心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

次著の原稿を書き始めた

2021-02-11 16:45:27 | 備忘録

先月から次の著書の原稿を書き始めた。

タイトルは『哲学的短編小説集』で、またAmazonのKindleから電子書籍として出版する予定。

このままではけっこうなページ数になると思うので、下の目次の1~10を上巻、11~20を下巻とする予定。

もう第2章まで書きあがり、現在3を執筆中である。

 

哲学的短編小説集

 

第1章 生命を主題とした短編小説(生まれてこない方がよかった)

第2章 存在を主題とした短編小説(存在しなかったことにしてほしい)

第3章 意識を主題とした短編小説(無意識のまま徘徊した日の記憶)

第4章 経験を主題とした短編小説( 臨死体験の嘘 )

第5章 時間を主題とした短編小説(一生涯、五分遅れている時計)

第6章 空間を主題とした短編小説(身体が動かない)

第7章 心身問題を主題とした短編小説(ある不幸な精神主義者のうつ病罹患)

第8章 心脳問題を主題とした短編小説(ある不幸な反唯脳論主義者の悪性脳腫瘍罹患)

第9章 死生観を主題とした短編小説(ある不幸な宗教家の死)

第10章 哲学と科学の関係を主題とした短編小説(文系と理系の哲学観)

 

第11章 運命と幸福の関係を主題とした短編小説(決して不幸になれない男の話)

第12章 健康と病気と人生観の関係を主題とした短編小説(まじめな人は長生きする)

第13章 偶然と必然の対立を超えた創発の概念を主題とした短編小説(偶然と必然の彼方)

第14章 精神医学と哲学の関係を主題とした短編小説(いのちの電話と心の科学)

第15章 人工知能と人間の心の関係を主題とした短編小説(不老不死を否定した永愛君)

第16章 自殺の哲学的意味を主題とした短編小説(死にたくないが生きていたくもない)

第17章 情報時代の哲学の意味を主題とした短編小説(自己組織化するインターネットの暴走)

第18章 人類滅亡の危機を主題とした短編小説(そして誰もいなくなった)

第19章 無神論の優位性を主題とした短編小説(神を否定する者の方が神に近い)

第20章 自我と自然の関係を主題とした短編小説(「君自身にではなく自然に還れ」という思想を拒否する男の悲惨な最期)

 

紙の本にすると上巻と下巻が、それぞれ200ページ前後になると思う。

各章がWordのA4で8~15ページぐらいなので、紙の本では14~25ページぐらいになる。

各章がそれぐらいの短編小説だということ。

超短いわけではないが、それほど長くもない短編小説である。

書いていて楽しいし、推敲のために見直すとなお面白い。

なお、実際の本では章付けはなく、普通の小説集のように題名だけ、つまり( )の中のタイトルだけとなる。

 

               期待してほしいにゃ


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これから書きたい本

2020-12-23 23:23:02 | 備忘録

忘れないように書いておこう。

『意識と時空』という本を書きたい。

内容的には意識・生命・時空あるいは意識・存在・時空だが、タイトルは簡素な方がよいので、「意識と時空」とする。

2016年に『存在と時空』という本を出したが、これはまた趣向が違う。

かなり書きやすいテーマだし、これまでの思索と研究と執筆の蓄積があるので、簡単に出来上がりそうだ。

付録としてまた実験小説を載せ、「意識と時空」という問題を短編小説で表現したい。

 

次に『偽善の研究』。

これは西田幾多郎の『善の研究』を揶揄った内容のものであるが、それだけではなく、真面目に「偽善」の本性を暴きたい。

心理学、倫理学、哲学、文学、精神医学、精神分析、私の体験、生物学、脳科学などあらゆる知見を総動員して、偽善の本質を論じたい。

しかし、実際には知見を網羅したものではなく、それらの知見を咀嚼した上で、凝縮されたエッセンスを表現したい。

太宰や有島や漱石なんかは非常に参考になる。

この本にも末尾に実験小説が付く。

もちろん、偽善をテーマとした短編小説である。

それによって偽善の本質を暗示するのである。

哲学的部分は論述であり、文学的部分は暗示・象徴・表現である。

 

        楽しみにしてるにゃ


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今後書きたい本

2020-10-28 19:39:36 | 備忘録

今後書きたい本を備忘のために記しておく。

『哲学的短編小説集』

『偽善の研究』

『心と神経の哲学 / あるいは脳と精神の哲学』

『新・人間失格』

『情報と形相』

『猫ロジカルな心の哲学』

『ネコでも分かる哲学入門』

『意識哲学入門』

『君自身にではなく自然に還れ』

その他

すべてKindleで出版する予定なので、確実に出せる。

後は執筆力のみ。


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大宮公園の桜

2020-03-27 07:58:27 | 備忘録

昨日観てきた大宮公園の桜です。

宴会自粛のため露店なし、花見客まばらです。

特に第一公園の雰囲気は異様です。

毎年酒臭くて汚いので、嫌だったのですが、今年は綺麗です。

まず、大好きな第二公園の桜。

次に第一公園の桜。

御覧の通り、ブルーシートを敷いたグループ客がほとんどいません。

歩いている人も例年よりかなり少ないです。


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神はオカマの燻製ニシンだ

2020-02-01 10:22:36 | 備忘録

たしか、ジョン・レノンがビートルズ時代に「神はオカマの燻製ニシンだ」と言っていたと思う。

けだし、名言である。

ところで、「ニシン」と入力しても、魚のニシンの漢字が出てこない。

どういうわけだ。

グーグルのブラウザだと出てこないがこのブログの編集ブラウザでは、ちゃんと「鰊」と出力される。

しかし、「神はオカマの燻製鰊だ」には笑ってしまう。

猫も笑ってしまいそうだ。


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台風19号通過翌日の荒川の状況

2019-12-01 17:39:32 | 備忘録

10月12日、台風19号が関東地方を直撃した。

長時間、大雨が降り続き、荒川は氾濫寸前までいった。

実に数十年ぶりであった。

翌日は快晴であり、私は荒川の状況を見に行った。

そして、驚いた。

正に海のような状態である。

普段は、ゴルフ場や飛行場やグランドとして使われている河川敷が全部川になっている。

普段の川幅の10倍である。

 


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2014年の医学部偏差値

2019-10-28 09:00:14 | 備忘録

2014年の医学部偏差値です。

国公立と私立を一緒にしたものです。

偏差値は必ずしも医学部の質と格を反映しません。

70-80%反映すると考えたほうがいいです。

また個人の実力は大学の集合的レベルでの偏差値では測れません。

そのことを顧慮してください。


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心の臨床哲学の可能性

2019-01-12 07:56:31 | 備忘録

心の哲学と臨床哲学を合わせて「心の臨床哲学」というものを造れないだろうか。

心の哲学は現代英米において主流をなしている哲学の一大潮流である。

それは一世代前の分析哲学を心身問題の方向で深めたもので、心の概念を脳科学(神経科学と認知科学)と対話しつつ分析している。

しかし、その方法は分析哲学と違って、単に言語使用の規則や概念分析や論理的議論に尽きるものではなく、心と身体、心と脳の関係を事実性の次元に置いて解明しようとする点に特徴がある。

ところで、臨床哲学とは臨床医学や生命倫理と対話しつつ、人間の心と生命の意味を考えようとするもので、基本的に人間学的である。

それゆえ、臨床哲学は分析哲学よりは実存哲学や現象学と親近性がある。

人間の心をテーマとする点で心の哲学と臨床哲学は接点をもっているが、方法という点では乖離している。

過去の哲学者で心の哲学と臨床哲学の両要素をもち、この二つを統合するような思索をしていた人というとジェームズやメルロ=ポンティを思い出す。

ただしこの二人には分析哲学的な心の哲学の資質がない。

そこで、パットナムなどの思想を加味して、新たな心の臨床哲学を構築することが求められる。

とにかく、心の臨床哲学は心の諸科学(神経科学、認知科学、精神医学、臨床心理学)と対話しつつ、心身問題と心脳問題を考究していかなければならない。

その際、生命の本質へと食い入るまなざしが要求される。

私自身、数年後に『心の臨床哲学』という本を書こうと思っているのだが、このブログはそのための覚書という性格をもっている。

文学者の病跡の話題もそれに含まれる。

英米の分析哲学経由の心の哲学、実存哲学と現象学の影響を受けた臨床哲学、さらに心の諸科学、これらをすべて取り入れて、総合的な心の臨床哲学を構築しようと思っている。

ちなみに、一般市民の闘病記も参考になる。

それテーマとしたブログも多数存在する。

病に苦しむ人と心の本質に科学的にアプローチする人双方に興味がもてるような心の哲学を構築したいものである。


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次に書く予定の本

2018-10-31 21:26:34 | 備忘録

来年の春に出版される予定の新著『新たな哲学の創発 - 22世紀に向けての超-哲学入門』の原稿が出来上がり、現在推敲中である。

しかし、もう、次の本の構想が浮かんでいる。

『心の臨床哲学』と『生命の神秘と時間の深淵 - 失われた時を求めて』の二冊である。

前者はこのブログのタイトルのままになるかもしれない。

つまり『心と神経の哲学/あるいは脳と精神の哲学』である。

これに副題を付けて『心と神経の哲学/あるいは脳と精神の哲学 - 臨床哲学的考察』でどうだろうか。

忘れないように書いておく。


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いつか書きたい本のタイトル

2018-06-10 09:31:42 | 備忘録

『心の深淵 ー 臨床哲学的考察』という本を次の次に書きたい。

備忘録として書いておこう。

 


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次に書く可能性のある本のタイトル

2017-09-01 16:42:36 | 備忘録

もう何度も書いてきたが、備忘録としてまた書いておく。

 

とりあえず『哲学の諸問題』と『臨床神経哲学への誘い』という本を書きたい。

前者は私にしては恐ろしく平凡なタイトルの本である。

内容は私が重要だと思った哲学の問題を10ぐらいあげて、初心者にもわかりやすいように論じる、というものである。

要するに哲学入門ないし哲学概論である。

ただし、私なりにバイアスがかかっており、アクが強いものになるであろう。

「日本に哲学なし」ということも大々的に主張したい。

後者は2001年に上梓した『脳と精神の哲学』のライトモチーフを受け継ぐ本である。

脳と心の関係を、脳科学と精神医学を参照しつつ、心の哲学の手法で論じるのが、私流の「臨床神経哲学」である。

それはアメリカの神経哲学よりは人間学的であり、臨床哲学的なのである。

タイトルは一見入門書を思わせるが、臨床的な神経哲学の面白さへと引き込むという意味合いのほうが強い。

もちろん、入門書的傾向も兼ね備えたものになるであろうが。

 

別の案もある。

『意識と生命 ー失われた時を求めてー 』というものである。

あるいは『意識と生命 ー 時間を超えて時間の中で生きる ー』

これはのっぴきならないテーマである。

最後の渾身の力を振り絞って書きたい。


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『死の意識と心の本質』という本が書きたくなった

2017-07-05 11:04:01 | 備忘録

備忘録として書いておく。

『死の意識と心の本質』という本が書きたくなった。

単純に『心とは何か』でもよかったが、それでは芸がない。

それにそのタイトルはありあれている。

意識哲学、死生観、生命科学、脳科学、心理学、精神医学、文学、宗教心理と題材は豊富である。

いい本が書けたらいいな、と思う。

それにしても最近、がんで死んだ人の闘病記を多数読んでいる。

昔からよくよくでいたが、また読んでいる。

逸見政孝さんとかみんなおぼえてるかな。

逸見政孝(1945~1993)

元フジテレビアナウンサー

48歳のときスキルス胃がんのため死去

 

あと、近藤誠をどう扱うかも問題だ

 


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忘却された存在の深みを求めて

2017-06-19 11:05:58 | 備忘録

『忘却された存在の深みを求めて』ないし『忘れられた存在の深みを求めて』という本が書きたくなった。

どちらも副題は「意識・生命・時間」である。

『失われた存在の深みを求めて』でもよいが、あまりにプルーストに頼りすぎな感じがする。

あるいはもっと単純・率直に『存在の深みを求めて』でもよい。

書きたいことの輪郭ないし概要はすでにできている。

付録として、哲学的心境小説の試み『北上尾にて』を書くことも構想のうちにある。

これは言うまでもなく志賀直哉の『城の崎にて』をモデルにしているが、もっと深いものになるであろう。

ところで「深み」ってなんだろうか。

特に「存在の深み」ってなんだろうか。

この素朴な疑問を、意識と生命と時間の三者関係から炙り出すのが眼目なのだ。

 


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書きたい本のタイトル

2017-05-31 23:34:23 | 備忘録

『失われた存在の深みを求めて - 意識・生命・時間』 というタイトルの本を書きたくなった。

出来たら、ものすごい傑作になるであろう。


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次の著書のタイトル

2017-03-29 17:33:04 | 備忘録

 何度も備忘録として次の著書のタイトルを書いてきたが、そろそろ最終案を打ち出そうと思う。

それは『意識・生命・時間』というものである。

このように三つの語を中黒(・)で結んだタイトルは好き嫌いが分かれる、と思う。

私自身もこれまで『時間・空間・身体』 (1999) と『心・生命・自然』 (2009) というこの種のタイトルの本を二冊上梓している。

なんか安直なタイトルのつけ方のような気もするが、意外とこれが内容にジャストフィットしているのだ。

まだ決定したわけではないが、最も書きたくて、かつ最も書きやすそうなのをタイトル化すると『意識・生命・時間』となるのだ。

実は2007年の『自我と生命』の最終章のタイトルが「生命・時空・意識」となっている。

これを大幅に改変し内容を増幅すれば件の本になる。

基本的に意識哲学と生命哲学と時間哲学の三位一体構造を体系構築的に論じるつもりである。

なお、空間の問題も論じることになると思うが、今回はわき役に徹してもらうので、時間のほうを前面に押し出した。

また、件のタイトルを副にして主タイトルを「哲学の最後の輝き」ないし「哲学の究極」とすることもできる。

その他「存在の深淵」とか「存在の深み」とかでもよい。

すると件の本のタイトルは『哲学の最後の輝き - 意識・生命・時間 - 』となる。

こっちのほうがいいかも。

Life is short. Art is long.

 


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