goo blog サービス終了のお知らせ 

心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

John Searle著The Mystery of Consciousnessの目次

2012-10-26 08:46:36 | 書評

アメリカにおける心の哲学の泰斗サールは1997年にThe New York Review of BooksからThe Mystery of Consciousnessという本を出した。
以下はその目次の訳である。

意識の神秘
J.R.サール


目次


第1章 生物学的問題としての意識
第2章 クリックと結合問題 ― 意識の40ヘルツ仮説をめぐって
第3章 エーデルマンと再入力地図
第4章 ペンローズとゲーデル ― 細胞骨格と意識の関係
   付録: ゲーデルの証明とコンピュータ
第5章 否定された意識 ― デネットの消去的機能主義
   付録: デネットとの問答
第6章 チャルマーズと意識する心
   付録: チャルマーズとの問答
第7章 身体イメージと自己 ― ローゼンフィールドの観点から
結論 意識の神秘を合理的問題に置き換える方法
図表の出典
人名索引
事項索引

概要は追って掲載します。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

P・L・ルイージ『創発する生命』

2012-10-21 09:40:52 | 書評

アマゾンの広告で私の『自我と生命』と併読されている本として、ピエル・ルイジ・ルイージの『創発する生命-化学的起源から構成的生物学へ』NTT出版が挙げられていた。
ルイージのこの本は、現段階で創発主義的生命論の本として世界一のものであり、その緻密で奥深い論述には目を見張るものがある。
基本的に分子生物学の立場に立ちつつ、自己組織性やオートポイエーシス理論への目配りが絶妙である。
しかも科学哲学の手法も取り入れている。
たいしたもんだ、見上げたもんだ、すごいもんだ!!

アマゾンのリンク。
http://www.amazon.co.jp/%E5%89%B5%E7%99%BA%E3%81%99%E3%82%8B%E7%94%9F%E5%91%BD%E2%80%95%E5%8C%96%E5%AD%A6%E7%9A%84%E8%B5%B7%E6%BA%90%E3%81%8B%E3%82%89%E6%A7%8B%E6%88%90%E7%9A%84%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6%E3%81%B8-%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B8/dp/4757160372/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1350780321&sr=8-1


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナシア・ガミー『現代精神医学のゆくえ』

2012-10-04 20:56:17 | 書評

アマゾンで注文していたナシア・ガミーの『現代精神医学のゆくえ』みすず書房が届いた。
ガミーは精神医学における生物心理社会モデルを批判している。
また、彼は哲学の修士号をデネットのもとで取っている。
期待の新星である。

前に翻訳が出た『現代精神医学原論』みすず書房も面白い。
どちらでもヤスパースの了解-説明モデルを基本に据え、多元主義的アプローチをとっている。

私は精神医学の生物心理社会モデルをけっこう信奉していたが、不満ももっていた。
ガミーがヤスパースに倣って「生物学的実存主義」を主張するのは面白いと思う。

普通科学主義と実存主義は相いれないものとみなされているが、精神医学の臨床はこの二つの協力を必要とするのだ。
分別くさい科学と実存の二元論は無益である。

まだよく読んでいないが、Bio-psycho-social Modelと生物学的実存主義ってそれほどかけ離れたものだろうか、と思ってしまう。
アメリカではいざ知らず、日本では精神病のbio-psycho-social-ehical-existential modelが提唱されてたのだから。
ドイツ由来の現存在分析もそうである。

それにしても京都大精神科は村井俊哉教授の代になって、いよいよ実存的次元と脳神経的次元の統合に突入したな。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時東一郎著『精神病棟40年』

2012-09-23 17:53:31 | 書評

昨日、時東一郎『精神病棟40年』宝島社を読み終えた。
今年の2月に出た本で定価が1300円だが、アマゾンのマーケットプレイスで750円で買った。

時東氏は16歳で統合失調症を発症。
17歳のとき精神病院に入院の後、40年以上の間ほとんどを精神病院に入院してすごした。

彼の病状はそれほど重いと思えない。
統合失調症の妄想型と思われるが、躁病に近い病状で、対人接触性は良い。
いわゆる分裂質の性格者ではなく、陽気で社交的である。

しかし、入院した精神病院がいわゆる悪徳タイプのもので、資金源のために生かさず殺さずの長期入院にはめられてしまったのである。
義母との不仲という家庭事情も退院と社会復帰の障壁となり、社会的入院の廃人の道をまっしぐらに歩んでしまった。

この本を読んでまず感じたのは、他の精神病闘病記や入院録とちがって、雰囲気と心理が明るいということである。
とにかく、たいした症状もないのに、これほど長く入院させられた症例はあまりない。

時東氏は自他ともに彫の深いハンサムを認めるイケメンであった。
入院中にドイツ人というあだ名をつけられたり、多くの女性に惚れられている。
そして本人は話好きで子供好きで明朗な健康優良児であった。
空手も有段者で、入院中に自己防衛のために、絡んでくる奴を殴り、肋骨を折っている。
しかし、それは仕方なくやったことで、生涯で唯一の暴力行為であった。

かつて、統合失調症が精神分裂病と呼ばれていた頃、分裂病の病前性格が盛んに議論され、分裂病と言えば分裂質の性格類型と結び付けられやすかった。
ミンコフスキーの言う「現実との生ける接触の欠如」だとかブランケンブルクの「自然な自明性の喪失」という分裂病者の実存様式の性格付けは、分裂病者を人嫌いの暗い性格者として特徴づけることを助長した。
精神病理学というものは、とかく本質主義に流れやすい。
分裂病者の中にはたしかに非社交的で内向的な人もいるが、そうでない人も多い。
プレコックスゲフュール(分裂病臭さ)という印象も疑わしい。
こうした印象や性格付けは二次的なもので、統合失調症の本質的病理を表していない。

統合失調症の診断の指標は、幻聴と被害妄想である。
この二つは、覚せい剤中毒とアルコール中毒にもみられるもので、比較的平板な症状であり、精神病理学的深みはない。
しかし、それは統合失調症の生理的病変の直接的表現として大変重要である。
覚せい剤使用とアル中が排除されて幻聴と被害妄想があるなら、まず統合失調症である。
もちろん、その幻聴と妄想には特徴があり、専門医や識者にはすぐ分かる。

統合失調症は深刻な人格の病などではなく、脳の自己モニタリング機能の障害なのであり、それにドーパミンなどの神経伝達物質の伝達異常が修飾因子として加わるのである。

私が大学生だったとき、同級生で看護師をしていた人(30歳)が「分裂病者の特徴は他人と一緒にいても不安感が強くて、同調できず、緊張感が解けないことだ」と言っていた。
彼女はミンコフスキーや木村敏にかぶれていたのだが、笑えるな。
それって神経症の症状だよ。
かつて対人恐怖症と呼ばれ、今「社交不安障害(SAD)」と呼ばれる病気の人の特徴だよ(笑)。
この病気は別名「あがり症」(笑)と呼ばれ、マイレン酸フルボキサミンなどのSSRIと認知行動療法の併用によって著しく改善する神経症だって(藁)。

とにかく「分裂質」というかつての陰湿な性格付けは抹消しないといけない。
これは、私の授業に出ていた統合失調症の学生からの印象からも言える。

しかし、たしかに対人疎通性の悪いタイプの糖質もあることはあるな。
ヘーベフレニー(破瓜型分裂病)には多いだろうな(現、解体型統合失調症)。
ちなみに「破瓜」って瓜を二つに割ると8になって、それが二つだから16になり、16歳ぐらいに発症することを示唆しただけなのに、何か深刻なイメージで受け取ってるバカっているよね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『1995年1月・神戸-「阪神大震災」下の精神科医たち』

2012-09-16 08:13:59 | 書評

中井久夫編『1995年1月・神戸-「阪神大震災」下の精神科医たち』みすず書房は、震災から2か月後に出版された。
私はそのときすぐに買った。
その年度の大学の授業でも参考書として使い、レポートの課題にした。

この本の中で最も印象深いのは、編者の中井久夫の緊急文「災害がほんとうに襲った時」である。
この章は、去年の大震災後に単行本化されて、またしても緊急出版された。
そして、またたくまに売れ、好評をはくした。

中井は当時、神戸大学医学部の精神科教授を務めていたが、早朝の激震でたたき起こされ、阿鼻叫喚の地獄を味わった。
しかし、地震直後にはわけがわからない状態で、本当のストレスは2週間後に襲ってきた。
これは災害後のPTSDに特徴的な現象で、ストレス障害は少し遅れてやってくるのである。

地震の翌日から出現していた不眠と悪夢は、日を追うにしたがってひどくなり、強い精神安定剤を必要とするようになった。
こういう場合、まずベンゾジアゼピン系の抗不安薬と睡眠薬を使うのが定番たが、マイナー・トランキライザーに分類されるこれらの薬では、激しい不安と不眠と悪夢には対処できなかった。
そこで、中井はマイナーよりもはるかに効き目が強いメジャー・トランキライザー(強力精神安定剤)を飲むことにした。
この薬は、統合失調症(精神分裂病)の幻覚妄想状態や興奮状態を抑えるために使うもので、健常人が普段飲むと、神経麻痺を起したり失神したりするほど強力なもので、副作用もきつい。
しかし、大震災後のストレス症候群、つまり不安と戦慄と自律神経失調状態は、統合失調症者の病状に匹敵するほどのもので、メジャーの副作用が相殺された。

中井が語っている印象深い悪夢は、「最初は透明な悪夢で、全く内容がなく、ねじられ、よじられ、翻弄される体感感覚よりなるもの」だったが、その後次第に「体が雑巾のように絞られる苦痛」になった、というものである。
「トラサルディ症候群」と名づけられたこの心身状態は、「すべてが渦巻き、激流となっている」周囲世界と一体のものであった。
この世界を彼は「不思議な薄明るい透明性な水のようなもの」と表現している。

我々の精神は身体と一体であり、身体は居住地に投錨し、大地と一体となって生きている。
そこで、大地が揺れれば心身に揺らぎが起こり、結果として精神も激震を起し、錯乱するのである。

私は、このくだりを2009年の著書『心・生命・自然』の第6章「人間と自然」で取り上げた。
「自然災害の脅威」という節においてである。

2010年に授業でこの部分を扱ったとき、学生はぽかんとしていた。
大地震を体験したことがなく、身体的記憶がないからである。
その傾向は東北大震災後もあまり変わらない。
もちろん、これは東北以外の学生の傾向であるが。

ところで「あなたは今夢を見ていないと確言できるか」という問いかけがある。
この問いかけは身体的現実を無視した疑似問題にすぎない。
ウィトゲンシュタインは癌で死ぬ前、意識が途絶える直前まで、「今、この現実は夢ではなく現実だ」と言い続け、くだんの問題の疑似性を指摘した。
それについての考察は彼の『確実性について』に書いてある。
この遺稿は、デカルト的懐疑が無意味なものであることを示唆しようとした力作である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブランケンブルクの新著

2012-09-05 08:55:32 | 書評

みすず書房から21日に新著、てゆうか翻訳の新著が出るね。
『目立たないものの精神病理』というタイトルで5000円ぐらい。

私が1999年に出した『時間・空間・身体』の第7章でブランケンブルクの身体論と心身論を扱ったが、そのために読んだドイツ語の論文のいくつかが今回翻訳されていると思う。
私も訳文を作っており、『現代思想』に翻訳文を載せる話があったのだが、実現せず、訳文を書いたノートはその後捨ててしまった。

ブランケンブルクは現象学的身体論を重視しつつも、それをより医学・生理学に引き寄せて解釈し、真の心身二元論超克をめざしつつ、生物学的精神病理学というべきものを構築しようとしていたのだ。
オートポイエーシス理論に興味をもったのもそのためである。
とにかく精神医学は生物・心理・社会の三次元をシステム論的に統一しつつ、患者の治療と病気の成因を解明することが求められているのである。

本が出たらレビューするつもりです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いのちのかなしみ

2012-08-22 21:38:51 | 書評

アマゾンのマーケットプレイスで注文していた、河原ノリエ『いのちのかなしみ-私のカラダの情報は誰のものか』春秋社が届いた。
新品同様の綺麗な本だった。
しかし、定価の半分である。
この本は装丁がよい。

少し読んでみたが、後で感想を述べよう。

生命論は私の哲学の重要な契機である。
また、臨床哲学というものを提唱しているので、その点でも河原さんの本には興味があった。

ただし私の臨床哲学は、かなり臨床医学や生物学や脳科学の知見を導入した、科学哲学的なものであって、鷲田清一や木村敏のやっていることとは一線を画す。
いずれにしても「いのち」の意味は深く考えなければならない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近買った本

2012-08-12 09:24:30 | 書評

最近買った本を列挙すると次のようになる。

1. 『湯川秀樹著作集3 物質と時空』岩波書店
2. J.Z.ヤング『哲学と脳』河内・東條訳、紀伊国屋書店
3. ニック・クロスリー『社会的身体』西原・堀田訳、新泉社
4. 山中康裕『心理臨床と表現療法』金剛出版
5. P.スタンディッシュ『自己を超えて ウィトゲンシュタイン、ハイデガー、レヴィナスと』法政大学出版局
6. 池上高志『動きが生命をつくる』青土社
7. 山折哲雄『わたしが死について語るなら』ポプラ社
8. G.J.ウィットロウ『時間 その性質』法政大学出版局

ちなみにすべてアマゾンのマーケットプレイスで買った。
3.と4.と5.と6.以外は激安である。2.にいたっては1円+送料250円=251円である。
その他も300-600円ぐらいである。

クロスリーの『社会的身体』は私の心身関係論に非常に親近的で、好感度が高い。
山折の本は装丁がいいので前から目をつけていた。暇なとき息抜きに読みたくなる本。
ヤングの『哲学と脳』は前から興味があったが、定価で買う気はなかった。
届いた本は新品と何ら遜色なく、ラッキーな気分。内容も前は面白くなさそーと思っていだが、今は興味津々。
読むのが待ち遠しいし、今後の著作に盛り込めそう。
スタンディッシュの『自己を超えて』は新本だと8000円を超えるが、アマゾンの中古品で6000円でゲットした。
届いた本は、帯付きのほぼ新品。
私は卒論がウィトゲンシュタインで修論がハイデガーだったので、この本の内容にはすごく興味がある。
「自己を超越する」ということは、10月に出る新著『創発する意識の自然学』の重要なテーマの一つである。
ただし、もちろん『自己を超えて』の内容は盛り込んでいない。
山中の『心理臨床と表現療法』は最終章の「芥川龍之介の病跡」がぜひ読みたくて買った。
もう絶版になっていて、アマゾンの値が下がったので、すかさず注文した。
湯川の本は、数年後に予定している著書『存在と時空』の参考書として買った。
ウィットロウの本も同様。
それにしても、S.AlexanderのSpace,Time and Deityはもう一度精読しないといけない。
ホワイトヘッドの『過程と実在』は三度目の精読だ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする