どこ吹く風

旅のことを主に書く。

シウシ高原 Siusi

2009年07月31日 10時08分27秒 | チロル~シャモニ
 今日は7月4日(2009年)でチロル・ドロミテの最終日である。
6月30日ザルツブルグをレンタカーで出発してから5日目となった。チロルとドロミテでそれぞれ2泊ずつする予定をグロスグロックナー山周辺で泊まるのを1日省いてドロミテを3泊にした判断は間違いではなかった。

 ドロミテの峠巡りにロープウェイでのピークからの展望を充分たのしんだ。これも今日で終わる、屋根裏の窓から目の前の置く夕の形をした山が明けていく様を見ながらこれまでの行程をふり返った。旅は日程の三分の一足らずを終えたに過ぎない。まだまだ先がある。

 今日はシウシ高原を見てインスブルックまで行く予定だ。9時08分峠のホテル出発して相変わらずの峠道・山道を太陽を背に走る、遙か遠くに雪を被ったスイスの山が見える。これまでのルートとは違い山が開けている、山々に囲まれた丘陵地帯で高原いう表現がピッタリの景色が広がっている。谷の向うに教会が見え牧草地に林が幾重にも広がっている。宿の主人から教えられたシウシへの分かれ道から見えた風景で、9時45分とそれほど走っていないけどもうシウシ高原の入口に来たのか。

 高原へは一度谷まで下り又上る、この程度の道はもう慣れた。狭い道路から新しい道に出て暫らく行くとロープウェイ駅に着いた、時間は10時半。
早速ロープウェイに乗る、往復一人13ユーロだがシニアは11ユーロ。15分で上の駅に着く、涼しい。リフトで更に上に上り散策した。お花畑のような牧草が一面咲いている、遠くには昨日通ったセラ山群やSassoPordoiが見える。実に気持ちの良い場所だ、事前に知っていたらここに泊まったであろう。

 観光客も多く、馬車から景色を楽しんでいる人も多い。シウシ高原と紹介されているだけあって、これまで回ったドロミテの峠からの風景とは違う。チロルに似ているけど違い、チロルの谷間を上のほうに引き上げた感じだ、やはり高原としか言いようが無い。(笑)

 13時30分出発シウシ出発、昼食は車を走らせながら例の如くパン・チーズ・ソーセージにチョコレートを食べる。村や街を抜けて14時35分R22号線の高速道路にのる。15時にはイタリア国境に来た、国境越えの審査かと思ったら料金徴収所だった、3.5ユーロ払う。
15分でブレンナー峠まできた、さらに走らせ15時30分またもや料金徴収所が出てきた。高速料金は掛からないとHertzの事務員の説明があったけど・・・聞き間違いか、それとも高速道路に種類があるのか。8ユーロ支払う。

 15時35分インスブルック出口で高速をおりる。5分ほどで市内に入り、とりあえずレンタカーの返却場所がある駅前へ行こうとした。キョロキョロしながら駅への道を探しながら交差点を曲がると直ぐに標識が目に付いた、内側車線には入り左折しなければならない。ところが私は外側車線を走っている、ちょっと慌ててブレーキを踏むと、ゴツンと追突された。相手はご夫人、盛んにドイツ語でナンやらしゃべるが全く分からない。

 とりあえず住所指名などをメモ帳に書いてもらい、レンタカー事務所まで同行してもらうことにして、その車の後を追う。しかし土曜日なので事務所は閉まっている、後日彼女が事務所に説明と処理をするという事で分かれた。
燃料を満タンで返すためにスタンドを探して給油する。セルフなので方法が分からず戸惑うが傍らにいた人が”まずは給油して表示された金額をコンビニ併設のレジで払う”というようなことを説明しているらしいのでそのようにした。
 14.3ユーロのディーゼルを給油し、ついでに駅前のホテルの所在地を教えてもらった。たったこれだけの給油でいろいろメンドウな話をしてもらったのでビールや水も買った。
 紹介されたホテルを探しチェックイン、160ユーロ。駅に近く私たちのような通過客には便利な場所だ。バスタブがあるので一応マークどおり四つ星としておきましょう。
車の中を空っぽにして満タンになった車を指定された駅前の駐車場に入れ、キーは事故顛末書(ナビ係がアタマを絞って書いた英文です)とともに郵便受けから投入した。

 その足で明日のスイス入りするためのチケットを買う。インスブルックからメラーノまで3人分で102.60ユーロ。ポストバスの発着場のマルレスまで行くのだが、メラーノからマルレスまでの区間がシステムの不具合で出てこないから、メラーノで買うように言われた。また国境のブレンナーで買うと安くなるとも言われたが、列車の待ち合わせ時間がどの程度あるのか分からないのでメラーノまでの通し切符を買った。

 夕食はこれまでの残り物処理ということで部屋で済ませた、それでもビールにワイン、サラミにチーズと内容は豊富だ。このメンバーの旅での食事はいつもこのような感じになる。
 チロル・ドロミテという大きな目標・目的が終わった、でもあと10日も残っている。腹いっぱい食べた後さらにメインディッシュが連続して出てくる感じだ。
これまでの旅程の組み立て方は間違っていなかった、大成功といえる。


マルモラーダ Marmolada

2009年07月30日 06時09分10秒 | チロル~シャモニ
 くどくどとドロミテのことを書いているけど、旅行した時の記録を残しておくのがこの場の目的です。私の記憶が薄れないうちに書き留めておきたい。その上ドロミテの印象があまりにも強かったのでスイスが色褪せたような気分になっている。
山の姿・形が他所とは違う。それにレンタカーで回ったことも大きいでしょう。海外で初めての運転だったのでなお更強く印象に残った。

 初めての地域に行くときは正確な地図よりもその地域の概念図が頭に入りやすい。出発前にそれを一生懸命探してようやく見つけたものが下記です。よくできている、感謝感謝

http://yoshiokan.5.pro.tok2.com/doro/map.html
ドロミテ本街道の概念図
  ------
 マルモラーダはドロミテ最高峰で3342mの高さがあるとのこと。雪が被っているので美しい。出発前から近くで見たいと思っていた、目の前に聳えているけどガスッている。それでも近くまで寄りたいのでドライブすることにした。
ポルドイ峠からクネクネした道を下り脇道に入ろうとした。地図では一応黄色に塗られている道路だが昨日の事があるので本道に戻りもっとマシな道を選んだ。

 確信が持てる道に出たところで雨が降ってきた。グロスクロックナーといい、このマルモダーラといい雪の山に縁が無いようだ。雨の中を対向車に注意しながら登り、Passo Fedaia (フェダイア峠?)に来た16時35分になっている。雨なのでサッサと下りる。
今夜の宿泊地をまだ決めていない。例の如くプレシーズンだから空いているでしょう、と気にしない。カナッツエイ Canazei に出たが町なので先へ進む。通過中の道路を地図で見るとドロミテ街道となっている。

 Pozza di Fassa という町では何処からとも無く教会の鐘の音が聞こえてきた。そこも通り過ぎて Vigo di Fassa で右折して本通りから外れた。ホテルの駐車場に車を停めて水と果物を買う。買物係はスーパーを探すのに手間取ったようだ。
17時35分Vigoを出る、相変わらずの山道だ、ドロミテは山道ばかり。暫らく上っていくと突然開けてホテルが2・3軒あり向いにはリフトもある。

 石造りのホテルに交渉し今夜は其処に泊まることにした。部屋に案内されると中に階段があり屋根裏部屋がありベッドが三つ並んでいる。下に二つある、建物は古いので昔商人が団体で宿泊したのか、それとも家族旅行用なのか。峠の宿は昔を偲ばせる。

 夕食はここでもフルコース並み、ローストビーフを食べ残すほどの料理が出た。55ユーロ峠の宿は価格の割りに内容が良い。

 写真は峠の宿です。

ポルドイ峠

2009年07月29日 06時43分04秒 | チロル~シャモニ
 Antermoiaでの思わぬ滞在は静かに暮れ、日の出前からワクワクして起きた。
ベランダ越しに見える教会は一晩中街灯に照らされていた。そこに朝の光が陰影をつけ始めたので写真を撮った、空気はピリッと冷ややかだ。
牧場の遙か遠くの山なみは朝靄がぼんやり掛かっている、ここもチロルの風景だ。

 朝食を取り出発の準備をする、ライダーたちもオートバイの前にいるので一緒に写真を撮る、今日は何処まで走るのか。斯く言う我々は引き返す形になるがポルドイ峠を目指すことにした。

 9時10分にスタートする、メーターを見るとこれまでに442Km走っている、気分的には車を走らせっぱなしだが、ハイキングや写真を写真休憩を取っているので、1日200Km走るのは無理だ。まずは燃料の補給からと町を目指して峠に向かう。
25分でPasso delle Erbe、エルベ峠で標高2006mに着く。旅籠があり、ハイキングコースもあるようだ。3時間少々のAntermoiaまでのハイキングコースもある。

 ゆるい丘陵地帯ぐんぐん下っていくと林の中に牧場があり、丸太と白壁で建てられたレストランがある。周辺の景観に溶け込み絵葉書をを見ているようだ。これが特別な景色ではなくちょっと目を向ければ何処にでもある景色なので実に羨ましい。

 10時30分山道から大通りに出たところでガススタンドを発見し給油する。463Km走って34.87ユーロ分で満タンになった。給油量は表示されず金額だけが示されるのでリッター当たりの走行距離が分からない。燃費の良い車だと思う。

 大きな道路のR473号線に一旦出て、R242号線に入り川沿いをセラ峠を目指す。近くにサッソルゴ山群が姿を見せている。11時45分セラ峠の手前の開けた場所でランチにする。パンとチーズのカンタンな食事だが周りの景色がメインディッシュなので不足は無い。

 近くにSassoLungoへ上るTeleCabineー二人乗りの立って乗るリフトーが動いているので乗りに行った。往復券で一人当たり14ユーロ。飛び乗るようにして乗るのだが、乗り損ねると停めてくれる。上がる途中に数回停まった、きっと下手くそがいて飛び乗れなかったのだろう。
Lungo山の小屋裏に雪渓があり風も冷たい。麓までハイキングコースがあり小学生を連れた家族連れが登ってきた。この急坂をよくも登ろうという気になったものだと感心する。このコースを歩けるなら、トレチメ一周なんて屁の河童だろう。

 正面には切り立った崖に長い斜面を背負った独特の形のSassoPordoiが見えた。そこに上がるために車を進める。セラ峠まで10分しかかからない。さらに20分でPasso Pordoi に到着した。観光地化された場所という雰囲気の峠だ、人気があるのだろう。
早速ロープウェイに乗る、往復13ユーロ。
ロッククライマーが岩に取り付いている姿が見えた、この辺りは何処も彼処も岩登りの場所になる、剱岳のチンネがそれこそ無数にある。

 拾い台地状の向こう側にはピークがあり小屋も見える。冬はスキー場になるのだろうか。ハイカーの姿も多く見られる。この時間の眩い太陽の光は風景をダラケタものにする、先ほど上ったSassoLungoもぼやけているし、期待していたマルモラーダ Marmoladaは雲がかかって頂上が見えない。ドロミテでの最高峰で雪に覆われた山なので色濃く深い山に見える。乾いた岩山に雪が張り付いている姿が多いドロミテでこのように雪山という印象を与える山はめずらしい。

 なんとか近くまで行きたいものだと考えて車に乗った。

道に迷う

2009年07月27日 20時31分28秒 | チロル~シャモニ
 予定通り5時間で一周したトレチメハイキングを終え、オーロンゾ小屋で絵葉書を買い身支度を整え出発したのが13時20分。

出発前にドロミテについて調べていると次のような記述があった。
「オーロンゾ小屋は8人ベット部屋のドミトリー形式、夕飯もカフェテリア方式、昨夜のラガツォイ小屋ほどの設備ではないが料金は2食付で39ユーロ(6700円)、日本の山小屋に比べれば、はるかに安く、設備も悪くない。」

それで今夜はラガツォイ小屋で泊まろうかと漠然と考えていた。しかしラガツォイ小屋へどの峠から上るのかを忘れてしまった。これから幾つか峠を通るのでそのうち思い出すだろう。
駐車場を出る時前述したように有料道路のチケット確認で少々モタモタする。昨日エンジンを喘がせながら上ったのとは違い下りは快調だ。急坂のカーブだらけなので気は緩めない。10分で下り切り、ミズリーナ湖を通過して14時にコルチナ・ダンベッツオまで来た。山小屋はカードがきれず現金払いが多いと考え両替する為に銀行に立ち寄る。しかし昼休みの真っ最中で14時45分から午後の営業が始まると表示されている。
その間ダンベッツオの街を歩いた。

 山々に囲まれたリゾート地で冬季オリンピックも開かれたところである。中心部だけを一回りしただけだが教会を中心にした街並みは綺麗だ。陽射しは強く石畳に日向と影がはっきり写っている。夏の太陽は強烈だが物憂げでもある、夏より冬場の人出が多いと思われる。

 両替を済ませて又山道を登り始めた、杉林の中を走るがサイクリストが多い、グループでツーリングを楽しんでいる。こんな坂道のツーリングを楽しむなんて私には理解できない、他人のことだから”楽しむ”と書いているけど、個人的には参加したくないツーリングだ。(笑)
途中の休憩所の広場には自転車運搬用の専用車両が何台かある。クラブ所有の車だろう、このようなサポート体制があるから遠くまで遠征するツーリングができると思われる。

 上り切ったところがファルツアレーゴ峠だった。トイレ休憩をとる、0.5ユーロの使用料が必要だ。ロープウェイがかかっている、実はこのロープウェイを上がった所がラガツォイ小屋だったのだがそれを知らず先に進んだ。とりあえずポルドイ峠を目指ざすことにしたのだが、直進すべきところを右折してしまった。

 更にLa Villa という町で左折するとポルドイ峠に出るところを又もや右折してどんどん下ってしまった。ルートが間違っていることに気づいたけど、戻る気がしない。戻るには下り過ぎていた。ただこのまま小一時間も走れば San Lorenzo という町に出てしまう、町に泊まるのはバカの高上がりをを自認する私の心の片隅が抵抗している。それで当ては無いけどSan Martino という場所から又山に入った。地図では黄色に色づけされている道路だ。初っ端から急な上りで道幅は狭い、進むに連れて車がすれ違い出来ないほど狭くなってきた。前方から車がきたらどうしようと思いつつ進む。

 小さな集落があり道端にジイサンが座っていた、これ以上進む道があるのかを手で前方を指差すと、行けという風に手を小刻みに動かした。行き止まりでは無いようだ。さらに進むと小さな木造教会と集落が見えた、時間は夕方5時前になっている。この先どうなるのか一抹の不安を感じるけど前進する以外に無い。林の中を走り牧草地帯が見え隠れする、東に面した斜面を走っているので薄暗く感じ、ガソリンゲージは残り1/4を示している。林を抜けると牧場が見えて建物が見えた、通り過ぎてきた集落よりも大きいようだ。

 ホテルの表示がありオートバイが数多く停まっている。今夜はこの辺りで泊まろうとホテルを探すと三ツ星ホテルは直ぐ目に付いた、安そうなホテルは窓に鎧戸を下ろして営業を休止中、まだシーズン入りしていないのか、冬季だけの営業なのかは分からない。
そこで三ツ星ホテルに泊まることにする。

 トリプルの部屋はないけどツインとシングルを同じ料金で提供するという。ベランダから見ると車で走った印象とは違い意外に広い谷で牧草用地が広がり防風林のような木々も見える。遠くにはドロミテ特有の岩山も見えてよい景色だ。反対側は教会があり静かなたたずまいの村という感じだった。

 そこは Antermoia という場所で道に迷って来てしまったけど、これほど安らぎを与えてくれるとは幸運だった。車を運転中は背後の景色を眺めることができない。ホテルで来た道を見て始めて気づいたが、通ってきたところはこんなに素晴らしい景色だったのだ。
 17時30分にチェックインし、ディナーは19時から始まった。夕食とせずディナーとしたのは、まさしくディナーだったからです。器もよく味も良くビールも美味しかった。この食事内容でHotel Antermoia の宿泊料は二食付きで二人は54ユーロで三人目が10%割引であった。飲物を含めて支払った金額は158.6ユーロであった。

 しかしここAntermoiaという場所は村の規模にしては宿泊施設が多く、バイクヤローが多かった。交通の要衝なのか、それとも風光明媚なリゾートなのか。 道に迷ってこの場所に来て、このホテルに泊まったけど良い結果をもたらした。この出来事で宿泊ホテルを決めない旅の自信がついた。
本当に良い所でした。

トレチメ ハイキング

2009年07月25日 23時28分04秒 | チロル~シャモニ
 天候はまずまずのようだ。5時間コースの我々は早めに出発する為に小屋の朝食を取らずに出ることにした。しかし女将さんの姿が見えずチェックアウトできない、夕べの内に済ませておくべきだった。
朝食は7時半からなのでその頃女将さんは姿を見せた。こうなれば朝食を食べて出発したほうがいい。
結局出発は皆さんと一緒の8時となった、2009年7月2日の朝です。

 オーロンゾ小屋から見える小さな教会に25分で着く。上り下りの無い整備されたルートを写真を撮りながら快調に歩いた。調子は上々、8時35分にラヴァレド小屋に着いた。この分なら4時間程度で歩けるかなと一瞬楽観的に考えたが、其処から尾根筋まで急な上り坂となっている。5分ほどの間は傾斜がきつく一歩一歩足を動かす、山でこういう風に歩いたことを思い出す。ラヴァレド小屋から15分でコルに着きひと休み、吹き上げてくる風が冷たいのでセーターを着た。
三つの岩峰が仲良く一列に並んで一つしか見えない。ロカッテリ小屋が見え、そこからのルートは谷越えとなっている。下って上がるのかと弱音を吐きたくなる。

 コルからロカッテリ小屋の間はハンモックを吊るしたような形のルートになっている。上り下りはあるものの山のハイキングとしては薬味程度といえよう。途中2mほどの雪渓が出てきた、久しぶりの雪、馴染みの薄い雪を見て触って楽しむ。
頭上の稜線の岩がおもしろい形をしている、孔子に似たもの恋人同士が手を合わせたように見えるものがある。威容を誇る岩山も最後にはユーモアのある姿になるのだ。ルートから少し上った所に穴が空いている、自然に出来たものにしては整いすぎている。人工物のようだ、貯蔵庫にしては場所的に利便性が悪い、戦争に使われた陣地なのか考えても分からない。

 ロカッテリ小屋直前はちょっとした上りになっているけど苦になるほどではない。9時50分に到着した。ここからの眺めがその名の通りそれぞれが独立して見えるドライ・チンネンである。頂上部は雲が流れている、上に上がるのを念じつつ眺めていた。真っ青な空に突き出す姿を期待するのは誰しも同じだろうが、これだけはお天気任せにせざるを得ない。雲がかかった山も景色の一つでそこに美しさを見出して満足する。

 10時10分にロカッテリ小屋を出る。ハイキングコースが幾つかあるようで標識に従い谷に下った。勾配がどんどんきつくなり、瓦礫のルートを15分下ると今度は草地の九十九折りの道になる。更に15分ほど下って湿地状の最低部に着いたのが10時55分であった。急坂部分を下るのは30分ほどしかない。膝に負担をかけないように注意して下った。

 これだけ下れば又上らねばならない、覚悟を決めて上ったけどナンと15分で傾斜の強い場所は過ぎて後はダラダラ坂である。這い松のニオイがしてきた、懐かしい香りである。剱岳源次郎尾根のブッシュ漕ぎを思い出した。振り返るとロカッテリ小屋が見え歩いてきたルートもはっきり見える。同じ頃オーロンゾ小屋を出た幼児を含む家族連れが戻っていくのも見える。三つに分かれたトレチメを見れば先に進まなくてもいい、見て楽しむ分にはロカッテリ小屋まで行き其処から引き返しても充分楽しめる。

 這い松が多い地域を抜けると小屋があった、無人小屋のようだ。12時になったのでランチタイムにする。お湯ないし水を入れるだけの五目飯にする。無理に和食にすることは無いけど、手軽なので三日分ほど持参してきたものだ。
ハイキングも終わりに近い、尾根のコルをを越えれば出発地点のオーロンゾ小屋は近いだろう。
昼食を済ませて12時15分に出発し、12時50分にオーロンゾ小屋に戻った。やはり5時間のハイキングだった。
初めてのハイキングらしいハイキングだった。

オーロンゾ小屋

2009年07月24日 15時18分35秒 | チロル~シャモニ
 ドロミテで有名なトレチメもしくはドライチンネンは、イタリア語表記ではトレ・チメ・ラヴァレード Tre Cime di Lavaredo、ドイツ語では ドライ・チンネン Drei Zinnen と表記するようだ。あの辺りの地名は両国語併記する決まりのようです、過去の歴史がそうさせているのでしょう。

 そのトレチメに向けて快調に飛ばした、途中オーロンゾヒュッテという紛らわしい名前がでてきた。小さな湖の畔でのんびりするには最適だろう。上を目指して進むと15時55分にドライチンネ有料道路の入口に着いた。20ユーロ支払う。この領収書は保管して直ぐ取り出せる場所に置いたほうがいい。翌日上の駐車場から下り始めたらチェックがあった。脇道も無いのでヌギバイ(ウチナー方言で無賃入場)する人はいないだろうに。私は保管場所を忘れてオタオタしてたら、意味が分からないまま行けと言われた。

 16時15分見晴らしの良い上の駐車場に着く。登り始めてからというものギアチェンジをするとエンストを起こしそうになるので、ず~っとローギアで引っ張ってきた。その間約20分、エンジンがオーバーヒートしないかとヒヤヒヤした。今回の旅では峠道を数多く通ったけど、ローギアだけで走り続けたのはオーロンゾ小屋への上りだけだった。

 森林限界帯を超えて見晴らしが良くなっても景色に目を向けるのもチラッとだけで、カーブを曲がるのに集中した。ここは観光バスが多い、バスは1車線だけでカーブを曲がることが出来ないので対向車線にバスが見えたら、タイミング良くカーブを曲がりきるか、待つしかない。
恥ずかしい話だがギアチェンジをしてエンストを起こしたともある。ガソリン車なら引っ張れるだろうにと責任転嫁をしたくなる。

 オーロンゾ小屋はお客が多く内外ともごった返している。予約無しの飛び込みだが幸い空き室があった。16時30分にチェックインした。二食付きで一人当たり49ユーロ。素泊まりで24・5ユーロのようだ。
外の景色を楽しんでいたら雨が落ち始めた、明日の天気は・・・
暫らくして谷間に虹がでた。

 ドライチンネは小屋の直ぐ後ろに屹立している。ドロミテ特有の岩で基部には砂が堆積している。ここからはドライー三つのー山塊には見えない。ロカッテリー小屋付近まで行かないと写真で見るような形にはならない。ここまで来たのだから明日は一周しよう。

 夕食時分になると日帰りの観光客が下山するので静かになった。ニッポン人のハイカーも泊まっている。昨日着いて今日トレチメ一周して明日移動するとのこと。ゆっくり5時間掛けて回ったそうだ。山小屋の女将さんは3時間あれば回れると言うも、私たちも5時間ペースで回ろう。

 シャワーはコイン式だというので入らなかった。トイレの洗面台で片手・片足ずつ洗っている人を見た、山男はこのような術も知っている、若かったら真似しただろう。でも寒そうだった。

 時差ボケで夜中に目が覚める、月が煌々と照っていた。
明日の天気は期待できる。

写真は、Sagritzerwirtの村の風景

チロル

2009年07月23日 23時22分02秒 | チロル~シャモニ
 ホテル Sagritzerwirt の朝は素晴らしい景色を提供してくれた。広い谷間に家々が点在し教会の尖塔が見える。目の下から広がる牧草地域の新緑が向かい側の斜面まで続き、その牧場が樹木で区分けされている。樹木・森林は濃いグリーンで薄緑の牧草とはっきり色分けされている。
教会の鐘の音も心地好く響く、これがチロルだ~。スイスの狭い谷間と違いチロルは谷の奥底まで陽光が届く広くゆったりした丘陵という感じだ。

 レストランはまだオープンしていなかったけど、部屋・設備とも不満は無い。サウナルームもあった、しかし水着を忘れたので入れなかった。雪の季節には重宝がられるだろう。ここのトリプルで朝食付き85ユーロは安い、お勧めだけど場所を教えるのは難しい。

 夕べ食事を取ったレストランを併設したホテルには林間学校の生徒が宿泊しており、引率の先生がビールを飲んでいた。子供たちは自由時間を楽しんでいる。いい光景だ生徒・先生ともに楽しんでいる様子だ。
注文したメニューをこの先生方が食べているのを参考にした。”飲物は?”と聞かれたので「車の運転はOK?」と逆に聞いたら笑ってダメと言われた。誤解を与えないよう断っておきますけど、殆んどボディランゲージです。

 今日はグロースグロックナー山を昨日の反対側の西から見るために一旦リエンツへ出る。泊まったSagritzは標高が高いのか下り気味に走る、9時10分にスタートしてリエンツまで40分、距離にして30Km弱。やはり曲がりくねり上り下りが激しい道路事情に因る。昼食用の食品をスーパーで買う。
地図を見るとマトライ(Matrei)の手前で山に上がってもグロースグロックナー山は見えそうだ。HubenからKalsへと山道をぐんぐん上った。リエンツ(Lienz)からKalsの集落まで約1時間で着いた。

 真新しいロープウェイが運行していた、何から何まで新しい。料金は往復で一人24ユーロ、しかしチケットを返却すると5ユーロ変換してくれるので実質19ユーロ、デポジットだろうが何のデポジットか、チケットのデポジット?

 ロープウェイは長く20分ほどかかる。頂上駅の稜線に出ると反対側の谷が見えた、そこがマトライだった。広い谷がチロルを感じさせる、昨日は頂上部を見せなかったグロースクロックナーは今日も雲がかかっているけど雪・氷河の山は感動的だ。

 スーパーで買ったものでランチを取り下りようとするもロープウェイの係員がいない、ランチタイムのようだ。イライラして待つも結局1時過ぎになって運行が再開した。やはり試運転期間のようだ、レストランやら付随施設も工事中なのでこの辺りのハイシーズンはやはり冬場なのだろう。

 今夜の宿泊地を決めていない、何処にしようかと考えた結果ドロミテの行ける所まで行くことにする。13時35分 Kalsを出てリエンツ向い、14時05分にはリエンツを抜けつつあった。14時40分にはイタリア国境まで来たところで車の行列が出来ていた。入国のためのパスポート検査があり、レンタカーの窓越しに何処に着いて此処まで来たのかと聞かれたようだ、話を理解できなかったけどパスポートを渡し、質問にもチンプンカンプンの返事をして閉まったようだ。
後列の車両に迷惑をかけたが国境を通過した。

 15時にドライチンネン(トレチメ)の麓のミズリーナ湖(Misurina)への分岐点ドビアッコ(Dobbiako)まできた。道路ナンバーでいえば、SS51からSS48bis、さらにSS49への分岐点である。
谷間の川沿いのルートなのでラクに走れた。途中のLago Di Land という湖でトップレスの女性が泳いでいるのに遭遇したけどシャッターを押す勇気が無かった(笑)

 この調子ならオーロンソ小屋(Rifugio Auronzo)まで行けそうだ。ここら辺りの日暮れは遅い。10時を過ぎないと夜が暮れない感じなので夕方から夜にかけての時間が有効に使える。ミズリーナ湖の手前でオーロンゾに向かった。

 あれほど期待したチロル(オーストリー)だけど、たった1泊で早々とドロミテに来てしまった。東チロルはグロースグロックナーを見たらオワリなのでこれでいいだろう。西のチロルは別の魅力があるだろけど、別にチャンスを見つけて行くようにしよう。

グロースグロックナー山

2009年07月22日 17時43分25秒 | チロル~シャモニ
 最初の目的地であるグロースグロックナー山を見るためにレンタカーでザルツブルグを出たのが10時半。オタオタしながら市内を抜けてA10号線にでる、進入路から本線へと入ると他の車は100Km以上のスピードで走っている。”ゆっくりでいい”とか”追い越しなんぞしないでもいい”と外野の声がうるさい。私は「順行速度で走っているだけだ」と応酬する。

 30~40Kmほどでアウトバーンからチェル・アム・ゼー(Zell am Zee)に向かう311号線に下りる。この道路は東西を結ぶ準幹線と思われるが狭い、歩車道区別無しの2車線、それも狭い道路なので神経を使う。
12時15分ザルツブルグから約100Km走ったところでチェル・アム・ゼー手前のグロースグロックナー山岳道路入口にきた。しかし曲がり損ねてしまった、Uターンしようにも道幅が狭いので大回りする羽目になった。

 山岳道路は通行車両が少ない、暫らく進むと料金徴収所(28ユーロ)があったのでひと休みする。遠くの雪山に胸を躍らせる。いよいよ上り坂の始まりだ、右に左にとカーブの連続でギアチェンジも忙しくなる。すっ飛ばしていくバイクもグループに単独と大勢いる。登るに連れて雲が厚くなり時折り雨粒も垂れてくる。道端には雪渓が出てきたので記念撮影をする。13:30に2578mの峠に着く、そこには駐車場と店があるも周囲はガスって雨も降り始めたので早々に下りはじめた。

 暫らく下りていくとガスッている地帯を抜け雲の高くなってきた、更に下りフランツ・ヨーゼフ・ヘーエへと行くために右折する。山道を走るとほどなくして前方に建物や立体駐車場やらその他の施設が見えてきた。そこがグロースグロックナーを一望するフランツ・ヨーゼフ・ヘーエである、14時30分になっていた。パーキング場は無料だった。

 パステルツェ氷河が遥か下のほうまで流れてきている。せっかくなので氷河まで降りることにしてグレッチャーバーン(ケーブルカー)に乗る、お一人様往復8.8ユーロ也。かつてはケーブルカーを降りたところまで氷河があったのだろうけど今では10分ほど歩いて下らねば氷河に接することはできない。
意地を出して其処まで下った、途中に氷河があった場所を示す標識が立っている、それを見ると氷河の後退がアタマで考える以上の速度であるのに驚く。

 氷河のシッポに触ってからケーブルカーまで25分かけて登った、あと10年ではどこまで後退しているのかと気を揉む、地球温暖化を身を持って体験した。
観光客も少なくなってきたけどグロースグロックナー山の全貌をこの目で見ようと粘る。しかし残念ながら頂上部の雲は山に纏わりつき離れることは無かった。心残りはするものの16時30分下山を始めた。

 本日の宿はインターネットで予約してあるので少々遅れて大丈夫という安心感がある。ハイリンゲンブルートから10Km南に下った所にあり、ハイリンゲンブルートは町だが混むのではないかとズラシタのだ。外しすぎたのかSagnitz村の入口をを見逃すやら、村に入っても外れに位置するホテルを見つけるのに一苦労した。17時20分チェックイン

 ホテルは広い谷間にある村の上にあるので眺めは良く如何にもチロルという風景がベランダから見える。何の予備知識も無いまま選んだにしては”アタリ”だった。ただ夕食は付いていないのにレストランが開いていない、プレシーズンということだろう。近くにレストランがあるかと聞いたら、歩いて30分かかるとの返事だった。車で出かけたが目に付いた看板の店はお休み、これもプレシーズンだからでしょう。

 あちらこちらに車を移動させてー狭い村だからそれほどではないけどーレストランを見つけた。ホテルに併設された店である。宿泊客が多かったので営業していたのかな。
他の客が食べているのを指さして注文した。

ジャガイモ、ブロッコリー、カリフラワーのチーズソースかけ
餃子の皮にチーズと肉、玉ねぎが包まれたもの
ベーコンとチーズそれに何かを炒めたもの
の三品を注文して3人でシェアした。
この旅の実質的な第一日目である、ビールで前途を祝し乾杯する。
 
本日の走行距離は187.5Kmであった。
追記:ザルツブルグのホテルは、112ユーロ/一部屋3人

レンタカー

2009年07月21日 23時30分49秒 | チロル~シャモニ
 チロルとドロミテは計画の段階からレンタカーを借りて回るつもりであった。しかしズボラ・怠惰で申込が遅くなり出発までに返事をもらうことができず、非常手段ではあるが現地ザルツブルグで直接申し込むこととなった。

 まずレンタカー事務所所在地を駅のインフォーメーションで尋ねたら直ぐ近くにあった。当日の朝事務所へ行くと、AB-ROADは3週間後なら手配できるとのこと。隣のHERTZは10時半まで待てるなら今日から用意できるとのことなのでお願いする。
飛び込みなので高く付いたのはハンセイ事項だ。6月30日~7月6日10時までの6日間で548ユーロかかった。車種はFordFusionという1500ccクラス(?)4ドアのディーゼルエンジンの5速マニュアル車だった。

久しぶりに左ハンドル車を運転した、運転免許を取得した当時はヤマトゥとは反対の右側通行だったので左ハンドル車に違和感は無いものの、オキナワの交通区分変更依頼左側通行に慣らされたためにカーブ、特に左折した時に反対車線に入りそうになることがしばしばあった。
ナビゲーター役の義妹が”右側に入るのヨ”とか、狭い道でのすれ違う際に右により過ぎるのか”キャー左によって~!"とかの声が度々起きた。
助手席に乗るより運転するほうが精神的にラクなようだ。(笑) 

 乗用車のマニュアル車は少なくなり乗る機会は殆んどなくなったが、軽トラックを時々運転するのでギアチェンジは苦にならなかった。ただディーゼル車は加速時の伸びに難点がある。以前私の車もディーゼルだったのでこの辺りは分かるけどやはり不満を感じた。しかしオーロンソ小屋までローで15分以上も上りつづけた時はディーゼルエンジンの特徴を発揮したと思う。
加速・スピードに欠けるけどディーゼルエンジン車でよかったのでしょう、きっと。

 今回は車を返すためにわざわざインスブルック(Innsbruck)まで行きに1泊した。其処から西ないし北上するならいいだろうけど、もしドロミテからスイスに入るならイタリアで借りて乗り捨てたほうが日程に無駄が生じないと思う。

 レンタカーは5日間で750Kmほど走った、観光しながらではあるけど朝から夕方までドライブしてこの走行距離である。道路が狭隘で且つ峠道の上り下りが激しいためスピードが出せず距離が稼げないのが実情です。燃料代は2回給油して計50ユーロで済んだ。単価は表示されなくて給油金額しか表示されないので単価は知らない。ディーゼルはリッター当たり1ユーロ弱と思われる、燃費の良い車だ。

 結論として東チロルとドロミテを見て回ろうと思うならレンタカーを借りたほうが良い。あの辺りの交通機関はバスのみである、よほど綿密な計画を立てなければバスの乗り継ぎで動き回ることはムツカシイだろう。

http://www.interq.or.jp/venus/yasano/travel/europaplz.html

Mittel Europa Platz   ~ヨーロッパ週末ぷち旅行記 ふろむ オーストリア~

 このような方もおられるが、非在住者があのような旅をするには時間をたっぷり掛けねばいけないだろう。今回チロル・ドロミテを回るのに上記サイトを大いに参考にし役立ちました。

 ドロミテは又行きたい、その時はレンタカーを又借ります。

オーストリー

2009年07月20日 20時27分39秒 | チロル~シャモニ
 これまでオーストリアと表記していた国名をオーストリーとすると伝えられたのは何時だったか。オーストラリアとの混同を避けるためらしい。

そのオーストリーが今回の旅の入口となった。まずウィーン国際空港(Wien)に第一歩を踏み、二歩目はザルツブルグ(Saltzburg)へ向けて踏み出していた。ウィーン国際空港の鉄道駅には案内所があり旅人に詳しい情報を教えてくれるものと考えていたら当てが違い無人駅で自動券売機が設置されているだけなので初っ端からチケットを買うのに苦労した。券発売機の前でオロオロし、隣でキップを買っている人にこれ幸いとばかりにザルツブルグまでのチケットを購入してもらった。(107.2ユーロ)シニア料金があるやに聞いていたけど言いたい事が伝わるほどの語学力がないので黙ったいた。

 空港駅からザルツブルグまで直通があると思ったら、なんと市内まで出て中央駅で乗り換えしなければならないとのこと。教えられたとおりに乗り換えて、15:44発のザルツブルグ行きに乗った。空港着が13:50なのでスムーズにいったと考えて良いだろう。

 寝台車を自由車に解放したようなコンパートメント車両だった。車内販売のビールで前途を祝して乾杯を挙げる。サービスと思ったピーナツを含めて5ユーロ。外は雨が降り始めた。
18:40ザルツブルグに着く、駅前のホテルへチェックインする。インターネットで予約したEVIDOホテルはビルのワンフロアがホテルになっていて看板が小さく分かりにくい。入口もアパート住人と同じところでオートロック式なので入るのに戸惑う。駅まで2・3分という利便性だけで選んだホテルで、コンビニ・スーパーが隣近所にあり、レンタカー会社もたまたま近くあったので総合的にはヨシとしよう。

 夕食はスモモとビールを近所の店で買ってホテルに戻り機内食の食べ残したパンやチーズ・ジャムなどとともに部屋で食べた。スモモが甘く美味しかった。このようにしてオーストリーの最初の日は暮れた。

 翌日レンタカーを予約なしで借りられたので、モーツアルトにも市内の由緒ある歴史や建造物に触れることなく10時半にはザルツブルグを出発した。こちらもウィーン同様素通りに近い。

 後日レンタカーを返すためにインスブルック(Innsbruck)にも寄った。ここも駅に近いホテルを探したので、駅とホテルの間しか知らない。オーストリーの有名な3都市に立ち寄り、上記2都市でそれぞれ泊まったけど、ホテルと近くの駅を往復しただけで何処も見なかった。音楽や歴史好きの人は勿体無いと思われるだろう。

 今回のオーストリーはグロスクロックナー山を見るのが目的だったので、都市地区は無視した。
この次は正装でウィーンフィルでも聴こうかな。ここに(笑)を入れて私のホンネを表すべきか。

まずは日程表から

2009年07月19日 18時33分53秒 | チロル~シャモニ
 今回のスイス旅行を「チロル~シャモニ」と名付けました。
アルプスの東チロルにドロミテ、それに西側のシャモニ・モンブランまで回ったからです。
とりあえず日程の概略を一覧表にしました。説明無しなのでおいおい肉付けしていきます。

 -----2009年チロル~シャモニ 旅程概要-----

6月27日 土 沖縄那覇 17:55発 → 大阪伊丹 19:55着
6月28日 日 23:15 関空発 エミレーツ航空 (ドバイ乗り継ぎ)
6月29日 月 13:45 ウィーン着 汽車でザルツブルグに18:40着 駅前ホテル投宿  
6月30日 火 10:35 レンタカーでチロルへ出発 12:50 グロスグロックナー山岳道路入口 
   14:30 フランツ・ヨーゼフ・ヘーエ 17:25 Sagritzerwirtのホテル着
7月1日 水 9:00ホテル発 リエンツを抜けてカルス、11:10 ロープウェイに乗る
   急遽ドロミテまで行くことに予定変更 再びリエンツを経てドビアンコ15:00
   ミズリーナ湖の手前から上がる 16:15 オーロンソ小屋着
7月2日 木 8:00ドライチンネ(トレチメ) ハイキングへ出発 5時間かけて回る
   13:20オーロンソ小屋発 14:55コルチナ・ダンベッツオ発
   (道に迷う) 17:05 アンテルモイヤでホテルを見つけ泊まる
7月3日 金 9:10ホテル発 山道を走り 10:50 R473へ出る
   11:45 セラ峠の手前で昼食 ゴンドラでPunta Peniaへ登る
   14:10 サッソ・ポルドイへロープウェイで
   マルモダーラの麓を通り 16:35パッソ・フェディア カナッツエを抜けて
   18:00パッソ・デ・コスタラーナでホテルを見つける
7月4日 土 9:00 コスタラーナ峠のホテル出発
   10:30 シウシ高原 ロープウェイ着 高原散策 13:30発
   R25 から高速道路でインスブルックへ 16:35 チェックイン
7月5日 日 8:16 インスブルック発~ボルツアーノ~マルレス(汽車)
      14:03 マルレス~オッフェん峠~ツェルネッツ 15:45着
      ツェルネッツ~サメダン ムオタス・ムラーユ チェックイン 17:40
7月6日 月 9:30 氷河急行にてチェルマットへ リッフェルベルグ 18:30着
7月7日 火 7:33 ゴルナグラードへ 
   10:50 シュワルゼーからヘルンリ小屋へハイキング 13:35着
   16:45 シュワルゼー小屋にチェックイン
7月8日 水 8:40 小屋発 スネガへ ロープウェイでロートホルンまで上がる
   11:45 マッターホルンを見ながらスネガまでハイキング 14:05着
   15:39 シャモニ・モンブランへ シャモニのホテルチェックイン 19:40着
7月9日 木 10:15 エギュードゥミディ 10:55 エルブロンネへ
   12:45 エギュー・ド。ミディ着 14:00 シャモニ着
   16:00 ブレヴァンへのロープウェイ、17:00 下山
7月10日 金 6:30 エギュー・ド・ミディへ 8:35 シャモニに戻る
   10:15 モンタンヴェールへ 12:10 シャモニに戻る
   13:16 マティニー経由ルークへ 15:41着
   バスとロープウェイでゲンミ峠小屋へ 17:50 チェックイン
7月11日 土 8:40 ゲンミ峠小屋発~カンデルシュテーク駅 12:50着
   13:12発 シュピーツ、インターラーケンを経てフェルストへ 16:30着
7月12日 日 8:38 ロープウェイで降りる グローセ・シャイデック 10:00
   11:25 マイリンゲン着 12:18~13:40 アーレシュルフト渓谷見物
   インターラーケン、ヴィルダースヴィル経てシーニゲプラッテ 16:16着
7月13日 月 8:21発 ミューレンを経てシルトホルン 11:15着
   ラウターブルンネンからクライネ・シャイデック、グリンデルワルドで乗り換えて
   インターラーケンへ戻りルチェルンへ 18:04着
7月14日 火 起きてブラブラし、11:10チューリッヒへ
      15:35 チュリッヒ発(エミレーツ航空) ドバイ経由で関空へ
7月15日 水 17:20 大阪関西着 20:10発 → 沖縄那覇 22:15着