どこ吹く風

旅のことを主に書く。

あす出発

2007年08月25日 07時07分09秒 | 中国研修旅行
 今日からお盆です。”盆と正月”という言い方に代表されるようにお盆は大きな行事です。その大きな行事をサボって遊びに行くのだからご先祖様はさぞかし面白くないでしょう。ご先祖様より母がブツブツ文句を言うのかな。
例年この時期は親戚の仏壇にお供えをするために廻ります。10軒ほどお参りしなければなりません。本来ならお盆の中日か三日目の最終日がその日になります、初日は夜に入ってからご先祖様を家の仏壇にお迎えするので、初日早々に仏壇に手を合わせても未だ到着していない。だから二日目か最終日に行くのが慣例なのです。

 お盆の中日に西安へ発つので今日、ウンケー(お迎え)もしていない仏壇巡りをすることとなった。親戚の皆さんに何故今日廻るかの説明が必要となった、しかし遊びに出かけるとは言いにくい。どう言い訳するか・・・参加するメンバーの中には、ウンケーのときにウークイ(送りだし)が出来ないことをご先祖様に報告し了承してもらうという方もいた。
ご先祖様に申し上げるのは相手が見えないのでラクだが、口のついている親戚はそうもいかない。
遊びに行くのもラクじゃない。

 荷物をスーツケースに詰めた、予想以上にモノが多い。これまでの旅は最小限で済ませたのに、独りで行くのに二人分以上のモノがある。移動が無いのが最大の理由だろう。それと足りない物は西安で買えばいいのだが、持っている物に金を出して買うのに抵抗を感じる、だからアレもコレも持っていくハメになった。測ったら20Kgもある、独り分としては重すぎる、でもしょうがないか。

 というわけで暫らくはこの場をお休みします。
語学以外に3Kg のダイエットを目指している、食の国へ行くのにダイエットしようというアホなことを考えていますが、美味しく食べて太らないものが彼の国にあることを念じています。寮住まいになるので若いころの金無し生活を思い出してあのような暮らしをしたら太ることは無いでしょう。

ピスコ

2007年08月22日 10時41分29秒 | 懐かしい旅の記録
 先日ペルーで地震が発生して大きな被害が出た。
ニュースの中でイカという地名が出てきたので聞き覚えのある地名だと思った。「イカって通らなかった? ナスカの地上絵を見に行くとき通ったはずだ。」と妻に言うて調べると確かに地上絵を見るために飛び立った飛行場はイカにあった。

 世界の出来事も自分と何か関わりがあれば、それがただ通っただけの場所であっても知っていると言うだけで事件が身近に感じる。今回は地震による被害という不幸な出来事だが他の地域の地震よりも関心を持ってみた。
暫らくするとピスコでも被害が出ているとの報道もなされた、ピスコは葡萄の産地でそこで作られるブランデー風の酒が有名だ。ホテルのウェルカムドリンク”ピスコサワー”は口当たりが爽やかなのでオミヤゲと自分で飲むために4本持ち帰った。

 大災害で略奪も起きた地震なのに酒を思い出すなんて不謹慎な気もするけど、自分との関わりがその接点しかないのでご了承の程を、と言うしかない。イカはともかくピスコなんて土地を知らない人が普通だろうから、覚えている人がいるだけもマシと受け取ってもらえばありがたい。何処かでピスコを売っていたら買って飲みます。そして酔い心地を楽しみながら復興を祈ります。

 ナスカの地上絵を見にイカに向かうアメリカン・ハイウェイを南に下って行くと右手は太平洋、左手は乾いた大地が続く。灰色の砂山が続き所々に大規模な養鶏場がポツンとある。集落も時々出てくる、海は寒流のため霧が発生しやすく霞んでいる。陸上も乾いている割りにはスッキリせず見通しは良くない。晴れていて太陽は照り付けているのに気だるさを感じる、時には陰鬱ささえも感じる妙な風景だった。

 表面は乾いているように見えるがアンデスの水が伏流水となっているので水はあるようだ、ブドウ園も多い。チリからの技術導入で良質なワインが作られているとの説明があった。ピスコはその結果なのか或いは独自の酒として定着したのか個性のある酒だ。

 ピスコはけっこう強い酒だから飲めば自分自身が地震の発生源となりうる、心して飲むべし。

準備状況

2007年08月21日 10時20分22秒 | 中国研修旅行
 お金は2万円分交換したら足りるだろうと琉銀本店へ出かけたら、現金は置いて無くて香港上海銀行へ取次ぎするだけという。インターネットで直に注文すると手数料が安くなると言われたので銀行経由での両替を止めた。沖銀本店にも行ったが同じ説明であった。
 中国では元を持たなくても日円が使えるだろうし、上海で乗り継ぎの合間に交換してもいいだろう。そのように考えながらも銀行で貰ったパンフレットで「マネーポート」のサイトを開くと両替の最低額が3万円となっている。これまでネットを使ってモノを注文したことが無いので何事も経験とばかりに注文してみた。折からの株安・円高の最中なのでこれまでよりレートが良いのではと期待する、それにキャンペーン期間なので手数料・送料が無料となっている。
 今朝確認のメールが届いた。大まかな内容は次の通りです。レートはその日で変わるだろうが、手数料や配送料を含めるとどの銀行を利用しても同じ程度になると思われる。中国の闇市では良いレートになるだろうけど。

 スイスに行った時に買った柄もののワイシャツがある、乾きが早くてアイロン掛けが要らないので旅行に便利だ。ただ袖丈が長いのでこの際つめようとリフォームの店に持って行った。袖丈をつめるだけで二千円もする、2枚で四千円になる。西安では上物が変えそうな金額だと思いつつ頼んだ。でも・・・もう頼んだのだから考えないことにしよう。

 少しづつ準備が進んでいる。

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マネーポートからのメール(抜粋)
●ご注文内容
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通貨の種類 :中国・元
金種・枚数と外貨額 : 100 x 18 = 1,800
外貨合計額: 1,800
為替レート: 15.96000
円価金額 : \28,728

●ご購入代金
----------------------------------------------------------------------
円価合計額    : \28,728
T/C手数料    : \0
配送料    : \0
ご購入代金    : \28,728

●配送内容
----------------------------------------------------------------------
配送業者    :日通航空
お支払方法    :代金引換
お届け指定日時   :平成 19年8月21日 火曜日 夜間(17:00-20:00)
送り状番号   :09971159785
お問い合わせ   :http://www20.nittsu.co.jp/


何かご不明な点などがございましたら、下記までご連絡ください。
香港上海銀行 東京支店
バンクノート部

結団式

2007年08月20日 06時35分12秒 | 中国研修旅行
 語学研修への旅が迫ってきたのでカテゴリーを新たに作ることにした。
出発1週間前となった土曜日に結団式が持たれた。日中友好協会の行事と位置づけた第一回目の研修旅行となるので結団式と銘打っていたが、参加者の顔合わせを目的としたもので終始和やかな会合だった。参加者の人となりを知ることができたのでよかった。
 それぞれが自己紹介を兼ねて抱負を述べたが年齢は高く若い人でも60歳という感じ。みなさん仕事から解放された方々ばかりなので中国語を学ぶのは勿論だが、観光とか太極拳、写真撮影などのもう一つの目的を楽しみにしているようである。それゆえ到着そうそう講義を放り出して九寨溝・黄龍観光へ行くのに抵抗を感じないのだ。(笑)

 メンバーに知り合いがいないので一人浮いている感じがしていたが、これで少し打ち解けたので気がラクになった。4週間の間一緒に行動する人を出発前に知ることができて良かった。
ほぼ再掲になるけど改めて日程表を書いておく。
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日程表(最終版)
中国・西安交通大学、中国語短期留学(四週間)
      日程表 2007年


8月26日(日) 11:15 国際線ターミナル集合
      MU288 沖縄出発 MU2158 上海経由、西安着 19:40 上海経由西安到着       留学生寮入居 21:00 
8月27日(月)7:30 朝食(中庭集合、王先生の指導)
      9:00 説明会 キャンパス見学、
      10:00 中国語授業          九寨溝への準備 写真3枚提出
18:00 歓迎会
8月28日(火) -- 観光旅行へ
8月29日(水)  | 九寨溝   別途料金 8万円を現地にて支払
8月30日(木)  | 黄龍
8月31日(金) -- 西安へ戻る
9月1日(土)  兵馬俑 華清池 半披遺跡博物館見学
9月2日(日)     自由活動
9月3日(月) 8:00~12:00 中国語授業
9月4日(火) 8:00~12:00 中国語授業  13:00~14:00習字  14:00~15:00太極拳
9月5日(水) 8:00~12:00 中国語授業
9月6日(木) 8:00~12:00 中国語授業  13:00~14:00 中国語歌 14:00~15:00太極拳
9月7日(金) 8:00~12:00 中国語授業  14:00~16:00 中国歴史文化講座
9月8日(土)  碑林 城壁 大雁塔 歴史博物館見学
9月9日(日)     自由活動
9月10日(月) 8:00~12:00 中国語授業
9月11日(火) 8:00~12:00 中国語授業  13:00~14:00習字  14:00~15:00太極拳
9月12日(水) 8:00~12:00 中国語授業               20:00 唐舞踊観賞
9月13日(木) 8:00~12:00 中国語授業  13:00~14:00 中国語歌 14:00~15:00太極拳
9月14日(金) 8:00~12:00 中国語授業  14:00~16:00 中国歴史文化講座
9月15日(土) 乾陵 乾陵博物館 法門寺 法門寺博物館
9月16日(日)     事由活動
9月17日(月) 8:00~12:00 中国語授業
9月18日(火) 8:00~12:00 中国語授業  13:00~14:00習字  14:00~15:00太極拳
9月19日(水) 8:00~12:00 中国語授業
9月20日(木) 8:00~12:00 中国語授業  13:00~14:00 中国語歌 14:00~15:00太極拳
9月21日(金) 8:00~12:00 中国語授業 終了小試験        18:00 卒業式、送別会
9月22日(土) 西安発 MU2151 13:45
9月23日(日) 07:15 浦東上海空港集合 A:09:15 上海発MU287 12:15 那覇着
                   B:10:40 上海発MU517 福岡へ 福岡発17:00 那覇着18:35

浦東空港 ← → 上海中油ホテル 送迎バス 片道100元を別途用意のこと

さあ~準備を始めよう

2007年08月18日 07時01分17秒 | 中国研修旅行
 中国研修旅行というカテゴリーで15回も書いている。
旅のブログを切らさないで更新するために書いたけど、よくもまあここまで引っぱったものだと我ながら気恥ずかしさを感じる。
出発一週間前になった、今夕メンバーの顔合わせと結団式なるものが予定されている。今回の研修旅行を主催する日中友好協会県支部の方々とメンバーが中華料理を囲んで懇談することになるでしょう。その料理屋さんも残留孤児が経営なさっている店らしい。

 会長さんは気さくな方で、もう70才になるでしょうか、奥さん共々2回西安大学に通い、また観光を楽しんだようで写真や資料を説明会の席上で披露なさっていた。会長は今回は参加しないが団長になる方は中国へ何回か出かけてチベットへも行ったことがあるようで今現在アメリカを長期旅行中です。
他のメンバーも中国には詳しいようでアレコレ話していた。これは前回の打ち合わせの席で私が見聞きした印象です。
今夜はより深くメンバーの観察が出来るでしょう。

 今回の旅は妻が同行しないので準備から私がしなければならない。これまでは前日にちょこっと点検するだけで済んだのに。
「ちゃんとしなければシラナイヨ、自分でやんなさい。」と妻は冷たく言う。それに加えて娘達も「お父さんそろそろ準備を始めなさい、お母さんは手伝わないのだから。」とヨコから鉄砲を撃ってくる。
はいはいマカチョウーケー、旅行の準備なんてその気なれば直ぐ片付くものだ。私をナンと心得ると自分では思っている、声に出さないだけです。声に出すと益々立場が悪くなりそうなので止めているだけだ。

 準備は仕事を片付けるのが先決で、スーツケースに詰めるものは勉強関連用具、生活関連それに観光旅行用に分けると頭の整理がし易い。メモ書きを今日から、今から始めます。

 人民元への交換をインターネットで申し込んだが、返事が来ない。若しかすると返事のメールを迷惑メールとカン違いして削除したかもしれない。宅配予定日に来なければもう一度申し込もうか。受け取る際に返事のメールが必要なのか・・・
最悪な場合は上海空港で乗換の時間を利用して交換しよう。

スイスはいいよね~

2007年08月14日 10時26分08秒 | 懐かしい旅の記録
 久しぶりにスイスの写真を見た。ベルナーオーバーランド地方即ちアイガー、ユングフラウヨッホの山々が間近に見えるグリンデルワルドで有名なお馴染みの地域です。写真に写っている顔も満面の笑みに包まれている。

 ミューレン、フェルスト、クライネシャイデックそれにメンリッフェン、3泊なら何処に泊まろうか、入山する時間にもよるが・・・と考える。行く当ても無いのに想像の世界なのに一生懸命考えている自分に少し笑った。

”秋のスイスは何時行くの?”との妻の言葉に
「私は何時でもいいよ、今年でも来年でも」と言いながら、来週の日曜日には西安へ立ち4週間滞在するので今年の秋は終わってしまうことに気付いた。すると来年か。来年でもいい、スイスへ行きたい。スイスはいいところだ、一番いいところだ。そう思いながらスライドショーで次々と変わる画面を見ていた。不思議なもので写真を見ていると移したその時間、その時の状況まで思い出される。朝焼け、ロープウェイの中、大パノラマをバックにしたスナップ写真、どれもこれも美しい。スイスはいいよ。何遍もというほど行ってはいないが何遍行っても好いところだ。

 この次は何処に泊まろうか、やはり入る時間による。マイリンゲンからグロッセ・シャイデック経由で入りたい、いやその逆で出て行くほうがいいのか。シーニゲプラッテは未だ行っていない、今度は行ってみようか。プリエンツ・ロートホルンはどうする。そこに時間を割くならアレッチへ回るのが良いのでは。アレッチは別途日程を組めばいい、と悩みは果てしなく広がる。

 秋のスイスのテーマは何にしようかと考えるが、西安へ行って翌々日に九寨溝・黄龍観光へ行く、あのあたりの景色が良くて雲南やチベットの近くの風景がスイスに勝るとも劣らずなら軸足がヨーロッパアルプスから中国に移りそうな予感もする。近い上に費用の面でもヨーロッパよりはるかに安いだろう。
今回の中国語研修旅行は中国旅行のための第一歩、交渉・手配するためのツールとしての言葉の勉強が目的なのだ。将来の楽しみがかかっているので頑張るツモリです。

 西安への出発が間近なのにスイスの写真を見ると心が其処に動かされる。新しく開発するであろう中国旅行、スイスに中国の両方へ行けるようになったら最高ですね。

西安への道

2007年08月12日 07時34分07秒 | 中国研修旅行
 ちょっと気取って西安への道というお題にしたが、準備状況をこう書いただけです。
昨夜連絡があり、帰りは上海ー福岡ー沖縄になるようだ、それで福岡ー沖縄間の航空運賃が1万円追加とのこと。協会というボランティア団体が企画から交渉までするので多少の手違いには目を瞑りましょう。

 中国へ行くのを知っている人に準備を始めているかと聞かれる。まだ2週間もあるのでまるっきり手をつけていない。いや中国語の勉強はボチボチしているというところです。生活に要するものは直前で間に合う、足りないものが出てきたら現地で買えばいい。金さえあれば困ることは無いでしょう。勉強道具も現地にあるだろうが気を引き締める意味で準備しようと思う、欲しいのはシャーペン300円ほどのジョートーなものを買うツモリです。それと先日の墓参の旅で旅館・ホテルの備え付けのカミソリとか歯ブラシを持ち帰った。中国へ持って行くつもりです、あんなに大量には必要が無かったけど。

 中国語会話のサークルの皆さんは中国旅行の経験済みなのでいろいろアドバイスしてもらっている。以前僅か8日間だが北京・西安・桂林・上海のツアーに参加したことがある。その事を言いそびれている内に西安の観光名所のことを説明されたので黙って聞いていた。今さら其処へ行ったことがあるなんて言えない。

 似たような話だが、若い頃東京で研修を受けたことがある。連休に上高地へ行こうと時刻表を捲っていたら研修先の隣の若者が「上高地はいいところですよ。」といろいろアドバイスというか口出しをする。それで上高地へ行ったことがあるのかと問うと、無いと言う。私は学生時代に剣岳から槍・穂高まで縦走して上高地から降りたり、表銀座も歩いたので上高地はよく知っている。オキナワから出てきたのだからヤマトのことは何も知らないと思ったのだろう。
上高地のことなら初心者コースから上級まで私に聞いてくださいと言いたかった。私の説明不足もあるが、何事もタイミングというのがありその機会を逃すと後まで尾を引くことになる。

 ガイドブックを買うかどうか迷っている。今回は西安と九寨溝・黄龍だけなのでインターネットの情報をコピーするだけにしようと考えている。
準備でイチバンの問題は辞典だろう、小学館の中日辞典は買った。将来も使うだろうから6千数百円の金は出しても惜しんではならない。いま悩んでいるのは前にも書いた電子辞書だ、あれは3万円はする、便利だろうが・・・う~ん悩む。将来買うならこの機会に買ったほうがいい、でも3万円は高い、この迷いは当分続くでしょう。

トムヤムクンとメコン

2007年08月10日 13時53分31秒 | 懐かしい旅の記録
 夕べはタイ料理の店に行った。婿はタイ料理が好きでその店を度々利用している、そこで私たちもご相伴にあずかるのです。夕べもそうでした。
 タイ料理の筆頭はトムヤムクンは辛さの中深い味わいの上にパクチーの独特の香りと味がさらに引き立てている。手前味噌だがこの店より妻が作るものが美味しいです。これは独り善がりの意見ではなくて我が家で食べたことがあり、かつこの店の味も知っている人を含めての評価です。家で作る場合は美味しく作るためにどうするかをまず考えてコストに関しては店ほど気を使わない。そのために店より出汁が濃くて美味しくなる。

 夕べはトムヤムクンに焼き飯、パッタイ、春巻き、野菜炒めなどが並んだ。久しぶりのタイ料理は美味しかった。「シャム」という名前の店で那覇から車で20分ほど離れた所にある。開店して10数年になるけど固定客も多く繁盛している。奥さんがタイの方で昨日の店員さんも言葉使いからタイ人のようだった。
10年チョット前に市内の目抜き通りにタイ料理の店がオープンした、内装もタイ風でーそのときはタイへ行ったこともないのでタイ風であったのかどうかは定かでないー広い客席にムードのある照明で申し分の無い店だったが何時も間にか消えてしまった。当時は未だタイ料理に馴染みのある客が少なかったのだろう。
 シャムは片田舎でメニュー価格を押さえて家庭料理並みにして客を開拓したのが良かったのだろう。末永く続けてもらいたい。

 我が家の味自慢の一品トムヤムクンは青年協力隊でタイに2年間派遣された若者からの直伝です。でもトムヤムクンの素が無ければ作れません、それでデパートで「素」を売っていたら買っておきます。正月三日には3~40名分のトムヤムクンを作るのがここ10数年の慣わしとなっている。先ほどお店の味をチョットくさすことを書きましたがインスタントの素が無ければ作ることはできません、この辺りがシロートの真似事の限界です。
でもインスタントの素を使っても美味しいですよ。ただ一つのタイ料理が自分の家で作れるというだけでタイに親近感を持つのが不思議です。

 タイに親近感を持っているとテレパシーが気持ちが届いたのか、この正月にはタイからの留学生が我が家に来て正月三日の料理を作ってくれた、タイの麺料理にチキン、野菜料理などでした。それらは大好評で集まった皆さんの口に運ばれていました。
ご苦労に感謝する意味で大切に保管していたタイの地酒メコンを取り出して勧めたところ、笑って断るのです。「こんな(安い)酒は故郷でも飲んだことが無い。この酒は労働者が飲む酒で自分らはビールしか飲まない。」とのこと。懐かしいだろうからと幾ら勧めても口にしなかった。私からするとメコンは大切な酒なのにタイの学生は飲まない、裕福な家庭の子弟だからか、舶来品崇拝の心があるのか。今に気付くだろう自分らの酒の文化を、なにせアワモリのルーツはタイからと言われているのだから。

タイとはいろいろ縁があるようです。

タイの印象 買い物

2007年08月09日 10時02分53秒 | 中国研修旅行
 一昨年スイスへ行った時から記録を取りはじめている、山岳部の先輩と行ったので、昔の習性で記録を取る気になったのだろう。それ以来写真はもとよりその日の出来事、交通機関に使ったお金など細かい事をメモしている。
しかし10数年前は写真機は無くメモの取らず専らアタマの中に突っ込んだだけ。今それを引き出そうと試みているが引き出しは軋みながらも開いて記録の記憶が浮かび上がってきた。それはかつての青焼きのように薄れてかすれている、それを復元しながら書いています。
出てきた日程表が復元の元となっている。

 タイのオミヤゲで知られているのはタイシルクなのでジム・トンプソンの店に行きたかった。ガイドにその旨を伝えると気軽に当然という顔でOKと言う。シルクの店に行くとどうも雰囲気がヘンだ、ガイドブックに紹介されている包装紙と違うし、雰囲気も何処かおかしい。「ジム・トンプソンの店か?」と聞くと”シルクは同じ”という。
旅行社のことだからマージンが貰える店にお客を連れて行くのは理解できるとしもジム・トンプソンの店の雰囲気を味わいたかったのでチョット食い下がったが”同じ、おなじ”でかわされてしまった。せっかくバンコクまで来たのに・・ザンネンだがガイドの商売っ気に負けた。
妻に千円のスカーフを買った、ジム・トンプソンの包装紙で包みたかったのに。

 ガイドブックにあった日曜市を歩いてみたいとガイドに頼んだ。手配してもらった運転手はタイ語以外は全くダメで英語はワン・トゥ・スリー程度すら分からない、市場で降りる時帰りの時間と場所を打ち合わせするのに時計を指さしたり身振り手振りで伝えた。ホントに出会えるのか心配したが通じていて約束の時間・場所でピックアップしてもらった。

 市場はテント村のような簡易な造りで衣料品に食品、日用雑貨が小さな店に並んでいる。揚げ物のお菓子風なものを買って食べた。ジーンズの古着がありリーバイスの5X○だからと2000円ほどで売っている、新品でも千円で売っているのに古着のジーパンに大金は払えるない。その類の品に興味を持ち知識がある人は掘り出し物が見つかるかもしれない。結局木製のスプーンを買っただけ、スパイスをゴリゴリ擂り潰す石のお椀が欲しかったけど高いし持って帰っても使い道が無いので止めた。
市場は何処の国でもおもしろい。
 
 買い物は金額に関係なく楽しい、それも立派な構えの店よりも露天や市場での買い物が楽しい。言葉は通じなくても電卓に数字を出して交渉すれば何処かで折り合いが付く、そのやり取りも後ではいい思い出になる。買い物に費やしたお金はシルクのシャツを含めて1万円足らずであった。当時は1バーツが5円程度だったので2000バーツ分の買い物ということになる。
もう少し使えるように稼がなければ、と当時から考えているが状況は変わっていない。

タイの印象 食事

2007年08月08日 10時50分42秒 | 懐かしい旅の記録
 タイ料理は世界的に有名なので期待していた。個人旅行なら懐具合とかレストランの格式を考えて屋台中心になっただろう。しかしこの旅行は4名の小さなグループとはいえ一応旅行社が企画・手配してあるのでそれなりの場所を選んであった。

 タイスキも食べた、最初に出された焼いたエビが美味しかった、今でもあの時のエビを越えるものは未だ食べていない。炭火で焼いただけなのに甘さに加えてプリプリした歯応えがあり口も頭の中も幸せになった。

 タイスキは日本人が命名したのだろうか、すき焼きというより鍋という感じだ。魚介類に野菜の皿があるが、その中に魚のすり身が5mmほどの厚さで皿にペタ~っとくっ付いているのがあった。どのようにして食べるのか考えたが分からない、スプーンでフォークで取ろうとするとグチャグチャになってしまうだろう。
周囲を見回すとヨーロッパ系の夫婦がいる。奥さんは何に拗ねているのかひと口も食べようとしない。旦那は諦めたのか一人でタイスキを食べている。旅先でケンカするとろくな事は無い。奥さんは辛さに我慢ならなかったのかな。

 ウェイトレスが来て例のすり身の皿を持ち上げて鍋のスープをその皿にかけた、そして熱でタンパク質が硬くなったところをお箸で剥がし食べ易い大きさに切り分けながら鍋に入れた。なるほどこういう手があったのだ。

 ランチを取ったレストランは観光客をメインに営業しているようで店員は民族衣装を着ている。チョットしたものは調理しながら出す、デザートを焼いている姿が面白く味見したかったが人気メニューなのか直ぐに無くなりとうとう味見ができなかった。

 夕食もショー見ながらとか宮廷料理を食べた、屋台も行きたかったが時間が無かったし、お供・フロクで参加したツアーなので我が儘は言えない。屋台の代わりにレベルが上の場所で食べたので不満があるわけでもない、むしろ自分では行けない所で食べたので大満足でした。
そういう所は辛さを加減しているのか激辛でハタハターすることはなかった。辛そうなものを敬遠して食べなかっただけかもしれない。
 
 食事に関しては良かった、世界○大料理に入るだけのことはある。ただ連れの皆さん(私が連れなのだが)は飲まないので食事どきにアルコールの量が少なかったのが悔やまれる。しょうがないけどザンネンだった、費用的にはオンブに抱っこの旅行なので酒代だけは自分で払いますなんて言い辛かった。気が弱いよねまったく。

 いつの日か屋台のイスで辛さをシンハビールで紛らわすこともあるでしょう。

アユタヤ

2007年08月07日 08時51分19秒 | 懐かしい旅の記録
 アユタヤといえば山田長政と思うのは我々の年代オジン組だけか、子どもの頃月刊誌のマンガで外国で活躍する武将として描かれていたのを、血湧き肉踊る感じで読んだものだ。当時3000人もの日本人が住み日本人街まであったアユタヤなので何か親近感のようなもの覚える。

 アユタヤまでの道路は拡幅工事中で100mはあろうかと思われる巾の掘り返された道らしきところを車が勝手に走っている。進行方向が定まっておらず向こう側からこちらに向かって走ってくる車もあれば行く車が入り混じって走っている。なんでこちらに向かって走って来るのか疑問を持ちながらヒヤヒヤしていた。
タイの人はハンドルを手にすると人格が変わるとガイドブックにあったが本当だった。まるで”こち亀のリョウさん”に出てくるホンダと同じ。我が方のドライバーの人格が変わったかどうかまでは知らないがかなり必死に握って対向車を除けながら運転している、何も相手車両に突っこんで行かなくてもいいのに・・・

 アユタヤの遺跡、廃墟は見る人に世の無常観を感じさせる。城壁や塔の瓦礫の傍に仏像が並んでいる。欠けたものそれも首が無いものが静かに坐っている、ただそこにあるだけで時を感じる。それが何故か無常観を感じさせる不思議な空間だった。照り付ける太陽だが木陰に座り仏像を見ながらものを想うあの雰囲気は良かった。

 崩れた塔に登ったり、近くのお寺の中に入って参拝し又山田長政記念館を見た。バンコクから船でのツアーもあるようだ。アユタヤはバンコクから80Kmほど内陸部へ入った所に位置するが標高差はそれほど無い。丘すら見えず遙か彼方に並木が見えるだけのだだっ広い大地が続いている。近い将来工業団地ができるとの説明があった、建設中の道路もこの計画に沿っているのだろう。

 感傷に浸れるアユタやとこれから開けるであろう地域、何百年も変わらない農村風景と様々なタイ風景を見た一日でした。市内に近づくと幾棟もの高層ビルが建設中なのも変わり行くタイのひとコマというところでしょう。

チェンマイ

2007年08月06日 11時18分40秒 | 懐かしい旅の記録
 チェンマイはバンコクに比べてやや涼しい感じで、空は霞んでいた。山火事の煙も影響しているとはガイドの弁、雨季が来るまで完全沈下は難しいようだ。
堀や城壁らしきもので古都を感じる。ホテルの近くの夜市は賑わっていて日用品や衣類、食品などが狭い店先や路上に並んでいる。

 目ぼしいと思われる通り歩き市場の雰囲気を味わった。宝石が安いと声を掛けられる、タイは宝石の産地もしくは産地に近い所に位置している。見るだけは見たけどモノの良し悪しが分かるハズも無いし小遣いがあるはずも無い。

 通りの外れの薄暗がりの中でムシロの上に何か物を並べているのが見えた、近寄ると夫婦者らしく小さな子どもを抱いて笛のような形をしたものを売っている。姿形がその辺りにいるタイ人と何処か違う。ミャオ族かと聞くと別の部族の名前を言うていた。面白そうな楽器なので試しに吹いて貰ったら何処かで聞いたことがあるような音が出てくる。雅楽の笙の演奏と似ている。300円とか500円なのでオミヤゲに買った。

 夕食は魚料理ということだった、山の上に着てサカナも無いだろうと思うがお仕着せツアーなのでしょうがない、考え方によっては海から遠く離れた山岳地方なのでサカナ料理が最高のオモテナシなのか、川魚なのか・・・。
疑問は今も同じです。

 翌日山のほうのミャオ族の見学へ行った、途中国王の離宮というか別送の近くを通った。山道を上っていくとき奇妙に思ったのはモクマオがまるで杉のように真っ直ぐ天に向かって生えている。曲がりくねり枝分かれしたモクマオしか見ていないので素直にス~ッと生えているのがとても不思議だ。幹を折り枝を折る台風が無いのだろう。自然への対応は様々なのだヒドイ目に合えば対抗上見てくれは悪くなっても逞しく育つ、一方優しく接すれば素直にスクスク育つ。
人間も同じだろう、社会や育児にも連想させる面がある。

 ミャオ族の村は観光地化されたなので全体にそのような雰囲気がある。ただ山のちょっと開けた場所にあるの作りやケシ畑は平野の多いタイでは変わった風景である。観光ミヤゲ品については何処の国・地域でも同じ悶着が起る。それは自分で気をつければいいことだ。バリ島で付き纏われた経験を生かして対処した、バリに比べればタイは全般的におとなしい。

 ガイドに案内されたシルクの店でワイシャツを仕立てた。これは初めから考えていたのでサンプルになるシャツを持って行き同じように作ってもらった。時間の関係でバンコクのホテルに届けてもらうことになった。
チェンマイはたった24時間ほどの滞在だったがバンコクとは違う雰囲気を味わえ、街の雰囲気も良かった。煙で霞んで眺望はそれほどでもなかったが、夜の街を歩き買い物もできたので好い印象を持っている。

臨時の打合せ

2007年08月05日 07時19分06秒 | 中国研修旅行
 ニ三日前研修旅行の責任者である上原先生から電話があり、土曜日に集まってもらいたいとのことであった。その時間は予定はないし、今は何よりも研修旅行が最優先事項なので躊躇無く参加の返事をした。

 集まって相談されたのは、当初は旅費に旅行保険やビザ取得費を含んでいると説明したが、円安元高と原油高騰で21万円の旅費で賄うことが難しくなったのでのこの二つは自己負担にしたい。また帰りの上海-那覇が二人分しか確保できていないので苦慮している、上海ー福岡ー那覇なら取れそう、それも早めに手配する必要があるとのことであった。

 私は次の便まで中国で滞在してもいいのだが・・というニュアンスの発言をしたら即却下された。(笑)
この研修は主催する日中友好協会が企画した事を必要な部分だけを旅行社に任すので裏方の上原先生は苦労なさっているようだ。福岡経由となると新たな負担も発生するけどシカタガナイという雰囲気だ。値上げは面白くないけどしょうがない事はしょうがない。皆さんも了承した、もちろん私も一任する。

 結団式の場所が浦添在の店に変更された、残留孤児が経営している店らしい。こちらも何の異存もありません、ちょっと遠くなったが参加者は中部在住の方もおられるので浦添は適地でしょう。

 その他に九寨溝の旅費は西安に着いてから日本円で支払うことになった。これも随行する沖大の王先生が現地旅行社とやり取りして下さっているが、大金を先生に持たせて責任を負わすのを避ける意味もある。

 そんなこんなの全く事務的(?)な話し合いでした。
上原先生は参加なされないが手配業務を殆んどやっているようです、ありがとうございます。
お礼の気持ちの分まで楽しんできます。

チャオプラヤー

2007年08月04日 15時27分00秒 | 懐かしい旅の記録
 この旅の日程を見るとけっこうきついスケジュールになっている。お年寄りのご婦人がメインなのにこのような日程になったのはご本人がチェンマイまで足を延ばしたいとの強い要望があったのものと思われる。4泊5日でバンコクからチェンマイまで廻るのはムリがあるような気がする。しかしメインの方と連れのご婦人は以前にもバンコクへ行ったことがあるので今度はチェンマイと考えられたのでしょう。
私は初めてのタイなので広く浅く廻ってもらって良かったと思っている。

 二日目の朝は混雑した通りを抜けて船着場へ行き船に乗る。ディーゼルエンジンに直結されたシャフトの先にスクリューが回っていて、エンジン・シャフト・スクリューの全体が舵になっているという独特の構造だ。それを見てビックリした、エンジンが重心に位置しているのでそれほどの力を入れなくても舵の操作ができるのだろう。舵は長いので小回りが利く狭い場所を巧みに操るのに適したものと言えるだろう。
しかしエンジン音と排気ガスには往生する。

 スピードが出るので水しぶきが掛かる、それでビニールシートで身体や衣服を覆うのだが、少々の水が掛かってもどうって事は無いと掛かる水しぶきを気にしなかった。ところがホテルに戻ってから異様に臭い、掛かった水の臭いだった。あのどす黒い水はやはり見た目通りの水だったのだ。

 川は道路と違いスイスイ走れる、遊覧船に渡し舟が行き交っても道路ほど混雑することは無い。川からの景色を眺めた。有名なお寺やホテルが見える、初めに暁の寺院と呼ばれるお寺に行く。さすが船着場付近は混雑しているが小さな隙間を縫って桟橋に着けた。
寺の正面(?)の階段状のところを登るが急斜面になっていて、蹴こみ部分は狭いのに段差が5~60cmもあるのじゃないかと思われるほどだった。登るのはさほど気にせず上がれる、ところがいざ降りるとなるとサー大変、これほどの急階段を降りるとなると簡単ではない。日本人のカップルがキャーキャー言いながらナンギしていた。動けない人もいたので後ろ向きに下りるようにアドバイスした。上る時と同じ姿勢で下れば怖くない。

 そこから車に乗り換えて見物しランチ会場へ行く。川べりに建つ大型レストランで観光客相手の店のようだ。バイキング料理なのであれこれ皿に盛って味見した。デザートを焼いている、それを取るタイミングがなかなか合わずとうとう食べ損ねてしまった。

 街の中の看板は当然タイ語、何処も彼処もミミズがぶら下ったような文字が並んでいる、全く分からないのに
 そのころ度々マニラへ行っていたが、バンコクはマニラとは違う雰囲気がある。何が違うのか・・・雑踏に交通渋滞など似ているが何処か違う、落ち着きかな。

タイへ

2007年08月03日 17時02分51秒 | 中国研修旅行
 十数年前我がウチナー島から直接海外へ飛ぶ便は中華航空で台北へ、JALの香港便それにコンチネンタル航空のグァム行きであった。ノース・ウェスト航空のマニラ便は未だ残っていたかもしれない。海外旅行とは縁がなかった所為もあり記憶に残っていない。

 タイへは台湾で乗り換えしたが、1時間ほどの待ち合わせなのでさほど苦にはならなかった。待合所に置かれているパンフレットを見ているうちに時間が来た。
タイに着いたときの印象は暑いことだった。飛行機から出るとム~ッとした空気が身体全体を包んだのが分かるほどだった。
迎えの車ーワンボックスカーに4名だけのツアーなのでゆとりがある。ーでバンコク市内に向かった。いかにも南国の風景だがマニラとは違う。

 本通に裏通りとホテルに向かっている時象が歩いているのに出会った。街の中というのにノッソリ歩く姿は一種の感動的シーンだった、そして何よりもビックリしたのは象の大きさ、ワンボックスカーよりはるかに高い、窓からは腹しか見えない感じだ。いや~真っ初めにビックリさせられました。

 暑さと象、タイでまず衝撃を受けた出来事でした。ガイドと運転手が付いているがたった4名の個人旅行なので案内する方もラクだろう。
バンコクは川が多い、広い川も狭い川も水が汚い。ドブ川に見える、臭いまでしそうな川で子供たちが水遊びをしている。飛び込んだり水掛遊びをしている、病原菌がウヨウヨしているだろうに何とも無いのだろうか。慣れとは恐ろしい。

 夕食は迎えに来たガイドに案内されて外で食べた。スケジュール表によれば中華料理となっている。タイまで来て中華料理は無いだろうと思ったが、何を食べたのか思い出せない。中華だったかどうかも覚えていない。

 時差は2時間だがたった2時間とはいえ身体は日本時間なので夜中に目が覚めてしまいベッドにジッとしているのが苦痛だった。同宿の人は知っているようで深い付き合いが無い人なので気を使った、それで時差の2時間分が余計に空虚な時間になってしまった。私が年上なので泰然としておけば主導権は私のほうにきただろうけど、彼は私をこの旅行に連れてきた方の執事的役割をしているのでやはり遠慮が出る。
しかし彼はおとなしいので二人の間はどっちつかずの中途半端な位置関係になってしまった。このような宙ぶらりんが旅行中続いた。

 1日目は到着して美味しい夕食をとっただけで終り、翌朝は早朝からベッドに縛り付けられている気分で明るくなるのを待った。