日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

世界遺産の富岡製糸場と妙義山の「さくらの里」で満開の桜を堪能♡(2017.4.19)&富岡製糸場についてイタリア語で話す

2018年03月10日 | 各国の世界遺産・せかけん

世界遺産の富岡製糸場と妙義山の「さくらの里」で満開の桜を堪能♡(2017.4.19)@クラブツーリズム&富岡製糸場についてイタリア語で話す:

日帰りで行かれる世界遺産ってことで 初めて行ってきました富岡製糸場♪
お花見もできてとても良かったです♡ 

群馬県の妙義山は 日本には珍しく岩肌の切り立った厳しい山で 山の上の方は満開の桜🌸
4/19に行ったので 桜の花もぎりぎり散りかけでしたが それは見事でした!!

← 妙義山 (il monte Myōgi)

たくさんの修学旅行中の生徒さんたちも来ていたおぎのや横川店で たけのこずくしの昼食をいただいてから 初めて行ってきました富岡製糸場!!

ここは2014年に 「富岡製糸場と絹産業遺産群」*という名称で世界遺産に選ばれた官営模範製糸場です 

* 富岡製糸場と絹産業遺産群 Mulino da seta di Tomioka e siti correlati (Tomioka Silk Mill and Related Sites)
* 製糸場 setificio 

 ←入り口すぐにある記念碑

開国直後の日本では生糸の輸出が拡大しました ヨーロッパの生糸の生産地フランスやイタリアで蚕の病気が大流行したり 清国の生糸輸出が振るわなくなっていたためですが 急激な需要の増大は粗製濫造を招き 日本の生糸の国際的評価が落ちました

そこで日本政府は国策として器械製糸工場を建設すべきと考え 1870年(明治3年)器械製糸の官営模範工場の建設が決定しました 幕末直後 日本がこれから国際社会に出て行こうとしている明治5年(1872年)に 殖産興業を掲げる明治政府によって作られたのです この時代は生糸が日本の主要な輸出品でしたが まだ当時は手作業で作っていたため 品質がばらついていました

* 生糸 seta grezza
* 繰糸、製糸技術 (繭から糸を繰り、一定の本数を引き揃えて一本の糸にする) trattura

  ← 手作業での製糸の様子

そこで フランス人技師ポール・ブリュナ(Paul Brunat)を雇って工場を作り 多くの伝習工女*たちを雇って たくさんの製糸を(品質が統一され大量生産できた)アメリカなどに輸出したという 日本近代化の幕開けを担った工場なのだそうです 

* 工女 setaiola, filatrice (紡績工)

 ← 入り口のアーチの上にはよく見ると「明治五年」とある

木骨レンガ造り*で レンガもフランス積み(大小のレンガを交互に積む) 一番見どころがあったのは繰糸場* 当時のままの機械がそのまま保存されています 当時は電気がないため自然採光が大切でした
 
* 木骨レンガ造り mattoni con intelaiature in legno
* 繰糸場 l'impianto per la trattura della seta

 ← 広い操糸場の中 

繭*を煮て糸を出して繰る作業工程も ビデオや実演で見ることができました 生きた蚕*も初めて見た~

* 蚕 il baco da seta
* 繭 il bozzolo
* 養蚕 la sericoltura
* 紡績  filatura

 ← 繰糸の実演

桑畑があり 養蚕が盛んで 水と燃料の亜炭が確保できて 住民の反対もなく 広い土地があったこの富岡市に作られたそうで ここの道や街並みはコンパクトでカワイイ♪ 歩いていても楽しいのです 駐車場から製糸場までの道にたくさんの土産物屋さんがあって...

← まちなか周遊観光バス 100円で乗り降り自由♪

ツアーだったのでひとり200円でガイドツアーをオプションでつけましたが これが正解!! 建物を見ただけではなかなかわからないところまで 丁寧に説明していただきました♪ ← 美術館のイヤホンガイド500円を思えば安い!!
私も世界遺産検定を受けてるところなんで HPをバッチリ読んで予習してきました!

さて工女といえば 女工哀史で知られる野麦峠をつい思い浮かべてしまいますが ここは当時としては破格の好条件で皆さん働いていたのだそうです 
当時としては珍しく日曜は休み 7時間45分労働で昼休みあり 見習い(月9円)から工女に昇格すれば月25円等と破格の条件でした
この指導官ポール・ブリュナも月給750円+aと高給で (当時の総理大臣が月800円!) 途中までしか雇えなかったそうです

 ← 首長館(ブリュナ館) 高床式でベランダもあります

和田 (旧姓 横田) 英という伝習工女(実は大審院長横田英雄の姉)は 一年3か月間ここで働いたあと指導者となり 長野県の工場で製糸を教えたそうで 女傑ですね~ 

また 渋沢栄一(埼玉県深谷市出身)が ここの初代設置主任で設立にかかわったそうです ← 埼玉県深谷市にある渋沢栄一記念館に行ってきたばかり♪

ただし工女は立ち仕事でしたし能力給でした また最初はフランス人が赤ワインを飲むのを「生き血を飲む」*というデマが流れて工女が集まらず そのため工場長の14才の娘を最初の工女にしたのだそうです 時代ですね~

まわりを見学すれば 入院施設つきの診療所*あり お風呂あり 女工館という宿舎あり 社宅に寄宿舎(男性用の)あり ブリュナ館*という首長館ありと...いたれりつくせりでした!!

*ブリュナ館 casa del direttore Brunat
*工女の生き血を飲む bere il sangue fresco delle setaiole
* 診療所 infermeria

 ← 寄宿舎などが並ぶ

アメリカでナイロンが発明されたりして絹の需要が落ち込み やがて民営化され* 片倉工業*に買い取られましたが 115年間操業し続けました(1872/明治5年~1987/昭和62年)

*民営化される privatizzare
*片倉工業 Katakura S.p.A.

ちなみに養蚕技術が中国から日本に伝わったのは弥生時代 湿気をきらうため 窓をあけるためにフランス式の窓枠も作られました 形が面白いですね 近くには蚕の卵を貯蔵する「荒船風穴」等もあり それらがセットで世界遺産に登録されました

詳しくは こちら

東京から日帰りで行ける世界遺産としてお手頃です♪ ← 上野の東京国立博物館はもっと近いですが(笑)

世界遺産検定(せかけん)でも ここ最近決まったものは年号や構成資産も含めて出題されます 実際に行ったのでよく覚えていて大変助かりました!(^^)! 

富岡製糸場は こちら


妙義山 さくらの里は こちら


ツアーは こちら


素晴らしいツアーを開催してくださいました ㈱クラブツーリズム様に お礼申し上げます

   *      *      *


富岡製糸場についてイタリア語で話す:

Il Mulino da seta di Tomioka (富岡製糸場) è stato il primo insediamento industriale moderno per la filatura della seta in Giappone, situato nella città di Tomioka, Prefettura di Gunma.

富岡製糸場は、日本の絹の紡績の為の近代工業の最初の設置で、群馬県富岡町に作られました。

È considerata un importante esempio di archeologia industriale in buono stato di conservazione e tutelata dallo stato come sito storico.

良い保存状態での産業の考古学上の重要な例と考えられ、歴史的な場所として国から保護されています。 (Wikipedia)


Mulino da seta di Tomioka
は こちら


*      *      *

Il Setificio di Tomioka fu costruito dal governo nel tentativo di modernizzare l’industria della seta in Giappone nel 1872, a soli 4 anni dalla Restaurazione Meiji.

富岡製糸場は1872年明治維新後わずか4年で、政府により 日本の絹産業の近代化の試みとして建てられた。

Il Setificio era un complesso di fabbrica a larga scala incentrata sul procedimento di lavorazione del filo da seta voluto dal governo Meiji per consentire la produzione in serie di seta grezza di alta qualità.

製糸場は高品質な生絹の大量生産に応じるために、明治政府により望まれた生糸の加工製法に基礎を置く 広大なスケールの工場総合施設だった。

Nel XIX secolo infatti, a seguito dell’apertura del Giappone verso l’Occidente, la domanda di esportazione di seta grezza cominciava a crescere, ma, poiché essa era prodotta artigianalmente, non si era in grado di soddisfare tale domanda.

実際に19世紀において、西洋への開国の結果として 生糸の輸出の要求が高まり始めた、しかしながら、手工業的に生産されていたため、こうした需要を満足させることはできなかった。
(ここでは実際に、初期の頃の小さな一人で使う機械も展示してありました)

Il governo decise allora di assumere ingegneri francesi per fondare la fabbrica ed introdurre le tecnologie meccaniche più avanzate per il procedimento di trattura e filatura della seta.

政府はその当時、工場を建てて、操糸と絹紡績の製法のためのより進歩した機械技術を導入するために、フランス人技術者を雇うことを決めた。

Il Setificio di Tomioka ebbe un ruolo importante come modello di fabbrica per diffondere la moderna tecnologia per la trattura della seta in tutto il paese. Il governo reclutò le donne come forza lavoro ed insegnò loro le nuove tecnica in modo da poter diventare leader in quest’attività.

富岡製糸場は国中の絹の製糸技術のための近代技術を深めるための工場モデルとしての重要な役割があった。 政府は労働力として女性たちを雇い入れて、そしてこの仕事での指導者となれるように、彼女たちに新しい技術を教えた。

Anche dopo esser stato venduto al settore privato nel 1893, il setificio ha continuato la sua attività mantenendo la propria leadership nella produzione di seta grezza in Giappone fino al 1987.  L’attività cesso infine a causa della concorrenza della più economica seta grezza importata da altri paesi asiatici.

そしてまた1893年民営化された(三井家に払い下げ)あとでも、富岡製糸場は1987年まで日本の生糸生産のまさにリーダーシップを保持しながら稼働し続けた。操業はアジア諸国から輸入されるより安価な生糸との競争によってとうとう終了した

Il complesso industriale è formato da diversi edifici storici e strutture.  I principali edifici originali sono l’impianto per la trattura della seta, i due magazzini per la produzione di bozzoli, sale macchine, la casa del direttore ed i dormitori per gli ingegneri francesi costruiti nel 1872 e 1873.  Si tratta di costruzione di mattoni in legno e muratura, una tecnica introdotta dagli ingegneri francesi.

工業集合体はさまざまな歴史的な建物や建築物によって構成されている。 オリジナルの主要建造物は絹の操糸場、2つの繭(まゆ)の生産のための貯蔵庫、機械場、首長館(ブリュナ館)、1872年と1873年に建てられたフランス人技術者のための寄宿舎だ。 フランス人技術者によって導入された技術である、木造レンガ造りの構造とのこと。

Dal 2005, il Setificio di Tomioka è stato gestito dalla città ed è stato aperto al pubblico. La fabbrica è un simbolo della modernizzazione dell’industria della seta in Giappone, per questa ragione è conservata come esempio importante del patrimonio industriale.

2005年より、富岡製糸場は富岡市の運営となり一般に公開された。工場は日本における絹産業の近代化のシンボルであり、この理由でもって産業遺産の重要な例として保存されている。

Dal mese di giugno 2014, Il Setificio di Tomioka è stato iscritto nella UNESCO World Heritage List come "Tomioka Silk Mill and Related Sites".  Questo pezzo del patrimonio mondiale è valutato per il suo contributo allo sviluppo e gli scambi internazionali nel campo della tecnologia della sericoltura e della filatura. Oggi tante persone visitano Il Setificio di Tomioka ogni giorno.

2014年6月より、富岡製糸場は「富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコの世界遺産に登録された。この世界遺産のひとそろいは養蚕と紡績のテクノロジー分野においてその発展と国際交流に貢献したとして評価されている。今も多くの人びとが毎日富岡製糸場を訪れている。

"Il Setificio di Tomioka in Giappone – Patrimonio UNESCO"
は こちら

* 写真は 2017年4月にバスツアーで行った富岡製糸場 これは木骨レンガ造りでフランス積み 


人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする