日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

「ジョヴァンニ先生のまるごとサルデーニャ」セミナーリポート(2016.11.26)@piazzaItalia&サルデーニャセミナーのお知らせ(2017.2.19)@渋谷タロス

2017年01月28日 | サルデーニャ・シチリア

ジョヴァンニ先生のまるごとサルデーニャ」のセミナーリポート ヌラーゲからフレグラまで盛りだくさん♪(2016.11.26)@高円寺piazzaItalia&「サルデーニャセミナー」開催のお知らせ(2017.2.19)@渋谷タロス



ようやくサッサリ出身のジョヴァンニ先生の「まるごとサルデーニャ」のセミナーに行ってきました!!
この日は午前中のIPAのレッスンからダッシュで高円寺piazzaItaliaに向かいました

サルデーニャの歴史 ヌラーゲについて 地理 言語 料理 等について 90分では話足りないような密な内容でした~
サルデーニャの物産を示した地図はジョヴァンニ先生のご持参のものです♡

   *       *       *

まずは ヌラーゲの時代について 年表をもとに説明いただきました:

最初のヌラーゲは形もシンプルだった ほとんどが土に埋まっていた 
だんだんと高くなり 形も複雑になっていった

Domus de Janas  1700ac
"Le domus de janas sono delle strutture sepolcrali(墓の) preistoriche (先史時代の) costituite da tombe scavate (堀った) nella roccia (岩) tipiche della Sardegna prenuragica. "(Wikipediaより)

"Gli archeologi sostengono che le prime domus de janas siano state scavate intorno alla metà del IV millennio a.C.(紀元前4千年紀の中ほど) durante il periodo in cui sull'isola si sviluppò la Cultura di San Ciriaco (Neolitico recente 3400-3200). "と大変古いものです

次のヌラーゲは 
Nuraghe Santa Antine


Sa domo de su Re
(in italiano "La casa del Re") 王の家と呼ばれていた

"L'intero complesso rappresenta un importante esempio di architettura preistorica mediterranea (地中海の先史時代の建築物の重要な例) e si presume (推定される) che l'altezza originaria del mastio centrale (中央の主要な塔) raggiungesse una misura compresa tra i 22 e i 24 metri (22~24メートルに達した), la più alta per quel periodo dopo le piramidi egizie e il mastio della reggia nuragica di Arrubiu che misurava tra i 25 e i 30 metri. "(エジプトのピラミッドや25~30メートルあったArrubiuのヌラーゲ王宮の主要な塔に次いで、この時代で最も高かった)(Wikipedia)


"Le indagini effettuate datano il primo insediamento(設置) tra il 1.600 ed il 1.450 a.C.(紀元前1,600~1,450年), nell'Età del Bronzo Medio(青銅時代)."(Wikipedia)

また 近くには村があった 入り口は南側で中はスペースがあります
muschio(苔)で覆われていた 
すべて石でできた家 中は大きな空間があり何階かに分かれていて階段もあった
砦(fortezza)として作られていたものもあるが ヌラーゲによって違う

 
世界遺産にもなった(サルデーニャではこのヌラーゲのみ登録) (Su Nuraxi di Barumini)
"Su Nuraxi o più propriamente il Villaggio nuragico di Su Nuraxi, è un insediamento risalente all'età nuragica sviluppatosi intorno ad un nuraghe quadrilobato risalente al XVI-XIV secolo a.C(紀元前16~14世紀). (cioè con un bastione(砦) di quattro torri angolari più una centrale), tra il XIII ed il VI secolo a.C.(紀元前13~6世紀), che si trova in Sardegna in territorio di Barumini. È uno dei villaggi Nuragici più grandi della Sardegna.(サルデーニャでもっとも大きいヌラーゲの村のひとつ)"(Wikipedia)

何のために作られたのか?

"Alcuni studiosi ritengono che la parte più antica del nuraghe fosse destinata ad uno scopo religioso(宗教的な目的のために作られた), di rifugio(避難所), civile o ancora di parlamento (市民あるいは議会の) o sede del capo villaggio (村の長の所在地), mentre le torri aggiunte erano più probabilmente destinate a scopo militare e di magazzino (一方付け加えられた他の塔は、軍事上の目的または倉庫と思われる)"(Wikipedia)



il Pozzo di Santa Cristina
(Santuario nuragico di Santa Cristina)
は 三角形の入り口をしたヌラーゲで井戸だった la dea Madreに捧げられた 春分・秋分の日に上の穴から光が入る 水が今もある

"Il sito si compone essenzialmente di due parti: la prima, quella più conosciuta e studiata, costituita dal tempio a pozzo, un pozzo sacro (聖なる井戸) risalente all'età nuragica, con strutture ad esso annesse(隣接した): capanna delle riunioni(集会小屋), recinto(囲い地) e altre capanne più piccole(他のもっと小さな小屋).
La seconda parte del complesso a circa duecento metri a sud-ovest (南西に向いた200メートルの第2部分) è costituita da un nuraghe monotorre(一つの塔のヌラーゲでできている), da alcune capanne in pietra (石でできた小屋) di forma allungata di incerta datazione ed un villaggio nuragico, ancora da scavare, di cui sono visibili solo alcuni elementi affioranti.

Benché di limitato interesse archeologico integra il complesso l'area devozionale (信仰エリア) cristiana della chiesa e novenario (9音節詩行の) di Santa Cristina inteso come il luogo nel quale si celebra la novena (9日間の祈り) in onore della santa."(Wikipedia)

ヌラーゲ人(popolazione nuragiche)は 紀元前1,500年頃からいたそうです 

モノリテ(石)は 最古の人間の遺跡で ストーンヘンジのようなもの
tombe di Giganti(巨人の墓) 巨人が建てたかと思われるような重く大きな石 
ドムス ディアナス 死のculto (宗教) この写真を見せていただき 遺体を置くスペース 会議や祝いごとをするスペースがあり ドアは異世界に通じるとされ 石のカバーをはずして遺体を入れた 以前はヌラーゲのまわりで子供たちが遊んでいたが今は入れない


Monte Pramaの巨人

紀元前6~9世紀に建てられた Oristano県Cabrasにある巨人の遺跡 発掘されカリアリの国立考古学博物館に展示された

"Le statue sono scolpite (掘られた) in arenaria(地下墳墓) gessosa(石灰石を含む) locale e la loro altezza varia tra i 2 e i 2,5 metri(2~2,5メートル)."(Wikipedia)
 frammenti(かけら)に分かれている これは考古学ファンにはたまらない!!

  *       *       *

民族そして歴史


歴史: 先史時代 → 石器文化と黒曜石(ossidiana)の時代 → ヌラーゲ文化の時代 → サルデーニャにおけるフェニキア人、カルタゴ人、そしてローマ人 → 中世 → サルデーニャ王国の誕生から現代 (Wikipedia)

「エジプトを侵略した海洋民族シャルダナ (Shardana) とサルデーニャとのつながりは真偽が疑わしく、立証されていない」(Wikipedia)とありましたが 先生はこれについてもお話してくださいました 曰く:

シャルダーナという民族 これはアジアのどこかから来た最古の民族といわれる 
サルデーニャにいた海賊ではないか エジプトのファラオの墓では盾が見つかっている
ヌラーゲ文明はローマ文明よりも古い etc...

いや~ 初めて聞きましたこの民族のこと!! 新しい発見です( ^^) _U~~

また フェニキア人についても語ってくださいました 
紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出し 地中海全域を舞台に活躍した カルタゴの街を作った 

フェニキア人はレバノンの出身で 地中海で交易を行っていた 彼らは島のあらゆるエリアに定住した 
フェニキア人ののちに 紀元前500年ごろカルタゴ人(Punic、ポエニ)がサルデーニャ周辺の地中海の覇権を確立した カルタゴの影響はサルデーニャのほぼ全域に及んでいる 

紀元前238年 ローマ人が島を獲得した
ローマはカルタゴと第一次ポエニ戦争を戦ったが 戦後にカルタゴの傭兵が反乱を起こしたため ローマはサルデーニャを占領した その時点で既にサルデーニャには社会基盤と(少なくとも平野部では)都市化された文化があった
サルデーニャはシチリアとともに エジプト征服までのあいだローマの穀倉地帯(granai di Roma)のひとつでありつづけた
フェニキア・カルタゴ文化は ローマ人の支配下にあっても 紀元後数世紀まで根強く残った Tharros(ターロス)、Nora(ノーラ)、Bithia(ビティア)、Antas(アンタス)、Monte Sirai(モンテ・シライ)らは 建築と都市計画の調査に重要な考古学遺跡となっている」 (Wikipedia)

彼らは果実の木(alberi da frutto)を禁じていた 麦が大事だったから etc...


ジュディカーティ(Giudicati)の領国(14世紀)
「ローマ帝国の滅亡後、サルデーニャは何度と征服の対象とされている
456年北アフリカのヴァンダル人に占領され 711年からはサラセン人による沿岸部の都市への攻撃を受け 1063年から 東ローマ帝国の政治行政組織を踏襲する形で、審判による統治を意味するジュディカーティ(Giudicati)という制度が形成された
同じ時代、アラゴン=カタルーニャ王国の影響が大きくなり、これはアラゴンによるサルデーニャ占領まで続いた。当時のスペインの影響の強さは、今でもアルゲーロ周辺でカタルーニャ語の方言が使われていることからも伺える」(Wikipedia)

スペイン人がいた頃(700年間)は一番暗い時代だった 長い中世だった とのこと

Giudicati(900-1323)は 中世サルデーニャを4分割していた独立国でした

giudicatiとは 自分たちを守るために勝手に作った国だ (普通はimperatore(皇帝)や神から権力をもらって国を作るが)とのこと

4 repubblicarinari marine
 海洋国家はヴェネツィア、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァのこと
シチリアにはアラブ人が入ったが サルデーニャには入ったことはなかった 

スペイン継承戦争でサルデーニャがスペインからオーストリアに渡った後、1720年にシチリア島との交換によりサヴォイア家が領有してからイタリア統一1861年まで、サルデーニャはピエモンテとサルデーニャ王国を形成していた。
1861年にサルデーニャ王国がイタリア統一を果たして国名を「イタリア王国」と改めた。(Wikipedia)



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サルデーニャ語(Sardu)について

サルデーニャ語はラテン語から来ている
 
「イタリア全土で公用語とされているのはイタリア語だが、サルデーニャではサルデーニャ語(Sardu)が広く使われている。サルデーニャ語はイタリア語の方言(言語変種)ではなく、ラテン語を起源とするロマンス語に属する言語である」(Wikipedia)

ちなみに 講師の苗字"Piliarvu"の語源(Piliはcapelli, arvuはbianchi) ラテン語ではピルス アルヴス 
いくつかのサルデーニャ語をご紹介いただいたがイタリア語と全然違う!

テレビの普及により全サルデーニャ人がイタリア語を話せるようになったとのこと
若い世代の講師自身は サルデーニャ語は話せないが聞いてわかるそうです
  
     *       *       *


次は お祭り(le feste):

2月のオリスターノでのSa Sartiglia 騎馬祭り カーニバルのあとの日曜と火曜日(l'ultima domenica e il martedì di carnevale ad Oristano) 罪人を生贄にしたというエグイ祭りとのこと 
民族衣装が村ごとに違うのはスペインの影響を受けたこともある etc...

ちなみにこちらは私が前に作ったサルデーニャのお祭りリスト(Il Calendario delle feste in Sardegna)です:

2月Carnevale di Mamoiada(マモイアーダのカーニバル)
 Mammuthones(Mamoiada)は黒いお面 
5月1~4日 Sant Efisio a Cagliari(聖エフィジオ祭)/ Cagliari
(聖アントニオ なまはげのような衣装 メルドゥーレスというマスクを付ける)
5月の最後から2番目の日曜日 Cavalcata Sarda(サルデ ーニャの騎馬行列) /Sassari
6月(夏至の日) S.Giovanni Battista/サルデーニャ各地
8月半ば  Chiostro del Carmelo (白黒写真)
8月14日(日)  Faradda dei Candelieri(蝋祭り)/Sassari
8月29日の前の日曜 Sagra del Redentore(救世主の祭り)Nuoro
10月最後の週末 Sagra delle Castagne(栗祭り)/ Aritzo 他

出典: サルデーニャ州観光サイト

 
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伝統文化(cultura tradizionale):

Tenores 男性4人によるテノール ユネスコの無形文化遺産となりました

ラウネッダス演奏 un fiatto continuo 葦でできた楽器
 こちらから聞けます (儀式のパンのセミナーで私が聞いた演奏/音が出ます)

Artigianato(手工芸) は刺繍 儀式のパン(il pane rituale) 陶器 ボタン corallo(サンゴ) ナイフ 羊飼いの道具 cuoio(なめし革) と色々あり その地図を示してくださいました



   *       *       *

サルデーニャの特産品(Alimentali tipici):


島であるため 外からモノが入るのが難しい 村ごとに食べ物も違っている 外の影響を受けたのは海のそば 山は手つかずで残された

「サルデーニャ料理 (Cucina sarda) は イタリア料理のほか アラブや北アフリカなどの料理の影響を受けて発展した 豊富な海産物や 羊の肉などが主要な食材として用いられる
2010年にユネスコの無形文化遺産に指定された「地中海の食文化」 (Mediterranean diet) の一部を構成する」(Wikipedia)


ドルチェ(dolci)/


テリッカスは ザザッパ(ぶどうかす)を使った 死者の日に作るお菓子とのこと



パスタ(la pasta)・パン(il pane)/
クスクスに似た粒状パスタ「フレグラ(fregra)」は今も手作りという これは南のみ
ニョッキ状の「マロレッドゥス」 (Malloreddus) もニョケッティ・サルディとして有名
堅く焼いた薄いパン「パーネ・カラザウ」は長期保存が可能な食材
パーネ・カラザウとトマトソース、ペコリーノ(羊乳のチーズ)とをラザニア状に重ねた「パーネ・フラッタウ」 (Pane frattau) がある。

海産物(frutta di mare)/
魚は南しかほとんど食べない からすみはサルデーニャが有名 しかしサッサリでは食べないそうだ 
「海産物(frutta di mare): サルデーニャ料理の主役のひとつは、エビやマグロ、イワシ、貝などといったさまざまな海産物が有名 日本のカラスミに相当する魚の卵巣の加工品「ボッタルガ」 (Bottarga) が、カリャリやトルトリ、サンタンティオコなど島内各地で生産されている」(Wikipedia)

お酒(bevande alcoliche)/
ミルト酒は キンバイカで作られるリキュール
グラッパ ビネガー リモンチェッロ などなど...
ワインはマルバージァワインが有名 ヴェルメンティーノ・ガルーラ カノナウ 
白ワインのカピケーラはとても高い!

「ワイン(i vini)/ サルデーニャはイタリアワインの生産が盛んな地域、多くのワインが原産地統制呼称(DOC)の指定を受けている
サルデーニャ全域を名称保護地域とするものには以下がある:
カンノナウ・ディ・サルデーニャ (Cannonau di Sardegna) 
モニカ・ディ・サルデーニャ (Monica di Sardegna) 
モスカート・ディ・サルデーニャ (Moscato di Sardegna) 
ヴェルメンティーノ・サルデーニャ (Vermentino di Sardegna) 
ガッルーラ地方で生産されるヴェルメンティーノ・ディ・ガッルーラ (Vermentino di Gallura) は、統制呼称の最上級にあたる保証つき統制原産地呼称(DOCG)に指定されている。」(Wikipedia)


チーズ(formaggi)/
「サルデーニャ島では牧羊が盛んなことから、羊乳を用いたペコリーノが多く生産される、「ペコリーノ・ロマーノ」にはラツィオ州・トスカーナ州とともにサルデーニャ州も生産地域としての指定を受けている。「ペコリーノ・サルド」(サルディニアのペコリーノ)はサルデーニャ産のペコリーノにのみ認められた名称である。
このほか、サルデーニャではカチョカヴァッロなども生産される。
サルデーニャ島のユニークなチーズとして、チーズバエの幼虫の働きでペコリーノの発酵をすすめたカース・マルツゥがある。」(Wikipedia)

このあとは参加者の皆さんでおしゃべりしたり サルデーニャの本や雑誌を皆でまわしたりしました♪ とにかくサルデーニャ好きな皆さんが集まり 何度もサルデーニャに行ったことのある方などもいらしていて 大変ためになりました( ^^) _U~~ 

講座は こちら


*楽しい講座を開いてくださいましたpiazzaItalia様に心よりお礼申し上げます

*       *       *

おまけでーす♡:

サルデーニャの民族の起源(origine)
について:

サルデーニャの歴史は aC800年頃 ヌラーゲ人が住んでいた島にフェニキア人が入り カルタゴ人やローマ人の侵略を受け 中世のスペイン支配と続いた とのことですが 民族の起源について:

1.ネットで見つけたSardegna Postの記事に「アフリカが起源」という記事がありました:
“Dall’Africa alla Sardegna in 70 mila anni. Il mio DNA vi racconta il viaggio”(2016.11.1)
http://www.sardiniapost.it/cronaca/dallafrica-alla-sardegna-70mila-anni-nel-mio-dna-racconto-del-viaggio-dei-sardi/

2.『地中海の聖なる島 サルデーニャ』(陣内秀信著 山川出版社) のP55に「馬は生活に欠かせない家畜であり、馬にまたがる人をモチーフにした青銅器彫刻がたくさんある。古くから馬と共存するサルデーニャ人の先祖は、アジア・アルタイ高原にいた遊牧民族であるという有力な説もある」とありました。
また モンゴルがサルデーニャの民族の起源という説も、どこかで聞いたことがあります (なので乗馬が得意という説)

4.Wikipediaでは:
新石器時代からローマ帝国の時代にかけて、ヌラーゲ(Nuraghe)人が上陸し、生活しはじめた。この謎に満ちた民族は、紀元前20世紀頃、東地中海からやって来たものと推測されている。少しわかっていることは、エジプトの碑文に「海の民」という意味の名前で登場する人々を指しているということである。その碑文の研究によると、彼らは、サルディス(リディア)を出発し、ティレニア海にたどり着いた。そこで、サルデーニャに行く者とエトルリアに行く者に分かれた、ということである。
遺伝学的な研究によると、サルデーニャ人は周辺地域の人々や若い民族とは異なり、前インド=ヨーロッパ人だとしている。

5. 「サルデーニャ!南イタリアの美食と工芸の島紀行」(池田 匡克、池田愛美著、講談社)
によると「北東部にエトルリア人 西部バレアレス諸島経由でスペイン人 カリアリと南サルデーニャにはアフリカ民族が入った
それよりもはるか昔新石器時代の6000AC 西アジアから来た民族が 高度なオリエント文明を伝えた ヌラーゲがその一つである
ちなみにこれはLa Storia di Sardegna(カリアリ大学F.チェーザレ・カズーラ教授)の言葉である」とありました

サルデーニャ民族の起源には 所説あるようで興味津々です...♪

    *     *     *

2017年2月19日(日) 渋谷タロスにて 「サルデーニャセミナー」が開催されます:

まだまだ知られていない魅力の島サルデーニャ どんな島? 何があるの?魅力って何だろう?
未知の島サルデーニャを知っていただきたい!とサルデーニャ出身スタッフによるセミナー、郷土料理の会を行います! みなさま、どうぞお気軽にご参加ください。

日時:2017年2月19日(日)16:30~19:30
会費:5000円(セミナー・料理・ワンドリンク付き)
場所:渋谷サルデーニャ料理「タロス」
東京都渋谷区道玄坂1丁目5-2
お申込み: 03-3464-8511(タロス)

内容: セミナー(40分)「地中海、古代の神秘に出会える島 サルデーニャ
講師は、サルデーニャ島出身でタロスのスタッフでもあるマルティーノ・カッパーイ。(サルデーニャの文化オペレーター)

カリアリとシエナで美術史や文化史を学んだマルティーノによるセミナーです。
現地の人にしかわからない、一段深いサルデーニャの魅力に触れられる事間違いなしです。
食文化と歴史、古代から続くカーニバル(マモイアーダのカーニバルなど 不気味な黒い仮面を被る祭り)、繊細な工芸品などイタリアの中でも多くの謎に包まれている。そんな島を珍しい写真と共に紹介致します!
セミナー後はサルデーニャ島の郷土料理をブッフェ形式でお楽しみいただけます。中でも仔豚の丸焼き「ポルチェッドゥ」はイチオシです😊!
普段は中々食べられない一品、島ならではの料理をご用意しております。

セミナーは こちら

ポルチェッドゥ(Porceddu)って 仔豚の丸焼きです! あのクリスマス料理のセミナーで写真見てびっくりした料理です!(^^)!



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