どこ吹く風

旅のことを主に書く。

ラサから香港へ

2008年11月30日 20時48分57秒 | 08年中国の旅
 ポタラ宮を見たことで今回の中国旅行は終わった。あとは帰るだけとなった。長いような短いような2週間でした。九塞溝、海螺溝、青蔵鉄路にラサと廻った、でもどちらかと言えばゆったりした日程だったと思う。成都では中継地としたので3泊したものの1泊ずつの3回と細切れになった。これまではグル~ッと廻る方式で旅行してきたが、フォーク式の行きつ戻りつ式の日程の組み方も良いことが分かった。
拠点にしたゲストハウスが良かった所為もある。

 行きたい場所へ行けて、見たいものを見て・・と全て予定通りに終わった。ラサからは成都を経て香港まで一気に戻りました。この時間ではNAHAへの便はなく、香港で1泊しなければならないのですが、チケットが14日fixなので出国しなければなりません。日数の制限さえなければ成都泊が費用的にも安上がりです。
中国のノービザが15日、チケットが14日fix、あっさりビザを取ってたっぷり遊ぶのがいいかも・・・

 中国旅行をするために中国語会話の勉強をしています。しかし年数、月日は経つものの会話能力はさほどアップしません。それでも個人旅行はできます。極力会話をしなくても目的が遂げられる方法を考えれば良いのです。筆談でもいいのですけど簡体字のもんだいがある。以前書きましたが私は Cozy's House のお世話になって今回の旅行をスムーズに運ぶことができました。一番ヤッカイな交渉・手配をお願いしたので、指定場所へ行き乗っかって行けばいいだけだった、全てアナタ任せでした。
このようにズボラな考え方でも個人旅行を楽しめます。

 ただ或る面大らかに、言い方を替えればどうでもいいとテーゲー主義になることが必要です。旅が始まってしまえば後は自己責任になる、何が起ってもしょうがないと立ち向かうなり逃げるなり自分で決定して対処する。
幸い何事も起らなかったので幸いでした。

ひとまずこの中国旅行の項はこれにておわります。
これからは印象に残ったこと、行きと帰りに香港で1泊ずつしたのでその様子などを番外編として書きます。

写真は、ラサから戻りの便から。
もう一度行きたいものです。

ラサの食堂 食事

2008年11月29日 16時17分50秒 | 08年中国の旅
 私の頭の中には食堂はチャンプルーやそばがメインメニューでお箸を使い、レストランはランチやカレーがありナイフにフォークやスプーンを使って食べる場所という区別がある。子供の頃刷り込まれたことがこの歳になっても心の片隅に引っかかっている。

 ガイドにチベットの一般的な食べ物は何かと質問すると、トゥクバ=うどん、モモ=餃子、シャムディ=カレー、ツアンパにジアと教えてくれた、どれもこれも庶民的な食べ物だ、ヤク肉の焙り焼きとかのもう少し高級な食べ物は無いのかな~。私の風采を見て相応しい食べ物を絵蘭に違いない。(笑) 

 昼食はそれを食べたいと言うと、三輪自転車に無理して三人乗りで食堂まで行った。路地裏のテーブルも4卓しかない狭い食堂だった。既に客が座っているのを詰めてもらって相席でトゥクバとチベットティーを注文した。
トゥクバは出汁はよく出ているけど麺にコシ無く口当たりは良くない。細切れの肉はヤクの肉とのこと、汁はアンダジージー(油気が多い)して脂が浮いている。辛子を入れて食べる、チベット料理はそれ自体は辛くないけど辛味を付けて食べる。私が見た範囲だけど、七味唐辛子をラー油で溶いたように真っ赤なタレで食べていた。

 食べ終わった頃子供たちが入ってきて女の子が手を出した。ダメと手を振ると外へ出て暫らくすると又入ってきた、今度は手に椀を持っている。残したものを頂戴という仕草をするので、どうぞと言うと器用に自分の椀に移した。妻は味が馴染めなかったようで殆んど残してあった。辛子も要るかとからかいながら出すと要らないと笑っていた。店の中まで入ってくるという事は普段からこういう事をしているのだろう。不快感は全くなかった、良いシステムです。

 翌日はポタラ宮の大通り向いの巡礼者を主なお客にしている食堂でモモを食べた。モモは水餃子のようなもので羊の肉だと思うが臭みも無く美味しく食べた、妻も抵抗が無いようだ。1人前3元也、このところインフレ気味で値上がり傾向にあるようだ。つい前までは2元だったとか。
「角」の単位のお札がそれほど流通していないので値上げは「元」単位になるのか、一挙に3割とか5割の値上げは厳しいと思う。トゥクバも1元上がったばかりということだった。

 食事にと一緒に飲むのがティー、甘いミルクティーというところ。懐かしい味がした、ミルクをシーミー茶で割ったような紅茶とは違う野暮ったい風味が子供の頃を思い出させた。ポットで持ってくるのでたっぷりの量がある、チベット人のお茶好きにはこの量は必要なのだろう。
バター茶を喫する機会は無かった、観光客相手の店ならメニューにあるだろうか。九塞溝で飲んでいてよかった。

 ツアンバはもう一度食べてみたかったのでガイドに頼んだが、適当な場所が無かったのか時間がなかったのか連れて行ってもらえなかった。
ところがポタラ宮参観中のこと展示物の管理を担当している僧が手で袋を捏ねている。袋を指さしながら”ツアンバ?”と聞くと頷いて何か言うているが分からない。暫らく見ていると袋を開いてツアンバを見せて、私に取れという風に差し出すので指でツアンバを摘まんだ、妻にも同じ事をする。思いがけずひとつまみのツアンバをご馳走になった。麦とバターそれに塩気もある、このように袋で捏ねたものが美味しいそうです。

 チベット代表する食べ物飲物を口にすることができました。

写真はモモと辛子およびミルクティーのブルーのポットです。

ポタラ宮

2008年11月28日 16時23分24秒 | 08年中国の旅
 ポタラ宮を参観するには予約する必要があります。
前日パスポートを持ってポタラ宮の左端にある西門(参加後の出口でもある)で予約表を貰った。シーズンオフの所為か待っている客はいなかった。翌日日付と大きな字で11:40というスタンプが押され、人数とパスポートナンバーが記載されている。

 昼近くの入門だったので、まずポタラ宮広場へ行く。だだっ広い広場、何も無い広場の奥に解放記念碑が建ち、道路側には五星紅旗が翻っている。ポタラ宮の撮影ポイントとしては絶好の場所である。ポタラ宮を真正面から撮ろうと構えると国旗が入る、絶妙な位置に国旗掲揚代が設置されている。
チベットは中国ですという意志が明確に出ている。

 陽射しは強く暑ささえ感じる。時間になったので参観用門から入る。チケットを購入してポタラ宮の最上階目指して歩く。九十九折になったダラダラ坂をゆっくり上る。壁や塀は真っ白に塗られている。定期的に塗り重ねるようだがペンキというより石灰を溶かして塗りたくっているように感じられる。養生無しなので鋪道や屋根の縁にも白い塗料がかかるがお構いなしのようだ。

 ポタラ宮で茶色になっている箇所、あれは土壁や石の壁ではなく土壁の前に厚さ40cmほど柴のような小枝もしくは芯の強い葦のようなものを積み重ねて茶色に着色したものだった。

 ようやく最上部と思われる場所まで来て、白宮紅宮と呼ばれている建物の内部に入る。かつてダライラマの私生活の場を見た後に像や霊塔が数多く安置されているところを見る。その中に5トンもの黄金を使いさらに様々な宝石で飾られたダライラマ五世の霊塔があった。薄暗くまた長年の灯明の煤などで輝きが鈍っているためか凄い迫力で迫ってくるものではなかった。この辺りは感受性の問題かもしれない。

 ポタラ宮は今では宗教施設ではなく史跡に近い。僧侶の姿も見られるが施設(ポタラ宮をこう表現していいものか・・)の一般管理業務だけのようである。何処と無く活気が感じられ無い。僧侶はどこかの寺から派遣されたのか、政府の直接雇用なのか?
一般庶民はダライラマどころかラマさえひっそりしているポタラ宮だが、信仰の対象としての地位は揺るがないようで大勢の巡礼者が周りを歩いている。五体倒置礼を行ないながらの巡礼者も散見される。
中には観光客からのお布施目当てなのだろう、子供が人がいるところだけを行きつ戻りつ五体倒置礼を繰り返している姿もある。

 ポタラ宮のトイレの窓から見た街並みを考えると、ポタラ宮のコルラは時間が掛かるだろうと思った。ところが今調べてみるマニ車を回しながら回しながら50分で歩いたとある。この程度なら僅かだが回したあの道なりに行けばよかった。ポタラ宮の直近を廻るルートがあるようだ。
シマッター話のタネになったのに。

 当初は行かなくてもいいと考えていたポタラ宮だが、やはりチベットへ行くのだから見るに越したことは無いと思いました。ここでもハンセイです。

バルコル カウベル

2008年11月27日 14時04分40秒 | 08年中国の旅
 バルコルはジョカンの周りをぐるっと廻っている道のことで、私がのんべんだらりと歩いて一周するのの20数分しか掛からない。通りの両側あるいは道の中にまで店や出店が並び、おのぼりさんで賑わっている。
ジョカンとかバルコルと知ったかぶりで書いているけど、ジョカンを大昭寺(da4 zhao1 si4 )とかバルコルを八廓街(ba1 kuo4 jie1 )と中国語読みで発音しても私の言い方では多分通じないだろう。カタカナ読みの発音だがチベット読みが良かろうと思った。それにガイドもジョカンとかバルコルと言うていたので、そのように書いているだけです。

 バルコルは歩いて楽しい場所である、身の回りの装飾品に衣服、仏具など品物も量も豊富に飾られている。買う気は無くても幾らぐらいの品物だろうかと気になるものもある。軽い気持ちで聞くと、買えとか幾らなら買うかとしつっこく付き纏われた。チベット人もけっこう商売上手だなので心して応対しなければならない。巡礼でラサまで来た人たちが手にとって品定めをし値段の交渉をしている、まさしく門前市だ。

 家へのオミヤゲは既に買ったので特に欲しいモノは無いが、カウベルが目に付いた。牛の首にぶら下げるヤツで鳴らすと綺麗な音が出た。スイスで買おうとしたら高かったので諦めたことがある。高さが25cmほどありベルトは毛で編まれたものだが使い古されて擦り切れている。ベルの形は変哲の無いただの釣鐘、しかし音が良かったの買った。100元也。

 ぶら下げて歩くとカランコロンと軽やかな音を立てるので道行く人が振り返り、道端で客引きしている人も笑っている。何が珍しいのだろう。すると巡礼のジイサンが話しかけてきた”○△・・/・□・”こんなものをぶら下げてどうするという感じに受け取れる。そして笑っている。私もヤクとか maoniu と言うと頷いていた。
 暫らく行くと今度はバアサンが私の手からベルを奪うように取り、笑いながら私の首にかけようとする。周りの人も笑ってみていた。田舎から出てきた巡礼者たちにとってはカウベルなんて珍しくもおかしくも無い品なのだろう。それを外国人が街なかで持っているのが理解できないのかもしれない。
ベルのお蔭で楽しい思いをしました。

 持っているだけで注目を集め笑みを返し話しかけてくれたので、このカウベルの買物は大成功と言えよう。かつてチベット高原で軽やかな音色をたてていたであろうカウベルは、今我が家で孫が持って歩き、ヤクの首に下がっていた時と同じであろう音色をたてている。

ジョカン(大昭寺)

2008年11月26日 11時08分17秒 | 08年中国の旅
 ジョカンは朝とは違い午後になると参観者が少なくなったようだ。薄暗い本堂は線香とバターの灯明で煤けている。小昭寺では坊さんが本尊の前に数列で並んで座ってお経を上げていたけど、ここでは僧服の布地で僧の姿を模して織ったものが並んでいた。ナプキンで花やら鳥の形に織ったアレと同じである。それでも暗い中で見ると一瞬坊さんと思うほどだった。

 ご本尊を一回りしてマニ車の回廊を巡り上の階に行く。聖なる場所を廻ることをコルラというそうだ。ジョカンではご本尊以外にも大きな鐘を廻り、回廊も廻った。それにジョカンの周りーバルコルーもミヤゲ品を見ながら何周か廻った。その上目に付いたマニ車もクルクル回したので、コルラと読経を数多く行なったことになる。過去の罪はこの祈る行為で随分減殺されたと考えます。(笑)

 上の階に行くと寺の配置がよく分かり中庭に面して本堂があり2階には宿坊がある。チベット寺院で見られる大きな天幕のような布地は壁の代わりなのか宗教的な意味があるのか分からないけど、それで覆われている部分が多い。雨が少ないので布でも用を足し長持ちもするのだろう。
 屋上まで上ると建物を飾る宗教的な意味合いを持つ造形物が多数配置されている。金色の塔が数個立っている、日輪を象ったのか車輪のような輪の両側に鹿が座っているのもある。これはジョカンのシンボルマークのようだ。
見晴らしが良く広場から通りまでよく見え、ポタラ宮もはっきり見える。

 ガイドを帰してから入ったので気ままにのんびり飽きるまで内外の景色を見た。参観客も少ないので写真撮る時も他の客に気楽に”どうぞお先に”と譲るほどの余裕があった。食事をバケツに入れて運んでいる、それから分けてもらいその場にしゃがんで食べ始める坊さんや車座になって食べているグループもある。宿坊を覗くのは気が咎めるので、そこまではしなかった。
 トイレの表示にしたがって進むと腰の高さで囲われた塀に青空天井のトイレに行き当たった。それほど急を要していなかったので見るだけにした。高さが70cm、長さが1m以上の木枠で組まれた便座(?)、あれに座っておけばよかったと今頃になって後悔している。

 ジョカンは屋上からの眺めも良いので是非入ってみることをお勧めします。

写真はジョカン屋上から見るポタラ宮です。拝観料の70元は高いと思いつつも、

街へ

2008年11月25日 17時46分43秒 | 08年中国の旅
 モーニングは久しぶりに豪勢だった、入口近くにタマゴの調理台があり客の要望でスクランブルやら玉子焼きを作っている。中央には銀色に光った保温器が並んでいる。この旅行で初めての豪華版の食事だ。席には既にヨーロッパ系の外人さんが何組かいる。
バイキング式の私の定番どおりに更に盛りお粥を食べた、ヨーグルトもある。外国人が多いのだろう。
 
 時間通りにガイドが来た、車は見当たらない。大通りを渡ったところでタクシーを拾うのかと思いきや路地に入る。石造りの2・3階建ての住宅らしき建物の間を右や左に折れて進むと次第に賑やかになってきた。両側に店が並びミヤゲ品を載せた屋台も出てきた。
大きなマニ車を回してながら男が歩いている、腰にはマニ車の軸となる棒を固定するベルトを装着していた、なるほど長時間回すにはアレは必要だ。

 大勢の人で混雑している所に来ると”ジョカン”と言う、これが大昭時かと見上げたり五体倒置礼を繰り返す人たちを見る。参観しなくてもいいと入場を断る。それでは小昭寺へ行こうと誘われて歩き出す。途中曼荼羅の良いものがあるとオミヤゲ品店に入る。けっこう高くてホンモノは安いので数万円する。ビンテージものはもの凄く高く、印刷した小さなマンダラでも数千円はする。マンダラの良さも見どころも分からないので買わなかった。

 小昭寺(ラモチェ)の拝観料10元を払い中に入る。仏像や聖人の像は金網やプラスチックで囲われているが、お布施を入れる小さな窓が開けられている。敬虔な信者はお布施をその窓から入れる、押し込むのかな。お布施は10角札が多い、その10角札だが入口近くの台にお盆が置かれてお布施が山盛りになっている。信者および参観者は手持ちの1元を勝手に10枚の10角札と両替しているけど係や見張っている人はいない。くすねる人や誤魔化す人はいないのだろう。
多少多めに替えても結局全てお布施として像に供えられるので同じということか。現金を管理しないで放置とも思える状態にするのは世界的に珍しいと思う。乞食が多いラサなのに。

やはり神仏は偉大なのだ。

写真説明:チベットといえばやはり五体倒置礼、ジョカンで。

ラサ到着

2008年11月24日 10時27分26秒 | 08年中国の旅
 汽車は開けたところを走っている、草はかれた色になっているがヤク、それも何千頭何万等のヤクが赤茶けた草を食んでいる。もうすぐ冬なので草もなくなるだろう、その時何を食べるのだろうか。
鉄道から見たスイスは牧草管理に手間暇を掛けている様子が窺えた、しかしここではそうは見えない。冬を越す手段はなんだろうかという疑問が湧いた。大部分は殺して肉で貯蔵するのかな。河口彗海師のチベット旅行記にもそのような記述があったと思う。

 川沿いに行くと街が見えてきた、中国人が指さして”ポタラ"と教えてくれた。ポタラ宮って意外な場所にあった、もっと山手の方かと想像していたら街の中にある。手前の山の斜面に集落がありそこを”セラ”と言うていた。

 街外れのスッキリし過ぎた感じのする駅に停まった、ラサ駅だ。殺風景というわけではないがあまりにも整いすぎる。駅特有の郷愁を帯びた混沌さが無い。郊外に作った新しい駅なので未だ人の臭いが染み付いていない。駅員にチケットが欲しいと言うと返してくれた。
出迎え人は構内に入れないようで通りに出たところでガイドが待ち受けていた。車でホテルへ。道路も整備されている、鉄道も駅も道路も青蔵鉄道開通に合わせて新しく作ったという雰囲気がある。

 列車内では暑かったが夕方のラサは冷たくなっている。ガイドと挨拶を交わしてホテルへ向かう。日本語ガイドというが必要な言葉は分かっているが、こちらが質問する時はよほど噛み砕いて質問しないと理解できないようだった。
チベット騒動の余波を受けたのだろう、日本人観光客が激減して困っているようだった。外務省の渡航を控えるようにとのお達しもそろそろ緩和されるだろうから、来年はまた増えるでしょうと私の希望的観測を交えた見通しを話すと喜んでいた。
本当にそうなって欲しいです。

 チベット問題に関する私の意見・立場は
「ウチナーが独立を叫び始めたら、アナタは支持しますか?」
です、後々この場に書くかもしれません。今は観光旅行記だけにしておきます。 

 ホテルは三ツ星ホテルだけあって私のこの中国旅行中で一番良いホテル(マンダラホテル)でした。ツインで120元の部屋とは大違いです。(笑)旧市街地にあったのが移転してきたようで広い通りに面しているが、向い側の迷路のような住宅地を抜けるとそこはバルコル、ラサで最も有名は繁華街でした。

 その日は果物屋で買ったブドウとリンゴ、それに残りもののカップ麺で夕食を済ませた。高級ホテルに泊まっている割りには貧弱な内容だ、食欲が無かったのが主な理由です。

青蔵鉄路 あれこれ

2008年11月23日 18時39分10秒 | 08年中国の旅
訂正とおわび
 14日付のコメント蘭でKMさんからマチガイの指摘がありました。
写真で確認したところ、指摘どおり康定橋ではなく「濾定橋」でした。
濾定橋に訂正します。本来なら本文のその箇所を訂正すべきでしょうけど、この記述で一括変換(訂正とおわび)したことにすることにご勘弁のほどを! 
全部探し出し訂正する自信が無いものですから・・・
(書き込みに今日気づきました。)
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 汽車の旅の音はガタンゴトンとレールの継ぎ目の音とカンカンカンカーンカーン・・・とだんだん高くなり音が引っぱられるように間延びしていく踏切の音である。ところが下から聞こえるレールの音はするものの、踏み切りの警報機の音が聞こえない。何故か物足りない感じがする。中国の線路は道路と交わらないので踏み切りが無いのだろうか。
疑問に思った。

 車中泊が2日続くのでさぞかし退屈だろうとそれなりの覚悟を決めていたけど、そんなにタイヘンさは無かった。外の景色を眺めているうちに時が流れてしまった。西寧までは中国の田舎の風景が続いた思う、何故か景色が頭に残っていない。
写真で確認しようにも、写した写真の後四分の一が再生できない。海螺溝から青蔵鉄路の部分になるとPCに取り込めない。
カードエラーという表示が出たので新しいメモリーを挿し込んだ、それでもエラー表示が出るので、もう写真は撮れ無いものと諦めた。それでも諦めきれずにラサのホテルで試してみると撮影できる。本当にホッとしてラサではシャッターを押し捲った。
300枚ほどの写真が取り込めない、何か取り込む方法が無いものだろうか。

 ところで青蔵鉄路は西寧、北京、上海、成都、重慶それに蘭州から出ている。ということは私が期待していたハイライトであるチベット高原を走る時間がまちまちということだ。そこまでは考えていませんでした。
私が乗った成都発は5時半にラサに着いた、ラサの日暮れは遅いので早く着きすぎる、日中は目いっぱい景色を楽しみたかった。結果論ですがラサ着がもっと遅い8時過ぎの便がいい。夏なら北京時間10時頃着の方がいっぱい楽しめるのじゃないかと思う。その時間帯の汽車があったとしたらの話ですけど

 しかしこの事は、西寧に近いほうの景色が美しいのか、それともラサよりのそれが素晴らしいのかの比較を抜きにしています。どちらが好いのでしょうかネ~

 景色はやはり凄さもあるし素晴らしい風景も見られた。なだらかな丘が幾つも連なっているがそれらは全て4千メートルを越えているのだ、その事に気づき奇妙な感じになった、4千mの丘か。雪を頂いた山が見える、ヒマラヤ襞らしきものも見えた。あれが本当にヒマラヤ襞なら嬉しいのだけど。
 
朝方高度が上がるに連れて冷えてきたのでセーターを引っ張り出して着た、しかし太陽が上がり直射日光が差し込むと暑くなった。また眩しくてまともに景色を見ることができない。空気が薄い分陽射しは強い、サングラスを持ってきてよかった。

せっかくの景色が写真に撮れなかった。妻もカメラ持って行ったが、何故か640x480に設定されていてガックリ。気づいたのがPCに取り込んだ時だった、全行程がそのサイズになっている。この旅は写真にツイテいなかった。

青蔵鉄路 車中

2008年11月22日 15時47分49秒 | 08年中国の旅
 目が覚めると河北黄土地帯を思わせるところを走っていた。ヤオトン(洞穴)らしきものも見える。四川省の山や渓谷とはガラッと違う風景、緑が少なく土よりも砂礫と表現したほうが近い脆そうな黄土を削り取った川が流れている。延安へ行く時見た光景に似ている。随分西のほうに来ているのか。

 窓脇のテーブルには花が生けられている。テーブルの下にはコンセントがあるので、カメラの充電をした。スーツケースをベッドの下に押し込もうとしたが厚みがあり過ぎて入らない。テーブルの下に立てて置いたけど足が入らないので座りにくい。厚さを考えておくべきだった。部屋の出入り口の上に荷物スペースがある、けっこうな広さがある、廊下の天井部が収納スペースになっていた。重いものを置くには一苦労する。
出入り口の引き戸には内鍵が掛けられるようになっていた。

 枕元には酸素の噴出し口があり、吸引用のチューブは乗務員が配る。ライトのスイッチやBGMのコントローラーもありサービスは行き届いている。お湯はポットが置かれており、各車両毎に湯沸しもあった。非常食の携帯ごはんを作るとき、コーヒーを飲む時、カップ麺を食べる時に利用した。

 成都を出て初めての停車は天水、ホームでは果物やお菓子を売っているので乗務員に断って買いに出た。乗務員がホームに降りたら乗客も降りていいようだ。何分停車するのか、あるいは出発時刻を聞いても知らないと言われるので安心してホームに降りられない。
 食事は持参したものも食べたが食堂車も利用した。乗客が多いので食堂車はすぐ満席になるだろうと思って何食かは持参したのだ。弁当販売もあり、持参した食品で済ます客が多いのか満席で断られることはなかった。お粥セットで15元、ワゴンセールの弁当はご飯におかず3品で20元だった。
メニューもロクに読めないので私たちの定番は回鍋肉と野菜炒めそれに何か一品とスープ、ビールも付けて90元ほど。
アルコールは高山病対策の3本指に入っている、しかしその事を忘れてしまって食事時についつい注文してしまう。さすがに5000m地点を越える時のランチタイムには惜しいと思いつつも半分残した。

 40数時間火車で過ごしたけど、ほれほどタイヘンでもなかった。隣のオランダ人カップルは乗る時点でキップを1枚紛失した、改札口の係員の不手際だと乗務員とやり合っていた。英語がしゃべれる人はいないかと言われてノコノコ顔を出したけど役には立つとは思えないが一応話し合いに加わった。パ-ミットを見るとちゃんと2人分の氏名が記載されているので問題ないだろうと口を出す。パーミットを指で示して”両個人、没問題”と
言うただけです。(笑)

 話はかわるけど中国人夫婦のひどい臭気にはマイッタ。真夏の現場で肉体作業をして汗まみれになった衣類を数日着ていたような臭いがするのだ。7~8メートル通り過ぎたあとでもその臭いが残っている。狭い廊下ですれ違おうものなら息を止めて足早に歩いて離れることに専念した。ただでさえ酸素不足なのに息を止める愚挙、分かっているけど酸欠でぶっ倒れるか、臭気でぶっ倒れるかの二者択一という感じ。
外へ出るときはその人がいないかどうか確かめてから出るようにした。パジャマから臭いが発していると思われるが下車寸前まで着っぱなしだった、当人たちは麻痺しているのだろう。旅はいろいろなことに遭遇するけどあのような体験は二度としたくない。

 あの臭いの後なら私の屁なんて可愛いものだろうと妻に言うと、ハイあれとこれとは別のようで怖い声が返ってきた。やっぱりナ~

青蔵鉄路 乗車

2008年11月21日 14時05分05秒 | 08年中国の旅
 いよいよ旅の後半のハイライト青蔵鉄路でラサへ向かう。
座席は指定券ではあるが早めに駅に行く、20時36分発なのに7時前には成都北駅(火車北場)前にいた。駅特有の雑踏と郷愁を感じる、感傷的になりかかったけど右のほうへ歩きラサ行きの改札口を探す。大きな荷物を持ち雑然と並んでいる集団がいる。そこがラサ行き改札口の前だった。

 しばらく並んでいると集団が動き出した改札が始まったようだ。駅に入る前にチケットの確認があり、パーミットとパスポートも合わせて提出しチェックを受ける。暗くて混雑している中で行なわれるのでチケットを落として騒いでいる人も居る。その後で駅舎に入り荷物の検査と身体チェックがある。座席指定なので慌てる必要は無いのに雰囲気に飲まれてしまった。

 ベンチに座って辺りを見回すと観光旅行の客は少ないようだ。里帰りや商売人が多いように見えた、実際はどうなのか知る術も無い。みなさん荷物が多い、子供連れもあちらこちらにいるし、チベットの民族衣装を着たおばあちゃんもいる。
吾が島ウチナーに汽車は無いので汽車や駅の実体験は少ない、しかし其処にはアタマの中にある駅・旅の光景があった。

 そのうちモスグリーンの汽車がホームに入ってきた、ざわめきが起きる。更に待っていよいよホームに出た。軟臥は改札口から離れた所に連結されている、女性の客室乗務員が入口に立っていてチケットの確認をしながら客を迎えている。車両毎に担当者がいて軍服に似た制服をピシッと着こなし訓練の行き届いた対応をしていた。

 私たちは軟臥(1等寝台 1104元)なのでで4人部屋、2等寝台は硬臥と呼び6人部屋で下段で712元です。座席だけの車両もあり 331元と安いけど2泊3日の旅を座ったままで過ごすのはキツイ、学生時代なら硬座にしたでしょう、多分。
実は2人とも下段するかどうか迷ったのですが、相席になった場合昼間寝そべることが出来ないし、また相手を上段にだけ居させることもできないでしょう。知らない人と隣り合わせで座るのは苦痛じゃないかと考えて上段と下段にしました。
 しかし結果的には2人とも下がよかったかなと思う。それは列車の進行方向が宝鶏駅で逆方向に変わるからです。風景は進行方向に向かうほうが楽しめる、窓の両側の席を確保するためにも下段を二つ押さえたほうがよかったと思う。
ただカーテンは付いていないし上への上り下りを他人がしたほうが良いのか身内ちが気にならないのか、と迷う所でもある。シーズンオフで他の部屋は殆んど二人だったのに私の部屋は3人でした、下段が空いていたからでしょう。これも結果論ですが判断ミスです。
と書いたけどホントのところ結論は今もって出しかねています。一番好いのは気の在った4人で乗ることでしょう。それなら6人でもいい。

 火車は夜の成都をでて一路西に向かった。明かりも疎らになって気づいたことは、汽車の旅に付きものの踏み切りの警報機の音が全く聞こえないことだ。車両が密閉されている所為ではなくて警報機が無いからだと思われる。これも中国だ~

 寝台車でも問題なく眠れる私はスンナリ寝入った。

ラサへのパーミット

2008年11月20日 11時07分43秒 | 08年中国の旅
 チベットに入るには入域許可証というものが必要である。それが誰でも申請できるものでは無いらしい。旅行社がチベット旅行する人たちの全日程、全行程を把握できることが前提になっているようだ。いち時期パーミットが不要になったとの情報も出たけど、実際は変わっていないと思われる。
旅行社にとっては手数料が入るのと、受け入れの仕事が確実に入るので存続したほうが良いに決まっている。当分はなくならないでしょう。

パーミットについては下記サイトを参照してください。

http://www.gogosc.com/jply_lasa_application.asp

 それで私もそこのツアーデスクに頼みました。手続に3~4日間かかるのを念頭にいれて置いてください。
txt文書にすると味気ないですが、ホンモノはちゃんとした様式です。
    --------
   ラサ6日間ツアー  人数:2人グループ

   日にち    スケジュール              宿泊先
D1 10月18日 成都ーラサ
       T22次列車に乗りラサへ向けて出発        列車内
D2 10月19日 列車での移動                 列車内
D3 10月20日 ラサに到着                  
       ラサ駅からラサ市内のホテルへの迎え。休憩。  三ツ星ホテル
                    日本語ガイド付き
D4 10月21日 ラサ市内観光  日本語ガイド付き       三ツ星ホテル
D5 10月22日 ラサ市内観光  日本語ガイド付き       三ツ星ホテル
D6 10月23日 ラサー成都
       ラサ市内のホテルからラサ空港まで送り。
       中国国際航空 CA4402 便に乗って成都へ戻る。
       空港まで日本語ガイド付き

ツアーメンバーの情報
No 姓名(パスポート) 国籍 性別 職業 パスポート番号 生年月日
 (具体的な事柄は省略)

上記スケジュールの手配料金は下記の通りです。
参加費用:お1人様で列車チケット(成都ーラサ)料金+航空券代(ラサー成都)
     +1450元(ツアー料金)になります。
参加費に含まれるもの及び明細

1.成都ーラサ T22次の列車チケット料金は下記の通りです。
  (抜粋) 軟臥(ソフトベッド)上 1065元
       軟臥(ソフトベッド)下 1104元

2.ラサー成都の航空券
 中国国際航空 CA4402便 10:50発
 お一人 1350元+200元(税金)。実際に予約の際に料金が変わる可能性があります。
      ----------
 以上合計2人分で、8169元でした、約13万円でした。2人分です。

 ホテルのランクを引き下げ、日本語ガイドに限らなければツアー料金は下がる可能性がある。ラサ市内だけならガイド無しのガイドブックで済ませられるでしょう。私は昼食はチベットの普通食にしたかったので、裏道の食堂に連れて行ってもらい、お昼を済ませた後ガイドを帰して自由に歩いた。

 パーミットという制約があるのでチベット旅行は思いつきで行くのは難しい。内部の移動となるとなお更のようだ。それでもこの次は西の方できればカイラースを見たいものだ、それに茶馬古道も通ってみたい。
ガイドの話では、内部移動のパーミットも直ぐ取れるということではあった。

 当分はパーミットの必要が無い夢想、荒野を車で揺られている姿を思い描くだけにしておきます。
蛇足ながら、ビザは必要ですが、中国に入国してからチベットを出る日が15日以内であれば、ビザを取得していなくても申請できます。中国へは15日以内ならビザ無し渡航ができるからです。

パーミット(前段)

2008年11月19日 09時52分53秒 | 08年中国の旅
 青蔵鉄道は中国語表記では青蔵鉄路(qing1 zang4 tie3 lu4 )となると、検索して今知りました。その青蔵鉄路に乗ってラサまで行きました。

 昨春テレビ放映されたのを見ていたら、ラサへ行きたいというよりも青蔵鉄路に乗りたいという想いが強かった。4千メートル越える高原を走る汽車に憧れのようなものを持った。ラサへの旅はあの時始まったといえよう。

 今回は九塞溝と青蔵鉄路を柱に計画を組み、九塞溝は前に書いたように満足して成都に戻った。海螺溝観光も予想以上のスムーズさで終えた。いよいよ青蔵鉄路だ。

 まず外国人がラサ(チベット)へ行くにはパーミット、入域許可証が必要です。しかしそのパーミットは個人申請で許可が下りることは無いようです。旅行社を通して申請するしか無い、一時パーミットが廃止されたと伝えられたことがあるが今でもパーミットは必要です。
 私はパーミット取得を成都で泊まったゲストハウスのツアーでスクに頼んだ。

http://gogosc.com/jply_HOME.asp

国慶節の大型連休が終わってから行ったので、観光の閑散期になり成都に着いてから具体的な日程の話をして間に合いました。その前にメールでやり取りはしていました。日本人スタッフが常駐しているのでラクです、それに斡旋手数料も安いです。成都ー九塞溝の往復航空券2人分で60元の手数料で千円足らずです。

 空港からゲストハウスへの送り迎え、川劇のチケット、海螺溝ツアーなども手配してもらいました。勿論手数料が含まれているでしょう。海螺溝ツアーの集合場所まで手配した車は20元でした、帰りにtaxiに乗っても20元だったので、手数料も僅かしか取っていないようです。HPに書かれているように中国で仕事をするのは苦労があるようです。私は手配料を落とす程度しか協力できないので出来るだけ利用しました。
手数料も60元あれば包子や麺を15人前分食べられる金額です。それだけの手数料を高いと感じるか妥当と考えるかは懐具合でしょうからナントも言えませんが、どうせ自分で買うなんて事はやらないでしょうから頼むことを勧めます。

 もし日本国内で旅行社に頼むと桁が違う手数料となるでしょう。
今日の書き込みはゲストハウスーSim’s Cozy Garden Hostel ーの宣伝だけになっちゃいました。
四川省を楽して廻りたい、浴槽ナシでもかまわないという方にはお勧めの宿です。

写真は那曲付近の山、ラサが近い。

成都

2008年11月18日 15時28分25秒 | 08年中国の旅
 今回の中国の旅は成都を基点に九塞溝、海螺溝、ラサへと動いた。
延べ3泊してたので市内或いは近郊へ足を伸ばすことができたハズなのに、出かけたのは青羊宮と市場だけ。遠出だけがアタマにあって足元の成都については調べてなかった。まあ初めから成都市内は見なくてもいいという気分があった。

 ラサへの汽車は夜8時半出発なのでそれまで時間があった。公園を散歩しながらダンスや太極拳を楽しむ人たちを見ようとバスに乗った。1元と思って2人分として2元入れたら運転手に文句を言われた。新車でクーラー付きなので高いのかな。
雨が降っているのでまずお寺に行くことにした。地図を見ながら降りるべき停留所を探し、隣の若者に聞いたら今出たばかりの停留所が青羊宮前だった。若者があの子なら日本語が話せると日本語学科の女学生に話を引き継いでくれた。
 中国の日本語学科の生徒のレベルが高いのは西安で体験済みである。勉学に対する熱心さが違う。戻り方や人民公園へのバスの乗り方を質問し教えてもらった。

 青羊宮は道教のお寺で仏教のお寺とは雰囲気が似ているようでちょっと違う、ヒゲ面の面々が鎮座ましまして・・という感じ。道教のご本尊さまは誰だったか知らない、お参りする老若男女は祀られている神々(?)に現世でのご利益を期待しているようである。
私もその中に混じって現世でのご利益を期待してお祈りしました。雨の中お参りしたのでその分も勘案してもらって、年末宝籤が当らないかな~。(笑)

 出た所に包子を食べた、メニューと見て他人が食べているのを見て酸菜や肉入りの二種類頼むと、湯気の立つ蒸篭から湯気の上がる包子がきた。二種14個で7元ということは1個0.5元だ、安くて美味しかった。酸菜は初めて食べた時はウ~ンという味だったが、慣れたのか抵抗無く味わえるようになった。

 午後はゲストハウスの近くにある市場へ向かった。以前はゴチャゴチャした市場で見るだけでも楽しかったけど、統合し新築されたので趣が無くなったとはゲストハウスのオーナーの話。時間潰しに歩いた、小ざっぱりし過ぎて確かに趣に欠ける、食品売り場が少なかったのはザンネンだった。それでも市場は見ていて楽しい。

 結局成都での観光はこの2ヶ所だけになった。その気になればもっと観光することもできたのに。この辺りの心理は複雑なものがある。これまでは空き時間を極力無くすように計画段階で詰め込んでいた。しかし歳の所為なのか、意欲減退なのか貪欲さがなくなった。
 のんびりした旅を楽しむには未だ早いと思っているのだが・・・

中国人(印象)

2008年11月17日 10時59分34秒 | 08年中国の旅
 海螺溝ツアーのハイライトはミニヤコンカを見ることで、それを目的に参加したのだ。
夕食後山を間近に見るべく展望台へ行くとの申し出にガイドとひと悶着あった。予定では森林散策して氷河まで行くということであった。言葉が分からないの確信は無いけど、多分そのような説明だったと思う。それでガイドにロープウェイで展望台へ行きたいと申し出た。
すると危険なのでダメと言う。ロープウェイを利用し展望台へ行くだけなので没問題と海螺溝観光案内図、それも中国のサイトからプリントアウトしたもので説明した。

 ガイドは自説を曲げず英語が若干話せる若者に通訳を頼み止めるようにと言う。私もここで折れたらツアー参加の意味が無いと、知っているだけの中国語に英語、日本語まで使って話し、結局自己責任で行くことになった。
幾度となくここに来ただろうに展望台へ行ったことが無いのかなガイドは。

 この問答を通じて参加者との距離は益々縮まった。胸を躍らせ天候を気にしながら三号営地に着き、すぐロープウェイキップ売り場へ直行したのに通訳してくれた若者がいる。乗り場では既に行列だ、しかも。そこには同じツアーメンバーの夫婦が並んでいる。みなさんは初めから展望台からみるミニヤコンカの素晴らしさを知っていたのか、私とガイドとのやり取りで知ったのかは分からない。他のツアー添乗員がお客を連れてきて前の人たちと同グループだからと割り込む。

 退屈な行列で30分も待った頃ツアー仲間のオバチャンたちが5・6名やってきて”アラ~ここに居たの!”なんて顔をして我々の前にチャッカリ割り込んだ。後にズラ~ッと並んでいるのもなんのその平気のへいざ。しかも我々の前に割り込んだこのオバチャンたちはゴンドラに乗り込むときにはさらに数台前のに乗り込んでいた。
恐るべしこのパワー。(笑)

 海螺溝ツアーは中国の人に接する数少ない機会になり、良くも悪くも中国人を間近に観察できた。磨西でビールを探したが店に無かった。ガイドにビールを買いたいと告げるとスーパーまで案内してくれた。お金を払おうとするとサッサと自分で支払って”飲みなさい”という感じだったのでありがたく頂戴した。

おごられたからというわけではないが、若くて気の好いガイドでした。

オミヤゲ品屋

2008年11月15日 20時52分45秒 | 08年中国の旅
 私たち夫婦だけホテルは別だった。前の日ガイドが”7時半に迎えに行く”と話したような気がしたので早めに食事をとり準備した。ところがガイドは時間前に来て急がす。
今日は帰るだけなのにこれほど急がす理由はナンだろう。

 霧でしっとり濡れた磨西の街を大渡河まで下った。名残の景色、できれば雪を被った山を見たかったけど叶わず。来た道を逆に進んで康定への分かれ道を過ぎとところで細い道に入り漢方薬の店に横付けした。
ツアーにミヤゲ品屋は付き物なので付き合う、まず説明があるけどサッパリ分からない。商品展示室に案内されると売り子が近寄ってきて盛んに勧める。薬草の知識が無いのと言葉が通じないので陳列された木の皮や根を見て廻る。けっこうな値段だった。
見せの門の前には近隣の人だろうか果物、胡桃や干し棗などを売っている。

 クスリの元なので皆さん興味深げに聞き、眺めている。専門的な相談をしている様子も見られた。中国のツアーでの買物はしつっこくて断ると添乗員も不機嫌になる、安い料金の埋め合わせを買物で補うなどの記述も見られる。しかしこのツアーはそのような印象は受けなかった。ガイドはただ連れて行くだけで強引な売り込みもしなかった。

 漢方薬の店から大通りに出て走ったと思ったら今度は宝石屋に横付けされた。チベットで取れる「天珠」という化石からできた石や翡翠などが並んでいる。
そこを出て数分後には包丁の店に入る。バスが停まった時は店と店の間隔があまりにも短いので乗客一同大笑いした。合理的といえば合理的である、山岳地帯なので平地が少なく建てられる場所が限定されるのだろう。

 宝石とは無縁だが美しく輝く石は見る分には目の保養になる。売り子に追いかけられなければそれなりに楽しめる。幸いにしてこの日立ち寄らされた店に日語を話せる売り子はいなかった。それで近寄ってくる売り子には聴不懂(ting1 bu4 dong3 )でのひと言で押し通した、残念ながら事実だもの。店はちゃんとしたトイレがある店が多いので悪いことだけでもない。

 宝石屋の次は何故かこの場所で包丁、刃物の店だった。幅広の中華包丁で野菜を切ったり電線を切って刃が強くて切れ味の良さの実演があった。その所為か買う人が多かった。最後に寄ったのがヤクの店、ジャーキーや燻製など様々に加工されたヤクの肉製品が並び、試食しながら品定めができる。私も欲しかったが妻の強烈な反対で断念した。
気づかないだろうけどこの場だから臭いも気にならないけど、帰って家で開けたら臭くて食べる人はいないとのことであった。
買いたかったのに試食でガマンしました。

 立て続けに4軒の店に寄るツアーは初めてでした。