どこ吹く風

旅のことを主に書く。

出発日決定

2010年05月30日 09時12分08秒 | 旅への想い
 広い谷間に岩と雪、心の中はアルプスでいっぱいだ。
この二日間で旅行の話が急進展した、いろいろなやり取りがあったのだがとにかく行くことになった。
それでドロミテを廻った後にスイスアルプスに入ると決めて航空路線を調べた。

 ドロミテへ行くのならレンタカーを借りて何処の営業所で返却するかがその後の日程に影響する。そこでドロミテの西の玄関口といわれているボルツアーノ(Bolzano)にもレンタカーの営業所があるのを知り、ミラノ発着でチケットを手配した。

 ところがミラノは希望する日程では帰りの便が満席という。込み合った場合を勘案して前後数日間の余裕を持たせて問い合わせたにも関わらず取れなかった。そこでもっとずらして再度申し込んだ。しかし料金は高くなり手が出せない。それならと帰りをチューリッヒに変更しても席が取れないという。

 大阪のその旅行社には2・3路線を同時に問い合わせていた、いちばん安いのがミラノだったのに予算の教養範囲内の席が無い。そこで問い合わせ時点では高かったKLMやスカンジナビア航空はどうなるか問うと、席はあるというただ料金は問い合わせ時点より若干高くなった。足元を見られたか!
ところが営業員もさるもの、「今年から海の日の祝日移動で三連休となった所為かこの時期のヨーロッパが込み合っているのです、それでかどうか知らないけど航空会社が強気になっている気配がある。」と言う。

 確かに私も別の旅行社にも問い合わせていた、中国国際航空、中華航空も問い合わせ時点より高くなっていて、大阪の旅行社より高くなっている。
この時点で今年は私たちの完敗です。原因6月中に出発できなかったことに尽きる。来年以降もヨーロッパへ行く気ならこの事を肝に銘じておこう。実際去年と2~3万円違う。

さて今年もヨーロッパアルプスへ行けるので、気分を一新して新たにカテゴリーを設定して書こう。グジャグジャもやもやは捨て去り希望・夢を胸に明るい気持ちで書いていこう。ところでカテゴリーの名称は何にしようか。

 行くところのイメージは、「谷間、雪と岩」谷間はチロル、雪はスイス、岩はドロミテ。久しぶりにガストン・レビュファの”雪と岩 Neiju et Roc"を開いた。登山の技術書としての写真中心の本である。その本の名前と同じだがあまりにも個人的な感情が強すぎて一般的ではない。極普通に”ドロミテ”にしようか。 

次から具体的なスケジュールを考えながらその過程を書く。

いよいよ準備突入へ

2010年05月28日 15時51分39秒 | 旅への想い
 夜電話があった。
”7月2日にオキナワへ行く、ゴルフをしたい。」というようなことだった。
ゴルフをするのはかまわないけど、私はゴルフをやらないので、「誰とプレーするの?」と聞くと、私の友人のシングルプレイヤーとやりたいらしい。

 そんなことを言われても困る。他のメンバー集めにゴルフ場の手配を彼にお願いするのはちょっと心苦しい。新年会で酒を飲んで以来顔をあわせていないので、こちらの都合だけで電話するのもナンだし。
それに何よりも昨夜の話はどうなった。中国は止めてドロミテ・アルプスに変更し確か了解したはずなのに。何たる気の変わりよう。それでつい「どうぞ遊びにいらっしゃい、その頃私たちはアルプスへ出発するから」つ冷たく言い放った。

 何かがあっての心境変化だろうから、一晩も経てばまたまた変化をきたすだろう。暫らくは冷却期間だ。私はというと横目で見ておくだけでは止まらなくなるほど期待感が出てきている。

 で、ナンやカンやあったがドロミテへまっしぐらというところ。まずは航空券をネットで調べる。昨年よりも値上がり傾向が強い感じだ。レンタカーも調べる、イタリアで借りるならニッポンで予約するほうが良さそうだ。田舎町では英語が通じなくとも不思議じゃないので、言葉が通じない者たちがアーヌークームーしても始まらない。

 7月の一週目に出発し2週間程度現地に滞在する予定で、出発日は空席状況次第にというところ。今のところ決まっているのはこれだけ。大きく動き始めた。旅は心が動くかどうかである、一旦火が付いたらもう止まらない。
いくぞ~

  ここに至るまでの話を方言で言えば、”取いん掴みんならん”と表現するのがピッタリだ。それが昨夜になって、雲を掴むような話から綿菓子を掴む程度まで固まってきた。目に見えるような形になりつつあることは感じられる。気分は高まっている、これで足を引っ張るような言い草をしたら「オマエは行くな俺は行く」と切り捨てよう。

これからは雑音に惑わされずに前進あるのみ、これからは前向きな話、楽しい準備状況についての話を書こう。

行く先は・・・

2010年05月24日 17時19分58秒 | 旅への想い
 今回の旅行話に実現するなら嬉しい、しかし無理してまで行かなくても良いと余裕を持って対応しているのは前回書いた西安の件が8月に控えているからです。少々卑怯のような気がしない訳でもない。でも実際問題7月に旅行し、さらに8月にも長期旅行をするのは何か後ろめたさを感じる。しかし二人の行きたいという気持ちを考えるともう少し本音・本気で積極的に進めるべきかなとも思う。
 
 昨夜もその後の準備状況についての電話が又あった。妻は私に取り次ぐけど、私は計画を立てる事はできても旅行そのものを行なうかどうかの決定はお二人で決めてくださいと、相変わらずの返答をする。もっと前向きの言葉を出すべきだったかと気にしつつ妻に受話器を戻す。

 二人で話し合ったようで、旅行へ出る方向で纏まったようだ。日程は7月2日から24日までの間という。それで何処へ行きたいのか問うと、予想通り九塞溝との返事があった。
いよいよ本気モードで計画を立てねばならない。

 行く先をどうしようか。九塞溝は何度行っても飽きることはないので私は三度目で妻は二度目でも問題は無い。しかし九塞溝以外の何処へ行くかが問題だ。成都から九塞溝・黄龍観光は3泊4日もあればいい。新たに発見開発された九塞溝のような場所ー検索したが見つからない、たしか40数キロ離れた場所にあったはずだが・・ーへ行ったとしても5日。
それからどうする、先日梅里雪山へ行こうかチョモランマを見に行くかと書いた。しかしその両地域とも7・8月は雨が多く風景を楽しむには不適な時期とある。

 九塞溝は晴れるに越したことはないけど、雨でも池の色は素晴らしかった。だが梅里雪山やエベレストは見えなければしょうがない。何処にしようか。山を見るのはなら天候条件の良い5月か11月がいいというので、それまで待つのが利口かな。それとも7月はアルプス・ドロミテに行って中国は秋まで延ばすのがベストか。

 行かなくても良いと大見得を切りながら7月も秋もなんて言い出したらどのような反応があるか・・・(笑)
この時期雨が少ない地域は何処で、どのような名所があるか調べよう。

西安交通大学語学研修旅行

2010年05月22日 11時21分06秒 | 旅への想い
 昨年は新型インフルエンザの影響で取り止めになった西安交通大学での語学研修だが、今年は行けそうだ。日中友好協会の会長さんは着々と準備を進めているようだ。

 この西安交大での語学研修は、元々会長の個人的な短期留学から友好協会の事業に発展させたものである。第1回目が07年に行なわれて私も縁があって参加した。昨年も期待していたのに潰れてしまいとても残念な想いをした。
あの時西安での同学の方々との忘年会でも早々に来年は絶対に実現してもらいたいと私は要望した。そして機会がある毎に研修旅行の話をしてきた。

 その甲斐あって未だ正式発表は出来ないけど、最後の詰めの折衝をしている段階まできているとのこと。たぶん研修終了後の敦煌への旅行で手間取っているのだろう。3年前は九塞溝へ行った。今度は敦煌だとあの頃から要望が強かった地域である。九塞溝はある人を介して旅行社に任せたけど、今回の敦煌は大学が手配するとの事である。会長さんは相当圧力を掛けたナ。(笑)

 中国との架け橋の役目を一生懸命になさっているのでその方面も考慮したのだろう。私たちとしては総費用が30万円で語学研修から敦煌への観光旅行までできるのだからありがたいものである。
 前回参加するとき”漢語を勉強してこの次は案内役をするから。”と大義名分をかざした。この大義名分というのが大事である、日頃から信用が無い私でも勉強しに行くのだと言うと、それらしく感じるらしくOKしてくれた。

 もちろん約束どおり二人で九塞溝どころかラサまで行った。研修の成果というよりも漢語は話せない、聞けない状態でもなるナントカなるという度胸が付いたというのが本音である。

 今年もこれまで以上に勉強するから西安へ行くゾと宣言してある。この西安行きだけは私の自前の資金で行きます。それが強気に出られる由縁でもある。
今年の日程は、旧盆が終わった直後の8月26日出発となっている。オキナワの場合正月以上に身を束縛されるお盆なのでこの日を念頭においてモノゴトを考えなければならない。また上海へは日木の週2便しかない、その上10月1日の国慶節の大型連休を避けなければならないという条件下では出発日が絞られる。

 8月26日か29日しかない。今回は敦煌だけでなく漢中へも1泊旅行が計画されているようだし、帰りの上海では万博も見学するように要望しているということも聞いた。
勉強以外も盛り沢山の計画が組まれているのでひと月という期間はあっという間に過ぎてしまうだろう。

たのしみだ、そろそろ漢語の勉強に身を入れねば・・・・

写真は、学内の白居易の居所跡にある白楽天像です。晴れた日は学生の布団干し場となっていた。汗の臭いを含んだ湿気で白楽天もたまらないだろう。

梅里雪山かチョモランマか

2010年05月21日 15時23分11秒 | 旅への想い
 旅に出る当ても無いのに後輩にちょっかいを出したり、妹から誘い水を受けたりと、ただの話から無責任な煽りから我が身に火が付きそうな気配になっている。アルプスの山でなくてもいい、中国の山でもいいから行きたくなった。

 妹は九塞溝へ行きたいのに我々の日程に合わず、またいける時間が取れたときはツアーが中止になって、縁が薄いというか不運というか九塞溝に嫌われているようだ。もし中国に決まるなら九塞溝・黄龍は外せないだろう。

 成都から往復4日間コースとなるだろう。初日はバスで九塞溝まで行くだけになる、10時間ほど揺られるのもいい。地震の復旧工事が進んでいれば時間短縮ができるかな。中二日は九塞溝の観光に充てて最終日の4日目に黄龍を見て飛行機で成都に戻る。この日程なら時間の無駄が無く観光も充分出来る。

 さてその後は何処へ行くか。梅里雪山は雨が多くなるころなのでエベレスト見物をしようかと考えた。しかしチベットの山は岩だらけで雪山があまり見えず、退屈な景色が多い気がする。エベレストBCから眺めを見るためにだけで片道二日ずつ掛けて行くか・・・
チョモランマを見たい気もするが、香格里拉(中甸)から稲城、康定を通って成都へ抜ける道は高山植物が咲き乱れるコースでもあるようだ。

 梅里雪山を見てー天候次第だけどーバスないし4WDをチャーターして花を見ながら成都へ戻るルートも悪くない。幻の花といわれる大黄も6~7月がシーズンらしい。取り立てて花好きというわけでもないが群生している花はきれいだ。
 しかし世界最高峰のエベレスト見物も捨て難い、迷うところだ。梅里雪山かチョモランマか。
ただ前提となる旅行へ行くという兆しは未だ見られない。

 しかしここは我慢のしどころで自分からメーユイユイするよりも相手ー妻とその妹ーが行きたいと声を上げるまで素知らぬ顔して沈黙した方が良さそうだ。
それまではせっせと検索に励み下準備をしておこう。(笑)

写真はジョカン(大昭寺)です。

誘い水

2010年05月20日 22時18分11秒 | 旅への想い
 先日義妹から電話があって”次の予定はどうなっているの、早めに決めてくれなければ色々と予定が立てられない。”という風な愚痴とも不満ともとれる内容だったようだ。

 何時の頃からかツアーや個人旅行に一緒に出かけることが多くなった妹である。妻に何故唐突に旅行の話が出てくるのか理由を尋問うと、マイルが5月末で流れる分がある。捨てるには惜しいので航空券を買っておきたい、行く先だけでも決めてもらいたいとのこと。

 私としては、旅なんてその気になれば2週間で計画を立て出発までできるので、急ぐことは無いと考えている。それに私の母がカジマヤーもとっくに過ぎた高齢で一人残して旅へ出るのが難しくなったと話し合ったばかりである。又旅行へ行く行かないの決定権は時期・行く先を含めて私でなく妻とアナタのお二人のスポンサーにあるのでしょう。私はツアコンであって主催側にはなり得ませんとやんわり伝えた。

 でも後輩の件は唯の話に悪乗りしたのだけど、義妹の要求は現実的な話である。何か目の前にニンジンがぶら下った感じだ。その件に関する電話2・3回掛かってきた。マイルのポイントが流れると焦っているようだ。それで流れるポイントの数を聞くと僅か70ポイントという。たったそれだけなら捨てろ、流せと言うた。この程度のチンケな数でやいのやいの言うのかケチ! 
しかし、マイルの話は横においたとしても、旅へ出るという大きな名目チャンスには違いない。またまた旅へ出たい気分になった。

 それで仮に行くとしたらどの当たりがいいかと妻に聞くと、もう一度ドロミテと言うかと思ったら、梅里雪山行きはどうなっているのかと聞かれた。私としてはドロミテを回りたい。しかしスポンサーの意向が第一だから中国を調べておこう。それに義妹は九塞溝へ未だ行っていないのできっと九塞溝と喚くだろう。

 梅里雪山のあるシャングリラか徳欽あたりは6月から降雨量が増えるのでこの時期は良くないと思う。いっその事エベレスト見物はどうだろうか。実現するかどうかは別にして暫らくは旅の計画で楽しめそうだ。

写真は九塞溝の五彩池

旅がよんでる

2010年05月19日 15時53分05秒 | 旅への想い
ここ当分は四方山話書きます。
そうこうするうちに瓢箪から駒ということが考えられない訳じゃない。
そうなったら嬉しいな~

 学生時代は山岳部に所属していた。卒業してからは山も縁遠くなり、ハイキングを含めて登山をしなくなった。当時のメンバーは今でも登り続けいている人も多い。我がクラブにもOB会がある。正式名称は学士山岳会で通称岳士会ならぬ学士会である、もちろん大学名が先頭に付いています。その学士会が数年ぶりにヨーロッパへ行くことになった。私は全ての活動に参加していないが会員の動きは会のMLから流れてくる。

 チロル山行が7月に計画されていた。前回のスイスはクライネ・マッターホルンから目の前に見えるブライトホルン登頂組とフラワーハイキングコースに分かれていた。毎年歳だけは積み上がっていくので参加予定者の平均年齢が古希に近くなっている。チロルとはいえ山で鍛えた肉体は衰え知らずのようだと思っていたら、立案担当者が急に手術を受けることになり計画が延期となってしまった。やはり何処かに何らかの故障を抱えているのだ。無理は禁物次の機会まで待ちましょうと快く了解していた。

 そこで夫婦で参加予定の後輩に、費用も準備し日にち時間も空けていたのだからアルプス・チロルへ個人旅行してきたら如何かとメールでけしかけた。本人は奥さんと二人だけで行くのはどうも・・とか、仲間と一緒に楽しみたいからと個人旅行は考えていないとのResが返ってきた。
彼は前回のスイスも参加はしたものの企画や手配にはタッチしていない。つまり個人旅行が不安なのだろう。特に奥さんを連れて行くという大任に怖気づいたと思われる。こちらは責任が無いのでナンとでもいえる暫らく間をおいて再度けしかけるつもりである。

 煽るにしても個人旅行は意外に簡単であることを説明したほうが説得力がある。案ずるより生むが易しで、ちょっとしたコツが分かれば簡単なものだ。格安チケット、スイスセーバパス、クルムホテルでの宿泊などを伝授しようと考えていたら、私が行きたくなった。
ミイラ取りがミイラになってしまった。(笑)

ちるだい

2010年05月19日 07時02分37秒 | ハノイ
 ハノイの余韻覚めやらぬのに、またもや旅へ出たくなった今日この頃である。なんて書き始めると格好良くみえるでしょうけど、ハノイの旅の思い出はあちらの天気と同じでボワ~っとしている。
妻がとった記録を見るとその時々の行動が思い出され、また写真でも確認できる。それなのになかなか筆は進まない。今回のハノイの旅はあのメモ書きをメインの記録とし、書き残した分は頭の中に捨て置くことにした。

 中途半端な終わり方だけど、ハノイ・ハロン湾の旅はこれにて打ち切りとします。

「ちるだい」とはサンシンの弦が緩んで調子外れになること。気分が乗らずだらけているなどのとき使う方言です。
ハノイは楽しんだけど書き残すのに気が入らなかった。つまり旅から帰ってチルダイしたのです。
ハロン湾の写真のようにハッキリしない気分です。