どこ吹く風

旅のことを主に書く。

リギ山 Rigi Klum

2006年07月31日 06時15分56秒 | モンブラン
 駅前の湖上遊覧船の待合室で待っていると、ほどなく船が着いた。
二階デッキが見晴らしが良さそうなので上がりベンチに坐りルチェルンの街を見ているうちに出航した。入り組んだ湖なので広さは感じず水辺から急な角度で伸びていく稜線が美しい。風景を楽しんでいると検札があり二階は一等席というのでスゴスゴと下へ移る。
入り江には集落があり、そこへ寄港するがほぼ時間通りだった、観光船の役割だけでなく生活路線なのだ。対岸の集落をジグザグに寄港しながら進み、リギ登山電車が出るフィッツナウ Vitznau に着いた。船尾にスイス国旗を靡かせた船は揺れも感じさせずに滑るような1時間ほどのクルージングでした。

 スイスの湖上遊覧は是非体験したいと思っていたので組み合わせたが良かったと思っています。しかもスイスパスでの旅ではタダなのもいい、ただし二等のスイスパスなので船も二等席だったが。(笑)
たった1時間とはいえ、直射日光は強いが心地よい湖の風に頬を撫でられながらの至福の時間を過ごしました。

 フィッツナウの船着場は目と鼻の先に登山電車の駅がある。最終電車の時間まで数分しかないので焦ってキップを買いに走るが、係員はまったくのんびりスローモーで応対する。電車に乗り込むが誰もテキパキ必死という態度をする人は見受けられない。時間になっても出発しない、向こうから手を振り急ぎ足の人がいる子供づれだった、駅員は分かっているという風に鷹揚に構えてお客が乗り込んでから出発の合図をした。
ここは田舎なのだ、観光と生活が両立している地域なのだ

 乗客も地元の人が多い、多いというのは観光客に比較してのことで、その観光客も私たちだけと思われる、つまりガラガラの状態だった。運転士と話しこんでいる人、乗ってくる人降りる人はキップを持っているかどうかも疑わしい感じだ定期券があるのだろう。
一番ビックリしたのは高校生風の女の子が降りる準備をして、電車が減速したら飛び降りた、そこには鉄製の個人用プラットフォームと思われる小さな台があった。朝夕はそこから乗降しているのでしょう。

 また野原の真ん中で停車するとミルク缶の積み込みが始まった、先頭に付けた台車に乗せている、牛乳の出荷なのか加工場まで運ぶのか・・我々の目か見ると観光路線を生活とが密着したほのぼのとしたものに見えた。会社と地域住民とのふれ合いを感じる面白い光景だった。
電車は喘ぎながら登る、登るにつれて変化していく湖や対岸の山々、遙か遠くの峰々に近くの牧場と何処を見ても絵になる中を頂上ホテルに着いた。

 山岳ホテルは夕食も付いている、スープ、サラダ、メインなどを数種類の中から選ぶようになっていた、他に日本人夫婦がいるだけの閑散としたレストランでの食事だった、ワインのハーフボトルを傾けて今日のことやこれからの事を話した。
Rigi 山は日の出の名所なので明日のご来光が期待できる。

写真は、リギ山登山鉄道にある個人用プラットホーム
    中央の小さな台がそうです。

ティトリス山

2006年07月30日 09時16分38秒 | モンブラン
 真夜中の2時半に目が覚めてしまった。
10時半ごろ眠くて眠くてたまらないので明日の準備もせずに寝てしまったのに、こんな時間に目が覚めるとは、身体は日本時間のままのようで時差ぼけしている。寝ようとしても寝付けないので記録を書いたりガイドブックを広げたりして時間を潰しているうちに寝てしまったようだ。

 Hotel Alpina は駅前ホテルで宿泊施設のみで、朝食は同じブロックにある系列ホテルで食べるようになっている。昨年に続き二度目の宿泊なのでスイスで初めてのブレイクファーストをソツ無くこなす。
オレンジジュース、ミルク、コーヒーに数種類のパン、ハム、チーズ、ベーコン、卵にヨーグルトと一般的なメニューだがパンが美味しい。ランチの足しにと一口チーズをポケットに入れる。

 ティトリス山の麓エンゲルベルグ Engelbergへ8時41分発に乗る。街を抜けると牧場風景が続く、山登りが始まる駅で登山用の機関車を連結する。傾斜がキツイので木々が斜めに立っているように見える。床に鉛直に立つと窓枠とのズレがはっきり分かり窓ガラスが三角定規のように見える。

 ルチェルンでは朝から雨がちらついていたが、この時間雲はどんより垂れているが雨は落ちない。1時間ほどでエンゲルベルグに着き、少し離れた乗り場まで歩く。大きな駐車場もこの時期車は少ない。
前に紹介したスイス観光局のサイトからティトリスのプレゼント券を印刷して持って行ったら野球帽と交換してくれた。その他のサービス券も持っているので今後が楽しみだ。

 ロープウェイからゴンドラに乗り継いで頂上付近に降りる、このゴンドラは回転ゴンドラと銘打っているものでゆっくり回転しながら登るのでどの場所からでも全風景を楽しめる。展望台は雪に覆われていて寒いので持ってきたセーターを着る。氷河にトンネルに入った、氷河を掘って触れながら歩けるようになっている、蒼い氷が証明に照らされていて綺麗に輝いているが寒い。氷河の洞窟は初めて経験した。

 さらにリフトで下の方へ行くと、底の付いたタイヤのチュウブのようなものに乗りボブスレーのコースの広いルートを滑り降りる遊びがあった。途中ですれ違った韓国人が英語で”絶対乗るべきだ。”という風なこと言うていた、この遊びの事だったのだ。絶対安全と分かっていてもスリルがあり面白い乗り物だ。スタート時点で係員の手加減で滑り降りるスピードが違うようだった。滑り降りると動く歩道でチューブを持って戻ってこれる。 このような遊びは孫を持つ年になってもおもしろい。

 昼食は展望室でパンと若干のおかずにビールで済ます。スーパーやホテルで調達したものばかり、温かいスープがあればいいのだがこの旅行はこういうスタイルでやることに決めているので不満は無い。

 エンゲルベルグを14時15分で発ちホテルに預けた荷物を駅でインターラーケンへ送る。当面の着替えは手持ちにしてスーツケースは先へ送り身軽に動くつもりだ。
今日はリギ山まで行き泊まる予定なので港というより船着場へ行く。ホテルから駅、それに船着場はそれぞれ歩いて数分の距離なのでなんら苦労せずのんびり移動できた。

 Rigiの山頂ホテルはアルピナのフロントから朝電話してもらい、荷物を取りに戻ったら回答のFAXまで届いていた、ひと安心。
今日のティトリスは楽しいひと時、スイスでの初観光を楽しんだ。雲が多くて期待したオーバーランド、メンヒを遠望できなかったのはザンネンだったが、雪や氷に直接触れて遊べたので満足できた。

写真は、ティトリスのスカイフライと呼ばれるリフトです。

ルチェルン Luzern

2006年07月28日 06時40分13秒 | モンブラン
 これまでLuzernはベルナーオーバーランドに入るための中継地としか認識していなかった。少しでも先に進もうという程度であった。
今回の計画を立てる際にスイス観光局のサイトを活用したが、それによると中央スイスの中心地として紹介されており、周辺にはティトリス山、リギ山、ピラトゥス山など標高はさほど高くないが独立峰の美しく歴史的にも有名な山が近くにあることが分かった。
http://www.myswiss.jp/index.html

 ホテルに着きスーツケースと3人入れば身動きが出来ないほどの小さな箱のエレベーターで部屋へ行く。乗るときは正面からで降りるときは横からと出入り口の方向が違うし、停まってもドアが開くのを暫らく待っても開かないので手動だと思い出して手でドアを開ける、その様を三人でワイワイ楽しんだ。
ホテルは駅の近くにあるので町へ出る利便性は抜群だ。7時ごろになっているが陽は高く5時ごろの感じで、夕食をとりながらの散歩へ出る。

 ルチェルンと言えばカルベ橋、屋根付きの橋で中ほどに石の塔があり、そこで折れ曲がっている。扁額がかかっている、半分は橋もろ共消失したが復元されている。窓には花が飾られて絵のような風景が街に溶け込んでいる。橋の袂ロイス川沿いにレストランが並んでいるので川岸の席に座る。ビール2杯とフレンチポテトを注文する、妻はサラダを注文したが出てきたのはソーダ水、何のことか意味が分からなかったが、サラダがソウダに聞こえたのだろう、三人で大笑い、ビール並みの価格のソーダ水だった。
結局夕食はポテトで済ました。

 歩きながら目の前にピラトゥス山がある、昨年は全く意識外だったが明後日は登る予定なので鷲のような、或いはコウモリのような姿で迫ってくる姿を期待感を持って眺めた。湖の向こう側にはリギ山もボンヤリ見える。
雨が落ちてきたのでホテルへ戻る。

体内時計は真夜中なのでシャワーを浴びてベッドにぶっ倒れるように入る。

写真は、カルベ橋とピラトゥス山

機中・到着

2006年07月27日 07時15分06秒 | モンブラン
 飛行機は飛び立って暫らくすると飲物、食事が出る。ワインにするかビールにするかと迷ったが赤ワインを頼む。食事はチキンにし、飲物はビール、それも恵比寿ビールがあった。パンは食べなかったがこれからの事を考えて手元に残しておく。

 シベリア上空は雲あり、晴れありで教科書通りの成長過程を見せている川のクネクネやツンドラ、水面の輝きなどを懐かしく見る。
タイガ地帯で開発されている地域が見える、”抑留日本兵の力だ、それを・・云々”と話しかけてくる人がいた、「南方では同じ事をさせたのだからお互い様ですよね。」とかわした。抑留された人たちに対して言うているワケではない、日本国および国民の戦争に対する反省を問題にしたいだけです。

私たちニッポン人は第二次世界大戦の被害者ですか、加害者ですか?
全体的客観的にみた意見を聞きたいです。
抑留者の関係者であったかもしれませんが、例え抑留者であっても「戦争被害者」という意識だけでは済まないものだと思います。

到着3時間前に夕食が出た、その前に軽食のパンも出た、またまたビールを飲む。シベリアのタイガ地帯の他所では見られない風景を堪能する前にバルト海へ出てしまった。
予定通りZurichに着く、スイスの入管は入国スタンプも押してくれない、ほぼフリーパスだ記念としてスタンプが欲しいのに。

 ターミナル内のSBBの窓口で15日間のセーバパスを買う、374chf(スイスフラン)だが汽車やバス、湖上遊覧船がフリーになりロープウェイやケーブルカーなどの料金が半額なる。昨年はハーフチケットにしたが今回はセーバパスにした。もちろん2等の料金です。

 さあ、スイスでの最初の行動はルチェルンまで行くこと。スイス滞在が16日間なのでセーバパスは明日から有効にし、今日は現金を払うことにする。半額割引も無く26chfもした。
二階建ての汽車は15時47分動き出した。地上へ出ると6時前と言うのに陽はまだ高い、スイスらしい街並みの中を走りチュリッヒ駅に着く。線路が何本も並び架線が張り巡らされているので如何にも駅らしい駅だ。
湖が見えてきた数キロにも及ぶボートコースが見える。アウトドアスポーツが盛んな国だ。
当たり前だが風景はスイスだ、何を見ても何処を見てもスイスが感じられるのがいい。
これからが楽しみだ。

写真は機内に貼られた飛行概略図です。

スイスへ向けて

2006年07月26日 08時49分52秒 | モンブラン
 2006年6月27日JAL1906便は25分遅れで羽田へ向けて飛んだ、いよいよスイスへの第一歩だ。
スイスへ行こうと、それとなく話が出たのは昨年のスイスから帰って、妻と妹が話していたのだが、具体化する前に私たちはトルコへ行き、またその妹と一緒にペルーへ行った。今度はスイスだと話し合っているが、費用かれこれで私は発言権がないので黙って聞いていた。

二人の間では連休の頃には、夏前には行くというような雰囲気になっていた。そして計画を立てるように言われた。時期や期間それに行き先を漠然と考え始めて計画を練り始めて、ようやくと言うかとうとうと言うか出発となった。
去年は先輩に連れて行ってもらったようなものだから、ラクだったが今回は企画立案すべて自分で立てたので責任がある。自分が見たい場所、妹に見せる場所など様々な条件を加味して旅程を組み立てたので満足できる旅になるはずだ。

 この辺りのことは既に「再びスイスへ」という項目で書いてあるので、出発前の心境はそちらの方でどうぞ。

 飛び立った機内でサービスのスープを飲みながらこれからの事を考える。今日はナリタ近くのホテルまで行けばいいので飛行機の遅れも気にならない。
羽田-ナリタの移動は空港バスしか知らなかったが汽車あることに気付き前回のペルー旅行はナリタエクスプレスした。しかしそれより安い普通列車がある事を知りそれをに乗った。乗換駅を一つ手前で降りてしまい若干慌てる場面もあったけど、あの辺りは旅行客風の人が多いし、いかにも海外へ行くという感じなのでその人たちの動きを横目で観察し参考に出来るのでアンシンできる。

 空港バスやナリタエクスプレスは3000円かかるが、この電車なら1560円、”カネと時間を秤にかけりゃ、時間が軽いこの年だ。”多少の時間のロスや利便性など問題ではない。ナリタ空港からホテル巡回バスでナリタビューホテルへ行った。
前回も泊まったホテルで、インターネットで予約すると、夕食の追加も含めて1泊7000円足らずである。朝夕のバイキング料理は満足でき前泊の為のホテルではかなり安い方だろう。
 ナリタで大阪から来る妹と落ち合うが、2時間の余裕しか無いのにターミナル移動や荷物の受け取りやらでハラハラしながらの慌しい時間であった。それもどうやら切り抜けていよいよスイスへの出発口へと向かった。
飛行機は満席とのこと、これだけの人がスイスへ行くのだ、我々のその数の内だけど。数組のツアー客が混在している、「ツアーならラクだよね、荷物運びにそのたもろもろが・・」と二人の声、同じ程度のカネで多くの日数を手に入れたのだから多少の不便は我慢のたびである。

 飛び立ち、シベリア上空を飛び、時間は経っても何時までも暮れない、夕日を追い続けている。
さあ、いよいよだ・・・

旅行記いまだ離陸せず

2006年07月25日 06時28分02秒 | モンブラン
 「カバンを持った女」は写真を見ると、「カバンに腰掛けた女」にしたほうが良さそうだ。
イチバン最初に見た時の印象は、「ベンチに腰掛ける女」だった。カバンは傍らに有ったような記憶がある、カバンに腰掛けているとは気付かなかった。
田舎の駅に佇む女、若い娘さんかもしれないが・・・スーツケースに腰掛けて汽車を待っている光景はインパクトを持って私の胸に残った。

 何故あの駅に設置されているのか、目的は何かなど詮索してもしょうがない事が気になる。もちろん遊び心だろうが嬉しい事をする人がいるものだ。作者とそれを考えた人に拍手を贈ります。
この次という機会があれば、隣のスーツケースに一緒に座って写真に納まれるよう日程を組みます。

 さて次に進もうとするがアタマが空白状態にあるため進みません。それでもメモ帳から行った場所とそこまでの大まかな時間、ホテルの名前宿泊料などを一覧表に纏めた。Excelなのでこの場にどういう形で載せればいいのか分かりません。
ちなみにスイスでの15泊に、1113chf一泊中74.3フラン掛かっています。予定通りの金額です。中には1泊147フランの高級山岳ホテルにも泊まったし、二段ベッドの大部屋にも泊まった平均金額なので全体としては妥当な金額でしょう。

 朝食は原則手して付いている、山岳ホテルとなっているところは夕食も付いていた。
都市部は出来るだけ泊まらないようにしたが、翌日の旅程を考えて交通の要所の数箇所泊まった。便利さと安さを念頭に選び、地方都市のルチェルンと片田舎のマルティニ、峠巡りの出発地マイリンゲン、サンモリッツは駅前にした。★二つ程度の設備だがあんなものでしょう。

 交通費、観光地でのロープウェイ料金は1169.4chf支払っている。行く先々で乗れるロープウェイやケーブルカーなどは殆んど乗ったのでのこの料金になってしまった。でもそれだけ見応えのある景色を堪能したのでしょうがないというところでしょう。
ざ~っと考えて、スイス滞在は1日1万5千円は掛かるという感じです。
これから日を追って順に書いていきます。

ちょっとイロイロありまして未だ気分が乗りません、問題解決後に書き始める予定です。

カバンを持った女

2006年07月19日 08時09分24秒 | モンブラン
 Gracier Express 氷河急行の路線 Thusisという駅がある、トゥジイスと読むらしい。
場所は、St.Mritzサンモリッツから出てダヴォスへの分岐点Filisur駅を過ぎると渓谷沿いに走る。ここからが絶景の始まりです。遙か下の川底からアーチ橋の石の柱が伸び上がっている風景が素晴らしい。そのハイライトがランドヴァッサー橋だ。

 この渓谷美を見ようと思うなら、Gracier Expressに乗らず普通便に乗りしかも2等車にした方が良い。氷河急行も普通便の1等車も窓が開かないので、車窓から身を乗り出してその美しさを堪能したり、写真を撮ることが出来ないからです。

 美しい渓谷を出ると見晴らしの良い場所に出てきて、暫らく進むとThusis駅に着く。ここのホームに「カバンを持った女」が坐っているのです。
昨年ここを通ったとき、アレッと思い気になったので駅名を記しておいた。
田舎の駅に佇む女の人、旅情溢れる姿だった。しかもそれは像のように見えた、ブロンズ像だと思う。この次通る時に確かめようと心密かに楽しみにしていたのです。

 その像を見たとき、赤毛のアンの駅に降り立ちときの姿を思い浮かべました。スイスなのにどうしてアメリカの片田舎を思い出すのか自分でも不思議ですがその時の印象がそうだったのです、イメージの貧困か。

 この旅でそこThusis駅を二度通りました。ZermattからSt.Moritz行きの氷河急行では私の期待を裏切り窓の開かない2等車はホームのはずれで停車したのです。通り過ぎる際にシャッターを押したのですが彼女は逆光の中にいたのでたぶん上手く撮れていないと思う。
その帰りは普通車だったので、今度こそはと狙っていたのですが、時間の関係で又逆光、それでも数回シャッターを押した、速度が落ちているとは言え動いている車内からです。向こうの汽車は出発の合図も無く出てしまうし、ドアもボタンを押さなければ開かないのでホームに下りて彼女に近づいて撮る勇気はありませんでした。

 写真の出来は、未だ整理していないので分かりません。この次は予め1等車に移動して彼女のど真ん前から撮りたいものです。でもその機会が来るのかどうかは全く予測が付きません。
一緒に行った妻の話によると、彼女はカバンを脇に置きもう一つのスーツケースに腰を下ろしているように見えたそうです。私はベンチに腰掛けていると思っていました。

 どなたかご覧になり、また写真をお持ちの方情報を下さい。写真がいただけるならありがたい。
なお、クールから行くと、川向こうの切り立った丘にお城か館のような素晴らしい景色が出てくるとThusisは近いです。

楽しかった~

2006年07月18日 08時35分56秒 | モンブラン
 今回のスイス旅行は、モンブラン、氷河、峠巡りなどをテーマに日程を組みました。
その殆んどが達成できた思います、ただアレッチ氷河を見ることは出来ませんでした。天候が思わしくなく、マッターホルンのあるチェルマットで粘ったのと、一日だけでは満足出来るほど眺められないので、その分をサンモリッツ周辺で過ごそうという事になったのです。

 全体的に詰めすぎかなと思うほどあちらこちらに移動したのですが、さほど苦労したとは思っていません。スイスは国が狭いので移動距離が限られている。乗換すればともかく、1本の列車で移動する最大距離はサンモリッツ・チェルマット間ではないでしょうか、8時間程度です。このことからしても移動が苦痛になることは少ないです。それに景色風景が素晴らしいので退屈する事もありませんでした。

 宿・ホテルの手配は初日のルチェルン到着が夕方になるので出発前に予約して行きました、またマイリンゲンも翌日の峠巡りツアーバスに乗るためには前日までにそこに着く必要があったので予約しました。
あとは前日、或いは当日その地で泊まる事が確定してから電話を入れました。7月初旬まではプレシーズンなのか殆んど問題は無かったのですが、チェルマットでは2ヶ所のホテルから断られてしまいました、週末だったためか高級ホテル(?)だったためか・・。

 列車の乗り遅れとか時間の勘違いとかで若干の時間足止めを食ったこともありましたが、そこは個人旅行の強みの”なんとかなる”でなんとかしてきました。宿の予約の良い方法の一つに、宿泊しているホテルの方から電話を入れてもらうのです。言葉のハンディが無く同業者同士なので話がつき易いように感じられた。予め条件を伝えておけば電話を掛ける側も連絡し易い、条件というても現実に泊まった客なので同じ程度のクラスで良いだろうと判断してもらえます。
もちろん泊まりたいホテルはガイドブックから候補を2ヶ所ほど準備して電話番号とホテル名を渡してお願いしました。電話賃も要らないし言い忘れたことはフロントの人が確認してくるので、ハイはいとかちょっとした会話で済みます。
 自分で電話を掛けるために、駅前のキオスクでテレフォンカードを購入しておく必要はあります、500円分でいいでしょう。

 これから写真を日にちごと、場所ごとに区分けしたりメモ帳を捲って思い出したりと作業しながら記録を書いていきたいと思います。