法話メモ帳より
平常心
白隠さんがあるとき、四国に渡るため、船に乗った。夕刻兵庫を出発して、朝讃岐に着くという夜行便だったが、折からの満月。皆大喜びで船ばたに出て、酒を飲んだり談笑したり大にぎわい。酔うほどに声高に自慢話をするものも出てくる。
自隠さんもそれを、皆の中に交って二コニコしながら聞いていたが、一刻もするうちにどうしたことか一天にわかに曇って雨がパラパラ落ちてきた。
「おや雨か?」
と空を見上げる間もなく、風はゴウゴウ。雨はザアザアの大しけ模様。
「ワーツ。こりゃあ大変だ。桑原桑原」
船ばたで騒いでいた連中も、しけとの闘では生きた心持もなく、みんな一目散に船底に駆けこんで、隅の方で真っ青な顏をして震えている。
「うーむ。これは大分ひどい風雨になった」
白隠さんも笠で雨を避けながら、船室に入ろうとしてふと見ると、ともの方に一人の武士が、つたって海をにらんでいる。
「お武家様。これ、お武家隊。いかがなされた。そこではずぶぬれになりましょう」
「なあーに案ずるな。これしきの雨風。どうということはない」
「しかし。無理にぬれることもありますまいに」
「それよりも和尚どう思う。あれだけ騷いでいた奴が、これしきの嵐で、急に弱虫になりおって。何とも歯がゆいことじゃないか」
「それで。お武家様はどうなんで」
「わしか、わしはこのとおり何ともない。この大風、この大雨。それにあのぶつかってくる大波。みんな子守唄のようじゃ。わしの心はいつだって平常心じゃ」
「ほほう、じゃが、わしには、船底の連中は、しいで弱い方に変わったが、お武家様はことさら強い方に変わろうとなさっているように見えまする。弱くなっても、強くなっても、ふだんと変わったら、こりゃ平常心とはいえないんじゃありますまいかのう」(以上)