どこ吹く風

旅のことを主に書く。

テト(春節

2010年02月14日 07時04分30秒 | ハノイ
 今日は旧正月、子供の頃はそれなりに祝ったけど近年は簡素化どころかお祝いさえしなくなった。今年はたまたま日曜日と旧正が重なったけど、現場作業のある職場では今でも休日にしているところは多い。法定の祝祭日も関係無しに仕事をしている人にとっては盆と正月を休むのは当然でしょう。

 東南アジアでは旧正を祝い地域は多い、ベトナムも旧正を盛大に祝うだろう。ベトナムの旧正といえばすぐ"テト攻勢”を思い出す。南ベトナム各地でアメリカ軍に対して一斉攻撃が行なわれた。サイゴンのアメリカ大使館も一時占拠されたほどの攻撃であった。

 南ベトナムの一般民衆の蜂起が無く、その意味では失敗だったのだろう。しかしこの攻撃がアメリカに与えた影響は大きかったと思う。当時ベトナム反戦は沖縄の祖国復帰運動と連動して盛り上がっていた。今では美ら島の文字が観光ポスターを飾っているけど、この美ら島はベトナム戦争のアメリカ軍後方基地として大きな役割を担っていた。B52爆撃機の出撃基地、兵站基地、部隊の中継基地、慰安休養基地など様々な分野でのベトナム戦争と関連していた。

このテト攻勢についての評価はともかくアメリカがアタフタするサマを見て胸がすく想いをした、ベトコン頑張れと。アメリカを完全敗北に追い込むまでテト攻勢から7年掛かった。むごい戦争だった。私もデモで3~4針分の血を頭から流したのでベトナム人民の勝利は嬉しかった。

あれから40年余、美ら島というけれど対アメリカ・軍事基地という面では基本的にウチナーは変わっていない。ベトナムはどう変わったのか。前を知らないから変わったかどうかも分からないだろうから今のベトナムを見よう。

あの頃の話だが、ベトナムでは女性の力が強くてグエン・バン・チュウとかグエン・カオ・キでも「この話は分かったから妻の了解を得てから結論を出そう。」というように全てモノゴトを決める場合は奥さんの了解を得るのがフツーだということだった。
機会があれば本当の事なのかどうか確認したい。

事前勉強ではなく昔話になってしまった。

下調べ ハロン湾

2010年02月04日 14時43分25秒 | ハノイ
 「四十過ぎたら、自分の顔に責任をもて」とは誰の言葉だったか・・・と思い検索していると電話のベルがなった。妻の知人からだった。”北海道へ雪祭りを見に行っています。」と不在を告げると”ご主人は行かなかったの? 今年も海外旅行へでかけるの?”と聞かれて一瞬「まだ予定は立てていない。」と答えようとした。しかしベトナムのことを思い出して「いやまあ、行くつもりです。」と答えて電話を切った。

 ベトナムツアーを軽んじているわけではないけど、自分で計画を立てる2週間ほどの旅と、ミニ旅行それもツアー参加の旅行とでは気構えが違う。
ベトナムのことを調べているうちに気が付けば四川省や雲南のページ開けている。さらにチベットの方へと進んでいる。茶馬古道・・・ベトナムから離れすぎだ、戻ろう。

 昨日から妻と娘に孫たちは北海道の雪祭りと旭川動物園へ行っている。この北海道組に私が加わってベトナムへ行く予定だ。私も雪祭り見物に誘われたけど行かなかった、自分の金で行くのなら別の所へ回したほうがいい、という経済的な費用対効果を考えたからです。

 さて目的のベトナムに目を転じてみよう。
ハロン湾(Vinh Ha Long)灣下龍と表記されている。ベトナム語を見るとサッパリ分からないけど漢字を見るとなんとなく名前の由来が分かる気がする。
海の桂林と呼ぶこともあるようだ。写真を見ると切り立った岩山に樹木がへばり付いた桂林のような景観がここハロン湾でも見られる。地図で見ると桂林とハロン湾は意外に近い。地質学的には同じところなのだ。

 見事な鍾乳洞もあるようだ。桂林と同じ景観なので天気が崩れても、それなりの風情があるとのことなのでひと安心、できることなら晴れて欲しい。
ハノイから150Km 離れていると書いているかと思えば200Kmと書いてあるサイトがある。時間にすれば観光バスで4時間近く掛かるけど、ハロン湾近郊での宿泊なので日程的にはゆったりだろう。夕日で真っ赤に染まった雲、その下には島々と海が逆光で黒ずむ、全てが溶け合い霞んでいく光景が見られるか。