どこ吹く風

旅のことを主に書く。

民族問題 

2008年04月30日 09時47分09秒 | 天空への旅
 数年前始めて中国へ行った時桂林でのガイドの説明に感動したことがある。
広西壮族自治区は漢民族より少数民族の人口が多い、しかし少数民族は教育水準が低いので区を管轄する政府は教育に力を入れている。自分達も奨学金を給料から寄付している、自分たちの寄付金総額と同額を会社も拠出し、それが小学資金となっているとの説明に感心した。
その外に国家にたいする考え、改革開放路線についての説明に、若い中国の代弁者としてのガイドを見た思いだった。上海の建築ラッシュ風景と合わせて躍進する中国の将来は明るいと感じた。

 少数民族に配慮する漢民族という面は理解できた。しかし民族問題は難しいもので、施す側と受けて側とのギャップが生じる。与える側が相当配慮しないとせっかくの善意が無駄になる。押し付けは良くない、こうすれば良いのにということを受け手が理解しないと逆効果を招くこともある。

 私たちウチナーンチュは長い間異民族アメリカーに支配されていたのでその気持ちが分かるツモリだ。
いま起きているチベットの自治拡大要求或いは独立問題も中央政府からするとこれだけやっているのにナゼ?という気がするだろう。気持ちのズレがあるのだ。中国がチベットに進駐?侵攻?した経緯は知らない。ダライラマの治世下のチベットはヒドイものがあった。今のダライラマと亡命以前のダライラマとは違うと思う、同じ人だったとしても。

 今のところどちらかの側に立つほどの判断材料が無いので様子見と決め込む。国境無き記者団というのも胡散臭さを感じる。捕鯨反対のグループを連想させる。マスコミは問題が起きた方が報道し易いのか煽る立場にあるようだ。
私はヒジョーに矮小化して、チベットへの個人旅行がどうなるかという視点から見ている。
 マジメに言えば、自治とか人権民意なんてことをニッポンの俄かフリーチベットの皆さんが騒ごうとしているけど、足元ウチナーにも目を向けて!と言いたい。
辺野古にアメリカ海兵隊の基地を新設しようとこの10年政府は画策している。そして終に海上自衛隊の特殊交錯部隊や海上保安庁まで動員して市民の反対運動を力づくで押さえ込もうとしている。このニッポンで軍事力ー自衛隊の力ーを行使してまでアメリカ軍の基地を造ろうとしているのにナゼ何も反応しないのだ。チベットで解放軍の実力行使に過激に反応するクセに、自国の軍事組織である自衛隊が同じ日本国民であるウチナーンチュに実力行使している姿には目を瞑っている。
当事者としてハラがたつ。蛇足ながら、当事者とはウチナーンチュであるという意味です。

 天邪鬼と思われてもしかたが無いけど、チベットに関することは判断停止です。そのうちもう少し書くこともあるでしょう。

中国の詩詞

2008年04月26日 11時24分10秒 | 懐かしい旅の記録
 中国に関するサイトを漫然と巡っているうちに、西安交通大学の金中先生のことを書いてあるのを見つけた。昨年西安交大で語学研修を受けたとき金先生から歴史の講義を受けた。東京外語大の大学院で学んだので日本語が達者どころか古文や和歌に詳しく、西安まで来て中国人から日本の詩歌を教わるとは思わなかった。
そのとき中国の詩、李白杜甫などの詩いわゆる漢詩を中国語で楽しむことを教えてもらった。「詩詞」と呼び独特の抑揚で詩を吟じる。その音韻がたまらなく素晴らしい。日本の詩吟とは違う。あのようなハデさというか大きな抑揚は無いが響きがいい。

http://www.jinzhongshici.cn/second3.html
金中先生の詩詞朗誦です。

 先生が朗誦している声が聞こえるサイトが復活している。私たちが教えてもらったURLは仮のサイトだったようだ。久しぶりに先生の朗誦を聞いた。ニーハオ程度の漢語しか知らない私でもその詩が持つ美しさが分かる。もっと中国語が分かるようになったら詩の美しさも広がりを持つだろう。

 金中老師のサイトはたまたま再発見したのです、サイト巡りの目的は旅行の下準備の一環でした。チベット問題がどうなるかと様子見をしているけど膠着状態で変化なし、九塞溝はチベット問題に関係なく行くとして、旅行全体をどう組み立てるか迷っている。この際チベットをあきらめて四川省を中心にした地域にしようかとも考えている。
チベットは行くとしても今回は清蔵鉄道に乗るだけでチベット観光は特に考えていない、ラサで歩いて行動ができるか、という体験を実際に試してみただけです。高地で歩いて行動できるなら次回はカイラース巡礼へ行きたい、あるいはその近くまで行きたいその前段の旅という位置づけです。
それ故に僅かな日数でもラサで滞在したい。

 それでも行けない場合のことを考えて、どうするかということも考える時期になってきた。あっさりイタリアでもと頭をかすめることも無きにしも非ず。でも7月は航空運賃が高いのでイタリアなら秋まで待とうか。

 個人旅行の強みは2週間もあれば手配かれこれを含めて準備が出来るのでムリに急ぐことも無い。
送別の辞を聞くのは何時のことか。

送元二使安西  王維

渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新
勸君更盡一杯酒
西出陽関無故人

天空の旅は・・

2008年04月21日 21時40分45秒 | 懐かしい旅の記録
 天空の旅と大上段に構えたカテゴリー名を付けた九塞溝・チベットへの旅はただいま停滞中。その大きな要因は中国のオリンピックとチベット騒乱です。またオキナワ香港の直行便が飛ぶようになれば、中国国内への乗り継ぎも多岐に渡る選択肢ができると期待して、様子見をしていた面もある。

 中国の事情は相変わらず動かない、変化が見られない。また香港直行便について言えば期待はずれだ。香港から先は系列社との連携ー乗り継ぎの便宜ーは無いようだ、つまり香港以降はノーマル運賃になると旅行社に言われた。せっかく期待していたのに何のメリットも無かった、ザンネンのひと言。

 まだ今年の中国旅行を諦めたわけでは無い、しかし気分的にはちょっとだけ遠のいた感じは持っている。旅行社に香港便を問い合わせに行ったついでに持ち帰ったスイスとイタリアの冊子を見ていると、またスイスへ行きたくなった。あの美しい景色の中を歩きたい。
妻も「秋にイタリアからスイスへ廻るコースはどうか」と言う。
”それもいい、しかし中国はまだあきらめていないよ。”と心は動かされたものの一応そのように返事をした。南回りでミラノへ飛んでイタリアを巡りスイスで締めくくるのも好い案だ。
でも第一希望地は中国であることに変わりは無い。

 先日阪急交通社から旅の情報「トラピックス」を送ってきた。今頃送られる手来るのはシーズン的に高い価格設定がなされているであろうから真剣に見る気がしない。それでも一応目を通した、その時は気づかなかったが先ほどアレッと思ってもう一度確かめた、やはり中国が入っていない。中国ツアーが一つも入っていない、何故だろう。
チベット問題が影響しているのかな。それにしても全く載せないというのは妙だ。この連休の中国ツアーは3割減とか5割減という報道もあったが、ゼロにするほど影響があったのか。
中国への旅行者が減ると逆に個人旅行がし易くならないだろうか。淡い期待をしている。

幾らいくら・・

2008年04月20日 08時57分54秒 | 懐かしい旅の記録
 私は優柔不断な性格である、その証拠にモノ売りから「いくらいくら」と幾らなら買うのかと問われると咄嗟に答を出せない。自分に価値基準がないのだ。センエンでは高いけど幾らなら買うのか・・相手が値下げしてきて適当な段階で手を打つことが多い。シッカリした心構えが必要だと痛感する。
 モノには値段があって無い。矛盾しているようだが最終的にはモノの値段はそれの必要度とそのモノが持つ価値との比較でしかない。必要度と価値は各人違うので値段に差が出てもしかたがない。こう割り切らないと外国での買物特にオミヤゲ類は買えない。しかし価値を見出す目を持たないのが哀しい。
それでも高いものを買わされるのはシャクなので交渉となる。道端での物売りは生活が掛かっているが私には遊びなので真剣さが違う。だいたいぶっ掛けられた価格で買っているだろう。

 バリ島で物売りのもの凄い洗礼にあい対応を学んだのでその後の海外旅行で大いに役立った。タイではほんの数十メートルしか追いかけてこないのでなんか拍子抜けしたものだ。
初めて中国へ行った時西安の兵馬俑入口で例の如くモノ売りの若者がオミヤゲに兵馬俑の5人セットの焼き物を買えと寄ってきた。適当にあしらっていると千円が5百円になった。このような品物を渡す人がいないので断っていた。それでも言い寄ってくるのでポケットにあった100円硬貨を見せてこれしか持ち合わせが無いと言うと、それで良い言われて買うハメになった。やり取りは全て身振り手振りです。
百円でも儲けはあるのだろうか。
 別の観光地で呼び止められて、お金を交換してくれと言われたことがある。相手の日本の硬貨を紙幣と交換してもらいたいとのことであった。硬貨は表でもヤミ両替所でも扱わないので紙幣にしたかったのだろう。私のように硬貨を払う人も多いのだろう。

 中国では物売りにぶっ掛けられるよりもマトモな店に見えるところでヤラレタという感じがした。昼食を取るレストランで美味しい漬物が出てきた。オミヤゲ用に小袋に入れたものを特別この店だけで販売している、安くするので買っておくほうがいいとご主人直々の宣伝文句に何袋か買った。ところがトイレ休憩で入ったガソリンスタンド併設のコンビニに同じ品が並んでいて、しかも価格がヒジョーに安い。
さすが商売上手な中国人だとハラが立つやらカンシンするやら。連れ込まれた店で買うということはこうなるということでしょう。

 オミヤゲを買うときは騙されたと思っても、そのことが想い出になるので元は取っていると我が身を納得させるのがイチバンでしょう。

いくらいくら

2008年04月17日 22時42分05秒 | 懐かしい旅の記録
 初めてで最後となっている家族揃っての海外旅行はバリ島だった。クタビーチとは道路一つ隔てたホテルに滞在して朝から晩までのんびり各自気ままに過ごした。小・中・高生の子供たちにも起きたい時に起きて好きなように過ごさせた。ただし海で泳ぐ時は必ず一緒ということにした、あの海は何時でもサーフィンができる大波が押し寄せているので危険な浜である、親が居ないときはプールのみとした。私もよくプールで泳いだ、オーストラリア娘がトップレスで日光浴しているプールサイドをウロチョロする為に。

 キンタマーニ、ウブド、ベサキ寺院の見物等ひと通りの観光を到着後の二日間で済ませ、後はクタビーチで波と戯れ美術館や市場見物、昼寝などゆったりした時間を過ごした。中でもレギャン通りのジャランジャランは特別で毎日の日課となっていた。通りに入る前から物売りが纏わり付いてくる。「ヤスイよ安いよ」「センエン千円」と当時流行っていたプロミスリングや絵画、彫り物、水に玩具など様々なモノを手にして寄ってくる。”要らない”と言うと1本を5本10本と数を増やしてくる。数を多くしても要らないものは要らない。ようやく振り払って先へ進むと未だ付いてくる、それどころか新たな売り子が出てきて「ヤスイよ安いよ」「センエン千円」から始まる。
”もうそのセンエンの段階はとっくにオワッタというの”と笑ってしまった。いくら数を増やしても買わないと見ると、逆に「いくらいくら?」と本当にカタコトのニッポン語で聞いてくる。幾らなら買うかというところでしょう。
要らないものは幾らでも要らないものだ、と伝えたいけど言葉の壁で通じない。「センエン千円」から「いくらいくら?」になってもノーと短く言うだけだった。

 あのしつこさはもの凄い、300m、500mも後に付いて来る。1個センエンの品が10個センエンになる、どれだけぶっ掛けているのだ、まったく。道端の物売りだけでなく商店でも相当掛けられているであろうからそれ相応に値切らなければならない、という心境になる。言い値の1・2割から始めて歩み寄り交渉成立となるけど、その間にはもう買わないと素振りで店を出るのもテクニックの一つ、また同行者との連係プレーで値下げさせたりと丁々発止のやり取りを我がご夫人たちは楽しんでいた。
しつっこい道端の物売りへのウップンを店で吐き出すようなものだ。

 ある時レギャン通りの外れまで来てしまったのでtaxiでホテルへ戻ろうとドライバーと料金の交渉をした。すると1万ルピアと言う、5千にしろと言うも出来ないとの返事がきた。それでも粘るとチョット待て・・と暫らく消えてピクアップで戻ってきた。これなら8千ルピアでいいという。納得できないのでもう少しどうにかしろと話し合いを続けて7千5百で決着してピクアップの荷台に乗って帰った。
よく考えてみるとこれほど時間を掛けて値切った金額を円に換算すると200円を僅か上回る金額である、その金額でtaxiがピクアップの荷台になり、最後の50円をまけさせる為に更に10数分の時間を費やしたのには自分で自分を笑ったものだ。
 
 値切るのは金の問題だけではない、自尊心やミエが絡み合っているのだ。

ベリーダンス

2008年04月10日 09時17分14秒 | 懐かしい旅の記録
公民館でダンスを習い始めて3年経った・・・4年経かもしれない。ウォーキングは暑い中黙々と歩かねばならないので続かなかった。そこで替わりに始めたのがダンスです。これがけっこう面白くて2ヶ所のサークルに所属して練習している。

 体力増強の為に健康シェイプアップ教室にも通っている。ある日準備体操のストレッチのときトレーナーが「腰を回して・・」と指示したので腰を回した。するとトレーナーが私を見て笑っている。私以外の人は腰を軸にして上体を回している、私はというと肩と膝を固定して腰・尻をグルグル回したのである。これが奇妙なカッコウに見えたのでしょう。ダンスでは肩をブレさせないと常々言われていたので当たり前のように腰だけを回したわけでので笑われた。

 トルコツアーに参加したときのこと、カッパドキアでベリーダンスを観賞する機会があった。その会場でライオンのミルクと呼ばれているラクという酒を初めて飲んだ。ウチナーグチで言えば”いーちょーばーカバする酒”だった。あの香りはアニス(ういきょう)と言うらしい。そのラクを恐る恐る舐めながらベリーダンスを見ていたらお客さんを引っ張り出して踊り子と一緒に腰をくねらせるお遊びがあり、前の方に陣取っていた私にも誘いが掛かった。
 私はこういうことを好きなタイプなので数名のオジサン達に混じって腰を振った。なかなか難しいものです。レースの腰巻を腹に巻いて腰ならぬハラをブルブルさせるのはブザマそのものだが旅の恥は掻き捨てとばかり一人で悦に入っていた。膝を着いて坐り(と言うか立つというか)腰を振りながら後ろにそっくり返える動作ができたのは私だけだったようだ。(と妻が後で話していた。)
これは日頃の鍛錬のおかげでしょう。(笑)

 ベリーダンスは卑猥なものではなく、アチラでは真っ当な踊りである事も見て始めて知りました。卑猥とかナンとかは見る側の意識が大きく左右するものである。私のベリーダンスは卑猥と言うより醜悪であっただろう。
写真は舞姫と私、公開するにはこの程度ボケてちょうど良い。

タイでのパレード

2008年04月05日 06時55分15秒 | 懐かしい旅の記録
パレード
 タイの中北部に位置するピサヌロークに泊まった時のこと、オプションの夜店見学に参加した。集合時間になりロビー前に行くとサムローという三輪自転車が並んでいる。自転車の後にリヤカーをくっ付けた形の三輪車で座席があり人が座れるようになっている。サムローには竿が立っていて電球が飾り付けられている、棒状のもあり、アーチ状のもありドライバーの気の入れ方が分かる。フィリピンのジプニーの小型版というところか。
 30数名のツアー客が乗り込んだ、定員は一人なので結構長い行列となった。真っ暗な夜道をイルミネーションの飾りが付いた行列が通り過ぎるのを見ている子供が手を振る、中には大人まで手を振っている。乗っている者としては気恥ずかしい、暗くて顔は見づらいけど気恥ずかしい。身を乗り出して前や後をみると点滅する長い灯りが見える、田舎のお祭りの山車に乗っている気分だ。

 しかもバイクに乗ったお巡りさんが二人同行して交差点では優先的に通れるように交通整理している。交差点を過ぎると次の交差点へ先回りする。これは観光客に対する警察署のサービスなのか金の力なのかは分からない。街外れにあるホテルから夜店のある繁華街までノンストップのパレードとなった。ウキウキもしたけど気恥ずかしさもあるが悪い気はしない。観光客をこのような迎え方をしてもいいと思った、地域住民の感情はどうか知らないが、金を掛けずに観光客のテンションを揚げる良い方法だ。

 オキナワも観光立県を目指している、そこで観光客の駐車違反や時間帯による交通レーン違反を大目に見てはどうだろうか。注意だけにとどめて違反切符を切らなければ喜ぶだろう。金を落とすお客を歓待する一つの方法になる。観光客に少々の特権を与えても良い。

 夜店では「空飛ぶ野菜」を見て、娘が参加して大笑いした。何てことは無いのだがこれで名物になってガイドブックに載るほどなので、その意味では大したものだ。半分バカバカしさがうけているのだろう。
その後名物の虫のから揚げをあの虫、この虫と試食してオミヤゲの缶詰を買った。思ったほどの違和感は無い、種類によってはパサパサして不味いのもあったけど総じてスナックという感じだった、我が娘たちも口にして品定めをしていた。

サムローに食用の虫はタイのもう一つの文化なので貴重な体験をした。特にサムローのパレードはツアーならではの出来事でしょう。

中国 トイレ事情

2008年04月02日 09時51分31秒 | 懐かしい旅の記録
 送られてきた海外旅行の冊子を捲っていると見覚えのある写真に思い出の地名が目に付いた。懐かしさと憧れの入り混じった楽しい気分になったので写真を開けてみた。まずスイスの写真をスライドショーで流しながら見て、マチュピツに移る、随分時間も掛かるがなかなか止められない。
写真を眺めていると次々と想い出が蘇ってきた、写真とは関係の無いことも思い出す。

 家族で北京・西安・桂林・上海9日間のツアーに参加した時のことです。1日当たり1万円を切る旅費なので応募したしたツアーで、添乗員は若いオンナの子という感じで未だ慣れていない人だった。現地ガイドに言いくるめられるのを客が後押しして頑張らせるという頼りない添乗員だった。
それでも若いオンナの子というのは得なもので、お客さんからは大きな不満もでずむしろ可愛がられたのじゃないだろうか。

 最後の夜は上海で、夕食会場はホールがあり食事のできる小部屋もある中層の建物だった。ホールでは結婚披露宴が開かれておりエレベーターの前には華やかな服装をした若者がいる。二卓のテーブルに分かれて次々と運ばれてくる料理に箸を出したいたら、突然”オ~ッ!”という感嘆の声が上がる。振り向いたらチャイナドレスに身を包んだ娘さんがいる、よく見ると添乗員だった。
前々から一着は欲しかったので買ったそうで、真っ赤な大きく割れたチャイナドレスはとても似合っていた。記念写真の申し込みが続き、順番待ちで私たちも撮った。添乗員としての役目は若干不足していたけどこのハプニングで帳消しどころか大きく株を挙げた。
若いってことは素晴らしい、いやそれは「オンナの子」という語が加わって成り立つのかな。

 座も盛り上がったところだがトイレに行きたくなってトイレの場所を聞くと、ホールの後ろ側にあると言う。廊下が無いのでトイレへ行くにはホールを通らなければならない。しかも花嫁・花婿が鎮座している雛壇の後ろがトイレなのだ。躊躇してると、カマワナイとのことなので宴会中のテーブルの横を歩き雛壇を回りこむように歩いた。花嫁にニコッと会釈しながら。帰りは逆ルート、招待客も花嫁・花婿もまるっきり気にしていない様子である。その様子を話すと妻や娘も決心が付いたのか少し気まずそうにオロオロしなあらも用を足した。周囲が何事も無いような雰囲気なのでビックリしながらも面白がっていた。

 トイレに行くのに花嫁・花婿に挨拶しながらというのは初めての経験で、もう二度と無いことでしょう。中国のトイレ事情というと扉が無いとか大広間に穴が開いているだけ、とかのどちらかといえば汚い話が多いがこのようにオメデタイ話も稀にはあるのです。

 参列者およびご両人は宴会場の中をウロチョロする観光客を奇妙に思わなかったのかな。