ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

照和おまけ1

2013-05-22 20:49:43 | 日記
ボクなりに『照和』について
長々と書いて参りました(汗)

つたない文章を読んで下さった皆様
ありがとうございました!!m(_ _)m

資料によって年代にバラつきがあったり
出来事が前後して書かれていたりと(苦笑)

迷うことも多かったけど
やはり『禁断の果実(爆)』は美味でした(笑)

ボクが楽しんで書いていたのは事実ですが

細かい数字や正確な年代を気になさる方には

アバウトでごめんなさいm(__)m

でも、例えば

甲斐さんが初めて
照和に行かれた時のことを

持ち歌が5曲、30分のステージ
と書いたのは

甲斐さんが【荒馬のように】の中で
そう書かれていたからです(笑)

映画『照和』の中では
持ち歌4曲で40分とおっしゃってますけど…(爆)

【九州少年】でも4曲になっていたから

ラジオで演奏された3曲に
【ヘルプレス】をプラスした4曲が
正解かも知れませんね(笑)


門田一郎さんによると…

1行の真実、10行の作り話(笑)
ウソも100回言えば真実だから

【1970年物語】が
すべて真実になる日が来るだろう…(爆)

でも、甲斐さんがファンクラブの会報に
【1970年物語】を掲載される際

富澤一誠さんの【照和伝説】を例に取って

照和に関する書物は

外から眺めた者の覚束ない形のモノと説明され

門田一郎さんのことは

確かにその最盛期の中にいた一人
と紹介なさっていたので

食い違った記載があった時には
門田さんの『ウソ』を選択しました(笑)


門田さんご自身は

ご自分の記憶していることを書いているので

【照和伝説】のように完全版ではないと
おっしゃってますが…(爆)


ボクの脳ミソが『照和』から離れるのに
まだ時間がかかりそうなので

今しばらくお付き合いくださいね(笑)


余談ですが
最近の奥さんは…と言うと

相も変わらず、繰り返し
ローリング・バースデイ・ライブを見ております(笑)

信じられないかも知れませんが
毎日欠かさずに、最低でも2回…です(爆)

ファンクラブで速攻で入手したのに
薬師寺ライブにはまだ手をつけてないようなので
ボクもまだ見れません(汗)

まあ、ボクも今は映画『照和』に釘付けなので、またいずれ…(笑)
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照和その19

2013-05-22 01:45:26 | メディア
藤松武さんが
照和のマネージャーになられる前から

オーナー側と現場責任者との間に
意見の食い違いはあったようで…(汗)

オーナーご自身は
藤松さんのフォーク喫茶『照和』のアイデアについて

『それが若者たちのためになるなら』
という立場で了承されたんだけど

ある意味、採算を度外視したやり方に
経営に携わる幹部の方々は難色を示していたらしい

それでも、開店時から照和の全盛期には
文句のつけようがなかったのが

ひとたび勢いが衰え始めると
地下に出入りする若者たちについて

あれこれオーナーの耳に吹き込むようになったという

髪の毛の長い連中がたむろしている、タバコを投げ捨てる

トイレが汚れている、音がうるさい等
1階の喫茶店の客から苦情が出ている

といった話を聞かされたオーナーは
地下をレストランにしたいと考えたようだ

若者が多く出入りすることが店の活性化に繋がる

という藤松さんの進言は聞き入れられず

藤松さんは『照和』を4階に移して
存続させる手配をした後、退職された


地下の天井の低さ、スペースの狭さ
天神界隈での価格設定のミス等

藤松さんが心配された通り
レストランの経営は上手くいかなかったようだ

でも、新しいマネージャーは
経営不振の理由を4階のせいにしたらしい

若い奴らが店の前にいると
レストランの客が入って来れないとか

エレベーターの前に
タバコの吸殻が散らかっているとか…

その当時、チーフマネージャーだった門田さんが

森山達也さんの依頼で
『ロック・デイ』を開催されていたことは
以前にも触れましたけど…

新しい照和に生まれ変わろうとした矢先に

オーナー側から、こじつけの標的にされて

結果、照和は閉店することになってしまった


3年後にミュージック・パブとして
開店したものの1985年に閉店

91年に再度オープンしたけど

照和の発案者であり
大きな後ろ楯だった藤松さんが辞められ

門田さんが自らの手で
照和の幕を降ろそうと決められた時が

『照和』の最期だったのではないでしょうか?

甲斐さんによれば
4階に移った照和は照和じゃないそうだけど…(笑)


照和閉店の知らせを受けて…

当時ARBのイチローさんと石橋凌さんは

ちょうど仕事で博多に行く予定だったこともあり

翌日の閉店パーティーに顔を出されたそうだけど

出席者に知人が少なくて
1時間ほどで帰られたらしい(苦笑)


財津和夫さんは

どうしたんだろう?経営不振かな?
とは思われたようだけど

もう関係ないやとあまり気にかけなかったという(笑)


武田鉄矢さんは

青春の原点が失くなってしまうようで、居たたまれない

と残念がっておられたらしい


甲斐さんは

寂しいけど仕方がないと言われ

無念さを口には出さないけど
無表情でもなかったそうだ

ただ、それより俺には明日の方が大切だと
おっしゃっていたという(笑)


陽水さんのコメントは見つからないんだけど

よくまあ、この4人が集まって
こけら落としライブが出来たなあと…(爆)

かつての恩人の方々に対する感謝の気持ちや

福岡という街への思いが
成せたことなんでしょうね…
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