どこ吹く風

旅のことを主に書く。

イエローナイフへ秒読み

2007年11月30日 09時14分12秒 | オーロラ
 このところ雨が続いたので西安で買ったオートバイ用の雨合羽が活躍した。サイドミラーが合羽からチャンと出るように工夫されている、さすがバイク専用に作られたもんは違う。いい買いものをしたものだ。
 
 HISへ行きツアー全ての手続を済ませてきた。後は出発を待つだけとなった、と言いたいところだが衣服を初め持って行くものはこれから集めねばならない。フィリピンを襲った台風の影響で雨と共に寒さも増してきて、昼間でも22度までしか上がらない、寒さを感じるようになった。イエローナイフはもっと寒いだろう。防寒対策で伸ばしているヒゲはまだむさ苦しい程度しか生えていない。
寒さに強くなったのかそれとも温暖化の影響なのか冬物のアンダーウェアは数年着たことが無いすっかり黄ばんでいる。それを持って行くことにする。ジャンバーは息子のを借りよう。あと靴下は厚手が1枚あるのみ、手袋は軍手を持っていくか・・・

 旅行社から貰った説明書によるとイエローナイフでの食事は殆んど付いていない、外食となると何処か適当な場所は無いかと検索してみるが2~3軒のレストランが出てくるのみ。それも詳しい情報は無い、メニューと価格が知りたいのに、みなさんサラリと流しているオーロラがメインだから食事のことは書かないのかな。小さな町とはいえ一応州都だからもっと食堂があるだろう、私にとってリーゾナブルな値段の店を足で見つけよう。

 食事なしのツアーも多いのでもっと詳しいレストラン=食堂の情報を知りたい。田舎とはいえ先進国なので物価は高いだろう、スイス並は覚悟しておこう。カリブー肉やマスのサシミがあると書かれたサイトがあった、ベトナム料理屋もあるようだ。温かくて安いメニューがあることを祈る。

 オーロラ観賞は深夜なので昼間は寝ていてもいいのだが、きっと何処か見物へ行くだろう。オプションはいろいろ揃っているけど高いのが気になる。小型飛行機を用いるカリブー見物があるが、小型飛行機はナスカでこりごりだ、気持ち悪くなるだけなのでアレは止めよう。
雪道のトレッキングもある。我が家で飾り物になっているワカンを持って行こうか。今では珍しい木の枝を曲げたものなのでそれなりの価値があるワカンだけどわざわざもって行くこともないか。(笑)
 街をブラブラ歩くだけにしておこうかな、妻や義妹がどうするかそれによるけど。

 追加工事がでて出発までに納品しなければならない、最後までパタパタさせられそうだ。昨年は仕事を大工に任せてスイスへ出かけ後でいろいろ様々なトラブルが出て今裁判中、私が直接の当事者ではないがあの行動が少しは影響している。今回はそういうことが起きないように済ませてから行きたいものだ。
済まなくても行くけど、懲りない私です。

イエローナイフとナイアガラ

2007年11月24日 06時39分29秒 | オーロラ
 出発は12月6日です、目的はオーロラを見ることに尽きます。イエローナイフともう一ヵ所選べるのでナイアガラにしました。冬のナイアガラで水しぶきを浴びるのは考え問題だが、このチャンスを逃すともう行けるかどうか分からないし、都市部を見るよりマシだろうと其処にしました。

 今回も義妹が一緒です。彼女は例のNOVAの短期語学スクールに参加してこの夏カナダへ行ったばかりなのに又行くハメになりました。ホントのところヒマラヤトレッキングを期待していたようです。
私としては冬のヒマラヤはスゴイ所という印象が強いのですが、オキナワと同じ緯度付近にあるので高度が高い所はそれなりに冬でしょうが、考えているほど強烈な冬では無いらしい。もちろん場所に因るでしょうけど。
ヒマラヤは夏に行くことにして冬には冬らしい処が良いでしょう。

 イエローナイフは既にマイナス20度の世界になっているようです。防寒対策としてヒゲを伸ばそうかと思って剃るのを止めた。防寒に役立つのかどうか定かではないけどヒゲにこびり付く雪の場面を見かけるので効果はあると思う。彼らは単なる不精なだけでは無いでしょう。
3日間ヒゲを剃らずにいるのに、考えてみると明日古希のお祝いに招かれている。チョボチョボの無精ヒゲにしか見えない顔で出席するわけにはいかないので今夜止む無く剃ることにしよう。

日程はおよそ次のようになっています。
先進国は物価が高いし、田舎町の観光地なので安食堂はないでしょう、食事に苦労しそうだ。入れ歯の調子が良くないので硬い肉は食べられない、パンをスープに浸して食べるだけであの寒さに耐えられるだろうか。

写真はオキナワ名物ソーキそばです、柔らかいソーキ肉が恋しくなるかな。(笑)

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1日目 夜 成田(17:00~19:15)発 (乗継ぎ)空路、イエローナイフへ
イエローナイフ(14:25~22:10)着
着後、ホテルへご案内

★★1回目のオーロラ鑑賞へご案内!★★
≪オーロラこたつ&防寒具レンタル無料≫
スープや温かいお飲物、スナックなどをご用意しています イエローナイフ泊

2日目 イエローナイフ
午前中 自由行動
オーロラ鑑賞に備えて、ゆっくりとおくつろぎください

午後 イエローナイフ市内観光
◎ノースウエスト準州州議事堂、◎プリンスオブウェールズ博物館、◎グレイトスレイブレイクのアイスロード、◎ギャラリーオブミットナイドサンギフトショップ、○ダウンタウン、 ○オールドタウンなどへご案内します

夜 ★★ 犬ぞりで行く2回目のオーロラ鑑賞へご案内!★★
≪防寒具レンタル無料≫ 軽食のご用意もございます  イエローナイフ泊

3日目 イエローナイフ 終日
終日 夕方まで自由行動
オプショナルツアーも多数ご用意しております(別途料金)
冬のカナダならではのアクティビティをお楽しみ下さい
夕食は、オーロラビレッジ施設内で名物極北料理をいただきます
アットホームな雰囲気の中で、バッファロー肉やレークトラウトなどの名物料理をお楽しみください

★★ 3回目のオーロラ鑑賞へご案内!★★
≪防寒具レンタル無料≫ 軽食のご用意もございます。
【オプショナル】オーロラこたつ(別料金)など イエローナイフ泊

4日目 イエローナイフ発 (乗継ぎ)空路、トロント ナイアガラへ
着後、ホテルへご案内
自由行動
【オプショナル】ナイアガラライトアップディナー(別途料金)
ナイアガラ・フォールズ泊

5日目 ナイアガラ・フォールズ
[カナダ側] 終日
ナイアガラ&ナイアガラ・オン・ザ・レイク観光
大迫力の●滝の裏側観光、◎テーブルロックにご案内
また英国調の街並みが美しい◎ナイアガラ・オン・ザ・レイクでは、ワイナリー見学と名物アイスワインの試飲をお楽しみください
昼食は滝の見えるレストランへご案内します
夕食はロブスターをご用意 レイクルイーズ泊

6日目 ナイアガラ・フォールズ
午前又は午後 ナイアガラ発、 トロントへ

トロント(08:00~14:20)発 (乗継ぎ)空路、帰国の途へ
機中泊

7日目 成田国際空港 成田(15:25~17:30)着
着後、解散となります

そろそろ準備を

2007年11月21日 15時00分51秒 | オーロラ
 このところめっきり涼しくなった、それはそうだろう11月も半ばを過ぎて師走はもう目の前だ。女子高生も衣替えが完全に終わったようで私もバイクに乗るときはジャンバーを羽織るようになっている。
寝るときはタオルケットだけでは物足りないが布団は未だ出ていないのでタオルケットを2枚被って我慢している。夜明けには18度まで下がるようになった、冬は目の前だ。

 妻はそろそろとイエローナイフの準備を始めている。数少ない冬物や冬用のモノをかき集めている。毛糸の帽子を”これ被れる?”と手渡されたので被ってみると耳まで覆われるので温かそうだ、good!
手袋も何処から調達してきたのか一応毛糸の手袋がある、手に入るのでヨシとしよう。ズボンはウールのが1本ある、濡れた時の着替えはジーンズしかない、ゴワゴワしないか心配だがアンダーズボンを穿けばどうにかなるのか。

 何しろ冬物というのは無いに等しい。アンダーシャツもここオキナワでは着用しないで過ごしてきたので昔買ったものが残っている程度しかない。ツアー案内には現地で防寒具一式を貸してくれるとあったのでそれに期待しよう。
この10数年真冬でも15度を下回ったのは数日しかない、10度以下を経験したのは高校生の頃だから遙かムカシの話になってしまった。13度まで下がった時あまりの寒さに固まってしまって家で蹲っていたこともあった。身体が寒さに慣れていないのにイエローナイフは零下20度になるという、どの程度の寒さか実感が無い。どうにかなるサ~。

 聞いた話だがミシガンにホームステイした子供に手袋を送ったら、ステイ先の親がその手袋を見て”オキナワの親はユーモアがあるネ”と言われたそうだ、つまり全く役に立たないモノを送ってきたと笑っていたそうだ。向うの寒さを知らないので判断できないのです。
検索すると本日の気温最高気温が-11℃となっている、雲さえなければオーロラは見えるらしい。夜間はもっと下がるだろうがマイナスもそれくらいになると私のアタマでは圏外になってしまう。
ホッカイロしか対処策を思いつかない、ドラッグストアへ行くのを忘れないようにしよう。

 防寒具・・中から上からあるったけの衣服を身に纏い、胃で強い酒を燃やして凌ぐことになるのだろうか。

写真はドラゴンフルーツです。
先日我が家の庭のそれも多くの実を付けます、先日今年最後の収穫となったものを食べました。
このような実が付く場所から零下20度の世界へひとっ飛びするとホントにどうなることやら。

四大天文現象

2007年11月18日 06時55分03秒 | オーロラ
 皆既日蝕、流星雨、巨大彗星にオーロラを加えて四大天文現象というそうです。月食はどうなのだろう、度々起きるので外されたのかな。

 これらのうちでこの目で見たのは彗星、ハレー彗星は見た。掌で作る三角形ほどの大きさだったが肉眼でも見えた。小学校のとき64年ごとに現れる彗星があって君達が生きている間に見られるだろうと教わった。それを見たのだ、年をとった実感も味わった。
具志頭(ぐしちゃん)の海辺の高台は大勢の天文ファンというより野次馬にちかい人たちで溢れていた。ウージ畑の農道にも天体望遠鏡を設置した俄か天文ファンが繰り出す一大イベントだった、当然人それぞれに感じるものがあっただろう。

 ヘール・ホップ彗星これはハレー彗星よりも大きく見えた、夜に明け方にと見に行ったが天候の安定しない春だったので毎日見えるというものではなかった。しかしその頃ホームステイ留学している娘を訪ねてフルーツステートのフレズノへ行ったら毎日はっきり見えた。ボワ~ッとした大きな尾を引いていたがオキナワよりも暗いということだろう。1997年のことだった。

 日食は1987年に見た、金環食で月の影の周囲から太陽が輪になって輝いているのはそれだけで神秘的なのに、万座毛ではアイヌの方々を招いてその時に合わせて儀式が催されたので益々神々しかった。
葉陰まで太陽の欠けている姿を映すのがおもしろい、木漏れ日はレンズと同じなのだろう。木の周りに掛けた太陽が散らばっていた。2009年7月22日には我が島でも9割以上掛ける日食が見られるとのこと楽しみです。ただ中国で皆既日蝕を見たいな。

 流星雨、これに時々起きる現象です。高校生の頃琉球政府前の芝生に寝転び話に弾んでいたらやけに星が流れる、流星雨だったようだ。1972年のジャコビ・ジェンニ彗星は空振りとなった。佐敷の海岸端に陣取っていたのにハズレ、残念だった。
その後何回か流星雨の話があり豊見城の小高い場所まで行って見た。小雨程度だがそれでもス~ッと輝きながら消えていく様は花火とは違う雰囲気がある。

 このように列挙すると私の空に対する思い出は87年の日蝕に97年の彗星と7の付く年である。それに加えて今年2007年はオーロラを見に行くことになっている。出発は3週間後なのでもう直ぐです。偶然とはいえ7の付く今年で四大天文ショーが完結することになる、ただしオーロラが見えたらの話ですけど。

 イエローナイフは9割以上の確率でオーロラが見えるということなので、そのデータに全てを賭けて出かけます。
当地オキナワはすっかり秋めいてジャンバー無しでバイクに乗ると涼し過ぎるようになった、カナダはもう寒いだろうな。

写真は本文とは全く関係ないトボロチという木の花です。
今頃がちょうど時期で並木が花で覆われています、通称トックリ木綿とか南米桜と呼ばれています。戦後南米から持ってきたので南米桜と呼ばれ、木の幹がトックリ上に膨らみ花の後の実から綿が出てくるのでトックリ木綿と呼ばれている。

そろそろ閉じよう

2007年11月13日 06時27分33秒 | 西安留遊
 西安での語学研修旅行はこれまでの物見遊山とは違う楽しみ方をした。半分は物見遊山だったので、楽に楽しめながら勉強できたというのが正しいだろう。勉強の成果はまああんなもの、それで元が取れたと思っています。
 日常生活を普通ではなく楽しみながら毎日を過ごした経験は少ない。それが毎日今日は何をしようか、何をしたら何処へ行ったら楽しいかと考えて過ごす日々だったので終わってみれば4週間も短かった。世に言うロングステイもこういう生活なのだろう。

 この辺りで西安編を一応閉じます、いつまでも西安に浸っているとアタマの切り替えが遅れる。折に触れ楽しかった日々を思い出すのですが、西安は何処どこが良かったという一点豪華主義ではなく生活全体がボワ~ッとして優しく包み込まれた感じの心地好さでした。
ただ空に関しては納得がいきませんでした、大陸の真っ只中なので青空を期待していたのですが、青空は在ったような無かったような、雲も見えなかった。 空を見ると天気は悪くないが空は見えない、雲が厚いのかといえばそうでは無くて雲の形は見えない。いわゆる高曇りなのです。毎日雨が降りボヤ~ッとした天気が続いたが雨が降っているときも暗くなることは無かったような気がする。暗いというよりもぼやけた感じで雨が落ちていた。
こういう感じでした。

 食べ物は良く不満は全く無かった、ただ独特の香辛料と味付けの油脂類に好き嫌いはあった。果物も安く種類は多い、産地というよりも西安はそれなりの大都市なので各地から運ばれてくるのだろう。南方系の果物例えばマンゴスチンやパインも店先に並んでいた。ウチナーンチュなのにマンゴスチンを知らない人もいたのには驚いた。ウチナーでは出来ないけど知っているべきでしょと思うのは私の一人よがりか。タイ・ベトナムへ行っているくせに。

 名前が面白いものにハーメーグァと教えられた瓜があった。ウチナーンチュなら笑う名前である、ホントはハーミー瓜と呼ぶのだがハーメーグァの方がおもしろい。味はうらびれた桜坂で今でも未だ頑張っているかつてのママさん、つまりハーメー並みでした。(笑)
 楽しかった西安のメモ一応これでオワリにして、あとは思い出したら追記します。
写真はシルクロードの起点の記念碑です。
ここを旅立ち奥地へ行く日が来るのか・・・希望はあります。

通信事情

2007年11月12日 06時24分02秒 | 西安留遊
 長期の旅行なので家との連絡体制が必要と思っていた、向うへ行けば何とかなるだろうと考えていたが結果的にはダメでした。
携帯電話を国際電話として使えるようにするのがカンタンで便利という話を聞いたのでauに行ったが現在持っている型では変更できず買い直さねばならないと言われた。
私の電話は仕事柄落としても衝撃に強く簡易防水された型なのでチャチな型に変えるわけには行かないので国際電話に切り替えるのを止めた。

 長期滞在している留学生から電話の掛け方を教えてもらい201カードと呼ばれる電話専用の50元のプリペイドカードを購入した。
まずカードを差し込んで、201と押すとナンとかカンとかとの声が聞こえてきたら1を押す。次にカードに書かれた番号 7756-4890# を押す。この番号はカードによって違うみたい。その後秘密の番号を押す。秘密の番号とは、隠された数字をコインで剥ぎ取ったら見える4桁の数字です。私のは5412なのでその数字を押して#を押す。その後00を入れて国番の81を入れて我が島の092を入れる、0は当然省く。

 これで繋がるはずだが途中で切れたり、最後まで押したはずなのにウンともスンとも応答が無い、これの繰り返しを続けた。何回も何日も試したが繋がらないので公衆電話が対応していないのかと考えて別の電話で掛けたがダメでした。
ただ一度寮の室内電話から掛けると掛かった。それで室内から掛かるなら便利だと安心したら次の日からその電話が通じない、結局家に電話を入れるのは諦めてカードも長期滞在者にあげた。
便りの無いのは無事の証拠ということにした。

 電話がダメならとインターネットカフェへ行きメールを送ろうとした。10元の保証金を払い店員に日本語環境にしてもらう。メールソフトを立ち上げてもらおうとするとyahooかgooのアドレスを持っているかと聞かれた。無いと言うと何か別のメール出してくれた、しかし慣れないPCは使いづらい。それでも時間を掛けて息子に書いて送信しようとしても出来ない。店員を呼ぶアレコレ弄って送ってくれた。
私の要望をいうのも店員さんの返事を聞くのもPCを2台立ち上げて日中変換ソフトを通してのやり取りで、親切に対応してくれた。

 別の日にも息子にメールを出した、ところが2回とも届いていないことが帰ってから分かった。家からは何の支障も無くメールを出せるのに他所からメールを出すのは難しいものだということが分かりました。もう少しパソコン関係に強くなる必要がある。

 中国の通信事情と思わせるお題の書き方だが中国側というよりも私にモンダイがあるのです。

写真の体育館の上に江沢民直筆の文字が見えるはずですが・・・

買いもの

2007年11月09日 08時36分47秒 | 西安留遊
 帰る日が近づいたのでオミヤゲを買いに出かけた。
特にいつもお世話になり選別まで貰ったあの家はフツーの品ではダメなので気を使わねばならない。もうすぐ中秋の名月である、中国ではこの頃月餅を贈る風習があるとかで様々な種類の月餅がスーパーやデパートに並んでいる。値段も将にピンキリ、ばら売りの1個1元からリッパな箱入り数百元、千元を越えるものまである。

 贈答品を買うのだからとデパートへ行く、デパートの売り場には製菓会社の直売コーナーが数箇所設けられている。どれが良いのか分からないので値段と箱の見栄えを中心に見て回るも決めかねる、当然高いのは見栄えも良いし箱もしっかりしている。同じ価格帯の中のどちらにしようかと決めかねていると女性がこちらが良いと勧めてきた。
店員さんと思ったら一般客である、その人の言い分ではー言葉は通じないけど何となく分かったー形が円形でしっかりしているとのこと。ずら~っと並んでいる月餅の箱を見比べてもなるほど円形は少ない、”謝謝”とその方に礼を言うて包ませた。

 売り子が伝票を書きそれをレジに持って行ってお金を払いレシートを売り場に提示して商品を受け取る。デパートでの買い物は時間が掛かる。
そこを出て鐘楼付近で孫や友人へのオミヤゲを買う。笛・凧・コマとこれはと目に付いたものを買った。前に買った3個10元の凧は10枚の連凧だが15元のは数が多い、その時は連凧の枚数まで気がつかなかったの買い直した、正月に孫と楽しもう。

 また前から欲しかったオートバイ用の合羽、ポンチョスタイルの雨具を買うためにスーパーへ行く。自転車用とオートバイ用がありオートバイ用は厚く値段も高い。ポンチョなので直ぐ被れるしハンドルまで覆うので便利だと思う。これは是非手に入れたいと探し回っていたものだ。娘の分も買った。
スーパーでも出る時ガードマンのチェックがありレシートを持っていないとゲートを出られません。

 この日の買い物でイチバン高いのは月餅、この旅行中でイチバンの高額商品でした。ひと箱8個入りで日本円なら2500円と聞けば、それほど高くないと思うでしょうが中国の金銭感覚に慣れてくるとヒジョーニ高く感じる。
この日の買い物は以下の通りです。家への月餅はばら売りの1個5~6元のものにした。


9月17日 月 月餅(試食) 3.8
バス賃(3回分) 3.0
凧     15.0
西安の地図 5.0
ヒョウタンの笛 40.0
コマ     10.0
月餅 お返し用 168.0
月餅 家用   55.0
合羽 オートバイ用2組 71.6
トイレットペーパー 2個 3.9
電球40w  2.5
Tさん焼き鳥屋で飲む 24.0
                  合計 401.8元

写真は、虫かごではコオロギが鳴いていました。販売用だと思います。

興慶宮公園でダンス

2007年11月07日 08時14分06秒 | 西安留遊
 興慶宮公園での市民の楽しみ方は見ていて楽しくなる。研修旅行に参加している同学(tong2 xue2 )に公園の様子を話すと既に散歩した者、公園風景を写真に撮るのに嵌まっている人、行きたいと言う人様々であった。

 ある日曜日の朝3名で待ち合わせて公園散歩へ出かけた。彼女達は公園には行ったが朝のレクレーション風景を未だ見ていない。興慶宮公園には阿倍仲麻呂記念館があるので、そこは見学している。今回は遙か唐の時代を偲ぶよりも今生きている人たちのエネルギーを感じたい。
門を潜る前の広場では若者の太極拳が行なわれており、その場には似合わない西洋音楽が聞こえてくる。公園で踊っているジャズダンスグループからのミュージックだ。入って見ると軽快にステップを踏んでいる、同行の女性は歩きながらリズムに乗って身体を揺らしそれだけでは納まらずに列に入って踊りだした。

 通行人がその輪に入ろうが傍らで見ていようがお構い無しなのがいい。誰も気にする人がいない、大音響の中一心不乱に踊っている。その無関心さがたまらなく心地好い。書を見て、凧揚げを見て笛やコーラスを聴きながら一回りして社交ダンスのところまで来た。そこはワルツ専門なのかたまたまワルツの時間なのか前回もワルツを踊っていた。準備運動の腰を捻る動作は私たちのサークルに取り入れても良さそうな動きだ。
デコボコの石畳で踊るワルツだから音楽ステップはワルツだが、踊っているのはワルツ”風”であってワルツと呼ぶにはちょっと・・・という印象だ。スポーツワルツと表現するのが当たっている。

一緒に踊ろうと誘いグループと少し離れた場所で1.2.3と踊った。朝早くウォーキングシューズで石畳の上で踊るワルツも悪くない。ナチュラルターンからリバースターン、ホイスクシャッセの繰り返しが基本なので難しいことは無い。私たちが踊るのを見て”見ていた人がイチバン上手と褒めていたヨ”とは先ほどジャズダンスを踊った同行の女性の弁。

 次にクイックのグループへ行く。こういう場ではオキナワクイックが役立つ、何せ木立の間の石の舗道をステップを踏みながら回るのでクイックステップよりウチナークイックのステップが適している。また踊った、一辺が2~30メートルの三角形の舗道を回るので運動量も大きい。両側に木を見ながらスロースロークイッククイックと軽やかに歩き、ターンすると池が見える。朝っぱらから踊るのはこのようなシチュエーションが最適だ、楽しかった~。

 中国の社交ダンスはスポーツの範疇だろう、パーティで踊るというよりスポーツとして捉えているようだ、あれはダンス風のスポーツであるというのが受けた印象です。

興慶宮公園

2007年11月06日 06時57分44秒 | 西安留遊
 西安交通大学通称交大(jiao1 da4)の北隣りに興慶宮公園がある。
中国の公園は市民が歌に踊りスポーツと楽しむ場というは前回の旅行で知っていたので日曜の朝に出かけた。寮から北門までもけっこうな時間がかかる、学内の創立100周年(?)記念事業で整備されたモニュメントのある広場でも数十人の太極拳グループが揃いの衣服で演じている。その中に私たちの太極拳の老師もいた、挨拶をして暫らく演技を見た。

 北門の向いが興慶宮である、入場料をとる設備はあるが係員はいない、日曜は無料なのか、毎日無料開放されているのか・・
門の前の広場には太極拳研究会と書いた若者のグループが格闘技のような太極拳、空手でいえば自由組手のような激しい動きをしている。太極拳もいろんなグループがあるのだ。
 門を入ると音楽に合わせてジャズダンスを踊っているのが目に付いた、百数十名が一斉に同じ動きをしている様は圧巻だ。横ヨコ前マエ回ってパッという具合に熱中している。それが延々と続くので真似をするだけでも息切れする。
 噴水のある広場の石畳には手箒のような筆を持って水で字を書いている人がいる、書いている文字は繁体字だった。数年前北京で水文字を書いている人に筆を渡されたので、友好琉球人と書いたらニコニコしていたのを思い出した。

 バドミントンも10組以上いる、凧揚げをしているオジサンもいた。鳥の形をした凧で腕を伸ばしてグルグル回して糸を繰り出して揚げようとしているがなかなか上がらない、風がないからか、塔の回廊から伸びた糸に繋がっている鳥・凧が泳いでいるので少々焦っているのかな。塔の周りにはお年寄りが大勢で黙想したりゆっくりした動きをしている、何をしているのだろうか。

 公園中央部の小高くなった所の木々の間から笛やクラリネットの調べが聞こえ、二胡の音も響いてくる。静と動が入り混じりそれぞれが楽しんでいる公園である。広い池の対岸にも人影が見える、池を一回りすると1時間はかかりそうなので止めた。ボートもあるので時間があれば乗ろう。

 面白いものをしているグループがいる、テニスラケットのようなものにボールを乗せて振ったり身体の周りを回したりしているがボールを落とさないようにバランスを保っている。それを音楽に合わせて全員が同じ動きをしてる。中には下手な人もいてボールを落としている、それを上級者が指導している。

 みなさん老いも若きもそれぞれがそれぞれに楽しんでいる様子を見てこちらまで楽しくなった。

野菜 セロリ

2007年11月05日 07時05分27秒 | 西安留遊
 中国人は料理が上手だ、特に野菜の料理がうまい。
炒め物に湯菜と美味しく料理されている、香辛料によっては好き嫌いが出てくるが大概美味しく食べられる。

 特に印象に残ったのがセロリの甘酢に漬けた一品だった。日頃野菜を美味しいと思ったことが無い私がこれは美味しいと思ったほどです。
セロリなんて繊維が多くカリポリ、シャキシャキと齧るだけのものと考えていたがイメージを一新した。

 テーブルに並べられる皿には味見として必ず口にするよう心がけている。セロリが出たときも期待をしていなかった、汁に漬かったセロリを取り口に入れるとこれまでに無い味がする。こういう調理法で食べたことは無い、単純に甘酢に漬かっているだけなのに美味しいと感じた。野菜料理にこれほど感激したのは初めてです。
向かいの席の日本語が話せる方に調理法を聞くと、詳しくは知らないがと前置きして、まずセロリを湯がいて冷水にとり出し汁に漬けるだけという。これは出し汁がモンダイだ、甘酢と書いたが三杯酢のキュウリ揉みのあの単純な味ではなくてもう少し深みのある甘酢だった。出汁が入っているのではなかろうか。

 あのような単純な料理だから再現できれば我が家の一品に加えられると思う。どうにか調理法を知りたいものだ。写真を探したが写っていない、あまりの美味しさに写真を撮る余裕さえ失ったようです。あるいは一回りする間にみんな食べられてしまったのでしょう。
替わりに鶏料理を載せます、外国で食べるチキンは何処でも美味しいのに、何故ニッポンで食べるチキンは味が無いのだろうか。

食事にまつわる話

2007年11月04日 06時22分59秒 | 西安留遊
 中国語会話を勉強に行ったのだから覚えた言葉を使ってみたい、チョットした言葉を覚えたいという気分になる。
アレは何、とかこれの名前はとか短い語句を覚えたつもりでウェートレスに尋ねる、またアナタは可愛いという言葉を覚えて誰彼と無く可愛いカワイイを連発したこともある。

お手拭
 お手拭、紙ナプキンのことを餐巾紙(can1 jin1 zhi3)ということを知った同行の女性は食事の時にナプキンが無いと直ぐにウェートレスを呼んで我要餐巾紙と言う。ところが発音・四声が違うのかなかなか通じない。身振りを含めて何回か繰り返すうちに相手が理解してもってくると皆が拍手喝さい。楽しい生きた会話練習だった。
 ある時街のレストランでナプキンを要求したらスンナリ通じたので本人も進歩したと喜んでいた。ところが会計する時になって餐巾紙料金として1個1元也が入っている、我々の感覚ではお手拭なんて当然サービスと思っている、そのうえそのナプキンには店の宣伝が印刷されている、それは無いだろうと思っても堂々と請求されたし交渉する会話力は無いので笑って済ますのみ。

楽しく、可笑しい思い出話を提供してくださった。
その餐巾紙を全員分要求したので、ポケットティッシュが餃子1人前以上のなりました。

ダイエット
 私は出発前からこの4週間の旅行期間中にダイエットしようと決めていた。1.59メートルの身長で60Kg弱の体重なので太っているとは思っていない。しかし健康診断とか家の者からは痩せろダイエットしろうるさく言われている。この際減らしてみるかと心密かに結審した。

 ダイエットはカロリーの足し算・引き算なので食べなきゃ痩せるのは当たり前、しかし食の国中国なのでそうなることやらと不安もあった。まず朝飯抜きをした、ムリして食べなかったわけではなく、早く起きて予習復習をしていると時間が足りなくなる、それで持参したコーヒーとお湯に溶かすだけのスープを飲んで済ませた。それと肉類を少なく野菜中心にした。

 それを続けているうちに、ある時ベルトを締めようと穴を探したが上手く入らない、入る穴に入れたらその穴がイチバン奥の穴だった。つまりひと穴分腹周りが落ちているのだ。食事量が減っただけではない、それと共に運動量が増えたのも大きい原因である。普段はバイクでドアtoドアの生活をしていて、何処へ行くのも例えば300m離れたらバイクに乗る生活をしている。ところが西安では何処へ行くのもお歩きとなる、校門をでるのに数分歩かねばならない、街でも歩くだけ。食事量は減り1日1万歩どころかとにかく歩いた、その結果ダイエットに成功した。3キロ痩せました。

 同行の皆さん殆んどの方が痩せていた。バッチリ3食とった方も痩せていた、自慢しようと思ったのに西安ではフツーの生活をしているだけで痩せる。
結論として歩きなさい、これがダイエットの基礎・基本です。帰ったら又バイク生活が始まった、ウチナーで歩くのはタイヘンです、西安のように歩くのはムリです。徐々に元に戻っていくような気がしています。

写真は学食での昼食、スープ0.4元、サンドイッチ(?)0.8元でした。

食堂で

2007年11月02日 07時16分46秒 | 西安留遊
 ある日夕食は何を何処で食べようかと店を物色しながらホテル近くの通りを歩いた。レストランのガラス越しに覗いてお客さんは何を食べているのか、露店の屋台はどうだろうと考えて歩いているうちに普段は足を伸ばさない大通りの向う側まで来た。ホテルの近くより賑やかで店数も多い、果物を見ながら横丁へ入ると奥のほうにも食堂がある。大通りから一歩入るだけで雰囲気がガラリと変わり素朴というよりも薄気味悪い。ちょっとムリして奥へ進むと店先に石炭ストーブ(?)釜(?)を置いて料理している、強い火力で一気に炒め物をしているのを見ていたら食べたくなってその店に入った。

 全体が薄汚い、先客は麺を食べながらテレビを見て笑っている。まあテレビなんて楽しめばいいのだから目くじら立てることはないのだが、好い年の青年があのような番組をゲラゲラ笑うなんて。と思っていると入ってきたオジサンもそのテレビを見て一緒に笑い画面の仕草を真似ている。あのような番組が受けているのだ。他人の好みなんて分からないものだ。

 焼きソバを注文したらこの次に作るからと言いながらドンブリとサランラップを準備している。出前でもするのか思いながらビールを持ってきてもらった、中国ではフツーの冷えていないビールしかない。
麺を山盛り準備しているので私用のものかと聞くとそうだと言う。多すぎるので少なめに作るようにお願いした、しかし出された皿にはうず高く大盛りで積み上げられていて皿にはラップが敷かれている。先ほどのドンブリとラップも出前ではなかった、器を洗わずに済ます手段だったのだ、アタマが良いというか何というか、この方法がイチバン清潔を保つ方法かもしれない。脱帽です。

 また別の日にご飯類が食べたくて前から狙っていた食堂へ行った。通りから見えるメニューに”八宝稀飯”という文字を見ていたので何時かは食べると決めていた店です。発音が出来ないので指を指して注文した。西安は麺の地域で米のメニューは少ない、久しぶりにジューシー(おじや)が食べられると期待して待って出てきたのはゼンザイだったのでビックリ。何これ?と思ったが後の祭りで私のカン違いだったのです。文字面からジューシーと判断したのがマチガイだった、メニューを良く見ると「甜」の部にある。自分の失敗を一人で笑いながらゼンザイを食べました。

 八宝稀飯という文字でジューシーを想像するのがおかしいのかな、私にはゼンザイを想像する方が難しいと思う。

西安の城壁

2007年11月01日 20時54分16秒 | 西安留遊
 西安の城壁は現存するものの中でも規模が大きく保存状態も良く見応えがある。周囲が14Kmほどもありその高さも10m、いやもっと高いかなスケールが大きく東西南北に門があり中央の正門は閉じられているがその両側の通用門は城内外を結ぶ主要道路となっている。この四つの門は広場に建物がありかつて兵隊が駐屯していたであろうことを想像させる。

 南門と東門に貸し自転車があり城壁の上をサイクリングできる。私もわが老年団(lao3 ren2 tuan2 )の最長老と若いー若いというも私と比較し且つ行動力を加味してー女性の3名でサイクリングへ出かけた。その時私は学生証を忘れたので普通料金を支払い、長老は学生証で年齢確認し老人優待の無料となった。
 自転車は女性の学生証で借りたので学割が効いた、サドルが二個ある二人用自転車を借りて3名2台で東門を出発した。北門の方へ漕ぎ出した、後ろのTさんは自転車に乗れないと恐縮しているが二人乗りなので問題は無い。足を踏み込んでペダルを回しておけばいいからとレンガ敷きの城壁をガタガタと漕ぎ出した。レンガのデコボコが硬いサドルを通して直接お尻に伝わる、痛い。

 10分ほど走ったところの前方が工事中でトタンでシャットアウトされている。捲れたトタンの隙間から身体だけを入れたところで係員に見つかったので自転車を通してくれと頼むがダメと言われた。工事の邪魔にならないのにとブツブツ文句を言いながら引き返した。貸し自転車の担当に何故工事のことを言わなかったのかと抗議すると文書を示したでしょうと先ほど見た覚えがあるチラシを示した。たしかに見たには見たけど読めるわけが無いし、説明も丸っきり分からなかった、こちらの落ち度もあるがもっと分かり易い方法で伝えてくれヨまったく。
ロスした30分近くの時間をどうしてくれる。

 しょうがないと西門に向けて走った。お尻の痛さは減じるどころか益々大きく感じる座布団が必要だ。城壁の上は大型バスが2台楽にすれ違うほどの広さがある。もちろん腰の高さまで立ち上がりもあるので安全である。南門は大きい建物があり貸し自転車に三輪車も置いてあった。お歩きを楽しむグループが多くなった、日本人ツアー客もいる。南門から西門まで歩くのが一つのルートになっているようだ、4Kmはあるだろう。

 城壁は外側に向けては塀が高く城内側は腰までしかない外敵を防ぐということでしょう。それゆえ城内は見晴らしが良く、城壁に近い家々は古い家がそのまま残っているので中国の建築様式がはっきり分かる。特に南門付近の書画骨董外は修復・復元したのか見応えのある家並みだ。また鐘楼方面も普段とは違って景色に見えた。一周出来ないので西門から引き返した。ロス時間も含めて100分、規定時間だった。もし西門とか北門で乗り捨てしたければ保証金を捨てればいい。そうしたければ保証金の額を少なくて済むように交渉したらどうだろう。

 城壁サイクリンは楽しい、西安観光の際には是非とも日程に加えましょう。その時は股ズレは諦めるとしてもお尻保護のクッション持参はお忘れなきよう心得てください。