どこ吹く風

旅のことを主に書く。

2010年10月21日 15時08分47秒 | 西安・敦煌遊学
 敦厚から遠く離れた玉門関へは小型バスで揺られていった。道路改修工事が始まるまでは2時間で行けた所なのに今では4時間も掛かるとのこと。
市内を抜けると見渡す限り砂・瓦礫の世界になる。私は砂といえば白いものだととの先入観がある。実際我がウチナー島の海砂は白い、しかしこの辺りの砂は灰色である。

遙か彼方の地平線までデコボコ道が伸びている、並行して走る車両が遠くに見える。所々で工事をしているが、このだだっ広い砂漠だから何処にでも道路建設は可能だろうに、何故わざわざ今ある道路を改修せねばならないのカ理解出来ない。新しい道を作ってから古い道を取り除くなり放っておくなりの処置をすればいいのに。
考え方が分からない。

 2時間ほど悪路を走り玉門関への分かれ道に来たときトイレ休憩があった。大きな看板がポツンとあるだけの何も無い場所である。男性は右・女性は左側でという大雑把な分け方であった。所々に砂の塊りがあるので先人の痕跡だろう。

 かつては川が流れていただろう河原の跡が見られる、河倉城という名前の史跡があり、万里の長城の端が風化して砂漠に埋もれている姿も見ることができる。草を繋ぎ材に使っているのが時を経たいまでも見られる。人間は考えられないことをやるものだ、夷荻を防ぐ為に何十年あるいは百年単位の仕事をしてきている。凄さよりも虚しさのほうが強く感じる。

 玉門関はその名を聞いたことがあるような無いような関所だ。どのようなストーリーを読み聞きしたのか思い出せない。ただ寂寞とした場所では敵との揉め事が無ければやっていけない。でも事あらば命がけになるから何事も起きない平穏な生活がいいのか。
再建された砦を背に、風に吹かれながらアホなことを考えた。

 玉門関から更に奥にある雅丹まで足を伸ばした、近年観光開発された場所で小さな夷グランドキャニオンという感じの場所である。台湾に例えれば基隆の近くの野柳でしょう。そこは海岸端だが雅丹は砂漠の中の河岸段丘の成れの果てで、侵食された砂岩が奇妙な形で残っている。歴史とは無関係だがその形のおもしろさから新しい観光資源として活用したいのだろう。

 敦煌と奇岩が広がる台地とは感覚的に結びつかない、私ならシルクロードの香りがする遺跡・史跡がいいけど、ツアーの流れとしてはあの荒涼たる台地に向かう気がする。
考えてみるに侵食された岩はかつて水の流れがあったということなので古代の気象と絡めてストーリーを作ればそれはそれで良いのかな。

 帰りも胃腸がでんぐり返えしするような揺られ方をして戻りました。シルクロードは困難を伴なう道であったが、今現在も別の意味での酷い道でした。

写真は草・藁を混ぜて作った長城の一部です。崩壊が激しく、また保存管理も充分でなく間もなく砂漠に埋もれてしまうでしょう。


最新の画像もっと見る