どこ吹く風

旅のことを主に書く。

ワールドカップと日程

2006年05月28日 16時21分13秒 | 再びスイスへ
 ワールドカップの事が念頭に無かった。
ドイツといえばスイスのお隣だ、期間中はスイスの観光客も増えるのだろうか。昨年は6月の中旬に出たのでシーズン入り前だったので込み合う事が少なかった、宿も前日に電話して決めるとか、そこまで行って直接交渉して決めた。宿が取れなかったのはポントレジーナだけだった。お蔭でこの年になってユースホステルの経験をした。

 今年はどうなるのか。サッカーの予選リーグは6月中に終わる模様だが決勝トーナメントは何時までだろうか。応援の行き帰りにスイスまで足を伸ばすのだろうか。7月はそろそろシーズン入りするので昨夏より人出は多いだろう。
山岳ホテルを中心に是非泊まりたいホテルは予約するツモリだが、自由気侭な旅にするには日程に縛られたくない。といいつつ不安も隠せない、まあ人間は矛盾に満ちた動物だからとワケの分からない理屈を持ち出して逃げておきましょう。

 PostBusにスケジュール問い合わせのメールを出してもらった。返事が届くまでは日程の検討は保留となる。
宿の予約はRuzernとChamonixとそれにGornergratの山岳ホテルも必要だろう。
Ruzernは到着の日なので7時か8時ごろになるだろうから予約しておこう。
Chamonixはこれまた駅前の安ホテル、ガイドブックに寄ると★★のホテルだから一杯になる前に押さえておきたい。
Gornergratは是非泊まりたい、昨夏は改修工事で休業中だったので止む無くその下の方のLiffelbergの高級ホテルに泊まった。更にその下には超高級リゾートホテルがあったがそこは手が出ず、足を運ぶ事も無かった。

BernerOberland いわゆるグリンデルワルトはどうしようか。入る時間によっては予約した方がいいだろう。ただ今の段階ではいつ何時頃着くのか検討が付かないのでこれもペンディング。
 
 次に各地域で乗り放題のチケットがある、それの検討もせねばならない。
zermatt peak pass 3日間でCHF-148、その期間乗り放題になるが昨年天候の都合で2回Klein Mtterhorn に登り、SunnegaからRothornまでケーブルで登ったがCHF-127で済んだので個別に金を払う方が安上がりしそうだ。

ユングフラウ鉄道の Jungfrau Railways Pass は安いかもしれない。Swiss Passを使えばCHF 140で6日間乗り放題だ、ただしJunfraujochへは1回しか使えなかったと何処かに記されていた記憶がある。それでも好天を選んでユングフラウヨッホに登れば損はしないだろう。

 Chamnixにも似たようなパスがあったと思い調べると、モンブラン・マルチパスというらしい。36時間有効のパスが51ユーロ、6日間有効が92ユーロなので3日では6ユーロ8500円ほどか。チャンとした料金表があるはずだが・・・

 日程が定まらなくても調べる事項は多い、サボらずにコツコツと弛まず進まねばならない、ツアコンの面目が保てないと切り捨てられる。
次が行けなくなる、万全の調査をせねば!

このところ

2006年05月25日 13時44分56秒 | 再びスイスへ
 PCに向かえばスイスの調べものに時間を費やしている。
今回の旅は昨年のようにベテラン先輩がいないので計画の全てを立てねばならない。SBBのサイトで汽車の発着を調べたり、PostBusの時間を調べたりで時間が経ってしまう。行きたい場所、見たい場所を欲深く且つのんびりユッタリ廻るという矛盾を矛盾とすることの無い計画を立てるにはしょうがない事なのである。

 しかし少々疲れ気味だ。食傷気味と言う方が合っている。二番目の訪問地Grindelwaldからまだ脱出できないでいる。それもこれも今度はFour Passes Tourとなったバスでの峠巡りの時間がハッキリしないからだ。

Meiringenからの発着のようだが、その時間が分からない。発着時間は前夜とその日の泊まる場所に影響する、ということはルートに大きな影響を与えるのだ。Meiringenに2泊してまでもFour Passes Tourに乗るべきなのか、日程の根源的なものと関連するからヤッカイである。
Four Passes ではなく通常の峠越えするバスに乗ってAndelmattへ出てもいいのでは・・とも考える。それもこれも結論が出ないのはツアーバスの発着時間がHPでは分からないのが原因だ。メールで問い合わせようにも私の英語力ではな~、それで娘に頼みたいがお互いの時間が合わない。

 というのでこの4・5日は進展が何も無い。今日娘と話し合えなければ自分で書こう。自動翻訳機を使ってみるか・・・。あのソフトで翻訳したら英語を直接読むのと殆んど変わらない難解な日本語になってしまうので、そのレベルの英語の問い合わせが着たらPostBusの担当者は首を捻るだろう、返事が来るのか疑わしい。

 いずれにせよナンにせよ、出発前からこんなに勉強したのは、いやさせられたのは学生時代の山の合宿前以来です。あの頃は行ったことも無い山について位置。距離・時間など覚えさせられて、その勉強の出来具合を合宿へ行く汽車の中で口頭試問されたものだった。おかげで旅へ行くときは事前勉強するクセが着いた。

 昨夏訪ねた地域はある程度分かるし、聞き覚えもあるので馴染み易いが初めての地名は位置どころか名前そのものを覚えるのがムツカシイ。忘れたら地図を見る、SBBやPosutBusの時刻調べでもまた地図に戻り何度も何度も地図を見ているうちにアタマにもインプットされてきた。
 スイスは九州ほどの大きさというが、南側の山岳地方なら九州以上に知るようになったのではなかろうか。

そろそろ宿の予約を入れたほうがいいところ、ゴルグラードの山岳ホテルとかシャモニの安宿などは手配したほうがいいだろう。前泊する成田のホテルにも連絡しておこう。
現場仕事が出たので思うように時間が取れないのもイライラの元だ、遅々として進まず状態の脱却は何時になるだろうか、出発までには解決しておきたいものだ。

最後は行ったら行ったでどうにかなる、だ。

カン違い

2006年05月23日 05時37分34秒 | 再びスイスへ
 三峠巡りの件で調べていたら重大なマチガイに気づいた。
PostBusのサイトを見ていたらオカシイ、変だ、四峠になっている。同じPostBusが主催しているのに2種類の企画があるのか・・・?と、三峠のサイトを見たり四峠を見たりしているうちに単純なミスを見つけた。
なんと三峠は2003年となっている。私はアホです。

 それに毎日運行と書いてある、ただ出発地がMeiringenと書いてあるだけで時間が書いてない、私が英語を読めないだけかもしれないが。何処に予約を入れたらいいのかも分からない。PDFファイルになっているのでこれもメンドウだ。メールアドレスのコピーして貼り付けることもできない。
この調子ならまだまだ見逃している重要事項がありそうだ。

 日にちに縛られないのは良い事だが、宿泊地に影響する出発時刻が分からないのは困る。前夜Meiringenあるいはその周辺に泊まらなければならないのか。いずれにしても今気がついて良かった。
前の認識なら曜日が固定されているので到着の日から三峠巡りまでの2日間の動きをあれこれもっといい案が無いかと検討し、シャモニから先にしようかとも考えた。しかしルチェルン付近の中央スイスが抜けてしまう、その代わりシオン(Sion)で地底湖見物ができるか・・など調べれるともっともっと見たい場所が出てきそうだ。

 計画を立てるのも楽しめるが、これほど熱中して調べるのは久しぶりなので、心地よい疲れだが疲れる。
移動伴う乗り継ぎ時間は少ない方がいいし、むしろ無い方がいい。SBB(スイスの国鉄?)の検索システムで発着地を入れると該当列車が表示される、しかし経由地を指定しないととんでもない場所を経由して行くことになる場合がある。その汽車がイチバン早く目的地に着くのだろうが、

 それなら出発を遅らせて、あるいは早めてそこで時間潰しを楽しんだ方がいい。そのままの旅程で出かけたら又不評をかうだろう。台湾では中央部の分水嶺でバスは無いし日は暮れるという状況に陥ったし、節約するツモリで高架式鉄道に乗りバス停まで随分歩いてバスに乗り故宮博物院の階段を歩いてようやく見学したのに、帰りにタクシーに乗ったら料金は半額、時間は三分の一以下だった。

 あれ以来ツアコンの権威が失墜しているので、つまらないミスをしたらツアコン解任に繋がる。そうなれば同行させてもらえなくなり旅費を工面できない私にとってヒジョーに痛い目に会うことになる。
それ故計画は綿密に立てねばならない

見たいところ

2006年05月21日 07時21分20秒 | 再びスイスへ
 山としてはモンブラン、主眼は其処においていながら未だ行ったことが無いので行った場所、見た景色を中心に調べている。本来なら行ったことの無いシャモニについてもっと調べるべきなのにそうはしない、内弁慶、弱虫の典型例だ。

 行った事がある地域はガイドブックを読んでも、インターネットのサイトを見ても理解し易いので安易に其処に流れる、まったくバカだな~
 今回の旅のテーマを確認しよう、まずモンブランを見る。山は天候次第なので3泊とろう、1日は晴れてヨーロッパ最高峰の山の全貌を見せてくれるだろう。晴れたらエギュ・ドゥ・ミディの展望台へ登り眺めよう。何ヶ所かロープウェイもあるのでそれにも乗ろう、という程度の計画しか立たない。
あとはマルチパス・モンブランを購入するか、買うなら何日のパスにするか動き回る範囲・日時を検討するだけ。でもそれは現地に到着するまでに決めればいいことなのでア・ト・デという風に逃げている私です。

 次に三峠巡り、一日で三つを回らずにフルカ峠越えかスースティン峠越えをしてエンガディン方面=サンモリッツへ抜けるという手もある。でもこの三つの峠をいっぺんに回るのは個人旅行でしかできないのでこの際やっておくべきだとも思う。そうなるとその日に日程が縛られる、前半はその日に向けた計画を立てねばならない。
悩むところだ。

 それからモンブランとサンモリッツは西と東の両端だ、ベルナーオーバーランのグリンデルワルトから右(西)回りにするか左(東)回りにするかも迷う、三峠巡りとも関連する。どちらかの峠越えなら毎日運行なので日程が縛られる事が無い。ホントに迷うな~

もう一つのテーマは峠巡りである。でも大きく言えばベルナーオーバーランとを外側から見るということです。峠は東側それに南のアレッチ氷河見物も予定している、西から見る適当な場所が見つからない、シャモニへ行く途中で素晴らしい穴場は無いものか。泊まってもいいのだが・・

 このように計画は行きつ戻りつで未だルチェルンからグリンデルワルト付近から抜け出ていない。
ひと言、グリンデルワルトと書いているが、Grindelwald(アチラの表記になれるためにローマ字書きにします。)に泊まる予定は無い。バカの高上がりで麓の街では泊まりたくありません、KleinshaideggやFirst、Murrenに泊まる予定です。
天候さえ良ければこれ程滞在する必要は無いが、山を見ながらハイキングを楽しめばいいので予備日として確保しておくのが無難でしょう。

 この調子では何時になったら計画が仕上がるのか。

写真はGrindelwaldのホテルから見た朝日に映えるアイガー北壁

プラン ただいま作成中

2006年05月20日 07時27分35秒 | 再びスイスへ
 7月ごろスイスへ行くと決めたのがペルーの旅行中である、そのツアーに参加した妻の妹がスイスに行きたいと前から希望を持っていた。いくならシーズン前の6月が良いだろうと考えたがいろいろ日程の都合があり7月ごろ出発となった。

 スイスの旅のテーマは、山、氷河、湖、古都、ハイジの故郷のイメージなどいろいろあるが、今回は山は当然行くものとして氷河と湖、峠をメインにしたい、それにモンブラン。
 けっこう欲張りにあれも見たいここへ行きたいと計画しながら増えていく、のんびりスイスを堪能したいという当初の目的はスイスを走り回ってでも見たいに変わってきている。しかし気分はあくまでものんびり、ゆったりの旅である。

 モンブランを見るのが今回の最大のテーマなのでパリから入ってもいい、ミラノからも遠くないようだと調べ、運賃を調べる。安いキップがあり7万円で往復できるのもある。それに燃料高騰分の上乗せやら税金やらで10万円足らずだが、それだけでは済まずに関空なり成田までの飛行機賃が約3万かかる。田舎・地方在住者の悲劇だ。

 あれこれ検討したが結局日航でチューリッヒに入ることにした。タイ航空とかシンガポール航空の南回りに乗れば2~3万円安くつくが、前後泊しなければならなくなる。日航でも前泊を強いられるので後泊分だけの時間的ロスだが、日航を使えばマイルが溜まり北海道までの無料券がゲットできるかもしれない。北海道までタダで行けるとなるとその差はチャラになる。まあ今回も日航にして損は無いだろう。

 それに日航は機材がいい、B-777のようだから席から離れて動き回れる、中央部のトイレの付近ドアの近くは広々として手足を伸ばしたり景色を眺めることができる。窓際の席でなくてもいい、日中のフライトもいい。
ということでJALで行くことにした。

 スイス観光局の日本語HPによると、スイスの山の名所が7ヶ所ある。山・山塊・山群にしたらベルニナ山群のサンモリッツ周辺、アイガー・メンヒ・ユングフラウのベルナーオーバーランドにマッターホルンの3ヶ所である。そこを表から見たり裏に回ったり、遠望したりということで7ヶ所なのだろう。

 ディアブルレ周辺として7つの名所にはいっている地域がある、しかし初めての地名なので見なかった、たいしたことは無いだろうと思いつつ今クリックすると何やら素晴らしいところのようだ、計画を練り直すのか・・ それはさておき今回はその三ヶ所をたっぷり時間を掛けて回りしかもシャモニで3泊の予定だから充分だろう。
いやこれだけ周遊するのは駆け足過ぎるかな。
グリンデルワルト周辺は4泊、チェルマット周辺で3泊、サンモリッツは2泊でいいだろう、アレッ日程オーバーかな。

 その中にもう一つのメイン、峠巡りが入っている。フルカ峠、グリムゼル峠にスーステン峠を1日で回るバスに乗る予定だ、始発駅から乗ったら12時間コースになる。このバスが火・土の周2回運行なので日程作成が限定される。その上日航の運行が水木土なのでこの組み合わせとの関連もある、土曜発は高くなるので避けなければならないので条件が益々厳しくなった。

 あっちを削りここに持ってきて・・・と楽しいプラン作成に専ら空き時間を充てている今日この頃です。

写真はヘッダーにある写真で代用します。(笑)

新たな旅

2006年05月18日 07時02分04秒 | 再びスイスへ
 今また旅のプランを立てている。
目的地はスイス、初めてのヨーロッパがスイスだった。その後トルコとペルーへ出かけ、それぞれ固有の風景や歴史・生活を垣間見ることができた。そこで感じたのは風景・景観・景色はスイスが一番いい、自分の性に合っている。

 何がいいのかと言うと、やはり景色だ。どの場面、どの瞬間を切り取っても絵になる風景がいい。ただ難点といえば物価が高いこと、昼メシにちょっとソバでも・・と思って食堂に入ると千円は掛かる。夕食となると押して知るべし。そこでスーパーでパンに牛乳、チーズにソーセージや果物を買って齧ることになる、ホテルのベッドの脇で素言ういう事をしていると優雅とは言えない。

 交通費も高い、列車やバスはまあまあだが、ロープウェイやケーブルカーが高い、しかしそれらを使わないと見たい風景が見れないので使わざるを得ない、それで乗るが高い所へ労力もなしに登れる、そこで素晴らしい風景を目にする感激うっとり野瀬海が広がっている。そこは高度だけでなく金も高い世界である。

 でも其処までしてもスイスの旅はいいものだ。
もう一つ、スイスは人がいない、景色だけだ。人がいないと言うより人を感じさせない、と言うのが正しいだろう。もちろん人は大勢行き交っているしケーブルカーは満員状態になるのも珍しくない、しかし人を感じない。
 これはアジアと比べての印象だ、アジアは人が多い、その人は他人なのに自分と関わっている人のように思える。勝手な思い込みだが他人と自分との関わりがアジアは濃密でスイスは希薄ということ、何故そう思うか説明できないがそう感じている。

 アジアはアジアで大好きだ、台湾にフィリピン幾度と無く行って楽しんできた、また行くつもりである、そのくらい好きです。遠出するのがキツクなったらこの辺りを楽しまざるを得ないでしょう。
それまでは、いやもう今回でオワリかなスイスは、最後になるかもしれないスイスを充分楽しみます。

トロント

2006年05月14日 09時17分39秒 | マチュピチュ
 トロントに早朝着き出発は昼過ぎなので実質4時間弱の自由時間がある。
往路でもそのくらいの空き時間があり市内観光に出かけたグループがあったので我々もそれに倣い市内観光へ出かけることにした。一人でツアー参加していた名古屋の女性の方もご一緒した。我々は3名グループなので食事のとき4人掛けの席なら一人参加の方が加わる事になるので時々食事を一緒に取った方で、心の強そうな私たちより遙かに若い女性です。

 目的はトロントタワー、バカの高上がりで高い場所から眺めるのは気持ちが好いだろうと考えたからです。タクシーで4~50ドルとのことだったが、バスや地下鉄で行くことにする。
空港の案内板に従いバス停行く、そこで待っているオバチャンに行き方を教わる、○番のバスに乗れという。バスはほぼ時間通りに来た、空港を出てハイウェイを走るが通勤時間のラッシュだ、でもたいしたラッシュではない車が多いという程度、ちょっとだけ走ったらターミナルような所で降ろされた、地下鉄の駅らしい。バス賃を2ドル弱払ったのにたったこれだけの距離か高いな~と思いながら駅に入り地下鉄のキップ売り場を探すが見当たらない、近くの人に聞くとキップは要らないというバスと地下鉄は1本だったのだ、それならバス賃は納得できる。

 トロントは寒い吐く息が白くなるほど冷えている。中心地の駅で降りてタワーを目指す、上手い具合にオープン時間になったのでエレベーターで上がる。眺めは若干霞んでいるがまあ良い、お笑いTVで見た透明の床もあった。真下見ながらだとやはり背筋がゾクゾクしソロリソロリと尻を突き出したような格好で歩くことになる。妻への手前何でも無い素振り平気な顔をしている。
更に上の階に登った、市内が良く見渡せるすぐ下に中央駅があり列車が動き出し再開発中の近くを長い列車が通り過ぎて行ったが交尾はまだ駅付近だスケールが違う。1マイルはあるだろう長く繋がったまま大陸を横断するのか。

一生懸命眺めて入場料の27ドルの元を取ろうとガンバル、したの階でまた透明な床を渡る、27ドル分のスリルを味わいつくさねばとのケチな根性を隠して外を見て、下を見て・・トイレも使えばよかった。
カネを払わなくてもできる場所では催さないものだ、(笑)

上から見ると駅までコンコースというのか屋根つきの通路があるので、そこを通って帰った。メトロやバスの乗り継ぎももう大丈夫、空港まで戻り所定の場所に集合する。
これでホントにもうオワリ。
長いようで短いようなペルーの旅はこのフライトで終わる。
さあ次は何処にしようか・・いえ実は決まっているのです。この三人でスイスへ行くのです。頃は7月かでき得れば6月末から。

ペルーの事は書き残した事を思い出したら又書きます。
暫しの間休憩!

アメリカ上空

2006年05月12日 15時01分20秒 | マチュピチュ
 今回のツアーは添乗員は、南米への乗換地としてカナダの利点を強調していた。
アメリカに比べて入国出国の検査が緩いのでラクですよ、とのこと。アメリカはトランジットでも検査が厳しく3時間掛かるのも珍しくないとのこと。

 こういうのが利点として挙げられるなんてアメリカのバカさかげんが分かる。自ら蒔いたタネに脅かされるなんて同情どころか哂いたくなる。ご勝手にどうぞ、ハリネズミ状態の防御体制を敷き恐怖に慄いてください、とヨコメで眺めるだけす。
 その恐怖感を他国に攻め入り紛らわす傍迷惑なことはもう止めて欲しい。
アメリカの偉大さは戦争を行い国が疲弊しても、裏で政権を支える多国籍企業は儲けているところだ。スゴイとしか言いようが無い。

 それを支えるニッポンという国ももエライ! その国を支えている国民は尚エライ!
国民の一人である私はのうのうと旅行を楽しんでいる。エライ国民の一人に数えられるのかな。(笑)

 と異常のように悪態をついたが、これはこのブログのペルーの項の最初の頃に書こうと思っていたが、気が乗らずの放っておいたのです。
アメリカは憧れの地であった。「自由・民主主義・アメリカンドリーム・・」賞賛するのに言葉は要らない、
匂い身振りそれらの一つひとつがアメリカナイズされていた頃もあった。
それがこの有り様、あまりにも幻滅して哂う以外にない。ここ当分アメリカの地を踏む事は無いだろう。もしかすると入れて貰えないかもしれない、このような危険思想の持ち主は。(笑)

 夜中にその疎ましいアメリカ上空を飛んだのだろう。夜が明けると大地の上を飛行している。アメリカはこの目で見るものではなく、若い頃の憧れを瞼の裏に映して心の目で見るものだろう。
 我が家にホームステイしたフロリダのあの娘はもう結婚して子供もいるのかな。インターネットがもっと普及していたら今でも連絡しあっていただろうに。
娘たちが1年もお世話になったサンアントニオとフレズノのお父さんお母さんのこともチラッと思い出した。みなさん屈託のない良きアメリカ人だった。両家の方々と娘達はメール交換しているので消息は知っている。

 両家族とも私たちが子供の頃のアメリカーとはちょっと違う、サンアントニオはメキシコ系でフレズノが東欧系、私の子供の頃のアメリカーは白人と黒人だった。
身体の匂いもチーズっぽかった、トイレや塵捨て場も独特の匂いがあった。
しかしトロントでは感じなかった、もう大人になって慣れてしまったのか、それとも多民族が混ざり合ったので中和されてしまったのか。

なんて眠れぬ座席で妄想しているうちに着いた。本来時差は無いはずだが、サマータイムの関係で1時間調整した。また往路と同じく一旦入国手続きをして数時間の乗り継ぎ時間を過ごす事になった。

帰路へ

2006年05月11日 09時02分24秒 | マチュピチュ
写真は、ペルーの新しい夜明けを願って・・・

 鳥の糞の臭いが風に乗って流れてくる、臭いがしょうがない。
ボートは島に近づいたり隣の島へ移動したりしながら観察を楽しんだ。鳥も数種類いるようだし、アザラシのほかにペンギンもいる。ペンギンはやはり可愛らしい。草一本生えていない荒地の島だが、黒く見える所は鳥が固まって休んでいる場所だ。
外洋には縞模様となって飛び交っている。飛び立ったばかりの集団は編隊組んでというか群れをなして飛んでいく。

 その様子は将に驚嘆の世界。
いい物を見せてもらった、どうせ時間潰しだろうと期待していなかったので受けた衝撃は大きかった。ヨカッタ~
下船の際にアザラシの小さな置物の記念品まで貰った。

 荷物の整理をし出発準備をして昼食をとった。パエリアだった、これがまた美味しくお代わりして食べた。デザートはアイスクリーム。
あっという間の9日間、旅の行程の半分を過ぎると時間が経つのが早く、アレッもうオワリなのという感じだ。あと2~3日は廻りたい。

 帰りは昨日来た道をリマへ戻る。乾燥した荒地で草木も殆んど見えない所も多い。場かでっかい養鶏場の建物がところどころにある、アンデスの水は伏流水となっているのでボーリングで汲み出しているのだろう。
土地は幾らでもあるから鶏舎の消毒はお陽様任せのようだ。フンが落ちてもたちまち乾燥するので細菌類も繁殖しにくいだろう。

 夕方リマ市内に戻る、夕食はゴルフ場に併設されたレストランで中華料理でこの旅を〆る事になった。会員制のようで敷地への出入りは厳しく制限されていた。貧富の差が激しい国では珍しい事ではない。ただ自分が金持ちヅラしてそこへ入るのに抵抗を感じる。しかしそのように感じるだけでどうしようも無い。
 中華料理の味付けは良かった、美味しかった。ただ品数が少なかったのが残念だけど。量はあったのでお腹も満足し空港へ向かった。

 リマの空港は今回で4度目の使用となる。
孫へのオミヤゲ、Tシャツを買う。これまで観光を楽しんだスイスやトルコのミヤゲは国旗がデザインされたTシャツだったので、ペルーの国旗をあしらった物を探したが見つからなかった。
それでインカとナスカをイメージしたものにした。

 真っ暗になったリマを飛び立ちトロントへ向かった。
リマの明かりは水銀灯や蛍光灯の冷たい色ではなく、赤っぽい白熱灯の色だ。この暖かい色のように国・支配階級・権力者も国民に暖かくしてもらいたい。

マジェスタ島

2006年05月09日 22時01分27秒 | マチュピチュ
 今日は実質的な最終日で2006年4月4日になっている。曜日はおろか日時さえ気にしない日が続いているがたまには日時の確認も必要だろう。

 マジェスタ島の名前はツアーの案内パンフで始めて知ったので、どのような島で何が見所なのか知らない。またパンフには上陸しないで海から眺めるだけのような記載もある。なんの面白みがあるののか分からない。11日間という日数稼ぎの手段じゃないかとも考えた。日程に入っているのでそれなりの面白みはあるだろう。

 ホテルにの敷地に隣接して船着場があり、そこから出航した。20数名が乗れるボートで船足も速い。波を叩き切り裂くように進む、マジェスタ島は岬の陰になっているようだ。近くに遠くにボートが見える、オレンジの救命具が見えるので観光船だ。
 船は岸のほうに近づいていく、ナスカの地上絵カンデラブロが見えてきた。大きな燭台の形をしていて短いローソクで100mあるとのこと。海からしか見えないこのカンデラブロは灯台の役目をしていたのだろうか。この近海はフンボルト海流の関係で霧が多いそうなので、霧がかかるとあの絵では意味を成さないと思うが、海に向かった描かれた絵は何を目的としているのだろうか。

 写真を撮りカンデラブロを充分目に焼き付けてから船は大船原に向きを変えた。近くには観光客満載のボートが数隻漂っている。中には大型の高速ゴムボートもあった。波でびしょ濡れになるだろう。
 我が方のボートはスピードを上げる、海鳥が多くなった。はるか彼方に島が見える。目指すマジェスタ島だ。
島は黒い斑点に覆われ、空にも無数の鳥が飛んでいる。マジェスタ島は鳥の糞、リン鉱石を採取する島だったのだ。

 島には積み出しようの簡易桟橋も設置されており採取される量も多いのだろう。大きな島が二つ並んでおり、交互に採取するとのこと。糞を取らないと鳥は別の島へ移ってしまうほど清潔好きらしい、人間が清掃料としてフンを取るのは正当なことなのだろう。

海岸にはアザラシ(セイウチとかオットセイとの区別は分からないので便宜上アザラシにしておく。)がハレムを作っている、縄張り争いがあるのか喚き声がうるさい。これだけの鳥にアザラシが棲息しているのをみるとこの近海は魚の宝庫なのだろう。ペンギンも僅かだがいる。
 鳥については圧倒されるほどいる、ゴマ粒のように見えたのが全て鳥でその大きさは羽を広げると優に2m近くある。群れをなして飛び立つ様はコウモリの映像を見ているように帯状になって空を埋め尽くさんばかりである。

 これほど大量の鳥を見たことは無い、養鶏場の鶏もここに比べると斜面で羽を休めている一部にの又一部でしかない。
 遙か遠くに一団が芥子粒のように見え、その後にまた一団また一団と延々と続き島から将に飛び立つ集団まで途切れなく帯が伸びている。たいして期待もしていなかったが見てビックリ。
ペルーの奥深さを改めて感じさせられました。

パラカスのホテル

2006年05月08日 05時37分43秒 | マチュピチュ
 ホテル・パラカスはペルーの旅最後夜になるので残しの無いようにと充分楽しみたいと思った。夕日を見ながらのプールは見た目の雰囲気はいいが南国ウチナーンチュには寒すぎる。水の中はともかくプールサイドに出ると寒い、風が冷たい、でもリゾートで泳いでいる気分は充分味わった。マチュピチュの麓アグアスカリエンテスで温泉で着用する予定の水着は使えなかったのでせめてここで使って元を取ろうというチンケな心もあった。

 夕食は内装がいかにもリゾート風で竹を用いた天井、壁はオープンカフェ風ガラスを用いた仕上げの部屋だった。ライトボディのペルーワインがフォルクローレのハーモニーと相俟ってアタマの中ではコンドルが飛び、心はピューマになりインカを想い南米の現実に怒りを覚えながらも自分のやっている事は物見遊山。矛盾との葛藤もを聞きながらワインを傾けた。

 平屋建ての部屋がフロントを中心として両翼に二列で並び、3人同宿の私たちには二間続きが割当られた。これまでは補助ベットで過ごしてきたので画期的なことだった、家族の子供用なのかメイド用なのかひと部屋はクーラーが付いていない。

 広いレンガタイルが敷き詰められた通路から庭を通って部屋に入るのでまるで一戸建ての家に入る気分だ。通りの向こうは芝で覆われてベンチ風ブランコが置いてある。植え込み越に海が見える。花が咲き椰子のはが風に揺れた様はいかにも余暇を楽しむ気分、サイコウ。

 夜最後の南十字星を見ようと探した、でも街灯の光で夜空がボンヤリとしか見えない。暗い場所を求めてホテルの敷地を移動したが残念ながら発見する事はできなかった、たぶんアレだと歪な四角形を指さして部屋へ戻った。

 部屋では荷物の整理をした、東京で3日間滞在するので大きなスーツケースはナリタから宅急便で送れるように持ち物を整理した、私はホテルに来る前に立ち寄ったスーパーで買ったビールを飲むだけで妻がブツブツ言いながら分類している。

 ビールのことだが、クスケーニャの壜にはクスコの12面体の石垣が浮彫りになっていると説明されたのでよく見るとホントにそうなっている。オミヤゲに持って帰ろうと思うもとき既に遅し。私が買ったビールは銘柄違いなのでそのような細工はされていない。
買おうにもその話を聞いたのはもう店に寄るチャンスが無くなってからだった。ザンネンだった。

 早起きして朝日が昇るのを待った。潮騒の音も心地よい。今夜帰国の途に着く、身体の不調も旅に支障が無い程度の軽いもので良かった。
今日はマジェスタ島遊覧だ。

イカからパラカスへ

2006年05月05日 07時42分45秒 | マチュピチュ
 気分は優れないが機長のサービス精神をオーバーに褒め、たどたどしい域にも達していない日本語を褒めて地上絵を眺めた。長~い時間に感じられた、同行の皆さんはとても楽しんでいる様子だ。ただ一人の男として弱音を吐くわけにもいかない。
 もう戻ると言われたときは正直ホッとした気持ちと惜しいもっと見たいという気持ちが半々だった。帰りもけっこう時間がかかった、時折り揺れるが帰りと言うことで気がラクだった。

 乾燥してカラカラな大地に禿山が真昼のベタ光線で陰影に乏しいボケた風景が続いている。アンデスの山から流れ出たであろう川の跡がある。退屈な光景の中に出てくると僅かの変化でも砂漠と言うものを感じさせる。広い河原に幾段か高低ができている、あれが河岸段丘というものか。水無し川なのでたんなる窪地かもしれない。砂地がつくる縞模様の中ほどに水がキラキラ光って見れる帯が見える、水が流れているのだろうそれに沿うように緑の帯が見える、ホッとさせられる光景だ緑が綺麗だ。

 着陸したとき正直嬉しかった。イチバンに出発したので他の人はまだ戻っていない。空港ないにコンドルがいると聞いたので見に行った。さすがインカの神と崇められただけあって気品がある。羽の黒の中の白が栄えている。一緒に写真が撮れるというので檻から出してもらう、羽を広げると2mはゆうに越す大きい。子羊なら掴んで舞い上がるだろう。代わる代わる写真に納まりお定まりのチップを出した。
仕込まれたのであろうが羽を広げたまま歩いたり、写真に納まるまで羽を広げた状態でいる。

 飛行までの待ち時間にイカ市内を少し回った、何処の街にもある中央広場を見ただけだが市の中心部なので人出は多い。そこの名物と言うチョコレートをオミヤゲに買った、キャラメルをチョコで巻いたもので大きさ包み方がおもしろい。ついでにピスコも買った。
 遅い昼食は街外れのレストランだったが、広い敷地で手入れも行き届き廊下には骨董品が展示されている、もしかすると宿泊施設もあるのか。屋外での気分好い場所でのランチだった。冷えたビールを飲みながら遊覧飛行の話に花が咲いた。

 食事の後はこのツアー最後の夜を過ごすパラカスへ行くだけ。街を抜けると砂漠、砂の砂漠ではなく木が生えていない土地という意味での砂漠で色はグレーっぽい。砂埃が立ちそうでそうでもない、砂漠というのに慣れていない私にはなんとも言いようのない光景だ。
来た道、行く道で興味を惹いたのは看板だった。コーラやビールの看板がおもしろい、とてつもなく大きな看板や、100m、200mと続く塀に同じマークが繰り返し繰り返し並んでいる様は異様でもある。何の変化も無い荒れた大地の中の村の壁、塀に描かれたものをみるとやり過ぎだと思う半面ペルーとはこういう国だと納得しペルーの風景と受け入れる気持ちも出てくる。インカコーラやクスコビールの大型看板を見たときも同じように感じた。
 パラカスはハイウェイから海側に向けて暫らく走った所にある。ホテルに入る前にスーパーに寄ってビールを買った。添乗員はホントは信義則違反だが・・と笑いながらスーパーに立ち寄る旨を告げたのだ。ホテルの飲料は高いので嬉しい配慮だ。

 ホテルはリゾートホテルで低層の客室が並び、プールは当然のことである、桟橋もあった。早速夕日を見ながらプールで泳いだ。

遊覧飛行

2006年05月02日 14時04分50秒 | マチュピチュ
 ナスカの地上絵を空か見るための飛行場はイカという街にある。
飛行場というものの小さな空港だ、小さいとか大きいとかはターミナルのことで滑走路は見えなのでその規模は分からない。平屋の待合所がある程度なのでやはり小さいのだろう。
ガイドがなにやら交渉しているが、午前中のフライトは他の客の混み具合、機材の都合でで無理な様である。ではランチを先に済ますというわけにも行かないので先のフライト組みの帰りを待つことになった。
もうその頃には添乗員さんの誠意ある気持ちを汲み取る事も出来るようなっていたので少々の待ち時間は苦にならなかった。みなさんもそうであっただろう、待ち時間の様子を見てそのように感じられた。

 時間待ちしていよいよ乗ることになった、飛行機は4名乗りのセスナに6名、12名乗りに分乗する事になりどの飛行機を選ぶかの希望が聞かれた。私たちは即座にセスナを希望し叶った。
私が操縦席の隣に座ることになった。セスナは初めてなのでワクワクした気分だ、しかし若干の不安もある飛行機酔いのこと。座席は会社の係員が決めていた、事前に体重の申告があるとの説明があったが、それは無かった。一緒に乗った若い(ツアーメンバーの中では)女性の体重を聞きたかったのに。

 いよいよ離陸、ちょっと滑走したらすぐ飛び上がった、市街地を見ながら上昇すると荒野、砂漠、禿山が目に入る。川が分かる、水は流れていないが木が川筋に沿って生えているので分かる。谷間に屋敷の中だけ緑に包まれている敷地が見えた、リゾート施設なのか個人の邸宅なのか、緑が見えたのでホッとした。

 唐突ですがこれからナスカへ行かれる方へのアドバイスです。運良くセスナに乗れてしかも副操縦席に座れたとしてもそれだけでは大空の散歩を満喫できないのです。坐ると見えるのは計器だけ、景色はヨコの三角窓からしか見ることが出来なかった。原因は身長および座高です。伸び上がろうとしてもシートベルトがジャマをして尻が浮き上がらない、イライラしたがシカタがない。尻の下に敷く5~6cmの台(?)持参をお勧めします。
コンパスには自信が無いが座高には自信がある人は必要ないでしょうけど。クラスメートの○○なら必要ないな、胴長短足だったから。

 それから添乗員からの助言だったが、操縦士もヒトノコ、褒められたら気分良くサービスするし、気が乗らなければ早々に切り上げるヨ。それならと私たちはオーバーに声を上げて機長を褒めた。機長は右の人左の人と地上絵が良く見えるように機体を傾ける。たしかに良く見えた、インターネットとかガイドブックには地上絵がハッキリしなかったと不満の声もチラホラ書かれているが、私たちは気象条件が良かったのかよく見えた。

 機長はアンチョコをだして日本語の説明をローマ字読みしている、言うている事を一生懸命考えてなんとか分かる程度、それでも”じょ~ず~”と褒めた。左の人が見えるように傾けている間私は機長越しに見るか、空を見ている。大きく旋回して今度は私が見えるように傾ける、サービスは良い。良いのは良いが酔いが来そうだ。

 気分がオカシクなってきた。もともと船酔いに強い方ではない。学生時代の船ヤマトまで行き来していた頃を思い出した。ウッ・・・
吐きはしないが気分は優れない、それでもはるばるやってきたのでゼッタイに見ておかねばならない。必死の思い出ハチドリ、さる、コンドルなどを目に焼きつける。アタマの中では左側には傾けなくていいのの・・・などと考える。

 直射日光に照らされたナスカ、眩しくて暑くもある三角窓を開けて風を入れると気分も少しは気が紛れる。アタマと目は別々のことを感じて動いているようだ。見たい、気分は優れない、でも見た~い・・・
眼下にはアメリカンハイウェイが一直線に伸びてミラドールという観測塔らしきものも見えた。宇宙飛行士や三角形も見える。もっと見た~い、もうこれでいいとの心の葛藤は続く。

イカ (ナスカ)へ

2006年05月01日 07時36分30秒 | マチュピチュ
 このツアーの3本柱の一つナスカの地上絵を見に行く。
マチュピチュを筆頭に楽しみにしている場所だった。子供の頃読んだ本、それは発見物にも怪奇物にも登場していたナスカである。発見されたときの逸話や何故・何時・誰が・・など興味深く書かれていたし、今でも興味を惹く話である。

 ヤコペッティ監督の「世界残酷物語」に出てきた飛行場はナスカの地上絵だったか、何処か南洋の島の話だったか・・
勘違い記憶違いであってもナスカには夢ロマンがあるのに違いは無い。

 バスは市内から郊外へ出てリゾート地らしいところを抜けて南下する。走っている道がアメリカンハイウェイで、北はアラスカからチリまで繋がっているとのこと。

 道といえば、クスコからプーノへ行く道のある部分はフジモト大統領時代に建設整備されたと説明があった。それまで20時間以上かかっていたのが数時間で行ける様になったのは大きな功績だろう。
そのフジモリさんが大衆から見限られたのは一部の支配層に取り込まれたのか、元々そのような人物だったのか、発展途上国の指導者は分からないものだ。現在置かれている境遇と合わせて考えるとあらぬ事も考えたくなる。
 ただ日系だからという理由で支持応援するのは問題がありそうだ。ガイドの発言にフジモリは殆んど出てこなかった、もう過去の人間になったと言わんばかりの感じがした、ただ娘さんが上院議員に立候補している話しはしていた。

 チチカカ湖の浮島に設置してあった太陽光発電システムとこの道路、彼が貧しい地域に目を向けたのは確かだ。惜しむらくはこの姿勢を続けて欲しかった、権力維持のためにフィクサーを利用し、あるいは利用されては欲しくなかった。

 添乗員は南米のことをよく勉強していて歴史や地理だけに止まらず、社会問題や時事問題も解説していた。もちろん私たちは観光ツアーなのでペルー政府の批判ではなくヤンワリとした問題点の指摘であった。
インフラが盗電や水道の勝手な引き込みで整備されていくという話はおもしろく、可笑しく庶民の知恵(?)に感心した。道々の整備された豪邸地域と斜面にへばり付くようなスラム地区を見ると問題があるのは分かる。

 乾燥地帯、海辺のアメリカンハイウェイをバスは走り続ける。海水浴場も見えるがフンボルト海流は寒流なので泳ぐのには適していないだろう。サーフィンむきの波が次々と押し寄せている。
この辺りは大規模な養鶏場がある、乾燥地帯に見えるがアンデスの雪解け水が得易いらしい。作物はトウモロコシや柑橘類にブドウ畑もある。近年ワイン作りも盛んになり美味しいワイン生産地となりつつあるとのこと、ピスコという酒の代名詞にもなっている街を通り過ぎた。
道は少しずつ登っていき海から離れて内陸に向かう。

 小型飛行機に揺られると気分が悪くなる人が出るので、遊覧飛行を済ませてから昼食にしたほうがいいという添乗員の配慮があるので遅い昼食なる予定だ。