日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

イタリアの魅力を発見 - 歴史、文化、芸術を巡る旅 マントヴァとサッビオネータ (ロンバルディア州)に参加しました(2021.1.23)@リンガビーバ・イタリア語教室-①

2021年02月20日 | イタリア旅行・世界遺産

イタリアの魅力を発見 - 歴史、文化、芸術を巡る旅(ALLA SCOPERTA DELLE MERAVIGLIE D'ITALIA)マントヴァとサッビオネータ (ロンバルディア州)に参加しました(2021.1.23)@リンガビーバ・イタリア語教室 - ①



イタリアの世界遺産についてイタリア語で紹介してくださるリンガビーバのセミナー いつも楽しみにしています💕
今回は 2008年に世界遺産となったマントヴァとサッビオネータ (ロンバルディア州)です

        *        *        *

前回のカゼルタ宮殿は行ったことがあり思い入れが深かったのですが 今回はまだ行ったことがない世界遺産なので みっちり予習してから聞きました!

マントヴァ(Mantowa)

かの神曲にも出てきた古代ローマの詩人 ウェルギリウス(Virgirio)はここで生まれたそうです

(città di Mantua (odierna Mantova), nella Gallia Cisalpina, )

エトルリア人の町にさかのぼり 14世紀以降はゴンザーガ家(signoria dei Gonzaga)が統治しました 

1530年にはフェデリーコ2世(1500-1540)が侯爵となりマントヴァ公国が成立し ルネッサンス様式の建築(登録理由)を色々建てました 

三方を12世紀に造られた人工湖によって囲まれています これらはガルダ湖から発したミンチョ川(fiume Mincio)の水をせき止めたもので 3つの湖はスペリオーレ湖(Superiore) メッツォ湖(di Mezzo) インフェリオーレ湖(inferiore) 4番目の湖パジョロ湖(paiolo)は かつて市を環状に巡った防御用のもので 18世紀末に干拓されました

皇帝派のギベリン(ghibelline)の街ですね (対する教皇派はグェルフィ/Guelfi) 

 

1.ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)

ソルデッロ広場に面するゴンザーガ家の旧城館です 内部はマンテーニャ(Andrea Mantegna) ラファエロの弟子のジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano) ピサネロ(Pisanello)などが手がけた壁画で飾られています 

8世紀末に 街の最初の領主(sinoria)であるブオナコルシ(Buonacolsi)が建てました

つばめの尾(coda di rondine)の形のものが屋根につけられており ギベリンの印とのこと

 

2.サンジョルジォ城(il castello di San Giorgio)

ゴンザーガ家の建てた四角形の(a pianta quadrangolare)城で  4つの高さの違う塔が突き出ています

1457年に水に囲まれたより安全な町に移しました ドゥカーレ宮殿と内部でつながっています

ここの「世界で最も美しい部屋」と言われる夫婦の間(Camera degli sposi)は 寝室ではなく「初夜(特別な夜)の部屋」なのだそうです  記録にあるcamera pictaというのは描かれた部屋のことですね 

迎賓の間(Rappresentanza)で 1465年にパドヴァから呼ばれたアンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna)が9年をかけて作りました 

家族の肖像画があり 詳しく説明していただきました

 ← 真ん中がバルバラ 

ルドヴィーコ3世・ゴンザーガ(Ludovico III Gonzaga)の妻 バルバラ・フォン・ブランデンブルク(Barbara di Brandenburgo)のつけている灰色の手袋は フランスのモードとのこと なんと額を白く見せるために前髪を剃っていて(rasata) これもまた当時の流行だったそうで初めて知りました( ゚Д゚)

Nana Luciaという小人で背中にこぶ(gobbi)がある女性も描かれています 他にも宮廷人たち(cortigiani)の靴下の色がそれぞれ違っていますね 背景は理想都市ローマが描かれていますが マンテーニャはローマに行ったことがないため少し違います キューピッドの羽根が蝶々(farfalla)の羽根になっているのは 蝶々が永続性(eternità)の象徴だからとのこと

だまし絵(trompe l’oeil)もあり 円窓(l’oculus)にキューピッド(amorini)や ジュノー(Giunone)のシンボルであり  婚礼と出産の神とされた孔雀(pavone)も描かれています この円窓は花輪(ghirlanda)で飾られ 外の空間と中の空間の統合とのこと

このバルバラとの間には10子をもうけ 5人の男の子が生まれ 領土を5つに分けて戦争を防いだとのこと 長男でない子供の家系(rami cadetti)ですね

ゴンザーガ家はお金で爵位を買いました ブルーと金がゴンザーガ家の色とのこと 

 

イザベラ・デ・エステの未亡人のアパート(l’appartamento vedovile di Isabella d’Este)

次はいよいよフランチェスコ2世(Francesco ⅡGonzaga)の妻 イザベラ・デステ(Isabella d’Este)です

ルネサンス期イタリアの文芸 政治を代表する女性の一人ですね

イザベラはサンジョルジォ城(castello di San Giorgio)を出て ドゥカーレ宮殿の中にあるコルテ・ヴェッキア(Corte Vecchia)の この未亡人の(vedovile)アパートに移ったそうです

カピリアーラ(capigliara)という布の編み込まれた髪型 (acconciatura)は イザベラが発明したのだそうです!

サラ・グランダ(Sala Granda) L字型をしており コレクションを集めたプライベートな部屋です

秘密の庭(Giardino segreto)   イザベラの秘密の庭ですね

空中庭園(Giardino pensile)  ヨーロッパ最大の庭のひとつとのこと イザベラは香草(erba)に詳しく かぼちゃ(zucca)はマントヴァ特産とのことで色々なレシピもありますね

Cortile della mostra(展示の庭)は馬を愛したゴンザーガ家が作りましたが 1627年にDuca Vincenzo Ⅱがカラヴァッジョの「聖母の死(La morte della vergine)」等を売って のちにはなんと馬の教練場の庭(Cortile della Cavallerizza)にしてしまったのだそうです ← そんなぁ~(*´Д`)

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3. 聖アンドレア聖堂(la Basilica di S. Andrea Apostolo)

マントヴァで一番大きな教会で 聖遺物(reliquia)が保管されています 

十字架にかけられたキリストの身体を貫いたというローマの兵士が  キリストの血が彼の眼の病を治したため改宗したというもので 何度か埋められたり発見されたりしながら 1048年に聖アンドレアが盲目の乞食の夢に出てきて そこに教会をたてました

中はポルティコ(列柱)構造で 大小の大きさの違う礼拝堂(capella)と樽(botte)が組み込まれています ここにアンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna)が埋められているとのこと 聖遺物は盗まれ 残ったものがここに 12人の持つ12個の鍵で守られているということです 

 

4. サン・セバスティアーノ聖堂(il tempio di San Seastiano)

1459年にレオン・バッティスタ・アルベルティ(Leon Battista Alberti)が作った ペストの守護神であるサン・セバスティアーノ(San Sebastiano)を祭っています ペストの多かった湿地帯(paludosa)である街の南にある教会です

地下祭室(cripta)には  第一次大戦の犠牲者の名が彫られた身廊(navate)があります

 

5. サン・ロレンツォ円形劇場 (La Rotunda di San Lorenzo)

街の最も古い円形教会で マチルデ・ディ・カノッサ(Matilde di Canossa)が作り 巡礼者が訪れますが 中に入るのは男女分かれているそうです

 ← 「ロトンダ」(Rotonda)

 

商人の家(Casa del Mercante)

1455年に商人Giovanni Boniforteによって建てられた商人の家で 2つのアーキトレーブ(architravi)があり ヴェローナの赤大理石が使われた装飾の美しい家で 街で一番美しい家を作りたかったそうです

帽子屋の家(Casa del Cappelaio)

アンドレア・マンテーニャ(Adrea Mantegna)の描いたと思われるフレスコ画がある 一階のフレスコ画はだいなしになったのですが 上の階は状態がよいとのこと

6.   テ宮殿(Palazzo Te)

お茶のteではなく(当時はまだティーはなかった) テジェト(Tejeto)菩提樹という島の上にある場所に建っているということです

マニエリスム様式で建てられています 手がけたジュリオ・ロマーノはラファエロの弟子ですが エロティックな小冊子のスキャンダルで街を追われて マントヴァに住むことになりました

マントヴァの知的や芸術的な成果をカルロス5世に誇示するため 表向きには夏の離宮として建てることでカルロス5世のような重要な客をもてなすゲストハウス的役割を持たせていますが 実際はフェデリーコ2世・ゴンザーガ(イザベラ・デステの息子)の愛人 イザベラ・ボスケッティ(Isabella Boschetti)を住まわすためだったとされます

馬の間(Sala di cavalli)は 馬を愛したマントヴァ一族の祭りやダンスのホールです

アモーレとプシケの間(Sala di amore e psciche) という神話に基づいた部屋もあります

ジュリオ・ロマーノのフレスコ画が多く エロティックな登場人物 サテリュス(satiri) 一つ目巨人のポリュぺモス(Polifemo) ユピテル(Giove) そしてオリンピアデ(Olinpiade)の絵ですが これはフェデリーコと愛人イザベラを示唆しています💕

巨人の間(sala di gignati) 角のない数珠雲(corona di nubi)の描かれた絵があり 巨人が倒れた建物につぶされていますね 

 

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その2 サッビオネータに つづく

 

観光情報は こちら

イタリア語での紹介ビデオは こちら

素晴らしいセミナーを開催してくださいました高田馬場のリンガビーバ・イタリア語教室様に 心よりお礼申し上げます 

 


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