どこ吹く風

旅のことを主に書く。

帰路へ

2007年10月09日 07時07分03秒 | 黄龍・九寨溝
 3泊4日の九塞溝・黄龍への旅は期待通りの風景を胸にオミヤゲをザックに積めて持ち帰った。
西安から飛行機利用でホテルのクラスは三ツ星か四つ星、観光は目いっぱいの3日入場なので8万円は妥当な金額でしょう。航空賃が往復2万5千円として3泊のホテル賃は2食付きなので3万円m入場券が入場料が5千円で大雑把な計算だが計6万円になる。
現地駐在員のブログではその半額に近い旅費で回った話があったが、アレはあれ私としてはちょっと予算オーバーしたが妥当な金額と納得せざるを得ない。
 
 ここでトイレの話を。飛行場に向かう途中で昼食を取った、腹具合が悪くてトイレが近くなっていたので、出来る場所があれば済ませておく事にしていたので厠所に入った。日本人観光客が入る施設はそれなりの設備がある。
時間があったので街回りをした、布やら革製品それに一般的なオミヤゲが並んでいる。布が欲しくて値段の交渉をしたが私の手持ち13元にはならなかった、日本人がコレだけしか持っていないなんてカンガエラレナ~イという感じだ。本当に無いというのを信じてもらえなかった。肩掛けにもなる広い布は欲しかったナー

 街を歩いている時便意をもようした、昼食を取ったホテル・レストランまで行けばいいのだが、それまで我慢できるかと案じながら戻っていたら観光バスが停まっているレストランがある。中国人観光客が食事をしている、ここならトイレに入っても外部の人かお客か分からないだろうと従業員にトイレの場所を聞いてそこへ行った。
トイレがあるにはあるが中国式、横の仕切りはあるけどドア無しなのです。しょうがないのでそこで済ませました。幸い誰も入ってこなかったからよかった。入ってきても知らない人なので平気な顔をして悠然と構えておけば良いのでしょう。
でも落ち着かなかった。

 ここはタイル張りなので良い方でもっとヒドイところでもお世話になった。九塞溝の山の中での行き届いた設備と簡単に改善が出来るはずの街なかのレストランのトイレ、落差がありすぎる。こういう場合は
 体調を万全に整えてトイレのお世話にならないようにする
 郷に入れば郷に従えでいく
 傘を持っていって自衛する
等の対策があるだろうがどちらが現実的か・・・
急を要する時は思考能力も停止するので、案ずるよりスルが易しとなるでしょうけど。(笑)

九塞溝ぶら~りブラブラ

2007年10月08日 08時48分03秒 | 黄龍・九寨溝
 九塞溝のどの場所なのか定かではないがホテル前の通りを歩いた。ホテルは九塞溝入口から車で10分ほど離れている小さな集落にあった。小さいとはいえホテルや観光施設があるのでオミヤゲ屋が何軒も並んでいる。
この日の夜は民族舞踊ショー見物がオプションで組まれていたけど、私はパスして地域巡りをした。通りに面した1階部分は店舗で一歩裏に入ると住宅となっている。一戸建て風の屋敷囲いもあるが長屋風のもある。ガラクタが積まれてどこが入口やら分からない家、梨がたわわに実っている庭に入口が色付き文字で飾られた家などが見える。
私たちのツアーの添乗員兼案内役をしてくださった日本語が達者な中国人の女性と一緒だったので心強かった。

 マイクロバスから10名ほどの人が降りているのが見えた。暫らくすると又到着し路地を歩いていくので後について行くと、庭で火が燃えていてその周囲を回りマニ車を回して建物に入っていく。入口には数名の若者が立っていてその儀式を先導している。私たちにも入れと言う。
どうやら観光施設の一つらしい。ショート食事で50元とのこと、生憎食事は済ませていたので会場を見るだけにした。民家を改造してホールにして4~50席ほど並んでいる。私の同行の者が出かけたのが一流施設なら、こちらは純朴を売りにしているのだろう、入場料も180元と50元の差がある、しかも食事つきで50元なのだ。
 門の前で若者と話にならない会話をして観光客の到着風景を見ていた、庭の奥が厨房になっているので見たかったが断られた。しきりにショーを見るように誘うので、明日仲間を連れて来ると言うと納得したのかそれ以上のことは言わない。ついでに仲間を連れてきたら私の入場料は半額にするかと聞くと笑っていた。

 音楽が聞こえてきて料理も運ばれるようすが窺える。若者は踊り子に変身する時間になったのかいなくなった、それで厨房を見に行った。調理員に見せてくれと言うと快くOKした。大鍋にはお湯が煮えたぎり何名かで取り囲んでいる、団子状で寝かされていた麺の玉を伸ばして紐状にし、それを指先で押しつぶしながら千切って鍋に放り込んでいる。猫耳麺を作っている。おしゃべりしながらの作業で形も厚さも適当という感じ。麺を伸ばす手際の良さは見事だ、私が掌に唾を吐く真似をしてからさ~仕事を始めるゾという格好をしたら皆さん大笑いしていた。言葉は分からなくても伝わる場面では伝わるものだ。

 帰りに串焼き屋に寄った、ビールを飲みながら串を銜えて肉を食べていると中国人の観光客らしき人たちが向かいの席に坐った。半分は路天のような店だから席のテリトリーがあるわけでも無い、なんとなく話が始まり年は幾つかとか身体の調子はどうかなどと聞いてくる。身体はすこぶる健康だと答えたら、さもありなんという顔をしている、私たちを夫婦とカン違いしているようだ。訂正するには言葉の壁があるし一々説明するのもメンドウだから放っていたけど、彼女は日本の大学の講師をしている方なので迷惑な話だっただろう。
ニッポンのヒヒ爺と思われた私も心外だが、内心そのような目で見られるというのはオトコとして悪くないとも思った。(笑)

写真は猫耳麺を作っているところ、実に素朴なものです。

モノの値段

2007年10月07日 08時54分38秒 | 黄龍・九寨溝
 モノの値段って一体何でしょう。
資本主義経済では需要と供給によって決められて、社会主義経済では価値によって決まる。この場合の価値とは労働投下量である、なんて事を考えても始まらない。中国だからという訳ではありません、どこの国でも同じです特に観光地では。
改めてお聞きします、モノの値段って一体何でしょう。これはとても難しい質問であり悩ましい問題です。自分自身の価値観で判断し納得するという表面的な理屈では通せないところが問題なのです。私はコレを20元で買ったしかし他人は15元で手に入れたので納得できないというのが実際の気持ちです。

 観光地で起きる内心穏やかならぬ心地にさせるのがオミヤゲ品の価格である。他人と比較しなければ納得しているのに、自分より安い金額で手に入れたとなるとオモシロク無い、ニンゲンだからしょうがないけどオモシロクナイのは面白く無い。
アキラメが悪いヨと言われる前に自分の心を笑って誤魔化しましょう。

 かつては純朴であったであろうチベット族の皆さんも改革開放の波を被り一皮もふた皮も剥けました。彼ら・彼女等にあくまでも純朴さを求めるのは観光客のエゴというものです。チベットのみなさんがかつて純朴であったかどうかも疑わしいですけど。売り子の皆さんはけっこう強いです、幼く見えてもそう見えるだけで年を尋ねると30前と言う、15・6歳にしか見えなかった。その子は別の売り子が5元でいいというのをダメ10元だと訂正してきた、単に年が上だからか責任が上なのか、お蔭で5元ソンした。
5元は50円足らずでしかないが2食分の食事代金に匹敵するとなると大きい金額になる。私もそういう生活になっていたので値切り交渉はやった、この値切りも買い物同様楽しい観光風景のひとコマであるのは皆さんも分かるでしょう。

 九塞溝で買ったオミヤゲは、おもちゃのマニ車、経文が掘られた腕輪、布地、孫の為のチベット民族風のベストそれにお箸でしす。お箸はヤクの角製と言うていた、客が触って箱がひしゃげているので5元でいいといわれて買うことにしたが、10元と訂正させられたシロモノです。元値は25元のものでした。布はカシミヤと言うがマガイモノでしょう、でもオミヤゲにはいいものです、壁にかけたり汚い場所隠しに使える。中国製品特に食べ物の安全性に問題ありと騒がれているご時世なので喜ばれました。布は重いけど20元(300円ちょっと)には見えません。

 高いとか安いとかの規準は何でしょうか。スーパーやデパートで価格表示されていれば安心してその金額を支払う生活に慣れている。ではその価格は正しいのか、隣のスーパーでは違う値段が表示されている、ものの価格とは難しい問題です、本当に。我がニッポンでさえこうなのだから、観光地のオミヤゲ価格はあって無きが如しです。5倍10倍の価格差は当たり前です、自分で納得する以外に無いでしょう。
価格差で面白いことが西安でありました。このことは後日書きます。

 九塞溝のオミヤゲは良かった、価格の安い民芸品だけにしたのが良かった。1品で10~20元だからシッパイしてもたいした事は無い。これで誤魔化す私のウデもたいしたものです。(笑)
 
写真はオミヤゲ品屋さんです。この笑顔の下にはしたたかな商売っ気が隠れています。でも笑顔には負けます。

九塞溝 入園まで

2007年10月04日 20時08分41秒 | 黄龍・九寨溝
 九塞溝は話に聞いた通りの美しさでした。
ホテルから入園口まで10分ほどバスに乗る、近づくにつれて歩道を埋め尽くす人並みが動いている。さすが近年の人気ナンバーワンといわれる九塞溝だ。ひとヒト人がざわめきと共に動いていく、それを見ていると我が方も急ぎたくなる。

 銀行があるので両替をする、みなさんこれまで両替する時間が取れなかったので文無し状態なのです、田舎なので”円”はホテル以外では使えない、円を多額持っていても文無しなのです。両替をすませたので入園かと思いきや今度は建物内に案内されて階段に立たされての記念撮影をする、それも服務員(係員)が撮影する。
二日間入場するので同一人物が入場するかどうかを確認する為の証拠写真らしい。入園料は初日が170元で翌日も入園する人は二日目が90元安くなる、不正防止の意味があるのだろう。チケットに写真が刷り込まれていた、スゴ~イ!

 パスポートとチケットを提示して入るも何故か半券を千切らない、チケットは絵葉書になっていて更に切手まで貼ってある。国内用の金額なので家に送るには切手の追加が必要だが良い考えだ、国営なのでできるワザか。半券は翌日ガイドから回収すると言われて慌てて半券を探す一幕もあった。リベートの清算に必要なのかな。

 あれやこれやで時間のロスもある、二日間見る予定なのでイライラせずに済むがそれでも人ごみの中にいると気分が高まり平常心を保つのが難しくなる。バス発着場では次々とバスが来て人を乗せていく。予想以上に客をスムーズに捌いていくので安心する。
九塞溝はY字型の二俣に分かれていて今日は左俣からの見物となる、10数Kmの谷に池・滝がありそこを流れる清らかな水は時には青く、また別の場所では緑にと輝いている、水面に写る周囲の風景は山水画ではなくて屏風絵である。このように色、写る景色が池によって違う姿を見せるので次の場所へ行くのが楽しみだ。
次の池までバスに乗ったりウォーキングをしたりと景観の良し悪し体力と相談しながら景色を楽しんだ。

 雨に降られたが池の色は美しい、晴れていたらもっと綺麗な色になるだろうか。また九塞溝も黄龍も清掃は行き届きある距離・地域を担当する清掃員が四六時中清掃している。トイレも整備されておりしかもエコトイレで初めてお目にかかるシステムだった。トイレが設置しにくい場所にはトイレバスが配置されている。ここはモデル地区なのだろう。入場料が高い分県境整備にも資金を投入しているようすが窺われる。

 昼食は大レストランのバイキング料理を食べた。1人40元也、高いと思うがここしかない。おにぎり持参でもいいな、手に入るなら。

写真説明:二俣近くの岩壁は干支の動物に見えるそうだ。自分の干支を探せる他人はシアワセとのこと。むやみやたらにシャッターを切ったら写っていた。何に見えますか?

九塞溝の街

2007年10月03日 09時56分18秒 | 黄龍・九寨溝
 全員が集合したところでバスに乗り宿泊地へ行く。この旅行の宿泊地は何処なのか、どのような日程になっているかは知らされていない。バスの中で寒気を感じたので厚手のセーターを取り出して着る。雪山梁を越える道を戻ったのだろう。どのルートを通ったのか記憶が無い。

 暫らく・・いやけっこう走ってホテルに到着した、どうやら九塞溝のある地区らしい。ホテルの前にはオミヤゲ品屋が並んでいる。ホテル到着が遅かったので外へ出る時間は無かった。丸テーブルを囲んでの夕食は四川料理なのか、辛さは控え目になっているようだ。中国滞在中に痩せるつもりなので野菜を主に食べる、とはいうものの並ぶ皿に肉類は少ない感じだ、滞在中全体を通して肉類はそんなに出なかった、予算の問題なのか元々中華料理とはそういうものなのかは分からない。ダイエットしようと思っている私には好都合だ。

 翌朝ホテル周辺を散歩した、夜中に雨が降ったようだ。向かいのオミヤゲ屋は開いている店もある。チベット族のオバサンが何か買って行けという風に合図をする。覗いてから先へ進むが5・6件先でオシマイという小さな商店街だ。戻ってオミヤゲのマニ車と腕輪を買う。二つで20元は若干高い感じだが目くじら立てるほどでもないので買う。チベット族の人たちはけっこう商売上手です。

 この日は九塞溝へ出かけましたが、まず街の様子から書きます。私たちが泊まったホテルは九塞溝の入口から車で10分ほど離れた場所にある。この辺りは平地は少なく山あいあるので細長い町となるのはしょうがない。山の上まで段々畑が見られた、この地は九塞溝が脚光を浴びるまでは静かな寒村でしかなかったであろう。それが今では段々畑が荒れようとしているし・・まあ・・我が島ウチナーも観光で浮かれた島なので言えた義理では無い。そういう風景・光景を垣間見ながら好奇心は住民の生活までも入っていきたくなるものだ。
多くのメンバーが民族舞踊を見に行くというので二日目の夕食は早めだった。私はそのオプション(180元)には参加しなかった九塞溝・黄龍は妻と一緒に来るべき地なのでそれまでお預けというのがショーを見に行かなかった大義名分です。その時間を利用して街を歩いた。
小さな集落なので端から端まで歩いても10分ほどである。そこにある店、オミヤゲ屋や雑貨店、酒屋などを見て回った。見たことも無い果物があるが食べ方や味が想像できなくて買わなかった、今にして思えば口にしておくべきだった。酒にしても私が知っている酒、中国と言えば紹興酒、は置いていない、地酒が目に付く。観光客相手でないのでそのような品揃えになるのだろう。小瓶を1本買う、そこにはインスタントのバター茶があった、お湯を入れればバター茶が味わえるというものだが嵩張るので買わなかった。ツアンバがあるかと問うと在ると言いながら見せてくれた。それが欲しいというと売り物ではなく自家消費用という。欲しいので強引に頼み半分譲ってもらった。20元もしたが何処彼処で手に入るものではないので止むを得ない。

 ツアンバは日本では麦焦がしと呼ばれているようで、ハッタイ粉の裸麦バージョンと考えればいいだろう。「河口彗海のチベット旅行記」を読んでからそのツアンバを味わってみたいと思っていたが、九塞溝の観光村で食べたばかりなのでオミヤゲに持って帰りたかった。チベットといえばバター茶とツアンバである。どうって事は無いものだが手に入れるのは難しい、九塞溝がチベット族の地区である事の証明にもなる。

 それらを持って散歩を続けていたら何か拍子に酒瓶を割ってしまった、それを見た店の方が紙コップを下さったので残りの酒を入れて飲みながら歩いた。けっこう強い酒だがストレートで飲みながら見物を続けた。酒の銘柄は青蔵酒となっていた。

写真は通りの裏に一歩はいると粗末な住居に共同水道という生活風景、写真を撮るのが憚られる雰囲気だったのであまり撮らなかった。

黄龍

2007年10月02日 09時09分49秒 | 黄龍・九寨溝
 12時にケーブルカー乗り場へ出発する。
昼食を取ったレストランのあるホテルの直ぐ近くが黄龍の入口なのだが、そこから入ると歩いて上らなければならなくなる。実際歩いて登る人も大勢いたが私たちはケーブルカー乗り場にバスで向かう。10分ほど下った所に乗り場がある。配られたチケットに80元とある、ケーブル料金を含んでいるのでお歩きさんの場合は幾らなのか。
入場する時パスポートの提示が必要なのは九塞溝も同じ、忘れたら入場できないのかな、とにかく忘れること無く持参したほうがいいでしょう。

 ケーブルカー(リフト? ゴンドラ?区別が分かりません。)はグングン高度を稼ぎ5分ほどで山頂駅に着く。高地の割りに樹木が多いのは南に位置するからだろう。木々の間を縫うように木材の道が整備されているので歩き易い。途中休憩所もあり酸素吸引ができるようになっている、トイレもきちんとしたものが2~30分ごとに設置されている。中国では珍しく使い心地の良い施設です。ここはモデル地域になっているのだろう安心して入れるトイレです。

 暫らく歩くと開けた展望台に出る、黄龍の全貌とまではいかないが雄大なパノラマが眼前に広がる。そこを折れてトラバース気味にゆっくり歩いて30分ほどでお寺と下りの道との分岐店に着た。せっかくここまで来たのだからとお寺目指して歩く。その途中でボッカに会う、電柱のような丸太を担いで登っている、背負い子や杖は立山のボッカと同じだが担いでいるのは女性だった。当時1貫目の料金が100円と聞いていたがここではどの程度の稼ぎになるのか。雷鳥沢の温泉でボッカの身体を見てビックリしたことがある、あの女性が立山のボッカと同じ体型にならない事を祈る。(笑)

 寺の裏の池の水は青く白い堤が幾重にも重なる様は美しい。これが黄龍なのだ黄龍黄龍と騒がれるのもむべなるかなという印象だ。トルコのパムッカレに規模は及ばないものの下から上からヨコさらに池の上から眺めて満喫できる風景はパムッカレよりも美しいものがある。何よりも水が涸れつつあるパムッカレはザンネンながら今ではその魅力が半減している、清らかな流れに満たされた黄龍の素晴らしさは目を見張るものがあった。空気の薄さを忘れさせるほどでした。

 ゆっくり歩いているつもりでも息が弾み疲れを感じる。呼吸器系統が弱い私には堪える、1人でマイペースで歩いているのにちょっとした上りになると息切れがする。こういう現象は万里の長城でもあったしアルプスでもあった、鍛える方法はあるだろうか。
最高部と思われる展望所を後に下り始めた、同行の人たちも思い思いのペースで歩いている。道は1本だから迷うことも無い。ただ下りなのに疲れる、200mごとに道標があるので確認しながら歩くが200mの遠いこと。ゼッタイ間違っていると思われるほど遠い。写真を撮る気力も無いままひたすら下る。せっかくの美しい景色も自分の体力の前に霞んでしまった。ザンネンです、この次はもう少しマシな形で歩きたいものです。

黄龍へ

2007年10月01日 18時57分50秒 | 黄龍・九寨溝
 新学期は9月なので大学は学生が多く見られる。寮も満員のようで新学期に合わせて短期留学組が多くなるようで部屋が足りなくなった。我々老年組の夫婦者を除く6名が近くのホテルに移ることになった。出発時から予定だれていた事だが一旦広げた荷物を纏めるのはメンドウである。それに前夜は歓迎の夕食会があり準備に充分な時間が取れなかった。西安発の飛行機は7時半に出る、飛行場まで1時間ほど掛かるので4時に起きて準備をした。

 5時半に薄暗い街を後に空港へ行く、ゆとりを持って到着した。7時半に飛び途中で出た機内食はパンとトマトのみ朝食には質量とも不足だ。1時間10分のフライトで九寨溝空港に着く、山を切り開いて開港した空港で3500mの高地にある。高度障害が起きないようにゆっくりした行動をとる。民族衣装を着た娘さんからお茶のサービスがある、水分補給も高山病対策になるので頂く。

 日本語が話せるガイドの案内でバスは出発した。空港から街の方へ降りていく風景から何処か違う、チベットを思わせる集落や建物が見える、旗や経文が書かれた布がはためいている。街に入ると高山病予防のアンプルの説明があり売り子が乗り込んできた、買う人人もいるが私は買わなかった。

 黄龍へ行く途中に高度が4000mに近い雪山梁を越えた。ペルーでもアルプスでの経験から動き回らなければ空気が薄いのを感じることは無い。
 10時半には昼食のために円卓についた、朝ごはんがあの調子だったのでそれほど早いとも思わなかった。魚にキノコ、野菜に麺、湯(スープ)と盛り沢山だがフツーの中華料理か郷土料理なのか分からない。中国人は野菜料理が上手だ、食べ方に工夫がある、こんな食べ方もあるのか・・というが多く見られる。
トイレは出来るところでやっておく、こう考えて休憩する場所やレストランでは必ず用を足すことにしている。

 昼食後休んでいたら日本からのツアー客に説明する声が聞こえてきた。ゆっくり歩いても3時間半では充分歩ける時間・距離である。急がず慌てずマイペースで歩いてください、と話ている。
いよいよバスに乗りケーブルカー乗り場へ行く。

写真は雪山梁への九十九折です。スイスの峠とはどこか違う趣の峠道です。