どこ吹く風

旅のことを主に書く。

ロータリー

2009年09月16日 09時25分29秒 | チロル~シャモニ
写真はゲンミ峠からマッターホルン遠望
小さくしか見えません、中央の黒い岩肌がそうです。誰もがマッターホルンと見るであろう左手の白い雪をかぶった真っ白な山はWeisshornです。

取って付けたように脈絡も無く思い出を書きます。

 私が住んでいるオキナワー方言ではウチナーと呼んでいるーはかつて米軍統治下にあったのでアメリカ式が様々な分野で入っていた。
お金は当時は1ドル=360円だったけどドルを使っていたし、車両の運行は右側通行だった。当然ハンドルは車の左側にあり、国産車(日本)も左ハンドル仕様だった。

 正式にニッポン人になって暫らくしてから左側通行に変更された。一夜にして右側通行から左側通行になるのですから混乱が起きるのは当たり前です。皆さんが外国へ行かれたときに感じる違和感が実生活で起きるのですからアタマの切り替えがタイヘンでした。

 当時は信号機のある交差点で、対面する信号が赤でも右折はできた。コンクリート製の三角の標識に、”turn right after full stop"と書かれて(コンクリート製なので彫られて)いた。完全停止して安全を確かめてから赤でも右折できた。今なら左折できるというところです。

 カルフォルニアの片田舎でのこと、信号の無い交差点は先着順に渡っていた。優先道路という概念はなく交差点に付くと自分は何番目、どの車の次に進むのだと確認して順番良く交差点を通過していた。
交通ルールは地域によってそれぞれ違って当たり前、土地土地のルールがある。規制ではなく如何にスムーズに車を捌くかが問題だろう。

 レンタカーでドロミテを回った時、あの地域は信号機が少ないのに気づいた。交差点はロータリー形式が多かった。ロータリーに入っている車が優先で、入いる車は左側から来る車両を確認してからロータリーに入る。最初は戸惑ったけどアレはアレでなかなか良いシステムだ、とくに田舎では有効だ。車は通らないのに信号待ちするのはアホくさい。ロータリーならそういうバカな目に会わずに済む。
しかし慣れないと自分の行きたいところで曲がれずもう一周することもある。またロータリーの中央部に車を停めてルートを地図で確認したこともあった。交差点は直交しているだけでなく、Y字型もあるので紛らわしいところではアタフタする。それでも田舎なので他車に迷惑かけることは少なかった。曲がり損ねてバックしたこともある、前進してもう一周回ればいいのだがほんの数メートルなので違反承知でバックした。田舎の通行量が少ない場所だったので許されるだろう。いやあの時フォーンを鳴らされたのだった。

 広いスペースをとるだろうけどロータリーは便利だと思う、特に田舎では。

ひと区切り

2009年09月05日 07時03分41秒 | 旅への想い
 チロルからシャモニまで、その途中にドロミテとスイスをまわった旅を終えたのが7週間も前の7月中旬。それからメモ書きから日程・行動を思い出し整理した。この記録起こしも尻切れトンボになってしまったが一応終わる。

 計画段階から先日まで4ヶ月間も楽しめた。帰ってからも虚脱感どころか旅先でのことを思い出して心ウキウキ状態だった。炎天下をバイクで走るときでも頭の中では熱風よりも山の冷たい風を感じていた。良い旅だった。
あの旅でのイチバンの収穫はドロミテに接したことである。そこをレンタカーで回ったのも良い経験になった。歩き方のバリエーションが増えた、これまで鉄道移動を主に考えていたけど車のほうが小回り大回り臨機応変に対応できるのに気づいた。これは大きかった。

写真はエギュー・ド・ミディのブロッケンです。
次の計画はブこのロッケンのように現れるか、時とともに消えてしまうのか。

 さてもう9月になった、本来ならホンライなら明日から中国は西安での語学研修に名を借りた旅に出発だったのに。それが新型インフルエンザの影響で中止になってしまった。中国政府の過剰反応だと思うも此方からは如何ともし難く、ただただ嘆くのみ。

 さて、ここでただ手をこまねいているだけなのか。スイスへ行く前に中止が決まったのだが、その頃はまずスイスのことが頭にあるので”しょうがないか”程度で済ませていた。予定されていた出発日が近づくにつれて、世が世なら、ホンライなら、明日出発だったのにという想いが募ってくる。死んだ子の年を数えるという言葉があるけど、今将にその状態だ。

 語学へ4週間程度の授業ではほんのチョットしか伸びないことは充分承知している、しかしもう一つの目的、中国を楽しむことは大いにできる。それが水の泡になるとは・・
しかしここで踏ん張るのがワタシです。語学研修がダメなら実地研修という手もあるとボヤ~ッと考えるようになった。「梅里雪山」雪に覆われた山の姿がちらついてきた。実現するかどうかは横に置いといて調べ始めよう。

 これまでなら行こうと思ったら大概行けた。しかしこのところ97歳になるオフクロの調子がおかしい、スイスに行った時は独りで留守番してもらったけど、今の様子では無理だろう。
でも計画を練るだけでも楽しい時が過ごせるので、机上の空論で終わるにしても立ててみようか。

ひと区切り、ということで完結させようと書き始めたけどエンドレスになってしまった。