ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

照和その6

2013-05-10 20:29:33 | メディア
照和のレギュラー出演者は
担当の曜日に2回のステージがある訳だけど

その最初のステージが終わると
『バン食(バンドの食事)』が出るという

干からびたようなパンに薄くジャムを塗ったものと

レモンスライスも
多分?シロップも入ってないレモンスカッシュ(汗)

甲斐さんは
このレスカがトラウマになったようで(苦笑)

喫茶店でレスカを注文する声がすると
たまらなくイヤな思いが胸にこみ上げて来るそうだ

ご自身の著書やインタビューで
『恐怖のレスカ』(爆)について話されるたび

その不味さについて
言葉や表現を変え説明しておられます(笑)

例えば…
すごく粗末なもの、あれはレスカじゃない

腐ったようなレモンスカッシュ

信じられないくらい酸っぱい

恐ろしくマズい上にスッぱい
イチゴジャムとの合わせ技なのだ

雪崩式スープレックスに行こうとして
空中で切り換えて
パイルドライバーに行ったぐらいスゴイ(爆)

ホントにダメージが凄そうです(爆)

『これを飲むと少し死にたい気分になる』という文章の
『少し』が持つリアリティを

江國香織さんが絶賛されてましたよね(笑)


それでも、お金がないから
ガマンして食べなければならない

甲斐さんは
『下積みの哀愁が漂う瞬間』とか『現実という悲哀を味わう』と話されてます(笑)

1日も早く、レスカを飲まなくてもいい生活がしたい(爆)

…と思うことが
励みにもバネにもなったそうだ

他の出演者の方々も文句を言いながら
キレイに平らげておられたらしい(爆)

ご自分で選んだ道とはいえ
年中、お腹が空いているというのはツライでしょうね

特に甲斐さんはプロを目指していたから

『照和』以外、音楽に関係ないアルバイトは
一切されてなかったようだし…

妙安寺の合宿所に『家出』をされていたのも

ご実家に負担をかけるのが
心苦しかったかららしい

門田さんによると…

甲斐さんは、ギターとレコード
パジャマと野菜を持って
やって来たそうだ(笑)

その野菜はナンだ?と訊くと

『お袋に妙安寺に泊まりに行くて言うたら

「お寺さんなら精進料理やろうけん」て言うて
野菜ば持たされたと』

この野菜が甲斐さんの居候代になったらしい(笑)


照和で泊まり込みの練習をしていてお腹が空くと
みんなで上の喫茶店に忍び込み

パンやハムを上手にスライスして
バターも表面が平らになるようにすくい取って(笑)

サンドイッチを作っておられたらしい(爆)

甲斐さんによると

バレないように細心の注意と技術が必要(爆)

なのに…大雑把な方が真似をして
一発でバレてしまったそうだ(笑)


甲斐さんいわく…

若さはいい
金もないが屈託もない(笑)

周りに仲間がいたから
日毎夜毎めまぐるしく皆で群れてた(笑)

貧しさを楽しみ、笑い飛ばし
ミジメな気分なんて一切なかった

お互いにライバル同士でもあり
同じアマチュア仲間でもあるメンバーに囲まれ

大笑いしている甲斐さんが
目に浮かぶようです(笑)
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照和その5

2013-05-10 03:13:39 | メディア
甲斐さんはステージに立つ月曜日以外は
ウェイターとして勤めておられた

当時の照和の出演者の中には
学生が趣味でやっているバンドがあり

プロになるために帰って来た甲斐さんに
反発する声もあったようだ

甲斐さんは、チーフマネージャーの広津さんに提案して
コピーを演奏するバンドには辞めて貰い

代わりにオリジナルが書ける新しいバンドを
発掘するためにオーディション係を買って出たという

1週間をフルに満杯にするには

この店だけで聴ける曲を支持してくれ、いつも愛してやまない

熱烈なファンを集めなければならないと考えたからだったそうだ

森山達也さんも映画の中で
『開戦前夜』のオーディションの話をされてたけど

甲斐さんいわく…

坊主頭をかきながらヌーッと現れ(笑)
テレたような愛想のいい笑顔でステージに立ち

生ギターにエレキベースという変則なスタイルで
いきなりみんなの度肝を抜いた

バラードはまあまあだったが
目を見張るものがあったのは
アップテンポの曲だった

今後もちゃんと
オリジナルを書き続ける約束をさせて一発でOKした

なんで【えんじ】というタイトルなんだ?と訊くと

森山はニカッと笑い
『だって…初恋は【えんじ】っていう感じでしょうが』

…という答えに感激し、再度OKサインを出した(爆)

甲斐さんがこの曲をカバーされたのは
やっぱりこの一言が印象的だったからなんでしょうね(笑)


『妙安寺ファミリーバンド』に白羽の矢を立てたのは

門田さん達の【合宿所】が
大森さんと長岡さんの住んでいたアパートの近くにあって

門田さんや久保さんと知り合いになったことが
きっかけだったようだ

甲斐さんが考える『良くなっていくアーティストの条件』は

音楽に対する素直な喜びと
しっかりとした技術を持っているか?だそうで

妙安寺には、その2つが備わっていると見込んだ甲斐さんが

『チーフ自ら口説かないと無理だ』と
広津さんを説き伏せて出演交渉させたらしい(笑)

門田さんは
長岡さんと一緒に訪ねて来た広津さんに会った時…

バンドは人に聴いて貰ってこそ価値がある
マネージャー直々の出演依頼なんて機会はそうそうない

それに…オーディションなどされると
緊張しまくって落とされるかも知れないけど

それが免除されるなら…と
久保さんの反対を押しきって了承したという

甲斐さんの作戦が見事的中したってことですね(笑)


余談ですが…

『春風馬亭』というバンドのマサルさんは

甲斐さんがハッピーフォーク・コンテストに出場された時に
バックでボンゴを担当されていたそうだ

ということは…
大森さん、長岡さん、久保さんと一緒に

中野サンプラザでカップヌードル事件を…!(爆)


それはさておき、この時期から

元々レギュラー出演していた
『ピエロ』『リンドン』『ラム』に加え

『あかんべぇ』の採用に始まったオーディションで

それまでのフォーク中心だったメンバーから
ロックバンドもOKの状況へと

照和のテイストが確実に変わろうとしていたという
コメント (4)
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