どこ吹く風

旅のことを主に書く。

いくらいくら

2008年04月17日 22時42分05秒 | 懐かしい旅の記録
 初めてで最後となっている家族揃っての海外旅行はバリ島だった。クタビーチとは道路一つ隔てたホテルに滞在して朝から晩までのんびり各自気ままに過ごした。小・中・高生の子供たちにも起きたい時に起きて好きなように過ごさせた。ただし海で泳ぐ時は必ず一緒ということにした、あの海は何時でもサーフィンができる大波が押し寄せているので危険な浜である、親が居ないときはプールのみとした。私もよくプールで泳いだ、オーストラリア娘がトップレスで日光浴しているプールサイドをウロチョロする為に。

 キンタマーニ、ウブド、ベサキ寺院の見物等ひと通りの観光を到着後の二日間で済ませ、後はクタビーチで波と戯れ美術館や市場見物、昼寝などゆったりした時間を過ごした。中でもレギャン通りのジャランジャランは特別で毎日の日課となっていた。通りに入る前から物売りが纏わり付いてくる。「ヤスイよ安いよ」「センエン千円」と当時流行っていたプロミスリングや絵画、彫り物、水に玩具など様々なモノを手にして寄ってくる。”要らない”と言うと1本を5本10本と数を増やしてくる。数を多くしても要らないものは要らない。ようやく振り払って先へ進むと未だ付いてくる、それどころか新たな売り子が出てきて「ヤスイよ安いよ」「センエン千円」から始まる。
”もうそのセンエンの段階はとっくにオワッタというの”と笑ってしまった。いくら数を増やしても買わないと見ると、逆に「いくらいくら?」と本当にカタコトのニッポン語で聞いてくる。幾らなら買うかというところでしょう。
要らないものは幾らでも要らないものだ、と伝えたいけど言葉の壁で通じない。「センエン千円」から「いくらいくら?」になってもノーと短く言うだけだった。

 あのしつこさはもの凄い、300m、500mも後に付いて来る。1個センエンの品が10個センエンになる、どれだけぶっ掛けているのだ、まったく。道端の物売りだけでなく商店でも相当掛けられているであろうからそれ相応に値切らなければならない、という心境になる。言い値の1・2割から始めて歩み寄り交渉成立となるけど、その間にはもう買わないと素振りで店を出るのもテクニックの一つ、また同行者との連係プレーで値下げさせたりと丁々発止のやり取りを我がご夫人たちは楽しんでいた。
しつっこい道端の物売りへのウップンを店で吐き出すようなものだ。

 ある時レギャン通りの外れまで来てしまったのでtaxiでホテルへ戻ろうとドライバーと料金の交渉をした。すると1万ルピアと言う、5千にしろと言うも出来ないとの返事がきた。それでも粘るとチョット待て・・と暫らく消えてピクアップで戻ってきた。これなら8千ルピアでいいという。納得できないのでもう少しどうにかしろと話し合いを続けて7千5百で決着してピクアップの荷台に乗って帰った。
よく考えてみるとこれほど時間を掛けて値切った金額を円に換算すると200円を僅か上回る金額である、その金額でtaxiがピクアップの荷台になり、最後の50円をまけさせる為に更に10数分の時間を費やしたのには自分で自分を笑ったものだ。
 
 値切るのは金の問題だけではない、自尊心やミエが絡み合っているのだ。


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