どこ吹く風

旅のことを主に書く。

朝市

2007年03月26日 08時59分07秒 | 能登
 輪島に着いたのは10時過ぎだった、バスを降りて市場の方へ向かう。全国的に有名な朝市なので既に観光バスが到着している、ナンバープレートやバス会社の名前を見ると各地から来ているのが分かる。

 蟹やアワビにサカナを売る出店が並んでいる、どれもこれも美味しそう。この時期蟹は主力商品なのだろうお腹を晒している。普段は目にすることも無いナマコにアワビも高級品という感じはしない、板の上に置いてある。ナマコもアワビもオキナワでは獲れないので口にするチャンスは滅多に無い。無造作とも思える陳列が如何にも朝市という雰囲気だ。調理されたら高級料理だが素材事態はタダの魚介類ということかな。この旅でコノワタも久しぶりに味わいました、日本酒に合う。アワビも柔らかく美味しい。

 干物も多い、我が島は海に囲まれているがサカナは少ないのです。大衆魚というのが無い。近海はプランクトンが少ないのでしょう。サカナは高い、肉が安いので普段の食卓にサカナが出るのは少ない。週に1食も出ないと思う。サカナはご馳走の部類に入る。
娘が嫁いだ家が離島の出身で今でも年の半分島で暮らしているのでサカナを貰うことが多くなった。1匹丸ごとくるので捌きサシミからお汁まで美味しくいただいている。

 蟹を買ったらサカナをオマケに付けてもらった。また干物も買った。帰ってから蟹にサカナ干物を食べ続けた。蟹はワケあり商品で脚が1本足りないのを安くするというので買ったのです。数多い足の1本が抜けていても気付きません。
以前北海道で買ったとき生のまま送ってもらい家で茹でる手間ヒマを要したので、輪島では茹でて送ってもらった。サシミで食べるにワケでなし早めに茹でた方が美味しく食べられると思う。オマケの甘エビはそのまま生でたべたけど。

 能登の海の幸を食べながらエジプトから能登までの楽しい想い出を家族に話しました。蟹を頬張る時に思うのは悪戦苦闘して身を取り出さずに誰かが取り出したのを口にしたほうがいいな~
あの苦労があるから美味しいのかな。

ところで輪島付近で大地震が発生し甚大な被害が出ている模様です。つい先日訪れた場所だけにテレビ画面を見るのも他の地震報道を見たときよりも身近に感じています。七尾、輪島と記憶に新しい地名が出てきました。被災者が元気を取り戻し被災地域が早めに復興する事を祈ります。

和倉竈

2007年03月23日 07時57分39秒 | 能登
 わくら温泉へ行くと聞いたとき”わくら”という地名か語句を聞いたことがあるような気がした。さくらー佐倉ー佐倉宗五郎は千葉の方か。和倉は何で聞いたことがあるのだろうか・・・

 佐倉宗五郎は子供の頃見た映画の主人公で、嵐寛十郎が主演していて悪政と戦う庄屋で、一族郎党はりつけ打ち首になった人で本名は木内惣五郎といい今でも祀られている。
さて和倉は・・

 和倉温泉から出発し能登の朝市をメインに金沢終着の観光バスに乗った。道々歴史や産物の紹介があるが、何かの説明の中で”珪藻土”という言葉が出た。そこでふと思い当たったのが”和倉竈”だった。

 子供の頃台所はカマドがあり薪を燃やしていた、その薪はヤンバルから車に満載して売りに来るのを買っていた。オガクズも燃やしていた、オガクズは上手い具合に形作らねば燃えない。母がアン餅とか飴玉作っていたので砂糖を溶かしたり大豆を煮たりするのに火が必要だった。
オガクズを燃やすにはまず棒を中心に立ててその棒に突き当ててもう1本の棒を寝かして置く。それからオガクズを円錐形に積んでいく。積みあがったら2本の棒を引き抜くとトンネルと煙突の出来上がり。トンネルの入口に火をつけると少しずつトンネル内部から燃えていく、燃えたところは落ちるので新しいクズに火が燃え移る、その連続で火が広がり全部がゆっくり燃えていく。この方法と取らねばオガクズを燃料として利用できない。

 その後和倉竈が我が家に来た。薄いピンク色で上のほうに薄板の鉄製バンドが巻かれていた。熱効率が良いので食事用は和倉カマドでするようになったが、シンメーナービ(大きなナベ)は相変わらず前のを使った。
和倉カマドを使いはじめて数年後石油コンロが流行った。カマドより手軽なので石油に移った。あのカマドはどうなったのだろうか。

 和倉は和倉カマドの和倉ですか、とガイドさんに聞いたが怪訝な顔をしていたが、カマドの産地でもあったと思い出した。今ではもうカマドを作っていないだろう。細々と需要はあるのかな。

和倉という地名を聞いても温泉は浮かばずにマイナーなカマドを思い出す人は少ないだろう。敗戦直後のオキナワまでその名を馳せたのだからせめて和倉カマドの名前だけでも伝えたら如何でしょうか。

写真は珍しい海岸道路です。海岸というよりも海辺の砂浜道路です。波打ち際近くの砂浜を10Kmほど走れます。

バスガイド

2007年03月20日 07時08分53秒 | 能登
 石川県のバスガイドはオモシロイ人がいる。
断定的に書いたが石川県の観光バスに乗ったのはたった2回ないのに二人のバスガイドさんはベテランで斜めに構えた口調が印象に残った。

 観光バスなんて滅多に乗らないので各地のガイドはそれなりに面白いのだろう。そういえば昔々の若い頃マスコミ関係者をある施設に招待する企画に紛れ込んだことがある。友人がその企画を担当したので席も余っていることだし一緒に行こうと誘われたのだ。
カデナ飛行場付近に来た時バスガイドが

 ♪ 黒い殺人機が今日も~
     ベトナムの友を撃ちに行く
   世界を繋ぐこの空を
     再びイクサで 穢すまい~ ♪

と歌いだした。乗客のマスコミ関係者、特にヤマトからの特派員の皆さんは”観光バスでこのような歌を披露しても良いものか!”とザワめいていた。
カデナからは毎日真っ黒に塗られたB52機が三機編隊で幾組みも飛び立ったものだ。腹いっぱい爆弾を積んだB52が轟音と共に飛び立ち、またエンジン整備で轟音を出す、このような状況に置かれていたのを表現した歌だった。

ある面から見ると観光には相応しくないだろうが、その地の生活を見るのも観光の一つならその内容の歌を観光バスガイドが歌ってもいいだろう。

 一昨年黒部アルペンルートへ行った時、小松空港からすぐ立山に向かった。するとガイドさんが「皆さん方のツアーを石川県知事が知ったらきっと怒るでしょう、素晴らしい石川県を素通りして隣の県へ向かうなんて。」と笑わせ、白川郷では郷土名物の餅かダンゴを紹介する時「美味しいというものではありません、雪に閉ざされた田舎の家で楽しみの一つとして食べられたものです。頬っぺた落ちるほど美味しいワケではありませんが、まあこんなものかと思って味見してください。」とかチョット捻った言い方がおかしかった。

 能登観光のバスガイドも多分にそういう感じで、ズバズバずけずけモノを言うタイプだった。「皇族が観光する際の案内役もしましたが、何もしゃべらなくても良いと言われて何のために乗車しているのか分からない。乗り降りの際のお辞儀だけで日当を貰うようなもので、タウンミーティングのエレベーター係のボタン一押しウン万円と同じ。」なんて内幕話で笑わせていた。

 ガイドさんは他所からお見えになった方々と直接接するのである面その地を代表する人でもある。会社からのマニュアルを基本に自分を出しながらその地を的確に紹介する役目を担っている。

年月を要する仕事だろうけどその地と個人が上手くかみ合って表現・紹介してもらいたい。石川県のガイドさんは斜めからずけずけモノを言うているのにイヤミが無くて面白く聞けた。良かったですよ

和倉温泉

2007年03月19日 09時57分31秒 | 能登
 能登半島の中ほどは海岸線が大きく抉れた湾になっている、そこには島が点在して半島との間は内海となっている。和倉温泉は海岸線に位置し対岸の島々や岬に囲まれて眺めもいい。源泉は海の中に在ったらしいが明治の頃埋め立てて温泉宿が並ぶようになった。

 宿は加賀屋という有名な旅館らしい、ロビーには皇族の方々の写真が飾られていた。琴の音が聞こえてきた、能舞台のようなところで演奏している。100席ほどのソファーがあるラウンジに面した舞台はショーにも使うのだろう。館内にはその他にも舞台があり、今夜は宝塚レビューとラテンの演奏があるようだ。

 担当の仲居さんが部屋まで案内する、10何階かの海に面した部屋で三部屋もある、ひと部屋は荷物を置くとしてもう一つの部屋何に使うのか、イビキがヒドイ人の隔離部屋か。(笑)
 和倉温泉については全く知らなかった、有名な温泉地なんだ。しかもここ加賀屋は全国的に有名な宿ということなので帰ってからホテル関係者に聞いたら直ぐ分かった。”プロが選ぶ全国のホテル・旅館100選”で連続1位の座を続けているという。何も知らなかったがその道では有名なんだ~。

 ツアーはホテルもパックになっているので自分の意向とは無関係にホテルが決まる。しかし自分でホテルを選ぶ場合は料金と交通の便ー主に料金だがーが規準になる。それで私にはホテルとか旅館のサービスとは何かを分かっていない。丁重なるサービスを受けた経験が無いに等しいので比較することも出来ない。
 加賀屋は造りもリッパで規模が大きい、宿泊料金によってランク分けされているだろうが仲居も一部屋一人付いている。夕食時に女将さんが挨拶に来た。その日は出張ということで専務が代理で来たけど女将さんの顔を直に見てみたかった。

 夕食も部屋に準備されて仲居さんが適宜手助けサービスをする。サービスには金が掛かる。このようなサービスを鷹揚に受け入れるか、自分でやるから安いほうが好いと言うかは考え方のも問題である。私は痛む懐の持ち合わせが無いのでそのような場所には無縁だが、今回は他人の褌で大名旅行しているのだからサービスとは斯くありなんとばかりに自然体を装っている。気持ちは若干萎縮しながらもサービスされる気分は良いものです。

 やってもらうサービスも素直に受け取れない私は少しヒネクレ者だ、育ちの所為かな。宝塚公演は入場料が必要なのと時間が合わなかったのでタダで聞けるメキシコのボーカルグループの歌声を聴いた。昔懐かしい曲だけだったので楽しく聴きり”クックルク~パロマ~”をリクエストした。ラ・パロマでは無いことを確認して歌いだした。カテリーナ バレンテを思わせる女性歌手は魅力的でした。

とても良いホテルで思い出に残るでしょう。

雨の兼六園

2007年03月16日 09時09分13秒 | 能登
 葦原温泉を出て汽車に乗る、汽車はいいものだ。車中で本日の予定を話し合う、月並みに市内観光と兼六園を見たいと言うも、市内は何処へ行きたいのかと問われてもガイドブックを捲って市場と・・何処でもいいです。
実はエジプトの下痢が未だ治まっていなかったのです。昨日もトイレの在りかを確認して観光していた。車中でも2回トイレを使った。汽車のトイレはエジプトのそれより清潔感があり使いやすいです。

 この旅行は義弟が会社でよく使っていたJTBで手配した家族ツアーで、いろいろな特典が付いている。駅前ホテルでの荷物預かりサービスもそうなので利用する、その上そのラウンジで珈琲サービス券も付いているのでご馳走になった。

 雨模様なのでTAXIでチョコッと見て周り兼六園に行った。40年ほど前に岡山の後楽園を見たことがあるので2番目の三大名園となる。後楽園の時は随行とはいえ大名旅行だった、今回も大名旅行といえばそうだが。
せっかくだからとガイドをお願いする、当然時代背景や見どころを詳しく話してくれた。雨が降っているのがザンネンだ。丘の上なのに水が豊富に使われている、10Kmほど離れたところから導水しているとのこと。何代かに渡って作ったのだろう季節を考えた配置がいい。お殿様だからできる規模だ。

 しばらく行くと観音像のような日本武尊のような像が立っているのが見えた、何かしっくり来ない景色となっている。近寄ってみると明治の頃の慰霊碑(?)だった、無粋な事をするものだ。大いに違和感を覚える。
先ほどから腹具合が良くない、我慢が出来ないので近くの管理事務所へ駆け込む。武家屋敷を移築し事務所にしたものだったが観賞する余裕も無かった。その近くに真っ赤な塀の神社が見える、これもせっかくの庭にマッチしていない。明治の頃の石川県にはロクな感覚の持ち主がいなかったようだ。

 園内いたるところに雪吊りがキチッと施されている。しかし雪は丸っきり無い、わざわざ雪を見に来たのに。この庭はどの季節も見どころがあるはずだが、雪の季節に雪が無く雨の日の見どころは・・・
雪景色を見たかった。

宿

2007年03月15日 08時01分19秒 | 能登
 駅前に設置された観光案内版によると宿は駅から近かったので迎えを頼まず歩いた。
葦原温泉は数百年続く・・という温泉郷ではなくて、明治時代に水不足に悩やみ土地の有力者三名が水を求めて井戸を掘ったところ温泉が出たとのこと。温泉では田んぼの役に立たないだろう、その時の水不足はどうなったのだろうと思いながら歩いていると、その人たちの顕彰碑があった。

 現代は掘削技術が向上しているので、極端に言えば何処でも温泉を掘り出すことが出来る。鉱泉を含めての温泉だが、なにせオキナワでも温泉が出たのだ。1000メートルも掘れば出るようだ。

 グラウディア芳泉というリッパな構えの旅館(?)、ホテル(?)に着いた。高層ビルだが部屋は和室でゆっとりした間取りになっている。下を見ると庭がありその庭を囲むように特別室が配置されて部屋専用の露天風呂まである。そこが覗けるわけではありません、パンフレットにそのように記載されているのと竹囲いで分かったのです。
大平野の真っ只中の温泉地で遠くには山々が朧げに霞んで見える、北アルプスはその山並みの向こう側らしい。

 早速風呂に浸かりに行く。部屋にも風呂はあるが温泉地では大浴場に限る。レジャーセンターの○△ランドのように様々な湯船があるわけではないが、落ち着いた作りでサウナから水風呂、露天風呂がある。湯船を移動したり景色を楽しみながら入ったり、サウナでジーっと我慢したりと久しぶりの大浴場を満喫した。
温泉は何年ぶりかな~。

 部屋に戻ると夕食の準備が出来ている。ビールに地元の銘酒の・・銘柄は忘れた、日本酒は飲む機会が少ないのでこだわりも無い。けっこう高そうなものを注文している。実はこういう場所での飲み賃は高いのでクーラーボックスに入れて持参してきたのだ。丸っきり注文しないとヘンに思われるので適度に注文はした。
仲居さんが料理を持ってきたり、火をつけたりとサービスに来るのでタイミングよく持参の缶ビールや酒を出し入れしなければならない。
オットットッと・・・と口に出すのは、酒を注ぐ時だけでなく、襖が開きそうになる度にオットットと言いたくなった。

 温泉で温まった身体を中からアルコールで温めたので心地好く寝入った。翌朝イビキがうるさかったとブツブツ言う声が聞こえたが、私は全く聞こえなかったヨという顔をしていた。
晴れていたら朝日が山から昇るところが見られただろうに・・・

東尋坊

2007年03月11日 07時15分55秒 | 能登
 田舎の落ち着いた集落を幾つか過ぎて海が近づいて東尋坊に着いた。
バス停の直ぐ前にあるお茶屋さんで、「荷物を無料で預ります」という誘いの声に引かれて店内に入る。無料ならと荷物を預かって貰い、ついでにウドンでも食べようかとなって軽い昼食を取った。この無料預かりの言葉は効く。

 土産物屋がずら~っと並んでいる通りを抜けると切り立った岩が日本海の荒波を受けている所へ出た。日本海と荒波とは私のアタマの中では対句になっているのでそのように書いたが実際は真冬というのに雪のカケラも無く穏やかな海だった。

 遊覧船が出ているので乗った。海に切り立つ岸壁を上から覗き込むの迫力があるが、したから見上げるのもこれまた迫力がある。神社のある島ー橋で繋がっているがー島の裏側まで廻るとなだらかに斜面になっていた。そこに番小屋風の建物があり、船長兼ガイドが昔の密入国船の監視小屋で今では使っていないとのこと。
密入国者を見張っていても拉致をする不審船は見張れなかった事になる、不謹慎だがちょっと笑えた。

 その島は逆層になった柱状の岩が張り出して珍しい景観をしている場所もあった、剣岳の西にある東大谷の岩場を思い出した。三の窓から池ノ谷を下り東大谷側に出て駒草ルンゼを詰めて剣尾根に取っ付いた。尾根の縦走中に突破しようとした壁があり途中まで登ったが、あまりにも逆層で断念し、登り以上に難しい下りを強いられて冷や汗タラリで降りたことを思い出した。
(過去のメモを見ていないので地名に錯誤があるかも知れない。また逆層と書いたが見た目には順層です、引っぱれば抜け落ちそうな形状で列柱を成しているので逆層と書いた。)

 海から陸を眺めるのは久しぶりだ、雪がちらつく荒れた日本海なら遊覧船に乗っただろうか。波の花が舞うような頃だときっと止めただろう。
東尋坊が人の名前だとは知らなかった。
難所の代名詞みたいなところだが少し離れれば海水浴場もあり夏には賑わうようだ。

 行きと帰りにみた風景で雪囲いは珍しかった。雪とは丸っきり縁が無い我が故郷では想像だにしないのでとにかく珍しい。また庭木の雪吊りも珍しかった。テレビで見るのは兼六園の大規模なもの、バスから見えるのは個人の庭なのにリッパに吊るされている、中には雪釣りの先っぽ、棒の天辺に縄で作られた飾りがあるものもある。庭職人の遊び心なのか。

 駅から旅館までは近かったので歩いて行った。広い平原の中の温泉宿に着いた。久しぶりの温泉に胸は高鳴る。名の通った旅館なので楽しみだ。

汽車に乗って

2007年03月08日 10時13分07秒 | 能登
 汽車は私にとって特別な思いがある乗り物だ。初めて汽車に乗ったのは高校の1年生の夏琵琶湖畔饗庭野で開かれたボーイスカウト日本ジャンボリーに参加したときです。鹿児島から蒸気機関車に引っぱられた客車はトンネルに入るたびに窓を閉めて煤煙の侵入を防いだ。石炭の匂いが充満して鼻の穴は真っ黒になった。

 それから4年後大学に入りロッククライミングの練習をしていると汽車が走っていくのがよく見えた。汽笛の音を聞く度に”あっ汽車だ”と口にするので皆に笑われた。汽車は希望・夢を乗せて走っているように見えたのだろう。当時は20数時間を坐って移動するのが一般常識で寝台列車で寝ながら移動するのは夢のまた夢だった。ところが就職試験で東京へ行ったとき費用は受験する企業持ちだったので始めて夜行寝台を使って自慢したものだった。

 先日のエジプト旅行ではルクソールからカイロまで寝台列車に乗った。汽車の旅は日本より国外で利用するのが多い、それも寝台列車は実に久しぶりで40年近く前になる。
中には音と揺れで眠れなかったと人がいたが私はベッドに入るや否や直ぐ寝てしまって妻が呆れていたほどだった。

 というように汽車が全く走っていない地に住む者にとっては特別な感情を汽車に持つ。新大阪駅からサンダーバードに乗る、田園風景はやはり日本の田園風景だ、この景色は我が故郷では見られない風景である、私の目からは外国の風景もニッポンの風景も特色があり違いはあるが、観光という面では同じ意識で見ている。
広い池が見えてきたので琵琶湖だろうと見当をつけた、しかし進行方向の右側に見える、学生の頃北陸へ行くには米原で乗り換えて湖を左側に見て走っていた。路線が琵琶湖のにしを走るようになったのだろう。

それにしても速くなったものだ、2時間程度で葦原温泉駅に着いた。富山までとは比較にならないだろうが、当時は米原で乗り換えて富山には夕方着く鈍行だったので大阪からとはいえ2時間で福井県まで来るとは信じ難い。移動に要する時間で地図を書き換えると日本全体がイビツに縮まっているようだ。
車内は清掃が行き届き清潔で坐り心地も申し分ない、トイレも綺麗だ。乗務員に限らず車内販売の売り子さんまで車両の出入りの際にはいちいち礼をしている、其処までするのがサービスなのかと賞賛と疑問が交錯し複雑な気分になった。

 汽車を降りて東尋坊行きのバスに乗る。スイスならこういう場合はスイスパスでフリーだがここではそうは行かない。乗り合いバスは駅を出て街中を走り抜けて田んぼを通りまた集落に入るのを繰り返す。
ヤマトゥの田舎そのものを見ているうちに海端に出た、東尋坊は近い。

能登の旅 出発まで

2007年03月04日 17時17分08秒 | 能登
 エジプトへは関空発着で出発時間の関係で大阪在の妻の妹宅に前泊させてもらった。帰りはその日に家に帰ることも出来たが、このチャンスを利用して一緒に雪見にでも行こうということになった。そこで義弟が計画を立てることになった。行く先や内容などの全てをお任せして案内人に付いて行くだけの旅行、大名旅行となりました。
 義弟とはいうもの私と同年なので威張っておれる立場では無い。そのうえ定年までの社会での過ごし方、人生が違う、違いすぎる。彼は大手企業に勤めその実績を買われて子会社の社長にまでなったのだから私のようなフラフラ者とは違う。何事も筋道立ててピシャッとしておかねば気が済まないようだ。

 送られてきた計画案見ると実に事細かに記載されている。表題は「永平寺・東尋坊・金沢・永平寺]となっており、JR新大阪駅8:46発サンダーバード、葦原温泉駅10:45着それから永平寺見学と続き昼食とはその後の行動予定が記されている。意見を聞かれても能登方面は知らないし、日本三大名園の兼六公園と輪島の朝市へ行ければ言う事は何も無い。その旨を連絡し暫らくすると第二案が送られてきた。時間の都合からか永平寺が抜けているが別に異論は無い。

 いいよいよエジプトツアー参加のために私たちは大阪へ行った。その前日に怪我をしたのはエジプト編に書いたとおりです。大阪までの便はマイルで溜まった分を利用する事にしていた、しかしその予約は2週間前にしかできない。正月明けなので咳が確保できるかどうか毎日チェックしてたが席がどんどん埋まっていく、ツアー出発の前日の便はアブナイ。迷ったがチケットが取れなかったら正規料金で行くか、最悪ツアーに参加できない事態も予想される。時間は充分ある年寄りなので前々日に出ることにした。つまり大阪で2泊もすることになった。

 義弟に病院を予約してもらい、救急病院で貰い損ねた消毒薬に軟膏、キズを覆う皮膜=絆創膏を貰う事が出来たので結果的には1日早く出てよかった。妹宅では歓迎のご馳走を準備してもらったのにアルコールを口に出来ないのでザンネンだった。

 エジプトから帰ったときは全快とまでは言わないが飲める身体になっていたのでその夜は有名な久保田という日本酒を飲んだ。美味しいと思うも私は日本酒を殆んど飲まない、あれは身体に悪い酒だという想いが強い。単に飲みすぎてヒドイ目にあったのだが、その時の苦しみが脳裏に焼きついて日本酒そのものが悪いとい意識になってしまっている。美味い酒を程ほどに飲むのは全く問題は無い、それらの酒は値段が張るので大量に飲むわけにはいかない、飲むなら高い酒を飲めということか。(笑)

エジプトの余韻も覚めやらぬうちに又明日から旅に出るという贅沢、この気持ちをなんと表現すれば良いものやら。
至福、幸福
こういうことがあっても良いのかな。

写真は葦原温泉での美味しい夕食