保立道久『かぐや姫と王権神話』(洋泉社新書、2010年)
日本最古の物語である『竹取物語』は不思議といえば不思議だ。神話とか伝説というのなら、ギリシャ神話などに比べて古いとは言えないけれども、物語ということになれば、こんな物語が極東の小さな島国で千年以上も前に書かれていたということ自体がじつに不思議だといえる。しかも、竹の中で光り輝いていた小さな女の子とか、最後には月の使者が姫を迎えにやってくるだとか、しかもその様子が月の使者がやってくると護衛の者をはじめ人間すべてが凍ったように動かなくなってしまうというような描写など、その想像力はけっして文明の進んでいない時代の話とは思えないような面白さをもっている。
また内田樹が『寝ながら読める』に書いていたような瘤取り爺さんの話のような説話(昔話)とも違うので、なんらかの時代的思想的政治的背景を了解した上で読まなければ、この物語の真の姿は見えてこないだろうということもおぼろげながら了解される。
そういうわけで、この本を新書コーナーで見つけたときにはすぐに借り出して、少しずつ読んでいったのだが、とにかく難しすぎて、結局私にはよく分からなかったというのが正直な読後感である。
新書というものはだいたいどういう人を念頭において書いているものなのだろうか。かつては岩波新書は高校生でも読めるということだったらしいし、この本のなかでもしばしば「教科書によれば」という文が出てきて、著者があきらかに教科書を読んでいる人、つまり高校生か大学生あたりを念頭においているということは分かるのだが、とにかく神道の概念(忌みなど)がよく分からないし、この物語が書かれた天武天皇前後の時代背景も分からないし、あのあたりの政治制度などもよく分からないのに、それらに関する記述がばんばん出てくるので、分からないけどとにかく読み飛ばすということになってしまう。
そういうわけで結局のところかぐや姫の話がいったいどういう人によって、なんのために、どういう動機から、なにに基づいて書かれたのか、さっぱり分からないという残念なことになってしまった。
日本最古の物語である『竹取物語』は不思議といえば不思議だ。神話とか伝説というのなら、ギリシャ神話などに比べて古いとは言えないけれども、物語ということになれば、こんな物語が極東の小さな島国で千年以上も前に書かれていたということ自体がじつに不思議だといえる。しかも、竹の中で光り輝いていた小さな女の子とか、最後には月の使者が姫を迎えにやってくるだとか、しかもその様子が月の使者がやってくると護衛の者をはじめ人間すべてが凍ったように動かなくなってしまうというような描写など、その想像力はけっして文明の進んでいない時代の話とは思えないような面白さをもっている。
また内田樹が『寝ながら読める』に書いていたような瘤取り爺さんの話のような説話(昔話)とも違うので、なんらかの時代的思想的政治的背景を了解した上で読まなければ、この物語の真の姿は見えてこないだろうということもおぼろげながら了解される。
そういうわけで、この本を新書コーナーで見つけたときにはすぐに借り出して、少しずつ読んでいったのだが、とにかく難しすぎて、結局私にはよく分からなかったというのが正直な読後感である。
新書というものはだいたいどういう人を念頭において書いているものなのだろうか。かつては岩波新書は高校生でも読めるということだったらしいし、この本のなかでもしばしば「教科書によれば」という文が出てきて、著者があきらかに教科書を読んでいる人、つまり高校生か大学生あたりを念頭においているということは分かるのだが、とにかく神道の概念(忌みなど)がよく分からないし、この物語が書かれた天武天皇前後の時代背景も分からないし、あのあたりの政治制度などもよく分からないのに、それらに関する記述がばんばん出てくるので、分からないけどとにかく読み飛ばすということになってしまう。
そういうわけで結局のところかぐや姫の話がいったいどういう人によって、なんのために、どういう動機から、なにに基づいて書かれたのか、さっぱり分からないという残念なことになってしまった。