どこ吹く風

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この次の旅は

2012年09月19日 09時35分51秒 | 江南の旅
 久しぶりに自分のブログを開けてみると見慣れないページになっている。書き込みを怠るとフォームが変更されるらしい。江南の旅について初日分を書いただけで尻切れトンボになっている。あのツアーはどちらかといえば楽しい楽しいツアーだった、ただあのガイドを除けば。参加者全員がウチナーンチュなのですぐに打ち解け自己紹介のみならず家庭環境まで話し合える仲になった。これもあのガイドの腹立たしい態度が客である我々の結束につながったのだろう。

 この話は機会があれば書くとして、帰ったら次の本格的な旅のことが夫婦間でしばしば話題になった。カナダは義妹夫婦と行くことになっているので来年廻しである。このところ太陽黒点の活動が活発になのでオーロラ観測の時期には早いとしても鑑賞もできたのではないかと少し残念な気もする。

 思いつくのはアルプス、ドロミテへ又行きたい。今度はトレ・チメを時計回りで歩きたい。過去3回反時計回りで歩いたけど右回りで歩くほうがず~っとドライ・チンネを見ながら歩けるので時計回りがいいと思われる。これまではロカッテリー小屋の宿泊予約を取らないまま昼遅くオーロンソ小屋を出発したので、万が一泊まれないときは引き返えす時間を考えてこのコースを取っていた。今度行くときは1週分の時間ーのんびり5時間ーを確保したい。
ロカッテリー小屋で泊まれないことは無かった、冬季小屋を開放するのでよほど混む時期を除いて予約無しでも泊まれると思われる。十分時間があっても途中でロカッテリー小屋に泊まり夕焼けや朝日に照らされたトレ・チーメを見たい。

 それにラガッツオイ小屋にも泊まり損ねている。あそこには絶対泊まりたい。今度行くときは何日粘っても泊まるつもりだ。


 アルプスに行けないなら中国、雲南省とチベットの境に聳える梅里雪山を見たい。以前から行きたくてちょこちょこ調べていた場所である。それに10月となれば天気も安定する時期になるだろうから神々しい姿が拝める確率が高い。いろいろ迷った末につい先日梅里雪山に決定した。ビザ無し渡航のギリギリの15日間で行くつもりです。

初日 上海・蘇州へ

2012年06月22日 10時20分39秒 | 江南の旅
2012年6月6日
15:10 家を出る、約1年ぶりの旅行である。
15:30 空港着 見えにくい場所に設置されたツアー・カウンターで手続きをする。
17:38 離陸
18:05 食事 魚のあんかけ かっぱ巻き、カニカマ、つくだ煮その他
    マンゴゼリー、スイカ、
    青島ビール
18:50 上海着 夫婦者4組と若者のカップルの10名がメンバー
19:32 バスに乗車 蘇州へ ガイド、運転手それに写真係の女の子
21:50 ホテル着 蘇州雅都大酒店

 いよいよ今年初の旅行の出発だ、胸が高鳴ると言うほどの高揚感は無いもののやはり嬉しい。娘に空港まで送ってもらう。ツアーカウンター場所は案内書に記載されていたものの分かりづらい。狭い国際空港ロビーだが片隅にテーブル一つ置いただけのものである。国際線のターミナルビルが最近着工されたので完成後はマシなものになるだろう。

 トラピックスのタグの付いたスーツケースを持った人が手荷物検査の列に並んでいるのでカウンターの場所を教える。この時間は離発着が多いのか旅客が多い、1日2便程度と思っていたらこれから6便が台湾・香港・上海などに向かうようだ。とすると毎日数便が各地へ飛んでいるのか、多くなったものだ。

 現地ガイドがバスの中で話していたが、オキナワに上陸宿泊すると3年間の数次ビザが手に入るので、沖縄はこれから魅力ある地になりますとのことだった。中国人にとってオキナワは数字ビザが取得しやすい場所となるので、オキナワ側の対応・宣伝によっては日本への入り口にある可能性が大きい。利便性を大いに活用してオキナワを売り込んでもらいたい。

 飛行機はほぼ太陽を追う感じで飛んでいる、雲が厚いので天気は良くないだろう。雨具に傘を持っているので天候は覚悟の上である。食事が出た内容は不太好だが今夜の夕食はこの機内食なのでしっかり食べる。飲み物は中国へ行くので青島ビールにした。
上海の空港でツアーメンバー全員が顔を揃えた、5カップル10名である。

 バスで蘇州に向かう、2時間弱かかるがその間現地ガイドの独壇場、当然だがガイドの説明・注意事項などがあるがくど過ぎる感じがする。お金の交換レートを1万円=750元を恩着せがましく説明する頃には少々嫌気がさしてきた。那覇のロビーで大連から独りで観光に来た女の子と話したが、1万円が800元近いのでビックリなんて言うていた。何このレートはと思うも現地受け入れ旅行社を徹底的に絞り上げているのでこのように為替レート、オミヤゲ品のバックマージンなどが必要になる。こういう事の結果は全て参加客に降りかかるので我々も注意して対応せねばならない。

 蘇州のホテルは五つ星というだけあって立派でした。10時前に着いたので後は寝るだけ、久しぶりにバスタブに浸かった、家でもシャワーだけなのでバスタブに浸かるのは贅沢な気分になる。

日程

2012年06月20日 13時23分47秒 | 江南の旅
2012年6月6日から6月12日までの記録

6月6日
15:10 家を出る、約1年ぶりの旅行である。
15:30 空港着 見えにくい場所に設置されたツアー・カウンターで手続きをする。
17:38 離陸
18:05 食事 魚のあんかけ かっぱ巻き、カニカマ、つくだ煮その他
    マンゴゼリー、スイカ、
    青島ビール
18:50 上海着 夫婦者4組と若者のカップルの10名がメンバー
19:32 バスに乗車 蘇州へ ガイド、運転手それに写真係の女の子
21:50 ホテル着 蘇州雅都大酒店

6月7日(木)
5:30 目が覚める 
6:30~7:30 朝食 円形のレストランでほぼ一周料理が置かれている
8:35 発 千灯へ 
   千灯を駆け足観光する 写真タイムさえ無し
10:20 千灯発 錦渓へ
10:40 錦渓着 小舟で運河遊覧 おばちゃん船頭の歌声付き チップ10元
    下船後ガイドとトラブル、尾を引く
12:30 蘇州で昼食  
13:20 蘇州市内観光
14:00過ぎ 獅子林着 庭園見学 太湖石
14:45 発 刺繍研究所へ 両面刺繍は素晴らしい。
16:10 発 寒山寺へ
17:25 発 虎丘(斜塔)が見える駐車場で写真を撮る
17:50 刺繍研究所で夕食
19:00 ホテル着 コンビニを探しビールと肴(チマグーの辛味)を買う

6月8日(金)
6:30~8:15 朝食
8:30 三国城へ
10:00 騎馬ショー 三国志時代の武将が出てくる (15分)
10:30 太湖遊覧 20分
11:25 発  鶏・羊・豚・牛・犬と男性の話
11:25 真珠研究所 淡水パール 粉末真珠入りの化粧品
   隣りの建物で昼食
12:55 発 烏鎮へ (遠隔地)  
15:15 烏鎮着 街歩き 白酒(50度)工場見学
16:15 発
18:00 レストランにて夕食
19:25 発 杭州市内は混雑している
20:50 ホテル着 浙江百瑞国際大酒店 (杭州)
24:00 就寝

6月9日(土)
6:15 散歩 近くの朝市(食べ物主体)へ行く
6:30 朝食
7:30 発 紹興へ
9:00 魯迅記念館 生い立ちが主との印象
10:00 紹興酒工場へ 試飲と売りつけ(笑)10年、5年ものを買う
11:05 発
11:30 レストランにて昼食
12:05 発
13:30 六和塔でトイレタイム 10分 これで案内所に記載する観光か?
14:10 西冷印社 篆刻の展示・販売所
15:00 西湖遊覧 30分 エンジンは電動 三つの塔(1元札の裏面)
15:40 発 茶園へ 茶の歴史・工程・試飲・販売所
15:40 発
18:00 レストランにて夕食
19:15~20:15 西湖の夜と銘打ったショー見物 オプション3900円
   聾唖者による千手観音
20:30 西湖畔での噴水ショー見物 15分間
9:00前 ホテル

6月10日(日) 5日目
5:30 起床 毎朝TVの五星紅旗掲揚の場面を見る
6:30 朝食
7:50 発 西糖へ 人民政府公安局のトイレを借りる
   水郷西糖散策 ロケ地で有名になる。
   藍染せんす
11:00 発
12:00 昼食 入り口の果物屋でマンゴスチンを買う 12/40元
    シルクの店でTシャツ買う
14:25 上海向け発
   外灘見物
16:10 ラテックス工場 高反発枕・マットレス販売
16:50 発
17:00 田子房の通り散策 藍染チャイナドレス買う
17:30 発 夕食レストランへ
18:45 ホテルへ
10:00~23:00 我らの部屋でメンバーとビールを飲む

6月11日(月)
6:30 朝食 
8:20 発 8発の予定なのに
   玉石の展示・販売所
   南京路散策 
11:20 上海博物館
12:40 発 昼食
13:30 豫園へ
14:20 発
14:50 上海動物園 パンダ3頭
15:40 発
16:00 七宝 散策
17:00 発 焼きまんじゅうは美味しかった。
    夕食
18:30 発
19:30~21:00 上海雑技団 オプション 3900円
21:30 ホテル着 売店でお土産のお菓子を買いパッキング

6月12日(火)
6:10 ホテルの窓から見える市場まで散歩
   日用雑貨の店で雨合羽を買う 
6:50 朝食
8:30 チェックアウト 出発
9:00 魯迅公園・記念館
10:30 発 空港へ
11:30 上海浦東国際空港着(第一ターミナル)
13:30 離陸
16:30 那覇空港着

慌ただしく出かけます

2012年06月06日 14時28分44秒 | 江南の旅
 なんやかんや、ぐずぐずしていたら出発日となった。あと1時間で家を出て空港へ向かいます。
さて旅装は整った、先日から妻が準備したおかげです。

 私が為すべきことは、カメラの充電器を忘れずに持って行くことが最大の仕事であとは下痢した時のためのトイレットペーパーを入れる、中国語の電子辞典・・そんなものか。

 母の百歳の誕生会のことがあって旅行準備は控えめにしていたという理由もある。みんな揃って祝うため東京・九州からとやってくるので大した歓迎はしないのにアレコレと気ぜわしくなる。本来なら料亭若しくは宴会場を借りて大々的なお祝いをすべきだが、本人の希望もありごく内輪の誕生会となった。

 オキナワの年齢にまつわるお祝いは生まれ年で行われる、還暦の六十才はヤマトゥと同じだがその後は七十三、八十五となり、最大のお祝いはカジマヤーの九十七才のときである。トーカチ(八十八才)も祝う。

母はカジマヤーも過ぎもう百歳になった、ただこれほど長生きしただけでも大したものです。母の頑丈さには頭が下がります。まあ元気でいるので放っておいて夫婦で遊びに行けるのだからその元気さには感謝しています。

 さて今日の日程は蘇州へ行くだけです。ホテル着が10時ごろとなっている、夕食は何処で食べるのか、上海かな。機内のビールも楽しみだ、注文するときの会話を考えている。「中国のビールをください。」この程度は言えるだろう。

内容のある書き込みではないけど、これから出発すると言う告知です。
もう時間なので出ます。

摩托車的雨衣

2012年05月26日 12時45分51秒 | 江南の旅
 来月(6月)6日からトラピックスのツアーに参加します。
上海・蘇州はこれで3回目になる、今回は安い価格に魅かれて参加するので行先に拘らなかった何処でもよかった。参加することにして日程を詳しく読むと無錫や紹興などが入っている、ツアーでなければ行けそうも無い場所が多いので期待するところも大です。

 中国は自転車大国でおびただしい数の自転車が走っている。雨の日は専用の雨具があり、傘を差して走っているのも見た。専用の傘立てがハンドルに付いているようだ。勿論オートバイ用の雨具もある。その光景を見て私は西安でオートバイ用の雨具を買い現在重宝している。
需要が多い所為でよく考えられている。ミラーに固定できて、ライトの部分は透明ビニールになっている。日本にもポンチョスタイルの合羽があるがなかなか手に入らず、生地・仕様とも今一つ物足りない。

 ズボン・上着と上下に分かれたものはある、私もスイスに持って行くゴアテックスの雨具は持っていて、オートバイでも使っている。しかし走行中雨が落ちてくると、靴を脱いでズボンを穿くという面倒な事をせねばならない。ポンチョならヘルメットを取り頭から被るだけなので手軽である。それで専ら中国製雨具を使っている。
 
 その雨具もそろそろ耐用年数が来て所どころ薄くなっている、この機会に買おうと思う。スーパーで売っていて35元程度だった。
ホテルの近くにスーパーがある事を期待する。

下調べ

2012年05月24日 22時12分41秒 | 旅への想い
 トラピックス(阪急交通社)の江南10都市周遊の旅はパンフレットによると蘇州、千灯古鎮、錦渓古鎮、無錫、烏鎮、紹興、杭州、西塘、七宝古鎮それに上海となっている。地名を知っているのは数か所あるが行ったことがあるのは上海と蘇州だけ。行くからには各地の予備知識を入れて行こう、検索しサイトの記述を抜粋する。

千灯古鎮 Qian deng gu zheng:
昆劇(昆曲)の発祥地、千灯は江蘇省の歴史文化的名鎮で2500年の歴史を持っています。秋のシーズンは上海蟹で有名な巴城などと組みあわせ観光頂くのもお勧めです。

蘇州 Su zhou: 
 獅子林 shi zi lin 前回は拙政園(zhuo zheng yan) を見学したが今回は獅子林、このような邸宅跡が何ヶ所もあるようだ。
寒山寺 han shan si 楓橋夜泊で有名なお寺、この詩を暗記するつもり。たしかピンイン付きがあったはずだ。
虎丘 Hu qiu 前回は橋の上から眺めるだけで虎丘をバックに写真を撮っただけ、今回も同じようだ。
その後は刺繍と絹のショッピング観光かな、絹糸の布団は欲しいけど妻は関心が無いとのこと。

錦渓 jingxi:
 昆山市南の無数の疎水と湖沼に囲まれた地に、錦渓はある。

無錫 wuxi:
 20分間ではあるが太湖 Taihu遊覧があり、時代劇のセット見物と淡水真珠のショッピング観光。安ツアーではショッピング観光は付き物なので割り切るしかない。

烏鎮 W?zhen d?ng sh?n: 
 烏鎮東柵 Wu zhen dong shan は鎮が建てられてから1300年の歴史がある。地形は平坦で、丘がなく、河川は縦横に織りなし、気候が温和で、湿潤で、降水量が満ち溢れ、光周性が十分、物産が豊富、昔から“水産物と米の故郷で、絹織物の府”と呼ばれている。

紹興 Shaoxing:

 紹興ならではの雰囲気は、縦横無尽に走る運河と、その運河に架かる丸い橋の風景にある。文豪魯迅、中華人民共和国総理周恩来、清代の女性革命家秋瑾(しゅうきん)の故郷
  
王羲之と蘭亭 
紹興酒の製造は、なんといってもこの街の産業の柱である。「女児紅」

杭州 Hangzhou:
 銭塘江 Qiantangjiang 逆流ー海嘯ーで有名な川で旧暦8月18日が特にスゴイらしい。でも川は長いので場所が違うのでは・・
西冷印社は中国の金石印材の保存、篆刻の研究を目的として成立した学術団体です。

西湖 Xihu 北宋の詩人蘇東坡が西施に例えて西湖と詠んだからその名がついた。遊覧も予定されている。

西塘 Xitang:
素朴で、ノスタルジックな雰囲気が漂う水郷古鎮です。

上海 Shanghai
 魯迅公園、博物館、豫園、田子坊 Tianzi fang = 泰康路 Taikang lu

全般的に水郷が多い、景色は良さそうだ。

久々の旅

2012年05月18日 10時31分25秒 | 旅への想い
中国江南10都市周遊7日間
計16回の食事付 39.800円(+燃油サーチャージ 9000円)

 今年は未だ何処にも出かけていない。新聞でこのような宣伝を見ると無性に行きたくなる。1日当たり1万円を切るツアーは安い、それだけで場所を問わず参加したくなる。それで切り抜いてさり気なく食卓に置くと妻も興味を示した。5月初めに次女の出産が予定されている、母親として何かと面倒見る必要があるから今年前半の旅はダメと言われている。それでも1週間程度なら・・・と思うも私の口から言う訳にはいかない。
切り抜きを見て”好いじゃない。”なんて好反応があった。急いては事をし損ずる、あと一押し、如何なる方法があるか、じっくり考えよう。

 安いツアーを見つけると行く先に関係なく行きたくなる。初めてツアーに乗ったのもトルコ周遊15日間 129.800円から・・というものだった。あの時は成田発着だったので成田までの運賃および前泊のホテル料金が別途必要だったけど、今回のは那覇発着なので余分な経費が掛からない。
金と暇のある人は何故ツアーに参加しないのか不思議だ。

 先日何の気なしに百円ショップに入ると旅用の紙パンツがあった。以前から重宝していたのに品切れが続き廃版になったのか案じていたら見つかった。5枚で百円(女性用は3枚)、毎回使用していたのに品切れで一昨年の西安では手持ちでは全日程カバーできずにパンツまで洗濯屋に出した。校内の洗濯屋で3日分の下着や靴下まで含めて衣類全てで10元(130円)程度なので、紙パンツ無しでも苦にならなかった。旅ならそうはいかない。

 それに私の腹は見かけによらずデリケートなので旅では下痢することもある。それでチリ紙と紙パンツは常時チョッキのポケットに入れである。おかげで西安の繁華街で咳とともに漏らした時、また王家の谷でお腹かがゴロゴロして間に合わなかった時にとても助かった。
見付けたので直ぐ買ったが何時使えるか、楽しみだ。

カバンを持った女

2011年09月28日 10時44分01秒 |  チェルヴィーノ
 カバンを持った女というより旧式のトランクに腰掛けた女というほうが正確だ。鍔広の帽子を被り汽車が来るのを待っているように感じられた。アンデルマットからサンモリッツへ向かう汽車が駅から動き出した時にプラットフォームに坐っているのを見たのである。ガイドブックからこの駅がトゥージス(Thusis)であることを知り、帰りのチェルマットに向かう氷河急行では見逃すまいと必死になって探した。

 あの時から何回かトゥージス駅を通過した、その度に写真に収めようと列車内をウロウロした。スイスの汽車は停車時間がよく分からないしアナウンスも無いので降りるのが躊躇われる。今年(2011年)はスイスも車で廻ることにしたのでトゥージス駅を寄って彼女とご対面することにした。トゥージス駅に行くのだからランドヴァッサー橋まで足を伸ばすのは当然である。去年もランドヴァッサー橋を橋脚の基部から仰ぎ見た、そのときチェルマット発の氷河急行が渡っていくので慌ててカメラを向けた覚えがある。まずはランドヴァッサー橋へ行くことにする。

 ランドヴァッサー橋を見るには車なら橋まで徒歩10分ほどの場所まで行けるけど、汽車の旅ならフィリスール(Filsur)駅で下車し30分ほど歩かねばならない。橋を見る場所として3か所ある。駅から10数分で行ける展望台が一番近いけど木の間越しにしか見えないので迫力に欠ける点は否めない。線路よりも高い位置にあるので写真を撮る位置を探せば面白いものが撮れるのかも・・・
 駅から道なりに大通りを下って行くと橋の脇に駐車場があり川沿いに行くと橋に出る。そこは橋の真下なのでそれなりに迫力がある。1時間に4・5本の汽車が通るので暫く待っているとランドヴァッサー橋と汽車のセット写真が撮れる。ただ真下過ぎるきらいはある。駐車場付近から谷の奥を見ると橋が見える場所があります。

 もう一か所は駐車場から橋へ行く途中に林を上る道がある、そこを上っていくと線路わきに出られると思う。観光ポスターにある構図の写真が撮れるのではなかろうか。私は未だそこには行っていません、この次はトンネルから出てくる汽車を撮る楽しみを残してあります。
フィリスール駅でランドヴァッサー橋の展望場所案内図が貰えます。スーツケースは売店で預かってもらえました。お礼にビールを買って飲みました。
 
 フィリスール(Filsur)でのランドヴァッサー橋の次はトゥージス(Thusis)駅です。プラットフォームには例のトランクに腰掛けた女がいます。駐車場から女がトランクに坐っているのが見えた。プラットフォームに出るため駅の正面に行くと入り口には別のブロンズ像が立っている。別の像があるとは思いもしなかった。

 女性の像は考えていたより大きく等身大より一回り大きいと思われた。うつむき加減に坐り静かに汽車を待っている様子である。スーツケースは2個で大きなバッグと傘それに衣服がスーツケースに置かれていた。旅というより学校の寄宿舎へ行くか、当分帰れない仕事で出かける様子である。身に着けている衣服に派手さは無い、生活を感じさせる格好である。
2005年初めてのスイス旅行のとき以来だから6年ぶりに傍に近づくことができた。この間私が興味を持っていたことを知っていただろうか。彼女は何処へ行くのか、この次私がスイスへ行くまで座り続けていて欲しい。

 みなさん、ランドヴァッサー橋が近づいたら彼女のことも思い出してほしい。一人ホームに坐っています。
トゥージス(Thusis)駅です。

写真がアップできないのがザンネンです。(以前とやり方が違ってから写真をアップすることができなくなっています。)

2011年09月14日 10時37分02秒 |  チェルヴィーノ
 今回は湖ををよく目にした。意識的にそうしたわけでもない、谷をテーマにしたら湖が良く出てきたのである。湖とといえば琵琶湖のように丸い湖を思い浮かべるがアルプスでは細長い湖が多かった。考えてみれば谷川が堰き止められて湖ができたので細長く枝分かれしているのは当然でしょう。それにダム湖もといたるところにあった。

 まず最初に出てきたのはミラノ国際空港からスイスの南東の玄関口ティラーノへ向かう途中のコモ湖だった。”人”という形をしていて西岸を足の先から頭の天辺まで走った。私たちは街に入ると必ず道に迷うので、出来得る限り街に入るのを避けたい、それで予定していたコモ市内通過して東へのルートを湖畔沿いに北上することにした。湖畔沿いに走るならルートを間違えることは無いだろうとの単純な考えです。

 ティラーノから鉄道のベルニナ線沿いに行くとボスキアーヴォ湖が出てくる。汽車から見ると氷河から流れ出る水が溜まった池がある。其処へ行きたかったのだけど線路は右岸、道路は左岸を通っているので行けなかった。登り切るとラーゴ・ビアンコ(白い湖)がある。初めてスイスに来たとき湖畔の駅オスピッツオ・ベルニナ駅でのんびり休んだことがある。鉱物が溶け込んでいるのか名前の通り白っぽい。 

 スイスからチロルへ行く途中イタリア領のリヴィーニョ湖を通る、トンネルがあり抜けると又スイスになっていた。ミュスタイア修道院を過ぎると又イタリアになり、レジア湖を越えるといよいよチロルだ。レジア湖はダム湖で湖から教会の尖塔が飛び出している。 

 パッツナウンタールはダム湖の堰堤の近くの宿に泊まった。ツアイニス川を堰き止めたダム湖でGoogle Mapで調べるとシュバイヒャー・コップスとなっている。さらに西へ進むとチロルの典型的な風景となり峠へ上るとヴェルムント・シュタウ湖というダム湖があった。この峠は冬季は閉鎖されるようだ。下の村へ行くとトラクター祭りがあるのか何百台という農業用トラクターが隊列を組んで走っている。宿にも一グループ泊っていた。見ていて楽しそうな集団だった。

 そこから向かったのはドイツ領のアイブゼー、ツークシュービッツの麓にある小さな湖で保養地となっている。ロープウェイから見ると色・形がきれいなので湖畔のホテルに泊まるつもりで行ったのだが生憎満室で泊れなかった。  
それで宿を探しながらヴァルヒェン湖畔をさまよい、そこにも泊まれずさらに先へ進みスルヴェン・シュタイン湖に近い林の中のホテルを探した。湖の名前は帰ってから調べました。

 地図で見るとシルヴェン・シュタイン湖は入り組んだ形をしている、チロルで有名なアヘンゼーの上流に位置している。今年のアヘンゼーは寒いのか人気が無かった。その夜はザルツカンマグートに泊まり翌日ツェルアムゼーを一周してドロミテへ行った。ツェルアムゼーは小さな湖で30分弱で廻った、どこの湖も保養地で観光客が多い。海の無いオーストリアだから湖の人気があるのか。

 ツェルアムゼーから南下せずグロースグロックナーの西側マトライへ向かう。リエンツ、ドビアーコのメインルートを通ればドロミテは近いけどカルスから西へ山越えした。高度はぐんぐん高くなるけど山も高くなるので谷間の風景は変わらない。開けたところに湖が見えてきた、オーストリアとイタリアの国境である。オーバー湖を見下ろす高台に記念碑とキリスト像がある。
イタリア側の道路は道幅が狭く毎正時から15間分だけ下ることができる、時間ごとの一方通行である。峠道を下るとアンテルセヴァ湖が出てきて行楽客が散策していた。

 ドロミテは多くの湖があるけど今回はミズリーナ湖で休んだだけ。スイスに入ってブリエンツ湖で遊覧船に乗った。車の旅なので遊覧船に乗るためにブリエンツからインターラーケンまで汽車で行き、遊覧船に乗って戻ってくるという面倒なことが起こる。振出し(車を置いた場所)に戻らねばならないのはドライブ旅行の悩みどころである。湖の遊覧にもっと時間をとってもよかった。

 谷に湖は付き物だと書いたけどトゥールマン谷では湖の記憶が無い。アンニヴェイ谷でも浄水場のような池は見たけど自然の湖はなかった。隣の谷(右俣)の最奥部にモワリー湖というダム湖があり行楽客で賑わっていた。谷の斜面に点在する村の風景は美しく遠くに雪山が見え隠れする様子と相俟って美しい景色となっている。。

 エレナ谷も同じで集落を縫うように走る道沿いに湖はなく奥の奥へ行くとダム湖があった。雨の日だったのでダムの堰堤の下まで行って引き返した。GoogleMapで見るとディ湖のようでロープウェイもあり、氷河までの距離も近いようだ。晴れていれば素晴らしい眺望だったであろう。その時はそういう場所とは知らなかったのでさほどザンネンに思わなかった、それで良かったのだ。

 シャモニーでは湖は丸っきり意識しなかった。チェルビニアでは雨のハイキングで湖のすぐ傍まで行ったのに全く見えなかった。翌日ロープウェイから見るとエメラルドグリーンにコバルトブルーの池がある、名前は分からない。
最後はマッジョーレ湖、帰りの便の都合でマルペンサ国際空港から1時間程度ということで選んだ場所です。湖の中に島があり有名な建物があり、そこを目的とする観光ツアーもあるような湖だった。旅行最後の夜をミラノの安宿にせず此処にしたのはマチガイではなかった。
 
 図らずも数多くの湖廻りもした旅行だった。行った湖を調べてみました。旅の一コマひとコマを思い出しながら楽しめました。

レンタカー

2011年09月10日 11時42分15秒 |  チェルヴィーノ
アルプス旅行が3回目になったときドロミテを見たくなった。調べるとドロミテは汽車路線はなくバスしか走っていない。その上本数が少なく接続も悪いのでスイスのように汽車とポストバスを組み合わせた旅程が立てにくいことが分かった。それでレンタカーを借りることにした。
 運転免許を取って1975年までオキナワは左ハンドルの右側通行だったので”昔取った杵柄”というところ。こういう点ではウチナーンチュはアメリカ統治下で良い経験をしたものである。

 レンタカーを運転するには国際免許証が必要だが写真一葉とパスポートを持って行けば30分ほどで取得できる。費用も2千数百円と安い、ただ国際免許証の有効期間が1年しかないのは短すぎる、私は今年で3回申請したけどせめて運転免許証の有効期間まで延長してもらいものだ。

 車の手配は直接現地のレンタカー会社とインターネットでやり取りする方法や国内の手配会社を通す方法もある。また現地の事務所に直接出向いて借りる方法もある。私が初めて借りたときは手配会社とやり取りしていたが、最終確認が取れないまま出発したためザルツブルグの駅前営業所で直接交渉した。このような場合に注意すべき点は土・日は閉店する場合もあるので日程に支障が出かねない。あの時インスブルックで返却したが日曜は休みなのでキーを郵便口から投げ入れるように指示された。空港営業は年中無休のようだけど街では休むので気を付けたほうがいい。

 インターネットで国内の手配業者に頼むのが簡単だが、保険のサービスで融通が利かない感じがした。通常の契約では事故を起こした場合に免責金額が3万円とかの条件が付いている。全額保険で面倒を見てもらう場合の費用について問い合わせしても無しの礫だった。借りるとき免責金額無しにしたが追加保険料と税金で475ユーロ支払った。
それと運転する人は二人で申し込んだつもりだったが、現地(ミラノ・マルペンサ空港)の営業所で1日7ユーロの追加が必要と言われた、去年は何も言われなかったのに。乗り捨て料金は確か70ユーロなので国内に比べて安いようです。旅程に合わせて乗り捨てを考えてもさほど負担にならない。

 小さいことのようだが契約時(国内の手配会社に振り込む前)に確認した方がいい。現地では言葉の壁が厚くて伝えたいことが伝わらない。結局先方に言い負かされてしまう。
それと返却時間だが、レンタカーは24時間を1日と計算するので借りた時間までに返却するのが原則である。今回空港に着いたのが午前7時で帰りは午後の便であった。それで朝早く返却して空港で時間潰しするよりホテルをゆっくり出たほうがいいので返却時間を2時間サービスするように頼んだ。しかしダメ、1日分の追加が発生するとのこと。もしかして契約時ならその程度の融通はしてもらえそうだが、どうなんでしょう。

 運転するときの注意はまず当たり前のことですがアチラでは右側通行です。若いころは右側を走っていたけど'75年に左側通行に変更され今では感覚が左になっている。この習慣・感覚がクセモノでアチラでも無意識に左側通行になってしまう。意識するとこんがらがってくる、厄介だがこれは気を付ける以外に対処法は無い。左折する場合やバックから前進に変わるとき考えに考えて反対車線に入ることもしばしばあった。慣れるまでは助手席と後部座席に助手(?)がいるので喚かれっぱなしだった。

 スピードは日本の比でなくやたらと速い。アウトバーンの120Km/hは分かるとしても、田舎道の歩車道ば分離していない道路でも80Kmで吹っ飛ばしている。後ろに行列ができていても追い越させるための路肩が無い道が多い。直線道路になるとどんどん追い抜いて行く、私は80Kmで走っているので遅いつもりは無いけど後続のドライバーはイライラするのだろう。小さな日の丸をリアウィンドーに貼り付けて不案内の観光客であるとの表示をしたいほどだ。毎年忘れているけど。
こちらが譲っているのだが追い越されてはかりでは面白くない、しかしそれ以上のスピードを出す勇気もない。同乗者の目や口もある事なので、追い抜いて行く車はベンツだから、BMBだからしょうがないと諦める。こちらの車も一応ヨーロッパ車だけど。(笑)

 レンタカーは殆どがマニアル車です。オートマチック車が欲しければ前もって注文した方がいいでしょう。私はマニアル車で充分でした。走っていて感じたことは信号機が無いことです。交差点の殆どがロータリーになっている。コツさえ掴めば信号機と違いイライラして待つことが無いので便利です。ルートを間違えても信号機の場合はUターンできない、しかしロータリーの場合はもう一回りするとか、次のロータリーでUターンすればいい。ロータリーでは内側を走っている車が優先で、外回り内回りの2車線のところもあるので内回りの車に気を付けることです。
 
 レンタカー会社には地図がありません、営業所付近の地図さえない。ウィーンでのこと、メトロで営業所へ行き車を借りてホテルに戻ろうとした。ところが地図がなくて往生したことがある。所員に道を尋ねたのですが、離れ過ぎていたのか途中で誰かに聞けと言われた。サービスはその程度です、また同行者は小さな車なら3名まででしょう。トランクもしくは荷物を置くスペースに90リットルのスーツケースが3個しか置けません。後部座席には手持ちのバッグ、飲み物、カメラ等の小物を置く場所も必要です。人数と車種は気を付けるべき点です。
思いつくままの書きなぐりです、まだあったら後日書き足します。

旅全体の印象

2011年09月07日 11時01分47秒 |  チェルヴィーノ
 2011年のアルプスの旅を振り返ってみると淡々と行われたという印象がする。氷河や谷に峠それに有名な観光地などを日数をかけて廻った。たとえばハイジの里、ザルツカンマグートの氷の洞窟、フルカ峠、ブリエンツ湖遊覧などツアーではなかなか組まないようなところへも行った。それなのに全体が平板に流れてしまったように感じる。旅のスポンサーであるお二人(妻と義妹)も口に出していた。何故だろう。

 何が足りなかったのか。毎日200Kmほど車で走り、ツアーはもとより個人旅行でもなかなか行けないところを廻ってきた。山と谷が織りなす景色はその地方独特の形となり見る人を感動させる。これがチロルだ~、これこそドロミテの風景だ、氷河と雪を背に聳える山々にさすがスイスは違うなど行く先々の景色は良かった。毎日違う場所で景色の変化を楽しんだ。しかしそれでも全体を振り返るとインパクトに欠けている。3000m級の山脈が連なるだけで四五千メートル級の山が無い風景というところだったのか。

 そのように感じる旅になった最大の原因は雄大な山に身近に接しなかった所為だと思われる。昨年チロルの三か所の谷へ行ったがどちらもロープウェイで上まで行き間近に雪山を仰ぎ見た。今年はそれが無かった、谷を詰めてもロープウェイは無く尾根越しに雪山を見るというパターンが多かった。スイスで最大の見どころマッターホルンを近くから眺めなかった。Vispフィスプの近くまで行ったのだからシュワルツゼーかゴルナグラードに泊まるべきだったかもしれない。スイスでマッターホルンは外したらいけなかった。画竜点睛を欠くとはこのことだろう。 

 マッターホルンを旅の目的から外したことは無い。近くからは何度も見ているのでスイスでは周囲から見ようと谷の最奥部から裏側を見たり、ゲンミ峠までも行った。更にわざわざイタリア側から見るためにチェルビニアに2泊も割いた。それなのにチェルマットを外したために旅全体に物足りなさを感じることになってしまった。
大きな反省事項です。

 PCのスクリーンセーバーは今年のアルプス風景にしてある。行った先々の写真がスライドショーで出てくる、仕事の画面を消して写真に見入ることもしばしばある。何処も彼処も文句無く美しい景色である。あまりの美しさに車を止めて写した名前の知らない村、そのような場所はチロルにあり、ドロミテにもありスイスにも当然あった。それなのにマッターホルンを外したために全体が霞んでしまった印象を与えたのは少々ザンネンである。

 バイキング料理で美味しく好きなものを腹いっぱい食べてフルコースとは違う満足感を覚えるも、ふと考えるとバイキングにはメインがない。あれもこれもそれなりに美味しかったのにメインがあるフルコースが良かったかなと感じるような贅沢な不満・考えである。

ストレーザ

2011年09月03日 20時46分04秒 |  チェルヴィーノ
7月19日 火 21日目
 起きたのは6時だったけど7時には出発した。早すぎて食事をとれない、しかしナイト担当のマネージャーがコーヒーを入れてくれた。街を山手の方へ走り湖を見下ろしながらお別れした。今年の旅行は意識していたわけでは無いが湖に始まり湖で終わった。初日にコモ湖畔の西側を南から北の端まで走ったのを皮切りにイシュグルのダム湖、アイブゼー、ドイツのシルヴェン・シュタクィン湖その他アヘンゼーなど数多くの湖のほとりを走らせた。最後もマッジョレー湖で旅を締めくくった。湖に縁のある旅でした。

 有料道路に出たあとは空港の案内板が出てくるまで進めばいい。案内板に都市名と距離が表示されていて空港も出てくるようになったので気を付けていた。トラックが走っている急ぐ必要もないけど上り坂になったので追越したその時、空港への道案内と道が見えた、スピードが出ているので分岐点を過ぎた路肩に止めた。さあどうしよう数十メートルだから逆走しようと決めてソロソロとバックした。朝早いので交通量が少ないのが助かる。無事分かれ道まで行った。

 高速道路を降りてからが長かった、街を越え村を越えずいぶん走ったところで見覚えのある空港入り口まできた。第1ターミナルにあるレンタカー専用駐車場へ行こうとするが行ききれない。空港敷地は一方通行なので元に戻って初めからやり直しをするも又もや失敗、そこで乗降客用のパーキングに止めてHertzの事務所へ行き返却するための駐車場への生き方を教えてもらう。
それでも2周してようやく返却することができた。インスブルックでレンタカーを返した時は微にいり細にいり検査してちょっとしたキズも指摘されたけど、ここミラノでは燃料を見ただけで車体のチェックはしない。少々拍子抜けする。
時間オーバーすると1日分の延長となると言われたので時間内に返せてよかった。そのために空港から1時間以内という条件で風光明媚な保養地ストレーザを選んだのは正解だった。わずか一晩、それも夕方着いて早朝出発という短い滞在だがストレーザの良さが伝わってきた。次行くことがあれば島巡りの観光をしよう。
 
 空港の店で調達した朝ご飯を食べる。はい! 名残のビールも飲みました。無人のチェックインカウンターでスーツケースの計量を行い20Kg以内にした。最近この重量制限が厳しくなっている。
早めにチェックインしても安売りチケットは中央席が指定されているようだ。11:30のタイ航空でバンコク向けに出発した。ミラノ便でのアルプス旅行は初めてだが悪くない。それに早朝現地に着くのも悪くない。案じていた時差ボケは深夜のフライトなので寝ることができるので、昼間の便でず~っと太陽の下を飛びその日の夕方に現地着というより疲れを感じない気がする。

 バンコクに早朝の6時過ぎに着く、関空へ発つまでまで5時間あるが空港の待合ロビーが行きと違ったのかあの食堂が見当たらずマッサージも無い。退屈したそれに関空まで5時間半のフライトも長い。乗り継ぎ空港までの距離も考えて航空会社を選ぶ必要がある。
楽しい事や反省点などいろいろありました、でも旅は楽しいものです。これからも思いついたことを書きます。





走行距離 4138~4197Kmまで

6:00 起床 ロビーにてコーヒー
7:00 スタート
7:20 街を抜け有料道路入口
7:35 有料道路出る
7:55 マルペンサ空港着 レンタカーの駐車場入り口を探し
8:25 車を返却
9:30 空港内の待合で朝食
11:30 カウンターにてチェックイン
14:40 バンコク向け発
16:45 食事 魚を選ぶ
23:30 食事 オムレツ
1:15 タイ時間の6:15 バンコク着
11:00 バンコク発
16:37 関空着

チェルヴィニアからマッジョレー湖へ

2011年09月02日 10時54分56秒 |  チェルヴィーノ
7月18日 月 20日目
 夜中目が覚めたとき今日は晴れることを確信する。7時過ぎにはホテルを出てロープウェイ乗場に向かう。ロープウェイから昨日雨の中歩いたルートがよく見える。小さな湖が幾つかありグリーンやブルーの色が綺麗だ。
3本のロープウェイやを乗り継いで頂上駅へ行く。セルビーノは目の前にあり少しずる形が変わっていく、5分、10分、6分の滞空時間だが乗り継ぎ時間などがあり頂上駅に着いたのは8時前になっていた。

 上に行くにつれ夏スキーを楽しむスキーヤーが多くなってきた。3本目のゴンドラは150人乗りの大型であるシーズンにはスキーヤーで更にいっぱいになるだろう。降りるとスキーを着けるのももどかしげに滑り降りて行く。氷河の谷向こうには小さくクライネ・マッターホルンが見える。クライネ・マッターホルンからイタリア側を見たときはなだらかな雪の原に見えたけどここイタリア側から見ると傾斜の強い大雪原で、さらに急斜面を滑り降りてこの展望台に来ることになる。

 クライネ・マッターホルンから見るマッターホルンは三角錐の横に屋根型に張り出したものがコブに見えて美しさを半減させている。しかしイタリア側はそのコブが正面になるのか岩の塊となる。セルビーノは荒削りの岩の塊のように見え荒々しく聳えている。これまで遠くから又近くからマッターホルンを眺めてきたが今回南側からも見たので東西南北の四周から見たことになる。
左手にモンテ・ビアンカが見える、真っ白な雪に包まれた山頂は周囲の山々より神々しく見えるのですぐ分かった。エギュー・ド・ミディから見たマッターホルンよりもチェルビニアから見るモンブランが大きいし目立つ。

 セルビーノに少しでも近づこうと展望台まで行くが周りは高い金網で囲まれている。写真を写そうとしても金網が邪魔になる。セルビーノを見るために登ってくる人には不親切だ。スキーヤーを相手にすればいいという考えなのか。私は金網の上までよじ登って写真を撮った。ロープウェイの係員もどちらかといえば不親切だ、目の前で2回ロープウェイに乗り損ねた。これがイタリア人気質ならしょうがない。

 山頂レストランでコーヒーを飲むことなく50分ほどの滞在で下山する。下山中のロープウェイは機器の具合が悪いのか何回か空中に停止した。ここはイタリアだ焦らずに風景を楽しむことにした。9:35にホテルに戻ったら朝食に間に合った。イタリア側からのセルビーノ=マッターホルンを十分堪能したところでこの旅は終わった。あとは帰途へ。

 10:25スタートする、明日9時にはミラノ空港に着きたいので今日は空港まで1時間圏内に泊まりたい。出発前から目ぼしい所を物色しマッジョレー湖畔にしようと考えていた。それでストレーザを目指した。
高速道路や大きな一般道を利用するなら200Km、3時間弱で行ける距離である。しかしハイウェイに並行している田舎道をのんびり通ることにした。地図といえば30万分の一のスイス地図の隅に切れ切れに描かれているのと、ガイドブック(地球の歩き方)に載っている概念図だけ。とても分かりにくかった。イザとなれば高速に乗ればいいと考えていたが高速道路ははるか南側を通っているので其処まで行くのがタイヘンだ。今回はコンパスを忘れたので太陽の位置で方角を判断し「大まかに言えば東北方面へ進めばOKだ。」とアバウトに車を走らせた。

 2時過ぎにレストランに入る、田舎にしてはデザインが凝っている。中にするか外のベンチにするかと問われたので中で食べたいと答えた。するとお通しのようなものが出て別料金を取られた。外ならこのお通しは無かったかもしれない。美味しかったが量が少ないので高いものになった。スパゲッティ・ボンゴレを注文したら貝の量ものすごく多い、貝の隙間に麺が隠れている。日本なら3・4人分の貝の量だろう。
更に1時間走りようやくマッジョレー湖畔のアローナに着いた、これで一安心ストレーザまで道に迷うことが無くなった。湖沿いに30分走りストレーザに着いた。通りに面した建物は四つ・五つ星ホテルなので適当な宿を探して街はずれまで行き引き返した。給油していると宿の看板が見えたので其処へ行く。湖から通り一つ入ったところにあり桟橋やロープウェイ乗場は目の前という便利な場所だ。

 湖には島が浮かびその島に邸宅とか教会があり有名な観光地で島巡りの観光船が出ている。島巡りをするために訪れる人が大勢いる、私たちは気分的に旅は終わっているので観光しようという意欲が湧かなかった、街を一回りしただけ。ホテルのカウンター嬢は郷土料理の安くて美味しい店を紹介してくれた。ここ以外はダメだと念の入れようだったが、例のごとく生ハムやチーズ、ビール・ワインなどを買い込んで部屋で済ませた。 

 朝7時に出発したいので支払いも済ませた。ナイト担当者にお願いしたら朝食は無理だけどコーヒーをサービスしてくれるかも・・・とは例の女性の言葉。
長い旅の最後夜は静かに暗くなった。

 本日の走行距離走行距離 199Km

6:00 起床
7:10 ロープウェイ乗り場
7:25 乗る 5分
7:40ゴンドラに乗り換え 10分
7:50 三番目のロープウェイに乗る 6分
8:50 下山開始
9:30 街の駅着
9:35 ホテルにて朝食
10:25 ホテルをチェックアウトしてスタート 3939Km
11:55 ドンナス通過
12:45 ヴェラローネ通過
13:10 ビエラに入る
14:15 レストランにて昼食
15:00 発
15:25 アローナの街に入る 湖畔沿いに走る
15:45 ストレイザに入る
15:55 給油 28.16リットル 4138Km
16:07 チェックイン
    街を散策
18:30 ホテル帰着
    部屋で夕食
21:00 就寝

チェルビーノ

2011年09月01日 09時37分12秒 |  チェルヴィーノ
7月17日 日 19日目
 夜中に目が覚めて外を見るとチェルビーノが見える、寒いのを我慢してベランダの端まで行って見た。寝なおしてから又外を見ると予報通りの雨となっていた。朝食後雨の中を散歩に行く。上の方に湖があるので其処まで行くつもりだ、宿のご主人は美しい湖だと言うていた。雨でもわずかな時間でも現れるのではないかと淡い期待を持って出発した。

湖の名前を調べようとGoogleMapを見たら、ブレウィル チェルヴィナイア(BreuilCervinia) と表記されている。これまでこの街をチェルビニアと書いてきた。しかしチェルヴィナイアで検索しても出てこず、チェルビニアなら多数ヒットします。イタリア発音とローマ字読みの違いでしょうか。以前グロスグロックナーのときも同じことを書いたが一文字違っただけでヒット数に差が出る、発音表記は難しいです。

 ダム湖へ行くコースは幾つかあるようだが雨が降っているので林の中に入らず広い道を歩く。ハイキングコースというより車両用の道路で牧場やダム湖の管理などに使っているようだ。周囲は牧場で道を横断するように牛止めの電線(?)が設置されている箇所もある。
牧場の中を歩るくと花が咲いている、雨降りのハイキングはお花見物が主になる。シャモニーでも雨のお花見ハイクをした。
先を行く若い男女のペアが指差して”マーモット”というけど見つけきれなかった。雨は降り続けるが足場はそれほど悪くない、しかしは視界は全くダメで現在位置が分からない、地図も持っていないので湖が何処にあるかも分からない。倉庫のような建物を見つけたが軒が無く雨宿りできない。時間も12時を回っているので引き返すことにした。翌日ロープウェイから見ると、その建物はダム湖直ぐ脇に建っていた。気付かなかっただけで一応湖までハイキングしたのだった。

 ホテルに戻るとゴーカートの大会はまだ続いていた。車輪の音とスピーカーからの大音響は雨の沈滞ムードを吹き飛ばすように元気いっぱいだ。最終コーナーが見えるところまで行って観戦した。コーナリングが勝敗を決めるようだ。それにしても公道を遮断し遊びの大会が開けるなんてヨーロッパ人はある面大らかだ。上の方はホテルとか住宅があるけどそこの住人はどうしているのか、迂回道路があるのかな。

 部屋で濡れた雨具と靴を乾かす、備え付けのドライヤーを活用した。靴も履けないので外へ出られないので昼寝する。旅行中に昼寝するのは初めてだ。夕方買い物に出る、スーパーの場所を聞くと”100mも行けばある。”と言う。ホテルからは3階からはいる形になり、複合ビルで観光案内所や交番も閉まっている、冬場になればオープンするだろう。スーパーの品揃えも悪く陳列スペースの一角が閉じられているのを見てシーズンオフだと実感する。
生ハムやワインを買い、小分けして販売しているピザ屋があるのであれこれと味が違うのを買った。一人前ずつ小分け販売するピザ屋は便利だ、ピザのジャーストフード店というところ。

 夕食はピザと生ハムで済ます。旅もいよいよ終盤になり今日を含めて残り2泊となった。明日は9時にはレンタカーを返却せねばならないのでミラノ空港近くに泊まる予定なので今夜が実質的な最終日ともいえる。セルビーノはどうなる・・・と案じていると雨は上がり夕焼けになった。雲は流れているものの頂上まで見えてきた。直ぐそこに聳えている、街から近い、チェルビニアはマッターホルンを見るにはチェルマットよりいい。街の何処からでも見えそうだし近かいので迫力がある。稜線沿いに西側に目を転ずれば氷河が迫ってくる。氷河から流れ出る水は滝となって落ちてくる。チェルビニアはいいところだ。
これで今回の旅の有終の美が飾ざれる。

6:10 起床 チェルビーノが見える
8:10 寝直しからの目覚め
8:30 朝食
10:15 雨の中ハイキングへ
12:10 ダム湖の近くで引き返す
13:10 ホテル前 ゴーカートの試合を見る
13:30 ホテルに入る 昼寝
18:00 スーパーで買い物
19:45 部屋で夕食 ピザ ワイン
21:00 雨が上がり夕焼け チェルビーノがくっきり
21:30 就寝

チェルヴィーノ

2011年08月31日 10時14分16秒 |  チェルヴィーノ
7月16日 土 18日目
 旅も余すところ3泊となった、目的の先輩方に会えたのでこれからの日程はいよいよ帰途ということになる。その前にモンブランにお別れしようと又もや早起きしてエギュー・ド・ミディに上った。モンブラン・マルチパスを購入してあったので又もや登ろうという気になったのです。マルチパスは便利なものでバスはもとより周辺の登山電車やロープウェイがフリーになる。3ユーロはデポジット料金だったので最後にカードを返せば返却されただろうに忘れていた。3人分で9ユーロ勿体ない事をした。

 ゴンドラはやはりクライマーですし詰め状態であった。彼らはエレベーターから降りると時間を惜しむように登攀の準備を始める、ザイルを出しアイゼンを着け・・・トンネルの先は氷窟でその外は銀世界、目の前はグランドジュラスで雪の原や稜線にはザイルを結んだ色とりどりの人が行列を作っている。邪魔になるだろうと思いつつも写真を撮った。

1時間ほどの滞在でモンブランの”名残の拝見”を済ませホテルに戻る。朝食の時間には悠々間に合った。荷物の整理をしてチェックアウトし10:30にスタートした。今日のいく先はイタリアのチェルビニアである、そこでチェルビーノ=マッターホルンを見るのが目的です。モンブラントンネルで直接イタリアへ抜けるルートもあるがトンネルでは風景が楽しめない。それで一旦マルティニへ戻って峠越えをする、峠は犬で有名なセント・バーナード峠です。

 見慣れたラ・プラやアルゼンチーノを過ぎ山道を登り始めて後ろを振り返るとドリュが見事な形を見せている。針峰群にさよならを言い国境を通過マルティニへ下ると例のアプリコットのおばちゃんがいた。1Kg買ってあのBMBのスポーツカーを写真に撮る。今日は愛想がよかった。
シャモニーから1時間でマルティニに着き、さらに40分でグラン・サン・ベルナール峠の入り口までき来た。ところが峠への案内板に気付いた時のスピードは時速100Kmなので通り過ぎてしまった。この道路を逆走するのは危険だ、止む無くバイパスのトンネルに入った。けっこう長いトンネルで途中にスイスとイタリアの国境があった。トンネルを出ても下り坂は延々と続くので適当に車を止めてランチにした。下り切ればアオスタである。

 一般道路を走るつもりだったけどいつの間にか有料道路に入っている。チェルビニアへの分岐点と思われるインターで降りようとしたが、ガソリンスタンドに入り込み、其処抜け出るのに逆進するなどしてモタモタする。その様子を見ていたのかパトカーが青赤のライトを点滅ささて追いかけてきた。マズイと思ったけど「チェルビニアへはどう行くの?」と聞く。私たちを見て外国人なので”イタリア語、英語、フランス語、ドイツ語どちらで話そうか?”「英語が少々話せる。」
それで説明を受けるがさっぱり分からない。紙に書いてもらうも分かりづらい。お巡りさんは諦めて”付いて来い!”パトカーに先導されまず料金徴収所で料金を払い街の方へ行く。信号機を左折する、そういえばトラフィックサインとかなんとか言うていた。街は一方通行のようで石畳の道の両側に並ぶ家は古くて立派だ、昔からの古い街だろう。家の間の道を曲がり街並みが途切れトンネルが出てくる、このトンネルの話もしていた。もう大丈夫と思ったのかスーパーの駐車場にパトカーが止まった。深くお礼を言うて記念撮影までして別れた。”まっすぐ行けばチェルビーノに着く。脇道に入るな。”との注意を受ける。(全て英語での会話なので意訳してあります。)

 途中にはダム湖があったりロープウェイが架かっている山もある。この地域は保養地となっているのだろう。30分ほど走るとチェルビニアに着いた。宿を探すために街の上に行くが営業していそうな建物が見当たらない。反対側の斜面にあるロープウェイ乗場へ行く、この時間では頂上まで行けないとのこと、ある程度予期していた答えである。乗場と時間を確認したかっただけです。
乗場のすぐ下にレストランとホテルの建物があるので入った。
人のよさそうなオジさんマスターで、何かを聞くと”問題ない”場所を尋ねると”100m行けばある”と答える。

 宿の通りからガラガラ。ゴロゴロと音が聞こえる、公道を封鎖し大きな音を立てながらゴーカートが走ってくる。明日大会があり練習をしている、エンジン無しの二人乗りでボブスレーの陸上版というところ。鉄車輪なので音が大きい、クラブチームなのかトラックに2・3台乗せてやってくる。大の大人だけでなく親子のチームある、この競技は盛んに行われているようだ。観戦している人にはドイツから来た人もいた、私もファンに見えただろうか。
 翌日は雨の中大会が行われ、スピーカーでメンバー紹介やら実況報告がなされお祭りムードを盛り上げていた。

 夕食は街の契約レストランで10ユーロで食べられるというので出かけた。雰囲気のいい店でビールを飲みスパゲッティ―を食べた。シーズンオフで人通りは少ない。建物越しに山が見えた引っ掛かりを感じて尋ねると晴れたらチェルビーノが見えるとのこと、あれは絶対チェルビーノだと確信する。ホテルのベランダからはガスの切れ目に顔を出すのが見えた。明日の天気は悪いとのこと。

 ホテルの便器が高すぎる、足が地に着かない。こんなことは初めてだ、足が地に着かないということは尻を思うように拭けないということである。とても苦労した、悪戦苦闘し解決法を見つけた、その方法とは一旦床に降りて尻を拭くしかないということです。孫たちに尻拭きの練習をさせるために「自分で拭け」と言うたことがマチガイであることを知りました。 


 本日の走行距離 176Km

5:30 起床
6:00 Hotelスタート
6:40 エギュードミディ行きのケーブルに乗る
7:00 エギュー着
8:00 下山
8:30 ホテルにて朝食
10:30 ホテル発 チェルビーニへ
11:00 コルデモンテス通過
11:05 国境通過
11:25 アプリコット売りのおばちゃん
11:35 マーティニー
12:15 トンネル 有料道路通過 (セントバナード峠への道を外れ)
12:15 国境通過 トンネルの中
12:30 トンネルを抜け出る
12:45 アオスタ手前で昼食
13:10 スタート
13:37 出口とスタンドを間違え戸惑う パトーカーに止められる
13:50 パトカーの先導で○○町を抜け出る
14:25 チェルビニア着
14:45 ロープウェイ乗り場
15:00 ホテル チェックイン
    ゴーカート 練習風景
17:00 街を散策 お土産買う
18:00 街のレストランで夕食
20:00 ゴーカートの練習は続く 就寝