どこ吹く風

旅のことを主に書く。

帰路

2007年07月29日 07時59分30秒 | 能登
 山間の温泉に豪華なホテル、食事も素晴らしかったし温泉を堪能した鹿児島墓参の旅も最終日となった。鹿児島市へは一本道なので道なりに行く、海も湾内ということもあろうが台風が嘘のように静かで太陽はギラギラ照り付けている。

 せっかくだからと城山に登る。ボランティアガイドから説明を受けた。櫻島に市内と見慣れた風景が目の前にある、見慣れたというのは写真とかテレビで見ているだけで実際この目で見るのは二度目、それに展望所はこんなに狭い広場だっただ。
かつて揺られて地酔いしながら船から降りた櫻島桟橋も目の下だ。国道58号線の起点があそこだとの説明もあった。二桁の国道表示は県庁所在地を結ぶことになっているので、鹿児島から島伝いに那覇まで大半を海の上を通っている。

 その後薩摩切子の工房・販売所を見て加治木町の従妹宅へ行く。近所の寿司屋で昼食をとり焼酎を飲む。自宅にも焼酎を用意してもらい昼間というのに味わった。酒を見ると意地汚くなる私は妻の冷たい視線を掻い潜って飲む。旅行好きな夫婦の話をもっと聞きたかったが飛行機の時間があるのでお暇する。

 この旅では初めてハンドルを握る妻の運転で高速を通り空港へ行く。売店でオミヤゲを買っているときもオトコはビールを飲む。飲み次いでなので文句も少ない。鹿児島のオミヤゲは薩摩揚げとカルカンが定番、定番通りの袋を持って搭乗。
たのしく充実した旅でした。

 国内旅行も悪くは無い。海外より金は掛かるが自分の腹が痛まないのがイチバン良いところだ。食事も文句なし、我がウチナー島はサカナに野菜の種類が少ない、流通が発達したので様々な食材が食卓に並ぶようになったとはいえ旅館・ホテルで並ぶ料理は滅多に口に入らないものばかりだ。
 それで美味いか不味いかの判定ができない。味が分かるほど食べ慣れていない。それで美味しさの規準は自分の口に合うかどうかになる。薄味の微妙な味はムツカシイ、濃い目のアジクーターがより美味しく感じるのは育ちの所為でしょう。

 温泉の旅を充分楽しみました。

台風余波

2007年07月26日 08時21分12秒 | 能登
 先日の台風4号は「マンニィ」という名前だそうです。
復帰前はー復帰前という言葉をご存知でしょうか、オキナワがニッポンになる以前のことです。ー台風ごとに名前が付けられていた。女性の名前だったがウーマンリブの高揚とともに女性だけとは限らなくなった。
数年前からアジアの気象連盟(?)が加盟国の輪番で名付けるようです。

 その台風4号マンニィは薩摩半島に上陸して指宿も台風の目に入った。その日は加治木町まで行き従妹と会食する予定になっていた。それでどのように対応するかを検討した結果台風の中を移動するのは危ないのでここ白水館に延泊することになった。
ただこのクラスではなく部屋を変えた。
新しい部屋はベッドと和室のふた間あり悪くは無いが夕べの部屋と比べると見劣りがする。予定では国民宿舎だったので其処よりはマシだろう。台風のお蔭で余分な出費となったがそれなりの待遇なので良いか。金を出さない私が言うことでは無いけど。

 外へ出られないので風呂へ行く、今日は岩盤浴にする。岩盤浴、ハマムはトルコのアンタルヤで初めて入り、サフランボルでは街の銭湯風なハマムにも入った。トルコのハマムに比べると原理は同じだろうが雰囲気間取りがまるっきり違う。ハマムはローマの風呂を思わせるが、ニッポンのそれは効率的というか個人主義というか似て非なるものである。
 暖かい岩の上に腹ばいになったり仰向けになったりして身体を温める。気持ちの良い汗が出る。その後温泉に浸かる、ヌチグスイと言いたくなる。

 浴場の入口に焼酎の試飲所が設けられているので、カウンターに掛けて酒造所や風味を聞きながら指定して飲む。1本千円から1万円のものまで揃っていて、私も1万円の森伊蔵とかいうのを飲んだ。確かに飲みやすい。でも数倍の価格差を感じるほど舌喉は肥えていない、ザンネンと言うべきか生活レベルに合っているので良かったと言うべきか。

 台風は午前中は雨風が強て窓から見える鹿児島湾の波は高く護岸に打ちつけられた飛沫が風に舞っていた。ごごからケーシ風が吹くかと思っていたら何事も無かったかのように静まってしまった。
台風のお蔭でホテルから出ることなくゆっくした温泉ライフを楽しむことができ、思わぬ余波が楽しめた。

ふる~い話

2007年07月25日 06時51分12秒 | 懐かしい旅の記録
 もう何年も整理しないで只たんに資料とか自分の記録物を並べていた書架にミニコンポを置く為一段分をビニール袋に放り込んだ。そのビニール袋を机のしたに放りそのままにして約1年、雑多な資料・記録を入れたまま足元で邪魔になっていた。

 それを片付けた。整理をすると殆んどがゴミとして捨てられるものばかりである。一応一つびとつ捲って選り分けた。つまらないモノもあるが迷うものも出てくる、でも思い切って捨てることにした。もう仕事に色気を出すことは無いだろうから仕事関係の資料もこの際捨てることにした。旅した現地から持ち帰ったものやパンフレットは只の記念物になっている。他人にはクズだが手にすると想い出が蘇るものもある。これらも思い切って捨てることにした。

 それらの中に旅のメモやら日程表が出てきた。もう10数年前のものだ。なつかしい、これこそ記録としてアルバムに張る価値がある。せっかく見つけたのでここにも記録しておこう。
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    ○○様ご一行
  バンコク・チェンマイの旅
    (4泊5日)

1日目 4/01(木)10:00 那覇空港ターミナル集合
       11:25 中華航空121便にて台北へ (11:50)着 ー乗継ー
       12:45 中華航空695便にて香港経由 バンコクへ (機内昼食)
       15:25 バンコク着 入国手続後 バスにてホテルへ
       19:30 市内レストランにて夕食 (中華料理)
               バンコク サイアムシティホテル

2日目 4/02(金)07:00 ホテルにて起床
       08:00 タイ名物水上マーケット、暁の寺院、王宮、エメラルド寺院等
       12:00 市内レストランにて昼食
       15:45 タイ航空106便にてチェンマイへ
       16:50 チェンマイ着後バスにてホテルへ
       19:00 市内又はホテル内レストランにて夕食
               チェンマイ メーピン ホテル

3日目 4/03(土)07:30 ホテルにて朝食
       09:00 市内並びに郊外観光へご案内:オールドチェンマイ、傘工場
           チーク材家具工場、ドイ・ステーブ寺院等  (途中昼食)
       17:35 タイ航空107便にてバンコクへ
       18:40 バンコク着 バスにてホテルへ  (途中夕食)
                バンコク サイアム シティホテル

4日目 4/04(日)07:30 起床後 ホテルにて朝食
       09:00 あの山田長政で有名なアユタヤへ
            (途中、バンバイン離宮へ立ち寄ります。)
       13:00 アユタヤ市内レストランにて昼食(タイ風料理)
             ※昼食後、バンコクへ
              ご希望の方はショッピングへご案内いたします。
       19:30 市内レストランにて夕食(海鮮料理)
                 バンコク サイアム シティホテル

5日目 4/05(月)06:00 起床後、ホテルにて朝食
07:15 バスにてホテル出発
       09:05 中華航空066便にて 台北へ   (機内昼食)
       13:30 台北着 ー乗り継ぎー
       16:45 中華航空にて那覇へ
       19:10 那覇着 入国手続後 空港にて解散
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日付だけで何年の4月なのかが記されていない。
1993年と思うが、日付の曜日から確かめられるだろうから検索して調べてみる。

指宿 白水館

2007年07月24日 09時52分08秒 | 能登
 坊津の九度資料館を出ると雲行きは怪しいが雨はポツリポツリと落ちてくる程度である。田舎道を走らせお茶の産地や漬物で有名な山川を通り開聞岳の麓を抜けて指宿に向かった。途中でうどんか蕎麦で軽く昼食を取ろうと思ったが適当な店が無く結局ランチ抜きとなった。枕崎で鰹節を買おうと思ったが販売店らしき所を過ぎてしまった、戻るほどの事は無いとそのまま行く。道沿いに枕崎線が見えた、ガードをくぐったり高架橋を通った覚えが無いのに線路が右に見えたり左になったりする。

 そうこうする内に海が見えてきた金錦湾だ波は高い、白水館は指宿の温泉街から離れたところ松林の中にあった。建物が数棟あり渡り廊下で結ばれているが台風接近ということでガラス張りの廊下は閉鎖されて地下通路から部屋に案内された。
地下と表現すると誤解が出る、フロントがほんのチョット高くなったところにありそこをが1階なので窪地にあるフロアを地下と呼んでいるだけだ。渡り廊下のガラスにはテープを張りサッシの溝にはタオルを突っ込んで目張りするなどの台風対策をしている。これだけ広いと対策もタイヘンだ、外部の庭木やベンチなども早々に対策が施されていた。

 予約したのは中クラスだったが、その棟は海に近く台風の影響を受けやすいので閉鎖されて上のクラスに変更された。ラッキー! 台風様さまです。見晴らしもよく間取りも広々として気持がいい。早速温泉に浸かり行く、せっかく指宿に来たのだから名物の砂蒸しに入る。一千五十円也の別料金で砂浜辺風になっているところに寝た身体を砂で包む、温泉熱で砂は暖かい。暫らくすると汗が吹き出てくる。
海岸での砂蒸し風景をテレビで見たが、ここは屋内に作られていた。20名ほどが入れる箇所が幾つかあり使わない所はカバーで覆われて冷えないようにしている。気になったのは汗を含んだ砂はどのように処理しているかである、温泉水で洗い流しているのかな。そんままにしていることは無いと思いたい。(笑)

 砂風呂を出ると大浴場がある、火照った身体を洗ってあの浴槽この浴槽と移りながら独りながら温泉というものを楽しみ、はしゃぐ。湯船に浸かる習慣が無い私は暑い風呂が苦手なので主にぬるま湯に浸かっていた。露天風呂もあり其処にはドームのサウナがあった。アフリカの住居か韓国のハンジョンマク(?)のようなもので、大浴場にある蒸気サウナとは違って高温なので蒸し風呂とは違う気持ちよさがあった。

 昨日の妙見温泉ほどの野趣は無いけどしっかりした設備施設なので満足です。館内の廊下や一角に美術品が置かれて目を楽しませてくれた。現在敷地内に蒐集品を展示するデッカイ建物を建設中で、この秋にオープンする予定とのこと。

 白水館は流石に指宿ー鹿児島と言えるだろうーを代表するホテルでした。

写真はおもしろい展示物を見つけたのでメモ代わりに撮りました。私もそう言いながら引き伸ばそう。何時まで続けられるか・・・は何時まで迷惑をかけるかに通じるナ。(笑)

廃仏毀釈

2007年07月21日 07時17分57秒 | 能登
 墓参りが済んだあと先祖縁の地坊津を廻ることになっていた。薩摩半島を斜めに横断するように山の中を走る。有料道路として切り開かれた道なので整備は行き届いている。しかし景色を眺める点では一般道路を走るのが楽しい。

 海が見えた東支那海だ、遣唐使の船乗り場という案内板がある漁港へ着く。台風対策で船を固定する為に漁師がロープを泳いで引いている、ちょっと離れた所に遣唐船を模した遊覧船が繋がれている。ここはその昔から交易の地であることが窺われる。
歴史資料館で説明を読むと遣唐使が出た場所であり又密貿易で栄えた場所だった。密貿易とは御朱印船のように割符を持たずに交易したということでしょう。薩摩藩が利益を独り占めするために取り締まるまで交易で栄えた地であったようだ。

 豊かな場所だったので由緒あるお寺があったようだが、明治初期の廃仏毀釈運動で跡形も無く取り崩されて小学校になっている。
文化大革命による寺の破壊や最近ではタリバンによるバーミヤン仏像遺跡破壊など文化遺跡が狂信的な人たちによって行われた。非難されて然るべきだが近代国家になったばかりの日本でも寺の破壊が行なわれたことを忘れるべきではない。何故ならこれらの破壊が全て時の権力が大きな影響を与え実行し、若しくは破壊を黙認したからだ。

 薩摩藩は討幕運動の中心的な藩だったので尊皇思想が強く、廃仏毀釈運動がスムーズに広がり其処にあった由緒あるお寺の徹底的は破壊が行なわれたのだろう。と考えながら指宿を目指して車を走らせた。

皇紀2594年

2007年07月20日 14時29分21秒 | 中国研修旅行
 今回の主目的である墓参りをした。
雰囲気、ロケーション、食事も素晴らしかった石原荘を出て高速道路を鹿児島市内へ向かう。雨が降り始めていたが途中で大雨になった、台風の影響が早くも出てきたのかと案じる。しかし走っているうちに小降りとなりその内にまるっきり雨が降った後が無い乾いた道になってしまった。先ほどの大雨はナンだったのだ。
雲が台風の同心円状に発生しているのだろうと先を急ぎ市内へのインターチェンジで降りた。

 墓へは市内から電車で行ったことはあるが逆方向から行ったことはないし、鹿児島市内を知っているわけでもないのでカーナビの指示通りに走る。すると墓は市内へ向かう道筋にあった。
お墓は団地となっており山(丘?)までも埋め尽くさんばかりに林立している。入口にあるお花屋さんにお墓の管理を頼んであるので、そこでお花と水を調達する。お墓は直ぐの所にある。お墓に供えられている花が新しいと思ったら13日、新暦でいえば盆の入りである。月遅れのお盆と旧盆しか頭に無い私はそれを思いつくのに暫らく時間が掛かった。

 この墓に来るのは3度目かな。石が組み合わされた小さな墓なので掃除も手間が掛からない。形ばかりの掃除をしてお花を替えて手を合わせる。何時頃お墓を造ったのか気になっていたが墓石の裏に紀元2594年と刻まれている、皇紀2600年が1940年だから1934年に造られたことになる。(計算は合っているかな。)
その頃は皇紀を使うのがフツーだったのか、それとも流行だったのか、はたまた尊皇思想の持ち主だたのかと思いをめぐらした。薩摩の郷士の出なのでそのような思想の持ち主だったのだろう、と思いながら近辺の墓標を見ていると皇紀で彫られているのが多々見られる。戦雲急を告げる時勢なので国民を引き締める風潮があったのだろう。つまり流行りだったと思われる。

 妻のご両親のおかげでこのような楽しい墓参ができることに感謝します。台風が接近しつつあるというのに雨も降らず、子供たちが墓参りし易いような天気にするのも生前の行ないが良かった証明です。

オリエンテーション

2007年07月19日 07時17分42秒 | 中国研修旅行
 鹿児島旅行中の坊津から指宿へ移動中に携帯鳴った。研修送り出しの責任者からで”予定していた説明会が台風のために流れて延期になった、水曜日なら出席できるか・・”との確認だった。水曜日の夜はダンス練習があるけどこの際中国優先なので出席すると返事した。

 「中国西安大学短期留学オリエンテーション」と銘打たれた説明会は琉大のゼミ室で行なわれた。会を取り仕切ったのは過去2回同じプログラムに参加された友好協会の代表者であった。みなさんは会とか中国語講座でお知り合いのようで私だけが浮いている感じだった。私が誰も知らないのでそのように感じただけかもしれない。
代表者はかつて大衆運動をリードした方なので気さくで頼り甲斐のある人だ。過去の経験を通した授業や生活、観光の話があった。

 この研修には協会が募集した10名と沖縄大学の学生8名の計18名が参加する。学生さんは単位取得があるのでマジメに学ぶでしょうが、老年組みは遊びが半分入っているので楽しむ方法が話題の中心になった。学生を引率する先生は中国の女性で私たちのメンドウも見てくださるので心強い。

 参加メンバーの顔を見て、また私も見られただろうけどどのような人だろうと興味が湧いてきた。中国語を学ぼうという人たちなのでフツーのオッサン・オバサンでは無いでしょう。何となく先生上がりに見える人が多いのも何となく納得できる。それに太極拳を長年やっている人もいる。それなりの中国観があるのだろう。
私はというと、これまでも書いたように中国各地を旅したい、特に九寨溝やチベットへ行く為のステップと思っている。妻を連れて個人旅行ができるように言葉と手段方法の知識を仕入れたい。

 次回は出発直前に結団式と壮行会を兼ねた集まりを中華レストラン、居酒屋(?)でやるとのこと。

妙見温泉 石原荘

2007年07月18日 14時03分17秒 | 能登
 妙見温泉は山と山が両側から迫ってきてその接点を流れる川沿い伸びている。
石原荘は川と国道に挟まれた木立の中に埋もれるように見えた。控え目だが堂々とした佇まいだ。

 竹筒に入ったお茶のもてなしを受けて部屋に案内される。ロビーのガラス越しに川が見えるが先日からの大雨で水量が多く水しぶきを上げながら激しい勢いで流れている。部屋はゆったりした間取りで前室から寝室、憩いの部屋と続いている上に調度品も良い、しかし川が見えづらい。僅かに下流が見えるだけなので部屋換えを要望したら狭くなるけど川に面した部屋が空いているということなので移った。
新しい部屋の真下を岩にぶつかりながら水が流れていく、向かいは藁葺き屋根が数棟連なった宿で風情がある。また露天風呂が川の横にあるのも見える。各部屋とも小さくなり居住性は良くないけどこの際内容よりも景色・雰囲気を選んだ。

 食事の前に温泉に浸かりに行く。大浴場とは別に露天風呂が三箇所あり貸切有料風呂もあるが貸切無料露天風呂を予約した。混浴露天風呂へも行ったが私たちムークチョーデー(婿兄弟)の二人だけだった。水嵩が増して土砂が入り込み漸く処理が済んだところだったとのことであった。
ここ石原荘は源泉掛け流しを謳い文句にしているので、100%温泉水というのに浸った。温度は適温まで下げてから入れているので頭から被ることもできる。もう一つの露天風呂の予約時間になったのでカアチャン達と其処へ行った。こちらも川沿いにあるが自然の岩の配置や木の繁り方は混浴風呂の方が風情がある。

 大浴場で洗い終えているので露天風呂はただ湯に浸かったり身体を冷やしたりするだけ。先ほどの露天風呂では増水した川は危険なので川に入らないよう注意されたが、広い階段のようなタタキのような場所があったので寝転んで身体を冷やした。しかしカアチャンと一緒では無茶な事をすると叱られるので止めた。

 1000mも掘れば何処でも温泉(鉱泉)は出るので、オキナワにも何ヶ所か温泉はあります。しかし湧き出ている温泉や流れている温泉は無い、ヤマト風の温泉街や温泉風景もありません。それで温泉となると出たり入ったりして十二分に楽しんだ。

霧島神社

2007年07月17日 07時21分44秒 | 能登
 鹿児島空港では我々より少し早く大阪から着いた妻の妹夫婦が迎えてくれた。
レンタカー会社に到着の電話を入れ迎えに来てもらい、手続きを済ませて霧島神社に向かった。
天気が良ければえびの高原へ行きたかったがこのところ鹿児島は雨続きだし、台風の影響もあるので風景を楽しむには天候が思わしくないので霧島神社へ向かう。途中の道の駅(風)な施設で蕎麦を食べる、ビールのツマミに薩摩揚げを頼んだらそれから揚げ始めた。アツアツの薩摩揚げは美味しかった。午後は”奥さん”に運転を任すので心置きなく飲んだ。
道の駅には足湯がある、能登以来半年ぶりの温泉なので坐る。ビールの酔いと足元の暖かさが心地好い。

 霧島神社は予想していたものより小さな規模でした。背景の山が広いので小さく見えたのかな。真っ赤な鳥居が立ちそこから真っ直ぐに伸びる参道、赤を主体にした左右対称の建物、軒には極彩色に彩られた彫り物がある。御神木に四角竹と良い神社でした。
たまたま到着した団体のガイドさんの説明を盗み聞きし、さらに質問までした。神社を理解するには古事記や日本書紀の知識が必要なので深入りはしたくない。万葉仮名で記された人名を読むのもナンギだ。
 裏の歴史、渡来系の天皇家がニッポンを治めていく為に土地土地の神々を吸収しながら古事記の世界へ誘導していく過程を解説したら面白いだろうに。

 この辺りは高原という感じがする、山あいを走っていても開けた所に来ると遠くには山々が連なりその前は草原となり杉山となる。なんてことが無い風景でもオキナワとは違う。道端の竹林に人家という何処にでもある景色だがオキナワには無いのです、太い竹がオキナワには無い。杉も無い、テレビの影響か私自身竹林に杉山はありふれた風景のように思っているけど実際は日常的には目にすることが無いのだ。後天的に植えつけられた錯覚なのだ。

 とか何とか風景を楽しみながら考えているうちに妙見温泉に着いた、生憎雨がちらついてきたが雨も宿の雰囲気にピッタリという感じだ。

体風被害

2007年07月16日 09時54分19秒 | 能登
 墓参旅行から帰ってきました。こんかいのメインはやなり体風になってしまった。
4号が接近することは予想されたので対策をして出かけた。ベランダの落ち葉が流されて排水口を詰まらせることが無いように掃除をした。数年前の台風では落ち葉が排水口が塞いでタイヘンな目にあったので体風前には気を付けている。

 万全な対策をしたツモリだったのに、予想外のことが勃発した。屋根に取り付けてあるトップライト吹き飛ばされたと連絡が入った。その連絡を指宿で受けた。私としてはブルーシートを被せてトップライトの口を塞ぎ、ブルーシートが飛ばないようにロープで縛り付けることしか頭に浮かばず、息子に指示した。ブルーシートもロープも私の工房にあるので場所を教えて後は任せた。
 
 婿も駆けつけて、工房にあった90cm角のセメントボードで蓋をしてブロックやレンガをその上において錘にして応急措置を取ったと連絡があった。何にせよ雨風が吹き込むのが止まって良かった。
 私たちが旅行へ行っている間はバアチャンが独りで留守番していたので、雨風が吹き込むのを見てビックリしただろう。体風災害に遭うのはもう何十年も無かったし、しかも昔の家とは違い鉄筋コンクリート造なのに天井・屋上から雨が打ち込んでくるなんて想像だにしなかっただろう。明け方に独りで吹き込んだ水を始末したそうだ。

 息子曰く「普段から役に立たないオヤジなのに、必要な時も居ない。本当の役立たずだ。」
いやいや”オヤジが居ればな~”と息子に思わせただけでも私の存在感があるというものだ。これ以上言うと益々立場が悪くなるので止めておきます。

 一方私たちは指宿で閉じ込められた状態になった。台風の目に入るほど接近し窓から見える金錦湾の波は長く高くうねっていた。不埒な考えで墓参したバチが当たったのかな。
トップライトが吹き飛ぶとは思いもよらぬ出来事でした。

旅先での天候

2007年07月12日 07時10分20秒 | 能登
 鹿児島へはこれから出発する。台風4号が後を追いかけてくる気配がある。法要目的とはいえせっかくの旅だから晴れてもらいたい。義父は私の心見透かしてバチを与えたのかな。(笑)

 旅先で雨に降られることは間々ある。雨と霧のマチュピチュは風情があったので好しとしよう。クライネ・マッターホルンでは夏なのに吹雪に見舞われた。雪が久しぶりだったので嬉しくてハシャギまわった。
しかし雨の兼六公園はよくなかった、真冬なのに本来なら雪が舞うところが雨では風情も何もあったものではない、雪景色が見たかったと今でも思っている、ザンネンだ。でも雨宿りに託けて地酒を味わったのでこれもヨシとせねば。

 晴れるに越したことは無いけど降ったら降ったでその雨を楽しむ心を持つのも旅の心得だろう。判ったようなジジ臭いことを言うようだが、そう考えねば心が沈むだけだ。特に今回のように前もって雨というのが分かっているからなお更だ。

 高級ホテル・旅館はそこを楽しむのも旅の一つの方法との記述を読んだことがある。たしかにそうかもしれない。能登の加賀屋、あれはもっと館内を楽しむべきだったと後悔した。今日泊まるところも良いところのようだから早めにチェックインしてゆっくり楽しもうと思う。
ホテルそのものを楽しむ、というのは具体的にどういうことなのか知らない。館内をウロウロしていればそれが発見・実感できるのかな。それも楽しみだ。

 では日曜日まで霧島から指宿までを楽しんできます。

別のブログにも書きましたが、台風情報のお勧めはこちらです。

http://www.nrlmry.navy.mil/tc_pages/tc_home.html

アメリカ海軍気象部門ですが、台風の予報進路を線で示してあるので、気象庁の予報円より具体的で分かり易い。軍事作戦に利用するための予報は流石に違う。
なお時間はアメリカ時間ー西部時間?ーと思われるの時差を勘案する必要があります。

九寨溝

2007年07月10日 09時36分51秒 | 中国研修旅行
 研修旅行についての電話が掛かってきて週末に顔合わせと内容説明の会合を持つとのこと。
しかし生憎明後日から墓参のために不在となる、飛び入りで参加申し込みをし初回の集まりに顔を出さないのは心苦しいけど一月前に決まっているので、事情を説明して了承を得た。

 日程や費用は送ってもらったものから変更があったようだが、2ヶ月先のことだから詳しくは聞かなかった。しかし意外な言葉が出た。
「九寨溝に行きたい希望を持っていましたよね。」
”はい”
「他の参加者からも希望が多くて、今日程調整中です。到着して数日後に九寨溝へ出発できるように現地と話しています。参加されますか?」
一応ハイと答えたが何か肩透かしを喰った感じだ。勉強だけではイヤと妻は離脱したし、私も自力で九寨溝旅行の手配が出来る程度の勉強をする覚悟を固めつつあった。そこへ研修をサボり旅行する話が初っ端に出てきた。
天邪鬼の本領発揮で
”いえ勉強を励みます。”なんて答えようかと一瞬考えた。(笑)

 もちろんオプションなので追加費用が掛かる、航空機利用なのでちょっとした金額になるだろう。美しい風景は何度見ても美しいだろうから、今回みなさんと行って妻とは来年にでも行こう。

 一本の電話を受けて頭の中の空想を廻らす部分が膨らみ始めた。西安の城壁、楼、楊貴妃に夕日に向かって延びる道、それに未だ見ぬ九寨溝・黄龍まだ続く。
エンドルフィンが滲み出てくる・・・

サンピン茶

2007年07月09日 11時02分01秒 | 懐かしい旅の記録
 暑さ凌ぎにスイスの写真をスライドショーで見た、涼しい風が画面から吹いてくるようだ。その中にゴルナグラードでマッターホルンをバックにサンピン茶を飲んでいる場面があった。画面中央に立つ妻がペットボトルに口をつけてゴクゴク飲んでいるのがアップで写っている。ちょっとおもしろい写真だ。

 それで次の旅行でもサンピン茶を数本スーツケースに入れて持ち歩き、ここぞという場所でサンピン茶を強調した写真を撮るようにしている。「アメリー」という映画の縫いぐるみ写真を真似したものです。やり続けると意地になるものでサンピン茶が旅のお供の必須アイテムになっている。
雄大な景色を背景にしたサンピン茶の写真を製造元に持って行けば1ダースほどタダでくれないかと淡い期待をせんでもない。ただし製造元は複数あるので旅行直前に近くのスーパーで安売りしたメーカーのを持っていくので統一されたブランドではない。考え方によっては複数の会社からお礼が貰えるってことか。(笑)

 サンピン茶の由来を調べてみると、「沖縄ではさんぴん茶(さんぴんちゃ)として飲まれている。これはジャスミン茶を指す中国語(香片茶 シャンピェンツァー)から転じたものである。」と書かれていた。
半発酵茶でオキナワでは一般的なもので大きなヤカンに作り置きして冷めようが何しようが気にしないで飲むお茶です。

 ツアーでは一日一本サービスで水が付く場合もあるが、買わねばならないときも多い、その場合はスーパーで2リットル容器を買って飲み干したサンピン茶の容器に移し変えて飲むのに使えて重宝する。

 机に坐っているだけで暑いので涼しさを味わおうと思い出の写真を捲っていてサンピン茶を見つけた。写真はあいにく曇っているがドリュ西壁が右端に写っています、6月23日付の写真はエギュー・ドゥ・ミディ展望台からの写真で、今回の写真はグラン・モッテッツからです。シャモニから30分ほどバスに乗るが時間的にゆとりがあるなら足を延ばす価値はあります。

 しばし暑さも忘れた、次のサンピン茶の写真は何処で撮れるか・・・

鹿児島

2007年07月07日 09時27分35秒 | 能登
 来週は鹿児島へ墓参ために行きます。
妻のオヤジさんが鹿児島の出でお墓は鹿児島市のちょっとハズレ(だったと思う)にある。私たちは那覇から妹夫婦は伊丹から飛び鹿児島空港で落ち合うことになっている。レンタカーで妙見温泉、指宿を廻り墓参・法要をして帰るという大まかな日程になっている。

 ルートと宿の選定は能登の旅でウデマエを発揮した義弟が立てた。ウデマエとは私に言わせれば、金に糸目をつけない、無頓着に決めることなので大いに期待できる内容となっている。彼は大手商社でそれなりの地位にあったので私から見るとニ・三ランク上の出張や旅に慣れている。その発想で計画するので常日ごろの旅では味わえないような内容になる。
観光は風景を楽しむもので宿は寝場所であるというスタンスで私は旅をしているが、彼が選んだ宿は宿自体が観光施設という宿・ホテルである。その宿に泊まる為にわざわざ足を運んでくるという場所を選ぶ。能登の加賀屋はプロが選ぶホテルで連続して一位の座を占めている。今回もそうであろう。

 ものの見方はその者がいる場所によって決まる。ゼミの先生の言葉によれば「上部構造が下部構造を規定する。」ということだろう。ゼミの先生とは「エジプトは最後に行くべき場所だ、エジプトを見た後は何にも驚かなくなる。」と話された前川先生の旦那さんです。
確かに私の上部構造は上流ではなくて下流へ落ちかかった中流の思考回路なので、モノが屈折して見えるのだろう。いやいやモノゴトを見るために飛び跳ねて一瞬だけ見た光景なのに全てを理解したツモリで喋り捲っているだけかもしれない。それでもヒラメの様に底にいるくせに上だけ見て分かっているフリをするよりマシだろう。なんて凝縮された師の言葉を曲解しているからあの成績で卒業したのだ。

 訳の分からない戯言はヨコにおいといて、連絡してきた宿に妙見温泉の石原荘がある。実は何も知らなかったが石原荘は有名な宿らしい。加賀屋で気付いたが良い宿はただ泊まるだけでは勿体無いので早めにチェックインして宿そのものを楽しんでみよう。霧島を見てから石原荘に行くので霧島の風景が素晴らしかったら・・・。
迷うようにも思えるが風景・景色を満喫するのが私の旅、この時節雨が降ってもガッカリしないで宿でも楽しめるという気持で行きましょう。

中国語講座

2007年07月01日 06時41分00秒 | 中国研修旅行
 近くの公民館で開かれている中国語講座を見学に行った。
会場へ行くと女性が席の準備をしているので見学したい旨を伝えると歓迎してくれた。いつも7~8名の参加で、人数が増えるのは講師謝礼も多くなるので好都合だとも話している。受講生もボチボチ集まり始めた、すると年配の方が私を見てどこかで会った事があると言う。私も見たことがある顔だ、思い出した一時期社交ダンスで一緒だった方だ。ダンスシューズを貰った方だった。

 講師の先生がお見えになったので、先ほどの女性が見学したいと告げると黒板に「見習」と書いたので見学のことと分かった。テキストを見せてもらったがレベルが高いようだ。どの程度ですかと問うと中級という。
時間になり始まった、最長老の方が自分のテキスト貸してくれた、ご本人はどうするのかと思ったら、別の本かノートを見ながら講義を受けている、筆写したのだろうか。

 先生の後に続いて読み、それを2回繰り返し次に一人びとりが朗読する。私の番になったので先生が”どうする?”という顔をしたので読み始めた。先ほど先生と一緒に読んだところだし、また数名の受講生の朗読の後なのでヒッカカイ ムッカカイしながらもナンとか読めた。

 当然分からない言葉もある、テキストはピンインと英語の訳文が付いているだけで日本語の解説が無い。中国で学ぶ外国人向けに書かれたテキストのようだ。みなさんは予習を済ませているようでその単元の意味も分かっているようだった。
私が会った事がある方に”中国語は2,3年やっているのですか。”と尋ねると、それどころではないと答えていた。中国語で先生に質問をしたり説明を求めていたので10年は続いているのだろう。
分厚い辞典やら参考書らしきものを持参していたのでバッチリ勉強している様子がすがうかがえた。

 テキストは半分ほど進んでいる、途中入会は付いて行くのがタイヘンだが、どっちみち知らない事を習うのだから初級だろが中級だろうが関係なくそこで勉強してみよう。