どこ吹く風

旅のことを主に書く。

パッツナウンタール 

2011年07月31日 13時23分51秒 |  チェルヴィーノ
高度障害によるり頭に不快感がる。降りれば治るだろうから暫くの辛抱だ。朝食を済ませて9時のロープウェイで降りた。ベルニナ三山が徐々に朝日に照らされる様はここに泊まった人でなければ味わえない。山岳ホテルなので山小屋と表現した方だいい。2段ベッド、バストイレは共同だが清潔で2食付1泊一人85ユーロ、此処に上がるのに別途往復33ユーロのケーブル料金がひつようとなる。ハイキングや氷河を下る人もいるので片道でも楽しめる。サンモリッツからティラーノまでのベルニナ・エクスプレスの景観を楽しんでから此処ディアボレッチャに上がる人も多い。 

 9:25 チロルへ向けてスタートする。ティラーノへ下らずリヴィーニョに向かう。この辺りはスイス、イタリア、オーストリアの国境線が入り組んでいる。峠を下りかけたところにかつての国境検問所跡があった、そこからはイタリアである。スイスはEUに加盟していないけど国境はほぼフリーとなっている。このように無人の箇所もあり、係員が居てもパスポートの提示も求めず”どこへ行くのか”と質問するだけである。昨年から大幅に簡素化されたようだ。

 約1時間走ると再びスイスに入り交互通行の長いトンネルを出ると三叉路になり、左へ行くとZernezを経てサンモリッツへ行くので
、右に曲がりマッレス Malles Venosuta に向かった。途中ミュスタイア修道院に寄った。スイスの世界遺産の一つです。トイレタイムを兼ねて暫し休憩、高い塀に囲まれた修道院なので入るのに少々躊躇したが裏木戸が開くようなので入り込み写真を撮った。

 そこから20分弱で再びイタリアに入るマルレスは間近だ。マルレス近郊のグロレンツア村は城塞村落でもう行きたい場所である。ところが本通り(SS41号線)からラウデス Laudes に外れてしまいグロレンツアへは行けなかった。しかし集落の感じは似ていたのでヨシとしよう。マルレスでは懐かしい鉄道の終点を見て、いよいよチロルへ向かう。天候は思わしくない、 ナウダース手前のレジア湖から突き出した教会の尖塔の写真を撮る事さえせずに先を急いた。窓からチラッと見た特異な風景は写真に残すべきだった。

 ナウダースのスーパーで買い物し、昼食も其処で済ます。出発する頃には雨が降ってきた。ランデック Landeck でパッツナウンタールへの道を間違え山道を1時間もグルグル徘徊しランデックに戻ってしまった。先ほどのスーパーを見つけ何故今自分が此処にいるのか理解できなかった。
 たしか下り坂をずいぶん走り間違いに気づきUターンしたのにまた下り坂となっている、下りっ放しでランデックに戻った、こんな事ってあるのだろうか・・・・ ? ? ?
 
 再びランデックを出たのは4時前になっていた。イシュグル付近では雨脚も強くなりパッツナウンという地名もあった。そろそろ宿を探さねばと思いながら走らせると地図に湖が載っている、そこへ行くため橋を渡り山登ると池のほとりに宿屋らしき建物が見えた。
ホテルは体よく断られB&Bに宿泊し夕食はスーパーで仕入れたもので間に合わす。二缶目のビールを開けたら何とレモンソーダである。一番高いビールを買ったつもりなのに、陳列方法が悪いと文句を言うも時既に遅し。大笑いしながら飲んだ、甘いはずのレモンソーダがほろ苦かった。

 戻ってから改めて地図を調べたら、湖と思ったのは広い河原で上部に位置したダム湖はシュタウゼーコッブスという名前だった。 

 本日の走行距離 276Km

7月1日 金
7:00 朝食 
9:00 ロープウェイにて下山
9:25 スタート 外気温9℃
9:50 国境を超えてイタリアへ 検問所跡 2300m
9:50 リヴィーニョ
10:25 国境を超えスイスへ 長い片側交通のトンネル
10:45 Passo di Foren
11:10 ミュスタイア修道院 写真撮影&トイレ
11:27 イタリアに入る
11:50 マルレス着 12:05発
12:25 ナウダース近くの湖 水没した教会
12:37 Nauders
13:05 スーパーで買い物&ランチ ピザとメンチカツ 雨下起来了
14:10 発 雨模様
14:30 Landeck
15:15 ルート間違いに気づく Uターン
15:47 再びLandeck
16:45 山の上のダム湖畔の宿
18:30 非常食およびスーパーで仕入れたもので夕食
    ビールとレモンソーダと間違え大笑いで飲む

ディアーヴォレッチャ  6月30日 (木)

2011年07月26日 22時22分29秒 |  チェルヴィーノ
 車の受け渡し担当者は車内外をチェックして鍵を渡してくれた。返す時に問題が生じないようにこちらもキズのように見える箇所を写真に収めようとすると、運行に差し支えないキズは構わないと言う。指を広げて5cmほどの傷ならOKだとのジェスチャーもした。スーツケースをトランクルームに3個並べる。
    
 初めて運転する車なのでエンジンキーを回しワイパーやウィンカーを確かめ、ギアのバックの位置やライトが点灯していることを確認してそろそろと発進させた。ミラノ・マルペンサ空港の屋内駐車場を出て右折とGoogle Map のルート図の指示通りに走る。道路に出るときもKeep Lightと自分自身に言い聞かせて慎重に運転する。しかしノロノロ運転ではない。向こうの道路は概して制限速度がニッポンと違い緩く通常80Kmとなっている。道路幅が狭くセンターラインが引けないような道でも60Kmはザラである。ノロノロ運転すると大名行列状態になり、追い越し禁止と思われる場所でも追越しを掛けられるので少々無理してでも他車の速度に合わせ走しらせた。また自分にはオーバーペースと思うと路肩に寄せて追い抜かせることもした。

 目指すはチロル、初っ端のコースとしては長めの距離である。いつものように妻は記録係でナビは義妹が務め助手席から”A8からA9に乗り換えるので右車線に移行して。”と指示をする。ロードNoがAやEの大幹線なら標識に出ている地名も地図と照合し易い。ところがSS36のように道路ナンバーが二桁になると地名表示がローカルになるので表示が行く先を示すのかどうかあやふやになる。二桁ナンバーは幹線に属すると思われるのでまだマシで三桁になると益々分かりづらくなる。しかし田舎道、特に山間部の道路は分岐点が少ないので大きな間違いを犯すことは少ない。

 今年の計画を立てるにあたって湖と谷を意識した。それでチロルに向かう際にコモ湖畔を通った。コモ湖は”人という字のような形をしている。当初コモ市内に入り人という字の足と足を結ぶ道路”SS639を通ってティラノ(Tirano)へ行くつもりだったけど、コモ市内を抜けるのに苦労しそうな予感がしたので急遽湖の西側を湖岸沿いに北上した。この辺りの湖は谷が堰き止められてできているので細長く入り組んでいる。

 湖岸の風景を充分楽しみながら13:10 Tiranoに着いた。ここではベルニナ船のループ橋を見るのが目的だ。スイス側に入って昼食をとる、レストランの地下にあるトイレが風情がありおもしろかった。いよいよループ橋見物へ出かけたら何と橋脚の補修工事で赤いシートで覆われている。一昨年のランドヴァッサー橋も同じで橋脚が赤いシートで覆われていた。高度を稼ぐために円を描がきながら走る汽車を見に来たのにザンネンだ。

 時間は2時を過ぎている、今日はチロルまで行くつもりであったけど、飛行機の疲れとループ橋の工事でガックリきて前進する気力が失せた。そこでディアーヴォレッチャの山岳ホテルに泊まることにしあ。ボスキアボからそのままオスピッツオ・ベルニーナへ上って行った。部屋が空いているかどうかケーブルカーの駅員に問い合わせてもらったら空があり14:30のケーブルカーで登った。

 多少雲がかかっていたがそのうち晴れてベルニナ三山が青空を背景にくっきり見えてきた。山頂から流れ出た氷河が眼下に悠然と横たわり谷を下って行く様が一望できる。この山上ホテル(小屋?)に泊まるのは3度目だが風景の良し悪しは天候に左右される。今年は良い方だ。夕方になると太陽はまだ上っているが気温が下がり寒くなった。

 今日は無理してチロルまで行かずに良かったと思っていたら、夜半から高度障害がでて頭が重くなった。一挙に3千メートルまで上がったのが良くなかった。初日は自重してサンモリッツ泊りにすればよかったと悔やんでもどうしょうもない。高度の影響なので下ればよくなるので早く下りたくなった。想い頭を抱えて2段ベッドをギーギー揺らしていた。
夜半に霜が降りたようで朝方の外は白くなってとても寒かった。温度計はマイナス2℃を指していた。寒いはずだ!

本日の走行距離   221Km

(6月30日)
1:15 35分遅れでタイ空港を飛び立つ
2:15 食事 チキン ワイン
5:30 朝食 オムレツ 機内食では一番の美味しさ オレンジジュース4杯
7:20 ミラノ・マルペンサ空港 着
7:45 レンタカーHertz で手続き
9:15 いよいよ出発

10:20 コモ湖畔に出る
11:15 館のある風景で写真タイム
13:10 Tirano 着 検問所あるも素通り可
13:30 昼食 ごってりサラダとパスタ
14:10 ループ橋は工事中でガッカリ
15:05 オスピッツ・ベルニナの峠 汽車が来る
15:30 ベルニナ・ディアボレッツア着
14:30 ケーブルカーにて山頂駅へ
19:00 夕食 ビール、メインはポーク
20:00 就寝 高山病の症状でる

出発 2011年6月29日 (水)

2011年07月25日 17時17分02秒 |  チェルヴィーノ
 いよよアルプスのドライブ旅行へ出かけることになった。はじめは四川省を基点に九寨溝やチベットに近い雲南の梅里雪山まで足を延ばそうか、もしくはチョモランマの雄姿を見に行こうかと考えていた。しかしクラブのOB会がシャモニーへ行くと聞いたので久しぶりに先輩や後輩の顔が見たくなりアルプス行きとなった。
前にも書いたが、我が家には99歳の母がいて夫婦で長期間家を空けて遊びに行くには何か大義名分が要る。旅行のことをどう言い出そうかと考えていたところにOB会の計画を聞いたので飛びついた次第です。行きたい所よりも行けるところという事です。

 アルプス周辺でも行先に紆余曲折があったがともかく出発日となった。
まず7時25分のJALにて関空へ飛び9時20予定通り関空(KIX)に着いた。次にタイ航空でバンコクまで行くのだが、11時45分発なので乗り換え時間は2時間である。何か事故があるとアウトになる可能性もあるけど天候とJALを信じて2時間に賭けた。何事もなくスムーズ乗り継げた。

 タイ航空は5時間半掛かってスワンナプーム国際空港に着陸した、タイ時間の17時10分であった。ミラノ便は0時半なので待ち時間はたっぷり7時間以上もある。安売りチケットも中国・仁川、香港などの乗換地があるがどうも悪い選択をしたようだ。
上海乗り換えならもう少し便利がよかったのに申し込みが遅れてこの便になってしまった。少々ハンセイするも空港内でトムヤムクンにパッタイそれにドライカレーをシェアーして食べたうえにタイ式マッサージを45分500バーツで受けたのでさほど苦痛ではなかった。

 ミラノ便は35分遅れたものの到着が早朝なのでさして気にならない。飛び立って暫くすると飲み物のサービスがあったのでワインにした。先ほどの便でシンハ・ビールを2本も飲んだし、夜中からトイレに通うのも面倒なのでワインにした。
明け方にも朝食と飲み物がでたのでジュースにした。これから運転しなければならないので自重したのである。機内で白身魚、チキン、オムレツの3回の食事をとったけどオムレツが一番美味しかった。飲み物ではシンハ・ビールもいいけど帰りに飲んだクールボワゼールが香り喉越しが氷で冷やされたブランディーがすいすいと入っていった。あまりにもスムーズに飲めるのでお代わりまでした。さすがVSOPです。


 イタリア時間7時20分にミラノ・マルペンサ空港に着いた。那覇の家を出てから30時間かかったことになる。長い飛行機の旅でした。時差ボケについては昼間飛ぶ便よりも疲れが少ないような気がする。
ターミナル内にあるレンタカー(Hertz)の事務所へ行く。対応はこちらの要求が良くなかったのか愛想が無く良くない「20日も借りるのだから返す時間を2時間ほどサービスしないか。」と聞いたら”1日分の追加になる”と言う、たった2時間だから目を瞑ればいいのに。帰りの便が14時だったので最終日はゆっくりホテルを出たかったのでそのようなお願いをしたのだ。 
結局最終日はホテルが配慮してくれたコーヒーだけを飲んで早立ちとなった。ある読者の投稿サイトでレンタカーはイタリアが一番高いとの記述を読んだが確かにそのようだった。この次機会があればドイツ辺りにしてしよう。

 まあこのようなことはトラブルでも何でも無いので意気揚揚出発をした。

レンタカー

2011年07月24日 20時33分30秒 |  チェルヴィーノ
 チロルとドロミテは過去2回車で走った。初めてのときより昨年はドライブテクニックおよび心構えが良くなっていたので、3回目となる今年はより気楽に運転できた。
まずミラノの空港で借りるときギアにライトそれにワイパーなどの説明をひと通り受け出発した。ライトは鍵を切れば消えるので前照灯を点けっ放しにしておくように言われた。確かにトンネルが多かったのでいちいち点けたり消したりする手間が省けるので楽である。対向車の殆どが昼間も点灯しているのでライトの点けっ放しは浸透しているようだ。

 一番ビックリしたのは停車時にギアをニュートラルに戻すとエンストすることです。慌ててキーを回すと妙な音が出るので一旦全部Offにして改めてキーを回してエンジンを掛けた。何度かそうしているうちにこの車はそういう仕組みになっている事に気付いた。エンジンが切れてもクラッチを踏み込むとエンジンが再始動するので運行に問題はない。省エネの関係でそういう仕組みになっているのだろう。

 前照灯にクーラーが入っているときはどうなるだろうと思っていたら、ある時間が経つとエンジンが再始動するのでバッテリーが上がることは無いでしょう。大衆車にこのような仕組みが搭載されているはさすがヨーロッパ車だと感心しました。
分からなかった点は、4ドアタイプの車だったが助手席を含め前のガラス戸は自動で開閉できるけど、後部座席の窓の開閉は手回しになっている。コスト面からそうしたのか? 

 たった2ヶ所の自動開閉をしなくて如何ほどのコストダウンになるかを考えると納得しがたい。たぶん、善意で考えれば後部座席に人を乗せることがすくない。それに後ろは子供が乗る割合が多いので安全面から手回しにしたと考えるのは穿ちすぎか。
ワイパーと方向指示器の位置が我が家の車と反対になっているので始終間違えていた。車の性能に関してはレンタカーの値段相応と考えることにした、欲を言えば切りがありません。

 ドライブしていて最大の問題は地図でしょう。私は前に買った125.000分の一地図でチロルとドロミテを回り、スイスは新たに30万分の一の全国地図を買った。やはり粗すぎる、もっと詳しい地図が欲しかった。給油所で地図を売っているが迷っているときは給油所は見えず、快調に飛ばしているときは給油所に寄る気がしないので結局その粗い地図で通してしまった。
5万分の一の地図があれば迷うことなく市街地を抜け出たでしょう。しかし5万分の一となると枚数が増えて大変でしょう、それに給油所ではその地域の地図しか置いていない場合が多いようなので都市部の大きな店でポイントとなる地域の地図を予め手に入れておくのがいいと思った。

旅を終えて

2011年07月23日 07時35分48秒 |  チェルヴィーノ
 現地滞在20日間、往復の旅程を入れると24日間の旅が終わった。
振り返ってみると今回の旅は観光旅行という面から見ると盛り上がりに欠けるキライがあった。これは妻およびその妹の意見・感想でもある。大きく感動する風景に乏しかったのが大きな要因である。それはアルプスで絶景と言われている有名な場所を避けたからであろう。

 テーマを「峠と谷・湖」ということにしたのが悪かったようだ。ちょっとマニアチックなルート選定がいけなかった。それとスイスを中心としたアルプスに飽きが来たのかもしれない。感動の度合いが年々少なくなっている。シャモニーは2週間滞在しないと良さは分からないと言われた人がいた。”1週間同じ場所に居るとなると何処を選ぶか。”ということを話し合ったが直ぐに此処だという場所はなかなか出てこなかった。未だアルプスの良さを見つけていないということなのか。

 其れはそれとして何やかんや言うても旅は楽しいものである。これから旅の思い出を綴っていく。日程順に書く前に特筆事項をまず書いてから記録編にしたいと思います。

出来事で一番印象に残ったのは「アプリコット売りのおばちゃん」です。
マーティニーからシャモニーに行くためFarcon峠を目指してぐんぐん高度を稼いでいた。スイスのヴァリスはブドウ栽培の地であるが今頃はアプリコット(abricot)が実り道端で売っている。そろそろ坂を登りきると思われるころ峠道が広がったところに車でけん引するキャンピングカーのような屋台でアプリコットを売っているのが見えた。甘みもあり美味しかったので車を止めた。

 品良さそうなおばちゃんがいて1Kgで7chfもしくは6eurと言う。容姿はキャサリン・ヘップバーン似で服装もキャリア・ウーマンというところ。何処を見ても農家のおかみさんには見えない。屋台の横にはBMBの格好良いスポーツカーがある、「あなたのですか?」と問うと”そうだ”と答える。

 車を走らせながら先ほどのおばちゃんのことをアレコレ詮索した。「あのおばちゃんは農家の方だろうか、それともただの売り子なのか」”アプリコットを売ってはBMBのスポーツカーは乗れないでしょう。”「もしかして買ったアプリコットはぶっ掛けらているのでは・・?」興味は尽きない。

 帰りもわざわざ寄ってアプリコットを買った。その時は雨が降っていなく客もいなかったのかスポーツカーのボンネットに腰かけていた。それが絵になっている。私たちが近づくと屋台の中に入り相手をした。心地よいフランス語の響きでどの種類がいいか、どの程度の数量かを聞いてきた。フランス語が分かるわけでは無いけど大たいそのようなことを話しているだろうことは分かる。

 さて彼女は何者でしょうか。
①ワイナリーを持った富農がアプリコットも作りこの時期だけ直接販売している。
②別の売り子(友人)がいるけど、急病か急用でピンチヒッターとして店番している。
③アプリコットを販売するためのツールとしてこのような投資をした。
④・・・
あとどのようなシチュエーションが考えられるか。
もし何時も其処に居るのなら、この辺りをよく通るドライバーには有名な存在であろう。

 気になる人です。あの辺りを通られる方がいらっしゃいましたら解明していただけないでしょうか。(笑)