どこ吹く風

旅のことを主に書く。

会報の原稿

2006年10月30日 07時41分55秒 | 懐かしい旅の記録
 学生時代に山岳部に所属していた。勿論今はOB会のメンバーである。
私は卒業以来殆んど山歩きをしていない、山歩きどころかハイキングすらしていない。ところがOB会の面々は大方の人が今でも山の現役である。山を楽しむ内容は万バーそれぞれだが山の現役なのだ。

 会報の原稿募集通知が来た、原稿用紙4枚程度とのこと。
さて何について書こうか、卒業以来山に登っていないので山登りについては書けない。皆さんは適当に登っているので、山行やハイキングその帰りの温泉三昧のことなど題材が豊富だろう。

 ところが私は山登りをしていない、ハイキングもしていないので山に関連したことを書くとなるとスイス旅行のことしかない。でもスイスはロープウェイやケーブルカーなどの乗り物で山頂近くまでヒョイと行き、チョコッと歩いて頂を踏むので山登りとは言いがたい。
観光旅行なので日程をおって書いても山行記録にならない。それでもスイスの事を書くとなると視点を変えて、構成を変えて何か別のスタイルの旅日記若しくは紀行風にするしかない。

 私が始めてスイスへ行った前年に学士会としてスイスへ出かけ、しかもほぼ同じ地域なので、フツーの書き方をしてもツマラナイ。
どのような組み立て方をするか・・、主題、クライマックスは何にするか。基本的なことが思いつかない。

 スイスの山の美しさ、里の美しさ
 スイスに嵌まってしまった理由
 個人旅行が容易に行える事
 駅に佇む女性
 汽車、登山電車、船、ロープウェイ、リフト等の交通システム
 山岳ホテル、宿について
 食事
 
 これらの事をどのように1本の線で繋ぐか。締め切りは年内なのでまだ時間はある、もっと練ってそれらしいものにしよう。
構成、主なテーマ、芯になるモノは何か・・・
無限ループに陥りそう。

食傷気味

2006年10月26日 15時48分44秒 | エジプト
 ちょっと張り切りすぎたようだ。
時間があればエジプトエジプト、インターネットで検索し跳んだり戻ったりし、本を読み写真を眺めるうちに、なんであんな乾いた大地がいいのか・・考えるだけで喉が渇き水が欲しくなる状態に陥った。オアシスで一休みする必要がありそうだ。

ファラオの世界はもの凄いものがあるだろう、だからエジプトは一番最後にとのお言葉だったのだろう、とは思うものの行く前に飽きはじめた。 今頃になって緑の草原に岩と氷の大地、心和む風景のスイスがいいナ~なんて思い始めてきた。
知らない国の気候風土に接するのも良いが、スイスは好いよネ。他の国へは行かなくていいから又スイスへ行きたいなんて思い始めた。

 コンを入れすぎたのだろう、ここいらで一休み、オアシスの椰子の木陰で腰を下ろそう。暫らく休んだら方向も変えよう。地理・地誌も必要だけどやはり歴史に重点を置くのが常道だろう。基本を抑えてからその他の分野へ踏み出そう。

下調べは未だつづく

2006年10月24日 08時49分05秒 | エジプト
 図書館から参考書を2冊借りてきた、斜め読みできる程度の写真が多いものを。ルクソールについては東岸西岸の意味が分かったので、神殿や陵墓の詳しいことは後回しでいいだろう。

戦史を読んだので少しは重層的にあの地域・あの頃のことが分かりかけてきた。量をこなせばもっと分かってくるだろう。
 さてルクソールの次は何処にしようか、日程に沿って南に下りアスワンにすべきか、カイロがいいか。
アスワンへは南に下るというより、上流へ遡るので南に上るというべきかな。今回はナイルクルーズは入っていない、カイロでディナークルーズがあるようだ。
船旅での楽しい思い出は少ない、学生時代に一日がかりで鹿児島まで渡ったが、時には寝ていて船室をゴロゴロ転がされるほど揺れたこともあった。吐くまでには至らなかったが食事をとる気も起こらない船酔いはしばしば体験した。あ~いうのはイヤだ。

 脈絡も無くオミヤゲに移るが、カラスミが安く売られているようだ、市場まで行く時間があれば買いに行きたいものだ。
あるサイトのQ&Aにカラスミを販売している店のことがあった。
「Bab El Louk にあるお店の名前は、シャヒーン といいます。住所は Strand Bladg. 183 Nubaar St. Bab El Luok 電話は3549139 です。」とあった。そう書かれても何処なのかサッパリ分からないがそのうちに分かってくるかな。カイロの詳しい地図で見当をつけるもの勉強になるかも。

あれこれ(二) 火事

2006年10月23日 06時17分24秒 | 懐かしい旅の記録
マニラで中華街を見物したとき気付いたのだが、街角に消防車が停まっている。それも何ヶ所かに停まっている。案内してくれた方に聞くと、中華街は何時も混雑しているので消防車が来るのに時間が掛かるしマニラの消防士の質の問題もある。それに木造家屋も多いのですばやく対処する為に地域で消防を設立したようだ。車体に漢字で自警消防団のような意味の文字が書かれていた。

 ことあらば近くの人が飛び乗って消火活動をするのだろう。公的な消防活動に頼っておれない状況と中国人の団結の力を見た思いがした。

 ある時ハリソンプラザの斜め向かいの密集した住宅地で火災が発生した。真昼間の火事で家財道具を持ち出す人や消火活動する人それに野次馬で付近はごった返していた。私も野次馬の一人としてうろついていた。
消防車が何台も着た、そこへ中華街のあのボランティア消防車も来た。10t車の水用タンクローリーの上には数名の人間が坐っている、あのような場所に坐って出動するとはいかにもフィリピンの光景だ。到着すると飛び降りて野次馬を整理しながらタンクローリーを誘導している。バックするときは細い棒切れでタンクをリズム良く叩きながら運転手に合図している、確かに騒がしい中での合図にはピッタリだと感心した。

 乾季で乾燥した時期だったので次々と延焼していく、その日の前日にも近くで火災が発生したので不審火のようだ。住民同士で罵り合っている人もいたし、その横で半狂乱になった女性もいる。野次馬の目にはいつもの火事場風景だった。
被災者数で言えば日本の同程度の火事に比べて数倍の人数になるだろう。なけなしの家財を失った人はホントに気の毒だ。

 旅先で火事に遭い野次馬になるとは思いもしなかった。

旅 あれこれ(一)

2006年10月19日 13時36分55秒 | 懐かしい旅の記録
 トルコのコンヤで観光バスが横転する事故があり死傷者が出たとの報道があった。
原因はスリップ、雨、断食月の影響などいろいろ報じられているがどれも合っている様な気がする。
 いくらコンヤだからというてバスまでクルクル廻らなくてもいいのに、スーフィー教団のパワー恐るべし。(笑)

 去年の今頃その方面を旅した者としてちょっと複雑な思い出ニュースを見聞きした。コンヤはトルコの中央部にあり、アンタルヤからの山道が雪を被りバスの車輪にチェーン装備するのに手間取っていた。その間雪遊びをしたら”ホントにオキナワから来たの? 雪は珍しいでしょうネ。”とツアー仲間の皆さんと一挙に打ち解けた。
せっかくの旅で事故に遭われた方々に同情します。

 明日は我が身にならない事を祈るばかりです。

 分厚い戦史はヘブル人の項に入った、アビル人にヘブル人、カナーンの地、部族集団とイスラエルと出てくるが、旧約の出エジプト記を思い出しながら読むとユダヤの歴史がぼんやりと浮かんでくる。

 けっこう酷い連中だ初期のヘブル人は、今もその血が流れている気がせんでも無い、イスラエルの今現在続けている残虐な行為は有史以来の民族的な性格なのだろう。

 さてルクソールをGoogleEarthで見ると神殿まではっきり分かる、観光用の概念図とは違うものがある。未だ見ぬ神殿を空から眺めて楽しんだ。

ツアー参加案内

2006年10月16日 09時31分02秒 | エジプト
 トラピックス(阪急交通社)の旅の案内冊子が定期的に送られてくる、それに乗せられて今回のエジプトツアーに参加することになった。「○○限定のお客様にお送りさせていただきます」という文言に妻が釣られたのだ。
参加を決めた後に届いた案内書の一般ツアーと比較してホントに安かったのだろうかと疑問を持つが今さらしょうが無い、そんな事は考えずに楽しむだけだ。

 クリスタルハートという高級なツアー案内もその冊子に同封されて来るが、そちらは縁がないので読まない。日程紹介のページにホテルの写真があり高級ホテルに泊まるのもウリの一つのようだ。共同バストイレに二段ベッドの旅行をしている私たちにとってはツアーで止まるホテルは高級なのだ。そのクラス以上のものは要求しません。ただ飛行機はビジネスクラスに乗ってみたい。

 冊子を捲るとトルコツアーが載っている、16日間129.000円からとある。エジプトは止めてでもそれにもう一度参加したい。たんにその金額で16日も遊べるのが魅力なだけです。いくら物価が安い国とはいえ、あの金額は個人旅行するより安くつくだろう。
あの金額は魅力だな~。出発日によっては料金は変動するが、一度見ているから気候も関係なくイチバ~ン安い日でいい。また行きたいものだ。

 妻の日記は1ページに数年分が書ける形式になっている、夕べ日記をつけながら、4年前の今日は西安に居たと言う、中国は4年前だったのか・・もっと前のことと思っていた。九寨溝へも行きたいナ~。
意味もなくグダラカぐだらか書いているが、送られてきた冊子の所為だ。今度はエジプトへ行くと決めているのに、同じ会社からツアー案内を送ってくるからイケナイのだ。つい目移りしてしまう。

 エジプトの下調べはやっている、詳しいサイトを見つけた、あまりにも詳しいので記述されている全てに目を通す事は出来ない、拾い読みツマミ食いして付け刃の知識をアタマに入れよう。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/index/index.html

地図や真面目マトモな解説が書かれているようだ、まだ読んでいないのでチラッと受けた印象です。
トルコや中国のことなどアタマから振り払い日干し煉瓦を一個一個取り払うツモリで固い文章を読んでみよう。

下調べ

2006年10月13日 14時54分56秒 | エジプト
 世界の戦史の古代エジプトの戦争を読んだが、歴史書とは違うようだ。ラムセス二世の時代で終わっている、シュメールから始まりエジプト、ヘブル、ペルシャと続いているので、この後の事は二巻や三巻で語るのだろうか。
 それほど詳しく調べるツモリは無いので、日程表に載っている地名・人名をインターネットで検索して調べた方が手っ取り早いと思うようになった。

 初日にルクソールへ行くので、まずそこからだ。遺跡・史跡は東岸と西岸にあり東岸は太陽が上がるので生者の都で西岸はネクロポリス死者の都となっている、とある。
なるほどこれだけ知るだけで遺跡の様子が想像できる。

 ホメロスが百門の都と謳ったそうだが大きな都だったのだろう、テーベと呼ばれたともある、テーベ・・・この言葉は映画で見た覚えがある。言葉を見たというのはヘンな表現だが、映画のシーンなのでそう表現してもいいだろう。その言葉を発した人はエリザベス・テーラーのような気がする。さて何の映画だったのか。

 出てくる地名・神殿・人名など何でも抜書きしてみよう。
ルクソール神殿、テーベ、カルナック・アモン(アメン)大神殿、アモン信仰、デンデラ神殿(クレオパトラ、プトレマイオス16世)、オベリスク、パピルス柱、アメンヘテプ3世、メムノンの巨像、ハトシュプスト女王葬祭殿、王家の谷、トトメス1世、ラムセス4世、ラムセス1世、ツタンカーメン(ハワード・カーター)、ネフェルタリの墓、ハトホル柱(ホルスの妻=ヴィーナス)
カルトゥーシ(象形文字のオミヤゲ品)

タンゴの羅列だが、記憶した方がいいだろうからメモしておく。

ツアーの日程

2006年10月11日 10時31分41秒 | エジプト
 日程が明らかになった。
明らかになったというのは大袈裟で、単にこういう日程だから予約申込金を払い込みなさいというお知らせが届いただけです。
申し込んでもクーリングオフの帰還が8日間ある、いつものように胸はずむワクワク感が無い、心の片隅に資金の問題またツアー参加では無くて個人旅行で行きたかったというワダカマリがあるのだろう。

 でもでも行けるのはやはり嬉しい、日程・行程が決まったら勉強の対象も絞られるのでラクだ。これに沿って調べよう。

まずは日程表です。
一日目が年明け早々の11日の予定。
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1 関西国際空港発 飛行機 13:00/空路、エジプト航空にてルクソールへ直行

ルクソール着 バス  夜:着後、ホテルへ   (ルクソール泊)

2 ルクソール  バス 午前:高さ21mの巨大な一対の座像★メムノンの巨像、
             ☆王家の谷、☆ハトシェプスト葬祭殿
            午後:世界遺産ルクソール東岸観光 ラムセス2世の巨像
             ☆カルナック神殿、☆ルクソール神殿)。
                          (ルクソール泊)

3 ルクソール   バス 朝:エドフへ。
エドフ        午前:隼の神を祀った☆ホルス神殿観光
コム・オンボ 昼:二重構造で有名な☆コム・オンボ神殿観光
アスワンへ。
アスワン   船舶 午後:聖なる島にたたずむ☆イシス神殿観光
ファルーカ(帆かけ舟)にてナイル川セイリング
(アスワン泊)

4 アスワン バス 昼:アブ・シンベルへ

アブ・シンベル 午後:☆世界遺産アブ・シンベル神殿観光。
ラムセス2世の4体の巨像が鎮座する大神殿
夜:アブ・シンベル神殿音と光のショー
(アブ・シンベル泊)

5 アブ・シンベル 列車 早朝:アブ・シンベル神殿日の出鑑賞
午前:再びアスワンへ
アスワン バス 午後:世界遺産アスワン観光 ★アスワンハイダム、
☆切りかけのオベリスク
夕刻:寝台列車ナイルエキスプレスカイロへ
 (車中泊)

6 カイロ バス 着後、ギザへ
ギザ 午前:世界遺産ギザの3大ピラミッド★クフ王のピラミッド、
☆カフラー王のピラミッド、★メンカウラー王のピラミッド、 ★スフィンクス

カイロ        午後 自由行動
            OP:カイロのモスク巡りとオールドカイロ観光
ギザ OP:ギザのピラミッド・スフィンクス音と光のショー
(ギザ又はカイロ泊)

7 ギザ バス カイロへ
カイロ   列車   アレキサンドリア へ
            午後アレキサンドリア観光 ☆国立博物館、☆ポンペイの柱、            ☆カタコンベ
            夕刻列車にてカイロへ。
            着後、ギザへ。
                           (ギザ又はカイロ泊)

8 ギザ バス 午前:☆エジプト考古学博物館観光(ツタンカーメン黄金の品)
  カイロ 午後 自由行動
            OP:メンフィスとサッカラ・ダハシュール観光
ギザ 船舶   夜:夕食はナイル川ディナークルーズ
(ギザ又はカイロ泊)

9 ギザ 飛行機 午前:出発まで自由行動
カイロ OP:カイロタワーとマニアル宮殿観光
カイロ発 夕刻:空路、エジプト航空直行便にて帰国の途へ。
(機中泊)
10 関西国際空港着 12:00/着後、解散。

ラムセス二世

2006年10月09日 07時38分32秒 | エジプト
 トルコのヤズルカヤ・ハットウシャシュへ行った時に、この地のヒッタイト王とエジプトの間に世界最古の条約が結ばれたとガイドの説明がなされた。荒涼としたなだらかな草原が広がり冷たい風が吹いていて遺跡といえば大きな石が敷き詰められた処と城壁・城門の跡があるだけなので華やかな都の風景を想像するのは難しかった。
ただあのエジプトと互角に戦ったとはスゴイ国だだったのだ。ガイドは条約を結んだが実質はヒッタイトの勝ち戦であったと説明していた。

 BC1285年5月17日午前6時と事細かく描写しているカディシュの闘い、カディシュは街の名前でその町の近くで大きな闘いがあった。そのことは記録が残っているので詳しい布陣や戦い方を今知ることができる。
エジプトとヒッタイトは両方が勝ったとしているようなので、引き分けに近い闘いであったようだ。
三国志のような権謀策略は無いが情報戦はあって、ラムセス二世がヒッタイトの策略に引っかかり大敗するが、どうにか乗り切って講和するまでに至ったようだ。

 トルコでの話を思い出した、ところでラムセス二世の遺跡とはどのようなものか。検索すると有名なアブシンベル神殿、あれがラムセス二世の像ようだ。
今日はこれが分かっただけでも大収穫だ、太古の歴史と観光遺跡が初めて結びついた。本来なら遺跡と遺跡とのつながりを言うべきだろうが、私には観光遺跡とこれから行くであろう観光遺跡とのつながりである。

 アブシンベル神殿といえば、アスワンハイダム建設のために水没するところをユネスコが移設した遺跡である。何処かのサイトで読んだが移設完了の式典である人が「ユネスコはアレだけのカネを掛けて何をしたの、全く同じで以前と変わらないではないか。」と言うたそうだ。

アブシンベル神殿へ行くのが楽しみになった。

参考書 世界の戦史

2006年10月06日 15時25分34秒 | エジプト
 まず古代オリエントから書いてある。世界の四大文明発祥の地の一つは、チグリス・ユーフラテス川流域となっているので、そこから始めてもいいのだろうけどエジプトに頭がある私にとっては、エッ始めは中国ではなくていいがエジプトではないの?という感は否めない。

 エジプトはメソポタミアの後なんだ、何を持って後とか先というのかはもう少し読み進めば分かるだろう。多分国家として権力機構が確立したのが早いか遅いかで書かれる順序が決まるのだろう。

 ギルガメシュ叙事詩が出てきた、楔形文字も出てくる、世界史を取らなかったとはいえその程度話は読んだことがあるし、聞いたこともあるので今回時系列的に大まかな流れを知ることができて良かった。
また海岸線のことも重要だ、トルコのトロイやエフィソスへ行った時内陸にあるので奇妙な印象を受けた。あの時代は海に面していないポリスは貿易の中核都市になれない、当時は海岸線はそこまで来ていたと説明を受けても実感できなかった。数千年という年月は長い、気候地形が違う、その辺りに想像をめぐらして考えなければいけない。

 ようやくエジプトの項になった。上ナイル=ヌビアのティスという地名が出てきたので検索すると、役立ちそうなサイトにぶつかったのでラッキーというところ。
当面この本とあのサイトで歴史の基礎知識を仕入れることになる。

 書物を読むのは勉強になる、メソポタミアでも城塞都市や街、神殿の遺跡はある。しかしピラミッドのような巨大建造物は無い、エジプトとは死生感が違うようだ、書かれているのを読めばその論に納得する。
これからも目からウロコがたくさん出てきそうだ

参考図書

2006年10月01日 21時10分38秒 | エジプト
 自分の本棚から食と沖縄の戦後史的な本を探していた。
「どんなものを食べているか言ってくれたまえ、君の人となりを言いあててみせよう」というブリヤ・サラヴァンの言葉を探し、また戦中戦後を教育者として過ごした方の歌をも探して本を引っ張り出した。入りきれないで本の前に積まれた本があるので、机の上に移して奥から取り出した。

 机の上から戻すとき見慣れない本がある、背表紙の文字も読めない。捲ってみると黄ばんだシミが付いている、スフィンクスのカラー写真があり、目次には古代オリエントの文字がある。最初のページに戻ってよく見ると「世界の戦史=1」とあり副題が「古代オリエントの興亡」となっている。
出版は昭和40年で定価490円、400ページ近い全集物がその金額だから古い本だ。どういう経路で私の本棚に納まっているのかは不明、買った記憶が無い。中国の歴史に興味を持った時期はあったがオリエントの方は記憶に残っていない。

 巻末に年表があり、最後が520年となっているので紀元前の年だろう、それではクレオパトラの時代は入っていない。この本は読み物ではなく歴史書なのでフツーならそこまで辿り着く事は無いでしょう、間違えて巻末まで読んだとしたら・・・まあそんな事はあり得無いか。

 とにかく読み始めよう。