豊臣秀吉の「バテレン追放令」は、その後の政策を決定をしたようだ。
この追放令は、天正15・1587年だが、16世紀のカリブ海の島々や中南米でなにが行われたか、そして、この列島でもその可能性がなかったか、この世紀にやってきたルイス・フロイスは克明な記録を残していた、
「パアドレは都までの便がないので 歩いていくことを決心した」
フロイスはポルトガル人のイエズス会士、
「そこへ行ってから なんとか都に行き」
なにをしようというのか、
「デウスの教えを この国に植え付け福音の真理を広める為に この国の事情をさぐるまで苦労の旅を続ける方法を求めようと パアドレは決心した」 - フロイス著 「日本史」 -
「この国の事情をさぐる」これをconquistodore・支配者が参考にしないであろうか。
カトリックの司祭や修道士には、それなりの役割を果たしていたのではあるまいか。