読書な日々

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『「七人の侍」と現代』

2010年09月12日 | 評論
四方田犬彦『「七人の侍」と現代』(岩波新書、2010年)

「七人の侍」といえば1954年の作品だが、私がはじめて映画館で見たのはそれから20年も後のことだった。私が大学2年生だった春休み(1976年)のことだったと思うが、当時私は吹田に住んでいて、何かの用事で豊津に行ったらちょうど「豊津シネマ」とかいう、今は存在しない映画館で「七人の侍」をやっていた。黒澤明の傑作だということを当時の私が知っていたのかどうか記憶にない。ただビートルズのときもそうだが、同時代に生きていながら、自分はいつも遅れてきた人間だと思っていたので、たぶん知っていたのだろう。

その当時の自分が何をしていたのかまったく記憶にないが、この映画に感動したことだけは30年以上たった今もはっきりしている。何に感動したのか。もちろん三船敏郎の侍でも農民でもないトリックスター的存在にである。用心棒風の三船しか知らなかった私にはもう新鮮でまぶしかった。

この本を読んでみると個々の登場人物に付された性格描写はけっして読み間違っていなかったことが分かる。しかし従来のチャンバラ映画にたいする革命というのはどういう意味でなのかということや、単独講和と安保条約をセットで締結し、自衛隊を創設したばかりの自民党政権だけが高く評価して一般的には農民の描き方などが侮蔑的だという評価がされていたということなどは、さすがにこの本を読んでみないと分からない。たしかに武装解除されられている日本が自分で自分の身を守るには軍隊をもつしかないよという議論を助けているようにも見えるし、一方的に被害者でしかないという農民の描き方が歴史的考証に耐えないということは最近の歴史学的研究によって明らかになってきたことらしい。

しかし「木枯し紋次郎」が様式化されたチャンバラに風穴を開けたように、この映画は戦闘場面にリアルさを持ち込んだ(ただこの本によるとその後だれも後に続かなかったらしい・・・しかしそれが戦国時代の戦闘シーンだけでなく、戦闘シーンというものにおける日本映画やドラマのリアリティーの欠如と結びついているはずだ)。降りしきる雨の中志村喬が射た弓が水しぶきを上げながら飛んでいく場面、ぬかるみを馬と人間が泥んこになりながら走り回りのた打ち回る場面など、圧巻というほかない。

しかしこの本のすごいところは、この映画が現在の世界でどんな風に見られているのか、また1954年の日本がどんな時代で、黒澤がどんな人間で、ということをきちんと整理してくれたことだろう。そうすることで「七人の侍」のどこがすごいのか、どこが時代の子なのかよく分かるようになっている。一見簡単そうに見えて、じつは大変な作業だ。この映画の前にどんな映画があってそこではどんな風に描かれているかと簡単に書いているから、だれでも簡単に分かるように思えるかもしれないが、それはあくまでも後から言えることであって、そういう的確な引用ができるためには膨大な資料をたんねんにたどってこなければならなかったはずだ。

前書きには四方田がどうして「七人の侍」をもう一度見直そうという気になったのかという動機についても書いてあり、導入部としては申し分ないつくりになっている。

久しぶりに読み応えのある本を読んだ。


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