蓮池透『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社、2015年)
数日前に横田めぐみさんのお父さんの横田滋さんが亡くなった。ずっと「家族会」の代表をしてこられたが、ついに横田めぐみさんとの再会かなわずに亡くなられ、さぞや無念だったことだろうと思うと胸がつまる。
それにしても2002年の平壌での小泉首相と金正日との会談で拉致が公になってから、なんと長い年月が経ったことだろう。その間、蓮池さん、地村さん、曽我さん本人たちと家族の帰国がかなった以外の成果はなかった。
この間、とくに安倍晋三が首相になってからは、とくに金正恩が北朝鮮のトップになってからは、核とミサイル開発を優先させたことから、経済制裁の一点張りになって、拉致問題は手を付けられなくなった。この本はこのあたりのことを何度も繰り返し主張している。
しかし、この著者の考えでは、核とミサイル問題と拉致問題は別問題だ。それを連結して議論したり、北朝鮮と交渉しようとするから、まったく前に進まないという。
経済制裁一辺倒の政策にどんな意味があるのかこの著者は疑問に思っており、ある政府関係者に尋ねた時の答えがこうだったという。
「経済制裁すれば北朝鮮はもがき苦しむ。そして、どうしようもなくなって日本に助けを求めてくる。ひれ伏して謝り、拉致被害者を差し出してくる。であるから、日本は広く窓を開けて待っているのだ。」(p. 80)
北朝鮮や韓国、つまり朝鮮の人々がどれほどプライドの高い国民か、慰安婦問題やその他の日朝関係の問題を見たら、だれでも分かるだろうに。そんなプライドの高い国民が、経済制裁に苦しんで、ひれ伏して謝ってくるって、絶対ありえない。この著者も「北朝鮮の人間は「日本に謝るくらいなら、死んだほうがましだ」と考えている」と書いているが、まさにそのとおりだろう。本気で日本政府はそんなことを考えているのだろうか。
安倍政府がまったく拉致問題で無策らしいことはこの本を読めばあちこちで分かる。拉致対策本部がネットでアイデア募集しているとか、全員救出という意味不明のハードルをつけて解決を先延ばし(いや解決不可能)にしていることだとか。つまり拉致問題解決の「定義」がないのだとこの著者は何度も書いている。
日本という国は個を大事にしないとよく言われるが、拉致被害者にたいしても同じらしい。蓮池さん家族が帰国して両親の家に同居している時に、国に経済的な支援を頼んでも、帰国者二人分の領収書を出せとか、洋服ダンスを買うにも3万円以内にしろとか、規定ばかりうるさくて二人に寄り添う気持ちなんかないと書いてる。その結果、蓮池さんのお母さんは逆上して、「24年間も見放しておいて、やっと帰ってきたというのに、何もしてくれないんだね、国は」(p.132)とつぶやいたというから、悲しくなる。
家族会のなかの内紛を書いてある箇所を読むのも悲しい。帰国できた人とそうでない人がいる以上しかたがないのかもしれないが、残念なことだ。
このような本を書くことになったこの著者も最初からこんなスタンスだったわけではない。家族会がだんだんと右傾化してしまったので、それを揺り戻すために左翼化した発言をするようになり、それを咎められて、家族会から排除されたと書いている。まぁこの著者も最初から一貫した主張をしていたわけではなく、右に左に揺れながら現在の立場になったという。もちろん北朝鮮に拉致されたなんて信じられないというところから出発して運動をしてきたわけなので、当然といえば当然なのだが。
最後のジャーナリストの青木理との対談も、とくに273-4ページあたりに書かれている、おおきな構想力のある絵を描いて、その中の最初のステップとして定義を明確にした拉致問題解決をしていくという展望も説得力があると思う。
まぁ日本政府がこういう人たちの発言に耳を傾けるなんてことはないだろうけどね。『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』へはこちらをクリック
数日前に横田めぐみさんのお父さんの横田滋さんが亡くなった。ずっと「家族会」の代表をしてこられたが、ついに横田めぐみさんとの再会かなわずに亡くなられ、さぞや無念だったことだろうと思うと胸がつまる。
それにしても2002年の平壌での小泉首相と金正日との会談で拉致が公になってから、なんと長い年月が経ったことだろう。その間、蓮池さん、地村さん、曽我さん本人たちと家族の帰国がかなった以外の成果はなかった。
この間、とくに安倍晋三が首相になってからは、とくに金正恩が北朝鮮のトップになってからは、核とミサイル開発を優先させたことから、経済制裁の一点張りになって、拉致問題は手を付けられなくなった。この本はこのあたりのことを何度も繰り返し主張している。
しかし、この著者の考えでは、核とミサイル問題と拉致問題は別問題だ。それを連結して議論したり、北朝鮮と交渉しようとするから、まったく前に進まないという。
経済制裁一辺倒の政策にどんな意味があるのかこの著者は疑問に思っており、ある政府関係者に尋ねた時の答えがこうだったという。
「経済制裁すれば北朝鮮はもがき苦しむ。そして、どうしようもなくなって日本に助けを求めてくる。ひれ伏して謝り、拉致被害者を差し出してくる。であるから、日本は広く窓を開けて待っているのだ。」(p. 80)
北朝鮮や韓国、つまり朝鮮の人々がどれほどプライドの高い国民か、慰安婦問題やその他の日朝関係の問題を見たら、だれでも分かるだろうに。そんなプライドの高い国民が、経済制裁に苦しんで、ひれ伏して謝ってくるって、絶対ありえない。この著者も「北朝鮮の人間は「日本に謝るくらいなら、死んだほうがましだ」と考えている」と書いているが、まさにそのとおりだろう。本気で日本政府はそんなことを考えているのだろうか。
安倍政府がまったく拉致問題で無策らしいことはこの本を読めばあちこちで分かる。拉致対策本部がネットでアイデア募集しているとか、全員救出という意味不明のハードルをつけて解決を先延ばし(いや解決不可能)にしていることだとか。つまり拉致問題解決の「定義」がないのだとこの著者は何度も書いている。
日本という国は個を大事にしないとよく言われるが、拉致被害者にたいしても同じらしい。蓮池さん家族が帰国して両親の家に同居している時に、国に経済的な支援を頼んでも、帰国者二人分の領収書を出せとか、洋服ダンスを買うにも3万円以内にしろとか、規定ばかりうるさくて二人に寄り添う気持ちなんかないと書いてる。その結果、蓮池さんのお母さんは逆上して、「24年間も見放しておいて、やっと帰ってきたというのに、何もしてくれないんだね、国は」(p.132)とつぶやいたというから、悲しくなる。
家族会のなかの内紛を書いてある箇所を読むのも悲しい。帰国できた人とそうでない人がいる以上しかたがないのかもしれないが、残念なことだ。
このような本を書くことになったこの著者も最初からこんなスタンスだったわけではない。家族会がだんだんと右傾化してしまったので、それを揺り戻すために左翼化した発言をするようになり、それを咎められて、家族会から排除されたと書いている。まぁこの著者も最初から一貫した主張をしていたわけではなく、右に左に揺れながら現在の立場になったという。もちろん北朝鮮に拉致されたなんて信じられないというところから出発して運動をしてきたわけなので、当然といえば当然なのだが。
最後のジャーナリストの青木理との対談も、とくに273-4ページあたりに書かれている、おおきな構想力のある絵を描いて、その中の最初のステップとして定義を明確にした拉致問題解決をしていくという展望も説得力があると思う。
まぁ日本政府がこういう人たちの発言に耳を傾けるなんてことはないだろうけどね。『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』へはこちらをクリック