どこ吹く風

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地震のあと

2008年05月20日 14時20分45秒 | 懐かしい旅の記録
 1999年9月台湾で大きな地震が発生した。その時の避難所の様子をテレビで見ていて感じた事は、さすが中国人避難所での食事内容が違う、見慣れたニッポンでの避難所での食事風景はおにぎりが定番だが、テレビには所謂中華料理風の品々が並んでいた。地震の被害よりも妙なところにカンシンしたことを覚えている。
 台湾という発達した国だからという面と、大災害とはいえ範囲が狭かったのであのような対応が出来たのだろう。

 その翌年2000年の春家族で台湾旅行をした。台中から東西横貫公路をバスで通り太魯閣へ、そして花連へ抜ける計画だった。しかし復旧状況が分からない、道が通れるのかどうかさえ分からなかった。それでも何とかなるだろうと気楽に考え家族4名に妻の妹とその娘の総勢6名で出かけた。
台中からバスが出るはずの横断バスは道路が決壊し普通となっている。代替バスが出ているようで、その路線は震源地の集集から口甫里に出て、霧社を経て山岳道路で大禹嶺にでるルートであった。霧社の手前で小型バスに乗り換えて山道をグングン高度を上げていった。冬には台湾唯一のスキー場となるところも過ぎた。

 この小型バスは大禹嶺から梨山へ向い太魯閣へは翌日のバスしかないという。休憩した大禹嶺の茶店で相談すると白タクをやってくれるというのでお願いした。この交渉には乗客の英語を知っている若者を仲介して行なった。おかげでその夜太魯閣まで辿り着けた、斡旋してもらった若者たちに峠の茶屋の兄ちゃんには感謝しています。
その兄ちゃんからビンロウとかビンナンという噛みタバコ風の檳榔を勧められた。噛んでみたが、どうって事はなかった。眠気覚ましや覚醒作用(同じことか)があるとのこと。「おはよう」だけしか日本語を知らない白タクのドライバーと、当時は”ニイハオ”すら知らなかった私との会話ですからトンチンカンなものであったが、3時間近くの真っ暗なしかも細い山道をぶっ飛ばすお兄ちゃんをヒヤヒヤしながら相手しました。

 旅行は無事予定通り終わった、しかし震源地に近い東勢とか和平、震源地の集集を通った時は壊れたままの家も多く、道路は仮修復という感じである。幹線道路の復旧を急いでいるように思われた。
台湾ですら復旧はこの調子であった。今回の四川大地震は規模がその何十倍にもなるだろう、住民が落ち着くまでには相当な年月を要するだろう、中国政府にはシッカリやってもらいたい。
落ち着いたら絶対に行くべき地なのでその日が早く来るように祈るばかりです。

 地震の被害について書こうと思うも、思い出話になってしまった。繰り返すが、立ち上がれる日が早く来ることを期待しています。


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