ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

照和その18

2013-05-21 02:19:47 | メディア
1976~77年頃は、照和の開店当初とは違い

交通手段の発達や情報量の増加によって
東京との距離が近くなるにつれ

次第に福岡独自の文化が失われつつあったようだ


『照和』という名前の力にも
翳りが見え始めていたものの

照和にいれば客は集まり
音楽関係者もたびたび訪れていたらしい

それが逆に当時の出演者たちを安心させ

甲斐さん達がいた頃みたいに
他のホールでコンサートを開くこともなく

照和で歌うことがすべてになってしまったようだ

自然とかつての勢いは衰え
ボルテージは落ちて

本日の出演者の名前より
照和出身のミュージシャンの名前に
頼るようになっていったらしい

照和にいればプロになれるという話は
徐々に過去のものとなって

ある者は照和を見かぎり
あるバンドはポプコンに傾いていった


照和のチーフマネージャーだった
あかんべぇの秋吉さんがヤマハに入って

照和へ出場の勧誘に来られていたことも
関係あったのかも知れないけど…


『歌の甲子園』と呼ばれたポプコンは
一夜明ければスター!といったイメージが定着し

かつての照和のように
客の反応がミュージシャンを育てるという

『叩き上げ』のやり方は
魅力的に見えなくなってしまったようだ


また一方で
観客も好きな音楽を聴くために

身近なアマチュアがいるライブハウスに行くより

福岡でも見ることが出来るようになった
プロのミュージシャンのライブに
足を運ぶようになったという


プロデビューすることは容易になっても
その後もずっとプロを続けて行くことは難しい

妙安寺ファミリーバンドは
デビューまであと一歩のところで頓挫し

リンドンは3年で解散してしまった

ラムフライやナガブチゴウさん(笑)は

照和の仲間から
『まだ早い!』と言われたデビューを果たしたものの

自然消滅したり、照和に戻って来たり…

西田恭平さんは

ナガブチゴウさんと同じ回のポプコン本大会で
グランプリを獲得、デビューされたけど

やはり照和に戻り、やがて故郷に帰られたそうだ


中途半端な気持ちで上京しては
都会に飲み込まれ潰されてしまう

そんな不安や危機感を抱え
それでも、おいそれとは博多に帰る訳にはいかない

デビュー前の甲斐さんが

何枚かアルバムを作っても
まだ余分にストックとして残せるくらい

オリジナル曲を書き貯めてから
デビューしたいと考えておられたこと

ソロコンサートや出発コンサートに来てくれた人達

応援してくれた仲間や
お世話になった方々の思いを
すべて背負いたいと言われたこと

このことは甲斐さんのプロになる決意の固さ
プロとしてやっていく覚悟の真剣さを物語っていると思う


『やるべきことはすべてやった』
『この街から胸を張って出て行くのだと誓った』

九州少年に書かれた甲斐さんの言葉です
コメント
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