どこ吹く風

旅のことを主に書く。

あれこれ (二)

2007年02月25日 18時23分43秒 | エジプト
 ここいらでエジプト編を終わります。気分が乗らない、しっくりこないからです。何故だろうと自問自答するも明確な答を出せない、出す気が無い。それ故一応エジプトはこれで終わりにします。

 なんだか投げやりな感じだな~
楽しいツアーだったのに・・・
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市場
 市場見物へは一応行ってきた。ハーン・ハリーリのメイン通りが何処なのか分からないのでガイドブックの載っている地図を指さしたら、市場らしき所で降ろされたのでそこが市場であることは間違いない。エジプトの休日金曜日の9時過ぎなので休みが多いと言われた。多いとはいえないが人出もあるし店も開店準備をしている。塵やゴミが散らかっている道を真っ直ぐ進むと薬草や乾物を並べた店が多くなった。観光客相手の店には程遠い。戻ることにして途中まで来ると日本語を少ししゃべるオジサンが「写真を撮るならあちらが良い」と寄ってくるので、相手にせず又見たいところでも立ち止まらず撒いた。

 薄汚い場所だったので観光客向けの通りとは違ったのだろう。それでも数件の土産品屋があった。欲しいものも無かったので孫へのオミヤゲとして小さな太鼓を買った。
この太鼓がクセモノで今我が家の嫌われモノになっている、張られた皮が異臭を放つのだ。初めはこれから臭いが出ていると知らないで孫がお漏らししたのかと尻の付近を嗅いだほどである。二人の3歳の孫が気に入ってトントコ叩くのでそ~っと段ボール箱に密閉して隠した。
シッパイしたお土産品でした。

 1本の路地に近い通りを歩いただけの市場見物、時間も1時間ちょっとなのでエジプトの市場へ行ったとは言えない。トルコのバザールのような華やかさは無く、我が島のナーファの公設市場を思わせる雰囲気だった。事前に調べていたらここが市場だ~という場所を見れただろう。

椰子
 バスや汽車の車窓から椰子の木が見える、オキナワは元よりアジアで見られる椰子の姿とどこか違う。葉があれほど直立して天に向かうのは少ない。ナツメヤシはまるでボンボリのようにま~るくふくらんで四方八方に伸びている。砂漠にラクダそれに椰子という典型的なアラビアの絵に出てくる椰子の木そのものだ。当たり前だがそれが不思議に思えた、アジアにはあのような形をした椰子は無いと思う。

 葉が小さいので直立しても倒れないので全方向へきれいに伸びるのだろう。妻にその事を話しても気付かない、私だけがヘンと感じているのか。
ゼッタイ違う、姿形がチガウ。

あれこれ

2007年02月22日 11時43分06秒 | エジプト
 エジプトは最初からオワリまで方針が定まらずボケた感じのメモになってしまった。
気を入れすぎたのか、それとも気が入らなかったのかこれまでの旅の記録とはだいぶ違い書きづらかった。日程順に書けばよかったのかと思うも、訪れた場所の記述は他のサイトやガイドブックの通りなので、ここで書いてもしょうが無い。ではその場所で感じた事を書けばよいと思っても、その時感じた事は薄らいでしまいアタマの中は砂漠の蜃気楼のようにボケて揺らぐだけ。
でも楽しいツアーではあった。
せっかく行ったのだから小さな出来事でも思い出すままに書いてみよう。

taxi
 ハーン・ハリーリ市場への往復だけ乗った。行く時はホテルの前にいた客引きが声を掛けてきたので値段の交渉をして25ポンドで成立した。他のツアー客から20ポンドでOKだったという話を聞いていたが、駆け引きもメンドウなので最初から一発勝負のツモリで25ポンドと言うたら、50とか40とかナンヤカンや言うので”要らない”と断るとニコニコ顔でOKする。金曜日で休日なので道路はこれまでとはうって変わって空いている。ぶっ飛ばして30分は掛かったであろう。

 帰りは余裕を見て市場から早めに引き揚げた。お巡りさんがいっぱいいる場所でtaxiを探していると、お巡りさんが寄ってきて”taxi?”と聞いて誰か手配師みたいな人に合図する。100とか言うので25で来たのでそれだけしか払わないと歩きかけるとOKと言いながら流しのtaxiを呼びとめて、私が渡したホテルの所在地が書かれた封筒を見せながら何やら話している。運転手は斡旋料を払おうとするが断っているようにも見えた。私は見逃したが妻の話によると結局受け取ったそうだ。運転手の実入りは20ポンド、ツアーメンバーが話していた20とはリベートが入らない料金とすると辻褄が合う。

 運転手はギザ地区は不案内のようでホテルを探せない、私も見覚えがある建物、水タンクを見つけたのでUターンさせたりしてホテルへの道を探そうと必死になる。運転手は道行く人や店に入って尋ねているがハッキリしないようだ。ガソリンスタンドへ寄らせて私がマネージャーに道を尋ねた、元の○○ホテル(名前は忘れた、前日ホテル付近を散歩した時今は閉鎖されている裏側入口に今のホテルと違う名前が書かれていたのを思い出したのだ。)と言うと分かったようなので運転手に説明してもらった。

 帰りの道をシッパイしたのは、ホテルに行くには一方通行の道を通らねばならない、ところが私は出口にある大通りしか歩いていない。それで入口側の通りを通っているのに出口側の通りと勘違いしてホテル入口を見つけきれなかったのだ。錯覚を犯してしまった。だいぶ時間をロスしたので時間ギリギリなら焦ったことだろう。
運転手にはロス時間分の埋め合わせをした。

ヌビア博物館

2007年02月20日 07時38分15秒 | エジプト
アスワンのホテルは、アガサ・クリスティが滞在してエジプト編を書き上げ、またナイル殺人事件の舞台ともなったホテルだった。
ただしそのホテルはオールド・カタラクトで私たちは新館のニュー・カタラクトでした。オールドを見に行ったのですが、日本人ツアーも宿泊していた、代金の違いはこういう所に現れてくる。テラスにてナイル川を眺めながらコーヒーでもと考えたが高そうなので止めて記念写真に収めるだけにしました。

 アブシンベルへの出発はコンボイー外国人の立入制限区域での武装警官つきの隊列移動ーの時間に間があったので散歩へ出た。ヌビア博物館の開館時間に間があるのでコプト教会を先にした。日曜礼拝の最中なのでウロツクのは気が引ける、早々に出て博物館に向かった。
歩いても15分程度なのでゆっくり坂道を登る。馬車曳きが乗れと誘うがやんわり断る、馬が長々と小便を垂らしている、臭い。

 博物館には外国人観光客がバスで続々到着する、入場券を買い身体検査をして入館する。向かいの小高いところには警備の観光ポリスの姿が見られる。
博物館はフラッシュはを焚かなければ撮影はOKだ。規模は大きくないけどエジプトに併合される前は独自の勢力を誇り文化水準も高かったようだ。
ヌビアという言葉の響きも良い、黒肌でエジプト人とは明らかに違う。統合されて3千年も経つのに血の混じり合いが少ないように感じる、居住地からの移動が少なかったのだろう。また数千年の歴史があるので人間が住める地は既に占拠されているので新たに移住することが無かったのだろう。

 石像、宝飾物、武具、馬具や生活用品まで展示されジオラマ風に展示してあるのも数箇所あった。空き時間を利用して見るのに適当な規模と内容でした。これまで神殿だけ見てきたので館内に展示されている小さな品々をじっくり見ると何故かホッとした。

コプト教・教会

2007年02月17日 23時05分51秒 | エジプト
 コプト教と思っていたらコプト正教会が正式らしい。エジプトでは2世紀ごろから発展したとある、1世紀の中頃には教会があったという伝承もあるらしい。キリストはエジプトに逃れてきたのだからエジプトはキリストと密接な関係があり、キリスト教徒がいても不思議ではない。聖書時代からの間柄というところ。
しかし5世紀には既に分裂しているので私が見聞きしているキリスト教かどうかは分からない。

 アスワンの街に教会があった、たまたま日曜日で礼拝が行なわれていた。中に入ったがカトリックの教会とはちょっと雰囲気が違う荘厳な祭壇が見られない、その代わりというかイコンが多数飾られていた。
ギリシャ正教会もイコンを飾る風習があるので似通った面があるのか。

それにふと気付いたのだが、クリスマスの飾り付けがまだ残っている。キリスト生誕の馬小屋の風景を人形を使って表しているアレです。私たちにとってはもう正月も終えているので少し奇妙に感じた。暦が違うのだろう。イスラム暦かな? でもキリスト教徒がイスラム暦を使うなんてヘンだ。ではナンだろう・・分からない。
調べてみたら1月7日がクリスマスのようだ。私たちがエジプトへ出発したのが1月11日だから飾り付けをそのまま置いてあったのだろう。

 アスワンでランチを取ったホテルにコプト教の司祭と信者らしき人々が大勢いた。何かの集まりがあったのだろうけど、黒尽くめの服装はちょっと奇妙に感じた。髯を伸ばし独特の服装はカトリックとは違う。

 カイロでも教会を見学した、元は修道院だったとのことだが古い感じのする教会でキリストがエジプトに逃れてきて場所に建てられたそうだ。キリストとこれほど近い場所に立つなんて何とも不思議な気分だった。
トルコのカッパドキアにも聖母マリアを記念する教会跡があった、イスラムの国にキリストの関係する場所・建物があるなんて違和感を感じる。宗教をあまり知らないからそのように感じるのだろうが、マホメット教なんて後でおきた宗教だからそういうことがあっても不思議ではないのかもしれない。

イスラムの国でキリスト教・・ちょっと不思議な気分になったので書きました。

写真はアスワンのコプト教会の内部です。

ツアー参加者について

2007年02月16日 13時55分09秒 | エジプト
 今回のエジプトは2007年1月11日(木)~1月20日(土)の10日間のツアーで参加者26名と添乗員でした。
今回は何時に無くメンバーを観察してみました。夫婦者5組(酒好きの夫婦、写真にビデオの好きな夫婦、高地からの夫婦、おとなしい夫婦、それに私たち)、母子1組、新婚さん、4名の熟女グループ、3名の女性組、若い女の子二人連れ、独り者3名

私は出発直前のケガのお蔭で三角巾まで着用するように医者から言われて、言いつけを守ったので目立つ格好になってしまった。三角巾は大袈裟すぎる必要ですかと問うと、動かさないようにした方が直りが早いし、その方が気をつけることになると言われたので素直に手を吊っていた。しかし手を動かさないというのも疲れるので旅行の数日目には外してしまった。
 またオキナワから参加したので目を引く事になった。オキナワはこのところ観光地としても有名になり、それに三角巾のこともあって皆さんに直ぐ覚えてもらったと思う。また特殊な社会・政治状況もあるのでウチナーンチュにはいろいろと好奇な目がむけられると感じるのです。べつに悪い事とは思っていません、むしろ注目されて嬉しいのです。
と、自分の事から紹介するのもちょっとシツレイかもしれません。

 まそれぞれ特徴のあるカップル、グループもしくは一人旅の方々でした。これまでツアーといえば年寄りの集まりだったのに、エジプトは若い参加者がいた。エジプトは若い人にも魅力があるのでしょう。ツタンカーメンなのかピラミッドなのか、それとも歴史全体なのかは聞き漏らした。
 若い獣医さんがいた、飄々とした感じがして、何時もサブザックを担ぎ説明を聞いて納得した顔をし、風景を眺めている。人間ではなく動物を相手にしているので世間と距離を置くという職業柄が出ているのだろう。

 新婚さんもいた、潜水艦乗りで知らない世界の事をアレコレ質問した。私はオキナワで半期地闘争に参加している旨を話したが覚えているかな。精悍な感じのする若者という印象がした。フリータイムにハーン・ハリーリ(市場)へ出かけ、道路横断する際に奥さんを置いてけぼりにして自分だけサッサと渡り、さすが訓練を受けた人は違う、とは獣医さんの話。
 そのことを本人に話したら、奥さんが「そうよそうよ、もっと強く言うて!」と笑っていた。

 母子連れ、優しそうなお母さんにちょっぴりシラケ気味の今どきの娘さん、お母さんの愛情を受けすぎて、もう少し放っておいてという雰囲気だった。帰ったら成人式があるとのこと、お母さんの喜びは如何ほどか・・仲良しの母娘だった。
ふくよかな身体いっぱいに家族愛が漲っているお母さんと帰りの飛行機でしゃべりすぎるほど話をして隣で独酌している方に呆れられた。そのうち写真を送ろう。

 そのお母さんに、我々夫婦がお似合い、仲良し、羨ましい、素晴らしい夫婦と褒められたので、ついその気になり妻に「我々は良い夫婦だってヨ。」と伝えると、”外ヅラが良いのだから。”と憎まれ口を叩く。「いやいや世間の目はマチガイも多いが、この件に関してはよく観察しているじゃない。合っている」と私も負けずに言う。
帰ってから子供たちにその話をすると、あまり良い気にならない方が身のためよと言われた。素直に受け止めれば良いのに。(笑)
 
 まだまだ特徴のある人たちが参加していました。その人たちについてはいずれ、ということで。
これほど参加者全員を観察したのは初めてです。

写真はエドフにあるホルス神殿にて説明を受けているところです。

バクシーン

2007年02月15日 07時27分18秒 | エジプト
 エジプトにはバクシーンという風習というか習慣というか、そういうのがある。どこかの国の”チップ・チップ”と同じように見える。
元々回教圏では喜捨という精神があるので、その延長線で変化したと考えれば良いのだろう。とは言え私も詳しい事は知らないが、この”バクシーン"は度々聞いた。手を差し出すので何がしのかの金を出すかどうかはその時の状況次第というところ。

 いちばん多くその場面に出くわすのは観光地での写真撮影のときだ、一緒に写る或いはカメラのシャッターを切ってもらった後必ず言われると覚悟すべきだ。それがイヤなら頼まない事、頼まれもしないのに寄ってくるのを無視するしかない。渡す金も1LE(エジプトポンド、約20円)から5ポンド100円程度なので、まあ・・・でしょう。

 王家の谷で墓地に入ったときー入場券で3箇所の墓地に入れる、ただしツタンカーメンの墓は別料金だった。入場する時チケットの角を切り取り3ヶ所切り取られたら無効になる仕組みー5時前のオワリの時間帯だったので客が私たち夫婦だけしかいない。墓の中は撮影禁止なのでデジカメの電源は切ってあった。すると中にいる番人は身振り手振りで
写真をとってもいいと言う。100円か200円で内部の記念撮影が出来るので心が動かされたが断った。後で問題を起こしたくなかったからだ。言葉が通じ無い上言いがかりを付けられたらどうしようも無い。
でも多分そんな悪党めいたことはしないだろうから写せばよかったかナ~とも思う。そう考えながらも私は小悪党にならなかった。

 またアレキサンドリア博物館でトイレに入ったら、おばちゃんから要求された。ガイドは公共施設なのでトイレチップは要らないと話していたのに。バクシーンなのか使用料なのかハッキリしなかったが0.5ポンド払った。ヨーロッパから来たらしい観光客には要求しない、日本人狙いなのか。すこしムカついたがそのオバチャン腰掛を持ってきて妻を待っている私を坐らせてくれた、せめてものサービスなのだろう、これで心が晴れた。私も単純だ。

 喜捨は持っている者が持たない人に分かち与えるもので、与える人も与える喜びを感じるので貰う側は、平身低頭精神的服従することは無い、当たり前として貰うのだそうだ。そのような精神構造・感覚は分からないけどバクシーンはその類のものだろうから、適当に判断して出す出さないはを決めた。
チップというのに慣れていないのでムツカシイ。

写真は街角のパン売り、少々埃を被らないと味が出ないのだそうです。
冗談かもしれませんがガイドの話です。
公定価格は1個1円程度だそうですが、小売だから幾らになるのか・・?

アラビア数字

2007年02月14日 07時23分57秒 | エジプト
 エジプトへ行くのにアラビア語の一つも覚えずに出かけた。
エジプトの言葉はアラビア語であることすら考えておらず、エジプトはエジプト語と思っていた。ガイドブックに書いてあるのに気に留めていなかった、たしか数字の読み方オハヨウとありがとう程度は覚えた方がいいともあった。しかし何も勉強せずに出かけた、ツアーなので不自由しないという意識が強かったのだろう。

 平たい筆で書いたような太さと細さが混じったアラビア文字だらけの看板を見てもサッパリ分からない。文字が読めないのは当たり前として、数字、これも私たちが使っているアラビア数字、つまり算用数字では無くて平仮名若しくは漢字に相当するアラビア文字で書かれている。物の値段がまるっきり分からない。

 ある夜ホテルの表通りで乾物屋に入った。薬らしいものから穀類やお茶などが並べられている。店もきれいで価格が表示されている、単位はKgだろうと思いながら店に入り見ているとデーツ、ナツメヤシの乾燥した実がある。カマスに入っていて価格表示だろうと思われる札に9と読める文字が書かれて立ててある、安いのでそれを買うことにした。隣のカマスにはもっと質が良いデーツがある、この方が美味しそうだったのでそれに替えてもらった、表示は10とある。たった1ポンドの差でこれほど違うものかと二人で話しながら支払おうとすると15ポンドと言う。10と書いてあるじゃないかと札を指さしながら私は強い調子で言うた。
すると神を持ってきて15と書く、何回か10と言うが結局根負けした形で15ポンド払い、それも2Kgに増やして買って帰った。

ホテルでガイドブックの数字の項を読むと、なんと私が10と思った0はアラビア文字の5だったのです。その5はギリシャ文字のデルタの小文字のように、0の頭にシッポがチョビッと出ているのです。私はそのデルタの小文字δ(文字化けしないかな、デルタの小文字です)のようなアラビア語の5を0と勘違いしたのです。
知らなかったとは言え悪い事をした、あの店は価格表示がされていたのに外国人だからボッタと思ってしまった。ゴメンなさい。

 それにしても紛らわしい。今アラビア文字・数字で検索してみた。すると私がアラビア数字と書いたものは、インド数字と表記されている。アラビア人はインド数字と言うと注記されている。その上δのような・・と書いたが、0そのもので形が少しおむすび型になっている、二重三重のマチガイ、勘違いをしている。
書いていながら私も数字の表現・書き方が混乱気味です、言わんとした事はお分かりになったでしょうか。

神殿

2007年02月12日 11時29分37秒 | エジプト
 エジプトツアは数千年前の遺跡・史跡巡りをすることである。神殿・葬祭殿・墓所および関連文物を訪ねるのだが、歴史・時代背景や神話を知っていたらなお理解し易い。ところが付け刃的に読んだだけなので時代の順序や神話との関連がチグハグになりただ見ただけになってしまった。それどころか行った先さえ覚束なくなっている。

 カルナック神殿、ルクソール神殿、ハトシュプスト葬祭殿、ホルス神殿、コム・オンボ神殿、イシス神殿、アブシンベル神殿を見た。アブシンベル神殿は岩山を彫って造ったので判別できるが、その他の神殿は入口の壁がおよび門があって柱が並びご神体が置かれていたであろう部屋がありと似たようなモノばかりなので区別がつきにくい。それにどのファラオが建立したのかまではとても分からない。
太陽神を崇めて建てる神殿なので似たような造りになる、ギリシャ・ローマの影響を受けた時代も説明されれば分かる。またキリスト教が入ってきて神殿を教会に模様替えした跡もあるが説明されて初めて気がつく。

 神殿や葬祭殿・墓所を上記のように見てきてが、いちばん感銘を受けたのはアブシンベルだった。アスワンハイダムのあるアブシンベルに移築されたとはいえ建設当時そのままの姿で残っているアブシンベル神殿を3回見学した。
最初は昼間で、観光警察の武装警官に前後を警護されて砂漠地帯を走り、ホテルで昼食を取ってから出かけた。
写真で見た事のあるラムセス二世の4体の像が東の方角を向いている。大勢の観光客で賑わっていて内部も落ち着いて見ることが出来ない。人々の間から壁の彫り物を見て、天井を見上げて描かれた図をみる。写真に見られる彩色は無い。最奥部の3神体とラムセスの象は想像していたより小さい。柱や各部屋は彫り物で埋め尽くされている見事な出来映えだ。
隣には后の神殿もある。

 夜音と光のショーを見に行く、神殿全体をスクリーンに見立てて映像を投射する。高さが50m巾は200mはあるだろう、隣の后の神殿も同様のスクリーンになるので首を振らねば全体を見れないほどの規模は圧巻だった。レーザーショーというのでたいした事は無いと考えていたが、これまで見たチャチなものとはまるっきり違うものだった。あれは見てもおもしろい、お勧めです。ピラミッドのモノより良いそうだ。

 翌朝日の出観賞ということで早起きして神殿へ行った。薄明かりの中に神殿がある、やがて日が昇るにつれてラムセスの像が輝いてくる。誕生日と即位の日は最奥部の像に光が当たるようになっているとのこと。内部に入ると柱の前にある像に太陽が当たっている、部屋の壁も明るいせいか色が浮かび上がっている、昨日見た時はくすんだ色だったのに朝日で明るくなった部屋は全体が輝いているように見えた。
アブシンベル神殿は早朝見るべきだ。

 4体の像のうち決められた日に日が当たるのはイシス神とラムセス二世だけだそうだ、2神を押しのけて自分が目立つようにしたラムセスは自己顕示欲が強かったようだが、それを如実に物語っている。
また2月の誕生日と11月の即位の日に太陽が像を照らす仕組みになっているとのことだが、2月と11月に同じ方角から光を入れる事って出来るのだろうか。春分・秋分の日に当てるのは出来ると思う、ガイドが日にちを間違えたのではないだろか。

アザーン

2007年02月10日 08時04分51秒 | エジプト
 夜明け前ミナレット(イスラム寺院の尖塔)に取り付けられた拡声器から抑揚のある声が聞こえてくる、これをアザーンと言うそうだイスラムの国に来たと実感する。
未だ暗いのに眠気を覚ます大音量で、あちらこちらのミナレットからアザーンが聞こえてくる。お互いの声が重なるが合唱のように調和している、コーランの一説を読んでいるのか、”もうお祈りの時間が来たよ、寺院に集まってともにアッラーに祈ろう!"とただ呼びかけているのか、張のある声の二重唱三重唱が心地好くベッドに響いてきた。

 一斉に呼びかけるのではなく時間差がある、輪唱ように声が後追いしそれが二重唱三重唱に重なるところがおもしろい。近くのミナレットのは大きく遠くから流れてくる声はバックコーラスのようにその声を引き立てている。街にモスクは数多く見られるので次々とコーラスの輪は広がっていくのだろう。
 イチバンに声を上げるのは担当者が朝起きした順番というより寺院の格もあるだろう。隣のモスクのアザーンを邪魔せずに自分たちの呼びかけをしそれが調和して流れるタイミングを理解しているようだ。
ホテルの隣がモスクでなければモーニングコールよりも風情がある。静かにひんやりした街並みに流れるアザーンは好いものです。

 金曜日はイスラム教の休日でモスクに出かけてお祈りするとのこと。通りに散歩に出かけた問い路地を封鎖するようにシートやゴザが敷かれている、モスクに入れない人たちのために特別席が設けられている。トルコではお祈り用の敷物を持った人が多々見られたがエジプトではさほど多くなかった。
時間になると集まり始めて大勢の人が流れてくる話に耳を傾け、立ったり坐ったりして祈っている。ミレーの晩鐘も祈りの姿として良いが、街中で路上に座って祈る姿も圧巻だ。
イスラム教徒は1日5回のお祈りがあるそうだ。日の出前、正午、日が落ちる前・・・それに・・忘れた。ホテルの廊下の隅で独りで祈る姿も見た、列車の通路で祈っている車掌もいた、神に向き合う姿は写真を撮るのも憚られるほどの力がある。
聖書は旧約・新約とも一応目を通したことがある。コーランは未だ無い、機会があったら読んでみようと思う。旧約聖書のようにおもしろい物語なのか。アッラーアクバルと叫びながら銃を乱射する気持ちが分かるようになるか・・・

写真説明:街角のモスクに入れず路上で祈る人たち

おみやげ

2007年02月08日 20時27分49秒 | エジプト
 エジプト土産を出発前にプリントアウトした。エジプト大好きの女性4名が運営しているサイトからの情報です。エジプトに興味を持った人なら必ず行き当たるサイトでしょう。当初は個人旅行をしたかったのお気に入りに登録して隅から隅まで目を通した。結局ツアーに参加することになったがたいへん参考になりました。それにしてもエジプトに魅入られた彼女達の行動・旅には敬意を表します。
 私は目的に合ったサイトを探すのが上手いと密かに自慢している。間違いありませんエジプトならここです。
http://www.kitanet.ne.jp/~natsu-i/index.html

 そこのお土産の項にはパピルスから香水、織物、金銀製品に食べ物・雑貨など20数種類の説明がある。オミヤゲの品定めに役立つばかりでなくエジプトの物産品を知ることもできるので参考になった。
観光途中でお土産品屋に寄るので主な産品品質のよい値の張る良い商品は見る事が出来る、私たちが買うものは子供や身近な人へのミヤゲなので店の人が勧める品々には手が届かない。香水の場合安いのは1個数百円だが数を買い香油も買うと2万円ほどになった。市場で買うと半額程度にはなるだろうが、ガイドが言うように品質保証とそれに市場へ行く時間があるのかどうか不確定要素があったので連れて行かれた店で購入した。

 ツアーでは必ず案内される特産品や貴金属の店だがエジプトでは絨毯、香料と香水壜の店、貴金属、パピルスなどである。製作の実演付きなのでまあ我慢して店内をブラブラする、売り子さんがしつこく付き纏っても相手にしなければいい。絨毯1枚買うより貴金属に金を使うよりももう一度旅行した方がいいと思うので見るだけに留めている。

 何処の国の何処の観光地でも物売りはいる、「安いよ安いよ、千円、千円・・」興味を示さなければ「いくら?」とくる。幾ら安くても要らないモノは要らない、と思っても諦めずに付いてくる根性はすごい。家族と最初に行ったバリ島でこの手の付き纏いへの対処を学んだので苦にならない。
 パピルス、ガイドの説明ではパピルスでは無くバナナやサトウキビなどの代替材料を使った偽物のパピルスらしいが、そのパピルス売りは始めは20枚千円から30枚になり40枚になった。キンキラキンのエジプトをモチーフが印刷されているのでオミヤゲとしては安くていい。貰った側は捨てるに捨てられず困る人もいるだろうけど。(笑) 
そのくらい値下げしたパピルスを買いました、ツアー同行者に10枚とか数枚とかを分けてあげて喜ばれた。
 あの偽パピルスにロゼッタストーンを印刷したら日本人に売れると思う、10枚千円でも私なら買う。その方面に関係者がおられるならアドバイスしたらどうだろうか。皆さんもそう思いませんか。

 商品にぶっ掛けて売るのは半端じゃ無い、中国も凄かったがエジプトもスゴイと言うかヒドイと言うべきか。自由時間を利用して市場へ行った時葦の笛があった、吹くのは難しそうだったが友人へのミヤゲに良いと思い値段を聞いた。葦か竹笛なのでせいぜい200円とかそこらだろうと思っていたら、120ポンド(2400円)と言う。そんなバカなと思い要らんというと100、80と下げてくる、それなら要らんと手を振りながら店を出ると付いてきて「幾ら」と聞くので5ポンドと言うと「アリババ」と言いながらOKと言うが今度はこちらイヤだと意地で買わなかった。まあ特殊な例かもしれないがこういうこともありました。

写真はスーク(市場)の風景

交通事情

2007年02月06日 07時26分10秒 | エジプト
極端に交通信号機が少ない国だ。しかも街の道路は中央分離帯があるので目的の場所へ行くにはUターンしなければならない。Uターンがし易いように中央分離帯を円弧を描いて切ってある、その付近は車線もUターン専用路線が設けられているので、それなりの配慮はなされている。

 場所によっては街区を一回りして方向転換する場合もあった。慣れれば問題も無いだろうが、初めて走る人はタイヘンだろう。Uターンする時も相手車線に割り込むのだから、ある程度強引に進まないと何時まで経ってもUターンできない。信号が無いというのは車は渋滞した時以外は常に走っていることになる、流れの切れ目が少ないことなので遠慮していたら割り込めない。割り込みのクセにクラクションを大きく鳴らして突っこむ様はフツーの神経ではできない。

 路地は一方通行が多い、しかしそこを逆走して来る車が絶えない。両側駐車していてすれ違いが出来ないが、その場合は逆走して来る車が道を空けるのがルールのようだ、当たり前だが。逆走車は駐車している車列の隙間に入ったり、脇道に入ったりして通り過ごさせる、正当な方向へ走っている運転手は文句を言うわけでも無く道を空けるまで待っている、エライというかお互い様といところか・・・よその国では通用しないだろう。

 車の場合は乗っているだけなのでタイヘンだな~とかおもしろいで済まされる。しかし道路を横断しようとすると一大事になる。路地ならともかく道路を横断しようと考えても止まってくれる車は皆無なので自力で車の間を縫うように横断せざるを得ない。3車線道路をぶっ飛ばしてくる車、それも空きがあれば割り込んで先に進もうとするドライバーが多いので歩行者のことなど眼中に無いようだ、ホントは注意をしていると思うがそのように見える。

 妻とホテルの近くを散策した時、反対側の店へ行きたいと横断を始めた、中央分離帯までは辿り着けたが、その向こう側はとても渡る勇気が出ずに引き返した。でも諦めきれずに今度は横断する気配のあるご婦人の脇へ行き一緒に渡った。とてもじゃないが男の人には付いて行けない。買い物を済ませて戻るのも一苦労した。
 アレキサンドリアでも地中海に近づくために皆でワイワイキャーキャー言いながら渡ったが、戻りきれない女性グループがいてガイドが迎えに行ったこともあった。

 エジプトではただ道路を横断するだけで別世界を体験できる。けっこう楽しい思い出になりました。

写真説明:手ぶれ見づらいですが横断中の人、もっとスゴイのですが撮れませんでした。

治安について

2007年02月04日 14時42分01秒 | エジプト
 エジプトはお巡りさんの姿が多い。観光施設や遺跡にはツーリストポリスにとマークに描かれたお巡りさんが大勢いて目立つ。ルクソール事件があったので観光が国の経済を支える大きな柱なので観光客の身の安全を守る事が国の経済を安定させる事になるので、その方面を強化したのだろう。ツーリストポリスとなっているから交通や刑事とは別部門になっているのだろう。検索すると遺跡を警護する部門は又別組織になっているようだ。詳しい事は知らないが、どの施設も警戒が厳重な様子は分かる。

 遺跡の入場口付近には鉄製の盾の後から機銃を覗かせるようにしたポリスがいる、小高い所の人影もポリスと思われる。これほどのポリスが施設内外に常駐しているとテロは起き難いでしょう。

 また地方のある箇所は外国人の立ち入りが制限されていて、その地点を通過する際は武装警察隊が同行し、観光客の車両が一団となり移動する。私たちのツアーはルクソールとアスワン、アスワンとアブシンベルを移動する時はその隊列に加わった。10数台のバス、ミニバスの隊列だったが少ないとの事、40台も並ぶ時があるそうだ。
先頭の警察車両はぶっ飛ばすので、車間は離ればなれになってしまった。前と後では10Kmは離れただろう。遅い車両は最後尾の警察から早く走るように注意がなされる場合もあるという。

 都市部の観光では、ツアーのバスに私服だが武装したオマワリが同乗する。テロが起きる背景はいろいろあるだろうが、国民の支持を受ける素地があるなら武力による押さえつけでは解決しない、何時までも平穏が続くわけが無い。車窓から見て、ガイドから話を聞いただけの印象では、最低限の食料は価格が安く統制されていて飢える事は無いようだ。問題は社会的公正さと思われる。貧しい階層にはイスラム同胞団という組織が食い込んで一定の支持がある。そのイスラム同胞団の一派がルクソール事件を起こしている、しかし自己批判をしてその影響力を維持しているようにも見える。
 中東問題では独自の道を進むエジプトだが舵取りはたいへんだろう、社会的公正がキーワードと私は感じた。

 観光警察、遺跡警察が独自に設けられた背景を私が妄想する、例の如く妄想なので根拠も何もありません、僅か数日の観光中に思いついただけです。
 第四次中東戦争の戦後処理でエジプトはイスラエルと単独和平条約を結んだ、その結果占領されたシナイ半島が返り、スエズ運河が安全に航行できるようになって経済面では良くなった。しかし条約で兵力が200万人に抑えられ事にもなった。その頃から著しい人口増があり兵役適齢の若者が増えたが軍隊で吸収することが出来ない。そのために兵隊が担ってきたある部分を警察に委譲しその部署の人員・組織を大幅に増やしたのではなかろうか。
これは私の妄想です、他所でしゃべって恥を掻いても責任は持てません。

写真説明:村への不審者侵入を警戒する様子、写真を撮ってはいけないと言われたので、バスの中から写した。