どこ吹く風

旅のことを主に書く。

レンタカー

2010年08月19日 10時02分29秒 | ドロミテ・チロル
 今回の旅で特筆すべき点はレンタカーである。レンタカーでの移動は2度目であるが、今年はレンタカーを主な交通手段として用いたのが去年と違う。

 今回はまず東チロルへ行きドロミテを回って又チロルの谷に入るコースで回った。車を走らせながら感じたのは、私たちが動き回っている地域は意外と範囲が狭く一日で150Kmしか走っていない。運転に慣れれば車での移動は楽である。それに何もよりも嬉しいのは時間に縛られないところである。何時の汽車に間に合わせる為に・・・ということが一切無いので気楽だ。

 借りた車は、Opel Vectraという5段変速の小型乗用車で扱い易かった。バックギアーに入れるにはボタンを押さなければギアが入らないので1速と間違うことはなかった。馬力もそこそこありオーロンゾ小屋への急坂を2速で上れた。

去年は2速に入れるとエンストしそうになるので、あの坂を殆んど1速だけで上った。腕前が向上したというよりも車が良かったのだろう。
総走行距離は 1733Kmで、消費燃料 134.26リットル、給油費用 172.9ユーロなので1リッター当たりの走行距離は12.9Km 予想以上に走っている。我が家のホンダのフィットより燃費は良いようだ。

 燃料はベンジンがベターでディーゼルを入れてもいいと言われた。ベンジンとはよく知らないが、ディーゼルのハイオクなのだろうか。
運転して方向指示器とワイパーをよく間違えた、帰ってから自分の車でも同じマチガイを犯して苦笑することが度々ある。

 車から白い煙が吹き出たことがあった、たぶんサイドブレーキを完全に外れていなかったのが原因と考えられる。しかしその二日後にも臭いと僅かな煙が出た、あれほど注意して運転したにも拘らず同じ現象が起きたのは不思議だ。

 私の推測では、ブレーキ周辺の整備中にオイルが垂れたの拭き取らず、その部位が過熱して煙となったのではないだろうか。ブレーキには異常が認められず、オイルの焼けた臭いから考えて私の推測が合っているだろう。

 レンタカーに要した費用は8万円弱である、3人が11日間移動したのだからその程度の費用は他の手段でも掛かるだろう。8日間のスイスパス(セーバパス)3人で8万円以上で購入したので、レンタカーのほうが安くなると思う。
スイスパスを持っているとロープウェイ料金などが半額になるので全体として安くなるかどうか計算しなければ分からない。

 車にするか汽車やバスを使っての旅にするかの選択は、金額だけで判断するわけではない。それぞれに楽しみ方がある、しかしドロミテやチロルでは車を使った方がいいと考える。汽車やバスの運行回数が少なく綿密な計画を立てなければ見たいところの半分も回れないのではなかろうか。

 私たちは車を使ったので予期したもの以上の楽しみ方ができた。

宿泊

2010年08月16日 09時32分36秒 | ドロミテ・チロル
 旅の専門誌に”ホテルライフを楽しむ”という文言をよく見かける。具体的にどういう事をしてホテルライフ楽しんでいるのか分からない。私の場合ホテルは宿泊施設の域を出ない。それでも一応ホテルは選ぶ。

 そのときの規準はまず山の上で泊まりたい。夕暮れに霞む山々、山の頂が朝日にあたって輝くのを見る気分は下では味わえない。見渡す限りの雲海は真っ白で空は青い、しかし太陽は未だ顔を出さない。暫らくすると山に日が射し山肌は赤く染まり雪は輝く。この瞬間を見るために寒さをこらえて待っていたのだ。

 アルプスへ行ったらまず山の上で泊まるようにしている。これまでに泊まった場所はマッターホルンを見るためにシュワルゼー、ゴルナグラードのクルムホテル、リッフェルベルグでチェルマットで泊まったことは無い。

 ベルナーオーバーランドではフェルスト、クライネシャイデック、ミューレン、メンリッフェン、シーニゲプラッテに泊まった。あの辺りではロートホルンのクルムホテルを残すのみとなった。

 サンモリッツ近辺では、ムオッタス・ムラーユとディアボレッツアで、ルチェルンから湖を遊覧してリギ山のクルムホテルに泊まったこともある。
ドロミテではトレチメ(ドライ・チンネン)で有名なオーロンソ小屋とロカッテリ小屋に泊まった。

 山の上の小屋(クルムホテル)に次いでいいのが峠、峠は坂道を上りきったところなので見晴らしが良い。スイスではゲンミ峠のホテルがよかった。
ドロミテも峠にはホテルがある。道に迷い人里は遠く道は次第に細くなっていく、林の中を行き止まりにならないかと心配しながら車を走らせていると、視界が開けて牧場になり集落が見えた。そこはアンテルモイアというところで泊まったホテルは食事が良く、フルコースに近い内容であった。
その宿泊料が53ユーロ、峠の宿は2食付で大概その程度の金額である。この金額が峠の宿を好きになった最大の要因でもある。

 アルプスは峠が多いがその峠にはほぼ宿がある。それゆえ宿探しに苦労ることは無い。むやみやたら当てずっぽうに車で峠目指して上っていけば宿は出てくる。今回もサン・ペッレグリーノ峠で泊まった。街に泊まる気がしないのでカナツェーイを抜けて、モエーナを通り山道に入った。ホテルが数件あるもシーズンは冬場のようで静かだった。
「Hotel Cristallo」に泊まったがファミーリータイプの二つの寝室がある部屋だった。食事もよくフルコースに近い。峠の宿は慨して食事内容がいい、料金も2食付きで50~55ユーロとてもオトクなものです。レストランであの夕食を35ユーロと請求されても妥当な金額であると支払うだろう。

 これまでに何ヶ所かで峠の宿を利用した。すべて飛び込みだけどハズレと思った宿はありません。ドロミテやスイスへ行かれたら是非クルムホテルや峠の宿に泊まることをお薦めします。そこから眺める景色は麓の星四つ五つ付いたホテルの比ではありません。繰り返しですが食事もいいです。

さて今回の旅の宿泊費は、17泊で261.500円かかっています、3人分です。そのうち12泊はBB(ベッド&ブレイクファースト)で、一番高かったのはゴルナグラードのクルムホテルでした。3人で500フラン、ワインを頼んで一人15.000円は旅の終盤になって初めて贅沢なホテルに泊まりました。

総集編 費用

2010年08月14日 14時00分48秒 | ドロミテ・チロル
 日程をおっての記録は終り、印象に残ったことや今後の参考にすべき事を二・三記す。まず費用から。基本的には3人分を纏めて書き、個人別の金額が出るものは参考として一人当たりの金額もだします。

項目は適当に分類しました、まず交通費から。
個人旅行の場合は交通費は大きなウェイトを占めます。特に航空運賃は出発時期や予約する日にちによっても変動するので、日程を早めに決めて早期に購入したほうがいい。
 今年は行くのか行かないのか、ヨーロッパアルプスがいいのか中国四川省にしようかなど迷いが多く、結論を出すのが遅くなってしまった。そのために時機を失し10万円程度の安い航空券が無く、去年に比べて3万円ほど高くなった。

航空運賃 409.987円
  往路:関空ーヘルシンキーウィーン、復路:チューリッヒーヘルシンキー関空
航空運賃:55.400円 (2名)
  那覇ー伊丹、関空ー那覇の往復、
レンタカー使用料: 約60.000円、
スイスパス 960フラン/3人、
インスブルックーミラノ間 鉄道料金:152.1ユーロ
それ以外に有料道路料金やレンタカーの燃費などに約2万円支出している。

 交通費総額は669.400円になって、総費用に締める割合は60%に近い。
個人旅行の場合は交通費を安くするには限度がある。しかし計画を組みながら抵抗して試算するなど工夫すればもっと安くなる方法は見つかりそうだ。
例えばスイスの移動に8日間のセーバパスにしたが1日分は捨てた。ハーフチケットならどうなったか、あるいはレンタカー利用ならどうなったか等の再計算して検証すると無駄が見つかるかもしれない。

 今年は円高ユーロ・フラン安の恩恵を受けた。これが例年並のレートならヒドイ目に合ったことでしょう。
お礼は誰に言うべきでしょうか ?

ルチェルン 帰路

2010年08月13日 07時24分25秒 | ドロミテ・チロル
7月21日(水)
6:30 朝食ー7:10 ルチェルン発ー8:13 チューリッヒ飛行場着
11:15 チューリッヒ発ー 14:00 ヘルシンキ着
17:20 ヘルシンキ発ー9:20 関空着(22日になっている)
14:20 関空発ー17:00 OKA着ー17:30 我が家帰宅

 数日前から書き方が半日ずれてしまっている。
昨日ミッテルアラリンの展望台は2時間の滞在で、11時のバスでサースフェーを発ちブリグを経て3時にはルチェルンに着いた。

 スピッツで下りてトゥーン湖の遊覧もしくはベルン見物をする話も出したけど、もう充分だというムードになったのでルチェルンに直行した。フライトの関係で朝9時には飛行場に着かねばならないので、今夜の宿泊地はチューリッヒか飛行場まで1時間の範囲内にしたい。都市地区に泊まるのは好きじゃない、ルチェルンは毎回泊まっているので勝手が分かるしピラトス山と湖の景色もいいのでルチェルンにした。

 宿は毎度お馴染みの駅前のアルピナホテル、お土産の品々を買ってパッキングも済ませて散歩と夕食に出た。折れ曲がった屋根付き回廊そして石造りの塔、花で飾られたカペル橋の周りを白鳥が泳いでいる。

 それを眺めながら川辺のテーブルで最後のディナーを食べた。明るいけど時間的には遅いディナーのメニューは薄くて大きいピザとソーセージそれにビール。
この旅、特にスイスは毎日が慌ただしかった、午前中見物して午後から移動の繰り返しで連泊が無かったので尚更忙しく感じた。

 最終日は時間はかかるけど、ただ乗継乗り継ぎで帰るだけ。疲れるけどラクだ。
アルピナホテルは安ホテルーとはいえ一人85フランもするーであるが、朝食は同系列の格上のホテルでとる。ゆっくり食べていたが、ちょっと急げば1本早い汽車に乗れそうなので早々に終り駅に急ぎ飛び乗る。

 2階席の車窓からは牧草地は見えず畑に街が流れ去るだけ、アルプスは遠くに薄っすらと見えるだけ。アルプスに別れを告げたかった、名残の拝見をしたかった。
それにしてもアルプスをまた見るチャンスはあるのかな~。

 チューリッヒ空港のバーカウンターで黒ビールを飲む。ヘルシンキ航空では温かい美味しいオープンサンドが出た。ヘルシンキ空港のバーでもビールを飲む。飛行機は夕方飛び発ったけど夜に向かって飛ぶので、ほどなく真っ暗になった。寝たような寝てないような気分で時間すごす。座席に備え付けられた画面の調子が悪く映画を見ることが出来ない。
 当然だろうけど行く時のようなワクワク感はない。長い時間を過ごして関空に着いた。ナビゲーター兼交渉係の義妹と別れる、お世話になりました。
さらに時間待ちをしてNAHAへ向かった。
長いなが~い旅は終わりました。

サースフェー

2010年08月12日 13時03分43秒 | ドロミテ・チロル
7月20日(火)
7:15 朝食ー8:15 チェックアウトー8:45 ロープウェイに乗るー9:17 展望台
10:10下り始めるー10:45 ロープウェイ乗場到着ー11:02 ポストバスー12:10ブリグ着
12:49 ブリグ発ー15:00 ルチェルン着ー15:15 ホテルチェックイン
18:30 この旅最後の夕食

 昨日は逆さマッターホルンを見るためリッフェルゼーまで行き、ローデンボーデン駅に上がった。そこから鉄道で下ったので、ホテルを出て2時間半後にはチェルマットに着くという短いハイキングだった。
マッターホルンを夕に朝にと見たので、トップ・オブ・ヨーロッパのユングフラウヨッホへもシュワルツゼーへも行かずにサースフェーに向かった。

 サースフェーはガソリン車の乗り入れが制限されている、村の入口に駐車場がありそこで電気自動車やバスに乗り換えるようだ。宿を見つけ小さい電動カーで荷物を運んでもらった、ついでに我々も。村には様々なタイプの電動カーが走っていた。
三人なのでファミリータイプの部屋になった。寝室が二つに応接室がありトイレも二箇所あった。それ以外に鍵が掛かっている部屋が二室ある。一ヵ所はキッチンのようだ、もう一つは多分主寝室だと思われる。ここも主なシーズンは冬のようだ。

 ミニ列車で村を一周し、夕食は郷土料理を出すレストランへ行った。注文した品を写真で記録していたら、隣のオジサンが自分の料理を指さしてこれも撮れという。おもしろい人たちだった。
ここまでは昨日の話

 今日はこの旅の実質的な最終日となる。チェックアウトしたが荷物はホテルに預けてロープウェイでミッテルアラリンの展望台へ上る。乗場は離れているがロープウェイが2本かかっている。乗場の近いところは途中で乗り換えがある、しかもトンネルを走るケーブルカーだ。もう一つは展望台まで直通のロープウェイであった。

 展望台のレストランは回転式になっている、そこからマッターホルンが見えるかと思って行ったけど見えそうも無いのでコーヒーも飲まず展望台のベンチから眺めた。スキー用のリフトも動いていて、強い陽射しを浴びながらスキーヤーが滑っている。

 ミッテルアラリンの雪景色・氷河が眩しい、雪とも当分お別れだこの次はいつ何処で雪を見ることができるのだろうか。

ゴルナグラード

2010年08月11日 09時07分23秒 | ドロミテ・チロル
7月19日(月)
5:15 展望台へー7:00朝食ー8:35ハイキングスタートー9:45 池で逆さマッターホルン
10:42ローデンボーデン駅発ー11:00チェルマット着ー11:16同発ー12:23スタルディン着
12:25 ポストバスー13:00 サースフェー着ー13:40 チェックイン
15:10 街を一周するミニトレイン乗車ー18:30 夕食

 ゴルナグラードのクルムホテルは初めてスイスのガイドブックを開いたとき泊まりたいと思った。サンモリッツで”あとは二人で回って見てきなさい。”とスイス指南役の先輩と別れ氷河急行に乗った。山小屋に電話をしたが繋がらない、チェルマットの日本語ガイドデスクに電話すると、改修中で休業中とのことで泊まれなかった。

 その翌年新装なったホテルに泊まった。ホテル並みになったのでニッポンのツアー客に人気が出たのかその次は満室で泊まれなかった。今年は日曜日だった所為か空き室があり、しかも案内された部屋に入ると窓からマッターホルンの雄姿が飛び込んできて思わず感激の声が出た。
たしか二つ星の山小屋に分類されているが、私たちが旅行中に泊まったホテルの中では一番立派なホテルである。外観は石壁でゴルナグラードの風景に溶け込み落ち着いた雰囲気があり、部屋も高級ホテルクラスとなっている。
料金もそれなりに高く他の小屋やベッド&ブレイクファーストの2~3倍で、今年は三人部屋二食込みで500フランだった。朝日夕日に映えるマッターホルンを部屋から眺め、ワインを傾けてのディナーは旅行期間を通じて唯一贅沢するホテルです。

  クルムホテルはニッポン人ツアー客が多い。私たちが泊まった日も何組かのツアーグループがいた。添乗員が何か話しているのを聴くとも無しに聞いていると「特別に上の天文台で星を見ることができるようにしました。10時にお集まりください。見たい人だけでけっこうです、全員が参加するなら二グループに分けて・・」と説明している。

 天文台は一般開放しているのか。ディナーのときツアー客の星を見る会の話をすると交渉担当が早速フロント行って我々も見れることになった。
10時に最上階の天文台入口に行くとツアー客がおり、添乗員は「私たちは特別に・・・」と意外そうに言う。”フロントで申し込んで10時に集まるように言われました。”と答えるとちょっと不満そう。客の中に英語ペラペラのオバチャンがおり天文員に「あの人たち(私たちのこと)は別グループだから」云々話ている。
ちょっとイヤミのオバチャンだ。

10名までなら入れるからとツアー客が全員入室させ、あなた方は待つようにと天文員は言い残して中に消えた。30分ほどで皆さんが出てきた。「テレビ画面を見せて説明し、外で星の話をし、次に写真で・・・全部英語で話すので・・」と少々当てが外れた感じで私たちに説明してくれた女性がいた。

 私たちは3人だけで中に入る。望遠鏡は月を捉えていてPCの画面に映し出されている。月のアバタがくっきり見えて、「ここが海でこれはクレーター、アポロが着陸したのはこの辺りで・・・」と説明が始まった。次は外で星の説明を始めた、北極星や1等星のことだったので、私はせっかく説明してくださるので理解していることを伝えたくて、夏の大三角形のことを聞いた。”サマー・トライアングル”と何回か繰り返すとようやく分かってくれて別の方角へ連れて行きレーザー光線のペンライトでアルタイル・デネブと示してくれた。

 その後中に入り写真を見せながら星雲の説明があった。ここの望遠鏡で撮影したのだろう星団・星雲の写真が多数ある。私も乏しい知識を一生懸命引っ張り出してこれまた乏しい英語で相槌を打ったり質問した。M51と言うので、こちらもM51と繰り返すと少しは知っているな、という感じになった。そこでオリオンと言うと写真を捲って探し見せた。馬頭星雲の写真を見せたので、バラ星雲というのがあるのを思い出して”ローズ”と何回か言うとようやくバラ星雲と分かってくれた。

 素人向けに観察会を開いてくださっているので、何らかの反応しないと悪いと思って一生懸命なけなしの知識を出した。天文員さんも無反応より良かったのではなかろうか。
ゴルナグラードから見た星空は思い出に残ります。

 翌日は逆さマッターホルンを見にハイキングをした。池がある場所を知らないけど誰かの後を着いていけばいいと適当な人を物色した。昨夜のあのツアーも専門ガイドを雇ってハイキングのようだ。また聞き耳を立てると池のほうへ行くらしい。着かず離れずの状態で後を歩いた。ルートが分かったので追い越して先へ進んだ。

 整備された道で下りなので写真を撮りながら難なく池に着いた。日が上がっているので池は漣が立ちマッターホルンが揺れている。4回目のゴルナグラードで初めてこの池に来た。マッターホルンを眺める名所の一つ、もしくは筆頭に挙げる方もおられるであろうこの池はもっと早く来るべきだったのか。

 マッターホルンは形が美しい、三角に切り立ち先っぽに朝日が当たると神々しささえ感じる。初めて見た時の感動は今でも覚えている。ゴルナグラード鉄道にのるとチラチラ見えはじめて森林帯を抜けると目の前に全貌を現す。雲がもう少し上がってくれればとやきもきしながらカメラを放さなかった。姿形がこれほど良い山は少ない。
いい山です。

 しかし又マッターホルンは飽きがくる山でもある。非常に矛盾しているけど私の実感です。マッターホルンはもういいから下りようと、チェルマットからブリグまで下りて泊まったこともある。
この「飽きがくる」ことはいずれ書こうと思っています。

 逆さマッターホルンを見たのでサースフェーに移動した。

写真はゴルナグラード・クルムホテルの窓から見えたマッターホルン
このブログの表紙にあるマッターホルンはゴルナグラード中腹にあるリッフェルベルグのホテルの窓から見えたものです。

エルブロンネ

2010年08月10日 10時09分28秒 | ドロミテ・チロル
7月18日(日)
6:15 ホテル発ー6:55ロープウェイ発ー7:18エギュー・ド・ミディ着ー9:30エルブロンネ発11:00 チェックアウトー 11:38 シャモニー発ー12:10 Vallorcine 着ー13:00同駅発
14:00 マーティニー着ー 14:08 同発ー14:50 フィスプ着ー15:10 同発
16:20 チェルマット着ー 17:12 ゴルナグラード鉄道発ー17:45 ゴルナグラード着
17:50 チェックイン 22:30 星を見る会

 モンブランは早朝見るに限る。ロープウェイは6時半から動くので始発に乗るべく急いで駅に行くと既に大勢のアルピニストが並んでいる。客がいるとピストン運行するのでそれ簿度待たずに乗る。ガスが街を覆っている、そのうち晴れるだろうと期待しながら上がると周りの景色がぼやけた思うとガスの中に突っ込んだ。周りは真っ白け、しかし間もなくガスを抜け青空が見えた。谷間や盆地の朝はガスが掛かり易いのだ。

 モンブランの頂はなだらかだが目の下の氷河は縦横に割れて荒々しく流れ下っている。静と動のモンブランが静かに迎えてくれた。悪天候でロープウェイがストップしたこともあった。去年は寒さに震えながらご来光を拝んだ。今年は心配した天候も晴れておりホッカイロも準備したので充分景色も楽しめるだろう。

 エレベーターで展望台に昇ろうとして目をやると、3776と書かれている。見覚えのある数字だと考えると富士山の高さだった。ここが富士山の頂上と同じ高さなのか、偶然にしてはできすぎている。日本人向けのジョークかな。

 モンブランは目の前にある。左手には三大北壁の一つグランドジュラスも悠然と朝日を背にして聳えている。たしかバットレスが有名だったが何処になるのか。もっと左に目をやるとドリュの針峰群も近い。遙か彼方にマッターホルンが見える。逆光になるのも構わずシャッターを切る。

 今年は寒さをさほど感じない、ホッカイロの所為だけもなさそうだ。エギュー・ド・ミディからの展望を満喫したのでエルブロンネに渡る。三連のゴンドラがある間隔で吊られている、幸い尖塔の箱に乗ったので視界良好。
眼下には氷河のハイキングを楽しむのか、それともロックに挑むのかクライマー姿のグループが何組も列を成している。
またキャンパーもいて赤やオレンジのテントが幾つも見える。

 ゴンドラは時折り止まる、駅で客を乗り降りさせるために止まるからである。その間氷河の上で宙ぶらりんになって辺りの景色がゆっくり見れるし、写真タイムでもある。ガタンと動き出し又止まる、それを繰り返しながらエルブロンネに着いた。

 通常昼間にこのルートを乗ることになるが太陽が上がりすぎてベタ光線になるので山の襞の陰影がハッキリせず平面的になるけど、早朝は光の加減で陰影がくっきり山を浮かび上がらせる。山の景色を見るには早朝に来るべきだ。

 エルブロンネも写真を取り捲り戻ろうとしたら上がってきたイタリアのご婦人が山を指してモンテビアンコと言う。ビアンコは白なので白い山と言うているのだ、白い山しろいやまと考え、白はフランス語でブランカという、ハンフリー・ボガードの有名な映画カサ・ブランカのブランカだ。
つまりモンブランのことだ、イタリアではモンテブランカと言うのだ。モンブランがここでも見えるとは思わなかった。ただその山は何故かどっしりした山だったので数枚写真を撮っていたが、再度展望台に行ってモンテビアンカをバックにスナップ写真を撮った。

 チェックアウトの時間ギリギリの11時前にホテルに戻る。大急ぎで荷物を下ろしてチェックアウトした。これからチェルマットへ行きゴルナグラードのクルムホテルに泊まる。フロントの無愛想なご婦人にお願いして予約した。女将さんはおしゃべりで愛嬌のある方だったが、この人はどこか事務的だ。
この宿に泊まるのは3回目だと言うと、次ぎはディスカウントしましょうと無表情で答えた。しかし朝食時間に間に合わなかったのでその分若干安くしてもらった。愛嬌が無く事務的に対応してもらっても安くしてもらうとわだかまりも消えた。

 せっかくシャモニーまで足を延ばしたのだからゆっくりしてもいいけどモンブランを見たのでもう満足だ。駅に行くとVallorcine行きの汽車が入ってきた。接続があるだろうと飛び乗ったがマーティニーへの接続はなし。1時間ほど待たねばならないので昼食にする。駅からリフトが動いているのが見える、時間潰しにそれに乗ろうと思ったが止まってしまった。きっとランチタイムの休憩だろう。

 ベンチで休んでいるとご婦人にフランス語で”マーティニー行きはこのホームか?”と聞かれた。(と思う)そこでフランス語で返事をした「J'e ne sa pas!]と。「知らない」というフランス語は多分そういう言い方だったと記憶している。マダムを入れれば完璧だったかな。

 以後乗り換えも順調にいきチェルマットに着いた。

エッギスホルン

2010年08月09日 16時41分47秒 | ドロミテ・チロル
7月17日(土)
7:15 朝食 8:14 ディセンティス発ー9:18アンデルマット発ー11:00フィーシュ着
11:30 ロープウェイー11:50エッギスホルン着ー12:20 十字架のあるピーク着
12:50 ピーク発ー13:45 ロープウェイで下山ー1515フィーシュ発ー15:50 ブリグ着
15:57 ブリグ発ー16:50 マーティニー着ー17:01 同発ー17:50 Vallorcine で乗換
18:00 同発ー18:33 シャモニー着ー18:50 ホテル・イザベル チェックイン

 ディセンティスは氷河急行の路線のほぼ真ん中に位置する駅である。また急坂用の機関車を連結する駅でもある。オーバーアルプパスヘーエまでは上りが続き眺めが楽しめる。峠を越えると下のほうにアンデルマットが見えてくる。この路線は何回か通ったがこの辺りの景色も好きだ。

 アンデルマットに着いたら、近くに「悪魔の橋」というのがあるので其処へ行きたいと突然言い出した。いくら自由気ままな旅と称していても、たった今ガイドブックに書かれている事を読んだからと思いつきで言われても困る。即却下した。
今から考えると、その悪魔の橋を見に行けばよかった。スイスに入って二日目だったので幾らでも日程変更はできたはずだ。

 その発言がもう1時間ほど前なら考える時間もあっただろうに。アンデルマットで汽車を乗り換えた直後だったので思考力が停止していた。
エッギスホルンからアレッチ氷河を見るためにフィーシュで降りた。荷物を駅に預けてロープウェイで上る。キューボーデンで乗り換えエッギスホルンに着いた。ピークへは稜線伝いに岩山のルートを20分ほど歩く。小屋からの展望よりも視界が開けている。ルートは見た目には険しそうに見えるけど案ずるより生むが易しです。

 ユングフラウやメンヒが見える。アレッチ氷河は雄大だ。ユングフラウヨッホから眺めるよりも、下から見るほうがスケール感がある。天気は晴れているが雲が湧き易い日で紺碧の空は望めない。
山のピークには十字架が設置されている場所が多々ある。エッギスホルンにもある、こちらのは鋳鉄製で風格があるものだった。ランチを取って下山する。

 実はミラノ駅で靴底がパックリ剥がれてしまった。接着剤は数年でその効力が落ちて靴底が剥がれるのはよくあることらしい。今日まで縛って歩いていたが直に外れるて歩きにくかった。それで靴を買ってもらった。
フィーシュは田舎町なのにアウトドアの店がある、山歩き・スキー客が多いのだろう。店員は私の靴を見て大笑いしていた。ゴアテックスの上等な靴を買ってもらった、240スイスフラン也。アリガトウ!
以後快適に歩くことができました。

 これからシャモニーまで行く予定。ブリグ行きの汽車は延着で駅でも長い間と待っている。車掌にブリグで次の汽車に間に合うかと聞くと、何のためらいも無く即座にNOとの返事、少しはスミマセンという気持ちを出せばいいのにと思うほどあっさり言われた。
単線の待ち合わせにズレが出たのか、工事の影響が出ているのか。とにかく遅れを気にしている様子はなかった。

 戻ったらスイスで列車事故というニュースが流れた。氷河特急というのでチェルマット寄りかと思い気をつけて見たり、読んだりするうちにフィーシュの近くだと分かった。
車掌のあの時の様子から類推すると、時間の遅れを取り戻す為にスピードを上げるなんて事は考えにくい。原因はいったい何だろう。

 スイスの汽車の時間はだいたい1時間に1本で、毎時同じ時間(○分)に運行されている。それでブリグに15分延着したので次の汽車まで40分は時間があると考えてトイレに行き、マーティニー方面へのホームは何処かと列車の案内板を見ると3分後に出る汽車がある。交通の要所ブリグともなるとあちら発こちらら発の列車があり幹線は20分に1本走っているのだ。大慌てでホームへ行く。
1時間に1本だ、という固定概念、浅い知識は捨てねば怪我の元になる。

 マーティニーでは10分の待ち合わせという都合の良い乗り継ぎだった。汽車の出入口でお先にどうぞと譲り合ったオジサンが日本語べらべらでシャレまで言う人だった。車窓から見える杏畑で赤い実が生っているのは新しい品種の”京都"というもので甘く美味しく高値で取引されていると説明してくれた。
その方は一駅で降りてしまった。愉快な方でした。

 国境付近のVallorcine駅でフランスの汽車に乗り換える。長いトンネルを出るとドリュや氷河が見えて又来たのだとの感慨が湧いてきた。
宿は予約無しでポワン・イザベラに行った、案の定空き部屋があった。駅に通じるメイン通りに面していてモンブランが見える部屋だ。このホテルに泊まるのは3回目となる。

 前回教えてもらった郷土料理の店ーLe Fer a Cheval-へ食事に行った。そこは宿から近く料理の価格も安い、フォンジュは1人前から注文できるのもいい。
場所は駅を背にミッシェル・クロ通りを150mほど歩くと十字路になり、右手は公園で戦争慰霊碑の戦士の像がある。その像の後に駐車場があり其処に面したレストランが郷土料理の店です。

 その夜もホンジュやハム・ソーセージなど三人前の食事とビールで65ユーロでした。

ランドヴァッサー橋

2010年08月08日 09時08分36秒 | ドロミテ・チロル
7月16日(金)
6:05 ホテル発駅へー6:20ミラノ発ー8:50ティラノ着ー9:40 ティラノ発
13:02 サンモリッツ発ー 14:05Filisur着ー14:40 橋を上から見る
16:05 橋を下から見るー 17:10 フィーリーズ発ー18:00 ライヒナウ Reichenau発
19:11 Disentis 着ー19:40 チェックイン

 6時20分の汽車の次は8時になるので無理してこれに乗る。ティラノまで2時間半も掛かるし、ミラノからは昨日通ったルートとは別の路線を走っている。インスブルックからティラノへは朝出発しなければ着かない、そのくらいの時間を要する。

 当初の予定したFeldkichからリヒテンシュタインを経るルートならてサンモリッツに夕方着けただろう。しかしループ橋を見るには往復しなければならない。どちらが良かったのか、一長一短というところ。

 ティラノ駅でセーバパスを買うもレート換算に納得がいかない。これほどユーロもスイスフランも下がっているのに全く反映されていない気がする。
ベルニナエクスプレスは無蓋車に乗った。風を受けての車窓からの氷河見物は気持ちが良かった。沿線のハイカーやバイク乗り(自転車)と童心に返って手を振りあった。

 サンモリッツ周辺は山や湖のきれいな場所が多いけど、今回はランドヴァッサー橋が目的なので次の汽車で発つ。若干時間があったので駅でサンドイッチとビールでランチにする。フィーリーズの駅は谷の中腹にあり、橋を上ないし横から見るには難なく行ける。しかし橋を下から見るとなると下っていかねばならない。最初から下のほうへ行けば林や牧場を苦労した歩かなくての良かったのに。

 石で覆われた橋脚が立ち上がり汽車が通る様子はポスター写真そのもの。汽車で通過する時の景色もいいが、帰社が通過する様を見るのもいい。2~30分待てば上り下り、それに貨物列車が通るのに出会うことは確実だ。

もし橋見物へ行くなら最初から下って行くのが良い。見える景色が違う、時間も2時間あれば橋を列車が何本か通るのが見られるでしょう。横河から見たいと思う人も下まで行き線路まで上るほうがいいと思われる。
駅から大通りを下り、広い牧草地に出た所に橋がある、そこを渡って道なりに行けば橋に行けます。駅にルートマップもおいてあった。

 私たちは上の展望所へ行きガッカリし、それから道なき道を下ったため時間を費やしてしまった。初めから大通りを下れば時間の節約になったであろう。そのためにアンデルマットへの接続列車がなくなり、グラウビュンデン州を基盤とするレーティッシュ鉄道の終着ディセンツまでしか行けなかった。

 駅員にホテルの空き室を確認してもらい一番近いところに泊まった。風呂に入り付設されているレストランへ行くと、9時に厨房が閉まったので食事はできないという。フレンチフライポテトとビールをディナーとした。

チロルを後に

2010年08月07日 10時12分16秒 | ドロミテ・チロル
7月15日 (木)
7:30 朝食 9:05 ホテル発ー9:28 ロープウェイで上るー9:46 Gamsgarten 3630m
9:52 ガスがかかり見えないので下山 ー10:10 ロープウェイ乗場ー10:20 発 11:25 インスブルックレンタカー営業所(走行距離 105Km 全走行距離 1733Km)

11:52 インスブルック駅ー(ランチ)-13:27 インスブルック発ー15:28 ボルツアーノ17:07 ヴェローナー19:10 ミラノ着ー19:35 チェックイン

 泊まった場所をGoogleEarthで調べたところフォルターラウ Volderau という小さな集落で、谷の奥のロープウェイがあるのはムッターベルクアルム Mutterbergalmであった。画面を更に動かすと山の反対側の谷にゼルデン Solden が出てきた。エッツタールとシュトーバイタールは一つの山を挟んだ隣だどうしの谷だったのだ。

 昨夕は宿を探して10Km ほど下ったので今日は上りなおす。途中道路工事で片側交互通行の箇所も工事は未だ始まっていない。乗場に着くが雲行きが怪しい、山頂はガスが掛かっている。せっかく此処まで来たのだからと晴れ間を期待して上がる。

 ロープウェイを乗り換えて上まで行くも、案の定というかザンネンながら霧、晴れるのが期待できそうもないので早々に下る。ロープウェイから下の方を見ていると乗換駅の近くに宿泊施設らしいものが見えた。シマッタ~昨日このような場所にヒュッテがあるのを知っていたら泊まったのに。石造りの壁にDRESDNER HUTTEとあった。又行く機会があれば泊まろう。

 チロル最後の山はガスっていたがもうチロルはこの程度でヨシとしよう。レンタカーを返却しにインスブルックへ向かった。
途中ノイシュテフ・イム・シュトーバイタール Neustift Im Stubaital の教会前の郵便局による。この教会はガイドブックに載るほど有名なようだ。

 レンタカーのインスブルック営業所は二度目なので難なく着く。車をチェックすると後部に傷が付いていると言う。バンパーならともかくバンパーより内側に入った箇所に傷が付くなんてあり得ない、木の枝のように上から垂れ下がったモノに当たったのか覚えがない。片言の英語と手まねで一応説明した。知らないとはいえ傷らしきものがあるのは確かなので処理費用を請求されてもしょうがないだろう。

 延長料金と乗捨て費の説明を受けていると、傷の査定のとき私とやり取りした人が来て傷は自分が磨いて直すのでOKだと言う。ありがあとう! カードで支払い駅までのタクシーを呼んでもらった。

レンタカー費用はインターネットで予約・契約した際の40.898円、今回の日数追加と乗捨て料金168.5ユーロの総計約60.500円、延11日間で1.733Km走り、134.26リットルのベンジン(ディーゼルの一種)を給油しその燃費は172.9ユーロだった。
リッター当たり12.9Kmも走ったのにはビックリ、アウトバーンはそれほど走らず主に山道を走り回ったので燃費は良いほうだと思う。狭い道路でもぶっ飛ばすので燃費が向上したのだろうか、車はオペルでした。

 さていよいよスイスだが、見たいところ行きたい所をピクアップすると、ベルニナエクスプレスのループ橋、ランドヴァッサー橋を通る汽車を見る、アレッチ氷河、逆さマッターホルン、エギュー・ド・ミディからエルブロンネそれにサースフェーなどである。

 そこをどのように効率的に回るかを考えてティラノからスイス入りすることにした。それでインスブルックからティラノまでの切符を買おうとしたら、ティラノ行きはミラノで買えとのこと。
貴社の出発まで時間があったので駅前のレストランでランチタイムにする。車から解放されたので久しぶりに昼からビールが飲めた。黒ビールの冷たさが喉を通るとき刺激を与え咽そうになる。

 汽車は6人掛けのコンパートメント、やはり速い1時間半でボルツアーノ Bolzanoに着く、ドロミテ街道の入口なので思い出がある。車内でも買い置きのビールを飲む。車掌にティラノへ行きたいのだが乗継便について尋ねるも、オーストリアの汽車なのでよく分からないようだ。途中からイタリア人車掌も乗り込んできたがやはり分からないようだ。

Veronaを過ぎると間もなくミラノに着いた。インスブルックから6時間弱の7時10分になっていた。まず今夜の宿を決めねばならない、ガイドブックも資料も何も持っていない。駅前にはホテルがあるはずだ、と当てずっぽうに駅を出て付近を見回すとHOTELの看板が目に付いた。ビルの一角の出入り口にインターフォンがあり、それを通して交渉すると満室とのこと、一つ星だったのにザンネン。出入り口の反対側にもインターフォンがありこちらは二つ星、AKIBEYAがあるとのことなので其処に決めた。

 映画に出てきそうな鋳物製の扉のエレベーターで上がる。たまたま降りてきた人がいなければ操作の仕方が分からなかっただろう。日本人客も来ると女将さんが話していた、片言の日本語も使う。ホテルの格より利便性と経済性を選択するニッポン人が多くなったのだろう。また夕食を食べに街へ出ている時間に補助ベッドを作るとのこと。せっかくミラノに来たのだからせめて駅前だけでも見ておこうと出かけた。
私たちが駅から出たのはやはり裏側で正面はビルが立ち並び高級ホテルも見えた。自然に安ホテルの方向へ足が向くなんてビンボウ旅行の習性が身に着いたようだ。(笑)

 スタンドの売店でビールを買いホテルで例の如くチーズやハムでディナーにする。スタンドのお兄ちゃんも片言の日本語をしゃべった、さすがミラノだ大勢来るのだろう。
暑い、クーラーは2時で切るけど特別明け方まで延長してつけておくと女将さんは勿体ぶって話していた。しかし夜明け前もそれほど涼しくなかった。

 駅でティラノまでの切符を買った、6時20分発なのでミラノ滞在は11時間である。

写真はシュトーバイタールで泊まり損ねた山上のホテル DRESDNER HUTTE です。
未練たらしく載せておきます。

シュトーバイタール

2010年08月06日 10時17分32秒 | ドロミテ・チロル
7月14日(水)
7:25 朝食 8:25 スタートー8:38 ロープウェイ乗場ー9:15 頂上駅
11:10 ロープウェイで下山ー11:40 乗場発ー12:00 フィンケンベルグ
12:50 アルプバッハ着ー13:30 昼食後発ー14:55 シュトーバイタール着
15:15 ロープウェイ駅発ー16:10 チェックイン 馬場の宿
18:00 夕食(レストラン)     (走行距離 173Km)

 スタート時の走行メーター1495Km 本日のコースはマザイト(Madseit)→マイヤーホーフェン→Albbach(オーストリアで一番美しい村)→シュトーバイタールまで

 朝暗いうちに起きる。雪の山は良く見える。写真を撮るも赤焼けた空は撮れない。
朝食後ロープウェイに向かう、8時チケットの発売開始で8時15分始発とのことだったが、ホテルを出たのが8時25分だった。
駅では大勢の人が列をなしている。ほとんだがスキーヤーのようだ。3本のロープウェイを乗り継いで行くのだが、次第に混雑の度合いが高まってきて、終に押しあいへし合いしながら大混雑の中ゴンドラに乗りこんだ。皆さん一刻も早く滑りたいのでしょう。割り込みするのは中国人だけじゃないことが分かった。(笑)

 上は雲ひとつなく遠くの山々まで見える。オーストリアの山は馴染みがないが、先日行ったツックシュービッツを見つけ、さらにグロスグロッグナーも探した。展望台直下はもうゲレンデなので大勢のスキーヤーが快調に滑り降りていく。リフトは3本動いていてコースもいろいろ取れそうだ。スキー好きには魅力あるところだろう。レンタル料金を聞くと靴とスキーで21ユーからあるとのこと。スキーの手入れが段階に応じて5~27ユーロとある。私を一度だけスキーをしたことがある、その程度の腕前なので固い夏の雪では転ぶと尻が痛そうだ。一番滑らないスキーならスタートの緩い斜面を滑れただろうか。(笑)

 景色を充分眺めてから下りた。次はオーストリアで一番美しい村として「歩き方」に紹介されていた村へ行く。小さな集落だが各戸のベランダが色とりどりの花々で飾られている。ただそれだけ。車なので行ったという感じ。もちろんロープウェイがあり、ハイキングコースも設定されているので、それなりの保養地なのだろう。

 これから目指すところはシュト―バイタール、アウトバーンを使うと谷の入り口までは難なく行ける。そこからは予想以上に長かった。
ロープウェイ乗り場で聞くとこれから登っても15分しか時間がないとのこと、しょうがないので明日に回し宿探しをするが、この辺りは8月オープンなので宿も休業中が多い。5~6Km下って探し何軒か回って宿を見つけた、幸いベランダへ出ると山が見える。

 夕食は近くのレストランで郷土料理を頼む。大きな団子とベーコンエッグとポテトとなんとか。傍を流れる川の流れが激しい、氷河や雪渓が溶けて一本の川となって流れているのだろう、音も大きい。
食事中は蝿を追うのに悪戦苦闘、数十匹の蝿の大群が食べ物に群がる、それを手で振り払うように追っ払うのだが切りが無い。レストランの主人は笑いながら蝿叩きを持ってきたが皿に群がっている蝿をその上で潰すわけに行かない。テーブルにとまっているものを叩き潰しても焼け石に水。

 テーブルに少しお裾分けを置いたら大半の蝿がそちらに移動した。それでも皿の上で手を振りながら食事を続けた。牧場に近いので蝿が多いのは止むを得ない、グリンデルワルドでもそうだった、酪農イコール蝿なので諦める以外にないだろう。
憧れのスイスやチロルの現状を理解しているのかな、みなさんは。

 宿は馬好きなオーナーのようで絵画や小物は全て馬をモチーフにしている。階段の一部の壁がガラス窓になっていて馬が数頭見える。その上は納屋となっていて干草が詰まっていた。
隣の棟は屋内調教場で馬術競技の柵越えの練習をさせていた。4~50cmの高さのバーも足に引っ掛けて落としている。馬は訓練しないと跳べないのだ。馬は全部で20数頭いた、預っているのもいるのだろう、馬の運搬車も格好が良い。
お客は我々だけ、乗馬の客専門の宿かもしれない。普段馬に縁がないので馬場・調教・干草などを見て非日常的体感をすることができた。

 明日はスイスへ向かう。予期せぬ馬の宿はチロル最後の思い出になった。蝿のたかる食事は、あんなものですスイスやチロルの酪農地域では。

ツイラータールへ

2010年08月05日 09時58分24秒 | ドロミテ・チロル
7月13日(火)
8:00 朝食ー 9:55出発ー11:20 Innsbruckのレンタカー営業所ー11:35 営業所発
12:30 シュワッツのスーパーで昼食ー13:05 発ー13:05 アッヘン湖畔ー13:50 発
14:15 ツイーラタール入口ー15:00 Tuxー15:20 Hintertux-15:55 宿探しへ
16:00 チェックイン Madseitのホテル-17:45 夕食 (走行距離 210Km)

 道路沿いの温度表示板は15℃となっている、この時期はそれほど気温は下がらないようだ。朝食内容は他の宿と似ている、バイキング方式ではなく女将さんが一人びとりに運んできた。花柄のワンピースはニッポンの初老の方は着ないだろう。

 ユーロが切れその上この宿もカードが使えない。銀行が8時に開き日本円が両替できることを前日確認して泊まったので、朝食後まず銀行へ行き両替して支払いを済ませた。
レンタカーの使用期間が今日切れるがもっとチロルを回ることに下ので延長交渉のためまずインスブルックの営業所へ向かった。

 大きな町へ向かうのは楽だ、アウトバーンの降り口さえ気をつければいい。少々もたつくも営業所に着く。延長の話をすると、明日の3時半までの契約になっているとのこと。レンタカーの契約は24時間を1日とするので9日間借りると延べ10日間乗れるのだ。一瞬”80日間世界一周”の最後の一日を思い出した。
 借りた時間が3時半なので明日の3時半が期限となる。それでも1日延長を申し込む、つまり明後日返すことにした。

 インスブルックの街を抜けまずアッヘン湖に行く。湖のあるリゾート地で日向ぼっこや水遊びなどで楽しんでいる。中年のでっぷり太ったおばちゃん二人が水着に着替えていた。ここはヌーディスト村かと思う光景だった。デブおばちゃんのヌードを見ようとは思わない。若い子がビキニでバドミントンをしているので妻を撮るふりをしてシャッターを切った。オーストリアは夏の太陽が怖くないのか、恋しいのかハダカのような格好が多い。オフィスでもタンクトップが珍しくない、いわんやリゾート地では・・・

 ツエラタールに向かう。道もよく上り下りも緩やかなので運転も楽だ。マイヤーホーフェンに着いた。まだ時間があるので宿探しは後回しにして車を山に向けた。また峠道だ。
 ナビゲーターはこの先に峠があるというので峠まで行こうと上った。ところが村の名前を記した表示板を見るとどうも隣の谷を走っていて行き止まりになっている。どうせのこと時間はあるし行き止まりなら、それはそれで区切りがつくのでどんどん走らせた。雪に覆われた山が見えホテルも散見される、それも四つ星が多い。リゾート地なのだろうと最奥まで行くとロープウェイがある。

 チケット売り場へ行くと、3本のロープウェイを乗り継いで頂上まで上がるが、この時間なら一番上へは行けないと言う。それでもいいから上ろうと切符を買った。そのときナビゲーター役がここが我々の目的とする場所だと気付いた。

 マイヤーホーフェンから雪山にロープウェイが出ていると思っていた。ここに来たのは時間つぶしの散策だったのに、知らずに目的地に辿り着いていたのだ。もしマイヤーホーフェンで泊まっていたら、ここまで上って来ること無く別のロープウェイに乗って帰ったかもしれない。

 それなら朝からゆっくり眺めようと考え直しチケットをキャンセルした。この近くで宿を撮りたいのだがあいにく四つ星五つ星しか見えないので少し下ったマザイト Madseitところで探した。夕食は近くの四つ星ホテルのレストランでチロルの郷土料理を食べた。ガイドブックの写真を指さして注文したらシェフを連れてきた。この写真通りにはならないけど同じようなものは作れると出してくれた。ビールを含めて三人分で69.1ユーロは質・量・金額とも満足できるものであった。

 ベランダの目の前は牧場、夕暮れ迫る蒼い空に雪山が見える。良いロケーションの宿でした。

写真説明:必要なし アッヘン湖畔

注) 日本標記は難しいもので、Madseitはマザイト、Hintertuxはヒンタートックスもしくはヒンタートゥックスと読むようだ。GoogleMapではヒンタートゥと標記されている、しかしこれで検索しても出てこない。
ついでに氷河ののピークは、オルペラ(Olperer 3476m)山と知りました。

Oberguruglからエアヴァルドへ

2010年08月04日 10時19分56秒 | ドロミテ・チロル
7月12日(月)
7:30 朝食ー9:03 ロープウェイ乗場ー9:18 Hohe Mut Almー
9:35 ハイキング スタートー11:00 貯水池ー12:10 昼食ー12:50 ホテル駐車場
13:00 ホテル発ー15:00 Fern Passー15:25 エアバルトー16:00 Zugspitz へ上がる
16:40 最終便のロープウェイで下る
17:30 チェックイン  (走行距離 105Km)

 チロルについて出発前に殆んど調べず、現地で「地球の歩き方」を捲って俄仕込みの知識で動いた。それ故地名や山の正確な名前すら覚束ない状態でした。ここに書く時調べたものの誤りもあると思います。ご了承の程を。

ロープウェイ乗場へ行くと運行開始時間前というのに既に大勢の人が並んでいる。ここは有数の人気の地なので日本人団体の姿も見える。リフトからの眺めもいい、村は絵に書いたような静かなたたずまいで、遙か彼方まで山が連なっている。
リフトを降りるとホーエ・ムートで左右に氷河を従えた山が見える。

 まず展望のよさそうな丘があるので其処まで行き景色を眺めてた。この尾根をず~っと上り詰めた峰がキルヒェンコーゲル(3280m)で、左にガイスベルグ氷河、右はロートムース氷河である。


 ハイキングコースは幾つかあるようだ。もっと上り氷河近くまで行くコースもあるようだが、私たちは3時間の軟弱コースにした。ニッポン人のハイキンググループと出合い、いいカメラを持っている方に写真の撮り方を教わった、彼らは上の方へ向かったので健脚コースだろう。

 足元は芝生と牧草なので足に柔らかみを感じる。氷河が溶けて岩肌を流れる箇所がある、滝となって激しく落ちる場所もあった。それらの水が集まり川となって村の中を流れていく。けっこうな水量にる。暫らく下ると小屋と池が見えてきた。急な下りなので膝に負担を感じながら下る。
広い河原まで下ると小屋になり、池は石組で整備されているので村の水源なのだろう。

 小屋からは車両も走れる道路があるも松林に入る、何ヶ所か休憩用ベンチが設置されハイキングルートとして整備されている。雪の重みでヘシャゲタ木の形がおもしろい。また北ア雲ノ平のアルプス庭園風の所もあり、滝が見えるところなどハイキングも楽しい。牧場の片隅でランチを取る。このところ入れ歯の具合が悪く歯ぐきが痛んで噛むのに一苦労している。

 ホテルに戻り預けた荷物を受け取りWCを借りてObergulgulを後にする。暑い、30度を超えている、この辺りは1900mを越える高所なのに丸っきり涼しくない。夏のリゾート地なので涼しいところかと思っていたのに見当違いのようだ。

 これからドイツ国境に位置するツークシュピッツェ山の麓エーアヴァルドに向かう。予備知識は無かったが、近いので寄り道することにしたのだ。エッツタールの向かい側になりドイツで一番高い山というのに魅かれた。エッツタールを出るために下る、谷間の一本道なので迷うことない。ところどころ集落があるが何処も彼処もリゾート地のようでロープウェイが掛かっている山も見える。全体的に落ち着きを与える谷間の風景だ。

 順調に車を走らせるがイムスト Imst の街に入って抜けるとき迷った。ルートの乗継、ルート171から189へ、さらに179号線へ乗り換えるときに迷ってしまう。見かけた人にルートを尋ねるがドイツ語なので分かったような分からないような、つまり理解できずあやふやである。別の人に聞くと同じ道を指差すので間違いないだろう。

 街を抜けると一面に果樹とブドウ畑が広がった。山を登りうらびれた峠を下ると大きな山が三つ目の前にとび出した。きっとあれが目的とする山だろう。

 遠くの山の端にロープウェイが見えたのでそこを目指す。乗場は閑散としている、4時半が下りの最終という。4時まえなので人影がなくて当然だ、それでも4時発のに乗った。ゴンドラは真新しい、1700mの高低差を一気に上る。上がるにつれて展望も広がりドイツ側の森の中に湖が見えてきた。湖の色は九塞溝を思わせる、小島がありその島を干渉するように色違いの輪が取り巻く。湖畔にはホテルがある泊まってみたい。

 あいにくガスが出てきて遠くの山を包み隠してしまった。展望台にはドイツとオーストリアの国旗が掲げられているので国境を実感する。カフェではビールを飲んでいる、そのグラスの大きいこと大ジョッキで、大瓶3本はゆうに入るだろう。大ジョッキとは言わないので一杯飲みたかったけどドライバーの哀しさツバを飲み込むばかり。

 今夜はこのあたりで泊まることにして宿を探しながら走らせる。適当に車を止めて交渉し一人29ユーロで契約成立、山が見える部屋に泊まることにした。夕食は持参したパンやハムで済ます、どちらかというとビールとワインがメインとなった。
道路沿いに看板に取り付けられた温度表示板がある、夕方というのに30℃となっている、暑いはずだ。日が沈み始めるとぐんぐん下がり気持ち良い風が吹いてくるようになった。

 今後の日程を話し合った結果チロル滞在を伸ばすことにした。私としてはチロルは何処も彼処も同じような景色ー広い谷間に牧場ー緑豊かでのどかなところだと思っていた。それはそれで美しいし心洗われる思いがする。素晴らしい風景だがひと時でいい、飽きがくるだろうとも考えていた。しかし実際にその景色に接するとチロルも色々な場所・景観があることが分かった。この際ツアーで行くような所は見てしまおうという気になった。
他人が行く所は見ておきたいというミーハー根性が出てきた。(笑)
チロルを満喫する分スイスの日数が減るけど、仕方がない。スイスはその時になって考えよう。

写真はエアヴァルドの入口近くからのツックシュビッツ

オーバーグルグル Obergurgl

2010年08月03日 06時53分27秒 | ドロミテ・チロル
7月11日(日)
9:15 ホテル発ー11:20 パッソ・コスタルンガ Costalunga
12:40 メラーノ Merano ss44号線を北上するー13:20 峠への上り坂
14:00 トーストリアとの国境ー14:10 峠で昼食ー14:30 峠発
15:00 オーバーグルグル着 Obergurgl   (走行距離 185Km、延べ1180Km)

 夜中窓越しに空を見上げると北極星とカシオペアが横に並んでいる。このまま晴れてくれればいいのだが、と思う願いも虚しく夜明けには霧が出て霞の世界になってしまった。これも高原に付き物なのだろう。毎日毎日晴ればかりではないと、諦めきれず外に出て何枚かシャッターを切った。

 もう一日ドロミテを回るかどうか話し合った結果名残の拝見をしてチロル入りすることにした。”名残の拝見”なんて取って付けたようにお茶の言葉を使ってその時の心境を表現してみました。直接ボルツアーノへ行かず、ドロミテ街道の方へ戻りパッソ・コスタルンガ Costalunga峠を通って行くことにしたのです。ドロミテ街道のメインルートのボルツアーノとカナッツエイ間を未だ見ていないと思ってたからです。

 去年のジウシに来た逆ートを逆に進んだ。しかし逆向きに走るので見える景色は違うように見えて新しい道を走っているような感じだ。それでも所々に見覚えのあるところが出てくる。一番見たかったのは台地の上の小さな教会で、それを見たくて一生懸命探した。
 昨年一般道路に出てきた脇道が出てきた、コスタルンガ峠への標識がありそれに従って一般道路を離れた。暫く行くと分岐点が出て其処は去年シウジへ行くために脇道に入った所だ。道なりに進みボルツアーノと峠への分岐点に来た。折角ここまで来たので峠を往復することにした。
峠に付くと、なんと其処は見覚えのある場所だった、去年泊まったところだったのだ。むやみやたらに走らせ、夕方になりそろそろ宿を探そうかと考え峠に着いたとき見つけて泊まった所だった。宿の名前がサボイ・ホテルだったのでサボイ峠と思っていた。そこはコスタルンガ峠だったのだ。
名残の拝見ならぬ名残の再会となった。

 もうドロミテに思い残しは無い、ボルツアーノ経由でメラノを抜けて一路チロルへ向かうことになった。ボルツアーノの道は何本も交差しているのでナビゲーターの義妹の指示に従って抜けた。メラノでも多少のもたつきはあったもののチロルへ向かう道路に出た。そこからは一本道、ここらあたりの村は果樹栽培が多い。
それにしてもイタリアは暑い。

 峠に向かって上る、トンネルを14か所抜けて墺・伊国境のティンメルヨッホ峠(2491m)に着き昼飯にする。アルファ米の炊き込みご飯、これも旅の定番になった。
オーストリアに入ると道が良くなった。暫く下りるとゲートがあるので国境の検問所かと思いきや有料道路の料金徴収所だった。坂をぐんぐん下ると村が見えてオーバーグルグルへの標識があった。


 ほどなく本日の目的地オーバーグルグルに到着する。暑い、何かイベントがあったようで人出が多い。まず宿を探す、ここは宿泊費が高いとガイドブックに書いてあった。四つ星五つ星のホテルが目立つ。私がホテルを選ぶ基準は、まず眺めの良いクルムホテル、次に峠のホテル、この両者は料金が比較的安くて二食付なのがいい。街なかで泊まる場合は料金が重要な基準になる。四つ星以上のホテルに泊まったことが無い。

 宿探しの前にロープウェイで上がり展望を楽しもうとろうと乗り場へ行くと、天候が悪く中継所までしか上れないとのこと。それなら明日にしよう。部屋から山が見えそうな宿を探した。料金も予想以上に安く一人30ユーロ未満である、夏はオフシーズンのようだ。
 ベランダで近くを流れる川の水音を心地好く聞き、雪を抱いた山を眺めてチロルに来た実感が湧いた。いよいよチロルに入ったのだ。

ラガッツオイ小屋

2010年08月02日 09時41分53秒 | ドロミテ・チロル
7月10日(土)
9:10 宿発ー9:45アレッゲ湖 Lago Di Allegheー10:50ファルツアレゴ峠 Falzalego 
11:20 ラガッツオイ小屋 Rifugio Legazuoiー12:00 Legazoi ピーク
12:35 ロープウェイにて下るー14:30 ポルドイ Pordoi峠ー15:05 Pass・Sellaー
15:45 カステルロット Castlrottoー16:30 ジウシ高原 Suisi (走行距離148Km)

地名を書くときできるだけローマ字併記をするつもりですが、それを忘れるのと調べるのが面倒なときがあって必ずしもできていません。カタカナ及びカタカナ発音は現地で全く役に立ちません。
例えば Suisi高原、検索すると「シウジ高原」と呼ばれているようです。Google Map で使われている「ジウスイ」は全く使われていません。発音ですからドイツ語、英語、イタリア式の発音が違うのでしょうが、通じる為に文字も覚えておくほうがいい。

 朝ベランダのドアを開けると、懐かしいカウベルのカランカランという音が聞こえてきた。アルプスを実感する。

 昨日予約を頼んだシウジのパノラマ・ホテルから高原への車乗り入れの証明書がFaxホテル宛てに送られてきていた。高原の環境保護のためか車両乗り入れが制限されていて宿泊客には宿泊証明書が出され、何かの場合に提示するとのこと。(ジウシのホテル到着後に許可証に切り替える。)ここの宿の皆さんに親切にしていただいた。

 まずアレッゲに向かう。湖畔は保養地となっていて山と湖それに落ち着いた村のたたずまいが絵葉書のように纏まっている。レストランの専用駐車場と書かれているところに無断駐車して写真を撮る。まだ営業していない様子なので大目に見てくれるだろう。

 ファルツレゴ峠に向かう。下り坂はタイヤから煙が出るアクシデントが2回あったので慎重なブレーキ操作をした。極力フットブレーキを踏まずエンジンブレーキを使った。アクセルを踏まず流すだけなのに3速で60~80Kmにもなる。2速で減速しても40Kmになるのでカーブ直前ではフットブレーキで減速する。エンジン回転は4000rmpになり音が高くなる。レンタカーだからいいか。(笑)
途中で道を間違えたのかアラッバに出た。

 ファルツレゴ峠は車にバイクで駐車場はいっぱい、隙間を見つけて駐車する。ロープウェイ駐車場は空きがあったけど、駐車場が在る事すら知らずチケットを買いに行って始めて気づいた。売店で絵葉書やパノラマ図を買ったので許されるでしょう。
11時にロ-プウェイに乗る。ちょっと離れたところにピークがある。ポルドイ峠を見たくて其処まで歩く。近くに遠くにドロミテ特有の奇岩が連なった山群が見える。雪を被ったマルモラーダも目の前に見える。天気は良いけど空気中の水分が多いのか薄い靄がかかっているようにハッキリしない。
太陽が高く上がった光線の具合かもしれない。秋晴れのようなスッキリした時間帯に見たいものだ。

 多少ボケているものの360度の展望は素晴らしい、小屋の設備も悪くなさそうなので一晩泊まりたくなった。電話予約する場合に備えて電話番号を聞く。ロープウェイの運行時間は9-5時となっているので泊まる場合は念頭に入れておく必要がある。
その気になればSuisiから引き返してもいい。チロルかスイス滞在を削ってもいいとも考えた。

 峠に下り道端の草むらでランチにした、いつものパンとハムなど。ポルドイ峠を通ってsuisiに向かう。いわゆるドロミテ街道を行ってもいいが、同じ道を一部下るのを嫌いLaVilla経由にした。

ポルドイ峠は相変わらず大混雑していて峠の王様という感じだ。車やバイクが多く駐車スペースが足りない。ロープウェイに乗らなかった、上の展望所はピークではなく台地状となって広々していてそれなりに展望も開けている。しかしドロミテの風景もあちらこちら見てきたので敢て上がらず素通りした。

 パッソ・セラ Passo Sellaも同じように混雑している。Sassolungoga目の前にある、去年二人乗りの箱型ゴンドラに乗ったが、あれも面白かった。山の形もいい、ピークが三つに分かれているのでマルモラーダやジウシ高原から眺めても特徴をつかみ易い。

 ジウシへはカステロロットを目標に走らせる。標識に従い迷うことはなかった。スーパーで買物をして坂道を上りはじめた。ゴンドラの下を何回か交わりつつ高原へ上る。去年はあのロープウェイから周りを眺めながら上り、パノラマホテルの存在を知り泊まりたいと思って今年実現したのだ。

 あいにく高曇りなのか空気中の水分の多いのか全体が靄っている。それでも台地状のピークに正面のサッソルンゴその隣のサッソセラが聳えている。牧草に花々と緑の台地が見渡す限り続く高原は心をなごます。
次第にガスが多くなり写真撮影に不向きとなったのが残念だった。

ホテルは二食付きで171ユーロ/3人、一人80ユーロと書かれているサイトもあるのでオフシーズン料金だったのだろう。

夕食メニュー
サラダとパンはフリー
クリームスープ or パスタのトマトソースかけ
コールドビーフ or ポークソテー 豆とポテト添え
アイスクリームのプラムソースかけ