どこ吹く風

旅のことを主に書く。

旅立ちの朝

2010年08月26日 06時44分23秒 | 西安・敦煌遊学
 晴れている、青空に白いすじ雲今日も暑くなりそう。
西安の天気を見ると今日からは晴れて、15℃ー26℃となっている。3年前の暑かった記憶しかないのでそんなに涼しいとは意外だ。薄手のセーターを追加した。

 スーツケースにリュックには必要なものは全て入っている。あとは予約したタクシーで空港へ行くだけだ。タクシーを利用するのには理由がある。
VIZAカードの海外旅行保険を効かすには、国内で旅費か交通機関をカードで利用しなければならなくなった。

旅費は既に振り込んでしまったので交通機関でカードを利用しなければならない。ところが唯一の公共交通機関であるモノレールは現金のみである。それでカードがきれるタクシーを探した。メンドウな規約改悪だ。
ようやく見つけて予約した。1500円程度の距離なのに予約を入れるなんて運転手に叱られそう。オキナワは流しのタクシーが四六時中走っているので予約なんてしたことが無い。ホントに面倒になった。

 夕食は西安で食べることになる、何処へ行こうか。団体行動から外れて顰蹙をかったので今回は暫らくはおとなしくしておこう。
行き会い所、食べたいもののリストもプリントアウトした、期間中に一つずつ潰していこう。考えるだけでも胸が弾みたのしい。

では、いってまいりまーす。

遊学へ出発近し

2010年08月23日 16時31分02秒 | 西安・敦煌遊学
 西安への出発は今週の木曜日と迫ってきた。
まだ日にちはあるように思うけど、昨日からお盆に入り明日まではいろいろ忙しい。持って行くものは全部揃えたつもりだ。衣類、洗面具、勉強につかうもの、傘や電気の差込までいろいろ細かいものもある。忘れても大学内のスーパーで買えるので忘れたら取り返しのつかないものに気をつければいい。
それに気がついたらちょこちょこ買っていたので後はスーツケースに詰めるだけだ。

 さて西安では前回食べ損ねた羊肉泡モウは絶対に食べる、そのほか包子の美味しい店はもう一度、といわず何回も行くつもりだ。それに店先で変わった麺を作っていた。打っていたでは無く削り取っていた、あれも味見したい。
検索すると西安名物と言われているものを素通りしたものが沢山ある。せっかく西安へ行くのだから食べておかねば勿体ない。西安長期滞在2回目なので取りこぼしの無いようにしたい。

 また調べているうちに翠華山という風光明媚な場所が西安の南30Kmのところにあるようだ。行ってみたいので調べたが、城壁の南門の近くのバスターミナルからバスが出ていると書かれているだけ。向こうへ行ってから詳しく調べ、日曜に1日潰して出かけてみようかと考えている。
タクシーをチャーターしようかと思うが幾らかかるのか見当がつかない。五千円程度ならチャーターしてもいい、翠華山は山から池、滝と見物するところが広いのでタクシーなら便利だろう、しかしチャーター料金による。

 次に温泉、楊貴妃が入浴したという清華池は今では湧き出ている感じがしなかった。しかし近くに温泉の施設がある記述を見つけた、探してみよう。市内にもあるような感じがするけど本物の温泉だろうか。一応水着は持って行こう。

 2回目の西安長期滞在なので庶民の名物料理は食べておきたい、また行ける所は行っておきたい、取りこぼしの無いようにしたいものだ。

 ブログ更新は出発までにもう1回できるか、10月になるか。

日程表(再掲)

2010年08月22日 05時52分31秒 | 西安・敦煌遊学
 今日は盆の入りウンケーの日である。盆が終わると西安へ直ぐ出発なので準備もしておかねばならない。以前日程表をアップしたけど埋もれてしまった。西安で自分なりの行動予定をたてるために再掲する。

 西安で検索していると翠華山という観光地がある。風景がよく滝がありロープウェイもあるようだ。しかし有名でないのか詳しいサイトがない。其処への行き方、バスの乗り方の情報が少ない。現地で調べよう。

食べ物については鼓楼近くのイスラム街を中心に歩こう。市場もキーワードの入れ方が拙いのか意図するものにヒットしない。
あれこれ考えているが上手くいっていないのが現状だ。
あと数日お盆で忙しいけど調べよう。

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中国・西安交通大学短期中国語研修(10年度) 
~日程表~
期日 午前 午後 晩
8月26日 木 OKA~PVG上海浦東~SIA咸陽空港~西安交通大学留学生楼入居
9:00 入学式・説明会
8月27日 金     クラス分けテスト
10:00~12:00 中国語授業 キャンパス見学
8月28日 土   秦の始皇帝兵馬俑博物館、清華池、半波遺跡博物館見学
8月29日 日   自由活動
8月30日 月 8:00~12:00 中国語授業 13:00~14:00 習字      中国学生と交流会
14:00~15:00 太極拳
8月31日 火 8:00~12:01 中国語授業 14:00~16:00 中国歴史文化講座
9月1日 水 8:00~12:02 中国語授業
9月2日 木 8:00~12:03 中国語授業
9月3日 金 8:00~12:00 中国語授業
9月4日 土     大雁塔、阿房宮、大清真寺
9月5日 日   自由活動
9月6日 月 8:00~12:03 中国語授業 13:00~14:00 習字    
            14:00~15:00 太極拳
9月7日 火 8:00~12:04 中国語授業 13:00~14:00 中国語歌  
9月8日 水 8:00~12:00 中国語授業
9月9日 木 8:00~12:01 中国語授業
9月10日 金 8:00~12:02 中国語授業
9月11日 土  漢中市(三国志ゆかりの地 一泊二日のバス旅行)
9月12日 日     漢中市 (同上)
9月13日 月 8:00~12:03 中国語授業 13:00~14:00 習字     唐舞踊観賞
            14:00~15:00 中国歴史文化講座
9月14日 火 8:00~12:04 中国語授業 14:00~16:00 中国歴史文化講座
9月15日 水 8:00~12:00 中国語授業
9月16日 木 8:00~12:01 中国語授業
9月17日 金 8:00~12:00 中国語授業
9月18日 土 自由活動
9月19日 日 自由活動
9月20日 月 8:00~12:02中国語 終了テスト、修了証書取得、卒業式 送別会
9月21日 火 修学旅行  西安~(飛行機)~敦煌 敦煌泊
9月22日 水 修学旅行 敦煌泊
9月23日 木 修学旅行 敦煌泊
9月24日 金 修学旅行 敦煌~(飛行機)~上海 上海:ホテル泊
9月25日 土 上海万国博覧会見学 上海:ホテル泊
9月26日 日 上海浦東空港(PVG)~OKA那覇空港

レンタカー

2010年08月19日 10時02分29秒 | ドロミテ・チロル
 今回の旅で特筆すべき点はレンタカーである。レンタカーでの移動は2度目であるが、今年はレンタカーを主な交通手段として用いたのが去年と違う。

 今回はまず東チロルへ行きドロミテを回って又チロルの谷に入るコースで回った。車を走らせながら感じたのは、私たちが動き回っている地域は意外と範囲が狭く一日で150Kmしか走っていない。運転に慣れれば車での移動は楽である。それに何もよりも嬉しいのは時間に縛られないところである。何時の汽車に間に合わせる為に・・・ということが一切無いので気楽だ。

 借りた車は、Opel Vectraという5段変速の小型乗用車で扱い易かった。バックギアーに入れるにはボタンを押さなければギアが入らないので1速と間違うことはなかった。馬力もそこそこありオーロンゾ小屋への急坂を2速で上れた。

去年は2速に入れるとエンストしそうになるので、あの坂を殆んど1速だけで上った。腕前が向上したというよりも車が良かったのだろう。
総走行距離は 1733Kmで、消費燃料 134.26リットル、給油費用 172.9ユーロなので1リッター当たりの走行距離は12.9Km 予想以上に走っている。我が家のホンダのフィットより燃費は良いようだ。

 燃料はベンジンがベターでディーゼルを入れてもいいと言われた。ベンジンとはよく知らないが、ディーゼルのハイオクなのだろうか。
運転して方向指示器とワイパーをよく間違えた、帰ってから自分の車でも同じマチガイを犯して苦笑することが度々ある。

 車から白い煙が吹き出たことがあった、たぶんサイドブレーキを完全に外れていなかったのが原因と考えられる。しかしその二日後にも臭いと僅かな煙が出た、あれほど注意して運転したにも拘らず同じ現象が起きたのは不思議だ。

 私の推測では、ブレーキ周辺の整備中にオイルが垂れたの拭き取らず、その部位が過熱して煙となったのではないだろうか。ブレーキには異常が認められず、オイルの焼けた臭いから考えて私の推測が合っているだろう。

 レンタカーに要した費用は8万円弱である、3人が11日間移動したのだからその程度の費用は他の手段でも掛かるだろう。8日間のスイスパス(セーバパス)3人で8万円以上で購入したので、レンタカーのほうが安くなると思う。
スイスパスを持っているとロープウェイ料金などが半額になるので全体として安くなるかどうか計算しなければ分からない。

 車にするか汽車やバスを使っての旅にするかの選択は、金額だけで判断するわけではない。それぞれに楽しみ方がある、しかしドロミテやチロルでは車を使った方がいいと考える。汽車やバスの運行回数が少なく綿密な計画を立てなければ見たいところの半分も回れないのではなかろうか。

 私たちは車を使ったので予期したもの以上の楽しみ方ができた。

西安 顔合わせ

2010年08月18日 06時57分01秒 | 西安・敦煌遊学
 8月16日(月)夕6時から西安交通大学への短期留学に参加するメンバーの顔合わせがあった。2回目の会合であったが、私はアルプスへ行っていたので初顔合わせとなった。
総勢12名で学生さんが3名で残りは私と同じ老人組である。内5名は前回2007年の参加者である、再訪者がこれほどいたとはオドロキです。

 団長は訪中21回を数える中国好きで前回も団長を務めた方です。中国に知己も多くその方の家庭に招かれて餃子パーティを開いてもらった。今年も期待できそうだ。
 
 食事を取りながらの集まりで、酒も出たので初対面ながら話は弾んだ。今回のメンバーは前回より中国語のレベルが高そうだ。前回は団長以外は初歩クラスで学んだけど、今回のメンバーは二・三上のクラスにいける人がいそうな感じがする。
クラス分けはテストの結果次第なので実力に応じてということになる。ペーパーテストはピンイン主体だったと記憶している、最近ピンインの読み書きそれに声調に気をつけるようにしているが、なかなか覚えられるものではない。また初歩クラスであろう。

 テーブルには次々と料理が運ばれてくる、水餃子が出た美味しい。西安は麺とくに餃子・包子が有名である。交通大学近くの通りに包子の店があり9個で3元だった。夕食代わりによく食べたけど9個は多すぎる、それほど大きい。餡は何種類かある、混ぜて9個にしても同じ料金というのが分かってからはいろんな味が楽しめた。
甘い小豆餡は8個3元だったので一つはそれを入れて全部で8個にした、細かく計算すると割高になるがその量でも多いくらいだった。

 また買三灌湯包子館というイスラム街にある店は野菜が5元、肉入りは6元だった。観光ガイドブックに載っている店でこの価格、安かった。あれから3年物価は上がっているだろう、どの程度値上がりしているか楽しみでもある。日本円で考えれば5割アップしたところでたいしたことは無い。さて幾らで食べられるか・・・

 勉強を第一の目的とするも西安の街を歩き回るのが楽しみだ。こちらに比重がかかり過ぎなければいいけど。

写真はイスラム街での麺作り風景です。
真っ白なものを削って麺を作っているところ。

宿泊

2010年08月16日 09時32分36秒 | ドロミテ・チロル
 旅の専門誌に”ホテルライフを楽しむ”という文言をよく見かける。具体的にどういう事をしてホテルライフ楽しんでいるのか分からない。私の場合ホテルは宿泊施設の域を出ない。それでも一応ホテルは選ぶ。

 そのときの規準はまず山の上で泊まりたい。夕暮れに霞む山々、山の頂が朝日にあたって輝くのを見る気分は下では味わえない。見渡す限りの雲海は真っ白で空は青い、しかし太陽は未だ顔を出さない。暫らくすると山に日が射し山肌は赤く染まり雪は輝く。この瞬間を見るために寒さをこらえて待っていたのだ。

 アルプスへ行ったらまず山の上で泊まるようにしている。これまでに泊まった場所はマッターホルンを見るためにシュワルゼー、ゴルナグラードのクルムホテル、リッフェルベルグでチェルマットで泊まったことは無い。

 ベルナーオーバーランドではフェルスト、クライネシャイデック、ミューレン、メンリッフェン、シーニゲプラッテに泊まった。あの辺りではロートホルンのクルムホテルを残すのみとなった。

 サンモリッツ近辺では、ムオッタス・ムラーユとディアボレッツアで、ルチェルンから湖を遊覧してリギ山のクルムホテルに泊まったこともある。
ドロミテではトレチメ(ドライ・チンネン)で有名なオーロンソ小屋とロカッテリ小屋に泊まった。

 山の上の小屋(クルムホテル)に次いでいいのが峠、峠は坂道を上りきったところなので見晴らしが良い。スイスではゲンミ峠のホテルがよかった。
ドロミテも峠にはホテルがある。道に迷い人里は遠く道は次第に細くなっていく、林の中を行き止まりにならないかと心配しながら車を走らせていると、視界が開けて牧場になり集落が見えた。そこはアンテルモイアというところで泊まったホテルは食事が良く、フルコースに近い内容であった。
その宿泊料が53ユーロ、峠の宿は2食付で大概その程度の金額である。この金額が峠の宿を好きになった最大の要因でもある。

 アルプスは峠が多いがその峠にはほぼ宿がある。それゆえ宿探しに苦労ることは無い。むやみやたら当てずっぽうに車で峠目指して上っていけば宿は出てくる。今回もサン・ペッレグリーノ峠で泊まった。街に泊まる気がしないのでカナツェーイを抜けて、モエーナを通り山道に入った。ホテルが数件あるもシーズンは冬場のようで静かだった。
「Hotel Cristallo」に泊まったがファミーリータイプの二つの寝室がある部屋だった。食事もよくフルコースに近い。峠の宿は慨して食事内容がいい、料金も2食付きで50~55ユーロとてもオトクなものです。レストランであの夕食を35ユーロと請求されても妥当な金額であると支払うだろう。

 これまでに何ヶ所かで峠の宿を利用した。すべて飛び込みだけどハズレと思った宿はありません。ドロミテやスイスへ行かれたら是非クルムホテルや峠の宿に泊まることをお薦めします。そこから眺める景色は麓の星四つ五つ付いたホテルの比ではありません。繰り返しですが食事もいいです。

さて今回の旅の宿泊費は、17泊で261.500円かかっています、3人分です。そのうち12泊はBB(ベッド&ブレイクファースト)で、一番高かったのはゴルナグラードのクルムホテルでした。3人で500フラン、ワインを頼んで一人15.000円は旅の終盤になって初めて贅沢なホテルに泊まりました。

総集編 費用

2010年08月14日 14時00分48秒 | ドロミテ・チロル
 日程をおっての記録は終り、印象に残ったことや今後の参考にすべき事を二・三記す。まず費用から。基本的には3人分を纏めて書き、個人別の金額が出るものは参考として一人当たりの金額もだします。

項目は適当に分類しました、まず交通費から。
個人旅行の場合は交通費は大きなウェイトを占めます。特に航空運賃は出発時期や予約する日にちによっても変動するので、日程を早めに決めて早期に購入したほうがいい。
 今年は行くのか行かないのか、ヨーロッパアルプスがいいのか中国四川省にしようかなど迷いが多く、結論を出すのが遅くなってしまった。そのために時機を失し10万円程度の安い航空券が無く、去年に比べて3万円ほど高くなった。

航空運賃 409.987円
  往路:関空ーヘルシンキーウィーン、復路:チューリッヒーヘルシンキー関空
航空運賃:55.400円 (2名)
  那覇ー伊丹、関空ー那覇の往復、
レンタカー使用料: 約60.000円、
スイスパス 960フラン/3人、
インスブルックーミラノ間 鉄道料金:152.1ユーロ
それ以外に有料道路料金やレンタカーの燃費などに約2万円支出している。

 交通費総額は669.400円になって、総費用に締める割合は60%に近い。
個人旅行の場合は交通費を安くするには限度がある。しかし計画を組みながら抵抗して試算するなど工夫すればもっと安くなる方法は見つかりそうだ。
例えばスイスの移動に8日間のセーバパスにしたが1日分は捨てた。ハーフチケットならどうなったか、あるいはレンタカー利用ならどうなったか等の再計算して検証すると無駄が見つかるかもしれない。

 今年は円高ユーロ・フラン安の恩恵を受けた。これが例年並のレートならヒドイ目に合ったことでしょう。
お礼は誰に言うべきでしょうか ?

ルチェルン 帰路

2010年08月13日 07時24分25秒 | ドロミテ・チロル
7月21日(水)
6:30 朝食ー7:10 ルチェルン発ー8:13 チューリッヒ飛行場着
11:15 チューリッヒ発ー 14:00 ヘルシンキ着
17:20 ヘルシンキ発ー9:20 関空着(22日になっている)
14:20 関空発ー17:00 OKA着ー17:30 我が家帰宅

 数日前から書き方が半日ずれてしまっている。
昨日ミッテルアラリンの展望台は2時間の滞在で、11時のバスでサースフェーを発ちブリグを経て3時にはルチェルンに着いた。

 スピッツで下りてトゥーン湖の遊覧もしくはベルン見物をする話も出したけど、もう充分だというムードになったのでルチェルンに直行した。フライトの関係で朝9時には飛行場に着かねばならないので、今夜の宿泊地はチューリッヒか飛行場まで1時間の範囲内にしたい。都市地区に泊まるのは好きじゃない、ルチェルンは毎回泊まっているので勝手が分かるしピラトス山と湖の景色もいいのでルチェルンにした。

 宿は毎度お馴染みの駅前のアルピナホテル、お土産の品々を買ってパッキングも済ませて散歩と夕食に出た。折れ曲がった屋根付き回廊そして石造りの塔、花で飾られたカペル橋の周りを白鳥が泳いでいる。

 それを眺めながら川辺のテーブルで最後のディナーを食べた。明るいけど時間的には遅いディナーのメニューは薄くて大きいピザとソーセージそれにビール。
この旅、特にスイスは毎日が慌ただしかった、午前中見物して午後から移動の繰り返しで連泊が無かったので尚更忙しく感じた。

 最終日は時間はかかるけど、ただ乗継乗り継ぎで帰るだけ。疲れるけどラクだ。
アルピナホテルは安ホテルーとはいえ一人85フランもするーであるが、朝食は同系列の格上のホテルでとる。ゆっくり食べていたが、ちょっと急げば1本早い汽車に乗れそうなので早々に終り駅に急ぎ飛び乗る。

 2階席の車窓からは牧草地は見えず畑に街が流れ去るだけ、アルプスは遠くに薄っすらと見えるだけ。アルプスに別れを告げたかった、名残の拝見をしたかった。
それにしてもアルプスをまた見るチャンスはあるのかな~。

 チューリッヒ空港のバーカウンターで黒ビールを飲む。ヘルシンキ航空では温かい美味しいオープンサンドが出た。ヘルシンキ空港のバーでもビールを飲む。飛行機は夕方飛び発ったけど夜に向かって飛ぶので、ほどなく真っ暗になった。寝たような寝てないような気分で時間すごす。座席に備え付けられた画面の調子が悪く映画を見ることが出来ない。
 当然だろうけど行く時のようなワクワク感はない。長い時間を過ごして関空に着いた。ナビゲーター兼交渉係の義妹と別れる、お世話になりました。
さらに時間待ちをしてNAHAへ向かった。
長いなが~い旅は終わりました。

サースフェー

2010年08月12日 13時03分43秒 | ドロミテ・チロル
7月20日(火)
7:15 朝食ー8:15 チェックアウトー8:45 ロープウェイに乗るー9:17 展望台
10:10下り始めるー10:45 ロープウェイ乗場到着ー11:02 ポストバスー12:10ブリグ着
12:49 ブリグ発ー15:00 ルチェルン着ー15:15 ホテルチェックイン
18:30 この旅最後の夕食

 昨日は逆さマッターホルンを見るためリッフェルゼーまで行き、ローデンボーデン駅に上がった。そこから鉄道で下ったので、ホテルを出て2時間半後にはチェルマットに着くという短いハイキングだった。
マッターホルンを夕に朝にと見たので、トップ・オブ・ヨーロッパのユングフラウヨッホへもシュワルツゼーへも行かずにサースフェーに向かった。

 サースフェーはガソリン車の乗り入れが制限されている、村の入口に駐車場がありそこで電気自動車やバスに乗り換えるようだ。宿を見つけ小さい電動カーで荷物を運んでもらった、ついでに我々も。村には様々なタイプの電動カーが走っていた。
三人なのでファミリータイプの部屋になった。寝室が二つに応接室がありトイレも二箇所あった。それ以外に鍵が掛かっている部屋が二室ある。一ヵ所はキッチンのようだ、もう一つは多分主寝室だと思われる。ここも主なシーズンは冬のようだ。

 ミニ列車で村を一周し、夕食は郷土料理を出すレストランへ行った。注文した品を写真で記録していたら、隣のオジサンが自分の料理を指さしてこれも撮れという。おもしろい人たちだった。
ここまでは昨日の話

 今日はこの旅の実質的な最終日となる。チェックアウトしたが荷物はホテルに預けてロープウェイでミッテルアラリンの展望台へ上る。乗場は離れているがロープウェイが2本かかっている。乗場の近いところは途中で乗り換えがある、しかもトンネルを走るケーブルカーだ。もう一つは展望台まで直通のロープウェイであった。

 展望台のレストランは回転式になっている、そこからマッターホルンが見えるかと思って行ったけど見えそうも無いのでコーヒーも飲まず展望台のベンチから眺めた。スキー用のリフトも動いていて、強い陽射しを浴びながらスキーヤーが滑っている。

 ミッテルアラリンの雪景色・氷河が眩しい、雪とも当分お別れだこの次はいつ何処で雪を見ることができるのだろうか。

パスポートは何処へ

2010年08月11日 16時30分18秒 | 西安・敦煌遊学
 ドロミテからチロルさらにモンブランまでのアルプス旅行から戻りメールを整理していたら西安の件でメールが届いている。参加者の顔合わせと準備の集まりの日時連絡と旅費納付についてのメールが届いている。

 アルプスへの出発前に、7月は旅行のために不在になるので旅費の前金や打ち合わせ会の件でメールを入れてあった。それなのに返事が無く西安の件は放って出発した。主催団体の日中友好協会の会長さんはメールを読まなかったようだ。

 気になっていたので、早々に電話を入れてお会いした。旅費の納付を済ませ更にビザ申請の手続もしてきた。これでひと安心、参加者は12名とのこと。そのうち3名は公民館で共に会話を学んでいるメンバーで、外にどのような方々がおられるか分からない。

 妻から”そろそろ西安の準備をしなさい。”と言われて旅行の定番紙パンツを百均ストアで買い、西安事情などを検索し始めるんどボチボチ準備に取り掛かった。
先日妻が”私のパスポートはいつも保管する場所にあるが、アンタのは無いよ。”と言う。会長さんに会って手続したときは確か持参した。戻ってから・・・いや箪笥に入れたはずだが記憶は定かではない。中国関連の資料と一緒に置いてあるのかと探すも無い。

 これは一大事だと徹底的に探す為机周辺の整理からはじめた。一つひとつ取り出し要らないものは捨てるという大掃除をした。どこかに紛れ込んでいてもこのようにして調べれば出てくるだろうとの期待も虚しく空振りした。

 もう一度箪笥ををひっくり返して探すも無い。あの日銀行でお金を下ろして支払いを済ませた、その時はバッグに入っていた。戻ってから何処に置いたのか、記憶が曖昧になっている。
出発まで3週間を切っているので時間は限られている。パスポート取り直すのに10日ほど見ておかねばならない、週明けには申請したほうがいいだろうと考え始めた。
そこに運転免許の切替通知が届いた。どうせ写真が要るのでパスポート用も準備しておこう。パスポートは10年使うのでこの際散髪をしてから写しに行こうとあれこれ考えた。
 
 ます散髪だ、西安でパーマを掛けるつもりだったが前倒ししてお盆ダンパチをすることにして美容室へ行った。西安より数倍高く付くが前回の経験からこちらの方が安心して掛けられる。これなら写真写りも良いだろう。

 その足で写真屋へ行ってパスポート用に免許証用を撮ってもらい、西安交通大学でも学生証提出するだろうからと焼き増しも頼んだ。
あとは役所で戸籍謄本と住民票の交付をうければいい。その前に旅行社へ連絡して、ビザ申請したパスポートと新しいパスポートが違う場合はビザはどうなるかの問い合わせをした。担当者は添乗中で連絡取れない、そこで電話に出た方にこれまでの経緯を話した。

 すると「今ビザ申請中ですよネ」と言うのでハイと答えると、ビザ申請にはパスポートの現物が必要なので申請中ならパスポートはこちらで預っているはずだ言う。
あのときパスポートのコピーと現物を持って行き申請書を書きコピーを渡したと思っていた。どうもパスポート現物を渡したようだ。
記憶に無いけど事務員さんの話を聞くと、パスポートは行方不明(紛失)ではなく旅行社に預けてあるようだ。

 パーマに4500円、写真に1400円掛けてしまった。無駄とは言わないがチョット早まった感は否めない。でもパスポートの所在が判明してヨカッタ~
ハイ、またまた家族から呆れ顔の白い目を向けられています。

写真は西安交通大学の南門、講堂の文字は江沢民さんの書です。

ゴルナグラード

2010年08月11日 09時07分23秒 | ドロミテ・チロル
7月19日(月)
5:15 展望台へー7:00朝食ー8:35ハイキングスタートー9:45 池で逆さマッターホルン
10:42ローデンボーデン駅発ー11:00チェルマット着ー11:16同発ー12:23スタルディン着
12:25 ポストバスー13:00 サースフェー着ー13:40 チェックイン
15:10 街を一周するミニトレイン乗車ー18:30 夕食

 ゴルナグラードのクルムホテルは初めてスイスのガイドブックを開いたとき泊まりたいと思った。サンモリッツで”あとは二人で回って見てきなさい。”とスイス指南役の先輩と別れ氷河急行に乗った。山小屋に電話をしたが繋がらない、チェルマットの日本語ガイドデスクに電話すると、改修中で休業中とのことで泊まれなかった。

 その翌年新装なったホテルに泊まった。ホテル並みになったのでニッポンのツアー客に人気が出たのかその次は満室で泊まれなかった。今年は日曜日だった所為か空き室があり、しかも案内された部屋に入ると窓からマッターホルンの雄姿が飛び込んできて思わず感激の声が出た。
たしか二つ星の山小屋に分類されているが、私たちが旅行中に泊まったホテルの中では一番立派なホテルである。外観は石壁でゴルナグラードの風景に溶け込み落ち着いた雰囲気があり、部屋も高級ホテルクラスとなっている。
料金もそれなりに高く他の小屋やベッド&ブレイクファーストの2~3倍で、今年は三人部屋二食込みで500フランだった。朝日夕日に映えるマッターホルンを部屋から眺め、ワインを傾けてのディナーは旅行期間を通じて唯一贅沢するホテルです。

  クルムホテルはニッポン人ツアー客が多い。私たちが泊まった日も何組かのツアーグループがいた。添乗員が何か話しているのを聴くとも無しに聞いていると「特別に上の天文台で星を見ることができるようにしました。10時にお集まりください。見たい人だけでけっこうです、全員が参加するなら二グループに分けて・・」と説明している。

 天文台は一般開放しているのか。ディナーのときツアー客の星を見る会の話をすると交渉担当が早速フロント行って我々も見れることになった。
10時に最上階の天文台入口に行くとツアー客がおり、添乗員は「私たちは特別に・・・」と意外そうに言う。”フロントで申し込んで10時に集まるように言われました。”と答えるとちょっと不満そう。客の中に英語ペラペラのオバチャンがおり天文員に「あの人たち(私たちのこと)は別グループだから」云々話ている。
ちょっとイヤミのオバチャンだ。

10名までなら入れるからとツアー客が全員入室させ、あなた方は待つようにと天文員は言い残して中に消えた。30分ほどで皆さんが出てきた。「テレビ画面を見せて説明し、外で星の話をし、次に写真で・・・全部英語で話すので・・」と少々当てが外れた感じで私たちに説明してくれた女性がいた。

 私たちは3人だけで中に入る。望遠鏡は月を捉えていてPCの画面に映し出されている。月のアバタがくっきり見えて、「ここが海でこれはクレーター、アポロが着陸したのはこの辺りで・・・」と説明が始まった。次は外で星の説明を始めた、北極星や1等星のことだったので、私はせっかく説明してくださるので理解していることを伝えたくて、夏の大三角形のことを聞いた。”サマー・トライアングル”と何回か繰り返すとようやく分かってくれて別の方角へ連れて行きレーザー光線のペンライトでアルタイル・デネブと示してくれた。

 その後中に入り写真を見せながら星雲の説明があった。ここの望遠鏡で撮影したのだろう星団・星雲の写真が多数ある。私も乏しい知識を一生懸命引っ張り出してこれまた乏しい英語で相槌を打ったり質問した。M51と言うので、こちらもM51と繰り返すと少しは知っているな、という感じになった。そこでオリオンと言うと写真を捲って探し見せた。馬頭星雲の写真を見せたので、バラ星雲というのがあるのを思い出して”ローズ”と何回か言うとようやくバラ星雲と分かってくれた。

 素人向けに観察会を開いてくださっているので、何らかの反応しないと悪いと思って一生懸命なけなしの知識を出した。天文員さんも無反応より良かったのではなかろうか。
ゴルナグラードから見た星空は思い出に残ります。

 翌日は逆さマッターホルンを見にハイキングをした。池がある場所を知らないけど誰かの後を着いていけばいいと適当な人を物色した。昨夜のあのツアーも専門ガイドを雇ってハイキングのようだ。また聞き耳を立てると池のほうへ行くらしい。着かず離れずの状態で後を歩いた。ルートが分かったので追い越して先へ進んだ。

 整備された道で下りなので写真を撮りながら難なく池に着いた。日が上がっているので池は漣が立ちマッターホルンが揺れている。4回目のゴルナグラードで初めてこの池に来た。マッターホルンを眺める名所の一つ、もしくは筆頭に挙げる方もおられるであろうこの池はもっと早く来るべきだったのか。

 マッターホルンは形が美しい、三角に切り立ち先っぽに朝日が当たると神々しささえ感じる。初めて見た時の感動は今でも覚えている。ゴルナグラード鉄道にのるとチラチラ見えはじめて森林帯を抜けると目の前に全貌を現す。雲がもう少し上がってくれればとやきもきしながらカメラを放さなかった。姿形がこれほど良い山は少ない。
いい山です。

 しかし又マッターホルンは飽きがくる山でもある。非常に矛盾しているけど私の実感です。マッターホルンはもういいから下りようと、チェルマットからブリグまで下りて泊まったこともある。
この「飽きがくる」ことはいずれ書こうと思っています。

 逆さマッターホルンを見たのでサースフェーに移動した。

写真はゴルナグラード・クルムホテルの窓から見えたマッターホルン
このブログの表紙にあるマッターホルンはゴルナグラード中腹にあるリッフェルベルグのホテルの窓から見えたものです。

エルブロンネ

2010年08月10日 10時09分28秒 | ドロミテ・チロル
7月18日(日)
6:15 ホテル発ー6:55ロープウェイ発ー7:18エギュー・ド・ミディ着ー9:30エルブロンネ発11:00 チェックアウトー 11:38 シャモニー発ー12:10 Vallorcine 着ー13:00同駅発
14:00 マーティニー着ー 14:08 同発ー14:50 フィスプ着ー15:10 同発
16:20 チェルマット着ー 17:12 ゴルナグラード鉄道発ー17:45 ゴルナグラード着
17:50 チェックイン 22:30 星を見る会

 モンブランは早朝見るに限る。ロープウェイは6時半から動くので始発に乗るべく急いで駅に行くと既に大勢のアルピニストが並んでいる。客がいるとピストン運行するのでそれ簿度待たずに乗る。ガスが街を覆っている、そのうち晴れるだろうと期待しながら上がると周りの景色がぼやけた思うとガスの中に突っ込んだ。周りは真っ白け、しかし間もなくガスを抜け青空が見えた。谷間や盆地の朝はガスが掛かり易いのだ。

 モンブランの頂はなだらかだが目の下の氷河は縦横に割れて荒々しく流れ下っている。静と動のモンブランが静かに迎えてくれた。悪天候でロープウェイがストップしたこともあった。去年は寒さに震えながらご来光を拝んだ。今年は心配した天候も晴れておりホッカイロも準備したので充分景色も楽しめるだろう。

 エレベーターで展望台に昇ろうとして目をやると、3776と書かれている。見覚えのある数字だと考えると富士山の高さだった。ここが富士山の頂上と同じ高さなのか、偶然にしてはできすぎている。日本人向けのジョークかな。

 モンブランは目の前にある。左手には三大北壁の一つグランドジュラスも悠然と朝日を背にして聳えている。たしかバットレスが有名だったが何処になるのか。もっと左に目をやるとドリュの針峰群も近い。遙か彼方にマッターホルンが見える。逆光になるのも構わずシャッターを切る。

 今年は寒さをさほど感じない、ホッカイロの所為だけもなさそうだ。エギュー・ド・ミディからの展望を満喫したのでエルブロンネに渡る。三連のゴンドラがある間隔で吊られている、幸い尖塔の箱に乗ったので視界良好。
眼下には氷河のハイキングを楽しむのか、それともロックに挑むのかクライマー姿のグループが何組も列を成している。
またキャンパーもいて赤やオレンジのテントが幾つも見える。

 ゴンドラは時折り止まる、駅で客を乗り降りさせるために止まるからである。その間氷河の上で宙ぶらりんになって辺りの景色がゆっくり見れるし、写真タイムでもある。ガタンと動き出し又止まる、それを繰り返しながらエルブロンネに着いた。

 通常昼間にこのルートを乗ることになるが太陽が上がりすぎてベタ光線になるので山の襞の陰影がハッキリせず平面的になるけど、早朝は光の加減で陰影がくっきり山を浮かび上がらせる。山の景色を見るには早朝に来るべきだ。

 エルブロンネも写真を取り捲り戻ろうとしたら上がってきたイタリアのご婦人が山を指してモンテビアンコと言う。ビアンコは白なので白い山と言うているのだ、白い山しろいやまと考え、白はフランス語でブランカという、ハンフリー・ボガードの有名な映画カサ・ブランカのブランカだ。
つまりモンブランのことだ、イタリアではモンテブランカと言うのだ。モンブランがここでも見えるとは思わなかった。ただその山は何故かどっしりした山だったので数枚写真を撮っていたが、再度展望台に行ってモンテビアンカをバックにスナップ写真を撮った。

 チェックアウトの時間ギリギリの11時前にホテルに戻る。大急ぎで荷物を下ろしてチェックアウトした。これからチェルマットへ行きゴルナグラードのクルムホテルに泊まる。フロントの無愛想なご婦人にお願いして予約した。女将さんはおしゃべりで愛嬌のある方だったが、この人はどこか事務的だ。
この宿に泊まるのは3回目だと言うと、次ぎはディスカウントしましょうと無表情で答えた。しかし朝食時間に間に合わなかったのでその分若干安くしてもらった。愛嬌が無く事務的に対応してもらっても安くしてもらうとわだかまりも消えた。

 せっかくシャモニーまで足を延ばしたのだからゆっくりしてもいいけどモンブランを見たのでもう満足だ。駅に行くとVallorcine行きの汽車が入ってきた。接続があるだろうと飛び乗ったがマーティニーへの接続はなし。1時間ほど待たねばならないので昼食にする。駅からリフトが動いているのが見える、時間潰しにそれに乗ろうと思ったが止まってしまった。きっとランチタイムの休憩だろう。

 ベンチで休んでいるとご婦人にフランス語で”マーティニー行きはこのホームか?”と聞かれた。(と思う)そこでフランス語で返事をした「J'e ne sa pas!]と。「知らない」というフランス語は多分そういう言い方だったと記憶している。マダムを入れれば完璧だったかな。

 以後乗り換えも順調にいきチェルマットに着いた。

エッギスホルン

2010年08月09日 16時41分47秒 | ドロミテ・チロル
7月17日(土)
7:15 朝食 8:14 ディセンティス発ー9:18アンデルマット発ー11:00フィーシュ着
11:30 ロープウェイー11:50エッギスホルン着ー12:20 十字架のあるピーク着
12:50 ピーク発ー13:45 ロープウェイで下山ー1515フィーシュ発ー15:50 ブリグ着
15:57 ブリグ発ー16:50 マーティニー着ー17:01 同発ー17:50 Vallorcine で乗換
18:00 同発ー18:33 シャモニー着ー18:50 ホテル・イザベル チェックイン

 ディセンティスは氷河急行の路線のほぼ真ん中に位置する駅である。また急坂用の機関車を連結する駅でもある。オーバーアルプパスヘーエまでは上りが続き眺めが楽しめる。峠を越えると下のほうにアンデルマットが見えてくる。この路線は何回か通ったがこの辺りの景色も好きだ。

 アンデルマットに着いたら、近くに「悪魔の橋」というのがあるので其処へ行きたいと突然言い出した。いくら自由気ままな旅と称していても、たった今ガイドブックに書かれている事を読んだからと思いつきで言われても困る。即却下した。
今から考えると、その悪魔の橋を見に行けばよかった。スイスに入って二日目だったので幾らでも日程変更はできたはずだ。

 その発言がもう1時間ほど前なら考える時間もあっただろうに。アンデルマットで汽車を乗り換えた直後だったので思考力が停止していた。
エッギスホルンからアレッチ氷河を見るためにフィーシュで降りた。荷物を駅に預けてロープウェイで上る。キューボーデンで乗り換えエッギスホルンに着いた。ピークへは稜線伝いに岩山のルートを20分ほど歩く。小屋からの展望よりも視界が開けている。ルートは見た目には険しそうに見えるけど案ずるより生むが易しです。

 ユングフラウやメンヒが見える。アレッチ氷河は雄大だ。ユングフラウヨッホから眺めるよりも、下から見るほうがスケール感がある。天気は晴れているが雲が湧き易い日で紺碧の空は望めない。
山のピークには十字架が設置されている場所が多々ある。エッギスホルンにもある、こちらのは鋳鉄製で風格があるものだった。ランチを取って下山する。

 実はミラノ駅で靴底がパックリ剥がれてしまった。接着剤は数年でその効力が落ちて靴底が剥がれるのはよくあることらしい。今日まで縛って歩いていたが直に外れるて歩きにくかった。それで靴を買ってもらった。
フィーシュは田舎町なのにアウトドアの店がある、山歩き・スキー客が多いのだろう。店員は私の靴を見て大笑いしていた。ゴアテックスの上等な靴を買ってもらった、240スイスフラン也。アリガトウ!
以後快適に歩くことができました。

 これからシャモニーまで行く予定。ブリグ行きの汽車は延着で駅でも長い間と待っている。車掌にブリグで次の汽車に間に合うかと聞くと、何のためらいも無く即座にNOとの返事、少しはスミマセンという気持ちを出せばいいのにと思うほどあっさり言われた。
単線の待ち合わせにズレが出たのか、工事の影響が出ているのか。とにかく遅れを気にしている様子はなかった。

 戻ったらスイスで列車事故というニュースが流れた。氷河特急というのでチェルマット寄りかと思い気をつけて見たり、読んだりするうちにフィーシュの近くだと分かった。
車掌のあの時の様子から類推すると、時間の遅れを取り戻す為にスピードを上げるなんて事は考えにくい。原因はいったい何だろう。

 スイスの汽車の時間はだいたい1時間に1本で、毎時同じ時間(○分)に運行されている。それでブリグに15分延着したので次の汽車まで40分は時間があると考えてトイレに行き、マーティニー方面へのホームは何処かと列車の案内板を見ると3分後に出る汽車がある。交通の要所ブリグともなるとあちら発こちらら発の列車があり幹線は20分に1本走っているのだ。大慌てでホームへ行く。
1時間に1本だ、という固定概念、浅い知識は捨てねば怪我の元になる。

 マーティニーでは10分の待ち合わせという都合の良い乗り継ぎだった。汽車の出入口でお先にどうぞと譲り合ったオジサンが日本語べらべらでシャレまで言う人だった。車窓から見える杏畑で赤い実が生っているのは新しい品種の”京都"というもので甘く美味しく高値で取引されていると説明してくれた。
その方は一駅で降りてしまった。愉快な方でした。

 国境付近のVallorcine駅でフランスの汽車に乗り換える。長いトンネルを出るとドリュや氷河が見えて又来たのだとの感慨が湧いてきた。
宿は予約無しでポワン・イザベラに行った、案の定空き部屋があった。駅に通じるメイン通りに面していてモンブランが見える部屋だ。このホテルに泊まるのは3回目となる。

 前回教えてもらった郷土料理の店ーLe Fer a Cheval-へ食事に行った。そこは宿から近く料理の価格も安い、フォンジュは1人前から注文できるのもいい。
場所は駅を背にミッシェル・クロ通りを150mほど歩くと十字路になり、右手は公園で戦争慰霊碑の戦士の像がある。その像の後に駐車場があり其処に面したレストランが郷土料理の店です。

 その夜もホンジュやハム・ソーセージなど三人前の食事とビールで65ユーロでした。

ランドヴァッサー橋

2010年08月08日 09時08分36秒 | ドロミテ・チロル
7月16日(金)
6:05 ホテル発駅へー6:20ミラノ発ー8:50ティラノ着ー9:40 ティラノ発
13:02 サンモリッツ発ー 14:05Filisur着ー14:40 橋を上から見る
16:05 橋を下から見るー 17:10 フィーリーズ発ー18:00 ライヒナウ Reichenau発
19:11 Disentis 着ー19:40 チェックイン

 6時20分の汽車の次は8時になるので無理してこれに乗る。ティラノまで2時間半も掛かるし、ミラノからは昨日通ったルートとは別の路線を走っている。インスブルックからティラノへは朝出発しなければ着かない、そのくらいの時間を要する。

 当初の予定したFeldkichからリヒテンシュタインを経るルートならてサンモリッツに夕方着けただろう。しかしループ橋を見るには往復しなければならない。どちらが良かったのか、一長一短というところ。

 ティラノ駅でセーバパスを買うもレート換算に納得がいかない。これほどユーロもスイスフランも下がっているのに全く反映されていない気がする。
ベルニナエクスプレスは無蓋車に乗った。風を受けての車窓からの氷河見物は気持ちが良かった。沿線のハイカーやバイク乗り(自転車)と童心に返って手を振りあった。

 サンモリッツ周辺は山や湖のきれいな場所が多いけど、今回はランドヴァッサー橋が目的なので次の汽車で発つ。若干時間があったので駅でサンドイッチとビールでランチにする。フィーリーズの駅は谷の中腹にあり、橋を上ないし横から見るには難なく行ける。しかし橋を下から見るとなると下っていかねばならない。最初から下のほうへ行けば林や牧場を苦労した歩かなくての良かったのに。

 石で覆われた橋脚が立ち上がり汽車が通る様子はポスター写真そのもの。汽車で通過する時の景色もいいが、帰社が通過する様を見るのもいい。2~30分待てば上り下り、それに貨物列車が通るのに出会うことは確実だ。

もし橋見物へ行くなら最初から下って行くのが良い。見える景色が違う、時間も2時間あれば橋を列車が何本か通るのが見られるでしょう。横河から見たいと思う人も下まで行き線路まで上るほうがいいと思われる。
駅から大通りを下り、広い牧草地に出た所に橋がある、そこを渡って道なりに行けば橋に行けます。駅にルートマップもおいてあった。

 私たちは上の展望所へ行きガッカリし、それから道なき道を下ったため時間を費やしてしまった。初めから大通りを下れば時間の節約になったであろう。そのためにアンデルマットへの接続列車がなくなり、グラウビュンデン州を基盤とするレーティッシュ鉄道の終着ディセンツまでしか行けなかった。

 駅員にホテルの空き室を確認してもらい一番近いところに泊まった。風呂に入り付設されているレストランへ行くと、9時に厨房が閉まったので食事はできないという。フレンチフライポテトとビールをディナーとした。

チロルを後に

2010年08月07日 10時12分16秒 | ドロミテ・チロル
7月15日 (木)
7:30 朝食 9:05 ホテル発ー9:28 ロープウェイで上るー9:46 Gamsgarten 3630m
9:52 ガスがかかり見えないので下山 ー10:10 ロープウェイ乗場ー10:20 発 11:25 インスブルックレンタカー営業所(走行距離 105Km 全走行距離 1733Km)

11:52 インスブルック駅ー(ランチ)-13:27 インスブルック発ー15:28 ボルツアーノ17:07 ヴェローナー19:10 ミラノ着ー19:35 チェックイン

 泊まった場所をGoogleEarthで調べたところフォルターラウ Volderau という小さな集落で、谷の奥のロープウェイがあるのはムッターベルクアルム Mutterbergalmであった。画面を更に動かすと山の反対側の谷にゼルデン Solden が出てきた。エッツタールとシュトーバイタールは一つの山を挟んだ隣だどうしの谷だったのだ。

 昨夕は宿を探して10Km ほど下ったので今日は上りなおす。途中道路工事で片側交互通行の箇所も工事は未だ始まっていない。乗場に着くが雲行きが怪しい、山頂はガスが掛かっている。せっかく此処まで来たのだからと晴れ間を期待して上がる。

 ロープウェイを乗り換えて上まで行くも、案の定というかザンネンながら霧、晴れるのが期待できそうもないので早々に下る。ロープウェイから下の方を見ていると乗換駅の近くに宿泊施設らしいものが見えた。シマッタ~昨日このような場所にヒュッテがあるのを知っていたら泊まったのに。石造りの壁にDRESDNER HUTTEとあった。又行く機会があれば泊まろう。

 チロル最後の山はガスっていたがもうチロルはこの程度でヨシとしよう。レンタカーを返却しにインスブルックへ向かった。
途中ノイシュテフ・イム・シュトーバイタール Neustift Im Stubaital の教会前の郵便局による。この教会はガイドブックに載るほど有名なようだ。

 レンタカーのインスブルック営業所は二度目なので難なく着く。車をチェックすると後部に傷が付いていると言う。バンパーならともかくバンパーより内側に入った箇所に傷が付くなんてあり得ない、木の枝のように上から垂れ下がったモノに当たったのか覚えがない。片言の英語と手まねで一応説明した。知らないとはいえ傷らしきものがあるのは確かなので処理費用を請求されてもしょうがないだろう。

 延長料金と乗捨て費の説明を受けていると、傷の査定のとき私とやり取りした人が来て傷は自分が磨いて直すのでOKだと言う。ありがあとう! カードで支払い駅までのタクシーを呼んでもらった。

レンタカー費用はインターネットで予約・契約した際の40.898円、今回の日数追加と乗捨て料金168.5ユーロの総計約60.500円、延11日間で1.733Km走り、134.26リットルのベンジン(ディーゼルの一種)を給油しその燃費は172.9ユーロだった。
リッター当たり12.9Kmも走ったのにはビックリ、アウトバーンはそれほど走らず主に山道を走り回ったので燃費は良いほうだと思う。狭い道路でもぶっ飛ばすので燃費が向上したのだろうか、車はオペルでした。

 さていよいよスイスだが、見たいところ行きたい所をピクアップすると、ベルニナエクスプレスのループ橋、ランドヴァッサー橋を通る汽車を見る、アレッチ氷河、逆さマッターホルン、エギュー・ド・ミディからエルブロンネそれにサースフェーなどである。

 そこをどのように効率的に回るかを考えてティラノからスイス入りすることにした。それでインスブルックからティラノまでの切符を買おうとしたら、ティラノ行きはミラノで買えとのこと。
貴社の出発まで時間があったので駅前のレストランでランチタイムにする。車から解放されたので久しぶりに昼からビールが飲めた。黒ビールの冷たさが喉を通るとき刺激を与え咽そうになる。

 汽車は6人掛けのコンパートメント、やはり速い1時間半でボルツアーノ Bolzanoに着く、ドロミテ街道の入口なので思い出がある。車内でも買い置きのビールを飲む。車掌にティラノへ行きたいのだが乗継便について尋ねるも、オーストリアの汽車なのでよく分からないようだ。途中からイタリア人車掌も乗り込んできたがやはり分からないようだ。

Veronaを過ぎると間もなくミラノに着いた。インスブルックから6時間弱の7時10分になっていた。まず今夜の宿を決めねばならない、ガイドブックも資料も何も持っていない。駅前にはホテルがあるはずだ、と当てずっぽうに駅を出て付近を見回すとHOTELの看板が目に付いた。ビルの一角の出入り口にインターフォンがあり、それを通して交渉すると満室とのこと、一つ星だったのにザンネン。出入り口の反対側にもインターフォンがありこちらは二つ星、AKIBEYAがあるとのことなので其処に決めた。

 映画に出てきそうな鋳物製の扉のエレベーターで上がる。たまたま降りてきた人がいなければ操作の仕方が分からなかっただろう。日本人客も来ると女将さんが話していた、片言の日本語も使う。ホテルの格より利便性と経済性を選択するニッポン人が多くなったのだろう。また夕食を食べに街へ出ている時間に補助ベッドを作るとのこと。せっかくミラノに来たのだからせめて駅前だけでも見ておこうと出かけた。
私たちが駅から出たのはやはり裏側で正面はビルが立ち並び高級ホテルも見えた。自然に安ホテルの方向へ足が向くなんてビンボウ旅行の習性が身に着いたようだ。(笑)

 スタンドの売店でビールを買いホテルで例の如くチーズやハムでディナーにする。スタンドのお兄ちゃんも片言の日本語をしゃべった、さすがミラノだ大勢来るのだろう。
暑い、クーラーは2時で切るけど特別明け方まで延長してつけておくと女将さんは勿体ぶって話していた。しかし夜明け前もそれほど涼しくなかった。

 駅でティラノまでの切符を買った、6時20分発なのでミラノ滞在は11時間である。

写真はシュトーバイタールで泊まり損ねた山上のホテル DRESDNER HUTTE です。
未練たらしく載せておきます。