカリ裕さんから、ステージにバラの花を投げ入れられ
12年間の活動にピリオドが打たれた…と思いきや

「そのあとがまだあったんですよ。六本木にね『インクスティック』というクラブがあって
そこで朝までパーティーが行われて、脱退した長岡和弘さんが(午前4時から)加わって
『悪いうわさ』を演奏した…これが、86年の最後のシーンでした」と田家さん

前述の映像に、ほんの一瞬、そのお姿が映ってましたけど…
あと「ダイナマイトが150屯」を演奏されたという吉川晃司さんや
松藤さんとイチローさんが「TWO OF US」をお歌いになっているらしいカットも…
もちろん「隠れ長岡さんファン(笑)」の我が家の住人は
当時、そのカットを延々とリピートしておりました(笑)

さて、いよいよ番組終了の時間が近づき…「1970年代から1980年代にかけての新しい時代を開いた
栄光のロックバンドの軌跡…今週は最終週をお送りしました
この『THE 甲斐バンド ファイナル コンサート PARTY』はですね
それまでの色々なバンドやグループのですね、解散のイメージを変えましたね

客席からですね『ヤメないで!』という涙まじりの悲鳴が飛んでですね
ステージも感極まって歌えなくなるという、ジメっとしたシーンがなかったですね
やり切った、戦い終えたというですね、そういう祝祭のような結末というのが
甲斐バンドのファイナルでしたね…と話されてましたが

さすがに武道館5日目の「ラブ・マイナス・ゼロ」の最後に
甲斐さんが「サンキュー!じゃあね」と告げられた時には
「それまでの4日間とは比べ物にならないくらい、歓声が大きかった」みたいですし
終演後も名残を惜しみ、立ち去り難くていらしたファンの皆さんが
武道館の周りで、甲斐バンドの曲を次から次へとお歌いになっていたそうです

「で、冒頭からずっと申し上げております
(甲斐バンドは)『はっぴいえんどからBOOWYに至る過程の最重要バンド』…
これはね、僕の実感でもあるんです
この黒澤スタジオ(でのライブ)の3日後にですね
BOOWYの初めての武道館公演『GIGS~JUST A HERO』があったんですね

氷室さんが『ライブハウス武道館へようこそ!』と言った、あのライブですよ
それを観に行って愕然としたんです。何が愕然としたかというと、ビートが違った
甲斐バンドの、あのどっかこう…重い70年代的なビートという印象がね、全くなかった

BOOWYのジャストな、タイトな、あのドライなビートというのにですね、ビックリしたんですね
『えっ!?こんな風に時代が変わるのか!』と思ったことがあってですね
こんな風にですね、はっぴいえんどからBOOWYっていう風に
自分の中で位置づけが出来上がってしまいました

でも、甲斐バンドの解散の様式…ダンディズム、美学というのはですね
BOOWYにも受け継がれたんではないでしょうか?
7月10日にですね、横浜・赤レンガ倉庫前で、甲斐バンドのライブがあります
これが見納めになるんでしょうか?」…って
田家さんがご覧になるのが…という意味ですかね?

でも、当日も翌日もブログは更新なさっているものの
甲斐バンドライブには触れておられなかったし…(苦笑)
まあ「懐かしの青山スパイラル」という記事の中で
「REPEAT & FADE」の完成披露パーティーが行われた…
つまり、解散が発表されたレストランについて書かれてましたけど…(苦笑)

「田家さんにとっての『見納め』じゃないならどーゆーこと!?」と奥さん(苦笑)
甲斐さんは「健康のためなら死ねる(笑)」とおっしゃってるくらい(笑)
お身体には気を遣っておられる方だし、メンバーの皆さんもそれぞれご活躍だし
赤レンガ倉庫ライブが「45周年ツアーのファイナル」と銘打たれていたのは
コロナ禍で1年延期になったためで、今年は実質47年目だし
あっという間に50周年って感じなのに「何をや言わんか」っていう気分だったらしい(苦笑)

それはともかく…「番組制作の加藤与佐雄さんの話もしなければ…
と言ったきり、しないで来てしまいましたが
当時、加藤さんは、名古屋・東海ラジオのディレクターでありました
で、僕らは、甲斐バンドの取材でツアーに行くと…
特に名古屋に行くとですね、朝まで飲むんですね

与佐雄さんも一緒に飲んで、明け方になってですね
与佐雄さんの自宅に押しかけて、みんなで奥様が作った味噌汁を飲んで
ホテルに帰ってですね、荷物を取って駅に行くというですね、そういう過ごし方をしてました
与佐雄さんは今、天国にいますが、この放送を聴いて
喜んでくれてるのではないでしょうか…また来週…」で番組終了…

4週間で、1974年から1986年までの12年間…
今の甲斐バンドの歴史の前半部分だけを振り返られた訳ですが
それでも駆け足にならざるを得ないくらい濃厚な内容でしたね

ただ、奥さんは、その後の甲斐さんのソロ期やKAIFIVE時代、1996年の期間限定再結成
もちろん、それ以降の活動も含め、現在に至るまでの軌跡を
出来れば、ずっとライブに参戦なさっているであろう亀和田武さんに
振り返って頂きたいと思っているみたいです(笑)
コメント
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