周知のように大学の入試と入学する学部は文系と理系に分かれている。
また、学問も文系と理系に分かれている。
文系の学部は文学部、経済学部、法学部、経営学部、社会学部・・・・等々であり、理系の学部は理学部、工学部、薬学部、医学部、農学部・・・・等々である。
このように基本的に学部は文系と理系に分けられるが、両方にまたがる学部ないし学科がある。
たとえば教育学部の国語コースや社会コースは文系だが、理科コースや数学コースは理系である。
また、情報学部や教養学部などは学部そのものが文系と理系の融合となっている。
私の専攻する哲学は基本的に文系に属すが、理系のセンスもないと一流にはなれない。
西洋の偉大な哲学者のほとんどは理系のセンスないし自然科学の素養をもっていた。
科学者を兼務した者も多々いる。
万学の祖アリストテレスはその代表だが、デカルト(数学、物理学)、パスカル(数学、物理学)、ロック(医者)、カント、ジェームズ(医学、生理学)、ホワイトヘッド(数学、物理学)と枚挙に暇がない。
近年のアメリカの心の哲学の専攻者の多くは認知科学と神経科学に通じているし、20世紀の多くの科学哲学者は物理学、数学、生物学に通じていた。
哲学こそ文系と理系両方のセンスを必要とする学問の代表なのである。
医学の分野では昨日取り上げた精神医学がそうである。
そもそも人間の本質を知るためには文科と理科の両方の素養と知見を必要とする。
それを無視して、ひたすら文学部的つまり文献学的研究ばかりしているから、哲学が形骸化して「哲学文献学」ないし「思想解釈学」に堕落してしまうのである。
哲学だけではない、医学や情報学や心理学や生態学や人類学も文科・理科両方の素養と知識を必要とする分野である。
「私は文学部を出て哲学を研究しているが、かつては理系志望だった」ということを知ったある人が「理系の方が面白いんじゃないですか」と言っていた。
たしかに理系の方が文系よりも具体的で技術的で色彩豊かで金になり面白いかもしれない。
しかし、「理系と文系の接点」は理系よりもさらに面白いのである。
私は心身問題や心脳問題や時空論や生命論や意識哲学を主に研究しているが、これらはすべて理系と文系の両方の要素をもっている。
そして、文系と理系の接点を示唆する最も重要な概念は「情報」である。
物質も精神もどちらも究極的には「情報(information)」からできているのではないのか、ということは数十年前から物理学や哲学やシステム論において常に話題となってきた。
そして、その研究は進んでいる。
これは万物の根源を純粋形相とみなしたアリストテレスの存在論の洗練版的再生である。
我々の身体の物質組織を形成し秩序を付与しているのは、細胞の核の中にあるDNAという生命情報なのである。