どこ吹く風

旅のことを主に書く。

ルクソール

2007年01月31日 09時37分56秒 | エジプト
夜中に目が覚めるのはしかたがない、ベランダへ出てナイルに浮かぶ大型遊覧船の光りで照らされた街路を見る。星は思いのほか薄いしケッコウ寒いのでベッドに戻る。うとうとしていたら歌声のような朝の礼拝を呼びかけるアザーンが聞こえてきた。拡声器から流れてくるアザーンはあちらこちらのモスクから聞こえてくる。その声はまるで二重唱、三重唱のように重なり一つのハーモニーを作っていく、アラブに来たという実感がした。

 バルーンが上がってナイルの上をゆっくり飛んでいく、上からの景色を楽しんでいるのだろう。ケガの治療のために飲んでいる抗生物質のために腹具合が良くないので朝食は味見程度の控え目にした。それでも妻から食べ過ぎないでと注意を受けるほどの量が腹に収まった。

 ルクソールはかつてテーベと呼ばれた首都である。まずルクソール神殿の見学からエジプトの第一歩が始まった。隣にあるとはいえバスで移動する。遺跡なので想像を働かせないとその姿がつかめない。ガイドのサムさんから見どころや建造された時代背景の説明がなされた。歴史に詳しいガイドさんだ、後で聞いたらカイロ大学の歴史学科を卒業している。長々と説明を受けてその後見学したが2時間たっぷり掛かった。

説明を受けてよかった点は、その遺跡の歴史の中での位置づけをして話されるので、不勉強な私が理解し易すかった。また建造物や彫刻の図柄の見方も教わった。神話・神々・エジプト統一とそれを象徴する文様、冠やヒゲの形で神と王の区別、神殿の壁画に描かれた物語の読み方等はとても勉強になり、その後の壁画彫刻を見る時の参考になった。
そのような説明を受けないまま見学したら、ただ”スゴイ!”で終わっていたであろう。遺跡見学でガイドの果たす役割は大きいと痛感した。

アレキサンダー大王が建造した神殿もそこにある、増築が繰り返されているので時代が違えば形も違ってくる、その違いも聞かされなければ見過ごすところだった。教会として使われた形跡も残っている。今でも古いキリスト教、コプト教が根強く残っている、そのコプト教が残っていたからロゼッタストーンで解読された文字が発音できるとも説明していた。

写真説明:ルクソール神殿、黒く汚れた壁面はイシス神の勃起した性器である。ほとばしる精液から神々が誕生するという説話を題材にしたという。

さあ出発

2007年01月30日 08時01分28秒 | エジプト
 今回のツアーは関空発なので大阪の妻の妹宅に前泊した。JALのお供でマイルは2週間前からの受付なので予約状況をチェックすると出発前々日でも数席しか残っていない、もし前日の便まで待って席を確保できなかったらヒドイ目に会う。そこで止む無く前々日を予約した。つまり前泊ならむ前々泊となった。お世話になりました。その上帰りもいっしょに能都辺りへ行こうということなので前々・後々泊とツアー以外の日にちも掛かる大旅行となった。

 梅田からバスにて関空へ、車窓から港に琉球海運の船が見えた、だからどうということも無いけど昔はよく琉海の船を利用してヤマトに渡っていたな~と思っただけ。
集合予定30分も前に着いたが殆んどの皆さんは受付を済ませていた。例の如く説明を受け解散し搭乗し出発となった。かつて家族でアメリカへ行った時カード会社のラウンジで休もうとなったが私だけカードを持っていなかったので外で待つ羽目になった。そのリベンジをしたくてラウンジを探したが見つけることが出来なかった。タダのコーヒーを飲もうと思ったのに。

 エジプト航空MS963便(A340-200)はルクソールに向けて飛び立った。機材が古いのか小さいのか能力なのか所要時間が他の航空会社の機材よりも時間がかかり11時間30分も要するとのこと。定員より大幅に少ない乗客数だったので一人で二席確保できゆったりしたフライトができた。ヒンズークシ山脈が見えるのじゃないかとの期待は外れてゴビ砂漠の北側を通っている。砂漠と草木一本も生えない山々の上空を飛ぶだけだった。
一回目の機内食ーランチになるのかなーはサカナをにする、アルコールはダメだからジュースを頼む。しかしエジプト航空ではアルコールは出ないと事前連絡があった。持込をした人もいただろう。
夕食はチキンにしたが、これはペケだった。加熱が足りずに生米、それででチキンも食べる気がしない。

 夜も更けてところどころに灯りが見える、その灯りが広がりついに見渡す限り明かりが灯るようになった。その光はまるでCGで見る神経伝達のニューロンシナプスのようになっている。イスラエルかレバノン付近であろう、南下を続けてルクソールまで20分とのアナウンスがあり眼下に帯状の光が見えナイル川に揺らめいている。ナイルの両岸に灯りがありそれを一直線に結ぶ光りの線が見えた。橋かな、ルクソールの両岸は船で行き来しているとガイドブックにあったが・・・橋もあったのかな。

 ルクソールの街に入るとライトアップされた神殿があり、隣がホテルだった。エジプト初日は到着後直ちにホテルに向かいチェックインしただけ、夜9時過ぎだった。
腕の傷に水が掛からないよう気をつけながら半身浴スタイルで風呂に入る。バスタブの水を抜いたら床の排水口から逆流してきた、危うく部屋を水浸しにするところだった。この程度の設備不良は許容範囲としよう。
時差ボケで夜中に目を覚ます、当分続くだろう。目の前のナイルクルーズ船の電気がきれい。

写真説明
機内の飛行ルート案内、よく見たらゴビ砂漠の南を飛んでいる。本文中には北と書きました、北と思っていたのに間違っていました。

アルコール

2007年01月28日 08時20分21秒 | エジプト
 出発直前のケガのお蔭で酒が飲めない旅行となった。これまで旅へ出たら昼からビールやワインを楽しんできたのに今回は一滴も飲めない。添乗員やガイドが食事時に飲物の説明をする、ワインが30、ビール25、フレッシュジュース15ポンド・・・と。座を賑わす夫婦が両手を挙げるのを横目に私はマンゴジュースとかグァバジュースを頼んだ。

 エジプトのビールの歴史は古くおそらく4千年前には飲まれていたでしょう。ワインも古くから造られていて保存するツボは透けて見えないので赤や白に彩色されていたようです。そのような歴史あるアルコールが飲めないなんてキツイ。

 乾燥した風景を見ているだけでも喉が渇き干からびそうになるのに、潤す潤すものがジュースとはザンネンだった。お父さんーお父さんと呼ばれていた白髪の元気な方ーなんか夫婦して両手を挙げて4本も頼んでいるのに・・・
このお父さんはスーツケースに2リットルの箱詰お酒3本にチュウハイ缶やらツマミを詰めてきて、尚且つ食事時にビールを頼むだから羨ましい、毎日サービスされる水の容器に酒を注ぎ替えて持ち歩いていた。

 ある時バスの中で良い匂いがする、ん!・・ウィスキーがと思ったらブランデーだとのこと、チビリチビリ飲んでいるお方がいる。その高地のお方は帰りの機内でも飲んでいた、ストレート用の錫製と思われる小さな器が良い、さすが酒豪揃いと言われる高地の人間だ。その上自転車で鍛えた身体だからチットやそっとでは参らないだろう。自転車競技で沖縄国体に参加されたそうだ。

 ツアー最後の夜はナイルクルーズが予定されていた。妻は船上ディナーでアルコールを解禁するから我慢しなさいと言う。妻の言葉は絶対君主の命令と同じなので素直でも無いがグジュグジュ言いながらも従っていた。
アレキサンドリア観光の日地中海が見えるレストランで昼食をとったときふと考えた。何事も急激に始めるのは身体に良くない、ビールもこの日からと決めて飲み始めるのは良くないだろうと思い妻がトイレへ立っているときにビールを注文した。銘柄はいろいろあった、サッカラやルクソールと地名がついている、皆さんがよく飲んでいたステラというのもあった。私は名前に惹かれてルクソールのゴールドを頼んだ。妻が帰ってきたので、”身体の事を考えての慣らし運転です”と理解を求めた。10日ほど飲んでいなかったのでビールが胃に到達する前に吸収される感じでした。すっきりしたライトで、その昔パンを水に浸けて発酵させたビールからこの味わいが生まれたのだろう。感激の一瞬だった。

 考えてみるとビールなどのアルコールはイスラム教が入ってきてから断絶したと思われる、この味はイギリス仕込みかもしれない。アルコールを売っている店を見つけることは出来なかった。トルコでは酒屋があったのに、ある面エジプトはトルコより宗教から離れていない。お土産に地酒を買って帰ろうと思いガイドに尋ねたら空港の免税売店で手に入れるのが良いと言われた。それで空港で探したがビールとワインしかない、エジプト特有の酒というのが無かった。酒を飲まない回教国だから地酒というのが未だ無いのだろうかそれとも探しきれなかっただけなのか。調査不足でした、酒は何処にでもあるという思い込みがマチガイでした。
 アラブとアルコールは気っても切れない歴史がある、それは酒造りの用語でも裏づけされているとものの本に書かれていた。「らんびき」はアラビア、アランビックという語が伝わり日本ではランビキになり、その他の地域でもそれに近い発音として残っているそうです。

エジプトで・・

2007年01月26日 00時12分05秒 | エジプト
エジプトはーアラブの国は初めてなのでー何処から見ても何処を見てもエジプトでした。椰子の木までアラビアンナイトのシルエットに出てくる椰子の木にそっくり、アジアの椰子とは姿形が違うので、どう違うのか思い出そうとしても出てこない。あとで写真を見比べて見ます。

 出発前に怪我した事は書いたが、ケガの影響は大きかった。まず右手の上げ下げの可動範囲が狭くズボンの脱ぎ着に不便さが生じた、ポケットも右側は使いづらい。今回の旅行も妻のお蔭で行けた、関空までJALの”お供でマイル”を利用した、本番のツアーも”お供"なのに荷物持ちも出来ないので私の役目・立場が無くなった。「何のために連れて来たの・・」とイヤミを言われても、”まあ精神的支柱に成れれば幸いです。とか”たまには夫に尽くすのも良いでしょう。”とかの戯言を返す以外に術は無い。常日ごろと同じように厚顔無恥を通して受け流していた。

 ベルトの着脱も手間が掛かるのに化膿止めの抗生物質を飲み続けていたために胃腸がおかしくなり下痢気味になっていた。トイレに行くたびにシャツを入れたりベルトを締めるのにひと苦労、回数が多いのでタイヘンでした。食べ物に中った下痢に間違えられた方もおられたが、お腹の痛みは全く無いので単なる胃腸の弱りによる下痢なのだが、下痢は下痢ヒドイ目に合いました。
 下痢が続いたので出すものはあまり無い、それでも便意を催すのでトイレに駆け込むと屁が出るだけの場合も多々あった。屁だけならそ~っとやればいいのだが、万一のことを考えると気持ちよくイッパ~ツという訳にも行かない。

 実は王家の谷でガイドの説明を聞いている最中にお腹が良からぬ雰囲気になってきた、我慢が出来そうも無かったので入口近くにある簡易トイレに急いだ。必死に我慢していたが漏れた気配がするので尻の穴をキュッと締め付ける。パンツが冷たくなった気がしたので両股を広げるようにして歩く、いわゆる方言のアーターアッチ。両股は広げたいが尻の穴は締め付けたい、この歩き方は尻を締めたいけど気持ち悪いので広げねばならないと矛盾した行為になる。笑う余裕も無く引き攣った顔で青息吐息のルンバウォークで辿り着いた。1LE(LE=ポンド、1ポンドは約20円)のチップを出すと管理人が紙を渡す、数段の階段を登り駆け込んだ、汚い。先ほど貰った紙で便座を拭いて坐りズボンを下ろすとやはり漏れていた。一部なのでズボンやシャツには及んでいない、用を済ませてから慎重にジーパンを脱ぎ次いでパンツを慎重に下ろす。

 このような場合に備えてホテルのトイレットペーパーを数回分用意してポケットに持っていた。それに便器の横に1mほどのホースがあり、コックを捻るとチョロチョロと水が出るので手動簡易ウォッシュレットにしたがお蔭でパンツ無しのジーパンでも清潔爽快に穿けた。トルコのベルガマでも同じような状況があったのでその経験が役立った。

 初っ端から太古の歴史を訪ねる旅行記には相応しくない話題から入ってしまったけど、こういうことへの対応策はとても大事ですヨ。

写真はホテルのバルコニーからナイル川西岸にある早朝の王家の谷を遠望する。そこへ行くまで王家の谷がある場所とは気付きませんでした。

出発前というのに

2007年01月09日 06時43分05秒 | エジプト
 脚立から降りるとき足を滑らせ腕の付け根を脚立の上部にある金属板に打ちつけた。あまりの痛さに冷や汗タラリ、気分も悪くなったので階段に暫らく腰掛けていた。ホントは横になりたかったが他人の目もあるので我慢していた。
痛みが和らいだので立ち上がり仕事を続ける。

昼食時に妻に見せると病院で治療を受けた方が良いというので救急病院へ行く。問診表に擦り傷と書いたら、先生が診て
”これは擦り傷ではありません、縫いましょう”と言われ11針も縫われた。
「明日からエジプト旅行へ良くのだが注意事項は?」と尋ねると、
”医者としては行くな、としか言えない。どうしても行くなら自己責任で行きなさい。”
注意事項は風呂に入る時に水が悪いかもしれないのでミネラルウォーターで洗いなさい、とか悪化する時の症状は熱が出て患部が腫れるとか説明してもらった。
妻は旅行費用も出さない上に荷物持ちの役目も出来ず、かえって介護を要するなんてアナタだけキャンセルするよ、なんてイヤミを言われる始末。

でもでもファラオに会いに行くんだもんね。
化膿止めやその他の薬は1週間分しかない、2週間分欲しかったナ~。別の病院へ行って薬を貰ってきたほうが良いのか。

出発間際になってこのような事故を起こすなんて相変わらずウフソーだ。旅行中の厄払いの事故と考えればこの後の道中は安泰だろう楽しんできます。
行ってきま~す、帰りは24日です。

直前の一夜漬け

2007年01月06日 18時10分27秒 | エジプト
遅ればせながらおめでとうございます。
 年も明けいよいよ出発が目前に迫ってきたのでチョッピリ慌てだしています。
関空初13:30なので、集合が2時間前となると前泊せざるを得ない。今回はお供でマイルの割引チケットを利用するツモリで空席状況を見ると出発前日の便は空席が少ない、埋まる可能性があるので大事を取り前々日の便に予約を入れた。
 宿泊は妻の妹が大阪に住んでいるのでそこにオジャマするので宿泊費は発生しないので問題は無い。(ゴメンね、笑)

 今さら本を読んだり、ネットサーフィンで知識を得るには時間が足りない。前はあれほど時間があったのに。仕事も目鼻をつけねばならない。結局いつものパターン、不勉強になってしまった。これも個人旅行ではなくてツアーに参加するので気の緩みがある所為だろうか。

たっぷり時間はあったのに・・それでも参考にしていたサイトから目ぼしいところをコピーして勉強したつもりになります。オミヤゲ、観光地の地図などをコピーしたので、もう少しガイドブックに無いような情報をコピーしよう。

 学生の頃試験前になって友人のノートを借りて写し、それだけで勉強した気になり映画館へ出かけたことを思い出した。性格はあの頃と変わっていない。あの頃は手書きで写したものだコピー機なんてものは無かった。写すだけでも少しは頭に入った、今は写すのも内容を見ないで写すので頭に入っていない。でも何かがあるだけで安心できる。

出発までコピーに励む事になるだろう。