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The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

The primitive Taoism and Japanese・原始道教と日本人 上

2016-12-14 09:43:10 | 世界経済

The primitive Taoism came to Japan , but it didn't become so popular .
Most of Japanese refused it and hated it strongly .
I believe that for it Japan succeeded in becoming a modern country .

 原宿・表参道を楽しそうに歩く外国人観光客が多くなっている、これこそが、ひとつの答えだろう。

 神道と仏教の重層的構造の祭政社会、対して、儒教と道教の巧妙で狡猾な支配体制、それは、分割統治の中国的展開だ、人間の営みにとって、大切なものが欠けている。

 この国の出発には「罪九族に及ぶ」政争を逃れ、東海の国にやってきた渡来系中国人の貢献があった、彼らは、あの国の手の内を知りつくしている、そして、この国の中心に仏法を据える、菩薩の優しい微笑みが、この国の出発を祝福していた。

 ところで、道教・原始道教が、この列島を席巻(せっけん)していたら、ニッポンの発展・繁栄はなく、あの国のようになっていたのではあるまいか、疑い・憎み・騙(だま)し・かすめ獲る、上も下もだ、すべてが自分と自分一族の利益のためにある、ウソと書いてウソと読み、真実と書いて「ウソ」と読む。

 あの大戦後、半島の人々は帰ることができた、ところが、しばらくすると続々と海を渡ってくる、それは、
 1、生活の問題 
 2、言語の問題
 あちらでは生活できなかった、そして、彼らの話す韓国語と現地のものとが違っていたらしい、今でも数十万人がいるのだが、それを日本のせいにしているようだ。

 この道教、列島に入っていた、
 1、さまざまの行事や風習   
 2、花柳界  
 3、仏教教団   

 1については列島の津々浦々に流行している、そのひとつに、実がならなくなった木に、美しく着飾った子供を上らせ、木の下では、ギラギラに研いだナタを持ったオトコが、
   成るか成らぬか  
   成らねば 切るぞ    
 すると木の上の子供が、
   成ります   
   成ります     
 
 なんと、なんと、それまで成らなかった木が実を結んだのだ、ホントーか、原始道教の脅迫信仰は天地の万物まで支配するという証明か、そういうことか、そこに信仰と現実の淫靡な結婚が見てとれなくもない、こういうコトが無知蒙昧な庶民を操っていったのか、ヨコハマが産んだ頭脳・K君に聞いてみよう、
 「それはねえー 木をいじめると栄養分が根に行かない 枝の方に行くからだ」
 「・・・」
 「子供が木に上り また 大人たちは 木の周りをドカドカ 木はビックリしてしまう」
 「ここには 信仰と事実の見事な融合がある こうしたシカケを駆使して あの広大な大陸を征服していった 中国の4000年5000年の歴史は この事実の容赦ない実行と反復であり 中華民族の本質とは虚偽と詐術(さじゅつ)の展開と応用なのだ そこにはヒトカケラの真実もない 反論する者は現在のチベットを見ろ ウィグルを見ろ」
 「うっうっうっ」
 「おまえも あんな連中を相手にしないで 堂々たる男児に訴えるものを書けよ」
 「いまのニッポンに 堂々たる大人がいるのかい」
 「まあー それはそうだが」

 うるさいオトコだ、呼ばなけりゃあー よかった、
 「ひとつ 貸しだからね」

 まったく、抜け目のない、ほんとーに嫌なヤツだ。