映画『照和』の試写をご覧になった際
吉岡秀隆さんは、ひとりで大笑いされていたという(笑)
甲斐さんが『ナンで笑ってたの?』と訊ねたら
イチローさんのコメントが
サベツ発言ぽくて可笑しかったからだそうだ(笑)
照和が出来て1~2年から出演している人と
3年目以降の人は全然違うとか(笑)
自分たちは照和だけじゃダメだと思っていたけど
『ここで充分、ここに来るのが目標だった』
というバンドもいっぱい居た
と話された辺りのことを指しておられるらしい
石橋凌さんがいらっしゃった『アップルトゥリー』は
久留米のライブハウス『松の湯』を本拠地にして
活躍されていたバンドで
やはり、照和に出るのが目標だったそうだ(笑)
オーディションの時に甲斐さんは
年齢だけでなく
音も発想もテクニックも
青いバンドだと思われたけど
オリジナルに1曲だけ妙に弾けた
ポップな曲があったのが気になって
日曜日4時の枠に出演させたらしい
毎週、久留米から車で通っておられたようで
イチローさんは
ここまで来るのも一苦労(笑)と言われ
門田さんは
アイツらは根性があった(爆)とおっしゃってます(笑)
以前にも触れましたけど…
福岡の方は博多が九州の首都だ!
と思っているフシがあるので(爆)
同じ福岡県内とはいえ
久留米を田舎扱いされても仕方がないのかも?(汗)
少し前に甲斐さんが
お国訛りで話す
松田聖子さんのCMをご覧になって
他所の人には区別がつかないかも知れないけど
あの訛り方は久留米弁ですから!(笑)
博多ではあんな話し方しませんから!
俺たちにも判らない言葉がいっぱいある(爆)と言われて
松藤さんと大笑いされていたらしい(笑)
それはさておき…
長渕剛さんも鹿児島県から出て来られて
照和に出演することを夢見ていらっしゃったようだ
オーディションに合格した時は
天にも昇る気持ちで
道行く人全員に
『俺は照和に出られるんだぞ!』と
叫んで回りたかったらしい(笑)
それ程までに若者たちが照和に憧れたのは
やはり当時、音楽を演っている者にとって
最高のステータスであり
音楽で身を立てたいと望む者には
プロへの近道に思えたことが
大きかったのではないでしょうか?
イチローさんも陣内さんもコメントされてますけど…
つい昨日まで間近に見ていた人がプロになる
同じステージに立っていたバンドがデビューする
という事実を目の当たりにすれば
『プロ』が身近に感じられ
次は自分が…と夢を抱くことに
リアリティが持てたというのも頷けます
岸川さんによると
昭和53年には、13組ものバンドが
博多からデビューしたそうだ
また、照和出身のミュージシャンは
28組、延べ74人だという
東京が遠かった頃の一地方都市
その街の小さなライブハウスから
わずか8年間にこれだけのプロを生み出したということ
そして今も甲斐さんが
歌い続けておられることが素晴らしいです♪
吉岡秀隆さんは、ひとりで大笑いされていたという(笑)
甲斐さんが『ナンで笑ってたの?』と訊ねたら
イチローさんのコメントが
サベツ発言ぽくて可笑しかったからだそうだ(笑)
照和が出来て1~2年から出演している人と
3年目以降の人は全然違うとか(笑)
自分たちは照和だけじゃダメだと思っていたけど
『ここで充分、ここに来るのが目標だった』
というバンドもいっぱい居た
と話された辺りのことを指しておられるらしい
石橋凌さんがいらっしゃった『アップルトゥリー』は
久留米のライブハウス『松の湯』を本拠地にして
活躍されていたバンドで
やはり、照和に出るのが目標だったそうだ(笑)
オーディションの時に甲斐さんは
年齢だけでなく
音も発想もテクニックも
青いバンドだと思われたけど
オリジナルに1曲だけ妙に弾けた
ポップな曲があったのが気になって
日曜日4時の枠に出演させたらしい
毎週、久留米から車で通っておられたようで
イチローさんは
ここまで来るのも一苦労(笑)と言われ
門田さんは
アイツらは根性があった(爆)とおっしゃってます(笑)
以前にも触れましたけど…
福岡の方は博多が九州の首都だ!
と思っているフシがあるので(爆)
同じ福岡県内とはいえ
久留米を田舎扱いされても仕方がないのかも?(汗)
少し前に甲斐さんが
お国訛りで話す
松田聖子さんのCMをご覧になって
他所の人には区別がつかないかも知れないけど
あの訛り方は久留米弁ですから!(笑)
博多ではあんな話し方しませんから!
俺たちにも判らない言葉がいっぱいある(爆)と言われて
松藤さんと大笑いされていたらしい(笑)
それはさておき…
長渕剛さんも鹿児島県から出て来られて
照和に出演することを夢見ていらっしゃったようだ
オーディションに合格した時は
天にも昇る気持ちで
道行く人全員に
『俺は照和に出られるんだぞ!』と
叫んで回りたかったらしい(笑)
それ程までに若者たちが照和に憧れたのは
やはり当時、音楽を演っている者にとって
最高のステータスであり
音楽で身を立てたいと望む者には
プロへの近道に思えたことが
大きかったのではないでしょうか?
イチローさんも陣内さんもコメントされてますけど…
つい昨日まで間近に見ていた人がプロになる
同じステージに立っていたバンドがデビューする
という事実を目の当たりにすれば
『プロ』が身近に感じられ
次は自分が…と夢を抱くことに
リアリティが持てたというのも頷けます
岸川さんによると
昭和53年には、13組ものバンドが
博多からデビューしたそうだ
また、照和出身のミュージシャンは
28組、延べ74人だという
東京が遠かった頃の一地方都市
その街の小さなライブハウスから
わずか8年間にこれだけのプロを生み出したということ
そして今も甲斐さんが
歌い続けておられることが素晴らしいです♪