ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

照和その3

2013-05-08 01:05:45 | メディア
甲斐さんがファンクラブ会報に書かれた文章に…

照和ができた頃

博多で人気絶頂だったチューリップは
東京に行く準備態勢に入っており

最初こそレギュラーだったものの
途中から不定期にしか出演していなかった

海援隊は満員にする地力はあったものの
あくまでそのシーンの点であり

線になるにはまだ時期尚早という感じだった…とある


実際、チューリップは
テレビ・ラジオにレギュラーとして出演されたり

レコード会社や音楽事務所のスカウトを
選定されていた時期だったようで

照和に出演することは
数多い仕事の内のひとつに過ぎなかったらしい


そして…チューリップとして
レコーディングを済ませた数日後に
相次ぐメンバー離脱でまさかの解散!?

発売日が迫る中、財津和夫さんは

ハーズメンの安倍さん、ライラックの姫野さん、海援隊の上田雅利さんを

新たなメンバーに誘って猛練習を始めたそうだ

この練習場所に使われたのが
閉店後の照和だったという

千葉さんのコメントにもあった通り
午後11時から翌朝7時まで
ぶっ通しで練習されていたそうだ


財津さんのメンバーの集め方に
苦情や非難が集中したらしいんだけど

門田さんいわく…

このくらい我が儘で強引さがないと
プロとしてやっていけないと思う

東京に出て挫折した人間はみんな優しい
自分にも優しいから…


余談ですが…

発売されたレコードのジャケットには
レコーディングをした時のメンバーの写真が使われていたため

財津さんはいつも
離脱したメンバーの目のあたりが
隠れるようにサインされていたそうだ(爆)


一方、当時の海援隊のメンバーは5人で

『ジャックス』の【ラブ・ジェネレーション】や
【堕天使ロック】などを演奏する
ロックバンドだったらしい(爆)

甲斐さんいわく…

演奏はそこそこ上手かったけど
態度が偉そうでカンジ悪かった(笑)

門田さんは…

想像もつかないけど(笑)
見たことなくて良かったかも知れない(爆)

かなり激しい演奏だったらしく
ヒューズが飛んだり、失神者が出たりしたとか…!?

そのバンドの在り方に行き詰まり
ドラムの上田さんが引き抜かれたこともあって

千葉さんが加入された3人の海援隊になったそうだ


学生時代に中牟田さんから
グループを作ろうと誘われた武田さんが

歌はヘタだし、ギターも弾けないと言うと

話が上手いんだから司会をやってくれと言われ(笑)


当時ライラックの千葉さんは
武田さんのことを

『音楽をやる男ではないな』と思ったという(爆)


常にチューリップの存在を意識していた武田さんは
先にデビューされたことが妬ましくて

その悔しさが『アンチ東京』という形で吹き出したそうだ(苦笑)


当時、東京からプロがやって来ると
地元のアマチュアが前座を勤めるのが
慣例となっていたらしいんだけど

武田さんは自分のファンの方々に

前座が終わったら席を立って欲しいとか
プロの目の前で自分にサインを求めてくれとか

お願いされていたそうだ(汗)

泉谷しげるさんが来福された時

大雨に打たれながら歌い続ける泉谷さんを見て
初めてプロには敵わないと思ったという

泉谷さんいわく…

俺も濡れてる!お前らも濡れろ!
おい!そこの男、逃げたって同じだ!さあ行くぞ!

プロがうんぬんというより
泉谷さんには敵わないってことでしょう(爆)

その泉谷さんに言われて
上京することになった海援隊

九州訛りを武器にして後輩たちのために
博多をアピールされていたんだけど

財津さんは
露骨に博多、博多と騒がなくても
博多出身であることに変わりはないのに…

と思われていたそうだ(爆)
コメント
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