どこ吹く風

旅のことを主に書く。

二種類のメニュー

2010年04月28日 09時13分29秒 | ハノイ
 旅も三日目となるとメンバーと顔見知りになり言葉も交わすようになる。伊江島のおネーちゃんたちはビール好きでランチタイムでも飲んでいた。読谷のヤローども四名組はもちろん好き者なので昼間から瓶を並べていた。

 夕食のビールだけでは物足りなくなって近くでビールでもとロビーに下りたら、おネーちゃんにヤローたちが飲みに行くところだった。私も付いていくことにした。
 ホテルの横は細長い公園になっている。その公園の先にカフェがあるのがバスから見えたので其処へ行くことにした。

 店内よりも路上の方が良かろうと席を作ってもらった。ボーイがメニューを二冊持ってきた。ベトナム語は知らないがビールはbeerと表示されているので分かる、19.000ドンとなっている。
ツマミは・・とメニューを見ても読めないし、しゃべれないので注文しなかった。すると伊江島のネーちゃんがバッグからツマミを出した、おみやげ品屋に寄った時買ったとのこと、用意の良いこと。持ち込みのツマミでビールを飲むことにしてボーイを呼んだとき、突然おネーちゃんたちはが「このメニュー金額が違う!」と二つのメニューの金額を指差した。たしかにビールの価格が19.000ドンと3万何がしの金額になっている。

 地元民用と観光客用の区別に違いない。そこで注文を取りに来たボーイに”この安い価格のビールだよ。”と注文すると苦笑いして了承した。彼女たちが気づかなかったら価格だけ高いビールを飲まされるところだった。それでも一杯100円が200円になる程度なのでボラレても多寡が知れている。
その場は全員で大笑いして済んだ。

 ボラレずに良かったなーと言いながら飲み賃を支払う時にオツリを誤魔化された。敵もさる者だ。インフレなので1万ドンが百円ていどなので、支払うとき換算に戸惑ってしまう。あの時はオツリを七・八万ドンを受け取るべきなのに七・八千ドンしか渡されなかった。つまり10分の一の金額しか戻ってこなかった。敵もさるもの引っ掻くもの、あの手この手でやってくる。
脱帽、拍手~! (笑)

万ドンと大きな数字に思えるが騙された金額は実際僅かである。騙されたという気分は良くないのは当然だが、全てのドンを掠め取られても五千円しか両替していないので、被害総額はこの範囲内だ。
この際お大尽気分で旅のひとコマとして笑って済まそう。

写真はハロン湾沿いにある海鮮レストランのメニューです。(本文の店とは違います。)

水上人形劇

2010年04月26日 07時18分21秒 | ハノイ
 水上人形劇は市内中心部にある劇場で上演されていた。外国人観光客(私たちもガイジンの一人であるけど)が多いところをみると入場料も高く設定されているだろう。写真撮影料として1ドル支払った、ビデオは3ドルだったかな。

この撮影有料方式は別の国にもあった、金を払わずに撮影したらカメラを没収されると脅かされた。脅かしではなく本当でしょうね、そういう国は。写真を撮るには良い席ではなかった。それに暗いところで動きがあるのでブレてしまう。写真機は一眼レフの14-45mmのズームつきなので申し分ないけど、写真の知識・ウデが付いて行きません。

 水上人形劇は元々農業ー水田地帯ーで発展してきたのだろう。人形の容貌・形が素朴なのと、演目からそのように感じた。人形や動物があっち行ったりこっちへ動いたりとチョコチョコ動くが、人形は吊るれているのではなく、水中に隠れたところから竹竿や紐で人形を操っている。
なかなか見応えがあった。

 舞台脇に二胡に琴・打楽器を奏でる人たちが歌うのにあわせて人形が動く。歌い手も声にハリがあり楽しそうに歌っていた。演目は17・8あった。言葉は分からなくとも人形芝居だからなんとなく分かる。かつては田圃に俄仕立ての舞台をこしらえて演じられたのだろうことを思わせる。舞台裏に回って人形を操っている様を見たいものだ。
飛騨高山の人形のような精密さはないけど人形の立ち居振る舞いは見事でした、機会があれば逃さず見たほうがいい。
 
 ロビーでは登場人物の人形を売っているが見るだけする。値段も聞かなかった。こういうのはけっこう高いものです。

バッチャン村

2010年04月23日 16時41分39秒 | ハノイ
 ハロン湾に面したホテルは高級とはいえない並クラスでしたがリゾートホテルとしてはまあまあでした。朝食のフォーはハノイのホテルで出されたものより美味しく、中国式の饅頭とフルーツで朝ご飯を済ませた。

 中国国境まで100Km なので中国の影響は大きいようで、昨夜のスーパーでは値段表示が元も併記されており中国語が通じた。中国人観光客も多いのだろう。
今日の予定は陶磁器の里バッチャン村とハノイの市内観光である。

 途中道路沿いの果物売り屋でモンキーバナナとミニパインを味見した。ガイドさんはベトナムの果物は美味しいと自慢していたので証明したかったのだろう。ガイドの自腹か経費かしらないけど両方とも美味しかった。別の場所でパラミツも買って試食させてくれた、良いガイドさんでした。

 村はずれにお墓があるのがバスから見えた、土葬した遺体の盗難もあるとのこと。その理由とか遺体を見張る役目とか葬式事情も説明していた、所違えば事情も随分違うものだ。
トイレ休憩はおみやげ品が主体だが日用品(インスタント麺やお菓子)、果物を中心にした農産物の販売もしていた。

 大きな川を渡り狭くデコボコな脇道を暫らく走ってバッチャン村に着いた。バスから見るだけで焼き物の村の雰囲気がある。2ヶ所の製造販売所を見た、ちょうど昼休みになったので絵付けはおサワリ程度しか見れなかった。壷などの製品厚さは流し込んだドロを取り除くまでの時間によることを初めて知った。
店先は焼き物で埋まっているので品物を確認しながら歩く。知らずに蹴っ飛ばしたりすると大量の品々を「お買い上げ~」なんてことになる。焼き物は重いし持ち運びも大変なので見るだけにした。
入口にある千客万来を願う神棚は立派でお供えもアレコレありおもしろい。

 昼食は市内のフランス時代の面影を残すレストランで食べた。狭い階段を上り清潔なテーブルクロスに花が生けられていて、ここのフォーが一番美味しかった。旅に出ると真昼間から大っぴらにビールが飲めるのが良い。これだけでも幸せを感じる。
通りでは沖縄でチュンジーと呼んでいる中国将棋を楽しむ一団が見られた。

 昼食後は大きく古い教会を見て、中心地の池のある公園を見物し水上人形劇を見に行く。
その後旅の記録を読んだら、教会はハノイ大教会で、池はポアンキュム湖であった。

ナイトマーケット

2010年04月22日 22時56分01秒 | ハノイ
 ホテルの近くにナイトマーケットがあったので夕食前の散歩を兼ねて出かけた。規模はそれほど広くなく、整然と小間割りされた店は風情が無い、観光客目当てに数年前に開設されようだ。時間も早い所為か閉まっている店も多い。

 夜市や市場のように雑然としたところがないので何か物足りない。それと食い物屋が無いののも魅力を削いでいるのだろう。ナイトマーケットはやはりゴチャゴチャした雰囲気と異国情緒の香り臭いが入り混じった濁りが欲しい。

 手ごろなミヤゲ品あればと軽い気持ちで品物を見る。赤い硬そうな木で彫った布袋像や動物は飾る気は無い。また縞模様のある木で大湖石のように岩風の彫り物もある、珍しい木だ。螺鈿細工の施された手鏡が目に付いたので妻はオミヤゲにと纏めて買う。

 道路の向側は食道が並んでいる、水槽に魚介類を入れて新鮮な食材を提供している。夕食付きでなければ、この辺りで食べただろう。自分用にと地酒を買った、ラベルにウォッカと表示されている。中国とは仲が悪いのでソ連から技術導入したのだろうか。

 帰ってから飲むとアルコール分40度だが甘い、タイの地酒メコンの味に似ている。たぶん米を原料としているのだろうけど泡盛とは丸っきり違う味だ。麹菌の違いだけでこれほどの味の差がでるものだろうか、製法も違うのか。

 夕食はナイトマーケットの外れ、海辺のレストランで食べた。中華風の野菜の炒め物にエビやシャコがでた。ビールともども美味しく頂きました。
食後またナイトマーケットを散策した、外れにスーパーがあったので、インスタントのフォーやオミヤゲ用のハスの実の砂糖漬けや乾燥フルーツを買う、実質初日にしてオミヤゲ品を大方買ってしまった。後が楽だ。

 写真は演奏は聴けなかったけど楽器です。バリ島の竹製のガムラン(?)に似ている。おみやげ品としてミニチュアがあったが音色の響きが悪く買わなかった。

ハロン湾遊覧

2010年04月21日 11時39分52秒 | ハノイ
 トイレ休憩=おみやげ品売り場を含めて4時間ほど走って海辺に出た。
その間のガイドの説明によると、ベトナム(越南)は54民族から成る面責33万平方キロ、米は二期作で、73%が農民 宗教は仏教徒が80%キリスト教15%で共産党のみの社会主義国家である。
対フランス・対アメリカとの民族解放戦争のことも当然説明があった。
 
 どの国のガイドもある意味愛国者です。
これは私が各地のツアーに参加した印象です。外国人のグループに混じってニッポンのツアーに参加してガイドを観察してみたい、自国をどのように説明するだろうか。
鬼畜米英を殲滅すべく身を挺して敵艦に特攻し・・・現在は日米同盟を基軸とし首都に大規模な米軍基地を置きさらに制空権(管制権)を米軍に委ね、自国の軍隊の指揮管理権をもアメリカ軍に捧げて国体を守ってもらっています・・・と愛国振りを発揮しているのだろうか。(笑)

 ハロン湾の乗船口はツアー客で混雑している、桟橋に停泊中の観光船もひしめき合っている。隣の船とゴツンゴツンとぶつかり合い、それをものとはせず物売りの小船が寄って来る。船の造りが独特で中国風で、映画「赤壁」の船団を思わせる風景だった。茶色に塗られたデッキ付きで舷側に旗を立てれば孫権・孔明が乗っても違和感は無いだろう。

 出港間もなく食事タイムとなった。まずライムに塩と香辛料の調味料が出た。春巻、エビ、蟹、イカにハマグリ、スープと海産物が並ぶ。もちろん最初はビールの注文からです。船内でベトナムドンに両替する、五千円が二百万ドンになったがあまりにも懸離れた金額なので換算がうまく行かない。100円が2万ドンなのだが最後まで換算に手間取った。むしろドルで払ったほうが間違いが少ない。
ビールは3ドルで水が1ドルでした。

 美味しい食事にビールの酔いと船に揺られてご機嫌になりデッキに上がり風景を楽しむ。海の桂林と称されるだけのことはあり奇岩や島の配置に趣があり楽しむ。生簀で魚介類を販売している場所があり立ち寄る。ここに来るのは観光客なのでここで調理してくれるのか、それとも船の調理場に頼むのかな。

 一ヵ所下船して洞窟を見た。鍾乳洞なので鍾乳石が作る姿・形がおもしろい。色つきの光でライトアップされていた。自然光が入る場所もありおもしろい所である。近年になって発見された洞窟で、地質・地形上このような鍾乳洞は他の島にもあると考えられるのでいずれ発見されるだろう。

 ナイトクルーズや数日間のクルーズもあるので、月の光の島影や朝日夕日に染まる島など時間があればもっと楽しめる場所だろう。洞窟のある島の桟橋から船を出すのが大変だった。桟橋が船の数に比べて圧倒的に少なく、船は波に揺られてぶつかり合いながら停泊している。それを出すのに他の船を押しのけ隙間を作り掻き分けるようにして出た。船が大きいので竿で突付いて押しのける事が出来ない。船体で押すので造りが感情にできている、それでも庇や船体の一部を破損している船は多い。見ていて面白かった。

 今回のハロン湾は霧の季節であったが、晴れた日の夜月明かりの下でクルージングをして見たい。霧というより霞でボワ~ッとしたハロン湾でしたがそれなりに楽しめました。

ハロン湾へ

2010年04月20日 10時23分30秒 | ハノイ
 霧にしては路面が濡れすぎと思われる、ベトナムの南の霧ってこれほど濃いものなのだろうか。出勤の車やバス、圧倒される量のバイクに囲まれてバスは郊外を目指す。通りにはオキナワの言葉で言えばオーダー、ヤマト風に言えば天秤に果物や野菜などを担いだ商いの人が見える。
種類も豊富でバナナや西瓜、柑橘類に桃はもちろんマンゴにパラミツ、ドラゴンフルーツが見られる。

 高速道路の入口付近には自転車に積んだパンを売っている人がいる、フランスパンとのこと。仏領インドシナと呼ばれただけのことはあってフランスパンは本場時込みで美味しいと思われる。
フランスは植民地から収奪だけを考えたようで扱いが下手だ。アルジェでも激しい抵抗運動を起こしている。ベトナムから撤退する時にある工場では24時間フル操業し、後で機械類が使い物にならなかったと学生時代に読んだ覚えがある。

 ガイドの話によると、文化面での弾圧も激しく一種の焚書坑儒的なこともやったようだ。かつては漢字圏であっただろうに今では漢字が読める人は少ないようだ。漢字を使うかどうかは韓国のように近世になって意識的に排除したところもあるので一概に言えないけど、外国人に強制されて無くしたことは問題にすべきだろう。

 街に入った時軒並み家の間口が狭い事に気づいた、税金の問題なのか。間口2間奥行7間3~4階建てが標準のようだ。メートル法発祥の地フランスだから間ということは無いでしょうけど、各家はその程度の大きさに見えた。

正面は飾り付けに彩色と派手だが家屋の横は無塗装である。隣家とくっ付き見えないので飾りは要らないということなのか。隣が建築する様子も見られないのに正面は彩色され側面が無塗装というのも奇妙な感じがした。1,2件ならともかくほぼ全ての家屋がそうなっているところがおもしろい。

 見渡す限りグリーンで覆われた田圃がきれいだ。この時期は田植えが終わる頃で、西欧人のツアー客が下車して田植え風景を見ているのに何回か出会った。田植えは珍しいのだろう。見渡す限りの平野で霧に霞んでその広さは分からない。日本でもこのように広い場所は少ないだろう。

 共産党政権下の土地政策をガイドが説明していた、それによると歴史で習った班田収授法を思わせる方式だった。詳しくは忘れたが働き手の数によるもの・・・だったと思います。

 たまにアヒルの養殖地がある、ベトナム戦争時にB52から投下された爆弾の穴を利用していると説明していた。子供の頃はあちらこちらに艦砲穴と呼ばれる溜池があり泳いだり魚を取ったりトンボをとったことを思い出した。海に近いオキナワは艦砲穴、内陸部のB52の爆撃跡似ているところがある。

 余談だが、「艦砲ぬ喰えー残くさー」と自嘲気味の言葉がウチナーにはある。
歌です。
うんじゅん 我んにん 汝(いや)ん 我んにん
   (あなた方も、私も、君も 僕も)
  艦砲ぬ喰ぇー残(ぬ)くさー(艦砲射撃の食い残し)

勇敢なるベトナム人民も我がウチナーの民のように、哀しみを笑い飛ばしているだろうか。
(「 」内をそのまま検索すると民謡まで辿り着けます。)

ハノイの朝

2010年04月19日 06時43分21秒 | ハノイ
 寝不足と旅疲れで頭も体もボケとギクシャクでシックリしない朝を迎えた。夕べは分からなかったけど、ホテルの隣は公園になっていて中国のように体操をしている人たちが見えた。

まずは朝飯からとレストランへ行く。深夜のチェックインだったが二流どころのホテルということは雰囲気で感じた。それは残念ながら並んだメニューで証明された。朝ご飯だしこれでいいか。

 フォーもある、まずは味見をする。初めてのフォーなので美味い不味いは横において味を記憶する。炒飯に炒め物や揚げ物で腹を満たし散歩へ出た。外に出てホテルを見ても格安ツアー御用達というところ。
下町でマチヤグァーがあり食道もある、開店の儀式だろうか街路樹をぶら下るような感じの小さな神棚にお供えをしている人がいた。

 脇道はそれほどでもないがメインの通りはそろそろラッシュ時間なのか道路を埋めるようにバイクの波が押し寄せてくる。雨ではないが道路は濡れている、露というより霧が水滴になって落ちた感じである。

 道路を横切るのは難しいので信号のある横断歩道を利用して公園へ渡った。太極拳のグループは早や解散したようだ。噴水の後ろには革命に身を挺して闘う兵士像の記念碑があった。デフォルメされた力強い像である。

 像を見上げていると、ここはベトナムだという実感がしてきた。公園は細長く両脇の道路は一方通行で長細い四角形のロータリーという感じ。小さな公園だが近隣住民の憩いの場なのだろう。

 そろそろ出発の時間が近づいたので部屋へ戻る。

沖縄ー香港ー河内

2010年04月18日 07時40分27秒 | ハノイ
 申込時から暫らくの間は気分が高鳴りベトナム戦争とオキナワ返還闘争のことが思い出された。しかし出発まで間がありすぎてその気分も萎え気味なってしまい、下調べも不十分なまま、生煮え状態の旅立ちとなった。

初日(2010.3014 日曜日)
14:00 那覇空港向け家を出る
14:30 国際ターミナルのHISカウンターにて手続、Eチケットを受け取る。
添乗員はなし、香港で乗り換えるように説明を受ける
ツアー人員を聞くのを忘れた。

待合室でツアー参加者らしい人に目星を付ける。バスに乗って飛行機まで行く、いつもの飛行場風景である。機体全体ににポケモンが描かれたジャンボが見える。
時間通りに離陸し乗換地の香港へ。間もなく食事が出る、チキンライス。

香港では2.5時間の時間が合ったので店周りをするも疲れたので登場口近くで待つ。香港空港は立派だが我々の便はターミナルではなく、離れ小島のような場所にある待合所からバスで移動する。利用している香港エクスプレスという格安航空会社の力量の問題か。

 時間が来ていよいよハノイへの機体に入る。ところがなかなか出発しない、ハノイ空港が霧のために閉鎖されているとのこと。この時期は珍しいことではないようだ。夜食が前倒して待機中に出た、結局3時間遅れの出発となってハノイに着いたのは・・・現地時間の2時20分、日本時間、香港、さらにベトナム時間とズレてきたので、香港ーハノイは実際何時間掛かったのかアタマが混乱している。

 オキナワから何十名か乗り込んだのだが、我々の安ツアー組、中学校同期生グループにワンランク上の組など幾つかのツアーに分かれていた。それに気づいたのはハノイのターミナルに出たとき現地のHISの担当に振り分けされて始めて気づいたのである。
我々は20名のグループであるとバスに案内されて知らされた。

 到着時間が遅くれたので翌日の日程は若干変更となり、出発時間を1時間遅くすることになった。睡眠時間がそれだけとれることになるが、それでも7時モーニングコールである、日本時間なら5時起きということになる。

天候の具合とはいえ厳しいハノイ入りとなった。
深夜とはいえ気温は23℃と予想以上に涼しそうだ。

行動記録

2010年04月17日 14時17分29秒 | ハノイ
言い訳 
 先日のこと、管理画面に入ろうとすると有料サイトに登録しなければ管理画面に入れないよう感じの画面が出てきて入れない。
gooは無料ブログを止めたのだと思いこれからどうしようかと考えていた。それが先ほど何の気なしに管理画面をクリックすると入れるではありませんか。いったいあの日はナンだったのか。
何にせよ又書きこめるので良かったヨカッタ~

行動記録

3/14(日)
14:00 渉と昇矢に見送ってもらう
14:30 空港内HISカウンターでチケットを受け取る
16:45 飛行機 移動を始める
16:40 離陸
17:30 食事(チキンライス)
19:05 香港着(現地18:05) 2.5hのフライト
    DSFをブラブラ、2h、あとはTVを見ながら座っていた
22:05 香港発の予定がなんと
   食事を食べてからの出発となる
24:55 発
1:40 ハノイ着
2:20 バスに乗りホテルへ向かう 23℃
   バスの中で日程説明
    モーニングコール 7:00
    朝食 6:30~  6F

3/15(月)
6:30 起床
7:00 モーニングコール
7:15 朝食 公園で体操している人が見える
8:00 ホテルの外を散歩 オートバイの多いこと
8:30 バスに乗り start
    レートは 1ドルが2万ドン
稲の緑が美しい
ベトナム 越南 54民族から成る 面責33万平方キロ
二期作 73%が農民 宗教仏教80% キリスト教15%
共産党のみの社会主義
10:45 トイレ休憩 おみやげ屋(刺繍、中国服、漆、石、乾燥果実)
家 ウナギの寝床、間口4m奥行き18~25m 3階建て
12:30 ハロン湾着 船に乗り込む
5000円=100万ドン 両替
13:20 出港 ビール3ドル、水1ドル
14:40 船を下りて鍾乳洞の中へ 40分
16:00 バスでホテルへ
16:10 ホテル着
   マッサージを申し込んだがいっぱいでキャンセルとなる
16:40~17:40 ホテルの近くを歩く
ナイトマーケットも既に開店 お土産をget
  手鏡 6個9ドル マグネット10ドル 現地の酒2本20万ドン 水・ビール5000ドン
  マンゴ二種5000ドン
18;45 夕食へ出発
  ナイトマーケットでスーパーを見つけお土産をget 40万ドン弱
19:50 ホテル前のレストランで夕食
20:40 ホテル着 シャワーを浴びて寝る

3/16(火)
6:15 起床
6:45 朝食 ハロン湾が霞んいる
7:50 ホテル発
   おはよう、こんにちはなど シンチャオ
   ありがとう シンカムオン
   まけて(安くして) ボッティボッティ
   高すぎる ダッカン
   美味しい ノアン
 鉄道線路が生活の歩道となっている(一日2往復のみ)
8:30 モンキーバナナと小さなベトナムパインがガイドからプレゼントされる
9:30 トイレ休憩 ハス茶の試飲
  フォーときな粉のお菓子 15ドル
10:15 お土産品屋発
     道端でフランスパンを売る人多数いる
11:50 バッチャン村着
   2ヶ所の陶器製造販売所に寄る
12:50 発、 付近の家々の屋根には避雷針がある。雷の多い地域である。
13:40 レストランで昼食 ベトナム料理 ボール2ドル
14:50 レストラン発
  ハノイ市内観光 パラミツの試食あり
  ハノイ大教会
  ポアンキュム湖
17:00~18:00 水上人形劇 写真撮影料1ドル 
18:15 ホテル着
19:45 ホテル発 夕食会場へ
20:00~21:00 フランス料理の夕食
21:00 ホテル着
 街角カフェへビールを飲みに
(二重料金のメニューあり)

3/17(水)
5:45 起床
6:00 ジャズダンス、太極拳の様子を公園にて楽しむ
7:00 朝食
8:30 出発
9:00 ホーチミン廟
10:45 バス乗車 一柱寺、ハノイの古い寺
11:30 バスにて昼食会場へ
12:00 ベトナム料理
13:15 一旦ホテルに戻りマッサージへ
13:30~14:40 マッサージ 20ドル2人分
14:45 バスにてホテルへ
15:15~16:30 タクシーでスーパーへ(28000ドン、復路29000ドン)
    スーパーでの買物84万ドンが50ドルになった、レートが悪い
 (シャワーを浴びる)
17:30 散歩
18:00 夕食の和食レストランへ バスで15分
 和食処 紀伊 松花堂弁当生ビールと瓶ビール 2ドルの2杯分
19:35 ホテル着
20:00 カフェにてビール、まんごジュース4人で
21:30 就寝

3/18(木)
4:00 起床
5:00 バスにて空港へ 40分
 フランスパン、バナナ、水の弁当を支給される
6:00 チェックイン 
 はすの実のお菓子 3ドル*2
8:00 出発 霧がかかってボンヤリした風景
 機内食
9:45 香港着
11:50 香港発
13:00(ウチナータイム15:00) 那覇着