どこ吹く風

旅のことを主に書く。

カバンを持った女

2011年09月28日 10時44分01秒 |  チェルヴィーノ
 カバンを持った女というより旧式のトランクに腰掛けた女というほうが正確だ。鍔広の帽子を被り汽車が来るのを待っているように感じられた。アンデルマットからサンモリッツへ向かう汽車が駅から動き出した時にプラットフォームに坐っているのを見たのである。ガイドブックからこの駅がトゥージス(Thusis)であることを知り、帰りのチェルマットに向かう氷河急行では見逃すまいと必死になって探した。

 あの時から何回かトゥージス駅を通過した、その度に写真に収めようと列車内をウロウロした。スイスの汽車は停車時間がよく分からないしアナウンスも無いので降りるのが躊躇われる。今年(2011年)はスイスも車で廻ることにしたのでトゥージス駅を寄って彼女とご対面することにした。トゥージス駅に行くのだからランドヴァッサー橋まで足を伸ばすのは当然である。去年もランドヴァッサー橋を橋脚の基部から仰ぎ見た、そのときチェルマット発の氷河急行が渡っていくので慌ててカメラを向けた覚えがある。まずはランドヴァッサー橋へ行くことにする。

 ランドヴァッサー橋を見るには車なら橋まで徒歩10分ほどの場所まで行けるけど、汽車の旅ならフィリスール(Filsur)駅で下車し30分ほど歩かねばならない。橋を見る場所として3か所ある。駅から10数分で行ける展望台が一番近いけど木の間越しにしか見えないので迫力に欠ける点は否めない。線路よりも高い位置にあるので写真を撮る位置を探せば面白いものが撮れるのかも・・・
 駅から道なりに大通りを下って行くと橋の脇に駐車場があり川沿いに行くと橋に出る。そこは橋の真下なのでそれなりに迫力がある。1時間に4・5本の汽車が通るので暫く待っているとランドヴァッサー橋と汽車のセット写真が撮れる。ただ真下過ぎるきらいはある。駐車場付近から谷の奥を見ると橋が見える場所があります。

 もう一か所は駐車場から橋へ行く途中に林を上る道がある、そこを上っていくと線路わきに出られると思う。観光ポスターにある構図の写真が撮れるのではなかろうか。私は未だそこには行っていません、この次はトンネルから出てくる汽車を撮る楽しみを残してあります。
フィリスール駅でランドヴァッサー橋の展望場所案内図が貰えます。スーツケースは売店で預かってもらえました。お礼にビールを買って飲みました。
 
 フィリスール(Filsur)でのランドヴァッサー橋の次はトゥージス(Thusis)駅です。プラットフォームには例のトランクに腰掛けた女がいます。駐車場から女がトランクに坐っているのが見えた。プラットフォームに出るため駅の正面に行くと入り口には別のブロンズ像が立っている。別の像があるとは思いもしなかった。

 女性の像は考えていたより大きく等身大より一回り大きいと思われた。うつむき加減に坐り静かに汽車を待っている様子である。スーツケースは2個で大きなバッグと傘それに衣服がスーツケースに置かれていた。旅というより学校の寄宿舎へ行くか、当分帰れない仕事で出かける様子である。身に着けている衣服に派手さは無い、生活を感じさせる格好である。
2005年初めてのスイス旅行のとき以来だから6年ぶりに傍に近づくことができた。この間私が興味を持っていたことを知っていただろうか。彼女は何処へ行くのか、この次私がスイスへ行くまで座り続けていて欲しい。

 みなさん、ランドヴァッサー橋が近づいたら彼女のことも思い出してほしい。一人ホームに坐っています。
トゥージス(Thusis)駅です。

写真がアップできないのがザンネンです。(以前とやり方が違ってから写真をアップすることができなくなっています。)

2011年09月14日 10時37分02秒 |  チェルヴィーノ
 今回は湖ををよく目にした。意識的にそうしたわけでもない、谷をテーマにしたら湖が良く出てきたのである。湖とといえば琵琶湖のように丸い湖を思い浮かべるがアルプスでは細長い湖が多かった。考えてみれば谷川が堰き止められて湖ができたので細長く枝分かれしているのは当然でしょう。それにダム湖もといたるところにあった。

 まず最初に出てきたのはミラノ国際空港からスイスの南東の玄関口ティラーノへ向かう途中のコモ湖だった。”人”という形をしていて西岸を足の先から頭の天辺まで走った。私たちは街に入ると必ず道に迷うので、出来得る限り街に入るのを避けたい、それで予定していたコモ市内通過して東へのルートを湖畔沿いに北上することにした。湖畔沿いに走るならルートを間違えることは無いだろうとの単純な考えです。

 ティラーノから鉄道のベルニナ線沿いに行くとボスキアーヴォ湖が出てくる。汽車から見ると氷河から流れ出る水が溜まった池がある。其処へ行きたかったのだけど線路は右岸、道路は左岸を通っているので行けなかった。登り切るとラーゴ・ビアンコ(白い湖)がある。初めてスイスに来たとき湖畔の駅オスピッツオ・ベルニナ駅でのんびり休んだことがある。鉱物が溶け込んでいるのか名前の通り白っぽい。 

 スイスからチロルへ行く途中イタリア領のリヴィーニョ湖を通る、トンネルがあり抜けると又スイスになっていた。ミュスタイア修道院を過ぎると又イタリアになり、レジア湖を越えるといよいよチロルだ。レジア湖はダム湖で湖から教会の尖塔が飛び出している。 

 パッツナウンタールはダム湖の堰堤の近くの宿に泊まった。ツアイニス川を堰き止めたダム湖でGoogle Mapで調べるとシュバイヒャー・コップスとなっている。さらに西へ進むとチロルの典型的な風景となり峠へ上るとヴェルムント・シュタウ湖というダム湖があった。この峠は冬季は閉鎖されるようだ。下の村へ行くとトラクター祭りがあるのか何百台という農業用トラクターが隊列を組んで走っている。宿にも一グループ泊っていた。見ていて楽しそうな集団だった。

 そこから向かったのはドイツ領のアイブゼー、ツークシュービッツの麓にある小さな湖で保養地となっている。ロープウェイから見ると色・形がきれいなので湖畔のホテルに泊まるつもりで行ったのだが生憎満室で泊れなかった。  
それで宿を探しながらヴァルヒェン湖畔をさまよい、そこにも泊まれずさらに先へ進みスルヴェン・シュタイン湖に近い林の中のホテルを探した。湖の名前は帰ってから調べました。

 地図で見るとシルヴェン・シュタイン湖は入り組んだ形をしている、チロルで有名なアヘンゼーの上流に位置している。今年のアヘンゼーは寒いのか人気が無かった。その夜はザルツカンマグートに泊まり翌日ツェルアムゼーを一周してドロミテへ行った。ツェルアムゼーは小さな湖で30分弱で廻った、どこの湖も保養地で観光客が多い。海の無いオーストリアだから湖の人気があるのか。

 ツェルアムゼーから南下せずグロースグロックナーの西側マトライへ向かう。リエンツ、ドビアーコのメインルートを通ればドロミテは近いけどカルスから西へ山越えした。高度はぐんぐん高くなるけど山も高くなるので谷間の風景は変わらない。開けたところに湖が見えてきた、オーストリアとイタリアの国境である。オーバー湖を見下ろす高台に記念碑とキリスト像がある。
イタリア側の道路は道幅が狭く毎正時から15間分だけ下ることができる、時間ごとの一方通行である。峠道を下るとアンテルセヴァ湖が出てきて行楽客が散策していた。

 ドロミテは多くの湖があるけど今回はミズリーナ湖で休んだだけ。スイスに入ってブリエンツ湖で遊覧船に乗った。車の旅なので遊覧船に乗るためにブリエンツからインターラーケンまで汽車で行き、遊覧船に乗って戻ってくるという面倒なことが起こる。振出し(車を置いた場所)に戻らねばならないのはドライブ旅行の悩みどころである。湖の遊覧にもっと時間をとってもよかった。

 谷に湖は付き物だと書いたけどトゥールマン谷では湖の記憶が無い。アンニヴェイ谷でも浄水場のような池は見たけど自然の湖はなかった。隣の谷(右俣)の最奥部にモワリー湖というダム湖があり行楽客で賑わっていた。谷の斜面に点在する村の風景は美しく遠くに雪山が見え隠れする様子と相俟って美しい景色となっている。。

 エレナ谷も同じで集落を縫うように走る道沿いに湖はなく奥の奥へ行くとダム湖があった。雨の日だったのでダムの堰堤の下まで行って引き返した。GoogleMapで見るとディ湖のようでロープウェイもあり、氷河までの距離も近いようだ。晴れていれば素晴らしい眺望だったであろう。その時はそういう場所とは知らなかったのでさほどザンネンに思わなかった、それで良かったのだ。

 シャモニーでは湖は丸っきり意識しなかった。チェルビニアでは雨のハイキングで湖のすぐ傍まで行ったのに全く見えなかった。翌日ロープウェイから見るとエメラルドグリーンにコバルトブルーの池がある、名前は分からない。
最後はマッジョーレ湖、帰りの便の都合でマルペンサ国際空港から1時間程度ということで選んだ場所です。湖の中に島があり有名な建物があり、そこを目的とする観光ツアーもあるような湖だった。旅行最後の夜をミラノの安宿にせず此処にしたのはマチガイではなかった。
 
 図らずも数多くの湖廻りもした旅行だった。行った湖を調べてみました。旅の一コマひとコマを思い出しながら楽しめました。

レンタカー

2011年09月10日 11時42分15秒 |  チェルヴィーノ
アルプス旅行が3回目になったときドロミテを見たくなった。調べるとドロミテは汽車路線はなくバスしか走っていない。その上本数が少なく接続も悪いのでスイスのように汽車とポストバスを組み合わせた旅程が立てにくいことが分かった。それでレンタカーを借りることにした。
 運転免許を取って1975年までオキナワは左ハンドルの右側通行だったので”昔取った杵柄”というところ。こういう点ではウチナーンチュはアメリカ統治下で良い経験をしたものである。

 レンタカーを運転するには国際免許証が必要だが写真一葉とパスポートを持って行けば30分ほどで取得できる。費用も2千数百円と安い、ただ国際免許証の有効期間が1年しかないのは短すぎる、私は今年で3回申請したけどせめて運転免許証の有効期間まで延長してもらいものだ。

 車の手配は直接現地のレンタカー会社とインターネットでやり取りする方法や国内の手配会社を通す方法もある。また現地の事務所に直接出向いて借りる方法もある。私が初めて借りたときは手配会社とやり取りしていたが、最終確認が取れないまま出発したためザルツブルグの駅前営業所で直接交渉した。このような場合に注意すべき点は土・日は閉店する場合もあるので日程に支障が出かねない。あの時インスブルックで返却したが日曜は休みなのでキーを郵便口から投げ入れるように指示された。空港営業は年中無休のようだけど街では休むので気を付けたほうがいい。

 インターネットで国内の手配業者に頼むのが簡単だが、保険のサービスで融通が利かない感じがした。通常の契約では事故を起こした場合に免責金額が3万円とかの条件が付いている。全額保険で面倒を見てもらう場合の費用について問い合わせしても無しの礫だった。借りるとき免責金額無しにしたが追加保険料と税金で475ユーロ支払った。
それと運転する人は二人で申し込んだつもりだったが、現地(ミラノ・マルペンサ空港)の営業所で1日7ユーロの追加が必要と言われた、去年は何も言われなかったのに。乗り捨て料金は確か70ユーロなので国内に比べて安いようです。旅程に合わせて乗り捨てを考えてもさほど負担にならない。

 小さいことのようだが契約時(国内の手配会社に振り込む前)に確認した方がいい。現地では言葉の壁が厚くて伝えたいことが伝わらない。結局先方に言い負かされてしまう。
それと返却時間だが、レンタカーは24時間を1日と計算するので借りた時間までに返却するのが原則である。今回空港に着いたのが午前7時で帰りは午後の便であった。それで朝早く返却して空港で時間潰しするよりホテルをゆっくり出たほうがいいので返却時間を2時間サービスするように頼んだ。しかしダメ、1日分の追加が発生するとのこと。もしかして契約時ならその程度の融通はしてもらえそうだが、どうなんでしょう。

 運転するときの注意はまず当たり前のことですがアチラでは右側通行です。若いころは右側を走っていたけど'75年に左側通行に変更され今では感覚が左になっている。この習慣・感覚がクセモノでアチラでも無意識に左側通行になってしまう。意識するとこんがらがってくる、厄介だがこれは気を付ける以外に対処法は無い。左折する場合やバックから前進に変わるとき考えに考えて反対車線に入ることもしばしばあった。慣れるまでは助手席と後部座席に助手(?)がいるので喚かれっぱなしだった。

 スピードは日本の比でなくやたらと速い。アウトバーンの120Km/hは分かるとしても、田舎道の歩車道ば分離していない道路でも80Kmで吹っ飛ばしている。後ろに行列ができていても追い越させるための路肩が無い道が多い。直線道路になるとどんどん追い抜いて行く、私は80Kmで走っているので遅いつもりは無いけど後続のドライバーはイライラするのだろう。小さな日の丸をリアウィンドーに貼り付けて不案内の観光客であるとの表示をしたいほどだ。毎年忘れているけど。
こちらが譲っているのだが追い越されてはかりでは面白くない、しかしそれ以上のスピードを出す勇気もない。同乗者の目や口もある事なので、追い抜いて行く車はベンツだから、BMBだからしょうがないと諦める。こちらの車も一応ヨーロッパ車だけど。(笑)

 レンタカーは殆どがマニアル車です。オートマチック車が欲しければ前もって注文した方がいいでしょう。私はマニアル車で充分でした。走っていて感じたことは信号機が無いことです。交差点の殆どがロータリーになっている。コツさえ掴めば信号機と違いイライラして待つことが無いので便利です。ルートを間違えても信号機の場合はUターンできない、しかしロータリーの場合はもう一回りするとか、次のロータリーでUターンすればいい。ロータリーでは内側を走っている車が優先で、外回り内回りの2車線のところもあるので内回りの車に気を付けることです。
 
 レンタカー会社には地図がありません、営業所付近の地図さえない。ウィーンでのこと、メトロで営業所へ行き車を借りてホテルに戻ろうとした。ところが地図がなくて往生したことがある。所員に道を尋ねたのですが、離れ過ぎていたのか途中で誰かに聞けと言われた。サービスはその程度です、また同行者は小さな車なら3名まででしょう。トランクもしくは荷物を置くスペースに90リットルのスーツケースが3個しか置けません。後部座席には手持ちのバッグ、飲み物、カメラ等の小物を置く場所も必要です。人数と車種は気を付けるべき点です。
思いつくままの書きなぐりです、まだあったら後日書き足します。

旅全体の印象

2011年09月07日 11時01分47秒 |  チェルヴィーノ
 2011年のアルプスの旅を振り返ってみると淡々と行われたという印象がする。氷河や谷に峠それに有名な観光地などを日数をかけて廻った。たとえばハイジの里、ザルツカンマグートの氷の洞窟、フルカ峠、ブリエンツ湖遊覧などツアーではなかなか組まないようなところへも行った。それなのに全体が平板に流れてしまったように感じる。旅のスポンサーであるお二人(妻と義妹)も口に出していた。何故だろう。

 何が足りなかったのか。毎日200Kmほど車で走り、ツアーはもとより個人旅行でもなかなか行けないところを廻ってきた。山と谷が織りなす景色はその地方独特の形となり見る人を感動させる。これがチロルだ~、これこそドロミテの風景だ、氷河と雪を背に聳える山々にさすがスイスは違うなど行く先々の景色は良かった。毎日違う場所で景色の変化を楽しんだ。しかしそれでも全体を振り返るとインパクトに欠けている。3000m級の山脈が連なるだけで四五千メートル級の山が無い風景というところだったのか。

 そのように感じる旅になった最大の原因は雄大な山に身近に接しなかった所為だと思われる。昨年チロルの三か所の谷へ行ったがどちらもロープウェイで上まで行き間近に雪山を仰ぎ見た。今年はそれが無かった、谷を詰めてもロープウェイは無く尾根越しに雪山を見るというパターンが多かった。スイスで最大の見どころマッターホルンを近くから眺めなかった。Vispフィスプの近くまで行ったのだからシュワルツゼーかゴルナグラードに泊まるべきだったかもしれない。スイスでマッターホルンは外したらいけなかった。画竜点睛を欠くとはこのことだろう。 

 マッターホルンを旅の目的から外したことは無い。近くからは何度も見ているのでスイスでは周囲から見ようと谷の最奥部から裏側を見たり、ゲンミ峠までも行った。更にわざわざイタリア側から見るためにチェルビニアに2泊も割いた。それなのにチェルマットを外したために旅全体に物足りなさを感じることになってしまった。
大きな反省事項です。

 PCのスクリーンセーバーは今年のアルプス風景にしてある。行った先々の写真がスライドショーで出てくる、仕事の画面を消して写真に見入ることもしばしばある。何処も彼処も文句無く美しい景色である。あまりの美しさに車を止めて写した名前の知らない村、そのような場所はチロルにあり、ドロミテにもありスイスにも当然あった。それなのにマッターホルンを外したために全体が霞んでしまった印象を与えたのは少々ザンネンである。

 バイキング料理で美味しく好きなものを腹いっぱい食べてフルコースとは違う満足感を覚えるも、ふと考えるとバイキングにはメインがない。あれもこれもそれなりに美味しかったのにメインがあるフルコースが良かったかなと感じるような贅沢な不満・考えである。

ストレーザ

2011年09月03日 20時46分04秒 |  チェルヴィーノ
7月19日 火 21日目
 起きたのは6時だったけど7時には出発した。早すぎて食事をとれない、しかしナイト担当のマネージャーがコーヒーを入れてくれた。街を山手の方へ走り湖を見下ろしながらお別れした。今年の旅行は意識していたわけでは無いが湖に始まり湖で終わった。初日にコモ湖畔の西側を南から北の端まで走ったのを皮切りにイシュグルのダム湖、アイブゼー、ドイツのシルヴェン・シュタクィン湖その他アヘンゼーなど数多くの湖のほとりを走らせた。最後もマッジョレー湖で旅を締めくくった。湖に縁のある旅でした。

 有料道路に出たあとは空港の案内板が出てくるまで進めばいい。案内板に都市名と距離が表示されていて空港も出てくるようになったので気を付けていた。トラックが走っている急ぐ必要もないけど上り坂になったので追越したその時、空港への道案内と道が見えた、スピードが出ているので分岐点を過ぎた路肩に止めた。さあどうしよう数十メートルだから逆走しようと決めてソロソロとバックした。朝早いので交通量が少ないのが助かる。無事分かれ道まで行った。

 高速道路を降りてからが長かった、街を越え村を越えずいぶん走ったところで見覚えのある空港入り口まできた。第1ターミナルにあるレンタカー専用駐車場へ行こうとするが行ききれない。空港敷地は一方通行なので元に戻って初めからやり直しをするも又もや失敗、そこで乗降客用のパーキングに止めてHertzの事務所へ行き返却するための駐車場への生き方を教えてもらう。
それでも2周してようやく返却することができた。インスブルックでレンタカーを返した時は微にいり細にいり検査してちょっとしたキズも指摘されたけど、ここミラノでは燃料を見ただけで車体のチェックはしない。少々拍子抜けする。
時間オーバーすると1日分の延長となると言われたので時間内に返せてよかった。そのために空港から1時間以内という条件で風光明媚な保養地ストレーザを選んだのは正解だった。わずか一晩、それも夕方着いて早朝出発という短い滞在だがストレーザの良さが伝わってきた。次行くことがあれば島巡りの観光をしよう。
 
 空港の店で調達した朝ご飯を食べる。はい! 名残のビールも飲みました。無人のチェックインカウンターでスーツケースの計量を行い20Kg以内にした。最近この重量制限が厳しくなっている。
早めにチェックインしても安売りチケットは中央席が指定されているようだ。11:30のタイ航空でバンコク向けに出発した。ミラノ便でのアルプス旅行は初めてだが悪くない。それに早朝現地に着くのも悪くない。案じていた時差ボケは深夜のフライトなので寝ることができるので、昼間の便でず~っと太陽の下を飛びその日の夕方に現地着というより疲れを感じない気がする。

 バンコクに早朝の6時過ぎに着く、関空へ発つまでまで5時間あるが空港の待合ロビーが行きと違ったのかあの食堂が見当たらずマッサージも無い。退屈したそれに関空まで5時間半のフライトも長い。乗り継ぎ空港までの距離も考えて航空会社を選ぶ必要がある。
楽しい事や反省点などいろいろありました、でも旅は楽しいものです。これからも思いついたことを書きます。





走行距離 4138~4197Kmまで

6:00 起床 ロビーにてコーヒー
7:00 スタート
7:20 街を抜け有料道路入口
7:35 有料道路出る
7:55 マルペンサ空港着 レンタカーの駐車場入り口を探し
8:25 車を返却
9:30 空港内の待合で朝食
11:30 カウンターにてチェックイン
14:40 バンコク向け発
16:45 食事 魚を選ぶ
23:30 食事 オムレツ
1:15 タイ時間の6:15 バンコク着
11:00 バンコク発
16:37 関空着

チェルヴィニアからマッジョレー湖へ

2011年09月02日 10時54分56秒 |  チェルヴィーノ
7月18日 月 20日目
 夜中目が覚めたとき今日は晴れることを確信する。7時過ぎにはホテルを出てロープウェイ乗場に向かう。ロープウェイから昨日雨の中歩いたルートがよく見える。小さな湖が幾つかありグリーンやブルーの色が綺麗だ。
3本のロープウェイやを乗り継いで頂上駅へ行く。セルビーノは目の前にあり少しずる形が変わっていく、5分、10分、6分の滞空時間だが乗り継ぎ時間などがあり頂上駅に着いたのは8時前になっていた。

 上に行くにつれ夏スキーを楽しむスキーヤーが多くなってきた。3本目のゴンドラは150人乗りの大型であるシーズンにはスキーヤーで更にいっぱいになるだろう。降りるとスキーを着けるのももどかしげに滑り降りて行く。氷河の谷向こうには小さくクライネ・マッターホルンが見える。クライネ・マッターホルンからイタリア側を見たときはなだらかな雪の原に見えたけどここイタリア側から見ると傾斜の強い大雪原で、さらに急斜面を滑り降りてこの展望台に来ることになる。

 クライネ・マッターホルンから見るマッターホルンは三角錐の横に屋根型に張り出したものがコブに見えて美しさを半減させている。しかしイタリア側はそのコブが正面になるのか岩の塊となる。セルビーノは荒削りの岩の塊のように見え荒々しく聳えている。これまで遠くから又近くからマッターホルンを眺めてきたが今回南側からも見たので東西南北の四周から見たことになる。
左手にモンテ・ビアンカが見える、真っ白な雪に包まれた山頂は周囲の山々より神々しく見えるのですぐ分かった。エギュー・ド・ミディから見たマッターホルンよりもチェルビニアから見るモンブランが大きいし目立つ。

 セルビーノに少しでも近づこうと展望台まで行くが周りは高い金網で囲まれている。写真を写そうとしても金網が邪魔になる。セルビーノを見るために登ってくる人には不親切だ。スキーヤーを相手にすればいいという考えなのか。私は金網の上までよじ登って写真を撮った。ロープウェイの係員もどちらかといえば不親切だ、目の前で2回ロープウェイに乗り損ねた。これがイタリア人気質ならしょうがない。

 山頂レストランでコーヒーを飲むことなく50分ほどの滞在で下山する。下山中のロープウェイは機器の具合が悪いのか何回か空中に停止した。ここはイタリアだ焦らずに風景を楽しむことにした。9:35にホテルに戻ったら朝食に間に合った。イタリア側からのセルビーノ=マッターホルンを十分堪能したところでこの旅は終わった。あとは帰途へ。

 10:25スタートする、明日9時にはミラノ空港に着きたいので今日は空港まで1時間圏内に泊まりたい。出発前から目ぼしい所を物色しマッジョレー湖畔にしようと考えていた。それでストレーザを目指した。
高速道路や大きな一般道を利用するなら200Km、3時間弱で行ける距離である。しかしハイウェイに並行している田舎道をのんびり通ることにした。地図といえば30万分の一のスイス地図の隅に切れ切れに描かれているのと、ガイドブック(地球の歩き方)に載っている概念図だけ。とても分かりにくかった。イザとなれば高速に乗ればいいと考えていたが高速道路ははるか南側を通っているので其処まで行くのがタイヘンだ。今回はコンパスを忘れたので太陽の位置で方角を判断し「大まかに言えば東北方面へ進めばOKだ。」とアバウトに車を走らせた。

 2時過ぎにレストランに入る、田舎にしてはデザインが凝っている。中にするか外のベンチにするかと問われたので中で食べたいと答えた。するとお通しのようなものが出て別料金を取られた。外ならこのお通しは無かったかもしれない。美味しかったが量が少ないので高いものになった。スパゲッティ・ボンゴレを注文したら貝の量ものすごく多い、貝の隙間に麺が隠れている。日本なら3・4人分の貝の量だろう。
更に1時間走りようやくマッジョレー湖畔のアローナに着いた、これで一安心ストレーザまで道に迷うことが無くなった。湖沿いに30分走りストレーザに着いた。通りに面した建物は四つ・五つ星ホテルなので適当な宿を探して街はずれまで行き引き返した。給油していると宿の看板が見えたので其処へ行く。湖から通り一つ入ったところにあり桟橋やロープウェイ乗場は目の前という便利な場所だ。

 湖には島が浮かびその島に邸宅とか教会があり有名な観光地で島巡りの観光船が出ている。島巡りをするために訪れる人が大勢いる、私たちは気分的に旅は終わっているので観光しようという意欲が湧かなかった、街を一回りしただけ。ホテルのカウンター嬢は郷土料理の安くて美味しい店を紹介してくれた。ここ以外はダメだと念の入れようだったが、例のごとく生ハムやチーズ、ビール・ワインなどを買い込んで部屋で済ませた。 

 朝7時に出発したいので支払いも済ませた。ナイト担当者にお願いしたら朝食は無理だけどコーヒーをサービスしてくれるかも・・・とは例の女性の言葉。
長い旅の最後夜は静かに暗くなった。

 本日の走行距離走行距離 199Km

6:00 起床
7:10 ロープウェイ乗り場
7:25 乗る 5分
7:40ゴンドラに乗り換え 10分
7:50 三番目のロープウェイに乗る 6分
8:50 下山開始
9:30 街の駅着
9:35 ホテルにて朝食
10:25 ホテルをチェックアウトしてスタート 3939Km
11:55 ドンナス通過
12:45 ヴェラローネ通過
13:10 ビエラに入る
14:15 レストランにて昼食
15:00 発
15:25 アローナの街に入る 湖畔沿いに走る
15:45 ストレイザに入る
15:55 給油 28.16リットル 4138Km
16:07 チェックイン
    街を散策
18:30 ホテル帰着
    部屋で夕食
21:00 就寝

チェルビーノ

2011年09月01日 09時37分12秒 |  チェルヴィーノ
7月17日 日 19日目
 夜中に目が覚めて外を見るとチェルビーノが見える、寒いのを我慢してベランダの端まで行って見た。寝なおしてから又外を見ると予報通りの雨となっていた。朝食後雨の中を散歩に行く。上の方に湖があるので其処まで行くつもりだ、宿のご主人は美しい湖だと言うていた。雨でもわずかな時間でも現れるのではないかと淡い期待を持って出発した。

湖の名前を調べようとGoogleMapを見たら、ブレウィル チェルヴィナイア(BreuilCervinia) と表記されている。これまでこの街をチェルビニアと書いてきた。しかしチェルヴィナイアで検索しても出てこず、チェルビニアなら多数ヒットします。イタリア発音とローマ字読みの違いでしょうか。以前グロスグロックナーのときも同じことを書いたが一文字違っただけでヒット数に差が出る、発音表記は難しいです。

 ダム湖へ行くコースは幾つかあるようだが雨が降っているので林の中に入らず広い道を歩く。ハイキングコースというより車両用の道路で牧場やダム湖の管理などに使っているようだ。周囲は牧場で道を横断するように牛止めの電線(?)が設置されている箇所もある。
牧場の中を歩るくと花が咲いている、雨降りのハイキングはお花見物が主になる。シャモニーでも雨のお花見ハイクをした。
先を行く若い男女のペアが指差して”マーモット”というけど見つけきれなかった。雨は降り続けるが足場はそれほど悪くない、しかしは視界は全くダメで現在位置が分からない、地図も持っていないので湖が何処にあるかも分からない。倉庫のような建物を見つけたが軒が無く雨宿りできない。時間も12時を回っているので引き返すことにした。翌日ロープウェイから見ると、その建物はダム湖直ぐ脇に建っていた。気付かなかっただけで一応湖までハイキングしたのだった。

 ホテルに戻るとゴーカートの大会はまだ続いていた。車輪の音とスピーカーからの大音響は雨の沈滞ムードを吹き飛ばすように元気いっぱいだ。最終コーナーが見えるところまで行って観戦した。コーナリングが勝敗を決めるようだ。それにしても公道を遮断し遊びの大会が開けるなんてヨーロッパ人はある面大らかだ。上の方はホテルとか住宅があるけどそこの住人はどうしているのか、迂回道路があるのかな。

 部屋で濡れた雨具と靴を乾かす、備え付けのドライヤーを活用した。靴も履けないので外へ出られないので昼寝する。旅行中に昼寝するのは初めてだ。夕方買い物に出る、スーパーの場所を聞くと”100mも行けばある。”と言う。ホテルからは3階からはいる形になり、複合ビルで観光案内所や交番も閉まっている、冬場になればオープンするだろう。スーパーの品揃えも悪く陳列スペースの一角が閉じられているのを見てシーズンオフだと実感する。
生ハムやワインを買い、小分けして販売しているピザ屋があるのであれこれと味が違うのを買った。一人前ずつ小分け販売するピザ屋は便利だ、ピザのジャーストフード店というところ。

 夕食はピザと生ハムで済ます。旅もいよいよ終盤になり今日を含めて残り2泊となった。明日は9時にはレンタカーを返却せねばならないのでミラノ空港近くに泊まる予定なので今夜が実質的な最終日ともいえる。セルビーノはどうなる・・・と案じていると雨は上がり夕焼けになった。雲は流れているものの頂上まで見えてきた。直ぐそこに聳えている、街から近い、チェルビニアはマッターホルンを見るにはチェルマットよりいい。街の何処からでも見えそうだし近かいので迫力がある。稜線沿いに西側に目を転ずれば氷河が迫ってくる。氷河から流れ出る水は滝となって落ちてくる。チェルビニアはいいところだ。
これで今回の旅の有終の美が飾ざれる。

6:10 起床 チェルビーノが見える
8:10 寝直しからの目覚め
8:30 朝食
10:15 雨の中ハイキングへ
12:10 ダム湖の近くで引き返す
13:10 ホテル前 ゴーカートの試合を見る
13:30 ホテルに入る 昼寝
18:00 スーパーで買い物
19:45 部屋で夕食 ピザ ワイン
21:00 雨が上がり夕焼け チェルビーノがくっきり
21:30 就寝

チェルヴィーノ

2011年08月31日 10時14分16秒 |  チェルヴィーノ
7月16日 土 18日目
 旅も余すところ3泊となった、目的の先輩方に会えたのでこれからの日程はいよいよ帰途ということになる。その前にモンブランにお別れしようと又もや早起きしてエギュー・ド・ミディに上った。モンブラン・マルチパスを購入してあったので又もや登ろうという気になったのです。マルチパスは便利なものでバスはもとより周辺の登山電車やロープウェイがフリーになる。3ユーロはデポジット料金だったので最後にカードを返せば返却されただろうに忘れていた。3人分で9ユーロ勿体ない事をした。

 ゴンドラはやはりクライマーですし詰め状態であった。彼らはエレベーターから降りると時間を惜しむように登攀の準備を始める、ザイルを出しアイゼンを着け・・・トンネルの先は氷窟でその外は銀世界、目の前はグランドジュラスで雪の原や稜線にはザイルを結んだ色とりどりの人が行列を作っている。邪魔になるだろうと思いつつも写真を撮った。

1時間ほどの滞在でモンブランの”名残の拝見”を済ませホテルに戻る。朝食の時間には悠々間に合った。荷物の整理をしてチェックアウトし10:30にスタートした。今日のいく先はイタリアのチェルビニアである、そこでチェルビーノ=マッターホルンを見るのが目的です。モンブラントンネルで直接イタリアへ抜けるルートもあるがトンネルでは風景が楽しめない。それで一旦マルティニへ戻って峠越えをする、峠は犬で有名なセント・バーナード峠です。

 見慣れたラ・プラやアルゼンチーノを過ぎ山道を登り始めて後ろを振り返るとドリュが見事な形を見せている。針峰群にさよならを言い国境を通過マルティニへ下ると例のアプリコットのおばちゃんがいた。1Kg買ってあのBMBのスポーツカーを写真に撮る。今日は愛想がよかった。
シャモニーから1時間でマルティニに着き、さらに40分でグラン・サン・ベルナール峠の入り口までき来た。ところが峠への案内板に気付いた時のスピードは時速100Kmなので通り過ぎてしまった。この道路を逆走するのは危険だ、止む無くバイパスのトンネルに入った。けっこう長いトンネルで途中にスイスとイタリアの国境があった。トンネルを出ても下り坂は延々と続くので適当に車を止めてランチにした。下り切ればアオスタである。

 一般道路を走るつもりだったけどいつの間にか有料道路に入っている。チェルビニアへの分岐点と思われるインターで降りようとしたが、ガソリンスタンドに入り込み、其処抜け出るのに逆進するなどしてモタモタする。その様子を見ていたのかパトカーが青赤のライトを点滅ささて追いかけてきた。マズイと思ったけど「チェルビニアへはどう行くの?」と聞く。私たちを見て外国人なので”イタリア語、英語、フランス語、ドイツ語どちらで話そうか?”「英語が少々話せる。」
それで説明を受けるがさっぱり分からない。紙に書いてもらうも分かりづらい。お巡りさんは諦めて”付いて来い!”パトカーに先導されまず料金徴収所で料金を払い街の方へ行く。信号機を左折する、そういえばトラフィックサインとかなんとか言うていた。街は一方通行のようで石畳の道の両側に並ぶ家は古くて立派だ、昔からの古い街だろう。家の間の道を曲がり街並みが途切れトンネルが出てくる、このトンネルの話もしていた。もう大丈夫と思ったのかスーパーの駐車場にパトカーが止まった。深くお礼を言うて記念撮影までして別れた。”まっすぐ行けばチェルビーノに着く。脇道に入るな。”との注意を受ける。(全て英語での会話なので意訳してあります。)

 途中にはダム湖があったりロープウェイが架かっている山もある。この地域は保養地となっているのだろう。30分ほど走るとチェルビニアに着いた。宿を探すために街の上に行くが営業していそうな建物が見当たらない。反対側の斜面にあるロープウェイ乗場へ行く、この時間では頂上まで行けないとのこと、ある程度予期していた答えである。乗場と時間を確認したかっただけです。
乗場のすぐ下にレストランとホテルの建物があるので入った。
人のよさそうなオジさんマスターで、何かを聞くと”問題ない”場所を尋ねると”100m行けばある”と答える。

 宿の通りからガラガラ。ゴロゴロと音が聞こえる、公道を封鎖し大きな音を立てながらゴーカートが走ってくる。明日大会があり練習をしている、エンジン無しの二人乗りでボブスレーの陸上版というところ。鉄車輪なので音が大きい、クラブチームなのかトラックに2・3台乗せてやってくる。大の大人だけでなく親子のチームある、この競技は盛んに行われているようだ。観戦している人にはドイツから来た人もいた、私もファンに見えただろうか。
 翌日は雨の中大会が行われ、スピーカーでメンバー紹介やら実況報告がなされお祭りムードを盛り上げていた。

 夕食は街の契約レストランで10ユーロで食べられるというので出かけた。雰囲気のいい店でビールを飲みスパゲッティ―を食べた。シーズンオフで人通りは少ない。建物越しに山が見えた引っ掛かりを感じて尋ねると晴れたらチェルビーノが見えるとのこと、あれは絶対チェルビーノだと確信する。ホテルのベランダからはガスの切れ目に顔を出すのが見えた。明日の天気は悪いとのこと。

 ホテルの便器が高すぎる、足が地に着かない。こんなことは初めてだ、足が地に着かないということは尻を思うように拭けないということである。とても苦労した、悪戦苦闘し解決法を見つけた、その方法とは一旦床に降りて尻を拭くしかないということです。孫たちに尻拭きの練習をさせるために「自分で拭け」と言うたことがマチガイであることを知りました。 


 本日の走行距離 176Km

5:30 起床
6:00 Hotelスタート
6:40 エギュードミディ行きのケーブルに乗る
7:00 エギュー着
8:00 下山
8:30 ホテルにて朝食
10:30 ホテル発 チェルビーニへ
11:00 コルデモンテス通過
11:05 国境通過
11:25 アプリコット売りのおばちゃん
11:35 マーティニー
12:15 トンネル 有料道路通過 (セントバナード峠への道を外れ)
12:15 国境通過 トンネルの中
12:30 トンネルを抜け出る
12:45 アオスタ手前で昼食
13:10 スタート
13:37 出口とスタンドを間違え戸惑う パトーカーに止められる
13:50 パトカーの先導で○○町を抜け出る
14:25 チェルビニア着
14:45 ロープウェイ乗り場
15:00 ホテル チェックイン
    ゴーカート 練習風景
17:00 街を散策 お土産買う
18:00 街のレストランで夕食
20:00 ゴーカートの練習は続く 就寝

エルブロンネ

2011年08月30日 09時07分22秒 |  チェルヴィーノ
7月15日 金 17日目
 天気は良くなるということだったので早起きしてエギュー・ド・ミディへ行く。6時過ぎだが大勢のクライマーがロープウェイを待っている。シャモニーパスはこれまでホテルで買えたけど今年から乗り物の駅でしか買えなくなったようだ。しかも老人割引もなく70フランに値上がりしている。

 7:05にエギュー・ド・ミディに着いた。昨年のような身を切る寒さはないけどやはり寒い。日は既に上がりマッターホルンーここではセルバンテスかーが雪の連山から小さいながらも頑張って姿を見せている。モンブランも青空に浮かび上がっている、早い時間なので尾根の影が雪原に写り陰影が山を凛々しくしている。この景色を見るために早起きして来たのだ。

 早々にエルブロンネに渡った、30分ほどの氷河の上の空中散歩なので実に爽快な気分になる。氷河のクラックも影があるので凄みを増している。ロープウェイは行きは左側、つまり谷川になるのでモンブラン側を写そうとすると架線が入るので好くない、そこで三連結されたゴンドラを入れることによって架線が邪魔にならず、かつこの状況を上手く表現することになる。

 エルブロンネでは雪原に降りた、ここの方がエギューより寒い。モンブランはノペ~ッとした雪坊主から荒々しい岩がへばりついた山に変貌しは男らしい山になる、ここではモンテ・ビアンカと呼ばれている。
帰りのゴンドラからは氷河から頂上まで一望できる。イタリアとフランスからではまるっきり違う姿を見せるのでエルブロンネの氷上散歩は外せない。

 エギュー・ド・ミディに戻ったところで学士会の皆さんとまた会えた。この時間から上るのには観光客も多く1時間ほど待ったらしい。暫く雑談してホテルに戻った。これから一気に近辺の山に登るつもりだ、まずドリュを見にあるぜんんちーのへ。時間を節約するために車を使う。ものの15分でグランモッテックの駐車場に着く。
ケーブルカーに乗ると自転車が1/3ほどを占めている。若いバイカーたちがおしゃべりしながら既に乗っていた。こういうところは自転車が盛んなところということを如実に表している。

 展望台から目の前にはドリュの西璧が聳えている、ロッククライミングで有名な壁でかつてガストン・レビュファの「雪と岩」という写真入りの岩登りの本があった。そういえばシャモニーにはその本に出てくるスキーと登山学校があった。晴れているので360度の眺望が楽しめた。
下山前にドリュを眺めながらアップルパイとココアを食す。

次はブラヴァンへ、シャモニーの街はずれからケーブルが出ているが坂道を上るのはつらいし時間もあまりないので車で行く。初めて行ったときは1時間以上も歩いた、分かりにくいところにある。乗り換えて頂上駅まで行った。モンブランはすぐそこ、ラ・トゥールも先日とはうって変わって晴れている。
最終便で下る。

 本日は学士会の皆さんと夕食を一緒することになっているので汽車でラ・プラの宿舎まで出かけた。飲み物は球磨焼酎からワインまで、食事は現地のチーズにハムそれにソーメンもあった。もっと話したかったけど50分も歩いて帰るのは嫌だったので20:59の汽車でシャモニーに戻った。4回も会えたので目的は達成された。
学士会の皆さん嬉しかったですよ~


 本日の走行距離  29Km

5:30 起床
6:00 ホテル発
6:50 ケーブルカーにてエギュー・ド・ミディへ
7:10 着
8:25 エルブロンネへ
8:55 着 -2℃
9:45 エルブロンネ発
10:15 エギュー着
    学士会の皆さんと会う
11:05 エギュー発
11:18 シャモニー駅着
11:55 シャモニー発 走行メーター 3747Km
12:10 アルゼンチーノArgentiere グランモンテック駐車場
12:25 ロープウェイ発 12:32 中間駅
12:48 着
13:45 お茶 アップルパイとココア
14:00 下山のロープウェイ
14:35 下の駅着
14:50 駐車場発
15:50 イザベラホテルに戻り、ブラヴァンへ
16:20 着
16:35 中間駅
16:46 山頂駅
17:45 最終便にて下山開始
18:05 下の駅
18:43 シャモニー駅で汽車に乗り
18:47 ラ・プラ駅着
19:00 学士会の皆さんと夕食
20:30 お別れ
20:55 ラ・プラ発
20:59 シャモニー駅着 おみやげ買い物
21:30 ホテル帰着

巴里祭

2011年08月29日 10時35分57秒 |  チェルヴィーノ
7月14日 16日目
 今日は巴里祭の日である、ここはフランスこの田舎町シャモニーも心なしかお祭りムードのようである。イザベルホテルで朝食をとり部屋に上がる、TVはシャンゼリゼ通りの模様を写している。行進を今か今かと待っている、各国の賓客が続々会場に到着する模様を放送している、サルコジ大統領が到着した、いよいよ式典が始まる。期待通りのカッコよさ。

 フランス語圏に入ってからTVを見た、フランス語が分かるという意味ではなくて何故かフランス語圏になったら部屋にTVが置いてあっただけです。過去2回ワールドカップはここイザベラホテルで見た。今日は巴里祭を見てからロープウェイに乗ろう。学生時代は第二外国語にフランス語をとり苦労したことがある。何せ卒業できるかどうかはフランス語の試験の可否にかかった、おかげで卒業後学校を訪ねたとき真っ先に訪ねたのはゼミの教授ではなくフランス語教授だった。

 PCの Boris Vian の脱走兵が入っていて聞いている、ラ・マルセイエーズも。フランス語を勉強したというせめてもの証しです。(笑)



Le Déserteur│脱走兵 (文字化けしていたらゴメンナサイ)
(作詩:ボリス・ヴィアン)

Monsieur le Président
Je vous fais une lettre
Que vous lirez peut-être
Si vous avez le temps

Je viens de recevoir
Mes papiers militaires
Pour partir à la guerre
Avant mercredi soir

Monsieur le Président
Je ne veux pas la faire
Je ne suis pas sur terre
Pour tuer des pauvres gens

C'est pas pour vous fâcher
Il faut que je vous dise
Ma décision est prise
Je m'en vais déserter

Depuis que je suis né
J'ai vu mourir mon père
J'ai vu partir mes frères
Et pleurer mes enfants

Ma mère a tant souffert
Qu'elle est dedans sa tombe
Et se moque des bombes
Et se moque des vers

Quand j'étais prisonnier
On m'a volé ma femme
On m'a volé mon âme
Et tout mon cher passé

Demain de bon matin
Je fermerai ma porte
Au nez des années mortes
J'irai sur les chemins

Je mendierai ma vie
Sur les routes de France
De Bretagne en Provence
Et je crierai aux gens

Refusez d'obéir
Refusez de la faire
N'allez pas à la guerre
Refusez de partir

S'il faut donner son sang
Allez donner le vôtre
Vous êtes bon apôtre
Monsieur le Président

Si vous me poursuivez
Prévenez vos gendarmes
Que je n'aurais pas d'armes
Et qu'ils pourront tirer

大統領閣下
お手紙を差し上げます
お時間がある時
たぶん読んでいただけるでしょう

たった今
水曜の夜に
戦地に出発せよとの
礼状を受け取りました

大統領閣下
わたしは戦争をしたくありません
哀れな人びとを殺すために
わたしは生まれてきたのではありません

あなたを怒らすためではありませんが
でもいわなければなりません
もう決めました
わたしは脱走します

生まれた時から
わたしは父が出征し
兄弟たちが出征するのをみました
そして自分の子供たちが泣くのをみました

わたしの母は苦しみぬき
今は墓の中で
爆弾をあざ笑い
うじ虫どもをあざ笑っています

わたしが捕虜だった時
わたしは女房を奪われ
わたしの魂を奪われ
わたしのいとしい過去まで奪われました

明日の朝早く
死んだ年月を置いて
わたしは扉を閉め
旅に出ます

わたしは物乞いをして暮らすでしょう
ブルターニュからプロヴァンスまで
フランスじゅうの街道を歩いて
そしてわたしは人々にこう訴えるでしょう

服従することを拒みなさい
戦争を拒否しなさい
戦場にいっちゃだめだ
出征を拒否しなさい、と

もし血を流さなくてはならないのだったら
ご自分のを流しなさい
あなたはとんだ偽善者だ
大統領閣下

わたしを追跡させるのでしたら
憲兵におっしゃっておいてください
わたしが武器をもっていないことを
そして撃ち殺しても構わないということを

11:15 ホテルを出てアルゼンチーノ行きのバスに乗る。ドリュの西壁を見ようと考えていたけどアルゼンチーノで学士会の皆さんが乗り込んできた。天気が良くないのでドリュは見えないのでラ・トゥールへ行くというので我々も同行する。
天気が崩れることは確実だ、それでも峠まで行くことにしてゴンドラに乗る。ガスの中峠の小屋で暖かいココアを飲み中間駅でスープで身体を温めという具合のハイキングでした。

 帰りのバスの時間に間があるのでラ・トゥールの駅まで歩く、ラ・プラで皆さんと別れる。偶然会えて雨の仲とはいえ共にハイキングができて楽しかった。特に生物専門のM先輩の草花の説明を現役時代を思い出しながら説明を受けた。あの時も剱岳周辺を歩きながら草花の名前を教えてもらった。私の高山植物の知識は全て先輩の教育によるものです。

 シャモニーに戻り街を散歩する、教会でパイプオルガンを弾いているので暫し聞く。教会とパイプオルガンはよく似合う、ステンドグラスに優しく震わせ漏れた音に気付いて中に入った。アルプスをドライブしていると町や村には教会があり山には例拝所だけの小さな教会がある。今回教会の中に入ったのは初めてだった、たまには心を洗いに教会に入るのもいいものだ。



8:00 アルピナホテル チェックアウト
8:15 Isabellaにて朝食 巴里祭行進中継を見る
11:15 ホテル発
12:12 アルゼンチーノ行きバスに乗る
12:40 R/W乗り場着 天候の為行き先変更 学士会と会う
12:50 ラ・トゥール着 →コルデパルム
    シャモニーパス購入
12;58 コルへ歩く 霧の中 小屋にてココアを飲む12:48

15:45 ラトールの駅
15:50 電車の駅まで歩きだす 
    電車にてシャモニーまで
19:30 教会のパイプオルガン

シャモニーで先輩に会う

2011年08月28日 08時51分00秒 |  チェルヴィーノ
先輩方に会う
 この旅の目的の一つに”先輩方に会う”ことがあった。学生時代に山岳部に所属していて夏・冬・春休みには北アルプスまで出かけていた。卒業後オキナワに帰ったので山とは無縁になった。OB会でヒマラヤ遠征したこもあるのに私はヤンバルの山さえ歩かなかない。近年学士会(OB会)の活動が盛んになり春・秋には例会登山をしている、しかし私は一度も参加したことが無い。

 年末だったか新春になってからだったか学士会がまたアルプスへ行くという話が聞こえてきた。今年から中国にシフト替えしようと考えていたけどアルプスにしようと考えた。理由は二つ、前にも書いたけど我が家には99歳になる母がいる、3週間以上も放って遊びに行くにはやはり気が引ける。それと何年、何十年ぶりかで先輩や後輩の顔を見たかった。

 学士会のアルプス行きに参加することはできないけど、シャモニーで落ち合うことにした。今頃の携帯は外国でも使えるので現地でも携帯で連絡を取り合った。現役の頃トランシーバーで連絡しようにも感度は悪く混線して満足に使えなかったことを考えると世の中は進歩したものだと年寄りじみた考えが頭をよぎった。

 学士会は貸ペンションに滞在することになっていて、その会社の住所を知らされていたのでホテルのカウンターで場所を教えてもらいお土産を持って出発した。ところが探しきれない、その住所は手配会社の事務所の住所でペンションはまるっきり別の場所だった。日本の山岳関係では有名な会社らしいが不親切極まりない。

 おかげでシャモニーからひと駅隣りのラ・プラというところまで3時間も徘徊させられた。宿の近所まで迎えに来てもらいようやく皆さんと会うことができた。大先輩から合宿で指導を受けた先輩、共に山歩きした後輩に久しぶりに会えて疲れも吹っ飛んだ。ず~っと後輩も参加していたが同じ仲間と言う意識があるので年代の違いなど感じずに打ち解けた。

 その翌日、翌々日と会えたので目的が達成されたことになる。嬉しかった。
帰りもシャモニーまで歩いた、汽車のひと駅は50分ほど掛かった。ホテルに戻るとカウンターに人影無し、玄関ドアは暗証番号で開くのだがルームキーを預けて出たので部屋に入れない。どうしよう・・・
近くの広場で人口登攀の大会が催されていたのでそれを見て時間をつぶし、警備のお巡りさんに今から泊まれる宿が無いかと問うと、規模が大きいからアルピナホテルへ行ったみたらとのアドバイスがあった。直ぐ近くのアルピナホテルへ行くと幸い空き部屋があり野宿を免れた。宿賃は二重負担になったけどこの際金の問題ではない。バスタブもある立派なホテルでした。
素泊まりにして朝食はイザベラホテルで食べた。

 旅に出るといろいろなことが起こります、あほさ加減を笑いとばすのがのイチバンの薬でしょう。

スイスのカッパドキア

2011年08月27日 10時20分51秒 |  チェルヴィーノ
7月13日 水 15日目
 雨は上がったような感じであるが周囲の山は湧き出るガスで見え隠れしている。昨日と違い7:30から朝食をとったけど出発は9時過ぎ、毎度のことだが女性は支度に時間がかかる。路面はぬれ空は何時雨が降り出してもおかしくない情況のなか山道を走らせる。谷が深く草原は無いしかしさすがスイスで牧草に対する執念は強い、切り立ったように見える法面に牧草を植えて刈り取りしている。その刈取り法が変わっていて、アームの先に縦型の刈り取り機を据え斜面に押し付けるようにして草を刈っている、このような急斜面では人力は無理だ。牧草に対する執念をここでも感じた。

 カーブを曲がったところで異様な光景が目に付いたので急ブレーキをかけて道路脇に駐車した。まるでカッパドキアを思わせる浸食された砂岩の上に帽子のような岩が載っている箇所がある。薄い塀のようにくねくねと褶曲した壁が山の上から谷にかけて見えた。道路はその壁を掘り抜いて通してある、そのトンネルの周辺はまるでコンクリートの人工物に見えた。トンネルの周囲はコンクリートで固められているが自然の壁と人工物が混然一体となっている。スイスでカッパドキアの風景を見るとは思わなかった。規模はカッパドキアがはるかに大きいがこちらは木々の間を縫うように緑の中をクネクネの壁がはしり奇妙な風景を造っている。思いがけない景色を暫し眺めた。

 Vexと表記された村を谷の奥に向かい幾つかの村を過ぎる。各村に教会の尖塔が見える、ある村の教会はコンクリート打ち放しで形が面白い、古い教会も味があるがこのような近代建築の教会も良い。谷の奥にはディ湖というダム湖があった。ハイカーが10数名合羽を着て出て行った。雨の中では景色も見え無ないだろうと引き返す。晴れたら堰堤の迫力ある写真が撮れただろうに。 

 燃料が1/4を切ったので給油しようと思ったが工場に併設されたスタンドは無人、よく見るとセルフ式でカードも使える。こんな田舎でと思いつつ無事給油できてホッとした。マルティニー経由でシャモニーへ行くだけなのでカンタンと思いきやマルティニーの市内を抜けるのにグルグル回り時間を費やす。その上違うルートに入り込み山の上まで行って引き返した。道を尋ねたお兄ちゃんの腕に「福」という刺青があったので、この文字はハッピーという意味だと教えてあげた。

マルティニーはイタリアのアオスタ、フランスのシャモニーへの分岐点である、本来なら間違わない筈なのにやみくもに間違ったルートを進んでしまった、こういうことはレンタカーの旅ではタビタビある。分基点にあるロータリーのそれぞれの道にFranceとかItliaとか書かれていた。
峠を越すときのアプリコット売りのおばちゃんーBMBのスポーツカーーの話は初回に書いたので省く。

 15:00にシャモニーのイザベラホテルにチェックインする。ここは私たちのシャモニーでの定宿です。
今回の目的の一つである先輩方にも会えたのですが、その顛末記は後日書きます。


 本日の走行距離 171Km

7:00 起床
7:30 朝食
9:05 スタート
9:55 カッパドキアもどきの岩あり 写真
10:10 ベックス ヘルメンスの谷入り口
10:35 ダム到着 霧の中
11:10 モダンな教会 写真
11:20 給油 3642Km 34.6リットル
12:15 マーティニ通過
14:10 アプリコットを買う おばちゃんBMB
14:15 FarconPass通過
14:23 フランス国境
15:00 シャモニー イザベラホテル チェックイン
15:30 ワイン6本 を持ち学士会の宿舎へ出発
18:30 辿り着く
18:45 共にレストランにて夕食
21:30 お別れ ホテルへ徒歩にて出発
22:20 イザベラホテル着 締め出しを食らう
23:30 アルピナホテル チェックイン

谷廻り (アニヴェイエ谷 エレナ谷)

2011年08月26日 10時29分48秒 |  チェルヴィーノ
7月12日 火 14日目
 谷廻りを思いついたのはマッターホルンを裏側側から見たらどのような形をしているのだろうかと考えたからです。ゲンミ峠やエギュー・ド・ミディからのマッターホルンは遠すぎて小さく迫力に欠ける。それでイタリア側のチェルビニアへ行くことにした。
そのこととは別にマッター谷の隣の谷を詰めて行けばどのような形のマッターホルンが見えるのだろうかとの想いも出てきた。それにスイスへ旅行するたびに氷河とか峠とかとテーマを付けてきた。今回は谷を加えてみようと考えてマッター谷の西側の谷を片っ端から回ることにしたのである。

 チナールのシーズンも冬なのか保養客は少ない、通りには大型のホテルや土産品屋が並んでいるのでけっこう有名な場所なのだろう。昨夕朝食は8:30からと言われたので時間に合わせてレストランに行くと人影は見えない。付近を散歩して戻ってくると慌てて出勤してくる人がいる寝坊したのだろう。朝食はチーズ・ハムをカットするだけなので用意はすぐできる。のんびりと言うかルーズと言うかこのような宿は初めてだ。

 おかげで出発が遅くなった、近くにロープウェイがあるのでそれに乗りハイキングで下る。車が通れる広い道路を歩くのだが傾斜が強いので指に力が加わって足が痛くなった。ジグザグ道を歩くのが嫌になり草の斜面をまっすぐ降りる、それも歩きにくい全くイヤなルートだ。
谷の奥にマッターホルンが見えたときは感激したけど歩きにくく疲れるだけのコースにはうんざりした。森林を抜けるルートが良かったかもしれない。結局足に負担が来る2時間のハイキングを終えて次のエレナ谷に向かったのは12過ぎだった。

途中グリモンという村から上流に行くとモワリー湖というダム湖があるので寄った。どんどん上がっていくと巨大な堤防が立ち塞がり、対岸を上り単線のトンネルを抜けると湖に出た。たくさんの車が駐車している、学校の遠足なのか子供たちが多い。ブロンズの細い竜の首から流れ出る水飲み場があった。スイスは水が出ている場所は多いけど飲めないといわれている。飲める水がでているのはめずらしいので水を補給する。

 グリモン村は広く尾根の斜面にたくさんの家が建ち全体的に黒に近い色で塗られているのが印象的だった。エレナ谷に行くにはアニヴィエ谷のほぼ入口つまりヴァレー谷近くまで戻らねばならない。来る時より短い時間でヴァレー谷を見渡せるところまで戻った。見渡す限りのブドウ畑や果樹園が霞んで見える広い谷の底にはシエルやシオンの街が見えた。

 谷を詰めるのに谷底は走らず尾根筋ばかり走っている。畑の脇にアプリコット売りがいるので買った、1Kg4.5chfで熟れすぎたものをおまけにくれた。行止りの道に入り込んだりしながらも先へ進みスーパーで買い物もした。エレナ谷のどん詰まりはアローラ Arolla ちょうど着いた頃から雨が降り出した。ガスがどんどん湧いて山肌を上って行く。川の近くには色とりどりのテントやキャンピングカーがある。ホテルの草原では馬が濡れながら草を食べている。晴れていたらマッターホルンが見えたのじゃなかろうか。

 谷廻りしながら明日はシャモニーへ行く。


 本日の走行距離 107Kmまで

6:20 起床
8:00 朝食の準備がまだ 8:30になる
9:30 ZinalのR/Wに乗る
10:00 下り始める 40分後マッターホルンが見える
11:45 下の道路に出る
12:10 ロープウェイ駅着
12:15 発
12;45 ダム着 龍の首から水 ボトルに入れる
13:00 ダム発 グリメンツ通過
13;35 昼食 ドライカレー
13:45 エレナ谷に向かう Mayoux通過
14:08 ベルコイン通過 ヴァリスの谷が見える ブドウ畑
14:25 アプリコットを買う 4.5chf
14:35 Nax
14:42 Vernamiege への分岐点を目指す
15:00 どん詰まりでUターン
15:15 Suen のスーパーで買い物 70.6chf
15:45 マッターホルンを背景に写真
16:10 アローラに入る
16:30 アローラにてホテルチェックイン
17:00 夕食

ロイカバード

2011年08月25日 20時24分24秒 |  チェルヴィーノ
7月11日 月 13日目
 ロイカバードは霧に包まれているが峠は晴れてマッターホルンも遠望できる。霧が上がればハイキングも楽しいものになるだろう。朝食は7時から食べられた、こんな時間からじょくじができるのは稀だ。ハイキングや登山客の便宜を図っているのだろうか。

 早い時間に食事ができたので出発は8:10と早かった。小屋の脇にジグザグに下るルートがある、ロープウェイから見ると断崖絶壁を穿つように又貼り付けたように見えた道だ。岩陰の道からロイカバードが真下に見える道と変化がある。岩に十字架が彫り込まれている、道中の安全を祈願したのか遭難者の供養なのか。ロープウェイも動いている。霧が出てきて峠が見えなくなった。晴れると青空の下に峠がきれいだろうと思いつつも湧きあがってくる霧の量を考えるとすぐには晴れそうもない。

 途中上ってくる人に会う、この急斜面を上る気力は私には無い、ハイキングは下るルートを選ぶようにしている。ロープウェイで上がり歩いて下る、楽で楽しく歩ける軟弱スタイルのハイキングです。
2時間で車を置いたロープウェイ駅まで来た。ロイカバードは温泉保養地なのでお湯を浴びることにする。テルメと呼ばれる施設へ行った。以下は友人に書いたものです。

温泉保養地
 スイスには温泉保養地が何か所か在ります。Badとは温泉のようでハイジの里の近くにはBadLagazがある。私たちはゲンミ峠の下りのハイキングをした後LeukerBad ロイカバートのテルメと呼ばれ温泉の施設に行った。室内・屋外プールがありジャグジーや打たせ湯もある、みなさん水着着用でゆったり過ごしていた。入場料はケッコウ高くプールのみ19ユーロ、サウナ付きは30ユーロもする。

 私はサウナにした、サウナのエリアは広く8畳間ほどのログハウスがサウナ室になっている。客は私一人、水着のまま坐っていると従業員が来てサウナは裸でいいと言うので脱いだ。暫くすると胸の前でバスタオルを結んだブロンドの女性が入ってきた。ジロジロ見るわけにもいかず素知らぬ顔をしていた。ひょいと見るとその女性バスタオルを敷いて仰向けに寝ている。乳房の垂れ具合(潰され具合)を10代がセメントのスランプ12とすると彼女はスランプ18程度なので30代というところ。二人っきりの暑いひと時を過ごしました。
ところでその時私のイチモツの強度は如何に? (笑) 

 温泉を出てトゥールトマンタールへ行く。特に何を見たいという特別な目的は無い、シャモニーに入る13日までの間にマッター谷の西にある全ての谷を走破するつもりである。まずトウールトマン谷へ行こうと思うが谷の入り口が分からない。谷らしきところに来ても道路が見つからない。行きつ戻りつするも谷の入り口が分からない。道端のアプリコット売りに聞く、お礼に美味しい生ジュースとアプリコットを買った。

 谷の入り口が分からないかったのは私の勘違い、先入観が間違っていた。谷を遡るということで谷および底を流れているであろう川を探したのだが、スイスの谷は深く切れているので其処に道を作ることはできない。谷の奥へ行くには尾根の比較的緩やかな斜面に造られて道で行くのである。峠越えのルートと変わらない。スイスの川に川原が無いので道路が作れないのだろう。このことを理解するのに時間がかかった。

 トウールトマン谷は短く1時過ぎにロイカバードを出て3時前には車で行ける最奥部に着いた。前に立ちはだかる山並みの向こう側はチェルマットになるのだろう。泊るには早すぎるので隣のアニヴィエの谷へ足を延ばす。またトゥールトマン谷入口まで戻りシエルからアニヴィエ谷に入る。

 最奥部のチナールへ行ったが気に入った宿が無くAyerまで戻るも宿は無く、またZinalへ行き宿を探してチェックインした。宿泊施設も充実しているのでシーズンになれば観光客が大勢来ると思われる。

 本日の走行距離 139Km

6:10 起床 晴れていてヴァレーの山並みが見える
7:00 朝食
8:10 ゲンミ峠下り開始
8:40 霧の中となる
10:10 R/W乗り場到着
10:45 発
11:00 アルペンテルメでサウナ&Pool
13:15 発
14:00 Leukを過ぎVispの手前でUターン ジュース屋で道を聞く
    トゥールマンタールを目指す
14:45 グルーベン
14:55 谷の最深部着
14:55 トゥールマンタール最奥部発
15:42 トゥールマン谷の入り口
15:42 Leuk駅前通過
16:10 アニヴェール谷に入る
16:30 Vissoile 
16:45 Zinal
16:50 谷の最奥部着
    AyerまでZimmer探しに行くも無し、Zinalに戻る ホテル探し
17:15 ホテル チェックイン

ゲンミ峠

2011年08月24日 08時33分19秒 |  チェルヴィーノ
7月10日 日
 独特の形をしたピラトゥスが霞んでいる、アイガーとメンヒも近くに見えるロートホルンの朝焼けは期待通りだった。折角だからとピークへ行くとロートホルンではなかった、それで反対側のピークへ上った。十字架があり其処がロートホルンである。山の上に十字架がよくある、天に近いだけ神に近づくのか。

 9:40の始発で山を下る。チェックアウトのときシャモニーのホテルイザベラの予約をしてもらった。登山電車は牧場の端を大きくカーブしながら下り牛が草を食む直ぐ脇を通りゆっくり下る。森林の中に入り木の間越しにブリエンツ湖そしてトゥーン湖も見える。中間駅のチーズ売りの女性の姿は早すぎるのか見えない。

 すれ違う汽車にはもう大勢の客が載っている、ブリエンツ駅でも登山客が列をなしていた。蒸気機関車が煙を吐いているのを写真に撮る。ミニ列車の1時間の旅は雰囲気・風景ともよかった。
湖発は11:00となった、20分でインターラーケンに着き車で入れるならとトリュメルバッハの滝へ行った。狭い岩の隙間から轟音と共に大量の水が落ちる様がすごい。数百メートル落ちる滝も見ごたえがあるけど、岩を穿ち暗い洞窟を白い竜がのた打ち回るように流れるようすも見ごたえがある。エレベーターで上まで上がりトンネルを通って展望所へ行くのだがスイス人の観光開発に対する情熱には呆れるほどだ。自然破壊ということを考えないのかな。おかげで滅多に見られない景観をラクしてみることができるけど。

 2時前にカンデルシュテークに着きカートレインに乗る。ベルナーオーバーランドからブリーグ方面への最短距離で汽車専用のトンネルがあり車両は全てこの汽車に乗せて運ぶ。客車は無く車に坐ったまま運ばれる。12分でトンネルを抜ける、料金は乗用車で27フラン人間の料金を含んでいるので安い、観光バスも乗せられる大きさである。ゴッペンステイン駅からロイカバードに向かう。14:40には見覚えのあるLeuk駅前にきた、ここから山越えしてLeukbadへ行くのだが天気が良すぎて日差しが強い。前回はポストバスに乗ったが今日はレンタカーで快調にとばした。
15:20ロイカバード着、ロープウェイでゲンミ峠へ上った。峠の小屋は数年前に新築したもので部屋も小奇麗で眺めも良い。ど真ん中に螺旋階段があり周囲に部屋が配置されているので自分が何階にいるのか分からなくなる。シャワーはコイン投入すると3分間お湯が出る。止める・出るの操作ができてるいけい3分なので身体を洗うには3分間は充分な時間である。

 窓から見える雪山の中にマッターホルンがちょこっと顔を出している。ゲンミ峠のこの景色が好きだ。前回はここからカンデルシュテークまでハイキングした。今年は峠を下る予定である。
眺めは良く食事も美味しいのでお勧めの山小屋です。

本日の走行距離 137Km

      5:30 起床 窓からアイガー、メンヒが見える 晴れている
6:10 頂上へスタート15分の登り
            Shongtgutsch だったので反対側のピークに登りなおす
        7:10  小屋に戻る
7:40 ホテルで朝食
9:05 チェックアウト イザベラの予約を頼む
9:40 登山電車で下りる
10:40 ブリエンツ着 蒸気機関車写真撮影
11:00 湖畔の駐車場スタート 3193Km
11:20 インターラーケン
        11:43  ラウターブルンネン駅前通過
11:50 トリュンメルバッハの滝
        12:00  入場
13:00 滝発
        13:20 ツーン湖の横通過
13:55 カンデルシュテーク着
14:05 カートレインに乗る
14:18 ゴッペンステイン着
14:40 Leuk駅前
        14:45 Leukを見下ろしながらランチ
        15:05 発
15:20 ロイカバード
        15:30 ゲンミ峠へのロープウェイ駅
16:00 ロープウェイでゲンミ峠へ
16:15 峠の小屋にチェックイン 137Km
18:45 夕食 食事は良い ゲンミ峠
ポタージュスープ、ポーク・ハムのソテー 客17名