どこ吹く風

旅のことを主に書く。

力を抜いて

2006年11月30日 08時58分21秒 | エジプト
 今までエジプトの歴史に拘り過ぎた気がせんでもない、遺跡=歴史だからしょうがない面もあるがもっと身近な事にも目を向けるべきだろう。と思ってエジプト旅行を思い立った頃見つけておいたサイトを開いた。

http://www.kitanet.ne.jp/~natsu-i/index.html
エジプト好きの四人組のおネーさん方のサイトでツワモノ揃いのようだ。当初個人旅行を考えていたので参考にしてアレコレ想いを廻らせていた場です。ツアー参加になったのでちょっと足が遠のいていた。久しぶりに来て読むとコセコセすることは無いとの気分になった。

 私は旅へ出る時は検索してその土地の事を調べる。キーワードを入れて何万と出てくるサイトから絞込み、これはと思うものをお気に入りに入れる。私が選んだものでハズレは無い、正確な情報が得られるところばかりだ。誰かに頼りたいという気持ちで探すので、依頼心の強さが強力に発信されて、他力本願が成就するサイトに出会う。カンニングも力のうちと嘯いた時代もあったが、この選ぶ能力能力もそれと同じ、万とあるサイトから選び出すのだから一つの能力と呼んでいいでしょう。

 またもや料理・食事について調べてみた。
パンは美味しいとある、映画の十戒の中でも小麦を分け与えるシーンがあったので当時からパンを焼いていたのだろう。焼きたてが美味しいと書かれているけどホテルで焼きたてパンが出てくるのか。

 マフシーという米料理もあるようだ。ピーマンに詰めてブイヨンやスープで煮込むとあるので、さぞかし美味しい事だろう。
コシャリ、説明しにくいがタコライスと似チョールーとしておこう。口にする機会はあるのだろうか。
サンドイッチはフィリピンでシシカバブーとして売っていたのを思い出す記述だ。
鳩料理、食べてみたい食事の一つ。
モロヘイヤ、庭に植えていたが何時の間にか見えなくなった。あまり美味しいものではなかった。本場で食べたら美味しいのか、料理法が違えば又味も違って美味しいのだろう期待しておく。

食べ物はもっと調べて、口に入るチャンスを待とう。ただ腹の調子を崩さない為に、グリルで調理されたものは敬遠した方が良さそうだ。生焼けは腹下しの原因になりがちと注意書きがあった。

本を見ながら

2006年11月28日 09時53分49秒 | エジプト
「古代エジプト 探検百科」はその名の通り探検の歴史を解説した本だった。
黎明期のロゼッタストーン、ヒエログリフ解読から始まり年代順に発掘・蒐集の過程を記述していある。写真や図解し見つけた頃の時代・社会背景もあるので近世エジプト史とも繋がるだろう。

 ただ発見した順序なので古代エジプトの年代順ではないし、発見場所も歴史の年代とは関係ないので、エジプト史に疎い私は年代、場所共に整理できないのでこんがらがるだけ。現地で博物館や遺跡を見学する時の雑学としては生かされそうだ。

 この本を拾い読みしながらイヤな気分になっていく、仕方が無いと思うも西洋人の横暴・傲慢さに我慢できない。ペルーやトルコでも感じたことだが、遺跡からの宝物や遺物の持ち出しを不快に感じて読む気力さえ失せる。
それらの文物に興味を示した好事家の努力も過去に光を与え学問的にも飛躍するキッカケになったことは認める。でも・・・という感じが同居しているので読みながら穏やかな気分や愉快な気分にならない。

 あのような先人がいたからこそ私たちが楽しめると、割り切れるのか。チョット見で浅くしか分からないエジプト、どのような気分で眺めることができるのか。出発まであと50日もあるので何でもかんでも見聞きしてその時まで過ごしましょう。

 歴史ってイヤな面もある、それを直視して行かねばならないだろうけど、好き嫌いの感情が入ってくるんだよネ。今さらどうしようも無いのに。
歴史から何を学ぶか、ということでしょう。

図書館の本

2006年11月23日 20時20分17秒 | エジプト
 見つけておいた本が見当たらなかった話は前に書いた。
先日通りがかりに図書館に寄ってその本が返却されていないか確かめた。地誌の棚に無い、変形の大型本なので棚を見たら一目瞭然すぐ分かる本だったので一瞥するだけで並んでいないのが分かった。

 先日も無かったので不思議だ、エジプトを調べたい人がこれほど多いとは思えない、返却を忘れているのかな。
取り立てて借りたい本も無い地誌のコーナーには無いので帰ろうと他のコーナーの前を歩いている時閃いた、もしや・・・と歴史の棚へ行って見るとある。私の勘違いだった、コーナー違いだったのだ。前からそこにあったのだ、きっと。観光・運輸・地誌と勝手に思い込んでいた。

 お目当ての本は、「古代エジプト 探検百科 ANCIENT EGYPT The Great Discoveries」ニコラス・リヴス著で、写真が多くて読みやすそうな書き方がされている。それにどのページからでも読んでも意味が通じそうなので、斜め読み拾い読みが好きな私に向いている。
と思いつつ借りたが、すぐデズニーランドへ出かけたので貸し出し期限が半分過ぎたのに未だ手付かずの状態だ。

 メールの整理や掲示板への書き込み、自分のブログの更新と留守にした後始末に追われて大変だけど、
さあ拾い読みを始めよう。

お知らせ

2006年11月17日 14時03分16秒 | エジプト
 6日間遊んできます。
行き先はディズニーランドとシーです、それに上野動物園のお子様コース。
そう孫を楽しませるための旅行なのです。
私はお守役なので、わんからワンカラして前ユイユイしてはしゃぎまわる事はしないツモリです。でも胸弾むあの乗物を見たら押さえる事ができるかどうか自信はありません。

 もう一つ数十年ぶりにかつての山仲間と会うのも楽しみです。場所は「銀座吉宗」、吉宗の読み方をご存知ですか?
蒸し寿司と茶碗蒸しが有名で・・・

もう出発の時間です、あまり更新していませんが一応お知らせしておきます。
帰りは22日です、ではまた・・・

ペルーの旅 追記(三)

2006年11月16日 17時23分04秒 | マチュピチュ
4月2日 曇り時々雨、後晴れ 10~20℃ リマは暖かい
9:45 プーノ チチカカ湖の観光出発 ホテルにてゆっくりした後、
チョロ(輪タク)にて観光船の出る港へ
   ウロス島内の三つのトドラ(葦の種類)で作った人工島を見学し、生活様式を見る。12:00 プーノ ホテル 荷物をピックアップ
13:00 昼食 フリアカ Plaza 地元の混雑しているホテルレストランにて昼食
    アスパラのスープ、スズキのフライ、アイスクリーム、コーヒー、紅茶
14:30 フリアカ空港  空港のチェックインを終え、リマ行き飛行機出発まで
空港前市場にてショッピング
17:45 リマ空港 直行便に変更になり早めにリマ到着
18:45 ホテル到着 Sheraton Lima Hotel 夕食はホテル内でバイキング料理
             リマ泊

4月3日 晴れ時々曇り 18~28℃ 
7:00 リマ出発 早い朝食を終え、イカに向け出発
9:00 San Luis サンルイス・ドライブイン トイレ休憩
11:15 イカ空港到着 ナスカの地上絵の観光 午前中の気流状態が悪く、
イカの街を観光する。Tajas というチョコが名物だそうだ。)
12:30 遊覧飛行出発 4人乗り、6人乗り、12人乗りのセスナ機で出発。
    ナスカの地上絵を満喫
15:00 昼食 Las Dunas 遅くなったが、イカ郊外の高級リゾートホテルにてバイキング料理
17:00 ホテル到着 Hotel Pracas ホテルチェックインの前に地元のスーパーに立ち寄る
20:00 夕食 ホテル内のレストランにて 選択メニューからの夕食
   (チキン、スパゲッティ、魚メニュー)
              パラカス泊

4月4日 快晴 20~28℃
7:45 ホテル出発 ホテル隣接の船着場から パジェスタ島に向け出発
   カンデラブロ(燭台)の地上絵 パラカス半島の西側にある地上絵を見ながら遊覧
   パジェスタ島 オットセイやイルカ、フンボルトペンギンなどを見ながら・・
   海鳥の多さに感動?
9:45 ホテル帰着 Hotel Paracas 昼食まで休憩、帰国の準備をする
12:00 昼食 ホテル内レストランにて シーフードスープ、海鮮パエリヤ、アイスクリーム
13:30 ホテル出発~リマへ 
15:30 San Luis トイレ休憩 リマへの途中のドライブイン
17:00 夕食 Fu Jou 中華料理 シュウマイ、ワンタンスープ、ホタテの蒸し物、   
ナッツをチキン炒め、
    エビマヨネーズ、デザート(草団子)、中国茶、ビールかソフトドリンク
18:30 Dona Club リマ市内 ミラフローレンス地区(高級住宅街)を後に、空港へ出発
19:15 空港到着 
21:25 カナダ航空 AC81/01便にて帰国 トロント乗継にて日本への帰国
             機内泊

   大変お疲れ様でした!又の機会に地球散歩、ご一緒にいかがですか?
                日通旅行・添乗員 渡辺
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渡辺さん、しっかりした添乗員業務感心しました。
おっしゃるように又ご一緒できたら嬉しいです、
本当に安心感のある素晴らしい仕事っぷりでした。

ペルーの旅 追記(二)

2006年11月15日 17時53分22秒 | マチュピチュ
3月30日 曇り時々晴れ 午後晴れ(朝は寒い) 10~24℃
9:00 クスコ 途中の峠にてアルパカやリャマなどを飼育している牧場に立ち寄る。
11:00 ピサック ウルバンバ渓谷 インディオ達の物流市場のピサックに立寄り
  お土産を購入?
13:30 Toldo's ウルバンバ渓谷  オリャンタイタンボ近郊のウルバンバ川沿いの
    民芸調のレストランでバイキング料理 キヌアのスープ
    高山病の人も高度が低いので(2863m)で小休止
15:00 オリャンタンタイボ 320段もある階段を登り太陽神殿などの
    オリャンタンタイボ遺跡を見学する。
17:30 ホテル到着 SanAgsutin Hotel 中庭のある植え込みの花のきれいなホテル。
    コカ茶で歓迎してくれる。
19:00 夕食 ホテルのダイニング アスパラガススープと近郊で捕れるマスの料理。
    デザートはアイスクリーム
                                                ウルバンバ泊


3月31日 曇りのち雨(朝は寒い) 10~16℃
7:50 ホテル出発 ウルバンバ ウルバンバ川沿いにオリャンタイタンボへ向け出発
8:35 鉄道 ペルーレイル鉄道でウルバンバ渓谷をアグアスカリエンテまで乗車
   車窓から見えてくるアンデスの山々の景色やウルバンバ渓谷の風景が圧巻だ。
10:10 アグアスカリエンテス着 マチュピチュ観光の為、乗り合いバスにて頂上を目指す。
11:00 マチュピチュ インカの天空都市を見学する。残念ながらインカ道は閉鎖中でした。
14:00 昼食 Sanctury Lodge マチュピチュの入口の観光ホテルにてバイキング式の食事
15:50 ペルーレイル クスコに向け出発 途中アンデスの5000mを越える雪山を見ながら~
19:20 ポロイ クスコ手前の街で下車 列車はスイッチバックで走る為時間が掛かるので、  
  手前の駅からバスで移動する。
                                                  クスコ泊

4月1日 晴れ時々曇り プーノは寒し 10~14℃
7:50 クスコ プーノ向け出発 本日はストライキの影響を考え、ホテルを早めに出発
9:15 オロペサ 古いパン屋のある宿場町で途中下車して皆さんでパンを購入。
10:20 アンダウアリアス 有料道路の料金所ちかくにてトイレ休憩
11:00 昼食 San Pablo Hotel 家族経営のアットホームなレストランでバイキング料理
   (お土産品も売っていた。)途中アンデスの近郊最高峰を見ながらバスはプーノを目指す
13:00 LaRaya ララーヤ峠にて休憩 クスコからプーノまでの街道での最高地点で
    アンデスの分水嶺となっている。
14:30 Pucara プカラ 焼き物で有名な村に立ち寄り、トイレ休憩
16:00 Juriaca フリアカ プーノ県で最大の商業都市
    シルスターニ遺跡 太陽神信仰の強い地域の墳墓遺跡を見学
17:30 プーノ Colon Inn Hotel プーノの旧市街の中心に位置する歴史のあるホテル
19:00 ホテル内ダイニング 野菜スープ、ロモサルタード、フルーツサラダ
           プーノ泊
 

ペルーの追記(一)

2006年11月14日 20時34分26秒 | マチュピチュ
 親切な添乗員さんで、旅のメモを送ってきたので参考資料として載せる。
日時・時間・場所・交通関係・内容と表になっているが、txt形式のここでは書きにくいので
私なりにアレンジしてある。
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旅メモ・ペルーの旅
               日通旅行 添乗員:渡辺

2006年3月27日 曇り 
17:15 成田   カナダ航空 2便  成田空港出発トロントへ
15:30 トロント 11℃ トロント空港到着後、入国手続きを終え、乗り継ぎを待つ。(約6時間)

22:30 トロント カナダ航空 80便  南米の中心ペルーのリマに向けて出発
    機内は少し混雑していた。
                         機内泊

3月28日 曇り時々晴れ (朝は寒い) 10~24℃)
6:30 リマ着ホテルへ Sheraton Lima リマ空港到着後ホテルにて小休止
  (幸い部屋の準備ができていた)
10:00 市内観光 大聖堂、最高裁判所、アルマス広場旧市外地区など車窓観光
11:15 ミラフローレンス地区 ボランティア日本人ガイドによる天野博物館見学
12:30 Senorio del Sulcoにて昼食 
  セビーチェ(魚のマリネ)、海鮮パエリア、ムース、コーヒーor紅茶。
  太平洋に面した見晴らしの良い恋人岬の傍のレストラン
14:00 黄金博物館見学 ペルー全土のインカ・プレインカ時代の出土品を展示
  ホテルに帰着途中スーパーマーケット=メトロに立ち寄る。
19:00 ホテルのダイニングルームにて夕食 ウェルカムドリンク=ピスコサワーで
   バイキング料理を自由に!
                                                   リマ泊

3月29日 曇りのち時々晴れ 10~18℃
8:15 ホテル出発 リマ空港へ向け出発 ホテルでバイキング式の朝食後、リマ国内線空港へ
9:15 スターペルー航空 1117便 ペルーの歴史都市クスコへ。
  (ストライキが予定されていたが影響無し)
10:25 クスコ空港到着 一時ホテルに立ち寄りチェックイン。
  (誰も高山病の症状無し)
12:30 昼食 Tunupa ホテルから歩いてマルマス広場に面した古いレストラン
  ペルー料理(クイやリャマの肉料理など)を含めたバイキング料理
14:00 クスコ 歴史箇所の市内観光 12角の石、コリカンチャ(太陽の神殿)などを見学
16:00 インカ時代の遺跡見学 ケンコー遺跡、プカプカラ、
  タンボマチャイ(聖なる泉)、サクサイワマン(インカ時代の要塞)
18:30 ホテル帰着 お疲れさまでした。
19:30 夕食 Don Antonio 旧市街にある古いレストランで
  ペルーの民俗音楽ショーを見ながらバイキング料理
21:00 ホテル SanAgusutin Hotel クスコの旧市街の中心にある民族調のインカ風ホテル
                                                  クスコ泊

エジプトの食

2006年11月12日 06時23分23秒 | エジプト
 久しぶりにエジプトの話しです。
図書館で借りた本を返しながら次ぎ読むものと探したのですが、ず~っと前これは読むべきだと目を付けていた本は未だ返却されていない。エジプトに興味を持っている人がいるのだと思いながら別の本を探した。
エジプト関連は適当なものが無い、インターネットで読むほうがいい。それで日本アルプスの写真集と架空の街の石器時代から現代まで集落から都市ができるまで、それも時代に応じたイラストで説明してある、その本を借りてきた。絵本とおなじなので気楽に変遷を辿れる。
目当てのエジプトの本はゆっくり待ちましょう。

 インターネットでエジプトの食を調べるとパンが美味しいらしい。
スイスへ行くまでパンの美味しさを知らなかった、小さな旅籠でも2~3種のパンが出されるが何処のパンも美味しかった。ニッポンのというよりオキナワのパンーニッポンのパンなんて食べたのは遙か以前のことなので味を覚えていないーそのパンを、パンとはこういうものだと食べていた。それがガラリと考えを新たにした。
エジプトのパンが美味しいのは理解できる、数千年前から食べているのだから絶対美味しいに違いない。
パンをアエーシと言うらしいが期待しておこう。

---Naima Travelのサイトより-----
  エジプト人の一般的朝食はどんなものでしょうか・・・?オレンジジュース、卵料理、チーズ、ヨーグルト、ジャム、アエーシ、コーヒー、シャイ、・・・・・・昼食は、豆のスープ、サラダ(きゅうり、たまねぎ、トマト)、タヒーナ、アエーシ、肉又は魚料理。都会で働く人達は、昼は簡単に済ませる場合が多くなっています。スープには、豆を煮込んだもの、鶏がらなどで取られた出汁にエジプト風マカロニをいれたもの・・・・これが結構こってりと油っぽい。モロヘイヤのスープなどがあります。コシャリと呼ばれる米を使った食べ物もあります。エジプト人は米もよく食べます。
------
モロヘイヤのスープも食べたい、乾燥したナツメ椰子の実も食べたい、果物やお菓子類も見たら口したいものが山ほど出てくるだろう。ツアーなのでチャンスは少ないが何とか味わってみたいものだ。
風景・景観と共に「食」も楽しみである。

旅先での日本食

2006年11月05日 06時16分16秒 | 懐かしい旅の記録
 10日間も2週間も旅をしていると現地食に飽きて日本食が恋しくなるのか、食事どきにグチを漏らす人がいる。それを見越して旅行社も現地の受け入れ旅行社やホテルに日本食をリクエストすることもあるようだし、あるいは現地の好意で日本食が出る場合もある。
 私は食事に拘らないタイプなので日本食が出なくても一向に困らない。これまでの経験上むしろ出ない方が良い。現地の日本食なんてマガイモノが多くて日本風にもならないシロモノが殆んどだからだ。あんな日本食なら出してもらいたくない。

 これまででいちばん最悪な日本食はタイのカンチャナブリ、戦場にかける橋で有名な地方でそこの近くのリゾート地と説明されたホテルでのことです。
ゴルフコース脇に建てられたバンガロー風な部屋からは池で泳ぐ白鳥が見え、なだらかな起伏は芝生や緑に覆われて山まで続いている。素晴らしいロケーションだった。部屋もふた間ありそれぞれが広く都市型とは全く違う造りなので大満足だった。

 タイ最後の夜だったので、添乗員からそろそろ日本食が恋しくなった頃でしょうから、今夜は日本食を用意してありますと説明があった。
時間になったのでディナーバイキングへ行ったら、ご飯に味噌汁、煮付けなどが並んでいる。それぞれをお盆に載せて席に着きビールで喉を湿らせてから味噌汁を口にした。
マズイ、ソーメンは我が故郷のソーミン・プットゥルーがはるかに美味しい。その他のモノもダメ。
食事が美味しいといわれ、また美味しく頂き満足してきたこのタイ旅行の最後の夕食に何故日本食を出すのか、しかも口に出来ないほどマズイものを、私が作ってもアレ以上の味になる。

 あの時もモニターツアーと銘打って募集していたので、直ぐ飛びつきたくなる価格だった、それで少々の事には文句を言わない、言えないと考えていたがアレにはひと言文句を言うた。フツーのタイ料理が良かったのに。
 現地の受け入れ会社は日本側からのムチャな価格設定に対応する為に食事の質を落としたのだろうと考えざるを得なかった。

 全てを含んで1日1万円以下であれほどの旅行が出来たのだから大満足です。惜しむらくは郷に入らば郷に従えを貫いて欲しかった。

ガストン・レヴファ

2006年11月03日 08時46分21秒 | モンブラン
シャモニをバスで移動中に体育館のような建物があり正面に「ECOLE NATIONALE DE SKI ET D'ALPINISME」と大きく表示されていた。
ECOLE・・・エコール・・確か学校だ、何の学校だろう、バスが通り過ぎる一瞬の間にECOLEとSKIが見えた。スキーの専門学校なのか、そのうちにNATIONALEという文字もあったと思い出したので若しかするとアレがフランス国立登山学校だったのか。

 帰りのバスで見覚えのある花の咲き乱れた通りに来たのでヒョットすると朝見た登山学校の前を通るだろうと期待してカメラを構えた。
その時の写真です、この写真からスペルを書き取りました。

 二度見てフランスの国立登山学校であると確信した。日本語の正式名称は「フランス国立スキー登山学校」と言うらしい。この登山学校は山岳部の現役の頃「雪と岩」との表題で出されたガストン・レビュファの写真集を読んで知っていたので妙に懐かしさを覚えた。
エギュウ針峰群もその本で知った、ドリュを見ての帰りに登山学校を通りガストン・レビュファ縁の学校、レビュファのように美しくロッククライミングをやりたいと憧れたこともあったので感慨深く学校を眺めた。

 ディアボレッツアのクルムホテルの夕食時に、たまたま若い男女のアルピニストと同席した。ピッツ・パリュを登るという、ガストン・レビュファを知っているかと問うと、発音が悪かったのか首を傾げる。もう一度言うと分かったらしく知っているというので、若い頃彼の写真集を読み憧れたことを話した。
彼は私たちの話を彼女に通訳しているようだった。レビュファはアルプスのみならずヒマラヤ遠征隊のメンバーとして遠征しているので、アルピニストなら今の世代でも名前は知っていても不思議ではない。

 彼はジャポネがどうしてレビュファを知っているのか不思議だったに違いない。