どこ吹く風

旅のことを主に書く。

スイスへの旅

2006年06月14日 06時35分39秒 | 旅-スイス
OB会MLへの投稿文です。
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 屋久島に槍ヶ岳にと登山に励んでいる皆さんの体力に驚嘆しつつ、昔を懐かしむだけの私です。
昨年一瀬先輩にオンブに抱っこでスイスを案内してもらいスイスの魅力に接しました。あの時は山岳部で教え込まれたはずの事前勉強を殆んどせず、訪問地さえあやふやなまま出かけました。もっと勉強して行けば良かったと思うも、顔には出さず帰ってからインターネットを駆使して調べ捲くりました。

 その甲斐あって、(スイスを知らない人には)スイス・ツウで通るほどになったツモリです。(笑)
今年も妻のお蔭で又スイスへ行けることになりました。彼女の妹万ちゃんも一緒の三人旅です。私がツアーコンダクターなので二人を満足させるべく訪問地や日程を立てている最中です。ここでは一瀬先輩の旅のスタイルを間近で見た経験が役立っています。まあ見たというだけで中味が伴っていないのですが、そこはそこ二人には悠然とした態度で自信ありげに断定的に言えば黙って着いてくるものと希望的観測をしています。

 さて、スイスは宮之浦岳や槍と違い坐っていて4000メートル級の山々の目の前まで行けるので体力の無い老人向けの山です。それ故私でも行けるものと思っています。またどの場所からも美しい景色を見ることができるのでコース選択の誤りが目に付かないだろうから、ツアコンのボロが出難いのがいい。
 今回も山岳地方のみで、都市部は初日のLucernとZurichに早めに着いてオミヤゲ類を買う程度です。

 アシはシンガポール航空で行けばJALよりも4万円ほど安くなるが、沖縄・関空の旅費と前後泊が必要になるので実質2万円チョットの差に縮まる。JALは国内各地からの料金が含まれている悟空21シリーズでこの時期146000円と諸税の25000円ほどの17万円。高いけどマイルが溜まり若しかしてJALのキャンペーンに上手く合えば冬の双峰にまた行けるかも・・・との期待もあります。若しくは国外へのアシ代がタダになるのもあるみたいなのでJALでも良いかとなった次第です。沖縄からだと成田での前泊は必要です。
 東南アジアからヨーロッパへ昼間飛ぶ便があればそれには乗りたい、ヒマラヤ上空を飛ぶなんてステキじゃないですか。前にタクラマカン砂漠の向こうに聳えるヒンズークシ山脈をみて感激したので、ヒマラヤを眼下に見たいと思うも夜間飛行なのでガッカリです。

 スイスの山岳地方といえばBernerOberlandのGrindelwald、ZermattにSt.Moritzの三ヶ所は外せない。今回はそれにMontBlancを加えた。ChamonixにはMartignyから入ります、スイスパスが有効なので足代が掛かりません。
 またテーマとしてBernerOberlandをぐるっと周りJungfrauを東から南から見るツモリです。実際に見えるのかどうか知りませんが、Grimselpassグリムゼル峠をPostBusで越える予定です。Aretsch地域のEggishorn へも行くつもりです。西側からのポイントは見つかりません。
でもこれでは日程的に苦しい、どこをどうするかツアコンの腕の見せ所と張り切っている今日この頃です。
 (sbbやPostBusの時刻を検索する為に現地表記の地名が必要なので、慣れるために敢えてローマ字綴りで書きました。)

ロープウェイ

2005年09月07日 17時51分46秒 | 旅-スイス
 思い出したことがある。スイスの山はいたる所にケーブル、ロープウェイ、リフト、ゴンドラ等が設置されている。おかげで足腰が弱った人でも、お年寄りでも、身体が少々不自由な人でも割にラクに山の上まで行き、眺望展望を楽しめる。

私もそれらの恩恵にあずかった者です。しかし、ふと昔のことを思い出した。あの頃、学生時代に西穂にケーブルカーもしくはロープウェイを設置する計画に論議が起きた。自然保護、景観論争だったと思う。山はそれぞれの体力に合わせた、身の丈で楽しむべきという意見と、誰でも山を楽しめるようにしても良いという意見だったと理解している。

 結局あの件はどうなったか知らないが、立山のどてっ腹をぶち抜き、ケーブルカーで黒四に降りるルートができた。ハイヒールでも立山や剣を間近に見て楽しめるようになった。学生時代は美松から歩いたものだった。随分便利に、そしてラクになったものである。
 日本の山も知らないうちにラクに行けるようになっている。昔の論議はどうなったのだろうか。アプローチが短くなった分より高度・密度の高い登山ができるようになり
一般のみならず岳人にとっても良くなったのだろうか。

 スイスでは山にケーブルカーやウォーぷウェイ、リフトを設置したときにこのような論議は起らなかったのだろうか。自然を大切にして暮らしてきた国民だから何らかの論議はなされたであろう。

 全くの予想だが、自然保護とう意識、論議が起る前に既に設置されているので現状追認をせざるを得ない。またスイスは貧しい国なので観光に対して力を入れてきた、静養、登山、観光からスキー客誘致のためのリフト設置という段階を踏んだので反対運動が起きにくかった。

 ロープウェイ・リフトのシーズンは冬場である、スキーのために設置した施設を夏の観光にも使ったということか。

 ただかつての論議の行方が気になったのと、スイスはどうだったのか、という疑問が湧いたので一応記しておく。

写真:夏スキーを楽しむ若者たち

印象

2005年08月19日 11時19分51秒 | 旅-スイス
人・人間
 スイスの国名は、Confederatio Helvetica 「ヘルヴェチア連邦」と言う、と解説書にある。へ~っという感じだ、初めて知った。
九州ほどの広さに720万人の人口だそうだ。
人が少ない、希薄という印象はあった。その希薄というのは目にする人々の数が少ないというより、自分との接触度が薄いという意味も含んでいる。

 山への人出は多いが人間臭さが無い、人間を感じさせないほど山の風景に溶け込んでいるのだろう、と考えてもおかしくない。しかし、しかし・・だ。
初めてのヨーロッパなので考え違いがあるかも知れないが、人ごみの中でも人を感じさせないのは自分と大勢の人との間に非常に大きな空間があるように感じる。

 アジアでは何処でも人ひとヒトで、空気もネットリして目が合う人たちと自分は何か関係があるのじゃないかとの錯覚を覚える。何かしらヒトとの関わりが出てくる雰囲気が漂う。それほど経験が多いわけではないが、アジアとの差が感じられる。

 スイスでは隣に坐っているオバチャンがスイス人なのか外国人なのか判別できない。この時期、この時間に旅を楽しんでいるのは我々と同じく外国人かもしれない。このような意識も作用しているのか。



 スイスは旗が似合う国だ。野山をバックにしてへんぽんとはためく赤地に白十字の国旗。集落でも国旗を立てている家が多い。車窓からの風景だが集落の半分の家庭に旗が立っている地域もあった。何かのお祭りだったのか、それにしては国旗を立てている家が偏っている。

 山の一軒家、片田舎のポツンと建つ家にも立っている。その風景がまた絵になる。石屋根の家の庭先の旗、緑の野山の赤い旗は風情があり美しい風景だった。
そこで国旗を立てている家が多いですね、聞いてみたら、スイスでは飲食を提供する場にはおおかた国旗が立っているとのこと。
これで納得がいった。

ハイキングコース脇の民家に上っている国旗は喉を潤し腹を満たす場所だそうだ。それを国旗に象徴させるということは、国は国民を飢えから守るということを現しているのだろうか。

この項で暫らくスイスから離れよう。
昨日スイス鉄道の旅のVTRを図書館から借りて見た。ミラノからサンモリッツ、アンデルマット、チェルマット、ゴルナーグラード、そしてモンブランまでの沿線を紹介していた。チェルマットまでは見覚えのある風景だった。
今は廃線になりボランティアが運行しているというフルカ峠はぜひ通ってみたい。また越えてみたいところだ。

 妻が旅行の話をしたら、スイスだけに11泊したの!勿体無いという雰囲気だったそうだ。それも殆んど山岳地帯だけ。まあスイスのある面だけを見たということです。
また歩ける日を夢見ることにしよう。

アウトドア

2005年08月17日 10時24分17秒 | 旅-スイス
 交通費の項で、費用明細を載せるつもりでいた。Excelで作った表を htmlに変換するところまでは行ったが、その表をブログにリンクする方法が分からない。私のホームページに載せて、それにリンクを貼るつもりでいたけど、アップできない。元もとのソースを保管してある場所が分からなくなった。何処だろう・・・

 スイスはアウトドアを楽しむ人が多い、その内容も多い。行ったところがそのような場所だからということを考慮しても多い。まず目に付いたのが自転車、ツーリングスタイルに身を包んだグループ・家族が坂道を登っていく。あのような坂道を登らなくてもいいのにと思うも、その行為を楽しんでいるようだ。

 子供を乗せるリヤカーに荷物のためのリヤカーとデザインもステキな補助器具がある。二人乗りも機能性デザインもグッド。自転車用の車両もフツーに連結されているお国柄だからでしょうか。山、坂のあるところは自転車に向かないという常識はこの国では通用しないようだ。
挑発的な言い方ですが、長崎のみなさんは昨年何か感じなかったでしょうか。

 ペダルが無い自転車をリースしていた。自転車型からスクータータイプまで。初めは意味が分からなかったが暫らく考えて下り専用と気づいた。シュワルツゼーからマッターホルンを背に駆け下ったら爽快だろう。イヤ肝を冷やすかな。

 ハイキング大勢のハイカーが歩いている。ストックを両手に持った爺さんバアサンが様になった格好で楽しんでいる。私たちは下りのハイキングを楽しんだが、途中で出会う人たちは登って来た人たちだ。この年でここまで・・・言葉が分かるなら”先は遠いヨ、がんばれ”と笑顔で声を掛けたい気分だ。(笑)

 パラグライダーも盛んなようだった。いつでも山にぶつかってできる上昇気流があるのだろう。飛び立つ場所までロープウェイが来ているのでラクに飛べる。中には担いで上ってくる鳥人もいた。飛び立てばそこは・・・飛ばなくても想像できる、練習を始めてアルプスで飛んでみようか、という気分になった。

 パラグライダーとサーフィンボードを組み合わせたものも湖で舞っていた。沈したらボードとパラグライダーを担いで飛び立てる場所までトボトボあるくハメになる。
山をバックにすると、如何なるスポーツでも素晴らしく見えた。なぜスイスの山をバックにすると如何なる事も似合ってくるのか。偏見の色眼鏡が自然に被さってくるのだろうか。
自分もこの大自然と溶け合ってステキな風景のひとコマになっていると意識すると気持ちもシャンとなる。自意識過剰と言われようが、そう考えてもちっとも変だと思わせない大地であり、風景だ。

 次ぎ行く事があればどの種目にエントリーしようか。ハイキングは当然として自転車かな。 

交通費

2005年08月16日 07時47分47秒 | 旅-スイス

 旅行の費用は航空賃、宿泊費それに交通費が移動用の列車・汽車と観光するためのケーブルカーやロープウェイ料金に分けられる。
 スイスでは観光客へのサービスとして、外国人向けの交通費割引制度がある。大まかに言えばスイスパスとハーフチケットである。ある期間汽車や湖船・バスが乗り放題になるのがスイスパスである。また99フランでハーフチケットを買い、それを提示すると殆んど全ての交通機関が半額になるシステムもある。

 どちらの方法が安くつくかは行き先、旅行期間、利用する交通手段などを具体的に検討しなければ答えは出てこない。
一例として私たちの費用、スイスパスとハーフチケットの場合とに分けて計算してみました。
 あくまでも目安とご理解ください。
 費用明細はこちら ←リンクする方法を理解するまでお待ちください。
 
 空港内若しくは隣接する駅の案内所で購入できます。日本国内の旅行社で購入するとたぶん多額の手数料込みになっていると思われるので現地での購入をお勧めします。

 現金、スイスフランをどの程度持参するか。ドルならともかくスイスフランとなると地方在住者は困る、金融機関がそれほど準備していない。それにレートの問題もある。1フラン当たり3~4円の手数料を取る。私たちは郵便局で3万円ほど替えた。

 注:私たちと書いたが、金の出処は妻で私はたんに書いているだけです。正確に言えば金のことは「妻が」と書くべきであったが、文を書いているとき何か違和感を感じたの私が、とか私たちと表記した。
黙っていれば分からないことだが、妻がこれを読まないとも限らないので一応付記しておく。

 印象としてそれほど多くのフランを準備する事は無いだろう。殆んどの店でカードが使えるのでカードを持っている人はカード利用がいい。駅やスーパーで1000円ほどの買い物でもカード処理で済ますことをお勧めします。後日記録になるし、レートも交換時の手数料が掛かっていないような気がした。
 現地の空港で両替することも出来るので全く手持ちフランが無くても大丈夫でしょう。アジアと違い市中の外貨交換所は無いだろうから、銀行レートとの差で1食分の食事代を浮かすことはできませんヨ。(笑)

 写真はチューリッヒの空港です。
    案内板に従って行くと案内所へ行けると思います。

小鳥のえさ

2005年08月15日 07時45分41秒 | 旅-スイス
 小鳥のえさを食べたらスイスのことを思い出した。
小鳥のえさとは、フェルストで初めて出されたもので穀類や乾燥果物、ナッツ類が入ったシリアルの一種である。
 子供の頃米軍からの流れ品で、トウモロコシを押しつぶしてヒラヒラになったものを、私たちはファラファラーぐぁーし(ヒラヒラした菓子)と呼んでいた。今はシリアルと言うらしい。

 そのファラファラー・グァーシだけのシリアルはよく見かけるが、圧し麦やナッツに干しブドウ等がミックスされたものは初めてだった。”これってなに?”と口に入れると、食べられないモノではない。面白い食べ物だ、ヨーグルトをかけて食べるので栄養もあり身体に良さそうだ。
チャンスがあれば手に入れてオミヤゲしたいと考えた。
 
 チェルマットのCoopでおみやげのチーズやチョコレートを買うため、店内を回っていたら見つけた。750g入りで400~500円ほど。内容表示を見ても理解できないので値段で選んだ。
 このブログの最初の項「アルプスのHiジジイ」で書いた、友人の忙しい男にアルプス土産として持って行き、健康を保ちながら頑張って欲しいと思っているからだ。

 アルプスの香りとは程遠いが、スイスの質実剛健さがこのシリアルに現れていると私は考えているので、彼にも気に入ってもらえるはずだ。
私は蓋付きの容器に入れて食卓においてある、口が寂しくなるとボリボリ食べる。レーズンを追加して入れると甘みが出てより美味しくなった、しっとりしたレーズンも数日で水分を抜かれてカビも生えなくなる。

 このブログにスイスの思い出を書いているので、スイスの記憶はカビが生えることなく新鮮そのものだ。戻ってはや7週間になろうとしているのに未だスイスから抜け出せないほどだ。記憶は常にその事を考える事によって定着するので、これほどスイスの事を考え続けたら、もう忘れる事は無いだろう。地名も今頃になってアタマに入った、ムリして現地の表記を書いたのも、スペルを覚えるというより地名をアタマに入れたかったからである。その成果は出た。

 でももうスイスから抜け出そう、願望希望だが、また行く事もあるだろう。その時にこの数週間に仕入れた(付け刃的)知識が役立つことを期待してスイス編に一応区切りをつける。あと2,3項目は書くつもりだが・・・・

 小鳥のえさは、腹持ちが良いので一掴み食べて暫らくすると腹が膨れてくる、山の非常食にもいい、またスイスでの行動食にも使えそうだ。その時は乾燥リンゴとかナツメなどの果物を追加しよう。

推測 憶測 妄想

2005年08月14日 06時18分37秒 | 旅-スイス
 たった11泊の短いスイスの旅でアレコレ憶測でモノを言うのはおこがましい気もするが書こう。車窓から見える風景に疑問がわき、自分なりに結論を出したものがある。また買い物をしながら感じた疑問もある、それも自分なりの答を出した。ワトソン君に説明するホームズのように鋭い推理なのか、はたまた妄想なのかは正確な答えを未だ見つけていないので何とも言えない。個人的には正しい推理と思っている。中らずとも遠からじ、程度だと思っている、安易過ぎるかナ。

 スイスはユイ、結つまり共同作業、協同組合が発達したところだと思う。広大な牧草地から街中の狭隘な牧草地までじつに良く管理されている。トラクターが動けない斜面や狭い所は人力での刈り取りが行なわれていた。それに山の中腹で放牧している頃麓では刈り入れをしている。冬の用意なのだろうか。このように重層的な作業がなされている。各家庭がバラバラの作業では出来ないだろう。集落ごとに共同で作業を分担した方が効率的だろう。

 牧草管理、放牧担当、乳絞り・販売加工と作業を分担して行なわざるをえないだろう。山の放牧場には大きな石があちらこちらに積み上げられている。牧草地の整備の一環だろう。これらも個人ではムリだ。

 スイスは直接民主主義の国といわれる、集落ごとの共同作業が基礎となり、話し合いで持って物事を決定する風習が育ったのだろう。限られた生産の場を効率よく利用して、さらに納得できる分配をするには強権か話し合いしかない。

 スイスはきっと貧しい国であっただろう。また宮廷・貴族制はそれほど発達しなかったのではなかろうか。その根拠はスイス料理というものをあまり耳にしないからだ。私たちがビンボウ旅行で食に金を回さなかったので、そのように感じたのかもしれない。

 フォンジュは一回だけ食べた。あれはチャンプルーと同程度の扱いでいい、料理人が出る幕が無い家庭料理だ。
食は王朝・宮廷で発達する、スイスには王朝食文化が発達するほどの強力な権力者が出なかったのではなかろうか。
調べたらすぐ分かる事だろうが、調べるほど拘っているわけではない、ただ疑問が起きて勝手に理屈をくっつけて分かったフリして楽しんでいるだけです。

 次にスイス、特に私たちが行った地方は山岳地帯なので勾配の強い坂道が多い、それも延々と続く上り坂も多い。当然大型トラックも走っている。トラックは思いのほか快調に坂を上っている。ふと気づいた、トラックが黒煙を出していない。我が島だけでなく、日本では必ず煙を吐きながら喘ぎあえぎノタノタと上るトラックがあるのに、そのような車両に出くわさない。

 煙を吐かないトラックがあっても不思議ではないが、黒煙をまるっきり吐かないトラック(大型車両の事)だけというのもヘンだ。何故だ? 
きっとディーゼル車が無いのだろう、これが私が出した結論です。完璧に整備したら日本のような黒煙車は出てこないかもしれない。しかし全ての大型車両が全く排ガスのケムリを出さないのは考えらえれない。エンジンが違うと思う。
この推理はいかが?

 牛乳、買って飲んだ、あの美しい牧場でノンビリ草を食みながら育った乳牛だからさぞかし自然の味がするだろうと思っていた。一口飲んでの感想は予想に反して淡白だった。乳脂肪分が2.7%となっている。ドイツ語表記なので勝手にそのように思っているだけだが、これも中らずとも遠からじ。日本では3.5が普通になっていると思う。

 酪農先進国がこの数字、日本と違って濃厚飼料を与えないのだろう。飼料用の牧草の改良は進んでいるだろうが、トウモロコシのような飼料を与え続ける事はしないのだろう。狭い牛舎に閉じ込めて濃厚飼料で乳量を上げ、脂肪分を増すようなことをしていないのだろう、と推測した。

写真は牧草の刈り取りに向かう人たち

宿 ホテル

2005年08月13日 07時15分17秒 | 旅-スイス
 今回の旅で訪れた所、Berner Oberland に St.Mortz 周辺のベルニナ山群および Zermattと言えばMatterhornの三ヶ所については一応書いた。
せっかく大金を掛けたスイス旅行について、もう少し書いておきたい。書くことによって記憶が定着するだろうことを期待している。また仮にもう一度行けるならその時の参考になるだろう。

 今回は宿つまりホテルのことを中心に書く。
スイスでは11泊した。最初の夜はLuzernの小さな駅前ホテルで、まずエレベーターに驚いた。映画で見るヨーロッパの建物の内階段、四面の壁に沿ってグルグル回りながら登っていくあの階段。上から覗き込んで階段を下りていく人に叫ぶシーンに出てくるあの階段の内側に取り付けた小さな小さなエレベーターであった。1m四方ほどのスペースしかない。しかも乗り口と出口の位置が違う。正面から乗って、横から出て行く、その上エレベーターのドアは自分で開かなければならない。

 目的の階で止まっても暫らくドアが開くのを待っていた、習慣とは面白いものだ。それと階の数え方が、5th floorの○号室と言われたら、日本の6階まで登ることになる。説明されてアタマでは分かったつもりでも、間違える事がしばしばあった。
これほど狭く手動式のエレベーターは初めての経験だった。

 街のホテルはLuzern以外にAndermattとBrigに泊まった。Brigの駅前ホテルは当初二人で120フランと言われた。言葉も身振り手振りが60%以上なので、その金額でOKした。チェックアウトするとき受け付けた人とは別女性が、85フランで良いかと聞いてきた。意味が分からないまま頷いてカードで支払った。

 どうもシーズンオフなので実勢価格は安いようだ、とは善意の解釈で、一見のツーリストからボルのは世界共通か。(笑)

 一番安かった宿は、ポントレッジーナ Pontresina のユースホステルで、1泊2食付44.4フランであった。この年になって初めてユースホステルなるものに泊まった。2段ベットの8人部屋で、シーツをセットするのも宿泊者の役目、ユースホステルはそういうシキタリらしい。それに食事の片付けも各々がやる。スープが配られ食べ終わっても次の料理が出てこない。ず~っと待っていたら片付けに来た。本来は各自がスープ皿を所定の場所に片付けたら次の料理が出るのだ。周囲を見回してその事に気づいたので遅ればせながらそのようにした。

 一番高いホテル、つまり高級ホテルはRifferuberg Hotelで、2食付とはいえ148.6フラン。マッターホルンが見える部屋だったので止む無しというところ。次という機会があっても山岳ホテルに泊まりたい。それほど高い場所のホテルは気持ちが良い。高いとは高度のことであって値段ではありません。

 フェルストの山岳ホテルは2段ベットの相部屋で一人当たり88.5ふらんここも2食付いている。山の上だから食事がつかないと困ることになる。景色のよさは抜群。2段ベットであっても、この料金であっても又泊まってもいい。

 ディアボレッチャ Diavolezza の94フラン、ここはベルニナ山群に抱かれ目の前の氷河、それに続く山稜ロケーションは言う事なし、感激のしっぱなし。個室でディナー付きなのでこの料金は安いくらいだ。これはあくまでも一般的な言い方であって個人的にはもっと安いにこしたことは無い。

 サンモリッツSt.Mortzの郊外ムータスムラーユ Mouttas Muragi のホテルもサンモリッツおよび周囲の山々が一望に見渡せ素晴らしい場所位置している。68フランでディナー無し、眺めが良いのでその金額でもしょうがないが、ただレストランはコース料理なのでマトモに食べたら70フランほど掛かる。その金額でフルコースが食べられるのは安いが私の懐具合からすると分不相応のきらいがある。
 スープとあと一品で済ませたが、初めからその気になって泊まれば最高の場所の一つであろう。このホテルのレストランはディナーを楽しむためにだけに登ってくる客が多いとのこと。

 ホテルは山の上がいい。景色が違う。料金が麓に比べて若干高めであっても、モルゲンロートに日が沈むさまを山の上から眺めるとほんとうに別世界に来た実感が湧いてくる。山はできるだけ上から見るべきだ。早朝と夕闇迫る頃の山がまた素晴らしい。刻々と変わっていく山の色合いは麓で見るより感動が大きいだろう。山の上ならではの光景を目にすることができる。

写真は Luzern のホテルから向かいの建物を写す。

Sunnegga (スネガ)

2005年08月12日 12時34分14秒 | 旅-スイス
Klein Matterhorn頭上の太陽の光で周りの風景がベタ~ッと霞んだようになる頃下山の準備をした。直射日光は強いが空気は爽やかで冷たい。雪のBreithornブライトホルンは目映く、登頂する人下る人で頂上付近は混雑しているようだ。スキーヤーは滑り降り、またリフトにぶら下がり登って行くのを繰り返している。

 昨日の吹雪とは打って変わった良い天気の展望台で終日過ごしてもよかった。しかし明日夕方にはZurich空港から飛び立たねばならないので、見たい場所、行きたい所には今日中に足を運ばねばならない。
ノンビリした時を過ごす、のとせわしく動き回るというのが私の中に同居している。せっかくココまで来たのだからあれも見たい、ここへも行きたいムシが蠢きだす。

 朝からGornergrat、Klien Matterhorn、Sunneggaの三ヶ所を回り、心置きなく帰るつもりだった。本日最後の予定地Sunneggaへ向かった。正面のMatterehornや遠くのMontBlanc、周辺の山々を名残惜しく何度も何度もグルグル回って目に焼き付けて下った。

 Zermattの街は狭いのでケーブルやロープウェイ乗り場は地図や人の流れで何となく分かる。下は暑い。地下ケーブルで登る。展望レストランの正面にMatterhornが聳えている。しかし逆光気味なのと午後の光はベタ光線なのでボケた感じだ。

ケーブルカーでさらに上のUnter Rothhorn まで登った。ここは客が少なく大きなケーブルカーに客は私たちだけだった。GornerGradやKleinMatterhornとは大違いだ。時間帯がズレているのだろうか。午後の気だるいようなボケ~ットした状態の中でもMatterhornがシャープに切り立っている。この方角からのMatterhornが写真で見慣れているためかMatterhornらしい。

 直射日光に目を細めながら幾度も周囲の山にめを投げる。なぜか倦怠感、厭きのようなものが出てきた。もういい、マッターホルンはもういい、というような奇妙な気分になってきた。あれほどMatterhorn、マッターホルンと期待していたのに何故このような気持ちになるのか。着いた日、昨日、今日と、それなりのMatterhornを楽しんだ。どこから見ても素晴らしかった。

 しかし、しかしである、素晴らしい光景を目の前にして感動感激を通り越して、逆光のために陰影が薄く、その上ザラついたように見える。アタマも景色も露出オーバーのようだ。
 もう降りよう、今夜やZermattにと止まるのをやめて山を降りよう、という気分になった。食い物なら食傷気味というところ、景色にもそういう表現をするのだろうか。

 美しい景色、日本アルプスにも無い景色、憧れていた景色なのに何故そのような気分になったのだろうか。あまりにもMatterhorn に執着しすぎたからか。またMatterhornが独立峰に見えて、周囲の山を圧倒し他の4千メートル級の山々に目が行かずに、Matterhornだけを眺めすぎたのか。旅の疲れが出てきてそのような気分になったのか、自分でも分からない、今でも分からない。
一日で3ヶ所巡ったことも影響しているだろう。山がきれいのは朝と夕方なので、それを念頭においてコースの計画を立てた方が好い。

 飽きるほど見たということで未練も残さずBrigまで下った。スイス最後の夜を交通の要所ではあるが鄙びた街で過ごした。
いつの日か何故最後の夜をZermattで泊まらなかったのか・・・と後悔する日が来るだろうか。

Matterhorn (マッターホルン

2005年08月11日 14時09分42秒 | 旅-スイス
吹雪や雨のKlein Matterhorn、それでも楽しめたけど何か心残りもする。この旅もあと一日を残すのみとなった。最後の日を如何に過ごすべきかを二人で話し合い、再度KlieMatterhornへ行くことにする。

 スイスのホテルは概して朝が遅い、夕食前に支払いを済ませた。その際ディナーで飲むであろうビールの料金も前払いしたらフロントの可愛い娘さんが笑っていた。カウンターにエーデルワイスの鉢植えが置いてある。産毛に覆われたような花で雪から顔を出してニッコリ微笑んでいる感じがする。
長くて短いような旅ももう一日で終わり、これまで見た山々を思い出しながら明日の天気を期待してカンパイした。

 夜中は月明かりで満天の星も薄明かりだったがその天気は続きそうだ。朝の散歩でMonteRosaに朝日があたるのを見て荷物を降ろして朝食を急いで済ます。前に書いた駅までの荷物運びの苦労はこの時起ったのである。

 始発でGornergratへ登る。目の前のMonteBosaからMatterhorn、それに周囲の山々が目の前に360度の展望が広がる。後で調べると山々の名前は西にD.Blanche(4357m)、Weisshorn(4505m)、北にDom(4545m)、北東にWseissmies(4023m)の4千メートル級の山であった。
 もっとのんびり滞在しGornergratからRotenboden駅を通り、逆さMatterhornで有名なRffelseeリッフェル湖を通り泊ったホテルがあるRiffelbelgまでのハイキングを楽しんでもよかったが、もう一度KleinMatterhoronまで行きたかったので早々に降りた。

 KleinMatterhornまでのロープウェイからの眺めは昨日にまして素晴らしい。遠くまでハッキリ見える。トップに着くと昨日の雪が十字架のキリストの脇にへばりついている。晴れていても気温は0℃前後なので溶けないのだろう。その気温の中でもノースリーブや短パン姿の観光客が珍しくない。私たち南国人は薄手のセーターを羽織っている。

 目の前のブライトホルンには大勢の人が取っ付いている。手で掴まえて引っぱられる式のリフト(?)も空きが無いほどスキーヤーが繋がっている。天気が良いので山を楽しむ人々が大勢いる。

 マッターホルンは目の前に聳えている、人影は見えない。展望台の案内板によるとマッターホルンの左手の目立つ山はGrandCombin(4314m)で更にその左奥の真っ白な山がMontBlancであろう。さすが遠めに眺めても気高く美しい。
眺望を楽しみながらバナナにパンお茶のランチをとる。ただ坐っているだけでも好い気分だ。

 ここからのマッターホルンは肩が強調されて、シャープさよりどっしりした感じを受ける。急峻な斜面にへばりついている雪のラインが凄さを感じさせる。真昼の上からの日光を浴びて景色がボケてきた、しかし孤高の山の威厳はしっかり保っている。
マッターホルンが数あるスイスの名山の中でも特に有名で人気が有るのは、4千メートル級の山が連なっている中での独立峰だからであろう。独立峰とは違うが、そう見える。スイスで一番高いMonteRozaがすぐ横にあるのに、マッターホルンが姿形が美しい。

 朝夕の陰影がハッキリした時間帯なら、なお一層素晴らしかったであろう。

Kleine Matterhorn

2005年08月10日 16時30分26秒 | 旅-スイス
 夜明け前に目が覚めた。窓から見ると山頂に雲がかかっているが、まあまあの天候だ。朝の散歩で尾根筋を少し登る。小さな雪渓があるのでわざわざ踏んで登る。Monte Rosaモンテローザの頭だけが見えてきた。暫らく経つと雲に色がついてMatterhornの東面が輝き始めた。
この分なら天気も何とかなりそうだとと半分願望の篭った予報を立てた。ホテルの満足いく朝食を心行くまで食べて、Zermattまで降りる。ロープウェイ、ケーブルカー、リフトの区別がつかないが、ガイドブックによれば「Kline Matterhorn や Schwarzee 行きゴンドラリフト駅」とあるので、あの乗り物はゴンドラリフトと言うのだろう。別のガイドブックにはロープウェイと記されているのもある。どちらでも良いのだろう。

 シュルーマッテン・リフト乗り場からクライネマッターホルンを目指す。坐っているだけだから目指すというのは大袈裟ではある。山に向かって坐るべきか、谷側を見ながら登るべきか迷う。結局まえ後それに横をキョロキョロする。同乗者は自転車を積んできた。下のほうに見える道を下るのだろう。それも楽しそうだ。

 シュワルツゼーでの乗り継ぎは少し離れているので歩く。ピーク目指してゴンドラ・ケーブルと乗り換える。天候はあまり良くない。トンネル内の風は冷たい、ピークへのエレベーターに乗る前に雨具を着る。
展望台はガスッている、ガスの切れ目からブライトホルンが見え隠れしている。マッターホルンも時折り顔を見せるが全体像は見せない。粘れるだけ粘ってみようと腹を据える。このような天気のためだろう人出は少ない。チラッと見える山の斜面に人が豆粒のように見える。

そのうち降りだした、雨かと思いきや霰だった。思わずアラレだ~と急いで写真に納まった。止んだり降ったりしているうちに雪になった。久しぶりの雪だ、降っている雪は10数年ぶりだろう。楽しくなってきた、マッターホルンが見えない分は雪で楽しもうという気分だ。雪に夢中になっていると管理人らしき男が大声でなにやら喚いている。どうやら展望台は封鎖のようだ。エレベーター前に集められて順番に降ろされた。その前に写真をと吹雪の中での記念撮影をした。

 スキーや登山の出発口では戻って来た人でごった返していた。ガイドは連れ帰るとすぐ次のパーティのヘルプへ出て行く。雪のトレッキング参加者は全員完全な雪山スタイルで、10本爪(?)のアイゼンを装着している。完全装備が珍しかったので記念撮影をした。この季節に吹雪かれるなんて信じられない。アルプス登山の本・報告書に記載されているが実感として理解していなかった。
去年のメンヒ頂上を踏めなかったことが理解できた。

全員下山せよとのことらしい。しかし風が強くてケーブルカーは運行停止している。レストランは満席、ケーブルカーが動かないのは昼食時間なので止めているのではないか、会社の陰謀ではないのかと疑いたくなった。(笑)

そのうちケーブルも動き出して一路下山、シュワルツゼーでは雨になっている。
返す返すもザンネンだがこういう日もあるさ。

 雨のZermattに降りておみやげを買う。カウベルの大きなもの、ホンモノが欲しかったが見つけることが出来なかった。地図も欲しかったけど下の方が安いだろうと思いこれもパス。
Zermattでは見るべき場所も分からないので早々にホテルまで登った。事前の学習不足だった、ナンセイ。それにおみやげが重くて持ち歩く気がしなかった。
吹雪かれ、雨に降られたが何故か楽しい一日だった。

Zermatt チェルマッ

2005年08月09日 10時35分12秒 | 旅-スイス
 Zermattはあいにく雲が低く湿っぽい感じだった。駅前で果物や飲物を買ってゴルナグラード登山電車に乗る。森林限界線を越えると頂上を雲に隠したマッターホルンが見え隠れしてきた。やはり感動モノである。晴れた空をバックにしたらどれほど素晴らしいものが見られるのか。

 氷河急行からゴルナグラートの山岳鉄道に乗り換えリッフェルベルグで降りてホテルへ行く。ポントレジーナから電話でマッターホルンの見える部屋をと頼んであった、つたない英語それも電話での予約だから上手く通じたかどうか不安だった。しかし渡された鍵の番号を頼りに部屋へ行き窓を開けるとなんと額の中の絵のようなマッターホルンが見えた。

 夕食まで少し時間があったので散歩する。ホテルから5分ほど登ったところに小さな教会が建っておりそこからの景色が美しい。頂上付近にはまだ雲がある。雨が降ったのか牧草は露が降りたように濡れた感じだ。明日の天気を期待する。

 夕食はちゃんとしたディナー風だった。ビールを飲みながらこれまでの行程を思い出し明日の期待に胸が弾む。日本人の団体・個人旅行客も多い、シーズンになるとこのディナーの場も満席になるのだろう。

 マッターホルンは是非見たかった。スイスの名山といえばやはりマッターホルンが筆頭になる。これまで通ってきたベルナーオーバーランドのアイガー・メンヒ・ユングフラウやベルニナ山群も素晴らしかった、でもマッターホルンは見たかった。
今回のスイス旅行のお膳立てをした先輩の予定に入っていなかったので独自に日程を組んだ。
これほど期待したMatterhornなのでしっかり目に焼けつけたかった。

 当初の予定はRiffelbegは1泊だけで翌日はチェルマットに降りるつもりであった。チェルマットやスネガとかの散策はその方がいいと思えたからである。それに話に聞いたサースフェーまで足を伸ばすかもしれないとも考えたからです。

夕食後Coopで買って窓辺に置き冷やしてあった缶ビールを飲みながら、これからの行動を考えた。Saas-Feeまで行くのは無理のようだ。ZermattからはMatterhornが見える場所は限られているようだ。しかし観光するのにここからでは下ったり登ったりで交通費が余計に掛かる。あれこれ思案するも、街中で泊まるよりも山の上が気持ちが良いだろうと思い、財布の事はムリに忘れて分不相応なこのホテルにもう1泊することにした。
フロントに行くと明日までは空き室がありOKとのこと、その翌日日曜からはいっぱいと言われた。いよいよシーズン到来なのか。

 Zermattという表題にしたが、Zermattはロープウェイへの乗換のためにメイン通りを歩いただけだった。絵葉書やガイドブックに掲載されている写真の場所は見たので、知らない人にはツウで通るでしょう。(笑)

ブランドの店はガラス越しに、おみやげ品屋中まで入って値段を確認して買うのは駅前のCoopで済ませた。包装紙の違いは価格の違いに直結している。このスーパー日曜日に閉まっていた。たまたまなのか毎日曜が休日なのかは知らない。
それと象の看板(?)、大きなブルーの象、あれは有名なのかな。写真を撮っている人が大勢いたけど。

 Zermattは日本人が多い。観光客の半数以上が日本人だ、我々もその一員だが・・・
夕方の駅前に数百名の日本人が集団となって固まっている姿は異様な光景だ。店も、特におみやげ品屋では日本人の店員がいるし、やり取りを聞いていてそこら辺の温泉町と変わらない雰囲気た。

 団体旅行なら重い荷物を持つことなく目的地まで快適な旅が楽しめるだろうに、私たちは土産品がいっぱい詰まった40Kg を超えるスーツケースをガラガラ引っぱっていた。
ちなみに中には、三角の一口チーズが12Kg(300gの40個)、チョコレート3Kg(60gの50枚)、ホンジュの素4Kgその他のおみやげ類がギッシリ詰められていた。

 チェックアウトするとき荷物を駅まで運んでもらえるという事だったのでお願いした。すると電気自動車のキーが見当たらずにボーイに運ばせるとのこと。駅までは上り坂で3~5分の道のり。私もスーツケースに入らない分のダンボール箱を抱えている。息が切れた。ボーイはフウフウ言うているが休むと尚キツクなるのでムリして休息なしに歩いている。それに汽車の時刻も迫っていた。駅に着いたときはあまりの疲労・キツサに笑う以外はなかった。

 ボーイも笑っていた。とにかく声も出ないので大声で笑うしかなかった。キスリングの40Kgならなんとか担げるけど、その重さのスーツケースを肩で運ぶのはタイヘンだ。舗装されておればガラガラ引っぱれたが、あいにく土、石、どろ、草の自然な道なのでしょうがない。
苦しさは笑いで誤魔化す、これも自然かな。
スイスで初めてのチップを出した。朝っぱらから5フランでは合わない仕事だっただろう。

氷河急行 Glacier Express

2005年08月07日 21時34分53秒 | 旅-スイス
 St.MoritzからZermattへはGracier Express に乗った。15,6両編成の列車でパノラマ車両に1等、食堂車がある。私たちは2等でした。Pontresina(ポントレジーナ)の駅で同行の先輩方と別れて妻との二人旅になった。Samedan(サメダン)で列車に乗り込む。
指定券を購入してあるので席の心配は無い、荷物を置くスペースはSt.Moritzからの客のスーツケースやリュックで満杯状態、席を探しながら見た座敷も満席だった。

 私たちの席は喫煙席で他の旅行者が坐っていたが、婉曲に移動してもらった。韓国人で品の良い父親と学生らしい息子、男二人連れの観光は珍しい。挨拶をしたら父親は日本語ができた。暫らくするとビールを取り出して飲み始めた。私が冗談めかして良いなイイナと言うと1本差し出したのでありがたく頂戴した、カンパ~イ。

 St.MoritzとAndelmatt(アンデルマット)間は来るときに通ったルートなので、撮り損ねた写真ポイントを思い出しながら右に左にと移動しながら景色を楽しむ。絵葉書やガイドブックに載っているランドヴァッサー橋も前もって準備して構えることが出来た。韓国の若者にこっちこっちと手招きしてビューポイントを知らせたりした。

 列車はドンドン下って行く、暑くなってきた。冷房設備が無いので窓を開ける。ガラス窓は上から下に押し下げる方式で日本の上げるのとは違う。今では窓を開けて走る汽車は日本には無いだろうけど。

 Thusis トゥジイスの駅を通過するときホームで面白い彫刻がチラッと見えた。駅のベンチに腰掛けた少女の像である。スーツケースを横において佇んでいる様子を彫ったものだった。確かにそのように見えた。この次はしっかり写真を撮るぞ。
昼食時間になると車掌が予約した人たちを食堂車に案内する。食堂車での食事も一つのウリなので飛込みでの食事はムリなようだ。私たちはパンやチーズ・ジャム果物で済ます。ホテルでの朝食時に昼のためにコッソリ持ち出したものであり、また、駅のキオスク、街のCoopと書かれたスーパーで仕入れたものである。

 下りていくと牧草の色が濃くなってきた、長さも長い。またトウモロコシや麦畑が出てきた。初めて見る畑にスイスにも畑があるのだとの妙な安心感を覚えた。川の断崖の上のお城もヨーロッパの風景だ、当たり前の景色にも感動する。
急流下りのゴムボートも見える。

 
 280Km の道のりを8時間で走るので急行とはいえスピードの事では無いようだ。乗換無しで行けるという意味に解した方がいい。車両もこれまでに乗った普通車両と変わらない。スイスは鉄道会社が乱立しているので連結している車両も幾つかの会社のものがあるようだ。
窓の下にある小さなテーブルに描かれた路線図もその会社の分しか表示されていない。つまり途中までの分だけである。まあこの辺りは大らかということか。
 8時間の旅も席に坐っていたのは短くて、あちらこちらをウロチョロしていた。指定席も要らなかったかも・・・(笑)

写真は車窓からの一こま

Engadin Diavorezza

2005年08月05日 17時02分57秒 | 旅-スイス
 Bernina Diavorezza駅は無人駅で、プラットフォームは50メートルほどコンクリートが敷かれただけ。上りと下りの線路の間も1メートル余りコンクリート敷かれて乗客の乗り降りにここも使う。駅前はだだっ広い駐車場で車が2,3台停まっている。道向こうの放牧地は小川が流れてカウベルを吊るした牛が移動している。

後の草地には牛が寝そべっている。岩や石交じりの牧場でこの地は山に抱かれているが谷あいではなく台地風である。駅から少し上ったところにロープウェイ乗り場がある。ロープウェイは100人もの人が乗れるのではないかと思われるほど広い。しかしオフシーズンなのか人では少ない。

 いよいよDiavorezzaに着く。目の前にベルニナ三山 PitzPaluピッツパリュ、PitzBerninaピッツベルニナ、PitzRosegピッツロゼックが目の前に聳え立っている。眼下には氷河が流れている。氷河が波紋を刻みながら動いている姿は流れるという表現が相応しい。その動きがゆっくりで見た目には感じられなくても、氷河は流れている事を実感させてくれた。

 Didavorezzaのベルニナ山郡は他の地域の山々と違い近い。歩いて降りられそうな氷河から山頂まで氷河や雪に覆われて目の前に聳えている。じつに圧巻だ。直射日光は厳しいが気温は低く空気は澄み切っているので、目映いばかりの光景である。

 翌日日の出前に目の前にあるMuntPers(3207m)の頂上を目指した。登り1時間15分、下り1時間足らずの山行だった。朝の冷たい空気の中、気温はおそらく5℃前後。明るくなっているが朝日は未だ上ってこない。目の前南の方はベルニナ三山の雪を頂いた峰々が立ちはだかっている。北側ははるか遠くまで山なみが幾重にも重なってオーストリア国境になっているのだろう。聞くところによるとハイジの故郷もあの方向らしい。

目指す山は岩山だが雪渓がところどころ残っている。土が殆んど無いのでコケのような植物しか生えていない。稀に岩陰にひっそり身を寄せて咲いているツガザクラのような花もある。雪を踏むキシキシッという音が心地よい。

暫らく歩いているとハラが目覚めたのか便意をもよおしてきた。吹きっ晒しの場所ばかりで身を隠す事は出来ない。それでも同行の先輩・妻を先にやり、適当な所を物色する。岩の塊りのそばに平たい小さな岩が重なって、窪んだ所を見つけた。和式で坐るといかにも・・・というように見えるので、石を取り除き坐り心地の良さそうな石を積んで簡易洋式トイレを作った。

氷河とベルニナを見ながらキジウチを快適に済ますことが出来た。後始末もチャントした。ただあのような高地では分解も遅いだろう、乾燥しているので悪臭はすぐ飛んでしまうだろうが来年まで分解しそうも無い、どうにか付近の植物の養分になるように祈るだけです。

近くの山に比べれば低いが3千メートルを越す頂上から朝日が昇る様は素晴らしかった。遠くの山が光りその光りがベルニナ山群の雪を染めていく、周囲をぐる~っと見回してピークから見る景色を堪能してホテルに戻り朝食をとった。
 ピークを極めることはそれなりの満足感をもたらす行為だ。まんぞく~!。

写真は、PitzBernina(4049m)朝日に映えるベルニナ
     MuntPers(3207m)の頂上から写す。

Engadin 、St.Moritz 中心に

2005年08月04日 10時03分07秒 | 旅-スイス

 BernerOberlandでは毎日晴天続きで満足してSt.Mortzに向かった。心残りはGrindelwaldからMeilingenへはバスに乗ってGrosseScheidegg超えで行きたかった。山あいの九十九折の道をのんびりバスに揺られての旅も良いものだと思う。1車線の狭くてクネクネしたところをフォーンで対向車に注意を呼びかけながら走るバスも絵になる。しかもフォーンがホルンか角笛を思わせる音色である。

 またMeilingenからAndermattアンデルマットまでも、Susutenズーステン峠超えのバス旅行の予定であったが、シーズン前のために未だ運行していなかった。バスなら汽車よりも人々の暮らしに近いので歴史を学びながら又違った気持ちの旅が出来ただろう。スイスの夏の行楽シーズンは7月に入ってからのようだ。

 途中Andelmatt泊った、交通の要所とのことであったが山の中腹に位置する静かな小さな街だった。若い男女の兵士がカフェテラスでビールを飲んでいたので近くに宿営地があるのだろう。交通の要所なら駐屯地があっても不思議ではない、彼らは国民皆兵の民間人の訓練中の兵士なのだろうか。
 汽車から見えた光景だったが、線路が本線から分岐して山に向かっている。そこには映画で見たナバロンの要塞の小型版のトンネル入口があり扉が閉まっていた。きっと備蓄庫なのだろう。チラッと見えただけなのにいろいろ想像した。

 St.Moritzは湖に面した街で、ガイドブックによれば保養地とのこと。Segantini Museumを観賞してからMuottas Muragiへ。尾根の中腹にあるホテルには直営のケーブルで登った。逆でケーブル会社が運営するホテルかもしれない。このケーブルだけはハーフチケットの割引が利かなかった。食事もフルコースしかなく(別途料金)ちょっと・・・

 私のような旅人には相応しくないホテルなのかもしれない。ディナーを楽しむためにだけ来る客も多いそうだ。食事中大きなガラス窓越しに見えるSt.Moritzは絵葉書そのもの。ビールもワインも美味しい。このような優雅な気分になれたのもこれまた貴重経験だった。
 
食事中どこからかホルンが響いてくる。食後展望の素晴らしいテラスへ行くとホルン吹きたちが片づけしている。ザンネン遅かったと思いながら彼らの様子を見つつ暮れ行く景色を眺めていたら、またナンやらカンやら大声の話し合いがなされて再びホルンを取り出して山を背景に吹く準備を始めた。

どうやらTVの撮影らしい。便乗して写真を撮った。有名な自転車乗りらしい人とアルプスのホルンの組み合わせのCM撮りのようだった。撮影後自転車の有名人は坂道を颯爽と下っていった。その後を撮影クルーがヘルメットにカメラを装着し追いかけて下っていった。それに便乗して私たちもアルプスに響くホルンの音を楽しむ機会を得た。写真も撮った。
 翌日は眼下のPontresinaまでハイキングで下った。草花はきれい、初めて見つけた種類の花を撮りながら整備されたコースを歩く。カモシカ(山羊?)が散歩している、登りが殆んど無いのでルンルン気分で歩ける。トレーニングなしで歩けるコースまであるのが素晴らしい。時間的にもテレンパレンと歩いても2時間弱乗り物だけでない歩くのも良いものだ。

 Corbatschへのロープウェイは週末から開業ということで整備中だった。周辺のホテル・民宿もそれに合わせての営業のようだった。St.Moritz駅前から乗ったTaxiは35フランでいいとのことで道途中で表示金額がその金額になった時点でメーターを切った。それほどヒマな時期つまりシーズン前というところでしょう。

Corbatch へは行けなかったが、Surieiの湖はよかった。湖の渚に館が建って湖越しの風景がおとぎの国を思わせた。湖畔の草むらに坐り近くのスーパーデ買ったパンとビールの昼食をとった。湖ではパラグライダーに身を引かせた水上スキーが行き交っている。近くの教会から聞こえる鐘の音、しばし別天地を味わった。この心地よさがスイスなのか。

写真はMuottasMuragiからSt.Moritz遠望
   下の「トイレ」の項のホルンと合わせてどうぞ。