どこ吹く風

旅のことを主に書く。

能登半島

2006年12月31日 22時23分16秒 | 懐かしい旅の記録
 エジプトツアーは、ここオキナワから参加するには前泊・後伯が必要になる。
幸い関空発なので妻の妹の家にお世話になることにした。それで帰りを2・3日ずらして二夫婦で能登半島付近へ行こうということになった。
その計画案を送ってきた。

あの辺りは縁が無く全く不案内なので地名がまるっきり分からない。ただ和倉温泉の名は聞いたことがある。これもまた調べねばならない。雪を楽しみにしておこう。
とは言うものの、寒さ対策が出来るほどの衣類は無い。エジプトもそれほど寒くないと思うので、防寒はどうしよう・・・

明日の正月は曇りで雨も落ちるでしょう、気温は例年並の動けば汗が出る程度と思われる。
どなた様も良い年をお迎えください。
--------
永平寺・東尋坊・金沢・能登半島旅行

1. 日 程   1月21日(日曜日)から1月23日(火曜日)

2. 1月21日(日曜日)の旅程 
l JR新大阪駅8時46分発(サンダーバード7号)→JR福井駅10時30分着
l 越前鉄道・福井駅10時47分発→永平寺口11時15分着
l 永平寺見学と昼食(多分そば)2時間くらい掛ける。
l 越前鉄道・永平寺口14時15分発→三国港15時15分着
l 東尋坊見物と夕陽を見る(雨天の場合如何)
l 東尋坊17時発→17時20分芦原温泉着
《芦原温泉の旅館に泊まる》

3. 1月22日(月曜日)の旅程
l 芦原温泉9時13分発→福井駅9時50分着
l JR福井駅10時12分発(しらさぎ1号)→JR金沢10時48分着
l 金沢市内の観光で、約4時間。
l 昼食は、金沢市内で、簡単に済ませましょう。
l JR金沢駅15時24分発(サンダバード)→JR和倉16時28分着
《和倉温泉の旅館に泊まる》

4. 1月23日(火曜日)
l バスで「能登半島観光バス」で一日観光。
l 和倉温泉8時30分発(あさいち号)→JR金沢駅西口15時50分着
(和倉温泉→輪島駅→輪島漆器会館・朝市→道の駅「とぎ海街道」→厳門「昼食」
     →妙成寺→千里浜なぎさドライブウェイ→金沢駅西口)
l JR金沢駅16時52分発(サンダバード40号)→JR新大阪駅19時32分着
    <夕食は、駅弁と缶ビールです。本当は、有名な居酒屋「かねき屋」で
     一杯飲みたいのですが、翌朝早いので、断念。>
-----------
 春の剣岳早月尾根からみたくっきり見えた能登半島、そこから剣岳は見えるか・・
寒そうだな~ でも楽しみ。

いよいよ

2006年12月25日 11時48分46秒 | エジプト
 先日旅行代金の残金を振り込むよう案内が来た。手付けの3万円を振り込んであるので残金を納めたら、昨日詳しい日程やら注意などが送られてきた。日程表には出発時間やら食事の場所など詳しく書かれている。
んっ! オプションが3回ある、各7千円也。それにビザ料金として15ドルに航空燃料費が1万円と幾らか。
安いツアーだが募集時には表に出ない必要経費が掛かる。

 オプションは調べてから参加するかどうか決めよう。「ギザのピラミッド・スフィンクス 音と光のショー」は行かねばならないだろうけど、カイロタワーとマニアル宮殿観光はどうしよう。その時間市場へ出かけようか。これまで時間はあったのに未だ調べものをしていない。とにかく調べて現地で決めよう。

 書類が届いたのでツアーが現実味を帯びてきた。考えてみるに出発に際しては前泊も必要なので2週間余りしかない。たっぷりあった時間は何処へ消えたのだ、本腰をいれる時期になった。
まず行き先の歴史・時代を調べる。
食べ物・オミヤゲを調べる。
・・・結局正月の双六よろしく振り出しに戻る、か。

あれこれ

2006年12月18日 09時13分59秒 | エジプト
 先日旅行社からツアー代金残額の請求書が届いた。妻は意地悪く”どうする~”なんて言う。手付金を振り込んであるので行かざるを得ないだろう。スイスに振り替えできるものならホンネとしてはそうしたいところである。
もう何処も行かなくていい、スイスへ行きたい。ただし近場の台湾・タイ・フィリピン・韓国などを覗いての事だが・・・まあゼイタクというものか。

 妻が妹と電話で長話している、終わってから言うには友人夫婦がエジプトへ行った時の注意事項として水・生野菜のことを話していたという話だった。何処の国でも水は注意事項の一つであり、筆頭に来るだろう。エジプトは特にヒドイ、注意を要するという事だろう。水には注意をしている、ミネラルウォーターかビール以外は飲まないように心がけている。
生野菜は好きじゃない、家でもウサギじゃ無いので煮た野菜がいいナマが食べられるかと文句を言うほどだから食べなくても苦痛にはならない。


 出発の前日に大阪まで出るか、前々日にするか、帰りは妹等と能登まで足を延ばす計画もあるので日程調整・キップの手配・衣類はどうするかと妻は悩みながら楽しんでいる。私としてはどちらでもいいので、どうでもいい。仕事・・おっ放り出せるように工夫しよう。

 エジプトの勉強も進まないのにもう3週間後と迫ってきた、年末に正月を挟んでの3週間だからそれほど余裕も無い。
慌てだそうか・・・

迷子はつづく

2006年12月16日 09時27分45秒 | 懐かしい旅の記録
 迷子騒ぎはあったものの空港待合室では迷子騒ぎが笑い話となり、またオプションで観劇したハーフショウーの面白さに話が弾んだでいた。私たちはタイ在住商社マンの後輩に連絡を取り、一時離団して夕食をご馳走になり本格的なタイ料理に満腹してシンハビールで喉も滑らかに語って空港まで送ってもらい一行と合流し、楽しかった思い出とともに深夜空港を飛び立った。

 早朝インチョン空港に着き、夕方福岡便に乗るまでの間ソウル観光が組まれていた。案内は日本語の話せるガイドさんで、タイでは2台のバスに分乗していたが、ソウルでは1台の大型バスに全員が乗った。
 一人のガイドで40名弱の人員を案内するのは通常行なわれている。しかしタイのガイドは30名では負担が多すぎるとJTBにクレームをつけて20名以下にさせたと話していた。それでJTBは急遽追加募集をして2台分の40名を確保しようとしたようだ。

 博物館見学のとき又迷子騒ぎが起った。つい昨日迷子で大騒ぎしたばかりなのに性懲りも無くというか教訓が生かされずに又起きたのである。構内が広くて迷うのもムリは無いがガイドか同行の者を見失わないように気をつければいいののに。韓国は服装も顔立ちも日本人と似ているから遠目には区別できないので、見失ったのだろう。

 別のツアーの万里の長城でも迷子事件があった。
ロープウェイで登り、帰りは長城を10分ほど歩いて下ったお寺ということで三々五々見物しながら歩き始めた。私の目には横路なんて目に付かなかったが、曲がった人がいたのだ。集合場所に現れずちょっとした騒ぎになった。50前の夫婦者だったが、辿り着いた時は日ごろの饒舌も消えて蒼ざめていた。きっと旦那さんの所為にされてひと悶着あったと思われる、そういう感じがする奥さんだった。
無事合流した後は笑い話になるが、言葉の通じない異国では心細いだろう。

 他人のことは言えない、笑えないが自分としては気をつけているツモリだ。集合時間はギリギリでその場所へ行き、バスに乗り込むのは何時も皆が席に坐っている中をアタマを下げ下げ自席に着く。でも時間に遅れて迷惑をかけるようなことはしていない。ましてや迷子になるようなことはしない。
集合場所と時間はアタマに入れている。(ツモリ・・)
でも気をつけねば・・・

迷子

2006年12月11日 09時34分34秒 | 懐かしい旅の記録
 ツアーで迷子、大人を迷子という言い方はヘンだが他の表現を知らないのでそう使う。ツアーメンバーが移動中にはぐれてしまった事件が起きた。
タイのエメラルド寺院から次の寺院へ移動する為に船着場まで行く途中で数名が逸れてしまった。あのツアーは日本からの添乗員は無しだった。福岡空港でチケットを渡され、釜山、インチョンではこの券を出して・・・と説明されタイへの到着は夜中、現地ガイドの迎えがあり、翌日から1週間日本語が話せるそのガイドさんとバス旅行をした。バスは2台で各々20名近くの人員だった。

 イサーンやカンナチャプリの田舎では遅れる人がいてもそれほど問題は出なかった。その日は最終日で、午後にバンコクに入り市内の寺院を何個所か廻って夕食を済ませて飛行場から帰路に着くスケジュールであった。
エメラルド寺院から船着場へ向かう時に迷子事件が勃発した。あのような雑踏の中を歩くのならもう少し事前の注意とか目印の旗なりを準備しておけばよかったのに、しかも三々五々という感じで歩き出した。列は長くなり通行人はその列に割り込んでくるし、道路を横断する時に車やバイクで遮られたりと一行はバラバラにされた。私もガイドを見失わないように気をつけていたがそれでも曲がり角でどの方向へ行ったのか迷ったほどだ。迷いながらも桟橋に着いた。他のメンバーもボチボチと到着する。しかし数名の顔が見えない、遊覧船に乗り込んで暫らく待っても来ないので皆で探しに行く。

 こちらも迷ったら困るので角々に一組づつ立ってもらい見える範囲での行動とした。大勢の人が行き交い立っているだけで邪魔になるほどの人出だ。逸れただろう地点から筋道を手分けして入ったが見つけられない。もしや別ルートで船着場に行ったかもしれないと皆に合図して戻る。しかしいない。船着場は他の船が出たり入ったりして我々の船が泊まりっ放しでジャマになっているからと、そこにいったん沖に出てで待つことになった。現地ガイド兼添乗員だけが探しに行くことになった。待つこと数十分船が桟橋に戻ったら、添乗員と迷子になった方々の顔が見えた。

 やはり角を曲がり損ねて真っ直ぐ進んだようだ。迷子になったグループはイチバン元気の良い人がいたのでそれなりに心強かったであろう。だいぶ時間をロスしたのでそれから見れたのは一ヵ所だけになってしまった。それでも宝石屋には連れ込まれた。
あとで聞くと合流できなかった場合は飛行場へ行って待つツモリだったとの事。正しい選択だろう。荷物はバスに乗っているので身一つで飛行場へ行けばいいので若干のバーツさえあればいい。他人事だからそのように冷静さを持って話せ笑えるけど、私が逸れたらどうしていたか、右往左往していたのか。

まっ、そうならないように気をつけよう。
なにせ私は金を持たずに動いているのだから。